61:夜闇の襲撃
あれから少し落ち着いたメイドからようやく名前を聞き出した。
シャモエ・アーニール。それが彼女の名前だった。
黙っていると少しそばかすが気にはなるが、美少女に間違いない。ただ喋るとどもるし、動くと何も無い所でこける。まさにドジッ娘だった。
「さて、それじゃ貴様のことを聞こうか?」
楽しそうに目を光らせて日色を見つめるリリィン。だがそこにいつの間にか復活したシウバが丁寧に頭を下げて言う。
「ではわたくしめが少し」
「ちっ、もう生き返りおったか」
本気で舌打ちをして嫌そうに言葉を放つ。
「ノフォフォ、では。こちらはヒイロ・オカムラ様。かの毒の山【ヴェノムマウンテン】の入口にてわたくしの命を救って頂いた恩人にてございます」
「ふむ、ある程度はシャモエに聞いた。ヒイロとやら、変態でも一応はワタシの所有物だ。礼を言うぞ」
「いや、そんなことよりもこれは食っていいのか?」
どこでも本当に自分の欲求に素直な日色であった。
日色は目の前の豪華な食事をおあずけになっている状態がさすがに我慢の限界に来たのか、もう日色の目には食事しか映っていない。
そんな日色の言葉に思わずキョトンとなりリリィンは目をパチクリさせる。そして視線を移しシウバの方を見た。
シウバは微かに笑みを浮かべて頷く。まるで面白い方でございましょうと言っているようだった。
「アハハハハ! なるほど面白そうな小僧だ!」
その言葉に普通はムッとなる日色だが、腹の虫と格闘するのに夢中でそれどころではなかった。
「よし、続きは食べながら話すとするか。シウバ、シャモエ」
「「はっ、畏まりました」」
シウバとシャモエはすかさず一礼をしてシャモエはナプキンをリリィンに手渡す。
シウバは日色の目の前の椅子を引き、補助につく。
日色が腰を下ろすと、リリィンが「さあ、食事にしよう」と口を開く。
だがもうその言葉を聞いておらず、日色は次々と食べ物を口に運んでいた。
「……ま、まあいい。存分に楽しむが良い」
少し唖然としたが、日色の食べっぷりを見て微かに笑みを浮かべる。
他の二人は何やらハッとなった様子で日色を見ているが、日色は気づいていない。
対してリリィンはほくそ笑むと同じように食事を口に運ぶ。
日色は料理に舌鼓をうっている最中に、ふと気づいたことがあって言葉にする。
「おい、ジイサンたちは食べないのか?」
「む? いいのか? 一応礼のつもりで貴様用に作ったものだぞ?」
「何を言う。お前も食べてるじゃないか」
「当然だろ。屋敷のものはワタシのものだ」
「ふぅん、まあいいが、これだけの量だ。ジイサンたちも食べればいいだろ?」
特にシウバは腹を鳴らせていたので、こうして自分たちだけが食べている姿を見せるのに少し抵抗がある。
「なるほど。そういうことだ。二人とも席に着け」
「い、いえですが」
「シャモエ、主の命は?」
シウバがシャモエに問う。
「ぜ……絶対ですぅ」
身体を縮こませながらも席に着く。
「さ~って、では頂きますぞぉ~!」
シウバが嬉しそうに言葉を発すると、シャモエも幾分表情が柔らかくなりパンを手に取り食べ始める。
「しかし変わった奴だな貴様は」
「ん?」
「普通は使用人を同じ席に着かせて食事をとるようなことはしないものだが?」
「そっくりそのまま言葉を返すぞ」
何と言ってもリリィンは屋敷の主人である。
それなのに何の抵抗も無く使用人と同じ机で食事することは、普通ではほとんど無いはずだ。だから変わっているのはむしろ客人である自分よりもリリィンの方だと思った。
「ふん、食事は皆でとった方が効率がいいだろ?」
「ま、確かにそうだな。だが体裁を気にする奴らがほとんどだろ?」
「ここはワタシの屋敷だ。誰にも文句は言わせんよ」
どうやらリリィンというのは、そこらの頭が固い身分優先の貴族なんかよりもずっと自由な考えを持っているらしい。そういう考えは好感が持てるなと口を動かしながら感じた。
(それにしても、この魚は美味いな)
フォークに突き刺してある魚の切り身を見つめる。
「ノフォフォ、それはこの湖にしか生息していない《ハモック》と呼ばれる魚類でございます。白身でタンパクであり、そのように煮込めば味が濃くなりとても旨味を増すのでございます」
「なるほどな。確かに悪くない。はむ。モグモグ……これは何だ?」
そう言って次はハムのようなものが何重も巻いてある筒状のものの正体を尋ねる。
「それはですね、《グランスライム春巻き》でございます」
「ごっほ! ごほごほごほ! な、何だって?」
聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたのだ。
「ええ、ですから《グランスライム春巻き》でございます」
「…………」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。
確かに見た目はプルンとしているが、色も赤だし、本当にハムのように見える。グランスライムは確か緑色だったはずだ。
「グランスライムの身はほとんど食用ではないですが、《赤琳》と呼ばれる中央に存在する赤い部分は珍味でとても美味なのでございます」
そういやグランスライムの中央には核のような赤い部分があったことを思い出す。しかしあれは攻撃したら発火したような気がする。
「かなり難しい調理法なのですが、ご存知ですか、《赤琳》は無闇に刺激を与えると発火するのでございます」
「ああ、ここに来る途中に戦ったからよく分かってる」
その言葉でリリィンがピクリと眉を動かしたのだが日色は気づいていない。
「そうでございますか。この《赤琳》を調理するには、数時間熱湯で煮込まなければなりません。ですがそうすることで、調理が可能になり包丁を入れても発火しないようになるのでございます。そしてその味は」
パクッと《赤琳》を口に放り込む。
「ノフォフォフォフォ! 蕩けるほどの美味でございます!」
日色もそれに倣って食べてみる。発火しないだろうかと少し冷や冷やしたが、口に広がる香りと美味さが、その考えを払拭してくれた。
(コレは美味いな。あのデカスライムとは思えんほどのコリコリ感だ。まるで軟骨でも食べているような。それでいて噛むほどに濃厚な味が広がっていく)
これはきっと酒の肴にもちょうどいいのだろうと思っていると、目の前の幼女が日色の思った通り明らかにワインっぽいものを口に運びながら《赤琳》を口にしていた。
(見た目で判断するのはあのチビウサギで間違いだって知っているが…………幼女は酒好きなのか?)
チビウサギこと、アノールドの師匠であるララシークを思い出す。彼女もまた酒好きで、見た目が五歳児なのに酒瓶を常に持っているというファンタジーな姿を目にしている。
リリィンがワイングラスを持って飲んでいる様が、妙に絵になっていることが不思議に思う。余程飲み慣れているのだろうと感じずにはいられなかった。
「ククク、ところでヒイロとやら、貴様はなかなかやると聞いたが、どうだ?」
日色が見ていたことに気がついていたのか、視線を合わしてそう聞いてきた。
「何の事だ?」
「惚けるな。見たところ『インプ族』のようだが、奴らは群れで行動する。まあたまに単独で行動するはぐれもいるが、貴様がそのはぐれだったとしよう。だがそれでは説明がつかない部分が山ほどあるのだが?」
「……何がだ?」
「ククク、先程お前はグランスライムと戦ったと言ったな?」
「ああ」
「つまりあの【グルーミー草原】を越えてきたというわけだ。違うか?」
「そうだ」
一体何が言いたいと思い不機嫌そうに眉を寄せる。
「しかしあそこはグランスライムの生息地。ランクSのモンスターがウヨウヨいる場所だ。そして毒の山を越えてここへ来た」
「……」
「極めつけはだ、その《赤琳》、『インプ族』が最も苦手としている食べ物の一つだ」
「っ!?」
思わず顔が歪みそうになる。どうやらリリィンは日色の正体に疑問を持っているようだが、今の会話の内容が真実とは限らない。ポーカーフェイスを崩すわけにはいかない。
ジッと日色の顔を見つめるリリィンはクスッと笑みを浮かべて追及してくる。
「ああ、苦手というのは単に嫌いとかそういう類の話ではない。食べれば拒絶反応を起こし、死に至る……そんな話だ」
これはマズイ。
まだ彼女の言うことが本当かは分からないが、もし本当なら自分の正体が本当は『インプ族』ではないことがバレる。
(というよりも図鑑に載ってなかったぞこの野郎)
もし本当なら今ここで図鑑を燃やしてやりたい衝動にかられるが、今はそんなことよりもこの場をどう乗り切るかが問題である。
「その《赤琳》を平然と口にする。いや、それよりもその存在を知らなかったことが実に疑わしい。仮に耐性があったとしても、一族の弱点を知らないのは変だ」
彼女の言う通りだ。どんどん追い詰められていく日色。
「ああ、それともう一つ、《ハモック》も『インプ族』の天敵だぞ?」
(このロリっ子……)
さすがにこの食事が嵌められたものだということを悟る。他の二人を見ると、リリィンと違い申し訳なさそうにしているので、どうやら二人は知っていたようだ。
ギュッと思わず拳を握ってしまう。そして静かに人差し指を立てていつでも文字を書ける準備をする。
日色の険しそうな表情を見てリリィンは愉快気に笑いながら言う。
「ククク、勘違いするなよ。別に貴様が『インプ族』であろうとなかろうとどちらでもよいわ」
「……?」
「ただ単に好奇心が疼いてな。どうしてそんな姿をしているのか……『インプ族』ではないのだろ? ええ? 奇妙な客人よ?」
そう言えば初めて会った時も奇妙な客人という言葉を使っていた。
なるほど。あの時からすでにこの状況は示唆されてあったということのようだ。
「答える義務があるのか?」
「ふむ、それは確かに無いな。だがここはワタシの腹の中も同じ。無理矢理聞き出しても……よいぞ?」
目の奥に確かな殺気を感じる。思わず喉を鳴らしてしまう。
すると、ゴホンと大きな咳が場に響く。いつの間にか立ち上がっていたシウバが頭を下げている姿が目に入る。
「申し訳ございませんでしたヒイロ様」
「……」
「主の謀とはいえ、わたくしはそれを否定することはできませんでした。ですが、わたくしも恩人のあなた様のことを知りたいと思ったこともまた事実なのでございます!」
「ジイサン……」
「実は『インプ族』というのは毒に非常に弱い種族なのでございます。それなのにヒイロ様は平気で毒の山に向かわれた。それがわたくしには大いに引っ掛かったのでございます」
そこで日色は思い出した。必死な様子で自分が山に入るのを止めたシウバのことを。あれは『インプ族』なら確実に命を落としてしまうだろうと思ってのことだったのだ。
「もしかして『インプ族』ではないのだろうかとも思いました。恐らく主も毒の山を越えたことに疑問を感じ、こうして調べようとなさったでございましょう」
だが、もし本当に『インプ族』だったらどうしてくれたんだと言いたい。死ぬんじゃないのか。
「しかしご安心下さい。この料理では最良の手を加えて、『インプ族』でも食べれば少し体に激痛が走る程度にまで抑えてありました」
「いや、少しって」
思わず突っ込んでしまった。死なないのは良いのだが、激痛は許されるとでも思っているのかと大いに突っ込みたいところだ。
「しかしやはり、ヒイロ様は『インプ族』ではないようですな」
こちらを見つめる三人の目。
日色はしばらく沈黙を守っていたが、頭をかきながら大きく溜め息を吐く。
「ああそうだ。オレは『インプ族』じゃない」
その瞬間、リリィンの目が光ったのを日色はしっかり把握していた。どうやらララシークと同じタイプの人物のようだと思った。
だがここで他の『魔人族』を偽っても、また何かしらそれを見破る手段を使われても面倒だ。しかし素直に人間であることをバラしたら、それこそもっと面倒なことになりそうだ。
(どうしたものか……)
ここで答える義務は無いのだが、ララシークと違って、どうやらかなり好戦的な性格であり頭も切れるようなので、コントロールするのが難しい。
(こうなったら『転移』の文字で逃げるか)
そこでハッと息を飲む。そう言えばミカヅキの居場所が分からない。
シウバが家畜用の餌場に連れて行ったので日色はその場所を知らないのだ。だがそう考えて思い出す。そう言えば、設置文字の居場所を把握できるようになっている。
目を閉じてその居場所を探るように念じていると、近くに自分の魔力が込められた塊の存在に気づく。
二つあるので、これは間違いなくミカヅキだ。これで居場所は大体把握できたが、近いと言っても屋敷から出なければならない。
転移は一度行ったところにしか行けないので、必然的に屋敷の出口に転移することになり、そこから今感じている魔力の場所へと向かうことになる。
(マズイな。外に転移しても、探すのに時間はかけられない。それにまた『転移』の文字を書いてここから離れる必要がある。だが……)
少し時間が掛かり過ぎる。そうこうしているうちに見つかってしまうかもしれない。
それに二文字を使えば設置文字は全部不能になる。無論ミカヅキに施してある文字も無駄になってしまう。
それに今この場でおかしな動きをすれば、警戒され拘束されてしまうかもしれない。何せ、少しでも魔力を出すと、それだけで気づくほどの者がいるのだ。
(せめて転移の文字の画数がもっと少なければな……)
便利な効果を発揮する文字なのだが、いかんせん文字の画数が多い。だから書くのにも時間が掛かるのだ。
(それにこんなハメ方をする奴だ。敵意を見せれば何をしでかすか……)
だからこそ瞬時に発動できる設置文字の『覗』でさえ発動できずにいた。素早く発動できるとは言っても、その瞬間は確かに魔力が放出されてしまう。それが敵対行動と取られれば、かなり面倒な事になるのだ。
この場をどうしたら穏便に収めることができるか必死で考えているが、なかなか妙案が思いつかない。
「なら、貴様は何者だ?」
リリィンから追及の手が届く。
日色は彼女の探るような目をキッと見返す。ここで動揺を悟られるわけにはいかない。
「……オレはオレだ。他の何者でもない」
「ククク、そんな詭弁が通じる相手だと思っておるのか?」
その瞬間、ゾワッと背後に寒気を感じる。この威圧感はララシークとは別だが、彼女に通じるほどの強さを感じる。
「ふぇぇぇぇぇ……」
シャモエは場の雰囲気に当てられてオロオロしながら自分の主と日色を交互に見る。
そしてシウバだが、突然キリッとした表情をして立ち上がったかと思うと、「むむむ!」と言いつつ、突然懐から何かを取り出す。その行動に他の三人が注目する。
「良い! 良いでございますぞ!」
どうやら一冊の本のようだが、それを見ながら鼻の穴を大きくして興奮している。
「ノフォ! ノフォ! ノフォフォフォフォ! これはまた!」
「「「…………」」」
三人が三人ともそんなわけの分からない老人を見つめる。
「……何をしているシウバ?」
堪らず彼の主であるリリィンが質問する。するとシウバは本を彼女に向けて開けながら叫ぶ。そこに映っているのは水着のような布だけをつけた女性の姿があった。地球で言うとグラビアだ。
「見てくだされお嬢様! この腰のライン! ああ、何とお美しいラインか……」
「…………」
「それにこの夢一杯としか思えぬような魅惑のバデェ! ああ、一度でいいですので埋もれてみたいは男の夢……」
「……そ……そうか……」
プルプルと肩を震わし出すリリィン。そしてシュンッと、その場から一瞬で彼の懐に入り込み――。
「にょへぇっ!」
ボクシング世界チャンピオンも真っ青の見事なアッパーで顎を捉え、シウバは真上に跳び上がり、頭だけ天井に埋もれぶら下がった状態になった。
「そんなに埋もれたいならそこで一生埋もれているがよい!」
「ふぇぇぇぇぇっ!? シウバ様ぁぁぁぁっ!」
シャモエはシウバの安否が気になって叫ぶが、彼はどうやらまたしても沈黙してしまったようだ。
「……ふぅ、興が反れたわ。シャモエ、ワタシは部屋に戻る。客人には疲れをゆっくりと取れるように配せ」
「わ、わわわかりましたですぅ!」
日色はこちらをチラリと一瞥してその場を去っていく彼女を見て軽く安堵したように胸を撫で下ろす。
(やれやれ。どうにか切り抜けたが……)
そう思いながらもいまだにブランブランと揺れている変態を見る。
(このジジイ、今のはわざと話題を逸らしやがったな)
別に得もありはしないのに、主人の話に割り込んで、結果的には日色を救うことをした。自分のことを恩人だと思っていると言ってたが、やはり義理堅い人物だなと改めてそう思った。
「ノフォフォフォフォ! 死ぬかと思いました! ノフォフォフォフォ!」
客間に再び戻った日色は、あれだけのことをされたのにケロリとした表情で笑い飛ばしているシウバを見て、本当に老人の身体かと疑いの目で見つめている。これも『魔人族』ゆえなのだろうか。
「助かった……と言えばいいか?」
「む? 何のことでございましょうか?」
どうやら完全に惚ける気でいるようだ。相手が気にしていないというのなら、こちらもそれ相応に応えようと思い、もう先程の話題はしなかった。
「一つ聞いてもいいか?」
「もちろんでございます。女体の神秘なら幾らでも」
「そんなもんは聞いとらん」
「……左様でございますか」
残念そうにするなと言いたいが、それよりも聞きたいことを言う。
「いいのか? こんな怪しい人物を屋敷に入れても」
「怪しい? 何がでございますか?」
「『インプ族』じゃないのに、『インプ族』の姿をしている。オレならそんな奴、怪し過ぎて大切なご主人様には近づけさせないが?」
「ふむ……むむむ」
そう唸りながら顎に手をやったかと思えば、懐からまた本を取り出し読もうとし始めたのでとりあえず頭を殴っておいた。
「ノフォフォフォフォ! 痛いではありませんか!」
「ちっとも痛そうな顔をせずに言うな! というか質問に答えろジジイ!」
「いやはや、わたくしは初めて会った時に申しましたはずでございます」
「……?」
「執事とは、人を視ることが最も大事な人種であると」
そう言えばそんなことを言っていた気がする。
「ヒイロ様が災いをお運びになる存在だと判断したなら、ここへはお連れ致しません」
「……」
「お連れしても問題が無いと判断したため、是非ともお礼にと参って頂いた次第なのでございます」
どうやら主のリリィンはともかく、最初からシウバには他意は無かったようだ。それを聞いて、完全に鵜呑みにするわけにはいかなかったが、幾分かホッとしたのは事実だった。
「それにでございます。ヒイロ様が何者であろうと、大切なのはその御心。それはわたくしだけではなく、主やシャモエも同様の思いをお持ちでございます」
「あの赤チビがか?」
「ノフォ!? 赤チビ!?」
目を剥いて驚愕の表情をする。そして「ぷっ」と息を吐くと、
「ノフォフォフォフォ! あの主をそんなふうにお呼びになるとは、命知らずなお方でございます! ノフォフォフォフォ!」
「何がそんなにおかしい? 赤い髪のチビスケだから略して赤チビだ。どうだ、覚えやすいだろ?」
「ノフォフォフォフォ! 本来なら主への暴言でそれなりの処断をするのでございますが、何ともヒイロ様のお口から聞けば言い得て妙で面白いでございます! ノフォフォフォフォ!」
「まあ、何がそんなに面白いのかは分からんが、さっき言ってた大切なのは御心って、あの赤チビもそんな考えの持ち主なのか? どうも分からんぞ?」
自分の欲求不満を解消するためなら手段を問わないような輩が、そんな信条を持つとは思えなかった。
「いえいえ、それは間違いございません。そうでなければ、我々、わたくしとシャモエですが、とっくにこの屋敷から追い出されておりますゆえ」
「そうなのか?」
「はい」
「ふぅん」
何やら使用人二人にもわけがありそうだが、それ以上は別に知りたくも無かったので聞かなかった。
「ところでだ、オレは食べるもんを食べたからもう出て行ってもいいんだが?」
これ以上ここにいると、いつまたあのリリィンの追及があるか分からない。
「ふむ、ですが外はもうすぐ暮れるでございます。ここらへんは、夜になるとランクS級のモンスターが大量に発生するのでございます」
「グランスライムの草原のようにか?」
「いえ、あれ以上でございます」
あそこも大概ヤバイ地域だったが、それ以上だとすればおいそれと外に出ることは控えた方が良いかもしれない。
「この屋敷は無事なのか?」
「はい。ここは主の結界が張ってありますので」
「……やはり相当強いのか、赤チビは」
「そうでございますね…………ドラゴンが泣いて詫びるほど……でございましょうか?」
それはどんな状況だと頬を引き攣らせる。幼女のあまりの強さに、そろそろ幼女恐怖症になりそうだと思ってしまう。
ララシークにしろリリィンにしろ、この世界は幼女が強いのではないかと思い呆れて溜め息を吐く。
「ですから、ヒイロ様もできれば主のご機嫌だけにはお気を付け下さいませ」
そう言って恭しく頭を下げると部屋を出て行った。
これから夜を迎える。客間に用意されているベッドに跳び乗り、深く息を吐く。
(今日もいろいろあったな……)
別に今すぐにでも出て行こうと思えば出て行けるのだが、朝食にとても美味い魚料理を出すとのことで、是非とも味わってみたいと思ったので残ることにした。
何かあったら《文字魔法》を使って何とかなると楽観的に判断し、明日には出て行くと心に決めると、疲れからか自然と瞼が下りてきた。
そして夜が更けていき、皆が寝静まった頃、日色がいる部屋の扉が静かに開いていく。
仰向けに寝ていたが、何やら身体が重い。
ハッとなって日色は目を開ける。
そしてその眼前に飛び込んで来た光景に対してギョッとなる。
いつ入って来たのか、またいつ馬乗りされたのか分からず、大声を上げようとする。
「なに……っ!?」
しかしパシッとその人物の手で口を塞がれる。
(な、何でコイツがここにっ!?)
そこにいた人物に愕然とする。一瞬誰だか分からなかったが、ツインテールにしている頭を見て判断する。
そう、彼女はシャモエというメイドだった。
だが彼女は明らかに食事の時とは違う雰囲気を宿していた。
桃色だった髪の毛は、闇に染まったように黒々としていて、意志が弱そうで垂れていた目は獣のように鋭く金色の輝きを放っていた。
そして確かに食事時には無かったものが今の彼女にはあった。それは獣耳と尻尾である。
(コイツが何でこんなことを……っ!?)
まるで獲物を見つけた獣のような表情をして、日色を見下ろしているシャモエ。
その口角は目一杯上げられ、舌舐めずりもしている。食事の時のオドオドした彼女とは思えないほどの変わり様だった。
(とにかく良く分からんが、今は!)
両手で口を押えている彼女の手を払いのけようと掴むが、どうしたことかビクともしない。
そして次の瞬間、手に力が籠められ、アイアンクローばりに締めつけられる。歯が折れるのではないかという圧力を感じる。
(な、何て馬鹿力してやがるんだ!)
仕方無く日色は拳に力を込めて殴り飛ばそうとするが、彼女の行動の方が速かった。日色の胸ぐらを両手で掴んで、いきなり頭突きを食らわせてきた。
「がっ!?」
ミシッという音が聞こえ、あまりの衝撃に目の前に星が浮かぶ。
さらに今度は首を両手で絞め始めてくる。
「ぐ……が……はっ……っ!」
とてつもない力である。少しでも力を抜けば、一瞬で意識が飛ばされてしまうかもしれない。
このままでは本当にマズイと判断し、なりふり構わず設置魔法の『防』を発動させる。
腕に書いた文字がポワッと浮き出て、効果を発揮する。
青白い魔力が日色の目の前に現れた。
魔力の壁にバシンッと弾かれたシャモエは、ベッドから後方へと弾き飛ばされた。
「ごほごほごほっ!」
日色は片目を閉じながら、手で首を押さえて咳をする。
「グルルルルル!」
まるで腹を空かせた獣の唸り声のように喉を鳴らして、獣のように四本足で部屋をゆっくりと歩き回るシャモエ。
飛びかかるタイミングを計っているように見える。いや、事実そうなのだろう。今彼女の目は完全に日色を狩ろうとしている目だ。
(……本気でやらなきゃ、こっちがヤバイか……)
すぐにベッドから降りて、立てかけてあった『刺刀・ツラヌキ』を手に取り抜く。
向こうも警戒しているのか、鋭い視線をぶつけてきてはいるが、距離を一定に保ち様子を窺っている。
(勘の良い奴だ。この魔力の防御壁を警戒してやがる)
先程展開した『防』の文字の効果はまだ少し続く。不可思議な攻撃を受けた彼女は、今近づいても無駄だと野生の勘を働かせて近づいてこないようだ。
しばらく睨み合いが続いている間、一応もう一度『防』の文字を腕に設置していく。
書き終わり、すぐに今まで日色を守っていた防御壁がスッと消えていく。
その直後、キラリと彼女の目が光ったと思ったら、床を強く蹴って飛びかかって来た。
日色は歯を食いしばり刀を振り抜こうとする。
しかしその時、だ。
「お待ちくださいませっ!」
突然部屋の扉が開き、そこから現れたシウバが叫んだ。
思わず手が止まる。彼の言葉で攻撃の意思が揺らいでしまった日色は、目の前で襲ってくるシャモエの攻撃を完全には避わせず、左肩に噛みつかれる。
「ぐあっ!?」
凄まじい激痛に顔を歪める。
「ぐ……こ、このっ!」
『速』の設置文字を発動させて彼女に噛みつかれながら前に向かって全力で跳ぶ。物凄いスピードで前進する。
――バキィッ!
「キャンッ!」
壁に背中から激突したシャモエは口から唾を飛ばし、そのまま地面に倒れた。
日色は『速』の文字を使って加速し、そのまま壁に向かって突進したのだ。彼女の腹には刀の柄を向けて壁に激突した際にダメージを与えた。
さすがにそのダメージが大きかったのか、彼女は膝を折り床に倒れた。
そして黒色だった髪色から、最初に会った時と同じような桃色の髪色に戻り、獣耳と尻尾も引っ込んでいった。
(コイツのこの変わり様……見覚えがあるな)
脳裏に浮かぶのは、かつて旅仲間として傍にいたウィンカァ・ジオのことだ。
彼女もまた、普段は虫も殺せないほど大人しい少女だったが、あることをきっかけに豹変した。
そんな彼女と、今のシャモエは瓜二つだったのである。
「はあはあはあ……っ」
日色は噛まれた肩を押さえながらふらつく。
「ヒイロ様!」
後ろからシウバが日色の両肩を押さえ支えてくれた。
「くっ……せ、説明してもらうぞジイサン」
シウバは申し訳なさそうな表情を作り、小さく頷きを返す。
しかしそこにこの屋敷の中にいるもう一人の人物の声がする。
「その説明はこのワタシがしてやろう」
リリィンだった。
黒のネグリジェを着て、その手には首から綿の出ている熊のぬいぐるみがあった。少し眠そうな顔だが、床で意識を失っているシャモエを一瞥すると、不機嫌そうに鼻を鳴らし
「シウバ、シャモエを自室へ運んでおけ。それと小僧には手当てだ」
「畏まりました」
静かにそう言うと、日色の肩から手を離し、シャモエを抱えて部屋を出て行く。
それからリリィンは部屋の灯りを点し、ソファに近づいてきた。




