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53:試験合格

「――ん?」

「どうしたアノールド?」

「いや、何でもねえよ、姉ちゃん」


 何だろうか、アノールドには今、ミュアの声が聞こえたような気がした。


「ミュア、大丈夫かな」

「保護者のアンタが信じなくてどうすんだい?」

「けどさ、やっぱ心配なんだっての」


 ライブに突っかかるように言ってしまう。

 ミュアが一人でクエストをするなど初めてのことだ。それに失敗すれば、あのララシークのことだから、本当に弟子の件を破棄する可能性が高い。彼女のことを知っているから心配になるのだ。


「アノールド……ミュアは、大丈夫」

「ウイ……。はは、ありがとな。そうだよな! 俺が信じなきゃ誰が信じるっていうんだ!」

「ん……それでこそアノールド。小さい子好き、本領発揮」

「ちょぉぉっと待てウイィッ! 何言っちゃってんのっ!?」


 傍にいたククリアが、危険を感じたのか、ウィンカァを抱えてその場を離れる。


「アノールド……」

「そ、そんな憐みの目で俺を見んなよ姉ちゃんっ! 俺はノーマルだからっ! むしろバインバインが好きだからっ!」


 さらにククリアが不審な表情でウィンカァを遠ざけていく。


(しまったァァァッ! ウイはバインバインだったァァァァッ!?)


 見事に発言を間違ってしまった。


「ああもう! 俺はノーマルなんだからなァァァァッ! そうだろミュアァァァァァッ!」


 アノールドの悲しき叫びが《王樹》にこだました。



     ※



 ミュアの耳にふとアノールドの声が届く。

 それは風の仕業なのか、それとも幻聴なのか分からない。だが確かに彼の声が背中を押そうとしてくれているような気がする。

 ミミルは背後でただ何も言わず見守っているだけ。ミュアはそっと卵に手を伸ばす。だがその時、雛鳥の目がミュアを捉える。無邪気で穢れの知らない真っ直ぐな瞳。


「…………そう、だよね。だって、あなたの弟さんか妹さんが産まれてくるんだもんね」

 ミュアは手を引っ込め、卵に背を向けた。


「……ミュアちゃん?」


「ミミルちゃん、わたし決めた。《大樹の実り》…………いらないや」

「…………でもそれでは、念願の修業というものが受けられないのでは?」

「うん。だけど、わたしにはおじさんがいる。ララシークさんに教わらなくても、道さえ間違えなきゃ、きっと強くなれるよ」

「…………」

「それに、どんだけ強くなっても、人としての心が汚れちゃってたら、それは強さじゃないっておじさんに教わった。わたしは強くなりたい。でも、心も強くなりたいの。ここでみんなが大切にしているものを奪わなきゃ得られない強さなんて、わたしが望んだ強さじゃない」


 望んだ強さというのは、誰かを守るために揮う強さ。何ものにも揺るがない心の強さ。

 ミュアの脳裏に今まで旅をしてきた仲間たちの顔が浮かぶ。それぞれが、自分の中に信念を持っている。誰にも恥じない強さ。それが   


(――――わたしが求める強さだから!)


 気持ちを決定したら、何故かスッキリした。もやもやっとしたものを先程まで感じていたが、卵を殺さなくていいと思ったら安心できたのだ。


「あ~あ、でもララシークさんをガッカリさせてしまうかなぁ」

「ふふ、それはどうでしょうか」

「え?」

「いいえ、それでは下へ戻りましょう」


 ミミルとともに下へ戻ると、兵士らしき人がキョロキョロと慌てたように何かを探し回っている。そしてミュアたちの存在に気づき、


「あっ!? ミミル様っ! 良かったぁ~。ここにおられないのでどこに行かれたのかと思い……ご無事で良かったです」

「あ、これは申し訳ありません! いつもご心配おかけしまして」

「いえいえ、ミミル様は我々にとって天使のようなお方。お守りするのは当然のことです」


 ミミルが「ありがとうございます」と深々と頭を下げる。


「あれ? ところでそちらの子は……?」

「あ、ふふふ、お友達になりました。ミュアちゃんです」


 ミュアがペコリと頭を下げると、お人好しそうな兵士はニコッと笑い、


「そうですかそうですか。それはよろしかったです。ではまた来ますので、ミミル様もお身体にお気をつけて、今日は暑いので、もう少ししたらお部屋へとお戻り下さいね」

「はい、分かりました」


 ミミルは笑顔で兵士に答えると、兵士は嬉しそうにニッと笑いその場から去っていった。

 そして歩きながら兵士は鼻歌混じりに言葉を発する。


「いや~相変わらずミミル様は可愛いよなぁ。それにあの声、またいつかあの方の歌を聴きたいもんだよ。あ、そうか、いつでも聴けるか。だってミミル様は声が…………こえ……が…………あれぇ? ……こ、声が――」


 足を止め、手に持っていた槍を下にカランカランと落とす。

 大きく目を剥き、限界いっぱいに口を開け切って、


「戻ってるゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウッッッッッッッ!?」


 《王樹》中にその叫び声が轟いたという。



     ※



「ん? 何だ今の叫び声?」


 食堂まで響いてきた突然の叫び声に、アノールドはポカンとして首を傾げていた。


「今の声……庭園の方?」


 ククリアが耳をピクピクと音を探るように動かしながら、庭園がある西側に顔を向けた。

 先程の叫び声は、かなりの異常事態を感じさせるような声である。もしそれにミュアや日色が関わっていたとしたら……。ミュアは常識があるので安心はしている。だが……。


 ここは街中ではなく、王族の住処なのだ。

 日色があの不遜な態度でうろつき回っていたとしたら、兵士に見つかって捕らえられることもあるだろうし、間違って王族の私室などに入ったらと思うと、アノールドは今になって背中に汗が滲み出てきた。


(も、もしヒイロが人間ってことがバレて、更にアイツがバカな事をしでかしてたら、俺もただじゃすまなさそうだよなぁ……あ~、頼むから騒ぎだけは起こすなよぉ。それと今の叫びにどうかヒイロが関わっていませんように!)


 心の中で必死に願うアノールド。


「ちょっと気になるから庭園の方に行くわね。あなたたちもついてくる? さっき言ったミミルもいると思うし」


 ククリアがアノールドたち気軽に声をかけてくる。


「確か妹さんですよね?」


 アノールドが確認を取る。


「ええ、まだ九歳だけど、大人顔負けの考え方を持ってるわよ。頭なんてアタシとは比較にならないくらい良いし。それに歌――」

「うた?」

「あ、ううん! とにかく行ってみましょ!」


 何やら言いかけていたことが気にはなったが、彼女は口を噤んで歩を進めるので、アノールドたちも慌てて後ろについて行く。

 だがふとアノールドは足を止めて、いまだに席に腰を落ち着かせているライブを見る。


「あ、姉ちゃんどうするんだ?」

「私は仕事があるからね。アンタと違って暇じゃないんだよ」

「はいはいそうかよ、悪かったな暇人で!」


 ククリアはそんな二人のやり取りを見て楽しそうに微笑む。

 アノールドの姉のライブだけを残して、ウィンカァはハネマルとともに庭園の方へ向かうことになった。



     ※



 庭園の入口では、多くの兵士が占領していた。

 まるで事件現場の野次馬のような感じだ。


「一体どうしたってのっ!?」


 叫び声を聞いて駆けつけたククリアたちは、兵士たちを見て何事かと思い目を見張っていた。その状況を見てククリアが、焦燥感を表情に出して声を張り上げる。

 まさか庭園に何かあったのか。それはミミルが関わっているのかと思ってゾッとする。


「ミミルは! ミミルはどこよっ!?」

「あ、ククリア様!? じ、実は――」


 もしミミルに何か不幸なことがあったのなら、皆の顔は絶望に彩られているはず。

 しかし今、この場にいる全員の顔を見て、ククリアは戸惑いを隠せないでいる。

 何故なら誰もかれもが、涙を流さんばかりに喜びの表情を見せているからだ。いや、中には涙を流している者までいる。


「い、一体何があったっていうの……?」


 兵士たちの異様な姿にククリアは度肝を抜かれて呆気にとられる。

 それほど嬉しいことがあったのかと不思議に思う。


「ど、どうしたの? どうしてそんな顔をしてるのよ?」

「ミミル様が……ミミル様が……うぅ……!」

「ああもう! ハッキリしなさい! ミミルがどうしたのよ! というかミミルはどこ!」

「ここです、クーお姉さま」


 ピタッとククリアは全身の動きを止めた。


(今聞いたのは……な……に?)


 耳を疑わずにいられなかった。だが忘れるわけはなかった。

 今聞いた声は、確かに数年前に聞き覚えのある声。だが有り得ない。もう一度聞きたいと思いながらも、恐らく無理だろうと周囲の者も諦めていた声だった。

 だからこそ、今耳に入ってきた声は幻聴だと思ってしまうのも当然。だが身体を硬直させて時を止めていたククリアの目の前に、ゆっくりと一人の少女が現れる。


 ククリアの視界に、朝一緒に食事をした少女の姿と、何ら変わりない姿が映し出された。

 瞬きも忘れて彼女を見つめる。いや、よく見てみると、一つだけ気になることがあった。

 普段から手放すことの無い筆談用の紙と板を携帯していない。どうしたのだろうかと思っていると、静かに少女の唇が動く。


「クーお姉さま」

「――っ!?」


 もう間違いなかった。今ククリアの目の前で、妹のミミルが口を開いている。愛しささえ感じる、その愛らしい声を滑らかに発している。


「ど……どう……し……て……?」


 信じられなかった。だけどこの声を聞き間違うわけがない。ミミルの声だと強く認識させられた。


「また……一緒に歌を唄えます」


 ミミルは震える唇を動かし、涙を流す。そんな彼女の姿を見て、ククリアは感極まりミミルにギュッと抱きつく。


「く、苦しいです、クーお姉さま」


 片目を閉じながら苦しさを感じているようだが、ククリアの喜びが伝わってきているのか穏やかな微笑みは崩さないミミル。


「夢じゃない……のね……! 良かった……良かったぁ……良かったよぉ~っ!」

「ぃ……はぃ……はいぃ……!」


 ククリアもミミルも両目から大粒の涙を流す。周りの兵士たちからも盛大に拍手が二人を贈られている。

 ゆっくりとククリアが、自分の顔をミミルの正面にまで持ってきた。ミミルの涙を自分の指でそっと拭ってやる。


「で、でもどうして? どうして急に声が?」


 一番の疑問だった。どんな名医でも、【パシオン】が誇る最高の研究者でも治せなかったミミルの障害。

 それが突然治ったことに、喜びがもちろん一番大きいのだが、やはりその原因を知りたい。そう思うのは当然のことだった。


「そ、それはですね……」


 ククリアは彼女の小さな唇から真実が紡がれるのをジッと待つ。

 だが彼女は言い難そうな表情を浮かべて、視線を上の方へ移動させる。何か言えないことでもあるのだろうかと不思議に思う。

 まるで、本当は言いたいのだが、言ってはいけないことでもあるような様子である。


「ミミル?」


 いつまでもミミルが答えないので、ククリアが言葉にし易いように背中を押す。

 ミミルは傍にいるミュアを一瞥すると、苦笑交じりに答え出す。


「……ミ、ミミルにも分からないのです」

「そ、そうなの?」

「はい。今日はあまりにも風が気持ちいいので、庭園で日向ぼっこをしていたのです。それでウトウトとして、目が覚めたら何と声が戻っていたのです」


 ククリアは思わずポカンとしてしまう。そんなことがあるものだろうか……。

 だが普段嘘など言わないミミルが、そう言うのだとしたら本当なのかもしれない。無論全く以て釈然としないが。

 するとククリアの訝しむような表情に気づき、ミミルは少々慌てた様子で言葉を繋ぐ。


「ゆ、夢の中でですね、せ、精霊さんが出てこられました!」

「ええ? せ、精霊が?」

「は、はい。そしてその精霊さんが仰いました。『これは貸しだ。いつか返してもらう。忘れるな』と。もしかしたら精霊さんが気まぐれで治して頂けたのかも……」


 何となくミミルの言葉に取り繕った感じを覚えたが、ミミルが必死になってそう言うのであれば、ククリアもまた信じてあげようと思った。

 しかしその言葉を聞いて顔を青ざめた者たちがククリアの背後にいた。それはミミルたちを見ていたアノールドだった。



     ※



(おいおい、今の言葉って…………まさか……だよな?)


 話の流れから考えるに、ミミルは声を失っていて、突如復活したらしい。

 しかもククリアの喜びようから、相当に重い症状だったように見受けられた。しかしそれがただ寝ていただけで元に戻った。まあ、有り得ないだろう……と思う。

 ミミルは精霊に治してもらったと言ったが、そんなことを精霊がするだろうか。

 そもそもたとえ精霊が治したとしても、見返りなどを求めたりはしないような気がする。あのような言葉を残してだ。


 その言葉遣い、アノールドには別の人物が言ったような気がした。自分がよく知っている横柄な態度の少年がだ。


(こ、これは一応確かめといた方がいいんじゃ……)


 何故かミミルの傍にいたミュアなら、状況を把握しているかもしれない。アノールドは彼女に近づくと、耳打ちするように近づいて問い(ただ)す。


「な、なあ今の話ってもしかして……」

「あ、それはね、おじさん」


 ミュアがこっそりと真実を教えてくれた。


「はあっ!? アイツがミミル様のこえぶっ!?」

「おじさんっ! 静かにっ!」


 ミュアに口を塞がれてしまう。いきなり叫んだアノールドに、兵士たちが怪訝な表情で見つめてくる。


「わ、悪い悪い。けどよ、アイツが何のためにそんなことしたんだ? 相手は王女だぞ? 病気とか一瞬で……まあアイツなら治せそうだけど、そんなことすりゃ目立っちまうし」

「で、でも間違いなくヒイロさんだよ」

「まあ、お前が彼女から話を聞いたんだったらそうなんだろうけどよぉ」


 まさしくアノールドが思い描いている少年――日色が実際に起こした行動らしい。しかしまだ日色が本当にやったのかどうかちょっと疑っている部分もある。

 その理由としては、メリットが無いように思えるからだ。

 基本騒がしいのが嫌いな日色にとって、目立つ行為は今まで積極的に避けてきた。特に彼は獣人ではないので、殊更に自分の魔法だけはバレないように気を付けていたはず。


(まあ、食べ物や本が絡むと暴走するんだけどな……)


 しかし普段の日色なら、損得を考えてこんなことはしないものだと理解している。

 だからこそ、こんな国の柱とも言うべき《王樹》で、しかも王女相手に魔法を使うとは考えられなかった。

 だが王女の言葉一瞬で病を治す不可思議な現象。それらを考慮してみると、どうも自分が知っている少年が思い浮かんでくる。


「ヒイロだとして、一応口止めはしてるみてえだ。王女の様子からしてヒイロとは会ってるんだろ?」

「うん、そうらしいよ」

「まあ、夢の中に現れた精霊が治したってのは、結構ぶっとんだ話だけど、獣人ってのは結構そういう神秘的で奇跡的な話に弱えからな」


 精霊を友と信じる獣人にとっては、ナイスな言い訳なのかもしれない。


(それにしてもあの野郎……とんでもねえことしやがって)


 不可能を可能にしたことは何度もあるが、これはさすがに大事過ぎやしないかと肩が落ちる思いだった。

 

     




「とにかく良かったよぉ! 精霊のお蔭かどうかはまだ分からないけど、きっとパパたちも大喜びしてくれるわ!」


 ククリアや周りの兵士たちの喜びは凄いものだ。ただそれだけに、本当に大事になるようなことをしてくれたなと思っているようで、アノールドは盛大に溜め息を漏らす。


「あ、あのクーお姉さま? そちらの方々は?」

「え? ああ、そうだね、紹介するよ。あなたたちもこっちに来て」


 ククリアの言葉に従って、アノールドとウィンカァは近づく。

 アノールドたちは失礼のないように自己紹介を済ませる。

 自己紹介を受け、ミミルがふっくらしている頬を緩めて、可愛らしい笑みを浮かべながら、スカートの両端を持ち上げて会釈をする。


「わたくしは【獣王国・パシオン】の第二王女――ミミル・キングと申します。よろしくお願いいたします」


 気品を感じさせる丁寧な挨拶に、アノールドはつられた感じで同じように頭を下げる。幼くても王女。失礼があってはならないと気を付けている。

 特にアノールドの場合、自分のしわ寄せが姉のライブにいくかもしれないので尚更注意をしているのだ。


「……似てらっしゃいます」


 ミミルがアノールドの顔を見て呟く。アノールドは「え?」と声を出す。


「ライブさんの弟さんなのですね。特に目元が一緒です」


 クスッと笑う彼女を見て、アノールドは恐縮したように頭をかく。


「でもお耳が……」

「あ、それは以前ちょっと……」

「あ、申し訳ございません! お聞きしてはいけないことかもしれないのに!」

「あ、いいえ! こちらこそ、気を遣わせてしまってすみません!」


 アノールドが、少女に対して何度も頭を下げる様は、何ともおかしさを感じさせるだろう。そこでククリアが手をパンと叩く。


「あ、そうだ! ミミルが治ったこと、ママに知らせてくるからここで待ってて!」


 それだけ言うと彼女は一目散に駆けて行った。余程ミミルが治ったことが嬉しいのか、その顔はずっと笑顔のままだった。

 残された兵士たちに見守られ、アノールドが口を開く。


「ところでミュアは何でミミル様と一緒に?」

「あ、それはね。《大樹の実り》がある場所を教えてもらったんだ」

「何! それで? 手に入れたのか!」

「……それはララシークさんの前で言うね」

「え……あ、そっか。まあ、別に構わねえけど」

「もしかしてもうお帰りになられるのでしょうか?」 


 ミミルが寂しそうに声をかけてくる。


「うん、ごめんねミミルちゃん。でもまた会いにくるよ。すぐにでもね!」

「……! はい。お待ちしています!」


 そこへミミルが顔を近づけてくる。小声が耳をくすぐってきた。


「あ、あの、できればその時はヒイロさまもどうかご一緒に」


 頬を赤く染めて照れながら言う彼女を思わず可愛いと思い抱きしめてしまったミュア。


「うん、何とか交渉してみるからね!」


 ミュアの返答に対して、ミミルはそれまで見せたことの無い笑顔を浮かべていた。



     ※



 《王樹》から一足先に出た日色は、店で果物を買って食べながら散策していた。

 そこへ試練を終えたのか、ミュアたちと街中で鉢合わせすることに。

 アノールドから、突然いなくなったこととか、ミミルの声を治したことなどを説教混じりに注意されたが、軽く右から左へ受け流しておく。


 それより気になるのはミュアの顔つきだった。何かを覚悟しているような表情。


「……チビ、試練はどうだったんだ?」

「ヒイロさん……一緒に来てください」


 ミュアに頼まれ、手に持った果物を喉へと押し流すと「行くか」と言って、皆と一緒にララシークのところへ戻っていく。

 彼女は地下室で、酒を抱えて眠りこけていた。この在り様を見ると、ただのダメ人間だ。


 いや、ダメウサギか……。


「ふわぁ~、何だよまだ眠いのにぃ……」

「試練を出したのは師匠でしょうに」

「おお、そうだったな。そんで? 《大樹の実り》は手に入れたか?」


 ララシークがクイッと口角を上げると、ミュアに視線を置く。緊張感が周囲を包む。

 ただ一つの音。ミュアの喉が鳴った音だけが響く。


「……すみませんでしたっ!」


 突然の謝罪。日色とウィンカァはともかく、アノールドは呆気にとられた様子だ。


「え? あ、ちょ……ミュア? 謝って……もしかして手に入れられなかったのか?」

「……うん」

「でもミミル様に案内してもらったんだよな?」


 彼の言葉にララシークの目が細くなったのを日色は確認した。


「うん。目の前まで行ったよ。手を伸ばせば手にできた」

「な、なら何で取ってこなかったんだ?」


 咎めるような言い方ではない。なるべく追い詰めないようにしようという彼の優しさが伝わってくる。ただ日色も気にはなる。そこまで行って、何故入手を拒んだのか……。


「わたしは、誰かを傷つけなければ得られない強さなんかいりません」


 ララシークが「……ほう」と小さく声を漏らす。


「ララシークさんの言う試練をこなせなかったのは事実ですから、弟子の話はダメだと思います。でも…………この選択は間違ってないとわたしは思っています!」


 強い瞳だ。迷いのない綺麗な海色に輝く双眸。


「ミュア、ホントーにそれでいいのか? 今ならまだ取ってくれば許してやるぜ?」

「いいえ。一度口にしたことは曲げたくありません」

「ワタシに教えてもらった方が、遥かに強くなれるぜ?」

「それでも……です。たとえ時間がかかっても強くなります。わたしは諦めません!」


 彼女にどんな選択が迫られたのかは知らない。ただこの試練で何となくだが、大きく成長したのではないかという錯覚さえ覚えさせる。

 アノールドも感じているのか、最初は戸惑いを感じていたような様子だったが、すぐに頬を緩めて彼女の頭にそっと手を置く。


「そっか。お前が決めたんなら、そりゃしょうがねえわな」

「おじさん……」

「悪いな師匠。ホントは師匠に教えてもらいたかったけど、試練が失敗したんじゃしょうがねえ。約束は約束だからな。なぁに、俺だって長いこと旅してきてんだ。ミュアの修業くらい俺が――」

「ナーッハッハッハッハッハッ!」


 突然甲高い声で笑い声を飛ばすララシークに、全員がキョトンとしてしまう。


「し、師匠……?」

「ククククク……いやはや、まったく面白い器を拾ってきたもんだよ、アノールド」

「……はい?」

「いいだろう。合格だ」

「「……え……ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」


 ミュアとアノールドがハモる。


「ど、どどどどどういうことですか師匠っ!」

「あ~あ~、説明してやっから、その暑苦しい顔を近づけんなバカ」

「ひ、酷い言い方……」


 アノールドにはショックが大きかったのか膝をついている。


「ミュアはもう知ってると思うが、《大樹の実り》ってのはこの国に住む者たちが大切にしている命そのものだ。ここに持ってくるには、殺す必要がある」

「なっ!? そ、そんなもんをミュアに持ってこさせようとしてたのかよっ!」


 アノールドの憤慨は当然だろう。ミュアにその命を奪えと言っているようなものだ。


「落ち着け。けどミュアは持ってこなかった。それが正しい選択だ」

「へ? そ、そうなの?」

「言ったろ? ミュアは合格だって。つうかな、人の大切なものを奪ってまで、弟子にして下さいなんて言う奴は、このワタシが自らぶっ飛ばしてやるよ」

「あ、あの……もしミュアが《大樹の実り》を持ってきてたら?」

「そん時は、良くてワタシの実験材料だな。悪くて即死」


 その言葉にミュアとアノールドは顔を真っ青にして大きな溜め息を吐いている。

 ミュアに至っては「取って来なくて良かったぁ~」と心底安堵して脱力中だ。


「とにかく、この試練で見たかったのは、ミュアの心の在り方だ。この子はそれに見事答えた。いいぜ、弟子にしてやるよ」

「おおぉぉぉっ! やったぜミュアァァァッ!」

「うん! わたしやったよおじさんっ!」


 互いに抱擁して喜び合う。余程嬉しいのか、ミュアは涙まで流している。


「ん……良かった、ミュア」

「ありがとうございます、ウイさん」

「まあ、まだスタートラインに立っただけだ。これからだぞ、チビ」

「はい、ヒイロさん!」


 それでも、彼女にとっては大きな一歩になったはずだと日色は思う。


「あ、でも修業はちょっと待てよ。戦争がどう転ぶかによっては、おちおち修業どころじゃなくなるからな」


 ホッとしたのも束の間、ララシークが懸念を口にする。戦争で勝てば問題はないが、もし負ければこの国ごと滅ぼされる可能性だってある。


「あ~そっかぁ。戦争のことがあった。つうか師匠なら戦争を始める前に止められたんじゃないですか?」

「言って聞くような奴らなら良かったがな。特に《化装術》を手に入れた奴らの有頂天ぶりには呆れるばかりだ。上には上がいるっていうのにな」

「師匠の一言でも止まらねえのか……」

「まあ、ワタシはただの元武術指南役だからな。そんな権限はねえ。尤も、クソ兄ほどの功績がありゃ一考ぐれえはしたかもしんねえがな」

「そうですか……いや、師匠の功績も物凄いと思うんですが……」


 何たって《獣人族》の拠り所である《化装術》を編み出したのだから。だがララシークはそれが凄いなどと毛ほども思っていないようだ。


「戦争だ。痛い目を見て逃げ帰って来れたらまだマシだが……」


 そう、これは喧嘩ではない。

 相手の強さを感じ、自らの弱さを認識できて、冷静に引くことができるか……。

 彼らの性格上、痛い目どころか、たとえ逃げられたとしても取り返しのつかない結果を抱えて帰ってくる可能性が高い。


「ホントに獣人は単純(バカ)だからな。全滅ってこともありえるなこりゃ。そうなりゃこの国も終わる……かもな」

「そ、そんな……」


 声を出して青ざめたのはミュアだった。全滅なんてことになったらそれこそ『獣人族』の将来が終わりに近づく。

 たとえ『魔人族』が獣人界に攻めてこなかったとしても、好機と捉えて『人間族』が侵略してくる可能性だってあるのだ。

 そんなことになったら、獣人の未来は人間に支配されることになる。アノールドもミュア同様に背筋に冷たいものを感じているのか、言葉を失っている。


 人間の恐ろしさは、魔力の多さでも生命力の強さでもない。

 その傲慢とも呼べるほどの支配欲だろう。そうでなかったら獣人を家畜奴隷にしようなんて考えは浮かばないはず。

 それに獣人排斥集団のような存在も生まれないだろう。しかし現実はそうではない。


「ど、どうにかならないんですか?」


 アノールドの不安気な声。せっかく修業の件が上手くいったのに、これで御破算などということになったら目も当てられないに違いない。ララシークは呆れたように肩を竦める。


「さっきも言ったろ? なるようにしかならんな」

「そ、そんな……」

「それとも何か? お前が戦争に勝つために手助けしてくるか? そんな弱っちい腕で?」


 ララシークの言葉にムッとした表情を浮かべるアノールドだが、彼女の言うことは正しい。

 彼が戦争に行ったとしても、状況は何も変わらない。少しだけ魔人の死体が増える可能性が出るだけ。もしかしたら、ただ単に獣人の死体が一体分増えるだけかもしれない。

 悔しそうに歯を食い縛っているアノールドを見て、ララシークはやれやれと首を振る。


「まあ、戦争の意思は完全には止められねえが、先延ばしにすることは理論上なら可能だ」

「そ、そんな方法があるんですか!?」


 アノールドも必死で思考を巡らせたが、良い解答を得られなかったようで、驚愕に色を顔に出している。だがミュアだけは日色を凝視している。


「まあな。しかも上手くいけば双方ほぼ――無傷」

「そ、その方法は?」

「言っただろ? 理論上は……だ」

「え?」

「そんなことするメリットが双方にあるとは思えんし、またできる奴がいるともなぁ」


 顎に手を当てて思案顔をするララシークを見てアノールドは首を傾げる。


「い、一体その方法って?」

「ん? そっちの坊主は分かるか?」


 ララシークの視界に日色が映る。

 日色は普段通りの憮然とした態度で一言、「ああ」とだけ言うと、肯定の言葉にアノールドは口をポカンと開ける。


「ほう」


 日色の言葉にララシークは目を光らせる。


「お、お前ヒイロ、マ、マジで分かるのか?」

「というかそれくらい分かるだろ? 寝惚けてるのかオッサン」

「ナハハハハ! 年下にそう言われたら立つ瀬がねえな、アノールド!」

「ぐぬぬぬぬ…………ああもう! いいだろ! 教えろよぉ!」


 日色はミュアの眼を見た。彼女はゴクリと喉を鳴らしている。恐らく彼女は妖精のオルンから聞いているはずなので、日色に聞いて、再度確かめようという意志が伝わってきた。


「言ってみな坊主。合ってるかどうか確かめてやるよ」


 試すように厭らしく口角を上げるララシークが日色を見てきたので、日色はその視線に苛立ちを覚える。

 だがこのまま黙り込んでいても、アノールドたちの視線も鬱陶しいので、諦めて言葉にすることにした。



「……はぁ、いいかよく聞けよ、その方法は――――…………」





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