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55:イヴェアムの答え

 両陣営が橋の上空に浮かぶ二つの点に気づき、その存在が何のためにそこに現れたのかを考察していた頃、その二つの点はちょうど橋の中心まで行き、上空で止まっていた。


 二つの点――『魔人族』側が視認した通り、二人の人物である。


 一人は美しい金髪を靡かせ、赤い軽鎧に身を包んだ、魔王――イヴェアム・グラン・アーリー・イブニングであり、もう一人は漆黒の鎧を身に着けた《魔王直属護衛隊》の《序列一位》――アクウィナス・リ・レイシス・フェニックスだ。

 二人ともが、背中から黒い翼を広げて空に浮かんでいた。


 二人は眼下で起こっている、ゾンビ化したモンスターと、マリオネの部下であるチューガイの戦いを目視する。

 チューガイも二人の存在に気づき、こんな前線に守るべき対象が平然と現れていることに唖然とした様子だ。


「下がっていろチューガイ!」


 イヴェアムはそう叫ぶが、この状況を聞かされていない彼は混乱する。あまりにも突飛な事態に理解が追いついていないのだろう。

 いくら《序列一位》であるアクウィナスを連れているからといって、魔王がこんなところにのこのこと出てくるなどという暴挙に愕然とした面持ちだ。


「巻き添えになりたくなかったら下がっていろ」

「……そ、それは命令ですかな?」


 冷淡に言うアクウィナスに、チューガイはムッとして尋ねる。

 チューガイにとってアクウィナスは主人ではなく、命令される謂れもないはず。彼はマリオネこそが《序列一位》に立つべき存在だと思っているようだ。

 いまだに動かないチューガイに対して、イヴェアムは彼を指差して叫ぶ。


「いいから下がれ! 魔王命令だっ!」

「は、はっ!」


 さすがに魔王の命令に背くことはできない。もし背けば、そのしわ寄せは主であるマリオネに向かうからだ。

 しかし彼もここを任された身、何の説明も無しでは不服なのも当然。


「説明は後でする! いいから今すぐここを離れろ! 他の者にも近づくなと厳命せよ!」


 マリオネに報告するべきことだと判断したのか、チューガイがその場から離れていく。


「準備は良いか、アクウィナス」

「ああ、陛下」


 二人は腰に下げている剣をそれぞれ抜き、その剣で自分の左腕を僅かに斬る。

 斬った腕からはじわりと鮮血が流れ出る。血がポタポタと地面に向けて垂れ落ちていく。


「最後にもう一度聞く。いいんだな?」


 アクウィナスが確かめるように問うと、イヴェアムは少し強張った表情を作るが、それでも力強く頷く。


「ああ、もう決めたことだ」


 イヴェアムは真っ赤になった左腕を掲げる。すると彼女の頭の上に大きな魔法陣が出現。彼女の血がその魔法陣に取り込まれて赤く染まっていく。

 アクウィナスがその魔法陣のさらに上空へと浮かび上がり、左腕を地上へとかざす。こちらも同じような魔法陣が出現。魔法陣と魔法陣の間は、三十メートルほど離れている。


 アクウィナスの血も魔法陣に吸い込まれて真紅に染まる。

 突然地鳴りのような音が鳴り響き、先程まで快晴だった空を、どす黒い雲が覆っていく。

 稲光や雷鳴が轟き始める。

 魔法陣と魔法陣の間に、黒曜石のような輝きを放つ黒い塊が生み出される。それが放電現象のように黒色の雷を周囲へと迸らせ、徐々に拡大していく。


 二人の不可思議な行為を見た両陣営では、彼らが何のためにこの場に現れたのか察した者が現れ始める。



     ※



「あ、あの凄まじい魔力はっ!? ま、魔王!?」


 『獣人族』側では、信じられないほどの膨大な魔力を感じて、レッグルスが間違いなく魔王の仕業だと判断する。


「ああ、これほどの魔力、間違いねえな」


 自分とは明らかに別格過ぎる魔力量にさすがのレニオンも悔しげに舌打ちをする。握り締めた手の中に汗が滲み出てくる。


「ニョホホホホ! これはこれは、マズイですねぇ!」

「どうしたんだユーヒット? 何がマズイんだ? あれをこっちに放ってくるからか?」


 レニオンが聞くと、ユーヒットは人差し指を振って否定する。


「ノンノンです。それなら確実に殲滅するためにも、もっとこちらに近づいているでしょう。ですが彼らは橋の中央で止まっていやがりますですよ!」

「――まさか!?」


 王であるレオウードはハッとなり、ユーヒットの言いたいことを察知したのか、険しい顔つきを浮かべる。


「そうなのですよ。恐らく彼らは――」

 


     ※



「あれほどの魔法を使うとは……まさかっ!? い、いやだが……」


 『魔人族』側では、真っ先にイヴェアムたちの狙いに気づいたのはマリオネだった。しかし考えたものの、まさかとしか思えなかった。


「あの陛下がまさかそんなことを……?」


 兵士の中では、その凄まじい魔力を感じて感銘を受けている者も出てくる。

 これから起こることを理解してはいないが、自分たちの守るべき者の力を垣間見られたことが感動的なのだろう。


 ただマリオネは気が気でなかった。もし自分の思う通りのことを彼女らがしようとしているのならば、止めなければと考える。

 だがもう止める方法がない。兵士の一人がマリオネに彼女たちが何をするつもりなのかを聞くと、マリオネは歯をギリギリと噛み鳴らしながら吐き捨てるように言う。


「あの者たちは――」



     ※



「――――――橋を壊すことだな」


 日色はララシーク・ファンナルから受けた、『戦争を止めるならどうする?』という問いに答えた。

 だが彼女以外の者たちは一様にしてポカンとしたまま。


「ほう、その心は?」


 再度、ララシークの問いに皆が注目する。


「橋さえ壊せばアンタがさっき言った通り、戦争する意思は止められないが、戦争自体を先延ばしにすることはできるからな」

「ど、どういうことだ?」


 眉を寄せて疑問を投げかけるのはアノールド・オーシャンである。


「だってそうだろ? その橋が二つの大陸を繋ぐ唯一の道なんだ」

「その橋を壊せば進軍を止められるってことですね」


 ミュア・カストレイアが日色の真意を説明してくれた。


「そ、そっか! それに上手くいけば確かに師匠が言った通り双方は無傷ですむかも……」


 二人は理解したようだが、やはり相変わらずウィンカァ・ジオだけは、ハネマルの頭を撫でながら興味のない素振りを見せている。実際興味はないのだろうが。

 日色の答えを聞いたララシークは、ニヤリと笑ってパチパチパチパチと手を叩く。


「ご名答。やるじゃねえか坊主」


 褒められて気分は悪くはないが、幼女に上から物を言われているので複雑である。


「いや待てよ……けどそんなことするメリットがねえんじゃ……」


 アノールドは腕を組みながら呟く。それにミュアが「どういうこと?」と聞く。


「だってな、戦争をしてんだぜ? 特に獣人から仕掛けたんだ。彼らがそんな足場を失うようなことはしねえだろうし。魔人だって近いうち戦争を仕掛けるって噂があった。つうかその橋を渡って何度も進攻してたしな。今回の戦争は魔人にとっては良い機会じゃねえか。あっちから攻めてきてくれたんだからよ。わざわざ橋を潰して戦争を止めるようなことしねえだろ? 魔人の方が強えんだから」


 アノールドたちの会話を聞いて、ララシークがコクリと頷く。


「そう、だから言ったろ? 理論上は可能だって。メリットはねえし、あんな巨大な橋を壊せる奴が…………まあ、いたとしても全力に近い力を注ぎ込む必要があるだろうし、理論上では可能だが、やる奴はいねえよ」


 【ゲドゥルトの橋】は、以前モンスターに壊された経験から、もうそんなことが起きないように遥かに強化され大きく造られたのだ。

 少しくらい壊すことはできても、全損させるようなことは難しいし、そんなことをする意味も見出せないので方法論として提示されただけ。


「まあ、魔人側にどうしても戦いたくない理由があって、橋を失うリスクを天秤に懸けてもメリットがあると判断したのなら壊すだろうけど……まあ、ねえだろうな」

「そっかぁ……やっぱ戦争は止められねえか……」


 アノールドの溜め息混じりの呟きにミュアも悲しげに目を伏せる。戦争が起きれば傷つく人が必ず出る。死人だって。優しい彼らにとっては、それはやはり許容しがたいものなのだろう。


「まあ、奇跡的なイレギュラーが起こればあるいは……だが、世の中そう上手くはいかねえしな。それに何を言ったところで、多分もう今は……戦争が始まってるだろうしな」


 ララシークの達観した言葉を聞き、二人はさらに落ち込むが、日色は違うことを考えていた。


(『魔人族』側、それほど強いのに今まで攻めてこなかった理由が確実にある。もしその理由が……いや、どうだろうな)


 仮にもし、その理由が戦争回避という道に繋がっていたとしたら、今回の戦争で何が起こっても不思議ではないのではないかと思う。しかしあくまでも推測であり答えはもうすぐ分かる。

 戦争が本格化するのか、そうでないのか――――――答えはもうすぐ。



     ※



「放つぞっ! アクウィナスッ!」


 魔法陣を作り上げている魔王イヴェアムは、上空へ掲げた血に塗れた痛々しい左腕から更なる魔力を魔法陣へと注ぎ込む。


「……ああ」


 続いてアクウィナスも同様に魔力を魔法陣へと注ぎ込む。魔法陣の間に生まれた黒い塊は極大になっており、魔法陣と魔法陣の間を黒で埋め尽くしている。


「行くぞアクウィナスッ!」


 イヴェアムの掛け声がきっかけとなり、両方の魔法陣がグニャリと歪んだと思ったら、黒い塊を覆うようにして纏わりついていく。

 赤い魔法陣に包まれた黒い球体。まさに異様な存在感を放つ不気味な物体である。


「闇夜に消え逝けっ! ――――――《コスモエンド》ッ!」


 放たれた黒い塊は、暗黒を宿す流星のごとく凄まじい速さで橋に落下。


 まさに一瞬。そう――――――一瞬の出来事だった。


 橋の上にいたはずのモンスターたちは、黒い塊に吸い込まれていく。

 塊が橋に触れた直後、黒が一瞬にして二十キロもの長さのある橋を包み込んだ。


 数秒後、そこにあった巨大な橋である【ゲドゥルトの橋】は、文字通り跡形もなく消え去っていた。まるでそこには橋など存在していなかったかのように。

 いつの間にか空も快晴に戻っていた。両陣営にはほとんど被害はない。ただ彼らの間に存在した道が消えた。変わったとしたらそれだけだろう。


「う……っ!?」


 イヴェアムの背中から翼が消失し、そのまま下の海へと落下する。そこにアクウィナスがすぐさま現れ彼女を抱き止めた。


「す……少し血を流し過ぎたかもしれん……」


 あれほどの魔法を使い、血まで大量に流したのだ、仕方ない。血の気の失った表情をしているが、自分の思ったことを貫けたことで微かに笑みを浮かべているイヴェアム。アクウィナスはそのまま彼女を抱えその場を離れようとする。しかしその時    



 ――――ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウッッッ!

 


 空気を切り裂くような音が近づいてきていた。

 獣人界から何かが放たれてきている。アクウィナスは咄嗟に回避行動をとる。

 一瞬のことでマントが破られてしまったが、何とか直撃は避けることができた。

 どうやら槍のようだったが、槍だからこそ驚くものがある。


「槍をここまで飛ばせる者がいるとしたら……」


 目を凝らしながら『獣人族』陣営を見た。アクウィナスがいる場所は、彼らから十キロほど離れている。それなのに正確に槍を飛ばすことができるとは驚嘆ものだった。

 普通ならその距離の間に海へと落下するのが普通。だが込められていた威力は一撃必殺を感じさせた。そのような人外じみた攻撃ができる者は、この場に一人しかいないとアクウィナスは考える。


「……獣王か」



     ※



「くそっ! 避けられたかァァァァッ!」


 獣王レオウードは、顔を怒りで歪めながら言葉を吐き出す。さすがに距離が離れ過ぎており、命中させることができなかったのだ。


「よくも……よくもやりおったなァァァッ! 魔人がァァァァッ!」


 レオウードの猛りが上空に浮かぶイヴェアムたちへと放たれる。

 それもそのはずだ。今日の戦争のために今まで蓄えてきた戦力である。計画を練り、今度こそ『魔人族』を一掃できると判断して戦争を仕掛けたのだ。それなのに戦う前に相手が舞台を降りてしまった。


「こうなると、あの和睦の親書が事実だったのかと思ってしまうな」


 激昂しているレオウードとは違い、冷静な第一王子のレッグルスがそう呟くと、第二王子であるレニオンが不機嫌そうに口を歪める。


「あんなもん、どうせ罠か何かだと思ってたのにな。ホントに奴らは和睦を望んでんのか? んなバカなことがあっかよ!」


 『人間族』だけでなく、『獣人族』にもイヴェアムは和睦の親書を送っていた。

 無論それを信じられるわけもなく今日まで来たのだが、今回のことで親書の真意が少しだけ明確になったことを思い知らされた。


「クソがァァァァァッ! 戦えェェェッ! 魔人どもォォォォォォォッ!」


 いまだに我を忘れたように憤慨して叫び続けながら、その剛腕を地面や大岩に放ち破壊行動をとるレオウードに、皆が恐怖して近づけずにいる。とばっちりを受けると並みの兵士では大怪我してしまうかもしれないのだ。


「とにかく今後のことを話し合わないとな。父上を止めるぞ、レニオン」

「ちっ、めんどくせえな!」


 二人は八つ当たりしている自分たちの父親を止めるべく向かっていく。またそんな二人を見た後、上空に消え去って行くイヴェアムたちを見つめるユーヒットは感心しているかのように口笛を吹いていた。


(ニョホホホホ! まさかこんな結末になるとは。橋が壊された以上、これは〝アレ〟の完成を急ぐ必要がありそうですねぇ。ニョホホホホ!)

 

 

    ※



「一体どういうおつもりなのですっ!」


 目の前にある机をバンと叩き不機嫌さを露わにするのは《魔王直属護衛隊》の《序列二位》であるマリオネである。

 イヴェアムとアクウィナスによって【ゲドゥルトの橋】が破壊され、その真意を問うために、彼は急遽魔国会議を開くことを申請し、魔王であるイヴェアムも、説明の必要があると考え即座に許可を出した。


「納得のいく説明をして頂けるのですな陛下っ!」


 顔を真っ赤にして憤慨しているマリオネの様子を見て、《序列五位》のシュブラーズが大きな胸を支えるように腕を組みながら妖艶な微笑みを浮かべて言葉を出す。


「ちょっとちょっとぉ~、そうカッカしないでよぉ~。陛下も、ちゃ~んと説明してくれるんでしょ~?」


 彼女の言葉にキッと睨みつけるマリオネだが、確かにこれ以上自分が話していても仕方ないと思ったのか渋々黙る。

 席に大人しく座る際に、隣で我関せずといった具合で座っているアクウィナスを、忌々しげに唇を震わせながら睨む。だが彼は目を閉じており、視線に反応しない。

 沈黙が周囲に流れたことを確認したイヴェアムは静かに語り出す。


「まずは皆に申し訳なかったと謝罪する。だが事前に説明できなかった理由がある。特にマリオネには、私とアクウィナスの行為を知らせるわけにはいかなかったのだ」


 その理由は簡単だ。もしマリオネに知られれば、必ず反対しただろう。すると彼を納得させるためにも時間が掛かり、下手をすれば間に合わなくなる可能性もあったのだ。

 それに事前に橋を壊すなどという暴挙を知れば、兵士だって混乱するだろうし、もし何らかの方法で『獣人族』の耳に届けば、計画自体が防がれる恐れがあった。

 だからこそイヴェアムは、側近のキリアとアクウィナスだけに相談したのである。


「けどやり過ぎじゃねえんですか? 陛下の考えはダルいけど前回の会議でも理解はしてますよ。そうすれば戦争が起きず、『魔人族』が傷つかねえってことでしょ?」


 《序列六位》のグレイアルドが怠そうにそう言うが、続けてシュブラーズが追加する。


「そうそう、あの橋を壊すということはぁ、陛下の理念にも反するんじゃないのかしらぁ?」

「そうだよな。シュブラーズの姐さんの言う通り、あの橋は種族同士を繋ぎとめる架け橋でもあったわけだ。それを壊したってことは、陛下は『獣人族』と手を取り合う可能性を自ら取り去ったってわけじゃねえんですか?」


 イヴェアムは全ての者が傷つけ合わず支え合う世界を望んでいる。大陸同士がいがみ合わず、手を取り合い同じ空のもとで生きることを理念としてきた。

 他種族同士が憎しみ合うこの世の中では、その大陸を繋ぐ橋は、まさに最後の糸でもある。その橋がある限り、良き隣人として、いつかは接することができる可能性だってあったかもしれない。


 だがその糸をイヴェアムは自らが断ち切ったのだ。戦争回避とは言葉が良いが、『獣人族』にとってはせっかく整えた舞台を勝手に潰されたことで、彼らの誇りや気構えなども全て踏みにじられたと感じただろう。もう手を取り合うどころではなくなる。

 戦争という舞台から逃げた『魔人族』を決して彼らは許さない。


「覚悟を汚された……って思うでしょうね『獣人族』はぁ~、単純だしねぇ~」


 シュブラーズの言葉がイヴェアムの心に突き刺さる。無論好き好んでこの方法を選んだわけではない。しかし時間も限られた中、戦争を回避するためには、もうこれしか考えられなかったのだ。


「覚悟なら我々にだってありましたぞ! それを陛下は一方的に奪ったのですぞ!」


 マリオネが再び怒気を込めて言い放つ。彼にとっては憎き獣人たちを仕留められる良い機会だった。それを奪ったのが魔王であるイヴェアムというのが信じられないのだろう。


「……返す言葉もない。しかし、私は『魔人族』を守りたい」

「守れますぞ! 奴らがどんな力を得ようとも我々『魔人族』が戦争には勝利できました!」

「違う」

「……は?」

「もし戦争をやっていたら……なるほど、マリオネが言うように勝利を得ることができたかもしれない。それだけの力は自惚れではないが魔人にはあると私も思う」

「なら何故!」

「それでもだ! ……それでも多くの血が流れるだろう?」

「む……何を甘いことを! 戦争なのです! 当然のことですぞ!」

「それが嫌なのだっ!」


 イヴェアムはあらん限りの声を発して否定する。瞬間シーンと場が静まりかえる。


「傷つくだけではない。死者だって双方に出る。無傷の勝利など有り得ない!」

「そ、それは確かにそうですが、勝つことが全てでしょう! 皆は命を懸けて戦いに臨むのです!」

「誤解だらけの戦争で命を懸けて良いものではないっ!」


 イヴェアムには戦いたくないという意思がある。だが他の種族は、『魔人族』の王が戦いを望み、他種族を根絶やしにしようとしていると勘違いしているのだ。


「もう先王の時代ではない。我々には我々の作る未来がある。何故そこが分からない? 全てを滅ぼし、誰かが頂点に立たなければ成り立たない世界などない。親がいて、兄弟がいて、友がいて、恋人がいて……そんな家族が傍にいるだけで平和に暮らせるはずだ」

「絵空事です! 陛下は現況を全く理解してはおられん! 確かに他種族同士の諍いに火を点けたのは先王でしょう! しかしその火種はもう戦火となっておるのです! 『魔人族』も家族を守るために戦うしかないのです!」

「火を点けたのなら、消すことができるのも道理であろう!」

「それは力でしか消すことはできませんぞ! 陛下の言う甘っちょろい言葉で治まるほどの弱火ではありません! 奴らだって、何か方法を考えてこちらの大陸に渡ってくるはず! するとまた戦いです! 積もりに積もった憎しみがある以上、戦いの連鎖は断ち切れるわけがないのです!」


 二人が(せき)を切ったかのように言い争っていると、その間に入るように言葉を放ってきた人物がいた。アクウィナスである。


「二人とも、もうよせ」

「アクウィナス……」

「何を言うかっ! そもそもお前が陛下と同じ愚行を――」

「それ以上言うな」

「な、何だと……?」


 アクウィナスが鋭い視線をマリオネに向けるが、彼も負けじと目を充血させ睨み返す。


「それ以上のことを言えば、侮辱罪に当たるぞ」

「くっ……!?」


 確かにいくら頭に血が上っているとはいえ、国王であるイヴェアムの行為を愚行と決定するのは侮辱に当たる。


「そうねぇ~、すこ~し頭を冷やしたらどうかしらマリオネ?」


 宥めるシュブラーズの言葉を受け、マリオネは鼻で息を吐き言葉を止める。


「まあねぇ~、陛下の気持ちもマリオネの言い分も、どちらも理はあると思うのよぉ~。けど、もう橋を壊してしまった以上、事態は進んでしまったというわけよねぇ~。となるとぉ、ここで起こったことをアレコレ文句言うよりも、これからのことを考えた方が建設的じゃないかしらぁ?」


 イヴェアムもマリオネも、シュブラーズの言葉の正論さに反論はできなかった。


「それで陛下ぁ? これからのことは当然考えてるんでしょ?」

「もちろんだ。恐らく『獣人族』は何らかの方法を使い、再びこちらを攻めようとしてくるだろう。その時間が貴重になる」

「そうねぇ~」

「その時間を利用して、『獣人族』が攻めるには無理だと判断させるだけの実を得なければならない」


 確かにそんな方法があるのなら、これ以上戦争を仕掛けてくることは無くなるかもしれない。だが皆はそんな方法があるとは思えず一様に眉をひそめてイヴェアムを注視する。


「そんな方法があるかしらぁ?」


 イヴェアムは静かに目を閉じ、薄い唇を静かに震わせる。


「我々『魔人族』は――――――――――――――――――――――『人間族』と手を結ぶ」


 その場の空気が凍りついた瞬間だった。耳を疑う者ばかりだ。まさか彼女の口から、この状況でそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。


「な、な……何を仰ってるのです、陛下?」


 やはり先に言を発したのはマリオネ。


「何度も言うぞ。『魔人族』は『人間族』と手を結ぶ」

「不可能だっ! 何を仰ってるのですかっ! この期に及んで今度は『人間族』ですか? ふざけるのも――」

「ふざけてなどおらんっ!」

「な……にを……」

「此度の戦争のことで、傍観者であった『人間族』は、少なくとも『魔人族』の見方を少しは変えたはずだ」

「……どういうことですかな?」


 イヴェアムの物言いに、マリオネは幾分冷静になる。


「親書だ」

「親書? ああ、あの和睦交渉に何度も送ったが、返事すらなかった代物ですか?」


 かなり嫌味成分が含まれているが、イヴェアムは気にせず続ける。


「そうだ。戦争の前では、親書の信憑性は薄かっただろう。一度こちらが裏切っているのだからな」


 以前に先王が親書を利用して『人間族』を罠に嵌めた経験があるのだ。


「しかし、此度の我々の行動で、戦争を望んでいないという意思は伝わったと思う。少なくとも疑問の余地は大いに出たはずだ」


 確かに『人間族』の国王であるルドルフが、今回傍観に徹したのは、親書の評価を確かめたかったという意思もあったからかもしれない。


「なら、これからこちらの出方次第で、対談に持ち込める可能性だって出てくる」

「対談……ですと?」

「ああ、無論了承を得られるのであれば、私自身が人間界へと赴く用意もある」

「馬鹿なっ! そんなことをすれば、今度は逆にこちらが!」

「ああ、裏切りに遭うかもしれん」

「な、なら!」

「だが、そうでもしなければ信用など得られん」

「く……!」


 イヴェアムの覚悟を秘めた真剣な眼差しに、本気で語っていることを理解させられるマリオネたち。


「無論最大限の注意は払う。テッケイルにも人間界に向かわせて、内部調査をしてもらう」

「し、しかしそれでも!」


 対談となれば要求する側として、魔人側がある程度のリスクは負わなければならない。恐らく護衛も限定されるだろう。向こうは全戦力で取り囲むことだって可能だ。何せ向こうの大陸で対談するのだから。

 そんな危険な場所に、自分たちの王を向かわせるのは正直有り得ないはずだ。


「あ、あなたは魔王なのですぞ?」


 狼狽したように言葉を並べるマリオネだが、イヴェアムは悟ったように笑う。


「ああそうだ。だからこそ、こういう場で揺るがず立ち向かうのだ」


 皆もその言葉を受け、静かにイヴェアムを見つめる。


「たとえどんなに危険な場所でも、私は『魔人族』のためなら、泥に塗れようが、四肢が捥がれようが、喜んで死地に向かおう」


 マリオネ自身、イヴェアムは甘く、思慮の足りない小娘同然だと考えていた。理想論ばかりが頭の中にあり、現実を見ていない馬鹿な子供のままだと。


(馬鹿が馬鹿のまま進むということか……)


 彼女の瞳には今、何の揺らぎも見当たらない。本心で語り、本気の意思を伝えているのだ。幼過ぎる思考。とても国王が示す決断などではない。

 先王があまりにも早く死んでしまい、突如王を継ぐことになってしまったことが起因しているとしても、やはり絵空事しか言えない子供。


「…………ワシは許可できませんぞ。あなたは自分の命を軽んじ過ぎてますからな」

「分かっている。それでも私は前に進む。それで変わる未来があると信じている。動かずに後悔するのはもうたくさんだ」


 今回のように、まだ大丈夫だろうと思い戦争に至ることは決して許されない。手遅れは全てを台無しにしてしまうことだってある。


「とにもかくにも、全ては『人間族』次第ですぞ?」

「ああ、許可が出るまで何度も頼み込む。対談に持ち込まなければ話にはならない」

「そうねぇ~、もし『人間族』と手を組めたら、さすがの『獣人族』も『人間族』と『魔人族』の同盟にはおいそれと手を出せないでしょうしねぇ~」


 シュブラーズが言うと、イヴェアムは頷きを返す。そうすれば互いに牽制しつつも、下手に戦争などという暴挙に出ることはないと考えているのだ。


「だけどですね、『獣人族』だって手をこまねいて見てるわけないでしょうし、何かしらの手は打ってくるかもしんねえですよ? それに奴らに魔界に渡る他の方法もあるかもしれねえし……そんなもんがあったらダルいですよ?」


 グレイアルドの言うことも尤もだ。いくら時間を稼げたとしても、その時間、『獣人族』が何もしないなんていうことは絶対に有り得ない。時間は限られているということだ。


「グレイアルドの言う通りだ。キリア、さっそく親書を書く。用意を頼む」


 今まで静かにイヴェアムの隣に立っていたキリアが、「御意」と言い頭を下げる。


「今日は解散だ。現状に何か変化があれば即座に招集をかける。では解散!」


 イヴェアムの言葉で皆が部屋から出て行く。残ったのは前回と同じアクウィナスと《序列四位》のオーノウスだ。


「俺だけには言っておいてほしかったな、アクウィナス」


 オーノウスにも今回の橋壊滅作戦の件は知らされていなかった。


「悪かったな。だがお前の身辺ではマリオネの部下の息がちらほらと見かけるのでな。話すに話せなかった」

「そうだな。俺はマリオネ殿には信用されていないようだしな」

「あまりにも度が過ぎる様なら言え。何とかする」

「いや、それには及ばん。その気になれば一人でどうとでもできる」


 クスッと笑みを浮かべてオーノウスが肩を竦める。そして彼が再び口を開く。


「それにしても陛下の決定はどう思う?」

「同盟のことか?」

「ああ。あまりに無茶だと思うが?」

「無茶だが無理ではない……らしい」

「……なるほど」


 一瞬キョトンとしたが、確かに言葉上では無茶というのはまだ可能性があるということ。


「しかし同盟か……『獣人族』は黙ってはいないだろうな」

「ああ」

「それにだ、『人間族』にだって『魔人族』を倒すために勇者まで召喚したと聞く。これは一筋縄どころではないな」

「ああ」

「アクウィナスよ、成功すると思うか?」

「…………それは分からんな。……ただ」

「ただ?」

「我々がするべきことは陛下を守ることだ。最悪……全てを滅ぼすことになってもな」

「…………そうならないことを願うな。俺も無闇に命を奪いたくはない」


 アクウィナスは席を立ち移動しようとして不意に足を止める。そのままの状態で喋る。


「陛下は間違っていることが多い。だがそれでも我々の王だ。誰にも潰させるわけにはいかん」

「ああ」

「フッ、それにしてもまさか陛下から橋を潰すと聞いた時は驚いたがな」

「よくもまあ思いつかれたものだ」

「そうだな。キリアもまた驚いていた。最初から考えていたことなのか……それとも……」

「それとも?」

「……いや、何でもない。これからやることは多いぞ、オーノウス」

「俺たちはただ陛下を支えるだけだ」

「……ああ」


 互いにやるべきことを背負い、部屋から去って行った。







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