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52:ミュアの試練

 日色の言葉にいまだ反応せず、ポカンとしたままのミミルを見てイラッとした日色が、彼女穏小さな額に右手を近づけ軽くデコピンをする。


「……ゃ」


 突然額に感じた衝撃に驚き、ミミルは両手で押さえながらだったが、確かに、そして微かに声を漏らした。

 日色の耳は確実にその声を捉えていた。


(ふぅ、どうやら成功したようだな)


 だがミミルは気づいていないらしく、慌てて紙に文字を書き込んでいく。

 それを見て日色はバッと取り上げる。何をするんですかと書きたかったのは明白。

 ハッとなった彼女が、両手を日色に向けてきて返してと言わんばかりに詰め寄ってくる。


「返してほしかったら言葉でそう言ってみろ」

「――っ!」


 言えないのは分かっているでしょう、と言うような目で見つめてくる。

 とは言っても目がウルウルしていて、若干涙目なのでまったくもって怖くもなんともない。


「いいか、オレは子供のくせに遠慮する奴は嫌いだ。痛いなら痛いと言え。苦しいなら苦しいと言え。やりたいことがあるならやりたいと言え。少なくともオレが知ってるガキは、お前よりは自分に正直だぞ」


 文字が書けないので、言いたいことが言えず下唇を悔しげに噛み締めるミミル。そんな彼女の様子を見た日色は、呆れたように軽く溜め息を吐き、板を脇に抱える。


 そして――――――――プニィ。


 日色はミミルの両頬を摘まみ左右に引っ張る。


「ひ、ひひゃぃ! ひひゃぃへふぅ!」

「ほら出たろ、声」

「…………へ? あ……え?」


 ミミルは思わず喉に手をやり、今しがた自分が発したと思われる声について戸惑いを隠せずにいるようだ。

 眼球を小刻みに動かして困惑中。しばらく彼女の時が止まっていたが、そんな彼女を無視して日色は続ける。


「いいか、お前の声を戻したのがオレだということは絶対誰にも言うな」


 何を言っているのだろうといった様子を見せるミミル。日色は今回のことを大っぴらにしてほしくはない。面倒事に巻き込まれるのは明らかだからだ。


「え……ど、どうして……でしょうか?」

「質問は無しだ。今から一方的にオレがする。それにお前は答える。納得しろ」


 矢継ぎ早の言葉に気圧されたのか、ミミルがコクコクと頷きを返す。


「よし、まずはお前、推測はしているが、王族の関係者だろ?」


 《王樹》の庭園に一人でのんびりすることを許されている時点で一般人ではない。日色はそう考えている。

 また他人との接し方が、自分を召喚した【ヴィクトリアス】の王女である、リリスと似ていた。雰囲気からも考慮して、恐らく王族に関わる子供であると判断した。 


「は、はい。ミ、ミミル・キングと申します」


 その名前を聞いて思わず舌打ちをする。


(おいおい、確か国王の名前がレオウード・キングだったな。ということは……これは思った以上の大物だったってわけか)


 王族に連なっている者だとは思っていたが、まさか国王の息女だったとは予想外だった。

 こんな所に王女を一人で遊ばせているとは、さすがに思っていなかったのだ。余程ここが安全なのだろうが……。


(まあ、それだけこの国の治安が良いんだろうけどな)


 そう考えて、次の質問を言葉にする。


「さっきも言ったがオレの力でお前を治したことは秘密だ。そもそもここでオレと会ったことも言うな。治った理由は分からないとでも他の奴らには言っておくんだな。いいな?」

「で、ですからどうして……?」

「質問は無しだと言っただろ?」



     ※



 日色の有無を言わせない態度に悲しくて目を伏せてしまう。

 ミミルにしてみれば、感謝してもし切れないことを彼はしてくれた。是非正式に《王樹》に招きたい。だがそこでふと思うことがあった。


(あ、そうです。この方は幽霊さん。皆さまには見えないのでした……)


 だから日色が頑なに喋るなと言っているのだと判断した。

 だが実際日色は焦っていたのだ。本能からくる疼きに従って、勢いでミミルの声を取り戻してはみたが、一般人に対してもそのようなことをすれば大事になるのに、それが王女ともなれば尚更だ。


 もしこれが知れ渡ると、間違いなくこの国の王族に、日色は目をつけられてしまう。自由を奪われることだけは避けたいからこそ、ミミルに口止めをしたのだろう。


「オレはもう行く。このままここにいると面倒事に巻き込まれそうなんでな」

「あ、ちょっとお待ちくださ――」

「いいか、治ったことは素直に喜べ。それが子供だ。だがオレのことは誰にも言うな」


 ミミルの言葉に被せるように言う。そしてここに来た時と同じ『透明』の文字を書く。


「あ、お名前! お名前だけでも聞かせてください!」


 それだけはと思いミミルは必死に声を張り上げた。日色が背中を向けたまま答える。


「必要ない」


 それだけ言うと、日色は透明になっていく。しかしミミルの目にはまだハッキリと日色の存在が映っている。日色はそのまま走り出し、その場から立ち去っていく。


「あっ――!」


 呼び止めようとはしたが、日色はあっという間にミミルの視界から外れていった。

 頭を落とし、ミミルは悲しさを覚えて目を細める。


(何も言えなかったです……お礼もお名前も……とても大きなプレゼントを頂いたというのに……)


 それは決して他の者では与えられないほどの大きなもの。かつて自分が失ったもので、切望したところで取り戻す見込みなどないものだった。

 不可能だった。それがミミルの中の常識だった。


 しかし日色はいとも簡単にその常識を打ち破り、ミミルに大切なものを取り返してくれた。お礼を言いたかった。名前を聞きたかった。そして何よりもっと話がしたかった。

 ふと日色がミミルから取り上げたはずの板が地面に落ちていたのに気がつき、それを拾い上げて目を見開く。


『これは貸しだ。いつか返してもらう。忘れるな』


 いつ書いたのか気がつかなかったが、小さな声で「はい」と言葉にした。そうだ、みんなには見えないのだから、自分自身がいつか恩返しをしようと心に刻みつける。


(幽霊さん……)



     ※



「なるほど、あのララシークの試練か……しかも《大樹の実り》ね。ずいぶんと嫌らしい試練だわ。何考えてるのかしら」


 ライブが第一王女のククリアに、ミュア・カストレイアたちが《王樹》にやって来た目的を教えると、彼女はララシークの試練に対して不満気に口を尖らせていた。


「試練なんかやらなくても修業くらい見てあげればいいじゃない。ワタシが言ってあげるわよ、ミュア」

「あ、その……この試練は…………わたしが望んでることでもあるんです」

「そうなの? でも《大樹の実り》が何か知らないでしょ?」

「はい。それも自分で探し、見つけて取ってこいと言われました」

「でもね、《大樹の実り》っていうのは――」

「クー様、それ以上はダメですね」

「な、何でよライブ?」

「ミュアには覚悟があるみたいですし、ここは任せてみたらどうですか?」

「あのね、あなたも《大樹の実り》が何なのか知ってるなら、そんなこととても――」


 ライブが人差し指を立てて自分の口元に持ってきて黙るようにとの仕草をする。


「とにかく、ミュアに《王樹》内を歩くことを許可して上げて下さい。何かあれば、このライブが責任を取りますから」

「…………分かったわ。まあ、悪事を働くような子にも見えないし、別に構わないわ。ミュア、《王樹》内を散策する許可を上げる」

「あ、ありがとうございます!」

「アノールドたちは留守番だよ」

「やっぱそうなるのかぁ……」 


 ライブの注意にアノールドが肩を落とす。


「当然だろ? これはミュアの試練なんだから、仲間が手を貸してどうするんだい」

「……ミュア、一人で大丈夫か?」

「うん! 絶対に《大樹の実り》を手に入れてくるから、おじさんはみんなとここで待ってて! ウイさんもハネマルも、それにヒイロ…………さんは?」


 どこを探しても見つからないいつも無愛想な少年。一緒にここまで来たはずなのに、いつの間にかいなくなっている。


「お、おじさん?」

「……ヒイロのことなら俺も知らねえぞ」

「そうなの?」

「ああ……多分《王樹》の中を探検でもしてんじゃねえか? 少し前からアイツがいなくなっていることには気づいていたけどよ、どうせまた勝手な行動をしているんだろうな。まあ、基本的に目立ちたがりじゃねえし、バカなことはしねえだろ」


 ミュアもアノールドの言葉に賛同して「そうだよね」と告げる。


「そういやウイはヒイロがいなくなったの気づいてたのか?」

「ん……ちょっと出てくるって言ってどっか行ったよ」

「……何でウイにだけに言うかなぁ」

「ウイも行きたかったけど、一人で行くって言ったから少し……残念」


 ウィンカァが寂しげに瞳を揺らす。


「アイツ……ホントに余計なこととかしてなきゃいいんだけどなぁ」

「もし会ったら戻ってくるように伝えるね!」

「おう、気を付けて行けよ」

「うん!」


 ミュアは皆に見送られて、そのまま《王樹》探索へと出かけて行った。



 ララシークに言われた――《大樹の実り》。

 ククリアの態度からは、何か大変なもののような印象を受けたが、ミュアにできることはまずは探すということだけ。


「それにしてもヒイロさんってば、どこに行ったんだろ……」


 本当にのらりくらりと、目を離すとすぐにいなくなる人である。アノールドの言うように、何か問題を起こしてなければいいのだが。

 そうして《王樹》の中を探索し続けているが、一向に手掛かりなど見つからない。やはり誰かに尋ねた方がいいのかもしれない。


 できれば話しやすそうな相手がいいと思い、誰かいないかと歩きながら視線を動かしていると、ふと階段を発見。登っていくと、陽射しが射し込んできているのが分かった。


「……外?」


 出てみると、そこは広々とした庭園だった。気持ちの良い空が上空に広がっており、目の前には緑豊かな花々や作物などが発見できる。

 しかしその中で一番目を引いた存在がいた。


 それは――――一人の少女。


(うわ~かわいい子だよぉ。あれ? でも何で子供がいるんだろう……)


 歳は自分より下だろう。だが纏っている雰囲気が大人っぽいというか、物静かで凪のような感覚を伝えてくる。


「……ふふ、今度は幽霊さんではないみたいです」

「え……幽霊さん?」

「あ、ごめんなさい。初対面の人にいきなり不躾でした。ミミル・キングと申します。よろしかったらお名前を聞かせてください」


 ………………………………え? 今、ミミル・キングって言った? キン……グ?


 相手がどうやら相当の大物だということが、そこで初めて理解できた。そうだ、ここは《王樹》の中だ。普通の子供がいるわけがないのだ。

 第一王女であるククリアが名乗った“キング”の名前。つまり今、目の間にいるのは紛うことなき王族の血を引く存在だということ。


「あのぉ、どうかされましたか?」

「は、ははははいっ!? い、いいいいいきなりここへ来てしまって申し訳ありませんでした王女様っ!」


 ガチガチに身体を固くして、息を飲む。そんなミュアを見てミミルはクスリと笑う。


「ふふ、普通にしてください。よろしかったら、ミミルとお友達になってくださいますか?」


 突然手を差し伸べてきたミミルの手をジッと見つめるミュア。思わず相手の顔を見返して、自分の顔を指差す。ミミルがコクコクと首肯。


(えっ、い、いいの? だ、だって相手は王女様だよ!? それなのに……)


 だがミュアにとって世代が近い同性の友達などはいなかった。欲しいとは思っていても、その機会には恵まれなかった。

 だからいつかはと思ってはいたが、まさかいきなり王女が友達とは…………ハードルが高くない?


「ミミルはあまり友達がいないので、よろしかったら是非」


 ミミルは優しげに微笑みながらミュアの答えを待っている。真摯な申し出を断ることなどできない。

 それに嬉しくないことなんて絶対ないのだ。むしろミュアも是非と言いたい。


「こ、こちらこそですっ! こ、こ、光栄ですっ!」

「ふふ、ところでミュア様たちは――」

「さ、様ぁっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいですぅっ!」

「え?」

「あ、あの、さ、様付けはいいです」

「はぁ、それでしたらどうお呼びすれば?」

「よ、呼び捨てで構いませんですはい!」

「ふふ、でしたらミミルのこともミミルとお呼びください。もちろん様付けなしで」

「ええぇぇぇっ!?」


 それは自分にはハードルが高過ぎだと思い、ミュアはつい大声を上げてしまう。


「お呼び頂けないのでしたら、ミミルもミュア様とお呼びいたします」

「え……あ……うぅ~……」


 困った。非常に困ったとミュアは頭の中に混乱が渦巻く。

 そんなミュアの様子を見て、ミミルは面白かったのか少し大きめの笑い声を上げる。


「あはは、面白い人です。是非お名前でお呼びください」

「え、えっと……あの……そ、それじゃ…………ミ、ミミル…………ちゃん」

「はい、ミュアちゃん」


 王女が自分の名前を呼んでくれたと感じて、ミュアの心がスッと軽くなった。


「ああでも、言っちゃったぁ! 王女様をちゃん付けで呼んじゃったよぉ!」


 頭を抱えて唸るミュアの仕草がおかしいようで、またもミミルは笑みを溢す。


「お気になさらないでください。それに、できればこういう場では敬語も止めてください。その方が、お友達らしくてうれしいです」


 申し出はとても嬉しいのだが、相手は王女である。戸惑うのも無理はない。


(うぅ……お友達ができるのは嬉しいけど、やっぱり緊張するよぉ~)


 どうやら王女はかなり強引な性格らしい。さすがは気が強そうなククリアの妹だ。


「……分かりまし……ううん、わ、分かったよ。その……ミミルちゃん」


 最後の言葉を、先程よりも勇気を振り絞って言ってみた。

 するとミミルは嬉しそうに破顔。彼女の表情を見て、ミュアは本気で安堵する。

 次いでミミルは両手を合わせてから口を動かす。


「今日は本当に幸せな日です。あの方にも出会えましたし、また歌うことができます。それにこうしてお友達もできました」


 ミミルのあの方という言葉にピクリと肩を揺らしミュアは反応を返す。何故か少しだけ胸がチクリとして気になった。


「あ、あの方……?」

「ん? 何ですかミュアちゃん?」

「え、あ、その……あの方っていうのは……その、聞いてもいい……かな?」


 ミミルが耳をピクリとさせ反応を見せたが、それにはミュアは気づけなかった。


「あ、はい。えっと……夢  そう、夢の中のことなのですが、とても掴みどころのないお方で、少し一方的なところもありましたけど、とても感謝しております」


 どうやらその人物に並々ならぬ謝意を感じているようだ。


「で、出会えたというのは、夢の中での出来事ってこと?」

「そ、そうですよ」


 何故か彼女の目が泳いでいる。……どうしてだろうか?


「どういう人なの?」

「えと……何と言いますか……その、ミミルの声を取り戻してくれたせ、精霊さんとでも言いましょうか」

「精霊? 夢の中に精霊? それに声を取り戻したってどういうこと?」


 どんどん疑問が湧いてくる。同時にミミルがしどろもどろになっていく。


「あの、それは……えと…………ミュアちゃんは、この国出身ではないですよね?」

「うん。人間界から来たんだ」

「そうなのですか? いいですね、ミミルも旅をしてみたいです」

「あはは、大変だよ。でも何でこの国出身じゃないって分かったの?」

「それはミミルが話しても驚いてらしゃらないからです」

「……ん? どういうこと?」


 会話できるということは普通だと思うけど……。


「ミミルはつい先程まで、声が出せませんでした」


 ミミルから発声障害を抱えていたことを教えられる。そしてその発声障害を治した精霊の話も聞かせてもらった。


(……はい? 小さい頃に声の障害があって、今までずっと話せなかった? だけど夢の中に現れた精霊が、凄い治癒魔法でその声を取り戻してくれた? ミミルちゃん、凄過ぎることを平然と口にしてるってこと気づいてるのかな……? 何か話がフワフワしてて作り話みたいだけど……)


 そもそも夢の中に精霊が現れるということに現実感が無い。


「あ、あのねミミルちゃん、その精霊さんってどんな人なの?」

「そうですね。少し変わった髪色をなさっていました。黒色……でしょうか」


 …………え? ちょっと待って……。


「あとは眼鏡をおかけでしたね」


 黒色の髪に眼鏡? それって……。

 ミュアの中でぼんやりとしていた精霊の形が嘘のようにハッキリと見えてきた。

 それは一人の少年の風貌。


「ね、ねえミミルちゃん」

「はい?」

「も、もしかしてだけど…………そ、その精霊さんって赤いローブ着てたりしてなかった?」


 ピタリとミミルの表情が固まる。

 そして一瞬にしてミュアの両手を、自身の手でギュッと握ってくると、今まで穏やかだった雰囲気が一変して興奮した表情を見せた。


「ミュ、ミュアちゃんっ!? もしかしてあなたはご存じなのですか!? あなたも幽霊さんが見えるのですねっ!」


 完全に興奮状態に陥っている様子。


「えっと、あの、はは……え、なに?」

「あの方のことをご存じなら教えてくださいっ! お願いしますっ!」


 真剣な表情で嘆願してくる。

 そこでミュアはふと思う。


(んん? 幽霊さん? 見える? 精霊じゃないの?)


 先程まで精霊と言っていたのに、何故急に幽霊の話になったのか謎である。


「赤いローブ――そう、赤いローブです! それにその方はお仲間の連れ添いでやって来られたと仰ってましたっ!」


 あっちゃあ~とミュアはこめかみを指で押さえた。もうそれだけ聞けば十分だった。


(ヒイロさんだ……でも何? 幽霊ってどういうことなのかな?)


 今ならミミルも詳しいことを話してくれると思い、ミュアは聞いてみることにした。


「ね、ねえミミルちゃん。その人って、精霊じゃない……よね?」

「……え?」

「だって精霊が眼鏡をしてたり、赤いローブを着てたりなんてしない……よね? 多分」

「あ……」 


 しまったと思ったのか、ミミルは慌てて口を塞ぐ。その頬も照れたように真っ赤になっていて、反則並みに可愛い。だが失敗したことに気がついて後悔しているようだ。

 ミミルは、ミュアが自分と同じ幽霊が見える人だと思ってしまい、つい興奮して口走ってしまったらしい。大人びてはいても、こういうところはまだまだ子供である。


「あ、その、えと、それは……」


 動揺しながらも、必死に言い訳を探すが思いつかないでいるようだ。それを見て、先程は自分がこうだったのだろうなと思ったミュアは、クスッと笑いを見せる。


「大丈夫だよミミルちゃん。その人はちょっと知ってる人でね」

「や、やっぱり見えるのですねっ!」

「え~っと……何の事だか分からないけど、その人はヒイロさんっていって、れっきとしたにんげ、あ、いや獣人だよ。ちゃんと生きてるしね」


 危なかった。つい人間と言ってしまうところだったので焦った。


「へ? 生きている……のですか? それに獣人……ですか?」

「うん? というかミミルちゃんがどうして幽霊と思ってたのかが謎なんだけど……?」

「それはだって……」


 彼女が言うには明らかに普通の人と雰囲気が違っていたらしい。幽霊のような存在と酷似していたのでそう勘違いしたとのこと。精霊というのは方便で使っていたという。


「そういえば、あの方はご自分が幽霊ではないと仰っていました……。あのお言葉は、自分が死んでしまったことに気がついてらっしゃらない幽霊さんだからと思っていましたが……もしかして勘違い……していたということなのでしょうか……」


 ミュアは黙って独り言のように呟く彼女の言葉を聞いていたが、そもそも幽霊が見えるという彼女の特殊能力に驚く。きっと幼い頃から大変だったんだろうなと、漠然と思った。

 だって幽霊なんて見えたら……怖い。少なくとも自分は。


「はぅ~! ミ、ミミルはなんということを……」


 顔を両手で覆いながら、恥ずかしさで胸が一杯になったような様相を見せる。そんな彼女の可愛さに思わず笑みが零れる。


「あはは、可愛いよミミルちゃん」

「う~、あの方に謝罪しなければなりません~」

「ヒイロさんはそんなことで怒る人じゃないから気にしなくてもいいよ」


 それよりも彼の気を引くことの方が難しいからと心の中で思う。


(興味がないものには、ほんとに無頓着だしね)


 それでどれだけ苦労したことか……。いや、今も苦労してるけど。


「あ、あのミュアちゃん、もう一度そのお方のお名前を教えてくださいませんか?」

「え? いいよ。その人の名前はヒイロ・オカムラ。今まで一緒に旅してきた仲間なんだ」

「そ、そうだったのですかっ!?」

「うん。それでここに一緒に来たんだけど、ヒイロさんてば急にいなくなってね。どこに行ったかと思ったらここに来てたんだね」

「あ、はい。ここでミミルと会って少しお話して頂きました」

「それで、その時何かあったんでしょ? ヒイロさんが魔法を使うような出来事が」


 聞くところによると、彼女は声が出せなかったらしく、それが寝ていて治った。だがミュアはもうそれは嘘だと分かっている。

 日色が、彼女の声を取り戻したことは間違いない。だがミュアは自分の過ちに気づいていなかった。

 ミミルが微かに目を開き、納得したように頷きを返す。


「やはり魔法……だったのですね。ということはあの方はやはり人間――――ですね?」

「え……ああっ!?」


 思わずミュアは大声を張り上げてしまう。自分が魔法と言ってしまって、そのせいでバレたと思い顔色を瞬時に青くする。獣人なら魔法が使えないからだ。


「え、あ、そそそそその……い、今のは言い間違っちゃっただけで、あ、あの人は《化装術》のことを魔法とか呼んでてそれで――」


 かなり苦しい言い訳だが、こうなった以上何とか誤魔化さなければならない。

 まさか人間をこの場所に連れてきたことが明らかになれば、自分たちもただではすまない。

 いや、それどころか、自分のせいで日色に迷惑をかけてしまうと思うと心がキリキリ痛んだ。

 しかしそんなミュアの考えを悟ったように、ミミルはフルフルと頭を左右に小さく振る。


「ふふ、気になさらないでください。ミミルは他の方のように『人間族』に、憎しみは感じておりませんから」

「え? あ……そ、そうなの?」

「はい。それに見るのも初めてではありません。幽霊さんですけど」


 実際に獣耳や尻尾を持たない人間の浮遊霊も見ているミミルにとっては、別段珍しくも無いのだろう。


「はぁ……幽霊……」


 ミュアにとってはまだ幽霊の話は眉唾ではあるが、ミミルが気にしていなさそうなので、このまま黙ってくれるというのなら問題はないとホッとする。


「最初あの方を見た時、獣耳もなくて」

「ちょ、ちょっと待って!」


 聞き捨てならない言葉が聞こえてミュアは慌てて声を張る。


「け、獣耳もないって、それほんと!?」

「はい。黒い髪に眼鏡、そして赤いローブ。獣耳も尻尾も有りませんでした。それがその方の特徴ですが?」


 それが何か? 的な感じで小首を傾げているミミルを見て言葉を失う。

 そう言えばよくよく思い返してみると、ミミルは黒い髪としか言っていない。

 今の日色は自分と同じ銀髪も少しは混じっているはずなのに……。


(どういうこと? まさかヒイロさん人間に戻っちゃってる? ……でもどうして?)


 疑問が思い浮かんでくるが答えは見つからない。こんな獣人の王族がいる場所で元に戻るという愚行を日色が犯すはずはないと思っている。

 しかし現にミミルは日色の人間の時の姿を言い当てている。一体どういうことだろうとか思案していると――。


「どうなさったのですか?」


 考え込んでいたミュアを心配した面持ちでミミルが声を掛けてくる。


「ううん! な、何でもないよ!」

「そうですか?」

「うん! と、ところで黒い髪一色だったんだよ……ね?」

「はい。見たこともないくらいにお綺麗な黒髪をお持ちでした。少しうらやましいと思ってしまいました」


 ふふっと上品良く笑う彼女を見て、ミュアは今一度どうしてそんなことになっているのか考えた。だがやはり日色が魔法を解くなんていうことは有り得ないという決断に至る。


(そう言えばおじさんに聞いたことがある。精霊を宿してる獣人の中には、『精霊族』の真実を視る力を持っている人が稀にいるらしいって……)


 その者の本質を見極めることができる『精霊族』。

 かの力があれば、日色の本質を見抜き、彼が人間であることを理解できるかもしれない。以前出会った妖精たちも、日色が人間だと言い当てているのだ。

 獣人の中には、そんな特別な能力を持つ存在もいると聞いたことがある。


 それがミミルなのかどうか分からないが、ミミルには、日色のことを他言しないように強く言っておかなければならないと思った。


「もしかして、ミュアちゃんはその、あのお方の魔法をご存じなのですか?」

「うん、知ってるよ。ミミルちゃんも?」

「はい。その不思議なお力で、ミミルの声を取り戻してくださいました」


 やはり――と、心の中でミュアは納得する。


「あの、その……そのお方は今どちらに?」

「う~ん、分かんない」

「あ、そうなのですか」


 しょんぼりと顔を俯かせるミミルに、苦笑を浮かべてしまうミュア。


「だって多分、これ以上ここに居れば大騒ぎになると思ったからどこかに行ったんだと思うし、ミミルちゃんにも他言しないように言ったんじゃないかな?」

「そ、その通りです!」

「やっぱり。だったらもう《王樹》を抜けて街に帰ったのかも。目立つの嫌いな人だしね」

「……ミュアちゃんは、あのお方のことをよくご存じなのですね?」

「まあ、そうかな。短い旅だったけど、驚きの連続だったから」


 特に日色の嗜好や行動などについてはとても驚かされた。

 だがそれだけに彼の人となりを知ることもできた。


「……うらやましいです」

「ミミルちゃん?」

「ミミル……お礼も言っていません。ミミルの声を治したらすぐにどこかへ向かわれましたから」 

「あはは、ヒイロさんらしいね」

「会えない……でしょうか?」

「う~ん……気持ちは分かるんだけど、難しいんじゃないかなぁ」

「そ、そうなのですか? ですがお仲間なのでしょう?」

「そうだけど、ほんとに自由奔放な人だから。わたしたちの言うことなんか聞いてくれないしね、はは」


 いつもおじさんが食べ物で釣っていますとはさすがに言えなかった。

 それにたとえ豪華な食事を用意しても、日色が今、《王樹》に再び来ることはないだろうと思う。何かの拍子でバレたら大事になるからだ。


「もっとあの人のことを知りたいけど、ヒイロさんは自分のこと、あまり教えてくれないから。まあ、わたしも教えてないこともあるから、しょうがないのかもしれないけど……」


 胸がキュッと切なくなる。そんなミュアの横顔を見て、ミミルが何かを察したかのように徐々に目を見開いていく。


「も、もしかしてミュアちゃん……あのお方のこと……」

「え? な、なに?」


 ミミルが何を言いたいのか分からずに、彼女の顔を見つめていると、ミミルが突如として手を握ってきた。ミュアは「え?」と思って彼女の目を見返す。


「ミュアちゃん! ミミルは負けませんっ!」

「へ……あ、その……はい?」


 何の宣言なのかいまいち把握できなくて戸惑う。


「だって……ミュアちゃんは、あのお方をお慕いなさっているのでしょう?」

「お、お慕い…………え? ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!?」


 ミュアは顔を真っ赤に染め上げながらバッと立ち上がり一歩身を引いてしまう。とんでもない爆弾を放り投げてきたミミルに驚愕する。


「その驚き方。やはりそうなのですね」


 納得したように頷いたミミルが少し下唇を噛み、ジッとミュアを見つめてくる。


「ち、ちちち違うよ違うっ! ヒ、ヒイロさんはお兄さんみたいな人でっ! だからその……あの……だから…………あぅぅ……」


 手だけでなく、フサフサの尻尾をブンブンブンと振り回しながら必死に否定するが、ミミルはいまだに疑わしい表情を向けてくる。


(そ、そんな! わたしは別にヒイロさんのことは――――っ!?)


 カァっと顔が熱くなる。必死で頭を振りながら考えを振り払う。

 ハッキリ言ってそういったことを強く意識してこなかった……と思う。だが突然ミミルに言われて、日色のことを考えると、何だかモヤモヤしたものが胸に生まれるのは感じている。

 これが恋なのかどうかは経験のないミュアには定かではない。そうだとも違うとも否定できない。だからミミルの言った言葉に衝撃を受けて大混乱状態だ。


「負けませんよ、ミュアちゃんっ!」

「だ、だからわたしは違うよぉ~っ!?」







 何とかミミルの追及から話を逸らすために、ここへ来た目的を話すことにしたミュア。


「《大樹の実り》……ですか」

「聞いたことある? それが試練なんだけど、どこにあるのか分かんなくて……」

「…………知っています」

「ほんとっ!?」

「はい」

「教えてもらっても……いいかな?」


 ミミルがジッと目を合わせてくる。考えのその奥まで覗かれているような気分になってくる鋭い眼差し。


「…………ついて来てください」

「も、もしかして《大樹の実り》がある場所に連れて行ってくれるの!」

「……はい。ミミルはこう見えても視る目だけはあるのです」


 ニコッと笑う彼女はとてつもなく可愛い。思わずギュッと抱きしめてしまうほどに。


「えっと……ミュアちゃん? いきなりどうしたのですか?」

「あ、ううん! ちょっと魔がさして」


 彼女は分かっていないようだが、自分に妹がいたらミミルのような子が欲しいと思うミュアだった。

 ミミルに連れられて庭園にある階段をさらに登っていく。階段から見える街の景色は呼吸を止めてしまうほどに清々しい。穏やかな風に包まれ木の葉が舞う国。

 幸せを感じさせる風景が、ミュアの心を癒していく。


「この先に――ミュアちゃんがお探しになられているものがあります」


 ミミルに案内されたのは大きな枝の先に存在する木の葉の密集地帯。木の葉がまるで空に浮かぶ雲のようにフサフサと生い茂っている。

 その中央には、明らかに鳥の巣だろうものが発見できた。その中には大きな卵が二つほど並んでおり、親鳥らしき姿は見当たらなかった。いるのは雛鳥と卵だけ。


「今の時間帯、パシオンバードの親鳥はエサを探しにいっている頃ですから、手に入れるとしたら今の内ですよ、ミュアちゃん」


 今、彼女は何と言った……? 手に入れる? 何を……?


「親鳥が帰ってきたら、多分争いになると思います。――――卵を守るために」

「ちょ、ちょっと待ってミミルちゃん! べ、別にわたしは卵がほしいわけじゃないよ?」

「《大樹の実り》――それはパシオンバードの卵のことです」

「う……そ。だって《大樹の実り》だよ? 木の実か何かじゃないの?」

「違います。このパシオンバードは、《王樹》の創世からずっと一緒に過ごしてきたモンスターでもあります。パシオンバードは、この国では守り神とも言われていて、ミミルたちにとっては大切な存在でもあるのです」


 パシオンバードのことはアノールドに聞いたことがあった。

 初代獣王が【パシオン】を造った時に名付けた鳥だそうだ。何でもパシオンバードと《王樹》は魂で繋がっていて、パシオンバードが死ねば《王樹》もまた枯れるとされている。


 またパシオンバードは繁殖力が低く、あまり卵を産めなくて稀少なのだ。

 だからこそ、産まれてきた雛は、親は本当に可愛がる。長寿な存在ではあるが、パシオンバードが一匹死ぬ度に、《王樹》もまた活力を失うとのこと。


「正式名称はソウルバード。彼らは根付いた木々と、魂で繋がり合う生き物です。だからミミルたちは、彼らが幸せに長生きできるように見守っているのです。もし卵が親鳥から産まれると、それは《王樹》の活性に比例します。まるでこの《王樹》の実りのような存在。だからこそ《大樹の実り》と名付けられているのです」

「で、でもわたしが卵も持っていっても、すぐに返せば……」

「いいえ。よく見てください」


 ミミルが指を差したのは卵の下部。そこには枝が伸びて掴んでいるように見える。


「この《王樹》からもずっとエネルギーを貰っているのです。もし巣から離せば、数分と経たずに死んでしまいます」

「そ、そんな――っ!?」


 ならどうすればいい! ようやく《大樹の実り》が見つかったというのに、卵を持っていけば卵が死んでしまう。つまりパシオンバードの命を奪うということ。同時に《王樹》の活力までも……。


 だが手に入れなければ、せっかくアノールドが頼み込んでくれたララシークの修業が受けられない。強くなれる手段が見つかったというのに、何ということか……。


(おじさん! わたしどうすればいいの――っ!?)





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