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35:熊人の村:ドッガム

 ――――獣人界。


 橋を越えた先には広大な自然が広がっていた。

 遠くには幾つもの(そび)え立つ高い山も見える。

 どことなく気持ちの良い澄んだ空気が肺に入ってくる。新大陸に入ったことで、日色も無意識に鼓動が速く脈打っていた。思った以上に楽しみだったようだ。


 眼前に見えている大草原を越えると、その先には深い森がある。その森に入ることが目的だとアノールドは言う。

 人間界とはまた違った風が吹いている。何と言っていいだろうか。草と土のニオイ。それがまだ遠目に見える海からやって来た潮の香りと混ざった大自然のニオイだった。

 人間界では猛暑のせいで生暖かく息苦しい風だったが、獣人界の風は同じ気候の風でも心地好さを伝えてきた。これが自然の恩恵かどうかは定かではないが、やはり環境そのものが違うのだと理解させられた。

 しばらく歩いていると、久しぶりにモンスターが姿を見せる。相手は三匹いた。


「コイツは確か……ブックブックだったか?」


 ブックブックと呼ばれるモンスターは本の形をした存在である。

 大きさは百科事典程度だが、このモンスターの恐ろしい所は――――バチバチィッ!


「うお! 急に電撃かよ!」


 アノールドは咄嗟に身体を後ろへとずらして避けながら叫ぶ。

 そう、ブックブックというモンスターは魔法を扱うのである。しかもブックブックの種類によって扱う魔法も種類が違い、見た目では判別できないのが難点だ。


 ちょうど日色、アノールド、ウィンカァの前方に一匹ずつ敵意を放っている。まるで翼のように閉じたり開いたりを繰り返して、プカプカと宙に浮かんでいる。


「久々に攻略し甲斐のあるモンスターだな。オッサン、そっちの一匹は責任持って仕留めろよ」

「上等だ! このアノールド様の剣捌きを見せてやらぁ! ミュアは下がってろ!」

「う、うん!」

「アンテナ女も一匹やれ」

「ん……」


 それぞれ一匹ずつの相手だ。


(オッサンのは雷、オレの相手は……)


 ドゴゴッという音とともに突然地面が盛り上がると、それが次第に大きな手に形を変えて捕まえようとしてくる。


「なるほど、お前は土かっ!」


 素早く《刺刀・ツラヌキ》を鞘から抜き、その土の手を寸断する。だがブックブックは更に地面に小さな地割れを起こし、日色の足止めを企てる。


「そう上手くは――」


 指先に魔力を集中して空中で『静』という文字を書き、地面に投げつけ発動する。

 すると地割れは突然鎮まり静かさが訪れ、日色のところまで届くことがなかった。ブックブックもさすがに戸惑っているのか、次の攻撃をできないで困惑しているようだ。


「いかないってことだ!」


 その隙をついて間を電光石火の勢いで詰める。しかしブックブックも負けじと日色の目の前に土の壁を作って防御態勢を整える。


「そんなんでこの突きを防げると思うな!」


 突進力そのままに、壁に向けて突く。するとザクッと壁を突き抜けて、その背後にいたブックブックをも貫く。そしてパキパキパキという音とともに動きを失い崩壊した。


「さてと、オッサンは……」


 見たところもう終わりそうだった。電撃を華麗に避けて間を詰め、大剣で叩き斬った。


「見たか! これが俺様の実力よぉ! ナッハッハッハ!」


 まるで有頂天だった。確かに厄介なモンスターではあったが、確実に格下のレベル。

 そんな奴を一匹仕留めてあんなに誇れるのだから、幸せな性格しているなと思い日色が嘆息するのもごく自然な流れだった。

 ウィンカァの方を見ると、すでに戦闘は終結しており、本人は地面で発見した虫に興味をひかれてジッと観察していた。


(いつの間に……やはりアイツは別格だな)


 恐らく敵に何もさせず一撃のもとに終わらせたのだろう。彼女の周りには魔法の痕跡など見当たらないのでそう推察できた。

 ブックブックも何もできずただ寸断されてしまい、相手が悪かったと言ったらそれまでだった。

 その戦闘を皮切りに、しばらく歩いていると、またもモンスターとの戦闘になる。そうやって何度かの戦闘を経て、森の中にやってきた。



     ※



「この森を突っ切れば【ドッガム】だ!」


 先導するアノールドについて行き森を抜けていく。途中何度かモンスターと戦闘になるが、ここら辺のモンスターはレベルが低いのかそれほど苦労せずに倒せている。

 しかしいかんせんエンカウント率が多い。いくら雑魚でもこれほど襲って来られれば辟易してしまうのだ。

 森は結構深く、抜けるにも時間が掛かるとアノールドは言う。水辺を見つけると、そこで少し休憩することになった。


「オッサン、モンスターが出てきたらあとは頼んだぞ」

「お、おいヒイロ!」


 日色はそれだけを言うと木にもたれかかり目を閉じた。


「ったく、コイツはホントにまったくよぉ」

「あはは、疲れたんだよヒイロさん。結構魔法も使ったし」


 ミュアのフォローが入るが、アノールドは口を尖らせて不満そうに石の上に腰を下ろす。その横にある石にミュアもチョコンと座った。

 ウィンカァとハネマルは、疲れを知らないようで水辺ではしゃいでいる。


「というかアイツ、よくこんな状況で眠れんな……神経疑うわ」

「ふふ、そうだね」


 確かにモンスターだらけの環境で寝息を立てられる神経の図太さは折り紙つきかもしれない。

 木々の間から射してくる木漏れ日が日色たちを優しく包んでいる。

 ふとアノールドが日色に視線を向けると顎髭に触れながら口を開く。


「しっかし、コイツはホントに何者なんだろうな?」

「え? どういうこと?」

「だってよ、こんなガキのくせに、あの戦闘力だろ? それに普段の横柄な態度……は置いといてだな。ユニーク魔法のことも……そもそも何でコイツは一人で旅して、しかも人間なのに獣人の大陸に行きたがるんだ?」

「それは言ってたでしょ? 観光だって」

「まあな。けど普通の冒険者が、特に今の世の中を知っている冒険者が行うか普通? 自殺行為以外の何もんでもねえぜ?」

「た、確かに……」


 ミュアも一理あるとコクコクと頷く。


「レベルも俺より低い割には強過ぎな気もするしな。身体的能力も……性格もな」

「ふふ、性格は関係ないでしょ?」

「けっ、こんなガキ初めてだぜ。しかも俺らが獣人だって知った時の態度は思わずひっくり返りそうになった」

「そうだね。興味がない、だもんね。あはは」

「他の奴らなら、ほとんどは見下しやがるか、恐怖を浮かべるかどっちかなんだけどな」

「そう……だね」


 顔を俯かせるミュアを見てアノールドは目を細める。


「まだ人間が怖えか?」

「…………うん。だけど……」

「だけど?」

「どうしてか、ヒイロさんは大丈夫……みたい」

「ま、アイツはいろいろと規格外だからな。ひょっとしたら人間じゃねえかもしんねえぞ?」

「あはは! だったら何なの?」

「間違いなく邪神の生まれ変わりだな。それか鬼だな。それも天邪鬼的な」


 ミュアはそこがモンスターの住む土地だと分かっていても大声を抑え切れないで笑う。ミュアを見てアノールドも優しげに笑みを浮かべる。


「そうやって笑うことができて俺は嬉しいぜ」

「おじさん……」

「アイツに託された子だ。お前は俺が死んでも守ってやる」

「……ううん、わたしだって強くなる。だって、強くなりたいもん!」

「ミュア……」


 二人は互いに見つめ合い、そしてアノールドは彼女の頭を優しく撫でる。

 ミュアは嬉しそうに目を閉じて感触に身を委ねていた。


「………………」


 日色は微かに目を開けていた。

 そして横目でそんな二人を一瞥して、また静かに目をそっと閉じた。



     ※



「さて、さっさと行くぞ」


 十分休息を取れたので、起きるなり日色はツカツカと歩いて行く。そんな日色を半目で睨んでいるアノールド。


「……まあ、回復したならいいけどよ。つうかお前待ちだったんだぞ!」


 気持ち良く寝ている日色を起こすのは悪いとミュアが言うので、皆は日色が起きるまで待っていたのだ。


「ふふふ、ほら行こ!」


 ミュアに促されてアノールドは呆れたように肩を竦めて歩を進める。相変わらずウィンカァは元気でハネマルと一緒に駆け回っている。

 しばらく歩いていると森の出口らしきものが見えてきた。


「お、やっとか!」


 アノールドはつい早足になってしまう。

 森を抜けるとそこは一面のお花畑だった。


「うわぁ~!」


 ミュアは言葉を失ったかのように見惚れている。花びらが穏やかな微風に乗って揺らいでいるのはとても美しい光景だった。


「これが【ドッガムガーデン】だ」

「ここの花畑は熊人が?」


 日色がそう尋ねると、アノールドは軽く顎を引く。


「ああ、作った。キレイだろ? それに花の香りもたまんねえだろ?」


 確かに鼻腔をくすぐるほどの甘い香りが周囲に漂っている。きっとこの色とりどりの花からは、様々な美味しい蜜が取れるだろうことは想像できた。


(蜜ってのはこの花から採れるのかもしれないな)


 日色はそう思い、この蜜を使ってどんな蜜菓子が食べられるのだろうとワクワクが止まらなかった。


「この先がいよいよ熊人たちの村、【ドッガム】だ!」


 アノールドが先導して花畑に入っていく。もう時刻は日も沈みかけていた。





 花畑の中にある石畳で造られた道を通り抜けると、そこには小さな村があった。

 隠れ里のような、こじんまりとした村だ。


 目的地に到着した日色たちは、花の香りを感じながら村の中へと入っていく。

 中に入ると、何やら開けた場所で熊人たちが集まっていた。何をしているのかと思い日色たちも行ってみることにする。


 一際身体の大きな熊人を見たアノールドが嬉しそうに顔を綻ばせると、早足で駆け寄りその大きな背中をバンと叩いた。


「よぉマックス!」

「痛って!? ……え? お、おおっ!? お前アノールドか? 久しぶりじゃねえかアノールド!」

「てめえも相変わらずデブってんなぁマックス!」


 互いに肩を組みながら挨拶をしている。


「ん? アノールド……その耳」

「あ? はは、まあな」


 バツが悪いような顔をするアノールド。だがすぐさま開き直ったように、陽気に言葉を発する。


「紹介するぜ。コイツは熊人のマックスだ。まあ、昔この村に来た時に酒を飲み交わした仲だ!」


 日色たちに向けて紹介してくれた。

 マックスは大きな顔をクシャッと破顔する。


「マックス、こっちも紹介するぜ」


 今度はマックスの方を向いて日色たちの紹介を始める。


「この娘は、愛しのマイエンジェル、笑顔のキューティフラワー、ミュア・カストレイアだ!」


 決まったぜみたいな顔しているが、ほとんどの者はキョトンだった。

 ミュアは恥ずかしそうに頬を赤く染めている。


「よ、よろしくお願いします!」


 慌てて頭を下げる彼女を見た他の者は微笑ましそうな表情を見せている。


「そんでこの子は、魅惑の不思議ちゃん、とっても強えストロングガール、ウィンカァ・ジオだ!」

「ん……よろしく。こっちはハネマル」


 ウィンカァが頭を下げたついでにハネマルを軽く持ち上げて挨拶した。ハネマルも「アオッ!」と元気よく吠える。


「ああ~そして、こっちはそのまあなんだ、ヒイロっていうガキだ」


 明らかに態度が違うが、別に日色にとってはどうでもよかったので無視した。


「おう、みんなよろしくな! 俺はマックスだ!」


 外見は恰幅の良い、というより明らかにメタボ満開の身体だった。耳は熊のそれのように丸く、確かに熊を思わせる巨躯である。

 ただし他の熊人を確認するが、マックスが特別なだけで、細い熊人ももちろんいた。


(だが熊人というよりは豚熊だな)


 とんでもなく失礼なことを思い浮かべている日色だった。

 アノールドはここで集まっている理由をマックスに聞いた。


「これから蜜採集に行くんだわ」

「蜜採集って、例のアレか?」

「おうよ。ちょうど良い時期に来たじゃねえか。ちょっと【ハニー峠】まで行って美味え蜜を採ってくっからよ、村で待ってろよ。それとも急ぐのか?」

「いんや、ここに来た理由も蜜だったからな。新鮮な蜜がもらえるってんならいくらでも待つって」

「よっしゃよっしゃ、でもそれなりに高えからな?」

「あはは、少しくれえマケろよ?」


 二人は本当に仲が良いみたいで気さくに言葉のキャッチボールを繰り返して楽しんでいる。

 よく見ればマックスだけでなく、他の大人たちの背中には壺が抱えられている。

 恐らくそこに蜜を採集するのだろう。

 日色が分析していると、スタタタタと地面を叩く足音が近づいてきた。


「パパァ、準備できたよぉ!」


 そこに現れたのはミュアより若干小さめの、茶色のショートカットを持つ女の子だった。その小さな顔に栗色の大きな目が輝いている。可愛らしく頭には花の髪飾りがしてある。


「おう遅かったじゃねえかスス」

「もう、女の子にはいろいろあるの! あれ? ねえパパ、この人たちはだ~れ?」


 ススと呼ばれた少女が日色たちを不思議そうに見回すが、アノールドは驚愕の表情でマックスに顔を向ける。


「おいマックス! お、お前……娘がいたのかっ!?」

「へへへ、そういや最後に会った時はまだいなかったよな。紹介するぜ、俺の娘のススだ」

「マジかよ……お前いつの間にカミさんができたんだ?」

「お前が村を出てすぐだぜ?」

「はぁ~そっかぁ、え~っとススだっけ? オレはマックスの友人のアノールドだ、よろしくな」


 続けてアノールドが日色たちを紹介していき、終わった後にススが礼儀正しく頭を下げる。


「あ、わたしはススです。七さいになります。こちらこそ、パパがお世話になっております」

「へぇ、お前の娘にしちゃ、出来が良過ぎねえかマックス」

「ハハハ、カミさん似だ」

「羨ましい限りで……あ、そのカミさんは?」

「家で寝てるよ」

「……具合でも悪いのか?」


 アノールドが眉を寄せながら不安気に尋ねたがマックスは首を横に振る。


「いやいや、今カミさん妊娠しててよ」

「二人目っ!?」

「いや…………三人目だ」

「どんだけだよお前っ!?」


 聞くところによると、マックスの妻は家で、もうすぐ二歳になる次女と昼寝をしているそうだ。

 妊娠に関してはそろそろ生まれる時期に入っており、その時の体力を温存するために妻は寝ているそうだ。


「体力つけるにはね、【ハニー峠】でとれるミツがイチバンなの!」


 そう言うのはススである。

 しかも母体や胎児にも栄養価の高い蜜は心強い味方になってくれるという。最近その蜜を食べていたのだが、その蜜がなくなってしまい、村の貯蓄も少なくなっているのでこれから採集に出掛けるとのことだ。


「ママにはたっくさんおいしいミツを食べさせてあげるんだ!」


 何と純粋な笑顔を向ける少女だろうか、アノールドなど感動して鼻をすすっている。


「な? 良い娘だろ?」

「ああ、お前にはもったいないなマックス」

「ガハハ! まったくだ!」


 マックスに他の熊人たちが、【ハニー峠】に向かう準備が整ったということを報せた。


「んじゃ行ってくるわ。大量に採ってくっから、楽しみにしとけアノールド」

「おう、しばらく村に厄介になるつもりだからよ、三日でも四日でも大丈夫だぜ」

「おいおい、そんなかからねえって。明日には帰ってくっからよ」

「そういやそんなに遠くはなかったっけ? でも帰って来るのは明日か? もう日も沈むしよ」

「おう、ちょいと向こうでやることがあってな、それを終わらせてから帰って来るからちょっと時間がかかっちまうんだわ」

「そっか。ま、気をつけていけよ」

「おうよ」


 そうして村からマックスたちを見送った日色たち。


「ん~楽しみだぜ!」

「そんなに美味いのか?」


 アノールドがこんなにも楽しみにしているので日色の食指も期待して動いてしまう。


「ああ、前にも言ったと思うけどよ、マックスたちが採ってくる蜜で作る蜜菓子はメチャクチャ美味えんだよ」

「ほう……」

「何というかな、甘さもそうだけど、香りが上品でよ、しかもそれを使った菓子は……それはもう絶品だぜ。小さな村だけど、獣人界では知らねえ奴はいねえくらいここの蜜菓子は有名だからな」


 それは俄然興味が湧いた。是非食べないといけない。今先程出ていったばかりのマックスたちだが、日色は心の中で早く帰ってこいと強く念じた。






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