36:大事件
明日マックスたちが帰ってくるまで、マックスの家に厄介になることになった。
マックスが出ていく前に、良かったらカミさんの世話でもしてやってくれと言ったので、そのついでとして家に泊まらせてもらうことになった。
マックスの妻であるルッソも快く迎え入れてくれた。マックスの家はアノールドたちが泊まっても大丈夫なほど大きな木造住宅だった。
マックスが建てたというので日色は素直に感心した。
「しかしまさかマックスがこんな美人なカミさんをもらうとはなぁ~」
「いやですわアノールドさん、あまり褒められると調子に乗っちゃいますよ?」
大きなお腹を抱えながら、彼女の傍で寝息を立てている次女のベルの頭を撫でるルッソ。
アノールドの言うようにマックスとは違って折れそうなほど細身であり、整った顔立ちをしたモデルのような美女である。
「ふわ~可愛いです~」
ベルの寝顔を蕩けた表情でミュアが見つめている。時々チュッチュと指を吸う仕草が堪らないようで、あのウィンカァも見惚れているのかジッと視線をベルに固定中だ。
「あ、あの、お腹触らせてもらってもいいですか?」
ミュアがルッソに嘆願すると、ルッソは穏やかに微笑むと「いいわよ」と答えてくれた。ウィンカァも「ウイも」と言って便乗している。
二人してそっと優しくルッソのお腹に手を触れる。
「あ、今動きました! 動きましたよねウイさん!」
ミュアは明らかに興奮した様子でウィンカァと視線を交わし、ウィンカァもコクコクと何度も頷いている。
「けどすげえよな母親って」
「いきなり何だオッサン? まさかアンタも腹を触りたいのか? 止めておけ。友人の嫁に手を出すのはさすがにシャレに――」
「何の話だよっ!」
「おじさん静かにっ!」
ミュアが限りなく静かなトーンで注意する。ベルが起きたらどうするのと睨んでいる。
「わ、悪いミュア……」
「怒られたなオッサン」
「お、お前なぁ…………はぁ、何かお前と言い合っても不毛だわ」
「お、少しは成長したな」
「…………」
アノールドは頬をピクピクと引き攣らせたまましばらく日色を睨みつけていた。
日色はジッとルッソを見つめて、静かに目を閉じると「少し出てくる」と言って家から出ていった。
村には多くの子供たちが遊び回っていた。元気にはしゃぎ回り、転んで泣いては友達に慰められて、そして泣き止まない子には母親が抱っこしてあやす。
そんな平和な風景。日色は切り株を発見し、そこに腰を落とす。そこへハネマルがやって来て、ヒョイッと日色の膝の上に乗ると気持ち良さそうに欠伸をして身体を預ける。
日色は何気無く空をぼんやりと見上げる。
(親…………母親か……)
日色は幼い頃に事故で死んだ両親のことを思い出し、最後まで優しかった母親のことを想う。
(あの時、もしオレに今みたいな魔法があったら……)
そんなもしもをつい考えてしまうのは先程のルッソと子供を見たせいか……。
(何考えてるんだオレは……)
日色は考えを捨てるように頭を振って、懐から取り出した本を読み始めた。
その日の夜。皆が寝静まった時間帯に突如ベルの泣き声が室内に響いた。夜泣きである。
思わず全員が目を覚ましルッソと一緒に寝ているベルに注視する。
そこには嫌な顔一つしないで重いであろう身体を起こし、笑みを崩さずベルをあやすルッソがいた。
「やっぱすげえわ、母親は」
アノールドの呟きは説得力を持っていた。夜泣きというもの自体は日色だって知っている。無論一人っ子でもあり子供もいない日色は経験したことはない。
しかしこの夜泣きはほぼ毎晩続く。その度にこうして泣き止むまで親が面倒を見る。それはまさしく愛の成せる行為である。
育児で心身ともに疲れて倒れてしまう者もいると聞く。それほど育児というものは大変なものなのだろう。こうしてその一端に触れているだけでもよく分かる。
家事や仕事をして、疲れた身体を休めているのに、夜泣きで起こされてしまう。しかも夜中にそれが何度もあることだってある。日色だったら耐えられないとさえ思う。
しかもルッソは妊娠中なのにその大変な育児をずっとし続けているのだ。笑顔を絶やさずに……。
(あんな顔ができるのは何でだ……?)
ルッソの慈愛に満ちた表情。優しくベルの背中をトントンと叩き続ける仕草。そこには負の感情は一切感じられず、ただただ子供を想う愛しさだけが伝わってくる。
「ごめんなさいねみんな。うるさくして」
そんなルッソの言葉に反抗できる人物がいたら見てみたいものだ。日色でさえ、何も言わずに静かに床についたのだ。ただただこう思うしかない。
(母親は…………偉大……か)
あれから夜泣きは何度かあったが、日色は静かに目を閉じたままだった。眠りを妨げられても、不思議と嫌な気分ではなかった。
翌日の朝、予定ならもうすぐマックスたちが帰って来るとのことで、出迎えるためにアノールドはウィンカァと一緒に外で待っていた。ミュアは家の中で、目を覚ましたベルと遊んでいる。
日色はというと、村の近くにあった花畑である【ドッガムガーデン】へ行き、そこで寝っ転がって本を読んでいた。
温かな日差しに気持ちを落ち着かせるようなフローラルな花の香りに包まれ、静かに本を読むには最適な場所だった。
ちなみに本は、マックスの家から拝借したものだ。もちろん許可は貰ってある。何でも何年か前に村に立ち寄った占い師が一宿一飯のお礼だと言って置いていった本だという。
《ティンクルヴァイクルの冒険》
本の表紙にはそう書かれてあった。何故この世界の文字が読めるのかと言うと、翻訳された日本語が、この世界の文字の上に浮き出てくるからだ。
この世界の文字は《ラナリス文字》と呼ばれる文字である。もちろん日本語ではない。
異世界人補正で、翻訳が自動にされるからだということは、召喚された時に情報として聞いた。だがこちらの文字を書くには覚えるしかない。
この世界に来て、一応文字を書く練習をした。案外スラスラと覚えられたのも、異世界人補正なのかもしれない。
だから今では筆談も問題ないし、完璧にこちらの世界の人間として暮らしても問題はない。
昔から暗記が得意で、興味があるもの、特に本に書かれた内容は、一度見たら基本的には忘れないほどの暗記力を有していた。その暗記力のお蔭もあるのだろう。
「これはいわゆるアレか……勇者の物語か?」
本の表紙に書かれてある絵を見ると、剣を持った若者が書かれてある。
(でもどこの世界にでも、こういう物語を書く奴はいるんだな。ん~と、著者名……マルキス・ブルーノート……か)
聞いたことないなと思った。これでもこの世界にやって来て、それなりに本は読んできたが、初めて見る作者の名前だった。どんな話か逸る気持ちを抑え切れずにページを捲る。
設定は正直ありきたりなものだった。国々がそれぞれの権威を主張して、自分たちこそが世界の頂点に立つ存在だと言い張った。
最初は話し合いをしていたが、徐々にそれがエスカレートしていき、戦争にまで発展する。
国同士が戦い、そのせいで民が疲弊していく。世界はまさに悲しみと痛みだらけの世の中になっていった。
そんな中、一人の若者が世を憂いて立ち上がり、同じ思いを持つ仲間たちとともに、争いを鎮圧していく。
(ずいぶん立派な正義感だな。痛みだらけになっても、世界はそう簡単には滅びないと思うが)
その者は英雄と呼ばれもてはやされるが、ある日、殺されてしまう。
(……はい? 主人公死んじゃうのかよ?)
しかも殺したのは、英雄を送り出した国の王だった。国王の娘を殺したという罪で英雄は処刑されたのである。
もちろん英雄はそんなことなどしてはいない。だが国々を救い、平和の象徴となった英雄の名声に国王が嫉妬し、結果謀殺されたのだ。
そのせいでまた混乱が起き、それが小さな火種からやがて大きな戦火となって、再び世界を悲劇が包んでいく。
(何ともまあ、惨めな最期。報われない英雄か)
だが彼の冒険はそれで終わってはいなかった。
(終わってないのかよ!)
彼にはまだやるべきことがあった。そう、彼にはまだ使命が残されていた。それは自分が復活して、世の中を平和にすること。
(ここまでくるとしつこいな。というか復活ってどういうことだよ)
魂だけになった英雄は探した。
再び現世に戻る方法を。そして、ある魔法を手に入れることになる。
その魔法は自分の思い通りに世の中を動かすことのできる絶対的な魔法だった。
だが残念なことに肉体が失われ精神だけの存在になってしまった英雄は、その魔法を使えなかった。
だから待つことにした。いつか、自分を見つけ復活させてくれる者が現れるのを。
そして復活できたその時は、手に入れた魔法を使い、平和を取り戻すのだ。まずはそう、国を全て潰そう。
(おいおい、はっちゃけたな英雄)
悪い思想を持つ今の国を全て排除する。そうすれば平和な世の中になるはずだ。そしてまた自分はそんな素敵な世界で冒険するのだ。
彼は待ち続ける。待って、待って、待ち続ける。
いつか来る希望の光を信じて。彼は待ち続ける。
そう、彼の名はティンクルヴァイクル。英雄の名を持つ者である。
(完全に壊れたなコイツ。まあ、そうしたのは国、いや世界か)
パタンと本を閉じる。
「勇者や英雄なんてなるもんじゃないな。絶対になりたくないな」
その最期は決まってハッピーエンドとは限らない。事実は小説より奇なりとは言うが、物語はしょせん物語だ。作り話は本物の話ではない。
平和を作った勇者にも、多くの敵がいる。戦争していた方が、都合が良いと思う者だっている。争いを望む者だっているのだ。そんな流れの中によくもまあ、自分勝手な正義を押し付けることができるなと感心する。
「自由、それがいい。流れを変えず、ありのままに生きる。それがベストだ」
そう呟きながら日色は嘆息する。
すると村の方から誰かが花畑の方に向かってきた。しかも耳を澄ますとかなり慌てていたのか息を盛大に乱している。
日色は上半身を起こし誰がやって来たのか何気無く視線を向ける。
そこには――――。
「あ、ヒイロさん! 早く来て下さいっ!」
血相を変えたミュアがいた。
ミュアから聞いた話によると、蜜の採集へ向かった者が帰ってきたという。
しかし驚くことに帰ってきたのはたった一人――ススだけだった。
「どういうことだ?」
急いで走りながら日色はミュアに尋ねるが、ミュアは悲しげな様子を見せている。
「何でも【ハニー峠】に現れたモンスターにマックスさんたちが……その……」
「まさか、殺されたのか?」
最悪の結末を日色はさらっと言うと、ミュアは苦しそうな表情を浮かべる。
「分かりません。でも、ススちゃんはみんながモンスターに捕まったって言って……」
何ともミュアの話だけでは要領を得ない。
とにかく前方に見えている人だかりに日色は急いだ。
そこには村長含めて多くの村人たちがススを囲んで話を聞いていた。その中にはアノールドやウィンカァもいる。
「おおヒイロ、どこ行ってたんだよ?」
アノールドも険しい表情だ。行き先はミュアだけに教えておいたから、騒ぎを聞いたミュアが日色を呼びにやって来たのだろう。
「そんなことより、熊のオッサンたちが帰ってきてないというのはホントか?」
「あ、ああ。何でも出たらしくてな……」
「出た? モンスターだろ?」
「いや……それがな……」
何故か言い難そうに顔をしかめるアノールド。
するとススが、村人からもらったのかコップに入った水をクイッと飲み干すと言葉を発した。
「パパは言ってたよ。まちがいないって。アレは………………ユニークモンスターだって!」
日色は彼女の言葉に眉をひそめる。
(ユニークモンスター? その言葉どこかで……)
確かテニーが口走っていたのを思い出す。
問い質そうとしたが、状況が状況だったため有耶無耶になってしまったのだ。
「オッサン、ユニークモンスターってのは何だ?」
一応予想はできている。日本にいた時もゲームやライトノベルでもその単語は出てきた。だがその意味が【イデア】で通じるとは判断できない。
「簡単に言うとだ、Sランク以上の危険生物だ」
彼の顔は信じられないといった様子で青ざめていた。
「つまり、生半可に手を出していい相手じゃないってことか?」
「ああ、しかもユニークモンスターには特別な能力や厄介な特性とかあって、普通はSランク以上の冒険者が徒党を組んで討伐するモンスターだ」
やはりかと日色は納得する。どうやら自分の中にある知識とそう食い違いはなかったようだ。モンスターの中でも極めて危険度の高いモンスター。それがユニークモンスターだ。
それがマックスたちを襲ったという。
「のうススや、そのモンスターは蜘蛛の姿をしていて、全身が赤かったんじゃな?」
外見上で七十代くらいの村長がススに確認すると、彼女は思い出したのか恐怖で身体を震わせながら頷きだけを返した。
「そうか。どうやら間違いないようじゃ」
皆が村長に顔を向ける。村長は重々しいその口を静かに開く。
「相手は――――――――――――――――――――レッドスパイダーじゃな」
その言葉に村人たちの表情に衝撃が走る。いや、アノールドもその中に入っている。どうやら彼はその存在について知っているようだ。
「本来ユニークモンスターというのは神出鬼没な存在じゃ。まさか【ハニー峠】に現れるとはのう。しかもハニービーの巣の近くに現れるとは、運のないことじゃ」
マックスたちが向かったのハニービーというモンスターの巣である。その巣をマックスたち熊人が作ってあげた見返りとしてハニービーが作り出した蜜を頂いているらしい。
今回も通例通りハニービーの巣へと向かって、彼らの住む巣や土地を綺麗に整備した見返りで蜜を分けてもらい帰るだけのはずだった。
マックスが向こうでやることがあるといったのはそのことだ。
しかしハニービーの巣に到着して、夜のうちに巣や土地を綺麗に整備して朝になった時に蜜を回収したらしい。
そして来た道を戻っていると、行きがけにはなかった蜘蛛の巣が道を塞ぐようにして張り巡らされていたとのこと。
それを避けて通過しようとしたところ、突然レッドスパイダーが現れて一網打尽にされたという。
「なら助けに行けばいいだけの話じゃないのか?」
黙って話しを聞いていた日色が口を開くが、村人たちは難しい顔を浮かべる。
「ヒイロ、お前はユニークモンスターと戦ったことねえから分かんねえんだな」
「何がだオッサン?」
「ユニークモンスターはSランク以上だって言ったよな?」
「ああ」
「レッドスパイダーももちろんSランクで、普通ならSランクの冒険者がパーティを組んで討伐するような相手だ。けどよ、この村にいる連中は、というか熊人は基本的には温厚な種族で争いを好まねえんだ」
「だから?」
「分かんねえか? ここにいる奴らは冒険者ランクに位置付けしてもせいぜいがDランク程度だ」
ランク的には日色と同格だということ。無論ランク=強さと単純に判断はできないが、それでもSというのは強者にしか与えられない称号のようなもの。ウィンカァのようにだ。
つまり熊人が何人集まったところでレッドスパイダーと対面すれば簡単に殺されていくだけだと彼は言いたいようだ。
「それに見ろよ……」
アノールドに促され周囲に集まった者たちを見回す。
「ここには子供や女、老人しかいねえ。力のある男は採集に出掛けたからな」
元々小さい村なのでそれほど人はいない。蜜採集も、できるだけ多くを持って帰れるように男手が全員向かうのだそうだ。
しかしその男たちはレッドスパイダーに捕まっているという。
「ここにいる村人たちにゃ、レッドスパイダーを倒すことなんかできねえんだよ」
「らしくないなオッサン」
「……は?」
「いつもなら俺が何とかしてやると言って飛び出して行くだろうが。何故しない?」
いつものアノールドであるならば、友達のマックスを助けに向かうのが当然だと日色は思っていた。しかし何故か彼は苦渋の表情をしているのだ。
「俺だって行って助けてやりてえよ! けどな! ホントにユニークモンスターってのは異常なんだ! しかも俺はまだレベル37だし、ランクだってCだ! とてもSランク相手に戦えるわけがねえ! お前だってSランクの強さは知ってんだろうが!」
「……? …………アンテナ女のことか?」
ウィンカァはテニー曰く、Sランクの冒険者だ。レベルも80近い。以前彼女と戦ってアノールドと日色の二人でも全く相手にされなかったという苦い経験をしている。
「まだウイの時は理性が残ってたから良かった。けどよ、モンスターは違えぞ? それこそ躊躇なく殺してくる。助けてやりてえけど、俺一人じゃ……」
チラリとミュアに視線を送るアノールド。彼が死ねばミュアは一人になる。それが彼の足を止めている原因。
ミュアもそのことを知っているのか自分の弱さのせいで足を引っ張っている事実に悔しげに下唇を噛んでいる。
するとそこへ、マックスの家からルッソが現れ、怪訝な表情で集まりを見つめている。
「ママ……?」
「帰ってたのスス? ……パパは? それにみんなどうしてこんなところに?」
マックスの家の近くで話をしていたせいか、その話し声を聞いて出てきたのだろう。
ススが突然涙を流しながらルッソに抱きついた。
今まで気丈に振る舞っていたが限界がきたようだ。
「ママァ……パパが……パパがぁ……」
「え……?」
村長からマックスたちがレッドスパイダーに捕まったことを聞き、ルッソは顔の血の気が引く。
「そ、そんな……うそ……っ!?」
「ママァッ!?」
突如ルッソが意識を失って倒れかけたところをアノールドが危機一髪で支えた。
その時、マックスの家から泣き声が聞こえた。寝ていたベルが起きてしまったようだ。
アノールドは彼女を抱え上げると家に向かった。その後に日色たちもついて行く。
木で造られたベッドに寝かせると、ススが不安そうに彼女の手を強く握った。
「大丈夫よスス。ちょっと目眩がしただけだから」
「で、でもぉ……」
「ダメよそんな顔しちゃ。ほら、ベルが不安がってるわよ?」
ミュアが泣いていたベルを慌てて抱っこし、あやしたお蔭で泣き止みはしたが、不安気な空気を感じ取ってまたも泣きそうな表情をススへと向けている。
ススは立ち上がって「ごめんね」と言いながらミュアからベルを受け取る。
するとベルは嬉しそうにキャッキャと笑顔を見せた。それを見て微笑みを浮かべたルッソだが、すぐに笑みを崩しアノールドに顔を向けた。
「アノールドさん……夫は……マックスは……」
「……アイツはレッドスパイダーに捕まりそうになったススを庇ったみてぇなんだ。そんでこのことを一刻も早く村に伝えろといってススだけ帰ってきた」
「そう……ですか。では夫は……もう」
悲しみに包まれた沈黙が周囲を支配し始める。しかし空気を斬り裂くようにある者が発言した。
「まだ……分からない」
「……ウイ?」
アノールドが振り向きウィンカァを見つめる。ウィンカァはジッとルッソのことを見ながら淡々と言葉を発する。
「まだ殺されたか分からない。レッドスパイダーは、食べるの遅い」
「ウイ、お前奴とやりあったことあんのか?」
「ううん、ないけど聞いたことある。だからまだ間に合うかもしれない」
ウィンカァの言う通りなら、確かにマックスたちの命はまだ奪われていないかもしれない。だが結局助けるにはレッドスパイダーを倒さなければならない。
さすがに倒さずに捕まっている村人全員を救い出すのは無理だろう。
「なら……倒せばいい。そんだけ……だよ?」
「あのなウイ、お前だって強えし、長く旅をしてきたんだったら知ってるだろ? ユニークモンスターの怖さを」
「ん……知ってる」
「……倒せると思うのか?」
「そうしなければ、マックスたち死ぬ。アノールドは、それでいいの?」
「いいわけねえじゃねえか! アイツは友達だ! 助けてやりてえよ! でもな……勝てるビジョンが見えねえんだよ。俺は昔ユニークモンスターと戦った。そん時は命からがら逃げ帰れたけどよ、一緒に戦っていた冒険者たちはほとんど殺されちまった。それこそ呆気なくな。あれから少しは強くなってるっていっても、俺は…………まだ死ねねえんだ」
「おじさん…………ごめんね。わたしがいるから」
「違えよミュア! これは俺のワガママなんだ! ミュアを立派に育てる。それが俺の夢……お前の親父と交わした約束でもあるんだ」
「おじさん……」
二人にしか分からない世界があるのだろう。簡単に踏み込めない空気の中、ウィンカァが日色に顔を向けてきた。
「ヒイロ、どうしたらいい?」
「何故オレに聞く?」
日色は腕を組みながら今まで傍観していた。
「ヒイロはウイの王。ヒイロの判断にウイは従うよ?」
また厄介な忠義心を見せられたものだ。
一切の穢れを知らない純真な瞳を向けられ、日色は直視できずにいた。見てしまえば心が吸い込まれそうな気がしたからだ。
するとウィンカァが視線を切り、アノールドに対して発言する。
「アノールド、ウイもヒイロもいる。それでも勝てるビジョン、見えない?」
「ウイ……」
「友達は大切。死ぬのはダメ。だからウイはできることをしたい。それがウイの恩返しでもあるから」
恩返し。それはきっと暴走した自分を元に戻すために奮闘してくれた日色たちにウィンカァが感じている想いだろう。
「それに友達が悲しむのは、ここがぎゅ~ってなってとっても痛い」
ウィンカァはその大きな胸に手を当てている。
「おじさん……」
「ミュア………………ヒイロ」
アノールドが日色の顔を力無く見つめてきた。
何かに縋りたいという気持ちが明白に伝わってくる。
それほどの敵が今度の相手なのだろうと容易く想像できる。
日色もまた軽く溜め息を吐きながら彼を見返す。
「また……お前の力を借りることになっちまうが……力…………貸してくれっか?」
「ヒイロさん、わたしからもお願いします!」
二人が頭を下げる。二人から頼まれるのは初めてではない。結構何度もあった。日色の頭の中にはある思いが生まれていた。
(何でコイツらは他人のために、ここまで必死になれるんだろうな……)
日色は自分の命を懸けてまで誰かを助けたいと思ったことは過去に置いて一度しかない。だがそれも身内であり、自分がまだ幼い時分のこと。
人の命が軽んじられるこの【イデア】で、これほど誰かを救いたいと思えるというのは貴重だと日色は客観的に彼らを見ていた。
思えば彼らは常に誰かのために動いていた。最初は呆れていただけだったが、彼らの純粋なまでのその心にほんの少しだが興味が惹かれていたのも事実だ。
だが興味が惹かれたとしてもそれはあくまで客観的なこと。自分がそんなふうに行動するとは思えないし、これからもしないだろうと日色は思っている。
日色にとって命を懸けるに値するのは自分の欲望に対してのみだ。だから日色はいつものように呆れながら肩を竦めて言う。
「まあ、熊のオッサンたちが戻って来なきゃ蜜菓子が作れないんだろ?」
「……へ? あ、ああ、まあそうだな」
「オレはここに蜜菓子を食べに来たんだ。それを食べずに去るなんていう選択はない」
「ヒイロ……じゃあお前……」
「当然、蜜菓子のためにユニークモンスターが邪魔だというのなら、ぶっ潰すだけだ」
「ヒイロさん!」
「さすがはヒイロ」
「アンッ!」
ミュア、ウィンカァ、ハネマルが賛美するかのように声を飛ばした。
アノールドは半目で日色を見つめながら、プッと息を溢す。
「あ~あ、素直じゃねえんだからなお前はよぉ」
「何がだ?」
「べっつにぃ~」
物凄くアノールドの顔に腹が立ったので小指を踏んでやった。
「のおぉぉぉぉぉっ!?」
足を抱えて床を転げ回るアノールドに、ススに抱かれているベルが面白そうに笑っている。
またもいつものように言い合いをする日色たちをミュアが頬を膨らませて注意する。
お互いに妥協点を見つけて言い合いを終結させたところにルッソが声を出す。
「あ、あの、本当に行くんですか?」
「え? ああ、マックスは俺らが必ず助け出してやるよ!」
「で、ですが……」
「心配すんなっての! 俺は確かにまだまだ弱えけど、こっちにいるウイって子はとんでもなく強えし、この無愛想なガキはこう見えてすっげえ力を使える奴なんだ!」
「無愛想で悪かったな変態」
「話の腰を折るな! つうか誰が変態だ誰が!」
「もうおじさんもヒイロさんもそこまでぇ!」
間に入りミュアが話を止める。アノールドは「けっ!」と子供のように口を尖らせると、今度は優しげな笑みを浮かべてルッソを見つめる。
「アンタは安心して寝てな。もうすぐ生まれんだろその子」
ルッソのお腹に視線を向けて言うとルッソは「はい」と頷く。
「その子に親父がいねえ生活はさせねえよ」
「アノールドさん……」
「それによ、さっきは勝てるビジョンが見えねえって言ったけどよ、アイツ……」
日色には聞かれない声音で喋る。
「ヒイロがいるって考えたら、何とかなるって気もしたんだ」
「そんなに強いんですか?」
「う~ん……強えっていうか卑怯っていうか反則っていうか」
「……?」
「と、とにかくアイツがいりゃ、大抵のことは乗り切れそうな予感がいつもするんだ。今回だって……大丈夫だ」
その言葉を近くにいたススも聞いていて、ふと彼女は日色に視線を向けるが、日色は腕を組みながら目を閉じて仏頂面をしている。
「………………分かりました」
ルッソが苦笑を浮かべながらもそう言ってくれた。
「あなたたちの命を懸けてまで夫を助けてほしいとは言えません。ですが……」
ルッソは起き上がり床に座るとそのまま頭を床につける。
「どうか、夫を、みんなをお願いします」
「おう! 任せとけっ!」
アノールドがニカッと歯を見せてグーサインを見せつけた。
日色たちは【ハニー峠】に向かう前に村長に報告しに行った。無論最初は止められた。
しかしこちらが頑なに譲らないと、渋々諦めてくれた。
村人たちが集まる中、日色たちは準備を整えていた。皆が祈るように両手を組んで日色たちに向かって拝んでいる。
村人からは「お願いします」や「お気をつけて」や「ありがとう」など様々な激励を受ける。
アノールドが不安気に瞳を揺らしているミュアに声をかける。
「ミュア、後は頼んだぞ」
「う、うん。できればわたしも行きたいけど、今回ばかりは本当に足手纏いになるだけみたいだから」
ミュアにはさすがに相手も相手なので村に残って、ルッソの世話を頼んだ。ススがいるではないかと思うかもしれないが、彼女には途中まで案内役を務めてもらうことになっている。
何せ彼女だけがレッドスパイダーがいる場所を正確に把握しているのだから。無論深入りはさせずに常にアノールドが彼女の周囲を警戒するということで話が通った。
それにこれはススの頼みでもあった。ここまでしてくれる日色たちに自分も何かしたいと願い出てくれたのだ。
「行くぞオッサン」
日色の声にアノールド、ウィンカァ、ハネマルが意気込みを宿した返答で応えた。
まるでこれから決戦でもしにいくような雰囲気を醸し出し、日色たちは村を出ていった。
「ヒイロさん……おじさん……ウイさん……ハネマル……どうか無事に帰ってきて」
ミュアは自らの無力に心を痛めながらも、神に懇願するように必死に日色たちの無事を祈った。




