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51:ミミルとの邂逅

 ライブの話によると、彼女はここでメイドとして雇ってもらってもうかなりの年数を経過しているそうだ。

 見た目や性格とは違って、丁寧な仕事ぶりが認められて、今ではメイド長に収まっているらしい。

 国王たちも彼女の作る食事には目がなく、いつもありがたく頂いているとのこと。また戦争のことはもちろん知っているが、彼女は戦いには行かなかった。


 彼女も戦えないことはないのだが、断固として不参加の意思を揺らがせなかったのだ。

 人を喜ばせる奉仕をしたくてメイドになった彼女。それなのに人を傷つけるために自分の力を使いたくはないときっぱり信念を通したらしい。


 だからアノールドが、戦争に行くために来たわけではないことを知ってホッとしているようだ。

 出来の悪い弟だが、彼女にとっては大切な家族なのだろう。戦争などに奪われたくはないと思っているに違いない。

 それはアノールドを見る、慈愛が込められた彼女の瞳を見るだけで一目瞭然だ。


「アノールド、ある目的でここに来たとか言ってたけど、どんな目的だい?」

「ああ、それは――」


 ライブにララシークから受けた試練のことを話す。


「あの人も相変わらずだね~。けど一体その試練の内容ってのはどんなもんなんだい?」

「実はさ、師匠が言うには、この《王樹》のどっかに、《大樹の実り》ってのがあるらしいんだけど、姉ちゃん知ってるか?」


 一瞬だけ驚いた素振りを見せたのち、ライブはスーッと目を細めて、「ふぅん」と声を漏らすとそのまま目を閉じて「なるほどね」と全てを把握したかのような笑みを浮かべる。


「もしかして知ってんのか?」

「確かにソレはこの《王樹》にあるね」

「どこにあんだよそれ!」

「それを探すのが試練なんだろ? けどミュア?」

「あ、はい!」


 ミュアはライブの真剣な眼差しに打たれて身を引き締める。


「…………いや、アンタなら大丈夫さ。頑張って探しな」

「は、はい……」


 何か助言でも貰えるのかと期待していたのか、ミュアは少し気落ちした様子を見せる。

 するとその場へ、一人の少女がやって来た。


「あら、もしかしてライブの知り合い?」

「クー様? どうかされたんですか?」

「ただの見回りよ。ちょっと喉が渇いたから、《シュワーズ》でももらおうかなと思ってね」

「えと……誰なのあの子、姉ちゃん?」

「このバカ! あの方はこの国の第一王女  ククリア・キング様だよ!」

「ええぇぇぇぇっ!?」


 いきなりの王女来訪だった。


「ん? えっと、ところであなたたちは誰? それにさっきライブのことを姉ちゃんって……」

「ああクー様、このボンクラは私の愚弟です。そしてこの子たちはその連れ」

「へぇ、私は【獣王国・パシオン】、獣王レオウードが実子。第一王女のククリア・キングよ。よろしくね」


 そう挨拶されて、忘れていたといった感じで、すぐさまアノールドが慌てたように跪く。

 それに倣いミュアも。ただウィンカァとハネマルだけはそのまま突っ立ったままである。


「ああ、いいっていいって。ワタシはそういうかたっくるしいの嫌いだから。普通でいいわよ。というか普通にして」


 本当に礼儀正しくされるのが嫌なのか、有無を言わせぬ迫力を受けて、アノールドたちはおずおずと立ち上がる。


「でもそう、聞いてはいたけど、あなたがライブの……。そしてあなた、ずいぶん可愛らしい子ね。よろしくね」


 気さくにククリアがミュアに向かって話して、相手は王女だということで、ミュアは「あわわ」と緊張して声に出している。

 ククリアはそんなミュアを見てクスッと笑みを溢す。


「やっぱり可愛いわねあなた! そうだ! ミミルにも紹介したいんだけどいいかな?」


 ライブを見てククリアが言うと、ライブは「お喜びになるでしょうね」と言って賛同。

 アノールドはいきなり王女とお近づきになったことに困惑を覚えているようで全身から汗を流している。サバサバしていても、相手は王女なのだ。緊張は多大なものがある。

 見ればミュアも強張った表情をしている。たたウィンカァとハネマルだけはいつも通りで無表情のまま突っ立っている。


「……はは、何だかとんでもないことに……なあヒイロ…………え?」


 アノールドは突然の王女の来訪に戸惑い、もっと戸惑う事態が起きていることに今気がついた。

 いつからだろうか、先程までそこにいたはずの日色がいなくなっていたのだ。



     ※



 その頃、日色は何か興味深いことはないか《王樹》を歩き回っていた。

 ミュアの試練を手伝っていけないのであれば、自分はその試練の間、好きに行動させてもらおうと思う。

 ただそのまま一人で歩いていれば、不審者として捕えられる可能性が高い。だから一応、兵士たちに気づかれないように手は打ってある。


『透明』


 日色が《二文字解放》で初めて使用した文字。説明通り、その効果は一文字とは別格であり、今まさに日色は、透明人間と化しているのである。


(反則過ぎて笑いが込み上げてくるよな、さすがに)


 すれ違う兵士。全く気づいていないのか、簡単に素通りすることができる。ただ中には違和感を感じ取る者もいて、少しドキッとすることもあった。


(獣人だから感知能力に長けてるんだろうな。まあ、視えなくなってるだけで、そこには存在してるしな)


 人間よりも発達している獣人の感知能力、それは鋭い五感によって培われているものである。

 だからこそ、透明になって姿が視えなくなっていても、そこに何かの気配を感じてしまっても不思議ではないのだ。


 しばらく歩いていると、庭園のような場所に出た。そこは多数の太い枝が絡み合って足場を作り、その上に花や作物などを育てる環境が整えられている。


(……ん?)


 見渡してみると、木材で作られたベンチに一人の少女が座っていた。

 その腕には木の板が抱えられている。木の板の上部分に小さな穴があり、そこに紐を通し、その紐を首にかけた形。たとえ立ち上がって手を離しても地面に落ちないように施されてあるのだ。

 板には白い紙が多重に張り付けてあり、まるでどこかにスケッチに出かける子供のような図である。


 もしかしてこの見晴らしの良い庭園でスケッチでもしているのだろうかと思っていると、ふとその少女がハッとなりこちらを向く。


「――っ!?」


 瞬間――日色は『透明』の文字の効果が消えたのかと思い焦る。

 自分の手を見てみるが透けていて何も見えない。どうやら効果はまだ続いていたようだ。

 ということは、彼女がこちらを見たのは、自分を確認したのではないと判断し、再び彼女に視線を向ける。


 しかし驚いたことに、彼女はジッとこちらを見続けている様子。後ろに振り返ってみても誰もいない。間違いなく自分を見ている。

 そう、透明のはずの自分を見ていると日色は思わずにはいられなかった。


 思わず眉間にしわを寄せながら自分を指差す。彼女がベンチから立ち上がると、小さな頭をコクコクと縦に動かす。


(……どういうことだ?)


 ここまで来るのに、確かに勘の良い兵士は、気配を感じて首を傾げたり眉をひそめるというのはあった。

 しかしながら彼女のように真正面から見据えて、ハッキリと存在を意識させるような態度をとった者はいなかった。


 従来一文字魔法では、『化』の文字のように、形態そのものを変化させるような効果以外では、原則的に効果時間は一分だった。

 しかしこの《二文字解放》の力で書いた『透明』は、もう五分以上は続いている。

 新たに文字を発動させるか、意識的にキャンセルしなければ解けないようになっていると感覚で理解できた。だから自然に解けることはない。


 これぞ魔力消費300の恩恵であり、《二文字解放》のチートぶりということだ。ただ空中で文字を書くこともできるが、その場合は魔力を400も消費する。実際に今回、空中で二文字を書いた。

 そして《ステータス》を確認してみると、しっかりと400を消費していた。


 消費400など、それなりの冒険者でも持ってはいないMPなので、少しぼったくり過ぎやしないかと思わないでもないが、だからこその威力を現象化させてくれるのだろう。


(効果が続いてる以上、透明なのは確かだ。だが…………完全に目が合ってる……よな?)


 少女は間違いなく日色と視線を合わせている。それはぼんやりと存在を感じているだけでは成せないこと。彼女は日色の存在を完全に把握していると推測できる。

 日色は他に誰もいないか周囲を確認した。どうやら今ここにいるのは自分と少女だけ。


(……試してみるか)


 文字の効果を任意でキャンセルした。先程確認していた手も、今度はハッキリと視界に映る。だが彼女の表情は変わらない。ということはやはり見えていたということだ。


「……何故分かった?」


 その問いに少女は軽く頷き、持っていた板に何かを書き始めた。字を書いているみたいだ。書き終わったのか、その板に張り付けてある紙が見えるようにこちらに向ける。


『幽霊さん?』


 可愛く首を傾げる少女。幽霊とはどういうことだろうか……。


「違う。というかアレか? 霊感が高いから見えたとかそういうことか?」


 厳密に言わないでも透明と幽霊は違うのだが、霊感があったら見通すことができるのかもしれないと思った。少女は目をパチクリさせると再び文字を書く。


『れいかんとは何でしょうか?』

「あのな、いちいち言葉を書くんじゃなくて話せ。時間の無駄だ」


 だがそんな日色の言葉に少女は悲しそうに――とても申し訳なさそうな表情を作る。


『お許しください。ミミルは話すことができません』


 その文字を見てさすがの日色も押し黙る。その言葉の意味を正確に把握できたからだ。彼女は何らかの事情があって声が出せないのだ。彼女の雰囲気から、それはただ声が嗄れているなどといった、一時的な理由ではないと感じた。


(ミミル……というのは名前のようだな)


 どうやら彼女は自分のことをそう呼ぶのだと理解できた。


「……そうか、それは悪かったな、許せ」

『いいえ、気にしないでください』


 さすがの日色も、幼い子供で、しかも障害を持っている者に対して空気を読まないほどの愚か者ではない。

 世話になっていた児童養護施設でも、そういう子供がいたことはある。謝り方が不遜なのは日色らしいが。


「とにかくオレは幽霊じゃない。お前はそういうの分かるのか?」

『はい。家族の中でもハッキリと見えるのはミミルだけのようです』

「なるほどな。どこの世界でもシックスセンスが発達してる奴はいるってわけか」


 日色の言った意味が分からないのかコクンと小首を傾げる。シックスセンスという言葉は、この世界ではメジャーではないようだ。説明も面倒なので軽く手を振る。


「気にするな。どうやらお前は、感知能力がずば抜けて高いらしいっていうことだ」

『それっていいことなのでしょうか?』

「さあな。だが無いよりはあった方が便利じゃないか?」

『それならよかったです』


 本当に良かったと思っているのか笑みを見せる。ミミルは「ふぅ」と小さく息を吐くと、ポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭く。今日は暑く、陽射しも強い。

 外見は十歳にも満たない少女。だが年相応の笑顔とは少し遠いような気がする。

 どこか儚げで、大人びた笑みのように感じた。達観(たっかん)しているといってもいいのか……。


 赤茶色のショートヘアーで、頭の上にはトレードマークとも呼べるほどの大きな青いリボンがチョコンと付けられている。

 感情が豊かというほどではないが、愛嬌のあるクリッとした大きな瞳と透き通るような白い肌は、将来美人になれるであろう資質を感じさせる。

 ピコピコと動く獣耳と、ユラユラと尻尾を動かしている姿は、とても可愛くてアノールドには会わせられないなと本気で思ってしまう。

 日色の中では、可愛い幼女に興奮するオッサンと位置付けされてしまっているのだ。


(だがコイツの笑顔を見てると何だかこう……モヤモヤするな)


 笑顔は笑顔なのだが、理由は分からないが心に妙な引っ掛かりを覚える。


『幽霊さんはどうしてここに?』

「はぁ、幽霊じゃないと言ってるだろうが。それに、ここに来たのはたまたまだ」

『ここがどこかご存じなのですか?』

「《王樹》だろ? 別に不法侵入したわけじゃない。連れの付き添いで来ただけだ」


 だがつい《王樹》の中を探検したくて一人で勝手にウロウロしているとは言わなかった。


『そうなのですか。では初めてこちらに?』

「ああ」

『ミミルもここが好きです。五歳のころに病気のせいで声をなくしてからは、よく来るのです』


 どうやら彼女は生まれつき発声障害を抱えているわけではなかったみたいだ。病気のせいで喉に酷い炎症でも起こして、声帯が機能しなくなったのかもしれない。

 そこからしばらく沈黙が流れる。もう話が終わったのだと判断し、


(さて、もう用もないし……)


 何故透明だったのに見えたのか気にはなったが、彼女が特別に感知能力が高いと判断してその場を離れようとした時、フラリと彼女が膝を崩す。


「――っ!?」


 思わず日色は駆け寄り腕の中にミミルを抱える。自分でも不思議なことに身体が自然と動いてしまった。


「しまった……つい」


 自分に言い訳しながらも、彼女を抱え上げベンチに寝かせようとするが、ふと空を見上げる。カンカン照りの太陽。

 今は季節でラエア(夏)なのだ。あまり風も吹いていないこんな場所でずっと滞在していたとしたら体調を崩してもおかしくはない。

 日色は彼女の額に手を当てて、熱を測りながら顔色を確認する。


(目眩に熱痙攣、この汗の量。間違いなく熱中症だな)


 日色は自身の記憶を辿って、ミミルの症状を特定。このままベンチに寝かせようと思ったが、そのベンチは太陽の光に晒されている。そんな場所では悪化してしまうだけだ。


(皮膚は冷たくないしマッサージは必要ないな。この程度なら木陰で横にさせて首脇、脇の下、脚の付け根を冷やし、水分補給……って何マジに処置法を思い出してるんだオレは)


 日本にいた頃に読んだ病気関係の本の知識を思い出し、その対抗策を瞬時に記憶から引っ張り出したが、今の自分には必要ないことを思い出した。

 そうして彼女を木陰に連れて行き横に寝かせる。そしてミミルの額に文字を書こうと手を伸ばす。だが途中でその手を止める。


「……そういや何でオレがここまでしてやらなきゃならないんだ?」


 溜め息を吐きながら指を離す。この少女には何の義理もないし、病を治してやる必要もない。それにそんなに重症でもないし、しばらく休んでいれば治るだろうとも判断できる。

 離れようとした時、少女が目を開いてこちらを見上げていた。若干息を荒げながら、またも紙に文字を書いていく。震える手で必死に書き、それを見せてきた。


『めいわくをおかけして申し訳ありません。それと、ここまで連れてきてくださり、ありがとうございます』


 紙を見せながらまたも申し訳なさそうに笑みを作る。日色はその表情を見て目を細める。何故かは分からないが苛立ちを感じた。


(やはりそうだ、このガキの顔、何だかすごくイライラするな)


 先程から感じていた違和感。それはまるで何もかも自分が悪いと思っているような顔。笑顔なのだが、その中には苦痛が見え隠れしている。

 それを感じ取れた日色は、それが子供のする表情かと思って、つい眉をひそめてしまう。


 辛いなら辛いと言えばいい。苦しいならそういう表情をすればいい。それなのにこちらに気を使って無理矢理笑みを浮かべる彼女を見て、そんな取り繕ったような機嫌取りはムカつくだけだと思った。


(ガキがませやがって。まだチビの方が素直だぞ)


 ミュアは良くも悪くも自分に正直だ。いや、正直になろうとしている。その行動力は素直に好感が持てる。

 しかし今目の前にいる少女は、恐らくずっとそんなふうに誰かを気遣うための笑顔をしてきたのだろう。

 それがとても嘘くさく、子供ながらに変に達観しているところが全然気にくわない。


 いや、普段の日色なら、いくら少女にこんな態度をとられてもスルーする可能性は高い。

 別に今すぐ死ぬといったことでもないのだ。それにハッキリ言って他人である。たまたまここで会っただけの縁。だから普段ならこのままこの場を去って行くはず。


 しかし何故だろうか、日色の中でここは放置してはいけないような気がした。

 ミミルをそのまま放置すれば必ず後悔するような予見めいた感覚。ここで自分のできる最善をしなければ、自分の道が外れるような感覚が込み上がってくる。


(何だこの変な感じは……?)


 一体この感覚が何なのか、どこからくるものなのか、いくら考察しても分からない。

 だがこれは――本能。それが直球で伝えてくる。

 大事な分岐点が今、生まれているということを。

 そして間違えてしまえば、自分という存在が嘘になってしまうような不可思議な感じを覚えている。


(コイツとオレに何か深い関係があるわけでもないよな……)


 日色は異世界人でさらに人間。ミミルはこの世界の住人で獣人。全く接点など見当たらない。

 だがここで最善を選べと、魂そのものが叫んでいる気がする。

 だから日色は諦めた感じで大きく溜め息を肺から出した後、ミミルに向かって口を開いた。


「おい、これからすることは他言無用だぞ」


 指に青白い魔力を集中させる。すると日色のすることに興味を持ったようで、ミミルが寝ながら字を書く。


『何をなさるおつもりでしょうか?』

「お前の身体を治す。ついでに声もな」


 そこへミミルが失意に澱んだ瞳を見せつけてくる。


『……それは不可能です』


 日色も黙って紙に字を書く彼女を見つめる。


『たくさんのお医者さまにも見てもらいました。ですが、ミミルの病気は絶対に治らないと言われました』

「……だから何だ?」

『何をされようとなさっておられるのか分かりませんが、お気持ちだけで十分です』


 寂しげに揺れる彼女の瞳。そこには完全に諦めの色が映っている。


「……ふざけるなよ」


 低い声を出してミミルを睨みつける。彼女も「え?」といった感じで眉を寄せている。


「多くの医者に見せてダメだったから不可能? もう治らない? そんなもん、お前の小さい世界の中での常識でしかない」


 日色は益々苛立ちを覚えて一気に喋る。


「医者が言うから不可能だって決めつけてるんなら……」


 ポワッと、魔力が右手の人差し指に点る。


「そんな小さい世界での常識なんて、このオレが歪めてやる!」


 日色は指を彼女の額に近づけ、文字を成していく。


(くっ……指がほとんど動かん……っ!?)


 以前使用した『眠』の文字の時以上に書く速度が遅い。また精神的にドッと疲れを感じる。

 途中で止めようかという考えも過ぎったが、二文字は途中で止めてしまえば《反動》がある。

 一度書き始めてしまった以上、最後まで書くことが必須だ。


 それにミミルに宣言した以上は、このまま止めるわけにはいかない。

 何をしているのか分からずキョトンとしながら日色を見上げている彼女を無視して、文字を書くのに集中する。

 他のことを意識すると失敗しそうな感じがしてくる。これは『透明』の文字では無かったことだった。


(やはり効果がずば抜けてる文字は全神経を集中させないと無理ってことか?)


 文字にはそれぞれ特性があり、どうやらその特性の効果の強弱で、文字に起こすだけでも違いが出てくるようだ。そう思いながら必死に指を動かしていく。


『復活』


 ――――奇しくも日色が次に書いた文字は、人を助けるための文字。


 他に『完治』や『蘇生』なども思い浮かべたが、『復活』の方が直感で良いと判断した。実はこの直感というのは、魔法と密接な関係があるのだ。

 特に《文字魔法》に関しては、この直感力というのはとても重要なファクターになる。


 日色が直感で文字を決めたのは別に初めてではないが、今まで以上に自分の中でしっくりときている感覚を覚えている。このしっくり感を覚えた時は、最高の文字効果を得られているのだ。

 ミミルの身体を次第に文字から流れ出る淡い青白い光が包んでいく。


 文字を完成させた後、日色は額から汗を流しながら、


「復活しろ、《文字魔法》!」


 突如、文字からバチチチッと小さな放電現象が起こった瞬間、膨大な魔力が膨れ上がり、ミミルの身体を覆っている光が眩い輝きを放つ。

 目を覆うほどの光がゆっくりと、確実に彼女の身体に染み込んでいく。熱中症で赤くなっていた肌も、元の綺麗な白い肌に戻り、汗も完全に引いていく。


 光が喉にも集中してドンドンと吸収されていく。

 全ての光が消え失せた後、日色は額の汗を無造作に腕で拭ってからミミルの顔を見下ろす。


「さあ、喋ってみろ、青リボン」



     ※



 【獣王国・パシオン】の第二王女であるミミル・キングは、初めて彼を見た時から強い違和感があった。

 そこだけ空気が違うような、満天の星空の中、淡い光を放つ星々の中で、一つだけ明らかに違う光を放っているような……そんな、眩しくてとても強い光。

 目だけではなく、何故か心が惹きつけられる。


 いつもと変わらない景色の中で、ちょうど人型に空間が歪んでいた。さらにジッと見つめると、それは次第に人間の姿になっていく。


(もしかして……幽霊さん?)


 ミミルは生まれた時から、普通の人には見えないものが見える日々を過ごしてきた。

 よくそのことを家族にも話すが、決まって笑い話になる。だがもちろんミミルは昔から嘘など吐いたことはない。本で読むような幽霊は確実に存在しているのだ。

 今までも視線こそ合ったことはあるが、誰もが一瞥して去っていく。まるで自分には用がないと言うように。


 しかし今回に限っては違う。

 気づいた時にはもう見られていた。

 しかもいつものようにユラユラと、蛍火のような淡い感じの見た目ではなく、クッキリと、まるで生きている人のように感じ取れた。だからついミミルも、興味が惹かれて幽霊の目を見返し続けた。


 幽霊は男の人。黒髪で眼鏡をしている。少し目つきが怖いなとも思ったが、向こうも何故か驚いたような表情をしていたので若干気分が和らぐ。


「……何故分かった?」


 声は低い方だが少年っぽさを感じさせる。だが何故だろうか。彼の第一声を耳にした時、ドクンと心臓が脈打った。まるで待ちわびていた人に出会った時のような熱を感じる。

 この人の声をもっと聞いていたいと思うような衝動があった。初めての幽霊とのコミュニケーション。かなり興奮を覚えたが、まずは話そうと思い紙に筆談していく。


『幽霊さん?』


 ワクワクして聞くが、返って来た答えは予想外のものだった。


「違う。というかアレか? 霊感が高いから見えたとかそういうことか?」


 期待していた言葉ではなかったため、思わず目をパチクリさせてしまうミミル。

 そうか、死んだ人の中には、自分が死んだと理解できていない人もいるという話も聞く。彼はそういう幽霊なのだと解釈する。


 話を続けていく中、幽霊が見える自分を、感知能力が高くて良いと彼が褒めてくれた。

 自分を認めてくれたようで本当に嬉しかった。家族ですら笑い飛ばすのに、彼は当たり前のように受け入れてくれたのだ。


 だが彼の表情がどことなく不機嫌そうに歪む。

 やはり信じていないのだろうかと一瞬不安に思うが、彼の言った言葉が本心のものであったことは何となく感じていたので、別の理由なのだろうと想像した。それとも自分の勘違いかもしれない。

 彼が何故ここへ来たのかも聞いた。友達と来たと言われたので、是非幽霊仲間を紹介してほしいとも思う。ここへは初めて来たとのこと。


『ミミルもここが好きです。五歳のころに病気のせいで声をなくしてからは、よく来るのです』


 五歳の頃、病気のせいで喉に酷い炎症を起こした結果、声帯の機能が奪われた。

 それを聞いた時、周囲の者はショックを隠し切れずにいた。ミミルは歌うことが好きだった。よく家族とこの庭園に来ては、自分の歌を披露していたものだ。


 その歌声を聞く兵士たちも、まるで天使のようだともてはやしてきた。正直言って嬉しかった。

 姉のククリアのような武の才能には恵まれていなかったミミルにとって、歌だけが自分を表現できるもの。

 家族も、国民たちも喜んでくれる。その笑顔を見る度に、もっと歌を上手くなろうと努力していた。


 だが唐突にそれを奪われた。自分には何も無くなってしまったのだ。母も父も姉も兄も、大いに落胆した。それからは、彼らが自分を気遣ってくれるのがよく分かる。だがそれが逆に辛かった。

 家族たちの悲しみを感じるのがとてつもなく苦しい。


 だからミミルは笑うことにした。自分は大丈夫。


 いつかまた歌える日が来るからそれまで待っていてと、笑顔を作り周りを安心させよう努めた。

 だが発声障害は精神的なものではなく身体的なもの。今の魔法や医療でも、声を復活させることはできないと、国一番の研究者もそう断言した。


 でも今後は分からない。もっともっと魔法や医療が発達すれば、きっと大丈夫。そうミミルは皆に言った。必死に笑顔を作る。

 すると少しずつだが、ミミルが元気を取り戻したと思った者たちにも次第に笑顔が戻ってきた。


 間違ってない。これでいい。ミミルは自分が笑顔を忘れない限り、皆が笑顔で居続けてくれる。そう信じている。たとえいつまでも声が甦らなくても、笑顔さえ崩さなければきっと     

 昔から人の感情に敏感だったミミルは、こうして誰かのために笑うことを決心した。そうすれば少なくとも、他の誰かは悲しまずに済むから。


(ですが、幽霊さんはどうして怒っているのですか?)


 いまだ不機嫌そうにミミルを見つめてくるので焦る。勘違いではなさそうだ。彼からは確かに怒りを感じる。

 笑いが足りないのかもしれない。もっと良い笑顔を作れば。


 それなら彼も――――そう思った瞬間、クラッと目の前が歪む。


(……えっ!?)


 突如、目の前がブラックアウトする。

 気がついたら自分は木陰で寝かされていた。傍には幽霊の彼が居た。自分の身体に残っている微かな温もり。これはきっと彼がここまで運んでくれたからだろう。


 だが幽霊なのに人に触れられるのか。

 きっとこの人は特別な幽霊なのだと勝手に思い、とにかくお礼をしなければと震える手を動かして文字を書いて見せた。


 しかし彼はまたも不機嫌さを露わにする。やはり言葉でないと駄目なのか。

 こんなに親切にしてくれたのに、気分を悪くさせてしまっている。どうしてこんな時にお礼の言葉を言えないのか。そう思うと、胸が苦しくなってくる。

 こんな気持ちはもう乗り越えてきたはずだ。それなのに、何故か彼の顔を見ていると切なくなってくる。


 話したい。自分の口でお礼を言いたい。


 これほど強い思いを抱くのも初めてのことだった。この人には自分の口から言わなければならないような気がする。何となくといえばそれまでだが……。

 すると彼が、ミミルの声を取り戻すと言った。しかしそれは不可能だ。だからもう諦めている。それでも笑顔さえ忘れなければ、皆は喜んでくれるのだ。


 治してやるという彼には、申し訳ない想いでいっぱいだが。

 彼の気持ちはとても嬉しい。胸が躍るほどに。

 だが――無理なのだ。


「多くの医者に見せてダメだったから不可能? もう治らない? そんなもん、お前の小さい世界の中での常識でしかない」


(……小さい世界?)


 そして彼から、とてつもない力を感じた。


「そんな小さい世界での常識なんて、このオレが歪めてやる!」


 ポワッと、青白い魔力が、彼の右手の人差し指に点る。

 そのまま指をミミルの額に持ってくる。少し怖かったが、彼の指先が額に触れた瞬間、何か温かいものに包まれているような感覚が全身を包む。


(《化装術》? ううん…………まほ……う?)


 直感で魔法だということを理解した。自然と瞼が下りて温かさに身を任せてしまう。

 穏やかなそよ風が吹く中、ポカポカと陽気の良い陽射しを受けているかのような感じ。

 とても心地好く、理由は分からないが懐かしささえ感じる。その気持ち良さに、思い浮かべた疑問など霧散してしまっていた。


 身体が若干熱気を帯び始める。何か温かいものがゆっくりと身体の中に入ってくる。

 不思議なことに、先程まで辛かった気分が嘘のように消えていく。何が起こったのかさっぱり分からない。だが確実に身体の中を爽快感が走っていた。


 また急激に喉に膨大な魔力が集束し始めている。喉がまるでマッサージをされているようなじんわりと熱が生まれ、少し息苦しさを一瞬感じたが、魔力が喉へと流れて行くのが、とても気分が良い。

 次第に身体の熱も消え失せ、ミミルを包んでいた優しげな風も吹き止んだ。


 まるで生まれ変わったような感覚を覚える。

 一体何がどうなったのか――――そんな事態に戸惑うミミルをよそに。彼は少しばかり疲弊した表情を浮かべながら無愛想に言う。


「さあ、喋ってみろ、青リボン」







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