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59:変態執事との邂逅

 草原を突き進んでいくと、遠くに見えていた山が、ようやくもう少しで辿り着くまでの距離に縮めていた。

 その間にはそれこそ数多くのモンスターと戦ってきた。やはり『魔人族』の住む大陸はモンスターの質が高い。ほとんどがランクA以上ばかりだった。

 ただそのお蔭もあってか、レベルも上がり73になったのは嬉しい。70になったところで、また別の能力が増えるかと期待していたが、どうやらそう上手くはいかなかったようだ。

 代わりに『電光石火』と『達人』という称号を手に入れた。


 『電光石火』の方は、短期間でレベルを上げまくった者に与えられる称号で、素早さと獲得経験値に補正がかかるものらしい。

 そして『達人』だが、魔法を使いこなし70までレベルを上げた者に与えられる称号だ。MPに補正がかかるのでありがたい称号だった。


 早く次の新しい《文字魔法》の能力が欲しいと願いつつ、出てくるモンスターから逃げることなどせず、片っ端から潰していく。これだけのレベルになれば、ランクAくらいのモンスターであれば、《文字魔法》を使わなくても倒せる奴らも多いので助かる。

 だがランクSのモンスター相手では、やはり魔法を使わなければどうしようもないような相手も存在するのである。


 そうやって刀と魔法を駆使して突き進み、ようやく山の麓まで辿り着いた日色とミカヅキは、足を止めてある一点に視線を集中させていた。

 何故なら視線の先には、何者かが俯せに倒れていたからである。


「……死んでるのか?」


 そう思いゆっくりと近づく。もちろんミカヅキに乗ったままでだ。


「ひっくり返せ」

「クイ」


 日色の命令に従って、足の先でコロンと軽く力を入れてひっくり返す。

 白髪でオールバック。口髭も綺麗に整えられていて、その顔からは歳相応を感じさせる渋さも滲み出ている。恐らく人間で言うと六十代くらいであろうか。

 彼の口はだらしなくポカンと開けたままで、白目を剥き完全に沈黙している。どうやら息はあるようだが、どうしてこんなところで倒れているのか謎である。


 そして極めつけは漫画やアニメなどで見たことがある燕尾服、つまり執事のような姿をしているのが一番の謎だ。


「このジイサン、どこか金持ちに雇われていた執事とかか?」


 何にせよ、別に関わる理由も無いので、そのまま放置して立ち去ろうとしたところ――。

 くわっと、白目だった目が瞬時に輝きを取り戻し、開いていた口も一文字に引き締めて、


「むむむ!」


 そう唸ったと思うと、「とう!」と叫んで瞬時にその場から上空へと跳び上がった。

 そしてそのままクルクルクルクルと身体を前転させて――スタッ!

 見事に地面に足をつけて着地する。

 すると礼儀正しく背筋を伸ばしたかと思うと、ゆっくりと恭しく頭を下げてきた。


 ――ドゴッ!


 だが何故かそのまま頭を地面に突き刺したので驚きだ。

 ヘナヘナと糸が切れたマリオネットのように再び地面に倒れてしまう。


(……何がしたいんだこのジイサン……)


 日色だけでなくミカヅキも、突然の老人の奇行にポカンと口を開いたまま固まっている。


「……めぐ……を……」

「ん?」


 何やら老人から何か言葉が聞こえたので耳を澄ます。

 すると老人はプルプルと何かを求めるかのように震える手を上げる。


「ど……どうか……おめぐ……みを……」


 まだ何を言っているのか分からず不審げに眉をひそめていると……。


 ――ぐぎゅるるるぅぅぅぅぅっ!


 盛大な音が耳に飛び込んで来た。

 老人は苦しそうに腹を押さえて悶えている。どうやら腹が減っているようだった。


 しかしこんな時でも日色は日色である。倒れていた理由が分かったと納得顔をすると、そのままミカヅキに「行くぞ」と言ってここを離れようとする。

 ミカヅキは「いいの?」みたいな表情をするが、


「助ける理由が無い」


 きっぱりと言われ、主人がそう決めたのならと足を動かしその場を離れようとする。


「お……お願い……します……」


 聞こえてはくるが無視して日色はミカヅキの背で寛ぎながら目を閉じる。

 いまだ腹の虫が大合唱を続けている声を聞いて、ミカヅキは後ろ髪を引かれる思いをしているが、老人の横を通り過ぎていく。


「こ……これを……」


 老人の振り絞った声が聞こえ、眉をピクリと動かして目を開ける。一体何だと思い、一応確認しようと目だけを動かして老人の方を見ると、その手には文庫本を一回り大きくしたような本があった。


「い……今はこれ……しか……ですがこれ……は……大変貴重な……」


 日色は目を細め顔ごと老人に向け、ジッと本を見つめる。どうやら本を交渉に食べ物を分けてもらう算段のようだ。


「何の本だ?」


 日色の声を聞くと、老人は必死に顔を上げて痩せこけた表情で命一杯の笑顔を作り親指を立てながら言う。


「エ……エロ本でございます」

「いるかそんなもんっ!」


 思わず手元にあった本を投げつける。


「ばひんっ!」


 投げた本が老人の顔に命中してガクッと意識を失う。


「あ、しまった」


 まさかトドメを刺してしまったのかと思い少し老人を不憫に思った。

 ミカヅキもやり過ぎだというような目で見つめてくる。


「クイクイクイ」


 食べ物くらい恵んであげればいいじゃんと言っているのが、通訳無しでも理解できた。


「あのな、そもそもオレがあのジイサンを助ける義理なんて無い。それに貴重な食料を、何故こんな変態にやらなければならんのだ」


 交渉にエロ本を持ち出してくる変態とは関わりたくないと心底思い始めていた。


「な……ならこちら……を……」


 突然復活した老人が、またも本を差し出してくる。今度も同じ大きさの本だったので、完全に警戒態勢に入る。


「この本……は……マルキス・ブルーノート氏が書かれた……」


 その言葉を聞いてハッとなる。そして目を細め本を見つめる。


「マルキス・ブルーノート……」


 その名は覚えがあった。

 以前読んだ悲劇の英雄物語である《ティンクルヴァイクルの冒険》という本を書いた著者の名前だったのである。なかなかに興味深かった本だった。そしてそんな人物が書く本がまさかエロ本であることはないだろうと思う。


「……いいだろう。その本と引き換えに食料を分けてやる。ただし、また変な内容の本だったら容赦はしないぞ?」

「か……感謝……致します……」


 そこで力尽きたように再び気絶した老人だった。








「もぐもぐ! ゴクンッ! はむ! むしゃむしゃ! ゴクゴクゴクゴク! ぷはぁっ!」


 あれからしばらくして目を醒ました老人に、持ち合わせていた食料を分けてやった。老人はまるで空腹に飢えた虎のごとく、物凄い勢いで胃袋の中に食料を流していく。

 あまりの勢いに開いた口が塞がらず唖然として見つめる日色とミカヅキ。だがそんな視線を介さずあっという間に老人は平らげてしまった。

 そしてどこから取り出したか、つまようじで歯を掃除し、ハンカチで口元を丁寧に拭くと、スタッと立ち上がって、懐から取り出した櫛で綺麗に髪の毛を整え、今度は地面にめり込まず頭を下げた。その仕草が執事服を着ているせいか、妙に様になっていると感じた。


「この度は、わたくしめのお命をお救い下さり、本当にありがとうございました。わたくしの名前はシウバと申します。どうぞお見知りおきを」

「あ、ああ」

「クイ……」


 二人は老人の変わり身ぶりに驚きながらも返事を返した。


「ノフォフォフォフォ! あ、突然笑ってしまい失礼致しました。ですがもう駄目かと思った矢先に、あなた方が偶然にもここを通られ、そのお蔭でわたくしめは助かりました。何という幸運でございましょうか!」


 目をキラキラさせながらかなりの大声で叫ぶ。


「今日は何て素晴らしい日でしょうか! 死ぬと思ったのに生きている! これぞ天運! そしてこの出会いは天命! 是非お名前をお聞かせ頂いても宜しいでございましょうか!」


 うっと一歩後ずさりしてしまうほどの馴れ馴れしさに思わず嫌な顔をする日色。日色の気持ちを悟ったのか、シウバは慌てて距離を取り、再び礼儀正しく頭を下げる。


「これは恩人に対して失礼でした。しかし是非ともお名前をお聞かせ頂きたいのです」


 これは何を言っても熱苦しく聞いてくるだろうと判断した。

 だから日色はこの場を逃れるためにこう名乗ることにする。


「タ、タロウ・タナカだ」


 偽名である。

 どうせここだけの付き合いなのだから、偽名でも問題無いだろうと思った。

 しかし、だ。


「むむむ!」


 またもや唸りを上げて、半端無い眼力で見つめてくる。


「それは偽名なのでは?」


 シウバの瞳がキラーンと光り、あっさりと見破られるという現象が起きてしまった。


「……何を根拠に?」


 日色は咄嗟に冷静さを装って言葉を発した。

 するとシウバは右手でみぞおち周辺に触れ、また頭を下げる。


「わたくし、こう見えて長年執事をやっております」


 それは見て分かると言いたいが、日色は黙って睨みつけている。


「そして、執事というのは多才でなければなりません。主のためにどんな仕事もこなせなければなりません。そしてその中で一番重要なのは、人を見る目でございます」

「……どういうことだ?」

「主の権力や地位を狙い、手練手管の輩があらゆる手を使い近づいて参ります。そして、そんな輩の多くが持ち合わせているのが話術でございます。特に嘘を織り交ぜ、惑わせる話術というものは極められれば、素人では分別が不可能になります。ですがわたくしたち執事は、そんな輩から主を守るために嘘に対し敏感になっております」

「…………」

「嘘と言うのは悲しいものです。嘘も方便というように必要に迫られる時もありますが、やはり嘘はいけません。何故なら真実を知った時の傷は、容易に心の傷となり得るのでございます」


 そう言うシウバの目には、少しばかりの悲しみと寂しさが見て取れた。日色はそんな老人を見て、微かに溜め息を吐いて口を開く。


「……ヒイロだ。ヒイロ・オカムラ」


 するとシウバは嬉しそうに微笑むと、またも一礼を返してきた。


「改めまして、わたくしはシウバ・プルーティスと申します。宜しくお願い致します」

「……そうか。じゃあオレは先を急ぐんでな」


 本も貰ったし、食料も分けた。これ以上はもう用事は無いと思い、当初の目的である山へと向かおうとする。

 しかしシウバがササッと日色の目の前で立ち塞がった。


「……何だ?」

「もしかして……この山へと足を踏み入れるのでございますか?」

「そうだ」

「それはおよしになられた方が良いでしょう」

「どういうことだ?」


 シウバはゴホンと咳をして、相変わらずの背筋が伸びた礼儀正しい姿で話し出す。


「この山は【ヴェノムマウンテン】。通称【毒の山】でございます」

「毒の……山?」


 眉をひそめて聞き返すと、シウバはゆっくりと頷きを返す。


「ヒイロ様はわたくしの命の恩人。ですから是非ご忠告をと」

「ふぅん、そうか分かった」


 そう言うと再びミカヅキを促し歩かせる。もちろん山へ向けてだ。

 その様子を見たシウバは目を見開き口を開く。分かったと言うくらいだから、引き返してくれるものと思っていたのだろう。


「お、お待ち下され! 今の話をお聞きになっておられたのでは?」

「ああ、それがどうした?」

「そ、それがどうしたとは……」


 ミカヅキの歩幅に合わせてシウバも動きながら喋っている。


「いいですかな? ここに生息する生物は皆が毒持ちと呼ばれるものばかりなのです。それも致死毒を持っているものばかり」

「……」

「見たところ、ヒイロ様は毒耐性のあるお体ではなさそうに思います。お一人で旅をされているところを拝見しますと、腕に覚えがあるとお見受けします。しかし、ここのルートだけは避けることを進言致します」


 日色の顔を見ながら必死に教えてくれるところを見ると、彼が言っていることは嘘ではないのだろう。

 しかし日色は歩みを止めるつもりも変えるつもりも無い。


「あのな、忠告は受けるが、それ以上は鬱陶しいだけだ。ジイサンが何と言おうとオレはこのまま突き進む」


 その言葉を聞いて、シウバは足を止めた。

 ようやく諦めたかと思い軽く溜め息を吐いていると、突然背後から大声が聞こえる。


「ならばっ!」


 シウバはその場から大きく跳び上がり、またもや身体を回転させてスタッと、日色の目の前に立ち塞がる。ミカヅキもそれには唖然として思わず足を止めた。

 ていうか何故わざわざ回転しなければいけないのか……。


「……はぁ、しつこいぞ。これ以上邪魔するなら」


 力づくでも排除しようと口にしようとしたところ、再び頭をパッと下げるシウバ。


「礼には礼で持って返す! 命には命で持って返す! 不肖このシウバ、ここで素直に引き下がり、あなた様に何かあれば、決して拭えない後悔の念を一生この魂に宿すことになるでございましょう!」


 そんな大げさなと思わないこともないが、きっと義理堅い性分なのだろうと彼の性格を分析する。


「ですが、あなた様をお止めするのは至難。ならばこのシウバ、命を持ってその義理をお返ししたく存じます! わたくしを是非お供に!」

「いや、別にいらん」

「ガビ~ン!」とあっさり拒否した日色の言動に思わず口を大きく開けてしまう。

「いいか、さっきのやりとりで交渉は終わってる。お前は本を、オレは食料を渡した。それで終わりだ。それ以上は別に望んでいない」


 というよりも、こんなところで倒れている奴と一緒に行動すれば足手纏いになる可能性が高いと判断して、是が非でも断ろうと思っているのだ。

 それに嘘をあっさりと見破る能力を持っているシウバは、確かに便利そうだがそれは自分にも降りかかる災いにもなる。


 何といっても日色は見た目は『魔人族』だが、れっきとした人間である。

 それがバレた時、面倒事が襲い掛かるかもしれない。不用意な決断は避けるべきだと思い、ここは断った方が良いと判断したのだ。


「だからジイサンももうついてくるな。ジイサンにだってここにいる理由があるんだろ? さっさとそれを片づけることだな」


 そう言ってミカヅキを動かす。スッとシウバの横を通り過ぎると


「ならば、そう致しましょう」


 またも何か言ってきた。

 しかも今度は決断力のある言葉だった。

 それに何か嫌な予感を感じて、ゆっくりとシウバに視線を向ける。


「お聞きくだされ! このシウバ、実は目的はこの山であったのです!」


 ピクッと眉を動かして、それは聞き捨てならないと思い、ミカヅキの足を止めて聞き返す。


「どういうことだ?」

「実は……」


 妙な流れから、結局シウバの話を聞くはめになってしまった。

 彼の話によると、ここで倒れていたのは空腹のせいで間違いないのだが、もともと彼は冒険者でもなく、見た目通りある屋敷に仕える執事のようだった。


 この山を越えた先にある屋敷で執事として仕えていた彼は、主人からあるものを取ってこいと命を受けたらしい。

 そしてそのあるものとは、この【ヴェノムマウンテン】の中にしか無いという。


 執事と言うのは主人の命は絶対。その能力をフルに使い、望みを全身全霊で叶えることが執事としての役割だと彼は思っている。だから彼は主人の命令通り、危険極まりないこの山での仕事も完璧にこなすつもりである。


「わたくしの主は、少々性格がひん曲がっておりまして、いつもいつも無理難題を申されるのです。ノフォフォフォフォ!」


 主のことをさらっと貶したところを突っ込めばいいのかと思ったが、黙って聞くことにした。


「しかし、わたくしは優秀な執事。どんな難題でも度々解決してきたのでございます。しかし、それが面白くないと主は申され、どんどん命令が過酷になっていくではありませんか」


 苦労しているんだなと思って嘆息する。


「しかしまあ、段々とその過酷さが面白くなってきてこう……ゾクゾクっとしてくるように。それに、そんな無理難題を押し付けてくる主もとても可愛いくて愛らしいのです。ノフォフォ」


(前言撤回。コイツは正真正銘のドMで変態だな)


 ちっとも苦労などしていないどころか、苦労を快感と思っている節があることを悟り目の前の老人が怖くなった。

 そんな変態は、今回命を受けてさっそくこの山に向かったのである。しかしその際に問題が発生した。


「実は空馬車が言うことを聞いて下さらなくてですね」

「ん? そらばしゃとは何だ?」

「…………ご存じないのですか?」


 しまったと思った。ここではそれは当然にありふれているものなのかもしれない。

 初めて『魔人族』の大陸に来た日色は、空馬車の存在を知らなかった。もしかしたら今の言動で不審に思われたかもしれないと思い軽く息を飲む。

 しかし次にシウバが言ったのは、日色の不安を取り除いた言葉だった。


「そうでございますか。見ましたところヒイロ様は『インプ族』。彼らは特に他種族と交流を持たないと聞きますが、そのせいで世の情勢にも疎いのかもしれませんね」


 どうやら勝手に納得してくれたようだった。

 ちなみに『インプ族』というのは『魔人族』の種族一つであり、浅黒い肌と額の角が特徴であり、数は多いが臆病な気性で、あまり他種族と関わりを持たないという。


「空馬車というのは、運び屋と呼ばれる者たちが生業としている商売の一つです」


 距離や場所によって変動するが、利用者から金を貰い、指定した場所まで積み荷を運んでくれる。

 もちろん積み荷は生物でも問題は無い。その名の通り空馬車は、空を飛びながら物を運んでくれるのだ。


(タクシーのようだな)


 その空馬車を活用して、シウバはこの山を目的地として定め運んでもらうことにしたのだが、この山に近づいたところで問題が発生したという。


「突然空馬車の制御が不能となり、ここで下ろして頂ける予定だったのですが、暴走した空馬車はここから遥か東……」


 そう言って指を差す。そこは広大な森に覆われた場所だった。


「東の森……通称【(まど)森林(しんりん)】と呼ばれる場所へと落とされてしまったのでございます」

「それは災難だったな」

「はい……ですがわたくしは執事でございます。こんなことで諦めていいわけがありません。どんなイレギュラーな事態が起ころうが、主の命を遂行することが責務。ですからわたくしは一人で森を彷徨い」

「ようやくここに辿り着いたところで力尽きたと?」

「面目次第もございません」


 ガックリと肩を落としながら言う。


「腹が減ってたなら何故自給自足しなかった?」

「残念ながら【惑わ森林】には食べ物はございません。食べ物に見えるようなものはございますが、一度口にしてしまえば、人格が崩壊するほどの精神異常をきたします」


 それがその森林の怖いところと言葉を続けた。どうやらその森では恐ろしい食べ物があるらしい。

 その全てに幻惑作用があり、その強烈な効果で精神を崩壊させてしまうらしい。


(ランクSが普通にウヨウヨしている草原、毒の山、幻惑の森……とんでもない所だなここは……)


 生半可な場所など一つも無いと悟り、これは想像以上に気を引き締める必要があると認識を改めた。

 シウバ自身、ボロボロになりながらもようやく森を抜けたが、モンスターにも襲われ、食料を探すどころでは無く、必死になってここまで来て空腹の辛さに倒れてしまったのである。


「先程のお話に戻りますが、わたくしにとってもこの山に入らなければならない理由がございます」

「……」

「ヒイロ様がどうしてもこの山を越えると仰るのであれば、是非ともお供にして頂きたく思います」


 シウバもこの山を越えて屋敷に帰らなければならないのだ。つまりは行き先は同じである。


(しかしな……)


 問題はそんな危険な山に、足手纏いになりそうな者を連れていく意味があるのか疑問だった。

 別に仲間でもないし左程情があるわけでもない。しかし例えば、目の前で毒にやられボロボロになっていく老人の様を見せつけられるのは気分の良いものではない。


 できることなら足手纏いはミカヅキだけでいいのだが、そこでふと思ったことがある。

 【惑わ森林】にしろ、ここら周辺のモンスターにしろ、生半可な実力では逃げることも難しいのではないか。

 なら何故シウバは空腹で倒れていたものの、傷らしい傷が見当たらないのか。

 そう考えて、途端にシウバの存在を疑わしい目で見てしまう。いや、値踏みをする目でといった方が正しいかもしれない。


(コイツ……もしかして)


 そう思い、シウバに見えないように『覗』の文字を書こうとして指先に魔力を宿す。

 しかし次の瞬間、シウバが眉をピクリと動かし、日色の顔をジッと見つめる。日色も思わず文字を書く行動を中断する。


「……どうかされたのですか?」

「……何がだ?」

「いえ、今魔力の流れを感じましたものですから」

「っ!?」


 正直に驚愕した。どうやらシウバには日色が何かをしようとしたことを見抜かれたようだ。


(確かに魔力は出したが、今までそれで気づかれたことは無かったんだが……)


 もしかすると魔法に長けている『魔人族』という種族は、皆が皆、魔力に敏感なのかもしれない。

 これは迂闊に魔法は使えないなと身を持って知った。せっかく彼の《ステータス》を調べようと思ったが、無駄に終わった。


「いや」


 そう言うしかなかった。シウバもそれ以上は追及はしてこない。


「それでですねヒイロ様」

「……何だ?」

「どうでしょうか? わたくしの知識は何かとお役に立てることもあると思いますが」


 確かに日色はこの山のことを何も知らない。情報は無いよりはあった方が断然いい。しかしこの老人は何か一筋縄ではいかないような気がする。


(強いのか弱いのか……それはまだ分からないが、コイツから街の情報などを得られるかもしれない。だが……)


 下手に《文字魔法》を使って見せれば、何かしら問題が起こるかもしれない。

 できればそうそう他人に見せて良い魔法でもないので、ここは断りたいところなのだが、行き先が同じである以上、また彼が恩を返したいと切望している以上、しばらくは行動を共にすることになるかもしれない。


(上手く情報だけを搾り取って、モンスターとの戦いに関してもできるだけ刀でやらなければな……)


 そう決心して口を結ぶと、視線をシウバに合わせる。


「いいだろう。ただし、行動をともにする以上勝手なことはするなよ?」

「ノフォフォフォフォ! 畏まりました。ご恩、誠心誠意込めてお返しさせて頂きます! ノフォフォフォフォ!」


 丁寧に一礼する。


(どうやら油断のならない連れができてしまったな)


 山を見据え、今後に不安が残りながらも、これもまた旅の醍醐味かと思いミカヅキの背中で一人ごちた。








 【ヴェノムマウンテン】は鬱蒼と茂った草の絨毯が広がっていた。

 獣道ならぬモンスター道らしきものも発見できる。黒い葉を茂らす樹木に、見たこともない大きなきのこなども生えている。


(明らかに毒キノコだろうな)


 何せ毒の山なのだからと思いつつも、周囲を警戒して草の道を進んでいく。前方ではシウバが先導している。


「お気をつけ下さいませヒイロ様。ここに生息するモンスターは擬態が得意でございます。気づいたら毒の牙で殺られてしまうということも珍しくはございません」

「詳しいんだな」

「執事ですから」


 どういう理由だとも思ったが、もしかしたらここに来る前に十分な下調べをしてきたのかもしれない。ぶっつけ本番ばかりの日色とは全然違う。こういう姿勢は少し見習わなければならない。


「お止まり下さい!」


 突然シウバが足を止め、ミカヅキも同じく倣う。


「どうした?」

「あの枝でございます」


 シウバが指を差した先には、なるほど大木から太い枝が生えていた。だが見た感じはただの枝のように見える。


「あそこに擬態しているモンスターがおります。恐らくはルグーンと呼ばれるモンスターでございます」


 そのモンスターの知識も日色の記憶には存在していなかった。『魔人族』の大陸特有のモンスターなのだろう。


「見ていてくだされ」


 そう言うと、懐から何かを取り出す。

 キラリと光るそれは、明らかに食事の時に使用するナイフだった。そのナイフをシュバっと投げつけると、彼が指を差した枝に突き刺さる。


「グギャッ!」


 そこには太ったコブラのようなモンスターがいたようで、ナイフが刺さると苦しそうに体をクネクネと動かすが、ナイフが刺さり枝に縫い合わされている感じなのでその場から離れることができない。

 やがて気持ちの悪い緑色の血を撒き散らしながらも動きを止めて絶命した。


「よく分かったな」

「執事ですから」

「……まあいいか」


 きっと目が良いのだろうと解釈して自分で納得した。


「ところで、この鬱陶しい雑草地帯はまだ続くのか?」


 足元がよく確認できないので、下から襲われると面倒なのだ。


「いえ、しばらくすると開けた場所に出ます。そこはこれほど雑草が茂っている場所では無く、草原のような場所のようです。そしてその先を進むと、今度は岩石地帯が現れます。その岩石地帯を越えると山の終わりが見えてきます」

「なるほどな。ならまずはその開けた場所とやらを目指すんだな?」

「はい、わたくしの探し物もそこにございます」


 確か主に命令されたあるもののことだ。別に興味は無いのでそれ以上は聞かなかった。

 しばらく歩いているとまたもシウバがピタリと動きを止める。


「またモンスターか?」

「……申し訳ございません」


 シウバは前を見据えながら謝罪する。


「どうした?」

「どうやら囲まれた模様でございます」

「何?」


 そう言われ、一気に警戒度が高まる。ミカヅキの背に立ち、周囲に気を配る。

 だが日色がどう見ても、周りはただの雑草にしか見えない。するとその時、風が吹いたかと思うと、木の葉が辺りを舞う。

 その木の葉が一枚だけ日色に向かって来る。


「お避けくださいヒイロ様!」

「え?」


 咄嗟のことで何だか分からずハッとなっていると、シウバがナイフを自分の方へ投げつけてくる。

 しかしもちろん日色を狙ったものではなく、そのナイフは木の葉を貫き、トンッと木に突き刺さった。

 するとその木の葉から六本の足が生えてきて、先程のルグーンのようにナイフから抜け出そうともがくが、それも叶わず息絶える。


「それは木の葉に擬態するヴェノム(ちゅう)でございます! 見た目は小さいですが猛毒を有しています!」

「くっ!」


 木の葉が舞う中、これが全部それなのかと思い焦る。キョロキョロと周囲を見回し、どう対処したものかと思っていると……。


「見分けるポイントがございます! 葉の中心、そこに赤い点があるのがヴェノム虫でございます!」


 シウバは華麗に木の葉を避けながらナイフで的確に虫を貫いていく。

 だがそんなことを簡単に言われても、これだけの木の葉吹雪の中、ヴェノム虫だけを見分けるのは至難の業である。


(仕方無い。今ならジイサンもただの魔法だと勘違いしてくれるだろう!)


 そう判断し、『火』の文字を使って、自分の周囲を火で包む。無論ミカヅキを避けてだ。

 まるで火のバリアのように周囲に広がったそれに、触れた木の葉が容赦なく飲まれていく。


「おお! ヒイロ様は火の使い手でありましたか!」


 どうやら思った通りの反応を返してくれたようなのでホッとした。

 一分が経ち、火も鎮火されていく。同時に先程舞っていた木の葉も綺麗さっぱりと燃え尽きたようだ。


「ノフォフォフォフォ! それにしても大したものでございます。普通はこのような場所で火などを使うと、周囲に燃え広がり収拾がつかなくなりますが、ご自分の周囲だけに範囲を留められるほどの火の使い手でしたとは恐れ入りました」


 周囲は雑草や木で、普通なら山火事になってもおかしくはない。

 しかし日色の場合は一分経つと火は消えるので、その心配も無いのだ。

 その上イメージ通りに火は形を作るので、それを見て勘違いしたシウバは、日色が火の魔法を完全にコントロールできる凄腕の魔法使いだと思った。


(どうやら上手くいったようだな)


「それほどの魔法、『インプ族』の中でも極めて優秀なお方だったのでございますね」


 何やら嬉しそうに彼は口を開く。


「ああ、火の魔法では負けたことは無いな」


 完全に嘘になるのだが、《文字魔法》のことが話せない以上こう言うしかなかった。


「ノフォフォフォフォ、それはそれは、もしかしたらわたくしなど必要無かったかもしれませんな!」

「そんなことより先を急ぐぞ。どうやらあの先が草原地帯みたいだ」


 三人は歩を進め雑草地帯を抜けていった。






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