34:獣人化
テニーとのやり取りを思い出し、それでもやはり心配性なアノールドとミュアの前に一羽の小鳥が橋の上に姿を現した。
その小鳥は、驚くことにテニーが作り出した小鳥と酷似していた。
すると突然その小鳥がアイスのように溶け出し、形態を失っていく。
ミュアなどはその光景に怯えていたが、しばらくするとウィンカァが口を開いた。
「……文字」
「え? 何か言ったかウイ?」
アノールドが聞き返すと、ウィンカァが軽く顎を引いて小鳥がいた場所を指差した。
「文字……ある」
「え…………あっ!?」
そこにはこう書かれてあった。
『どうやら関所を渡れたようッスね! 僕は大丈夫ッス! またお会いしましょうッス!』
その文字を見て、テニーが連絡してきたということが一目で皆が理解した。そして彼が無事だということも。
「よ、良かったぁ~」
「うん! ほんとに良かったよぉ~」
アノールドとミュアは本当にテニーの生存を喜んでいるようだ。
ウィンカァは小鳥だったものに興味があるのか、近づいて近くに落ちていた木の棒でツンツンしている。ハネマルも不思議そうにクンクンとニオイを嗅いでいる。
(こんな能力もあるとはな……いよいよもって怪しい奴)
一つの魔具には一つの能力が基本的。普通はそうだと日色は聞いている。もちろん優秀な魔具の中には複数の能力を宿しているものもある。
それでも日色にとって、やはりあんなチャチな筆にこれほどの能力が宿っているとは到底思えない。
(まあ、今度会った時は問答無用で《ステータス》を調べてやるか)
そうすれば何かが分かると思い、喜びに溢れているアノールドたちとともに橋を突き進んでいった。
日色たちは【ドーハスの橋】を渡り切った。
そこでふと、アノールドが思い出したかのように「あっ!?」と声を発して日色に身体ごと振り向いた。
「何だ? とうとう幻聴でも聞くようになったか?」
「違うわボケェッ! とうとうってなんだよとうとうってっ! 俺はいつだって健康体だ! ああもう、俺が気になったのはその姿だよ!」
ビシッと日色を指差して叫ぶアノールド。
「はあ? 姿? どこか変か?」
何か変なものがついているのかと思い日色は自身の姿を確認するが、見たところどこにも普段と変わっているものは発見できなかった。
「違え違え。それにヒイロだけじゃなくてウイもだ」
「……え? ウイ……も?」
無機質な表情で小首を傾げるウィンカァ。
「そう、お前ら今、どこに立ってるか理解してんだろ?」
「何を言ってる? 獣人界だろ?」
「そうだ。けどお前の種族は何だ?」
「何だって…………なるほどな、そういうことか」
つまりアノールドはこう言いたいわけだ。
今ただでさえ緊迫状態にある各大陸。その大陸を渡り、別の種族がやって来るということ自体はほとんどなくなっていると聞く。
獣人が人間界から自分たちの故郷である獣人界へ帰るのは当然。しかし人間が獣人界へ入るのは異常な情勢なのだ。もしかすると攻め入ってきたとみなされ攻撃されたりする可能性だってある。
獣人は好戦的な種族でもあり、今では人間を敵視している者が多いので、日色のような人間が獣人界を歩いていて見つかれば否応なく面倒事が降りかかってくる。
最悪本当に戦闘になって獣人界を観光どころではなくなってしまうのだ。アノールドも耳は無いが、尻尾を出せばそれで判別もできるので大丈夫らしい。
「どうすっかな~、ミュアみたいに帽子で頭を隠すか」
「あ、それならわたしの帽子をウイさんに渡せばいいんだよね!」
ミュアが被っている帽子を脱いでウィンカァに手渡す。ウィンカァはそれを手に取り頭に被る。体格もミュアと一緒のウィンカァなので抵抗なくすんなりと頭に入る。
なかなかに似合っていてとても可愛い。アノールドは良く分からないグーサインをウィンカァに向けていた。
「あとはヒイロだけどよ……黒髪ってのも獣人にはそうそういねえし、ホントどうすっかな……」
皆が顔を突き合わせて悩んでいる時、日色が何て事のない様子で口を開く。
「そういうことなら、こうすればいい」
日色は魔力を右手の人差し指に集中させる。ポワッと青白い光が灯り、緩やかに指が動き文字が形成されていく。
『化』
発動すると、文字が光り輝き、その光で日色を包んでいく。
すると日色の髪色が白銀、目の色が空色へと変化していき、その頭の上にはニョキニョキッと立派な獣耳が生えた。服に隠れていて見えないが、尻尾も一応生やしておいた。
「これでいいだろ?」
日色の変わり様に皆が一様に言葉を失って、時を凍らせたように固まっていた。
アノールドはあんぐりと口をバカみたいに開けたまま、ミュアは何故かぽ~っと頬を赤く染めて見上げ、ウィンカァは「お~」と感動して目を輝かせていた。
日色は《文字魔法》で『化』と書いて、ミュアと同じ獣人の姿をイメージして化けたのだ。『模』だと、ミュアそのものになってしまうので、いっそのこと獣人化することにした。
たとえイメージでもアノールドのような獣人に化けるのは生理的に受け付けなかったので、ミュアにしたということだ。ここにいるしイメージもし易かった。
ただ獣人化といっても姿が獣人になっただけで、身体的な能力などは変わってはいない。
ここに白銀髪の眼鏡獣人少年が誕生した瞬間だった。腰を探り尻尾がしっかりついていることを確認する。うん、モフモフしている。これはいい。
(何か尻尾があるって変だな。妙に身体が軽いというか何というか、こう三半規管が逞しい感じがするな)
バランス感覚に優れているということである。もともと獣のソレはバランスを取るためや、気配を感知するのに優れている。
「お、おま、おまおまおまおまっ!」
「何が言いたいんだ青い髪の獣人さん?」
「だーもうっ! な、何だよそれっ! そんなこともできんのかよっ!」
相変わらず暑苦しいアノールドだった。彼の気持ちも理解はできるが。
「そう叫ぶな。これなら問題が解決する。何が不満なんだ?」
「その姿だよっ! な、何でミュアと同じなんだよオイッ!」
どうやらアノールドは、愛する愛娘と同じ格好をしている日色が許せないようだ。
「はぁ…………親バカ変態ロリコン」
「何だとゴルアァァァァッ!」
「お、おじさん落ち着いてぇっ!」
必死にアノールドの身体を抑えて押し止めるミュアに、アノールドが涙目で彼女に聞く。
「なあミュア? お前だってあのバカと同じなんて嫌だろ? つうか嫌だって言ってくれ」
「え? あ、その……わ、わたしはその……」
チラチラとミュアが日色の顔を見て、恥ずかしそうに顔を紅潮させている。
「い、嫌じゃない……かな?」
「そんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
この世の終わりのような表情でガックリと膝を地面につくアノールド。どこまで親バカなのか分からないが、日色はもう面倒なので姿をこれ以上変えるつもりはなかった。
するとクイクイッと服を引っ張られる感覚が走り、見てみるとウィンカァが物欲しそうな顔で見上げていた。
「……何だ?」
「ウイにも……できる?」
「は?」
「ウイもそれ……やりたい」
日色の頭の上に生えている獣耳を指差している。
「お前も獣人化したいってことか?」
コクコクと首肯するウィンカァ。
(まあ、確かに帽子だけを被ってカムフラージュするだけより、実際に獣人化した方が安全は安全か)
この先の旅を考えたら、できるだけ面倒事を避けるためにもその方が都合が良いと判断した。
「いいぞ、ほれ」
またも『化』の文字を書いて今度はウィンカァに向けて発動した。
ウィンカァがミュアから貸してもらった帽子を脱ぐ。すると彼女の頭の上には狐のような尖った耳。そして臀部にはフサフサな毛で覆われた尻尾が生み出されていく。
彼女の場合、一度獣人化したところを見ているからイメージし易かった。
「た、他人にもできるのかよ……」
アノールドは信じられないといった感じで頬を引き攣らせたままだ。ウィンカァはウィンカァで、尻尾と耳を触り嬉しそうに頬を緩めてハネマルに見せつけている。そうとう嬉しいようだ。
「もう俺、お前が何者かホント分かんねえ……」
「いちいち気にするな。ハゲるぞ?」
「ほっとけっ!」
ユラユラと立ち上がったアノールドは諦めたように息を吐くと「あ!」と小さく声を漏らす。
「そういやよ、それって効果は一分で切れるんじゃねえのか? それとも毎回魔法使うつもりか?」
「そんな非効率的なことやってられるか。そもそもこれは永続的な効果を持ってる」
「へ? そうなの?」
「ああ、形態を変化させるような効果はどうやらずっと続くらしい」
「ほえ~便利ですね~」
ミュアが感心するように目を見開いている。
故に元に戻りたいときは『元』の文字を使う必要がある。同じ『化』で元に戻ることも可能ではあるが。
「ヒイロ、ありがと。ウイ、嬉しい」
「あ? ああ、その方が都合が良いからやっただけだ」
「ウイ、似合う?」
身体を左右に傾けてポーズをいろいろ取ってくる。耳をピコピコ動かしながら尻尾でフリフリッと円を描いている。
似合うも何も、その姿はつい最近アノールドが瀕死に追い込まれ、日色もまた殴り飛ばされたりした格好なので、一種の恐怖の権化でもあるのだが、さすがにそのことを言うと場の空気が悪くなるだけなので、
「まあ、お前らしくていいんじゃないか」
当たり障りのないことを言っておいた日色。だがそれでもウィンカァは嬉しそうに頬を緩めて、千切れんばかりに尻尾を振っている。そして手に持っていた帽子をミュアに返す。
「ありがとミュア。でもいらなくなった」
「あ、はい。あのウイさん?」
「ん?」
「し、尻尾触らせてもらってもいいですか?」
「ん……いいよ」
「うわ~フワフワモコモコですぅ~」
確かに毛のボリュームなどはウィンカァの尻尾は群を抜いている。気持ち良さそうだ。日色も若干触ってみたい衝動にはかられるが、異性ということで場を弁える。
「オッサン、ところでこれからどこへ行くんだ?」
日色が尋ねると、アノールドは指を差す。
「ここから真っ直ぐ西に行けば、【ドッガム】の村がある」
「そこはどんなとこなんだ?」
「『熊人族』の一族が住む村だ」
なるほどなと頷きを返す日色。
ミュアとウィンカァも興味が湧いたのかモフモフタイムを終わらせて近くにやって来て耳を傾けていた。
(熊人ねぇ。図鑑で読んだが、熊とは思えないほど穏やかな性格の種族らしいな)
【人間国・ヴィクトリアス】にいる間、一応知識として、ギルドにある図鑑は一通り目を通しておいたので頭に入っている。
「まあ、熊人は温厚な奴らばっかだし、たとえバレてもいきなり襲いかかったりはしねえよ。まあ、もうバレることはなさそうだけどよ」
やはりそうかと、自分の知識が正しかったことを日色は認識する。
「それにだ、奴らの作る蜜菓子はなかなか美味えぞ?」
「ほう、それは楽しみだ」
「へぇ、そうなんだ」
「何だ、チビは行ったことないのか?」
ミュアも自分と同じ反応をとったので、彼女はその村に行ったことがないと日色は判断できた。
「あ、はい。じ、実はですね、その……」
言い難いのか口ごもりながらも、言わなきゃという意思が伝わってくる。しかし日色は手で虫を払うように動かす。
「ああ、別に無理に言わなくていい」
「え?」
キョトンとしてミュアが日色を見つめる。アノールドも同様の様子で日色を見ている。
「オレはお前らの過去なんかに興味はないし、伝えるのに少しでも抵抗があるなら言うな」
「……そ、そうじゃないんですけど……」
少し落ち込む彼女を見たアノールドが、場の雰囲気を変えようとして少し大きめの声を出す。
「まあ、ヒイロもそう言ってるしいいじゃねえかミュア!」
「おじさん……」
「そんなことよりさっさと行くぞ」
そう言って日色はスタスタと歩いて行く。ウィンカァとハネマルもその後についていく。
アノールドはミュアの頭を撫でて、耳打ちするように優しげに言葉をかける。
「不安なのは分かるけどな。アイツのことだ。言っても『それがどうした?』とか言うだけだと思うぜ?」
「う、うん……そうだね」
アノールドに言われて何だか胸のつっかえが取れたような表情を浮かべるミュア。
「いつか話せるといいな」
「うん!」
「よっしゃ! ほら、置いて行かれないように急ぐぞ!」
「うん! 待って下さいヒイロさん、ウイさん! ハネマル~!」
ミュアがトコトコと早足で歩いて行く後ろ姿を「ああ~可愛いなぁ~」と言いながら眺めているアノールドの姿は、日色曰く、もう犯罪者予備軍決定だった。




