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56:別れ、そして旅立ち

 魔界と獣人界を繋ぐ架け橋――【ゲドゥルトの橋】が破壊された頃、ララシーク・ファンナルの地下研究施設において、日色は奇妙な現象を目にしていた。

 突如、ララシークの頭上の空間が歪み始めたのだ。

 思わず目を擦ってしまうが、やはりどこかで見たような感じに歪んでいる。

 すると空間に亀裂が入り、その中からピョコンと何かが飛び出て、ララシークの頭の上に乗った。でも何故かララシークは感触を覚えているはずなのに慌てていない。


「な、何だコイツは?」


 日色は目の前に存在している奇妙な物体を、眉をひそめながら凝視。どこかで見たような形だなと思い首を傾げる。


(白くて小さくて、兎……あ、コレって……!)


 思いついたが、アノールド・オーシャンが先に声を上げる。


「おお、師匠の精霊、久々に見たな!」

「精霊? コレが……か?」


 思わず目を疑ってしまう。

 だって目の前にいるのはどう見たって、雪の日に子供たちが作ったりする雪ウサギそのものだったから。それが動いてピョンピョンと跳ねているのだから驚いてしまうのも当然だと思う。


「おお、ユキちゃん、どうした?」


 ララシークが精霊に対して目だけを上に向けて尋ねると、雪ウサギはコクコクと僅かに頭を動かして肯定する。


「そんな……一体何が……まさかホントにイレギュラーが……?」


 ララシークが一人で顎に手をやりブツブツ言っていると、アノールドが代表して疑問を言葉に出す。


「あ、あの師匠? 一体何が……? さっきのは……?」

「…………」

「あ、あのぉ……?」

「…………」

「し、師匠ぉ……? お~い……」


 声を掛けても時間が止まったようにララシークは、同じ姿勢で考え込んでいて、アノールドの声にまったく反応しない。

 アノールドもどうしたものかと頭を掻いて日色の方を見てくる。日色は肩を竦めて壁にもたれかかる。仕方なくララシークが自分の世界から戻って来るまで待つことにした。


 少し待っている間、精霊がララシークの頭の上に乗りピョンピョンと跳ね出す。するとその刺激でハッとなって、ようやく日色たちに視線を向けた。


「あ、師匠?」

「…………はぁ」


 何やら大きな溜め息を吐いているが、ララシークが何故そんな態度をとるか分からない日色たちは、互いに眉を寄せながら顔を見合わせてしまう。


「師匠、一体どうしたっていうんですか?」


 アノールドが再度尋ねると、


「うむ、実はな――」


 ようやく説明に応じてくれるようだ。ただその内容は驚くべきものだった。


「――――国王軍が帰って来るようだ」

「……へぇ、軍がですか? そうなんですかぁ……って、マ、ママママジですかぁっ!?」


 アノールドは勢いで返事をしていたが、言葉の意味を把握して、腰を抜かすばかりの驚きようを見せる。

 何故なら国王軍は今、戦争中のはず。

 種族の命運を懸けた戦いが、一日やそこらで決着するわけがない。ララシークの言葉は冗談にしか聞こえなかった。


「マジだ。この子が調べてきた」


 そう言って精霊の頭に手を置いて撫でる。赤い眼を閉じて気持ち良さそうだ。


「い、いや、調べたって……え? 戦争してたんですよね?」

「ああ」

「しかも始まったのはつい最近?」

「恐らくな」

「……それなのに国王軍が帰って来るんですか?」

「ああ」

「…………負けたにしても早くないですか? いや、勝ったとしても異常過ぎるし……」


 アノールドの言う通りだ。

 たとえ負けたとしても、『獣人族』の精鋭を集め、戦力だって国境に向かう途中に補給していったのだ。数も相当なものだろう。数日でどうこうできる戦力ではないはず。

 またそれは相手の『魔人族』にも言えること。向こうは本拠地だ。全ての『魔人族』を相手にしなければならない。勝ったとしてもあまりにも呆気なさ過ぎる。


「えっと……何かの誤報じゃ?」


 アノールドがそう思うのは無理からぬことである。しかしララシークは首を左右に振る。


「いや、この子には戦争の行く末を見守るように頼んでおいた。そして何か動きがあったら知らせる手筈だった」

「じゃ……じゃあホントに……?」

「どうやらそのようだぞ。詳しくはこの子が見てたから聞けば分かる」

「国王軍はもう国に?」

「いや、まだ戦争は終わったばっからしいし、到着はしてないようだな。だがそのうち帰って来るだろうよ」


 二人して事態の異常さに難しい顔をしていたそんな時、今まで黙っていた日色は先に聞きたかったことを口にする。


「おい、そんなことよりもその精霊は何だ?」


 本当にマイペースな日色だった。


「お、お前な! 戦争が終わったんだぞ戦争がっ! そんなことよりって、少しは驚けよなっ!」


 アノールドの言い分は誰が聞いても理解できるだろう。

 しかし日色にとって――。


「戦争になど興味はない。そんなことよりそのプニプニした奴の方が気になる」


 日色は『精霊族』に会っている。しかも妖精の長と直に話もした。だからこそ、精霊という存在には少なからず興味があった。しかも雪ウサギという形から、何か親近感が湧いたのである。


「お、お前なぁ……」


 アノールドは呆れながらジト目で睨みつけてくるが、ララシークはポカンとして日色を見つめたのち、ニカッと口元を緩めると、


「ナハハハハハ! やっぱお前面白え奴だな坊主は!」


 腹を抱えて大声で笑い出した。


「この異常事態に興味がねえときたか! しかも同じ獣人だってのによ! ナハハハハ!」


 いや、獣人ではないんですけどね、とアノールドはつい口を滑らせそうになったのを我慢しているような表情を浮かべる。

 ララシークは笑い過ぎて涙が出た目を軽く擦りながら、頭の上にいる精霊を両手で持つ。


「教えてやるぜ。この子はワタシの精霊――ユキちゃんだ」


 まんまじゃないかと思ったが口にはしなかった。この世界に雪ウサギがあるのか分からなかったからだ。雪は降るらしいが、遊び方が日本と同じとは限らない。


「何故ここにいるんだ? というか精霊を使役できるのか?」

「ん~お前さん、獣人なのに知らねえのか? そういや《名も無き腕輪》をしてねえようだが……冒険者でもねえのか坊主は?」


 どう答えたものかと迷った。日色は獣人ではない。

 ただ《文字魔法》で化けているだけなので《名も無き腕輪》を装備しているわけが無いのだ。アノールドに聞いたことがあるが、獣人の冒険者は戦うために全員が腕輪をしているらしい。

 それが無いと《化装術》は使えないというし、戦力的に厳しくなるからだ。


 アノールドが日色をチラリと見て、そわそわしながら見ている。


「腕輪はしてないわ、精霊のことを詳しく知らないわ…………どういうことだ?」


 段々追い詰められていく日色。その状況を見てアノールドは更にドギマギしている。しかし日色は別段変わった様子は見せない。いつも通り平然とした様子を貫く。


「そんなことを答える義務はない」

「ちぇ、つまんねえ奴」


 正直精霊に関して気になることはあるが、別に急いで知らなければならないことでもないし、獣人界にいればそのうち知り得ることもあるだろう。








「そういやアノールド、お前はどうすんだ?」

「はい? な、何がです師匠?」

「修業のことだよ。お前もミュアと一緒に修行すんのか?」

「え~と……ダメ……ですか?」


 ちゃっかりと便乗しようと思っていたらしいアノールド。自分ももっと強くなるために戻って来たという理由もあったのだろう。

 特に最近では日色やウィンカァ・ジオという規格外たちを見ているので、その想いが顕著なのかもしれない。


 ララシーク・ファンナルは半目で睨んでくるが、浅く溜め息を吐くと肩を竦める。


「ま、一人も二人も同じだ。現役やってた頃はそれこそ弟子はバカほどいたしな」

「ほう、そうなのか?」


 日色が少し関心を覚えて尋ねた。それにアノールドが答える。

「言ったろ? 《化装術》の生みの親だって。みんながこぞって弟子志願にきたんだよ。というか今、国のトップに立ってる人たちのほとんどが師匠の弟子だし」


 国王にしても、国の最高戦力である《三獣士》という連中にしても、彼女の教え子だ。


「……思った以上にとんでもない幼……チビウサギだな」


 日色が幼……と言った瞬間、ララシークから凄まじい殺気が滲み出たので、そこは空気を読んで言い直しておく。また首元がヒヤリとするのは勘弁だった。


「というかアレだな。そんな大物によくオッサンみたいな変態が教わることできたな?」

「変態言うなっ! どつくぞコノヤロウ!」


 日色の疑問は尤ものはず。彼女ほどの大物が、何故アノールドのような王族でもなければ、この国の住人でもないただの料理人で冒険者な彼を教えることになったのか、全く以て不思議だ。

「ま、まあお前の言うことも分かるけどな。俺はただ運が良かっただけだし……」

「運?」

「押し付けられたんだよ」

「し、師匠ぉ!」


 ララシークの言葉に日色は「は?」といった感じで二人を交互に見る。ミュアやウィンカァもポカ~ンとしながら同様に見ている。


「昔からの酒飲み仲間からの頼みでね、アノールド坊やはそいつが連れて来て、ワタシに面倒を頼んだんだよ」

「ふ~ん」

「いや、ふ~んて……ちょっとくらい興味持てよなぁ」


 そんなことを言われても、オッサンの過去などはどうでもいいのだ。


「だがまあ、懐かしい話だな。まだガキだったアノールドは、今みたいに老け顔じゃなくて、可愛げがあったけどなぁ」


 遠い目をして懐かしさに笑みを浮かべる。


「ちょ、ちょっと師匠っ!?」


 恥ずかしいのか、アノールドは頬を若干染め上げて声を上げる。


「あ、ところで坊主と、そこの嬢ちゃんはどうすんだ?」

「は?」


 突然こちらに向けて話が降られたのでつい日色は声を出してしまう。ただ彼女の視線は日色だけでなくウィンカァにも向けられている。


「いや、二人の修業は見るが、坊主とそこの嬢ちゃんは……アノールド?」

「え? えっと……」


 アノールドも困ったように頭を掻く。

 何故なら彼は、日色とウィンカァが純粋な獣人ではないことを知っている。

 この修業は獣人だけの《化装術》を鍛えるためのものになるはず。しかし人間である日色と、ハーフであるウィンカァにその修行の意味がほとんどない。

 どう答えたらいいものか分からず日色に視線を泳がせるアノールド。そこで日色は一言。


「やらんぞ」


 とだけ言った。


(どこぞのスポ根じゃあるまいし、獣人の訓練なんてやってられるか)


 そんなことよりも日色は《文字魔法》の訓練をしたい。厳しいという修行など受けていたら、その時間が奪われること間違いなしだと判断した。


「う~ん、坊主にも興味があったんだがなぁ」


 何故かララシークは残念そうに口を尖らせる。


(冗談じゃないな。こんなマッドそうな奴の傍に居続ければ、いつかオレを実験体にしようとするかもしれないし)


 そう思いゾッとする。彼女に正体がバレようものなら、満足するまで魔法について聞かれたり、身体を検査されたりという予想が立てられる。絶対嫌だ。


「修行というのはどれくらいかかるものなんだ?」


 日色がララシークに聞くと、その視線をミュアへと向ける。


「う~ん、コイツ次第だが…………まあ、冒険者としてそれなりに一人でもやっていけるようになるには、少なくとも六か月以上はかかるな。幸いレベルはそれなりにありそうだし、基本的な戦闘訓練に《化装術》、それに応用。詰め込んでやってもそれだけはかかるな」


 六か月と聞いた時、日色の中で答えは出た。視線をアノールドとミュアに向ける。


「そうか、ならここでさよならだな」


 ミュアはハッと息を引いて悲しそうな顔をするが、アノールドはやっぱりかと言った様子を見せる。ミュアはともかく、アノールドは日色の答えに薄々気がついていたのだろう。


「やっぱそうなるわな。ま、しょうがねえか」


 アノールドは諦めているが、ミュアはまだ諦めきれていないのか詰め寄ってくる。


「ど、どうしてですか! 修行しなくても、この国で過ごせば――」

「悪いがオレには目的がある」

「も、目的?」

「ああ、世界を見ることだ。六か月もジッとなんかしてられるか」


 日色のその言葉に、ミュアは目を伏せて沈黙。短い付き合いだが、日色の目を見て、自分程度の言葉で自信の言葉を曲げるような性格の持ち主ではないということは理解しているのかもしれない。

 だからもう、何を言っても無駄だと悟ってしまったのだ。アノールドもそんな彼女を見て苦笑いしかできないでいる。


 彼は日色がそう言うであろうと予見していたようだから驚きはそれほど無かったみたいだが、ミュアにとっては、今まで一緒に旅をしてきた仲間で、初めての人間が傍を離れることに寂しさを感じているのだろう。

 まるで傍から見れば兄妹のようだが、種族も違うし、日色は決してそんなことは思ってもいない。

 だがミュアはそんな日色のことを気に入っていたに違いない。気持ちが惹かれている日色がいなくなることに気持ちの整理がつかないのだろう。


 しかし日色の意志は誰にも曲げられないということを、二人は良く知っているはず。


「食べ物で六か月以上を釣ることはできねえだろうしなぁ……」


 アノールドが小さく呟く。時折食べ物に異常な執着を見せる日色に、それならと懸案を思いついたみたいだが、さすがに無理だろうと判断したのか首を左右に振っている。


「……なあヒイロ、これからどうするんだ?」

「そうだな、二、三日ここで情報収集したら、一通りこの大陸を見て回って、その後……」


 言いかけておいてララシークが興味深そうにこちらを見てきていたので言葉を止めた。


「…………それ以上答える義務はない」

「……はぁ、やっぱそれかよ」


 アノールドはそう言うが、彼もララシークの視線には気づいていたのか強くは言わなかった。ララシークは「ちっ」と舌打ちをしている。

 いまだに落ち込んでいるミュアを日色が見下ろす形で見つめた。


「おいチビ」


 日色の言葉に少しビクッと小さな身体を揺らすと、ゆっくりと顔を上げる。目が合う。


「六か月後――暇になったら顔を見せに来てやる。それまでに少しは役に立てるようになっておけよ」


 本来ならこんな言葉を言うつもりは日色にはなかった。だが何故だろうか、彼女の落ち込んでいる姿を見て、少なからず苛立ちを感じたのだ。それは彼女に対してか、自分に対してかは分からない。

 だが自分の言葉を聞き、ミュアが嬉しそうな笑みを浮かべたのを見て、尖っていた雰囲気が少し柔らかくなるのを感じたのもまた事実だ。


 今日もいろんなことがあったが、「もう休む」といって、ララシークの地下室にあるベッドルームで休むことにした。

 アノールドたちは遅くまでララシークと楽しげに話していたみたいだが。見るとちゃっかりウィンカァとハネマルは隣のベッドで寝息を立てていた。









 翌日、【獣王国・パシオン】を出るのは三日後に決めた日色は、今アノールドたちと一緒に街を歩いていた。

 ちなみにララシークはアノールドからもらった蜜で酒を造るんだと息巻いて研究所に引きこもっている。


「まだ国民には知れ渡ってねえみてえだな」


 アノールドはちらほら見かける国民の様子を見ている。

 戦争の中断――いや、終結といってもいいのかもしれない。それをまだ国民たちは知らないみたいだ。

 もし知られていればかなりの大事になっているはず。だが国の中は静かなものだ。


「でもまさか、ホントにヒイロが言ったように橋をぶっ壊すとはなぁ。魔王は何考えてんだか……」


 そう、それは奇しくも日色が出した案と同じ結末を迎えていた。【ドーハスの橋】を崩壊させて、獣人が魔界に入って来られないようにしたのだ。


「で、でもこれで誰も傷つかなかったんだよね?」

「ん~確かにミュアの言う通りだけどよ、獣人にとっちゃ、プライドを根こそぎ否定された感じで気分悪いだろうなぁ。って俺も獣人なんだけどよ」

「それはよくわかんないけど、でも誰も死ななかったんなら良いことだと思うけどなぁ」

「ま、そういう考えもできるけど、本筋は『魔人族』が何のためにそんなことをしたのかってことだな。まあ人間が魔界に繋がってる橋を破壊しましたって聞いたら理解できるんだけどなぁ。奴らは魔人を恐れてるし、壊せば攻め辛くなって安心するだろうし」


 ミュアも魔王の真意が分からず首を傾げる。


「ねえおじさん、そういえば『人間族』はどうして橋を壊さないの?」

「ん? 何のことだ?」

「ほら、今言ったでしょ? そうすれば『魔人族』の進攻を防げたりできるのに、どうして今まで橋を壊さなかったのかな?」


 ミュアの疑問も当然。大陸同士は一本の橋で繋がっている。無論『人間族』と『魔人族』の大陸にも架け橋が存在する。

 名を――【ムーティヒの橋】。

 大きさも頑強さも【ゲドゥルトの橋】には及ばない。壊そうと思えば人間でも壊せるはず。


「壊さなかったんじゃなくて、壊せなかったんだよ」

「……どうして?」


 コクッと首を傾げるミュア。日色も興味を惹かれて耳を傾ける。


「橋は常に魔人が守ってるからな」

「あ、そうなんだ」

「しかもまた、守ってる奴が厄介な奴らしくてな」

「厄介?」

「ああ、確か名前は――イーラオーラとか言ったっけ?」

「その人強いの?」

「ああ、とんでもなく強えらしいぜ」


 大事な橋を任されるぐらいだから、それ相当の実力者であるのも間違いない。


「何でも元《魔王直属護衛隊》だったらしくてさ。そりゃ強えわな」


 《魔王直属護衛隊》は六人だけの部隊。

 全員が突出した力を持ち、普通の冒険者が百人束になっても敵わないと言われるほどの猛者たち。


「そっかぁ、そんな人が守ってるんなら橋を壊すのは難しいよね」

「ま、橋を壊せたとしても、『魔人族』なら海を渡ってでも平気そうだしな」


 海には凶悪なモンスターや渦潮など、凡そ渡るには命を懸けなければならない場所なのだが、魔人なら、そんな場所でも渡って来られるとアノールドは思っているようだ。


「ところでこれからどこに行くつもりだ?」

「あ? もちろんギルドだ。換金してもらいたいものだってあるだろ? ほら、あのクソヘビのとか」


 日色はしまったと思い、質問したことを後悔して足を止める。


「ん? どうしたヒイロ?」

「…………」

「おい、何で目を逸らす?」

「…………」

「…………お前、討伐部位……持ってるよな?」

「…………」

「よ~しよしよし、ちょ~っと冷静になろうか。あん時、俺たちはこの可愛い天使のようなミュアのお蔭で、クレイバイパーを仕留めることに成功したよな?」


 ミュアは可愛いと言われて照れている。だが日色は目を逸らしたまま黙す。


「そしてだ、ヒイロ以外は先に【グリー洞穴】から出て、お前は部位を取るために残ったよな?」

「…………」

「そういやずいぶん長~い時間だったよなぁ。…………お前、そん時、何してた?」


 疑わしい目で睨みながらジリジリと詰め寄ってきたので、仕方なくチョキで目を突いた。


「あんぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 アノールドは目を押さえながら地面を転がり始める。周りの通行人の視線が、突如おかしな行動をしだしたアノールドに向けられる。


「よし、行くか」

「待てコラオォォォォイッ!」


 復活も早くなったもんだと日色は感心する。


「てんめえぇぇぇっ! どういうことか説明してもらおうかぁっ!」


 どこぞのヤクザばりに目をギラつかせてくる。もう一度突いてやろうかと思ったが、アノールドは学習したのか、距離をしっかり取っていて、結局説明することになった。


「……ふぅん。んじゃ、その変な奴がヘビごと持ってったってのか?」

「ああ」

「名前は?」

「…………知らん」

「……忘れたんだな」

「興味がなかっただけだ」


 だからオレは悪くないと胸を張る日色。

 アノールドは「奪われたのなら仕方ねえ」と言って、ボリボリと頭をかく。


「ん~けどそんなことできる奴がいるんだなぁ。しかもヒイロ相手によぉ。てか何のために持ってったんだ?」

「オレが知るか」

「だよなぁ。ミュアはどう思う?」

「えっと……お墓を作ってあげるため……とか?」

「おお! さすがはミュア! 何て可愛らしい発想なんだ!」


 ギュッと抱きつき、ミュアは少し苦しそうにもがく。そんな二人を見て日色は一言。


「スーパーロリコン」

「せめて親バカと言えやボケェッ! つうか何気に昇格させてんじゃねえよっ!」


 また称号がついたらどうしてくれるんだと言わんばかりに怒鳴るアノールドを尻目に、日色は説明を続ける。


「ま、そういうわけで、オレにしてみれば強盗にでも遭ったようなもんだ。ヘビの部位は諦めるんだな。別に金に困ってるわけでもなし、構わないだろ?」

「……まあいいけどよ。つうかそういうことはもっと早く! その時に言えよな!」


 全くその通りであったが、つい忘れてしまっていたのだ。


「そんじゃ、とりあえずギルドへ行って、他のモンスターの部位だけでも換金すっか」


 一行はギルドへと足を運んでいく。

 ギルドには冒険者の姿は皆無だった。

 やはり戦争に向かった者が多いのだろう。日色たちを見て、職員が驚いているくらいだ。しかし旅の者だと言ったら納得してくれた。

 換金が終わると、そのままギルドを出て行く。


「つうか獣王様たちが帰ってくるなら、この国も騒がしくなるだろうなぁ」

「――っ!?」


 アノールドの言葉でハッとなる。自分がこの国でしてしまったことを振り返り、顔を真っ青にする日色。これはマズイと思い、大急ぎでララシークの研究室へ走った。


「お、おいヒイロ!?」


 アノールドの声を無視して走り去る。残された者たちはキョトンとしながら呆然と立ち尽くしていた。









「お、何だ荷作りなんかしてよ?」


 酒の瓶を片手に、ヨレヨレで酒を溢して汚れた跡が目立つ白衣のポケットに左手を入れたまま、目の前で荷作りしている日色に声を掛けるのは、ピョコピョコとウサミミを動かしているララシークだ。

 対して日色は買い置きしていた食材などを袋に詰めている。


「これからすぐに旅に出る」

「はあ? これからって、二、三日後って言わなかったか?」


 確かに日色は旅に出るのは二、三日後とミュアたちに話していた。だが状況が変わった。


「これまた突然だな。何があったってんだ?」

「いや、少し面倒な事をしたことを思い出してな」

「面倒な事?」

「心配するな。チビウサギに迷惑がかかるようなことじゃない……多分」

「多分かよ! ……アノールドたちは知ってんのか?」


 そこへアノールドたちが帰って来た。日色の姿を見て、何をしているのか悟り声をかけてくる。


「お、おいヒイロ……。まさかもう旅に出るとか言わないよな?」

「うそ……うそですよね、ヒイロさん?」


 日色は詰め終わった袋を背負い立ち上がり、そこにいるアノールド、ミュア、ウィンカァ、ハネマルを見る。


「悪いな。戦争に出た王族が帰ってくる前に出ることにした」

「ど、どうしてですかっ!」


 ミュアが詰め寄ってくる。日色と一日でも長くいたいと思っているのか必死だ。だが彼女の肩に手をポンと置き、答えたのはアノールドだった。


「お前、ミミル様を治したことに関係してんな?」


 ミュアもアッと思い出したような表情を見せる。


「確かに獣王様たちが帰ってきたら、もっと騒ぎになるだろうな。下手すりゃ、お前が治したことがバレるかもしれねえ。そうなりゃ多分、旅に出るどころじゃなくなるもんな」


 彼の言う通り、そんなことになれば、確実に足止めをくらうし面倒事になることが予想される。そんなのは勘弁だ。


「け、けどいきなり過ぎ……ですよぉ」

「こればっかりは、お前らが何と言おうともう決めたことだ」


 そのまま黙って地上へと出る。ララシークの家の前でウィンカァが声をかけてくる。


「ん……ヒイロ」

「アンテナ女……お前はどうするんだ?」


 旅を続けるというのなら、別に一緒に行く分には困らない。彼女は強いので足手纏いにもならないから。だが彼女にも目的があるのを知っている。


「……残る。ライブがととさんのことを知ってるかもしれないって言った。何とか思い出してもらう」

「そうか、それじゃお前ともここで別れるな」


 ウィンカァは寂しげに顔を伏せると、トコトコと近づいてきてクイッと服を掴むと、上目遣いで見上げてくる。

 その表情は明らかに、子供が親に「仕事にいかないでよ」的な感じで甘えている感じ。またハネマルも同様の顔で見つめてくるので、思わずこめかみを押さえてしまう。


「一緒……ダメ?」

「……お前は父親を探すんだろ?」

「……うん」

「だったらその想いを貫いたらどうだ?」

「…………」

「それにまだここで情報収集もしようとしてるんだろ?」

「……うん」

「別にここで別れても一生会えないわけじゃない。生きてればそのうちまたどこかで会えるだろ」

「ヒイロ……」


 そう、生きていれば。この地上のどこかにいれば、必ず会うことはできる。


「正直に言ってな、オレはお前が羨ましい」

「……ん?」


 日色はジッと彼女の穢れなど一切含んでいない純真な瞳を見つめる。

 こんなことを言うつもりではなかったが、彼女の強さに憧れているというのは本当のことだ。


「オレもお前みたいにもっと強くなる……絶対に。守られるのは性に合わんしな」

「…………」

「だから次に会った時は驚かせてやる。お前以上の強さを見せてな」

「ヒイロ……」


 するとウィンカァはクスッと笑みを溢す。


「ん……でもウイだって負けない。ヒイロはウイの王。王を守るために、ウイもたくさん強くなる」

「アオッ!」

「ん……ハネマルも強くなるって」

「……そうか、なら勝負だな」


 互いに微笑を交わし、強くなることを宣言する。

 ウィンカァの強さには憧れを覚えていたが、憧れのままで済ませるわけにはいかない。この世界を満喫するために強さがいるのなら、必死になってそれを掴んでやろうと心に決める。


「じゃあな、アンテナ女、ハネッコ」

「……うん」

「クゥ~ン……」


 別れを覚悟しているが、それでもやはりその表情は納得し切れていない。

 日色は「ふぅ」と一つ吐息を漏らした後、トン……と彼女の額に人差し指で軽く押す。


 そして今度はミュアに視線を向ける。彼女もまた儚げに見上げてくる。


「アンテナ女にも言ったように、これが最後じゃない。お前は強くなるって決めた。だからここで頑張ってみろ。――強くなれ」

「ヒイロさん……」

「いつかオレを驚かせてみろ、チビ」

「…………てくれませんか?」

「は?」

「頑張れる……ように…………頭を……撫でて……くれませんか?」


 涙目の彼女。年下のこういう表情には逆らえない気分になる。

 日色はそっと彼女の頭の上に手を置く。


「楽しみにしてるぞ、チビ。ついでにオッサンも」

「俺はついでかよっ!? 俺だってな、次会った時はレベルアップし過ぎて困るくらいになってらぁっ!」

「ま、頑張れ」

「俺に対して淡白過ぎだろっ!」


 日色は再度ミュアに視線を向ける。かつて児童養護施設で面倒を見ていた子供たちにするように、彼女の頭を優しく撫でる。彼女は気持ち良さそうに、頬を染めながら目を閉じている。その温もりを心に刻み込んでいるかのように。


「じゃあな、チビ」

「……はい。ヒイロさんも、お元気で。絶対に……強くなってみせます。驚かせてみせますからっ!」


 日色は微かに笑みを見せると、そのまま踵を返して彼女たちから離れていく。


「ヒイロさぁぁんっ! 絶対、絶対、また会いましょうねっ! 絶対ですよぉ!」


 日色は軽く手を上げて応えるだけ。


「あ~あ、相っ変わらずサッパリしてやがるぜ、ホントまったくよぉ」

「ん……でもヒイロらしい」

「アオォォォンッ!」


 日色の旅の無事を祝うようにハネマルが雄たけびを捧げている。ミュアは、日色の姿が見えるまでずっと手を振っていた。


(ま、短かったが、それなりに有意義な旅だったな)


 最初は一人で旅をしようと決めていたが、アノールドたちとの旅は思った以上に新鮮だった。ああいう連中となら、また旅をしてもいいかなと思うほどに。日本にいた時は考えられない変わり様である。


(まあでも、次会うのは最低でも半年以上先になる……か?)


 森の中から少し振り返り、《始まりの樹・アラゴルン》を視界に入れる。

 天を衝くような大樹が、まるで日色を見送ってくれているようだ。


(奴らはその時どうなってるかな……)


 ミュアたちのことだから、修業を必死にやることだろう。特にミュアは力を求めていた。きっと強くなる。今度会う時が楽しみだと思えた。

 【獣王国・パシオン】をジッと眺めながら日色は一言。


「――それじゃ行くか」


 少しだけ名残惜しさを感じながらも、歩を進めて森の中に消えていった。






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