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57:それぞれの動き

「……行っちまったな」

「うん……」


 大切な仲間が一人去った。だがいつかまた会えるだろう。


「おいアノールド」


 その時、アノールドの背後からララシークの声が伸びてくる。


「え? あれ、師匠、いたんですか?」

「まあな。ちょいと気になることをお前が言ってたんで確かめたくてな」

「へ? 気になること?」

「ああ、坊主がミミル様を治したってのは――――どういうことだ?」

「………………あ」


 ララシークの口角が三日月型に楽しそうに歪む。

 それを見てアノールドだけでなく、ミュアまで動揺を見せる。


「さぁて、そんじゃ~詳し~い話を聞こうじゃねえか、我が弟子たちよ」


 キラーンと好奇心で光り輝く彼女からは逃げられないことを知っているアノールド。


(わ、悪いヒイロ! 俺多分、喋っちまうかもしれねえっ!?)


 師匠にはめっぽう弱い三十代のオッサンであった。

 



     ※




 ミュアたちと別れてから数日後、歩きながら獣人界を見回っていた日色は、ある問題に当たって腕を組みながら考え込んでいた。


「う~ん……やっぱりこの広い大陸で歩きは時間が掛かるな。かといって空を飛んでも目立つ。どうするか……」


 獣人界は恐ろしく広い。それは人間界よりも大きいし、何よりも森や山といった自然が溢れていて、歩きではかなり辛く時間を費やすと思案する。


「……いや、待てよ?」


 そこでふと思いついたことがあり、右手の人差し指に魔力を集中させていく。


「できるか……?」


 不安を覚えていたが、文字は簡単に書ける。小さい声で「よし!」と発した後、魔法を発動させた。

 

 ――ピシュンッ!


 その場から日色は、瞬時にして消失。

 そして現れたのは、見覚えのある花畑の中だった。日色は笑みを抑え切れずに嬉しさで拳を震わせる。


「おおっ!? 成功だな! これはいい!」


 書いた文字は――『転移』。

 ある場所をイメージして書いた。それは以前来たことのある花畑。

 名前を――【ドッガムガーデン】。

 そう、ここは獣人の大陸に入り、初めて辿り着いた村。だがここから【獣王国・パシオン】までは、歩いても二週間以上はゆうにかかるほどの距離があるはず。


 つまり日色がしたことは瞬間移動。


 魔法らしく言うとテレポートというやつである。『転移』の文字ならそれが可能になるかと思って試してみたが、嬉しいことに成功したようだ。


「よし、これならいつでも人間界にも戻れるな。何てチートな能力だ」


 相変わらずのユニークさが際立った効果を発揮する自分の魔法に誰とも比べてはいないが優越感を覚える。

 一度行ったことがある場所にだけにしか転移できないようだが、それでも二文字の効能は、一文字とは違って別格のように思える。

 ところで何故日色がここに来たのかと言うと、足を手に入れるためである。

 前回ここでライドピークというモンスターを貸してもらった。その背中に乗って【パシオン】まで歩かずに行けたのである。


 だから獣人の大陸を見て回ろうと考えた日色は、ここでまたライドピークを借りようと決めた。

 日色はその足で【ドッガム】の村へ入り、ある人物を探す。その人物はすぐに見つかった。どうやら他の村人たちと談話しているようだった。


「おい、熊のオッサン」

「は? え……あ、お前さんはっ!?」


 そこにいたのはアノールドの友達であるマックスだ。恰幅の良い体躯は、熊というよりは豚にしか見えないと日色は思っている。


「ヒイロ……? ヒイロじゃねえか! 突然どうしたんだ? アノールドは?」

「オレ一人だ。オッサンたちは【パシオン】にいる」

「へ? てことはお前さん一人ってことか? 何しに戻ってきたんだ?」 


 当然の疑問だろう。


「以前貸してもらったライドピークを借りにきた。金は払う、貸してくれ」

「ああ、アイツらな! まだ戻ってきてねえけど?」

「む? そうなのか?」


 確かにライドピークと別れてまだそれほど日数を経過しているわけではない。ライドピークたちも帰巣本能はあるが、ぶっ続けて走れるわけではないのだ。


「ま、まあせっかく来たんだし家に寄ってけ寄ってけ」

「ああーっ!? ヒイロくんっ!?」


 そこへ甲高い叫び声が耳を貫く。


「ん? 熊っ子も元気だったみたいだな」

「え? な、何でここにヒイロくんがいるの? ねえねえパパ?」


 彼女はススと言って、マックスの長女である。以前世話になった、少しおませな女の子。


「まあまあスス、話は家でゆっくり聞けばいいだろ。お前さんもそれでいいか?」

「ああ、どのみちライドピークが帰ってくるまでは世話になろうと思ってたしな」


 日色がそう答えると、ススは嬉しそうに破顔して、ガシッと日色の腕を両手で掴む。


「ほら行こヒイロくん! ロイもきっと喜んでくれるよ!」

「ロイ? 誰だ?」


 聞いたことがない名前が飛び込んできた。


「もう、忘れたの? この前生まれた子だよぉ!」

「……ああ、あの時の赤ん坊か」


 この前来た時、マックスの妻であるルッソから新たな命が誕生した。ススとベル、二人の娘に加えて、今度はロイという男子が生まれたのだ。

 名付けたのはススであり、驚くことにヒイロという文字をひっくり返してロイヒ、ただそれでは響きが悪いからロイにした。

 マックスたちも自分たちを救ってくれた英雄である日色の名前からもらうことに抵抗はなかったようだ。


 無論その名前を聞いた時に日色は反対したが、ススが断固として譲らなかったので泣く泣く日色が折れることになった。

 スス曰く、ロイには日色のように強い子に育ってほしいと思って付けたらしい。

 マックスの家に入り、温かく迎えられた日色はしばらく厄介になることになった。


 ライドピークを待っている間、冒険の話などを聞かせてと、ススや村の子供たちにせがまれてしまったのは鬱陶しかった。

 二日ほど経った時、外で切り株に座りながら本を読んで寛いでいると――――ダダダダダダダダダダダダッ!

 物凄い勢いで日色に向かって来る影がある。そしてその影はその勢いのまま日色に抱きつき……いや、ほぼ突進して日色に覆い被さった後、その長い舌で顔を舐め回してきた。


「クイクイクイクイィィィィィッ!」


 この生温かい舌触りを、完全に一度体験している。

 どうやら待ち人ならぬ待ち鳥が帰ってきたようだ。その騒ぎにマックスやススも駆けつけてくる。


「ええい! やめんか! このよだれ鳥めっ!」


 必死で突き放そうとするが、かなりの力で身体を抑えつけられていて、なかなか拘束から解放されない。その光景を見たマックスが腹を抱えて笑う。


「ガハハ! それほど懐かれてるとはな! よっしゃ、貸してやるよ! というかアレだ! もし良かったら買うって手段もあるがどうする?」

「買う……?」


 ライドピークから距離を取った日色は、顔をベタベタにされながらも聞き返す。買うという言葉を聞いた時、ピタッとライドピークは動きを止め、日色に熱視線を送ってくる。

 まるで買ってと言わんばかりの表情である。目など絶好調のアイドルばりに輝いている。


(ま、まあ、足は必要だし。コイツも何故か望んでそうだし……)


 ジト目でライドピークを見つめながらマックスに答えを告げる。


「幾らだ?」


 これで日色はライドピークを手に入れることになった。ライドピークは嬉しいのか、飛べないのにバタバタと羽を動かし周囲を動き回る。


「ええい鬱陶しい! 大人しくしないと焼き鳥にするぞ!」

「クイィッ!?」


 焼き鳥という言葉に反応してピタッと止まりガタガタと震える。やはり焼かれるのは怖いようだ。目で焼かないでと訴えてくる。めんどくさいなと思いつつも日色は言う。


「冗談だ。出発は明日にするから今日はしっかり休んでおけ」

「クイィッ!」


 良い返事をするが何故かその場を離れない。


「おい、もういいから戻れ」


 だが返事をするが戻らない。まるで何かを待っているみたいな眼差しを向けてくる。


「い、一体何だ?」


 その問いには近くに来たススが答えてくれる。


「ヒイロくん、きっと名前をつけてほしいんだよ」

「名前?」

「うん、新しいご主人さまに名前をつけてもらわないと、ライドピークは動かないからね」

「何ともめんどくさい鳥だな」


 溜め息交じりにそう言うと、日色は顎に手をやり考える。


「そうだな…………………………………………………鳥でいいだろ?」

「クイクイクイクイクイッ!」


 ブンブンブンブンと物凄く激しい首振りを起こす。しかも否定。どうやら全くといっていいほど気に入らないらしい。


「贅沢な鳥だな」

「ガハハ! 名前はそいつを表すものだからな。コイツも良い名前がほしいんだよ」


 マックスを一瞥すると、再びライドピークを観察するようにジッと視線を向け続ける。

 黄色い嘴、白い羽毛。さらに大きな黒い瞳。また何故か額には三日月型の痣がある。


「……? この痣は元々か?」

「ん? ああ、それは生まれつきにあったもんだ。人でいうとホクロみてえなもんだな」

「ふぅん」


 その痣を見ながら日色は微かに顎を引く。


「……よし、お前はミカヅキだ」


 ――――――――――――――――――――――そのまんまだった。


 だが予想以上に、


「クイクイクイクゥゥゥゥゥゥイ~ッ!」


 嬉しそうにはしゃぎ回る。気に入ってくれたようだ。あまりの嬉しさに日色の顔をまた舐め回してくるが、満足するとミカヅキは鳥舎へと戻って行く。


「ガハハ! ネームセンスはともかくだ、ライドピークにそこまで惚れられるとは、さすがはユニークモンスターを倒すだけはあるな!」


 豪快に笑いながら日色の肩をマックスがバンバンと叩く。思った以上の衝撃に顔を歪めながらも、これで当初の目的通り足を手に入れることができたことに一息つけた。






 翌日になり、空は快晴。実に気持ちの良い旅立ち日和である。日色はマックスたちとともに村の出口まで来ている。


「これからどこ行くんだ?」

「さあな」

「決めてねえのか?」

「ああ、風の吹くまま気の向くままというやつだ」

「そっか。気を付けて行けよ」

「ああ、世話になった」

「またアノールドたちも連れて《蜜菓子》を食べに来い」


 マックスはニカッと笑うと、日色はミカヅキに乗りながら答える。


「機会があればな」

「ヒイロくん! ゼッタイだよ!」


 ススが本気の眼で訴えてくる。英雄の旅立ちに、何故か村人が集まってきている。物凄くこの場に居辛い雰囲気を感じてしまう。


「じゃあな」


 そうして【ドッガム】から出発して行く。背後からはススの「ゼッタイだからね~!」という声がずっと響いていたが、そのまま振り向きもせずに歩を進めていく。


「さて、とりあえずはいろいろ見て回るとするか」

「クイィッ!」


 頼もしい仲間(鳥)? を得て日色は旅を続ける。次の行き先はどこになるのか。どんな冒険になるのか、期待感を込めながら前を見据えた。


「ま、好きに進め。オレは熊のオッサンに貰った本でも読む」


 前を見据えたのは一瞬のことだった。ミカヅキもガクッと肩を落としそうになったが、主人の言うように適当に前へと進み出していく。



     ※



 【獣王国・パシオン】でのこと、戦争から帰国した獣王レオウード・キングは、戦争が予期せぬ出来事で終着してしまい、ずっと不機嫌だった。

 しかし自分の娘であるミミルの声が戻ったことを耳にすると、コロッと態度を変えて盛大に宴を催すことに――。

 最初は兵士から聞いて、もちろん彼は信じなかった。だが妻であるブランサ、そして第一王女であるククリアからも聞いて、真っ先にミミルのもとへと急いだ。


 そして再び、あの天使のような声を耳にし、それまでの不機嫌さを、嘘のように吹き飛し、高らかに叫び声を上げながら愛しい娘を抱きしめる。

 ミミルの声を治してくれたという精霊に感謝した。精霊だけはいつも我々の味方だと、レオウードは国中に声を届ける。


 それからは国を挙げての宴が始まった。

 その際に、戦争の経緯も国民の耳に入る。『魔人族』が戦争から逃げ、獣人たちは怒りを覚える者が多かったが、それでもミミルの声の復活を聞き、大いに喜びを表してくれた。


「父上もミミルには甘いからね」


 ミミルをその大きな肩に乗せ、皆に見せつけるようにして闊歩しているレオウードを見ながら、第一王子であるレッグルスが肩を竦める。


「ふん、俺様は戦争のこと、まだ吹っ切れてねえのによ」


 愚痴を言うのは第二王子のレニオン。


「いや、父上だって吹っ切れてるわけじゃないさ。戦うべき時は戦う。そして祝うべき時は祝う。それが国の倣いでもある。それにお前だってミミルの声が戻って嬉しいだろ?」

「ふん、どうだかな」


 そう言いながらそっぽを向くレニオンだが、どこか表情に柔らかさがある。いい加減そうに見えるレニオンでも、やはり妹は可愛いのだろう。


「戦争のことは祝いの後で考えればいい。今は、祝うべき時だ。そうだろ、レニオン」

「……好きにしろよ」


 二人は手に持った酒の入ったグラスを互いに触れ合せ口へと運ぶ。皆が喜びを分かち合い、ミミルの声が復活したことを祝福する。

 だがその中で一人だけ、ジッとミミルを見つめる視線が一つ。


「ふむぅ……これはこれはどうしたことでしょうかねぇ? 僕でも治せなかったことを……少し調べてみる必要がありやがりますねぇ」


 国随一の研究者であり、《化装術》のきっかけである、《名も無き腕輪》を開発したユーヒット・ファンナルが、眼鏡をキラリと光らせながら、ニヤリと口角を上げていた。



     ※



 日色が旅に出て一週間後、【人間国・ヴィクトリアス】の国王であるルドルフ・ヴァン・ストレウス・アルクレイアムの手元に魔王からの親書が届けられていた。

 しばらく執務室の椅子の上で目を通していた彼は、難しい顔をしながらその手紙を机の上に置く。彼一人ではなく、その場には大臣のデニス・ノーマンもいる。


「どうしたものか……」

「こちらも調査はしましたが、橋が魔王によって破壊されたのは真実のようです」

「ふむぅ……新しき魔王か……」

「確か先王とは違い、思想も歳も軟弱かと存じますが?」

「だろうな。そうでなければ今回のような暴挙には出んだろう。だがしかしこれは……」

「そうですな。これで『獣人族』と『魔人族』の間は更に険悪になるでしょうな。まあ、『獣人族』が『魔人族』の申し出を受けるとなれば別ですが……」

「……無いな」

「ええ、無いでしょうな」


 今回『魔人族』がした行為は、『獣人族』の覚悟を踏みにじる行為そのもの。魔王にとっては譲れない理由のもとに行ったことではあるだろうが、獣人にとっては誇りを傷つけられたと憤慨しているに違いない。

 故に『獣人族』が先だって『魔人族』を許すことは当分の間は有り得ないと判断できる。


「魔王の狙いは分かる。親書の真意がこの通りの和睦だとしたら、我々と手を組み、『獣人族』の戦争への意思を弱体化させることが狙いであろう」

「そうですな。しかしこの親書もまた確実と言う証拠もありません。橋を壊したのも、本当の目的である我々『人間族』を潰すための計画という考え方もできます」

「…………難しいな。仮に同盟を結ぶことができればこちらにも確かなメリットはある」

「今後、双方からの戦争に巻き込まれない……ですか?」

「可能性としてだがな。それと『魔人族』の内情を知ることができる」

「ですがそれは向こうも同じでございましょう」


 もし同盟を結んで互いに交流を深めれば、相手の内情を少しは把握することができる。

 上手くいけば欠点なども発見できるかもしれない。だがそれは相手にも言えることであり、メリットになるがデメリットにもなる。


「会談の申し込みの件、条件はどのように?」

「ここに書かれてある通り、全てにおいてこちらに優先権を渡すとのことだ」

「それはそれは、こちらを信用しているのか、それとも何があっても大丈夫だと自信があるのか……」

「あるいはその両方か……」

「しかし条件をこちらが自由にできるのであれば、上手くいけば……」

「ふむ、どちらにしろ早々には結論は出せぬな。形だけの同盟をしようとしても、人間の中には納得できない者もおろう。こちらも娘を失っておる」


 ルドルフの言葉に恐縮した感じでデニスが苦々しい表情をする。ルドルフもまた自嘲するような苦笑を浮かべる。


「……勇者はどうだ?」

「順調に育っているとのことです。しかしウェルが言いますに、教育係としてあのジュドム・ランカースに頼んでいますが、いまだに良い返事が貰えないようで」

「ジュドムか……」


 ルドルフは目を閉じて大きく肺から息を出す。


「あの男も扱い辛い男ですな。ギルドマスターふぜいが、王と同等の権利を持っていると勘違いをしている」


 デニスは怒りを露わにして言葉を吐く。

 彼にしてみれば、ギルドマスターが有事の際に指揮権があることを承服してはいないようだ。

「確かに有事の際は、戦闘力や指揮力に信頼のあるあの男に権力を渡すことには、幾分かの優位性もあり認める部分もありますが、あくまでも下民であり――」

「デニス、もういい」

「……はい」

「あれでもワシの旧友だ。あまり悪く言うてくれるな」

「これは、失礼しました」


 軽く頭を下げて謝罪をするデニス。


「恐らく、今回のことも独自の情報網でジュドムには知れ渡っているだろう。彼なら間違いなく会談をしろと言ってくるはずだ」


 前にもそう言ってきたことをルドルフは思い出す。そして幾らでも会談に赴き、どんな危険からも王を守ってやると息巻いていた。


「デニス、ジュドムを呼んでくれ」

「……よろしいのですか?」

「ああ、何をするにも力がいる。そうだろ……デニス?」

「…………畏まりました」


 デニスは恭しく頭を下げると部屋から出て行く。


「こちらの手駒は多い方が良い。勇者四人、そしてジュドム。そのためにも会談の時期を伸ばし、できるだけ勇者を育てなければな。この会談を上手く操作できればきっと……」


 厳しい顔つきをして窓から外を見る。

 しかし彼の瞳の奥には寂寥感と後悔がありありと見えていた。



   ※



 橋を壊滅させることで戦争を終結させた魔王イヴェアム・グラン・アーリー・イブニングは、その決断をさせてくれた【魔国・ハーオス】から少し離れた丘の上にある花畑まで一人で来ていた。


「残念ね、今日は妖精はいないみたい……」


 もし妖精にあったら、一言お礼を言って、是非妖精たちが噂をしていた人間のことを聞いてみようと思っていたが、あの時驚かせてしまったせいで、しばらくここへは来ないかもしれないと残念に思った。

 水平線を一望できる大岩の上に立つと、涼しげな風に身を委ねて目を閉じている。


(何とか今回は凌げたけれど、次も上手く凌げるかは分からない。でもこれで今後の対策を練る時間は確実に稼ぐことはできたわ。あとはこの時間を使って、次の一歩を掴むだけ)


 戦争が終結したといっても、獣人が諦めたわけではない。むしろ、彼らの神経を逆なでするような方法しか取れなかったことが悔やまれる。


(本来なら、争わずに手を取り合いたいけれど……)


 それが難しいということはイヴェアムにも理解している。だがそれでも諦めるわけにはいかないのだ。

 大切な家族とも呼べる『魔人族』たちが、平和に暮らすためにも、そして他の種族とも笑顔を向け合って暮らせる世の中を作るためにも……。


「やはりここだったのですね」

「……キリア」


 大岩の下から声をかけてきたのは側近のキリアである。いつもと変わらぬ毅然とした立ち姿でイヴェアムを見上げている。


「……キリア、私はこれからも魔王としてやっていけると思うか?」

「それは陛下次第かと」

「……キリアはどう思うか聞かせてくれないか?」

「以前にも申し上げました。たとえどのようなことが起ころうと、私は陛下の隣に立ち支えますと」


 彼女のその言葉が胸に染み渡る。この残酷な世界の中で、やはり仲間、家族の存在がどれだけ助けになるか。


(守りたい。いいや、守るんだ。それが私のすべきこと)


 翼を広げて軽々と大岩へと飛び乗ったキリアが、イヴェアムの隣に立つ。


「美しいですね」

「ああ、世界はこんなにも美しい。だからこそ、この輝きを失いたくはないのだ」


 キリアが懐から一枚の書簡を出してイヴェアムに手渡す。


「これは?」

「【人間国・ヴィクトリアス】からの返書です」

「何っ!?」


 正直に言って言葉を失うほどの驚き。今まで何度も和睦の親書を送ったが、一度も返書などはなかったのだ。イヴェアムは慌てて書簡に目を通す。


「…………これは……」

「まだやるべきことは多いですが、まずは第一歩……進めたのではありませんか?」

「あ、ああ……そうだな……良かった」


 その書簡には、和睦の親書について、こちらも検討中だという返事が書かれてあった。

 まだイヴェアムを信じてもらえてはいないが、それでも無視されずに、意識されつつあることが嬉しい。

 キリアの言うように平和への第一歩を踏みしめることができた。


「恐らく今回の戦争で、陛下のご意志を感じて、こちらが和睦の意志を持っているかもしれないと思案することに至ったのでしょう」

「……キリア、これから忙しくなるぞ」

「はい」

「時間はかかるかもしれないが、何としても『人間族』の王と会談をするのだ。そのための準備は綿密に行う」

「御意。では将軍様がたにもお伝え致します」

「頼む」


 キリアは背中に翼を生やすと、城へ向けて飛んでいった。イヴェアムもまた、これからのことを思い、改めて平和への覚悟を持つ。


「まずは第一歩……」


 キリアと同じように黒い翼をもって、空へと浮き上がる。しかしそこでふと気になり、上空から花畑を見下ろす。

 気になったのは、やはり妖精たちが言っていた人間のこと。


(確か、赤い服を着てた人間って言ってたわね。できれば会ってみたいな、その人に……)


 魔王がそう簡単に、人間と二人きりで会えないと分かりつつも、その人間のことを知りたいという欲求は強かった。


(いつか会えたらいいわね)


 期待を込めながら、水平線を背にして城の方向へと飛び去っていった。




     ※




 ――――魔界の僻地(へきち)


 針のように細長い木々に囲まれた場所。

 ここは【レッドレイク】と呼ばれるドーナツ型に広がった湖畔。

 中央にポツンと存在する島の上には、その場に似つかわしくない豪華な屋敷が建てられてある。


 赤い湖に囲まれた屋敷の中では、執事然とした燕尾服姿の男性が足早にある部屋へと向かっていた。

 扉をノックし、「失礼致します」と断ってから入る。


「わたくしに何かご用でしょうか、お嬢様」


 薄暗く、壁には剣や不気味な仮面などが飾られてある部屋。

 また床には大きな魔法陣が描かれてあり、その中心には大きな天蓋付のベッドが置かれてある。

 ベッドを覆っているカーテンのせいで、中で眠っている人物のシルエットしか映らない。その影がムクッと起き上がり、ゆったりと動きでベッドの近くにある椅子へと腰かけた。

 紅玉のように美しい色をした髪を手で払い、足を組む。小さな顔には暗闇でも光る紅い瞳が揺れている。


「シウバ、貴様に用を申し付けることにした」


 凛としていて、どことなく子供っぽい声音(こわね)が室内に響く。


「何でもお申し付け頂ければ、このシウバ、身命を賭してお望みを叶えましょう」


 シウバと呼ばれた男性は、彼女に近づき礼儀正しく頭を下げる。


「うむ。《金バラ》の備蓄がもう底をついた。あそこへ向かい採取してこい」

「少しお時間がかかるやもしれませんが?」

「大いに結構。ていうか、そのまま死ねばもっと喜ばしいのだが……」

「は? 何か申されましたでしょうか?」


 女性の声が小さかったので、シウバには聞き取れなかったのだろう。


「おほん! いや、何でもない。準備ができたらさっさと向かえ。あとのことは、シャモエに任せている」

「畏まりました」


 シウバが踵を返し、扉に手をかけたが、ふと手を止める。


「できれば行ってらっしゃいのチューなんかを頂ければ幸いなのですが」

「………………殺すぞ?」

「ノフォフォフォフォ! それは残念でございます」

「いいから《金バラ》を手に入れるまで帰ってくるな! いいな!」

「はい。畏まりました――リリィンお嬢様」


 シウバは音を立てずに部屋から出て行った。






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