30:ジュドム・ランカース
「ん? おお、久しぶりだなウェル」
「ご無沙汰しておりますジュドム様」
【人間国・ヴィクトリアス】の国軍、第二部隊隊長であるウェルを、気前の良さそうな笑顔で出迎えているのはジュドム・ランカースという男だ。
立派な白い口髭を生やしてはいるが、まだ四十八歳である。短く刈り上げている白髪は決して老いにより脱色されたわけではなく地である。
柔和なその表情は、子供にも安心感を与えるであろう雰囲気を持っている。だが立ち上がってみると、その異様な体つきがよく分かる。
二メートルを越すであろう身長に、鍛えに鍛え抜かれたその腕は、鋼のような硬さと丈夫さを備えている。
服は着ているが、少し力を入れると破れるのではないかと思うくらい、はち切れんばかりの筋肉の鎧を全身に纏っている。
「ワッハッハ、よせよせ様づけなんて! 今じゃお前は立派な隊長様じゃねえか!」
バンバンと気さくに笑いながらウェルの背中をジュドムは叩く。
だが彼は軽く叩いているつもりでも、ウェルにとっては徐々にHPが削られるほどの衝撃を持っているのだ。
「ゴホゴホ! あ、相変わらずのようですねジュドム様は」
背中を擦りながらも、嬉しそうにウェルは笑みを浮かべている。
「どうした? お前がこんなとこに来るなんて珍しいじゃねえか」
「一つ、お願いがあって参りました。ギルドマスターのあなた様に」
ここはギルドであり、今二人がいるのはギルドマスターの部屋である。ウェルの真剣な面持ちを見て、ジュドムは肩を竦める。
「ほう、また面倒事か? よせよせ、俺はもう引退した身だ。前線は未来ある若者に任せるよ」
「何を仰るのです。今でもジュドム様に並ぶ冒険者など存在していますまい」
「ワッハッハ! そりゃ買い被りだ買い被り! それに聞いたぜ? 召喚したらしいじゃねえか、勇者をよぉ。今はそいつらの時代だろ?」
ジュドムは微かに目を鋭くして問うが、それには気づかないウェル。
「いえいえ、時代は常に強き者を求めています。特に、あなた様のような強者を」
ウェルの答えを聞いて、ほんの少し表情を曇らせるジュドムだが、すぐに元に戻す。
「だから俺の時代はもう終わったんだよ。今の俺じゃそこらのSSランクの野郎とドッコイドッコイってとこだ。とてもかつてのようなSSSランクばりの動きはできねえよ」
憂いを含んだような達観したような表情で自嘲気味に言う。
「ご謙遜を。……先程ジュドム様は、前線は未来ある若者に任せると仰いました」
「おう、言ったぜ」
「その未来ある若者たちに、どうか戦い方を教えて差し上げてもらいたいのです」
「…………勇者どもか?」
「はい」
しばらく二人は見つめ合う。
ジュドムはそんな真剣な眼差しをぶつけてくるウェルを見て懐かしげに笑う。
「あの時と同じ目だな。お前が俺に弟子入りを志願してきたあの時と」
「結局、断られましたが。ジュドム様はあの時、私にこう仰いました。お前じゃ俺の弟子には足りないと。俺は自分と同じ目線で戦える者しか弟子にしないと」
「そんなこと言ったっけなぁ?」
俺も若かったなぁと言葉を漏らし、ジュドムは照れ臭そうに笑みを浮かべている。
「この度、あなた様と同じ目線で戦える者たちが現れました」
ジュドムは笑みを消して、ウェルの言葉に「……そうか」と答える。
「どうかその者たちにご教授をお願い致します! 我々『人間族』の未来のために!」
「『人間族』の未来のため…………か」
力強い瞳だとジュドムは彼を見ている。真っ直ぐに前しか見ていない目だ。
ジュドムはパイプを取り出して火を点ける。そしてゆっくりと紫煙を吐く。
「なぁウェル」
「はい」
「俺がどうして、ギルマスになったか分かるか?」
「それは……いえ、分かりません」
「ギルマスは有事の際、国王と同等の権限で指揮できるからだ」
「ジュドム様……」
「俺が冒険者やってた頃、いつも思ってた。何でこの国は、いや、この大陸は戦い続けてるんだろうってな」
「…………」
「いつか誰かが平和な世の中にしてくれると願い日々を送ってた。完全に他力本願だな。だが種族間の争いは激化し、この国にもその飛び火がきやがった。俺はもちろん戦った。守りてえもんがあったからな。けどその時、当時のギルマスはどこにいたと思う?」
知っているのか、ウェルも苦々しい表情をしている。
「ギルマスはこの国から遥か遠くにいた。そいつは国を捨てたんだ。ギルマスの権威を利用して、自分だけ助かろうと逃亡しやがった。そのため、冒険者の統率が遅れ、救われたであろう命が幾つも失われていった」
「ジュドム様……」
「そのギルマスを指名したのは国王だ」
ジュドムの言葉を受け、ウェルは押し黙る。
そんなギルマスを指名した責任は国王にあるからだ。
そしてギルマスの真意を見抜けなかった自分にも憤ったのがジュドムである。
「だから俺は必死で強くなり、ギルマスを目指した。有事の際、しっかり動けるように国王に権限を主張した。そしてギルマスは、もう一人の国王として存在することができた」
「…………」
「俺は国王の間違いを唯一正せる存在を目指した。いち冒険者の俺が最大限できることだった。だが……」
悔しそうに拳を握りしめる。その様子を見てウェルは目を見開く。
今もやはり国王の決定は絶対だ。しかし、こと冒険者の本分に関わる有事には、ギルマスの方が決定権を持てるようになった。
ジュドムは静かに、そして冷ややかな視線をウェルへと向け発言する。
「また国王は間違いを犯した」
「なっ! 何を言うのですか!」
突然国王の批判が始まったのでウェルは驚き声を張り上げた。それ以上言えばいくらギルドマスターといえど侮辱罪になりかねないからだ。
しかしジュドムは気にせずに冷ややかな様子で言葉を発していく。
「国王は三人の命を犠牲にして何をした? いや、一人はかろうじて生きてるか」
そうしてウェルに視線を向ける。さあ答えろと目で言っている。
「そ……それは……」
「勇者召喚……確かにこの国は危機に陥っている。だが俺は勇者召喚をする前にやるべきことがあるのではと国王に進言した」
「そんなことが……?」
ウェルは知らなかったようで眉を寄せてジュドムを見つめる。そしてウェルが驚愕すべき言葉がジュドムから放たれる。
「何故、相手の和睦交渉を蹴ってんだ?」
「和睦……交渉? 何のことですか?」
「ふむ、知らされてねえのか。まあ当然か」
やれやれとジュドムは呆れたように首を振る。
「ど、どういうことですかジュドム様!」
「ずいぶん前から、『魔人族』から和睦の親書が送られてきてるはずだ」
「馬鹿なっ! そんなこと聞いたこともありません!」
「大方上で握り潰してるんだろうよ」
ふ~っと紫煙を吐きながら言葉にする。
「い、いえしかし! それが本当でも『魔人族』からの親書など信用できるわけが!」
「何故対話をしねえ?」
「……え?」
「無理かどうかなんてやってみなきゃ分かんねえだろうが」
「それは……」
正論であることが十分に理解できているようでウェルは反論できない。
「気持ちは分かる。ずっと前、親書を渡されて会談に臨んだ時、向こう側の裏切りにあったことも知ってる。けどな、自分の娘を犠牲にする前に、まだ何かあっただろう?」
「で、ですが、陛下も断腸の思いで」
「娘を失うことが腸を切ることと同義なわけねえだろうがっ!」
先程までの柔和な表情とは一転変わり、凄まじい迫力のある顔つきをする。ウェルは全身に汗を滲ませ無意識に身体を震わす。これが引退した冒険者の覇気かと……。
ジュドムは首を振りながら溜め息を吐く。
「そうでなくとも、俺に相談してくれれば、会談にだってどこにだってついて行ってやることができた。お前らは知らねえだろうが、『獣人族』にだって『魔人族』にだって良い奴はいる。そのことをほとんどの奴らが知らねえ」
「た、確かにそれも真実です。ですが『魔人族』の王が『人間族』を滅ぼそうとしているのもまた――」
「真実か?」
「そうです!」
「ならこの情報は知ってるか? 『魔人族』の王が代わったということを」
「……え?」
「王が代われば中身だって変わる。その親書もその代わった王が送ったものだ。だがそれでも国王は俺の話を深く考えもせず、異世界から他人を呼んできちまった」
「他人だなんて……勇者様がたは我々のために」
「命を懸けて……か?」
「…………」
「異世界がどんな世界だったなんて知らねえ。けどな、その勇者たちが、自分の命を天秤に掛けてまで、本当にこの世界を憂いてくれるとは思えねえ。俺だったら勝手に誘拐したお前らなんか放置して旅にでも出るわ」
それはまさしく日色という少年がしていることなのだが、ウェルはジュドムの言葉に衝撃を受けて固まっている。
「で、ですが勇者様がたは真剣に……」
「そんなのまだ命を失う局面を迎えてねえからだろ? 絶望を知ってもなお立ち上がれる奴は少ねえぞ?」
「…………」
「そいつらにも故郷があるんだろ? 呼びつけた国王が本当にしなきゃならねえのは、無傷で送り返すこと、じゃねえのか?」
ウェルは顔を俯かせて目を閉じている。反論の余地はもうないといった意思表示だ。
「聞いた話じゃ、もう一人召喚された奴がいるらしいが、そいつは従う義務などないと言ってどこかに行ったってな?」
「あ、はい」
「俺は……勇者なんかより、まだそいつの方が信じられるわ」
「ど、どういうことですか!」
それは聞き捨てられないというようにウェルは言葉に怒気を滲ませる。
「それが分からねえんなら、お前はまだ未熟だってことだウェル」
「ジュドム様……」
そしてジュドムは訪ねた時と同じ柔和な表情を作り、机にパイプを置く。
「帰りなウェル」
「し、しかし!」
「今何をするべきか、もう一度よく考えて、今度はお前が国王に進言してみろ」
「そんな恐ろしいことは……」
「臣下や友の話を聞かねえ者が、どうやって世界を救えるってんだよ」
それからはもう一言もジュドムは話さなかった。
ウェルは愕然とした思いを抱えて部屋から去っていった。
※
「ジュドム・ランカース?」
「ああ、ジュドム・ランカース。『衝撃王』と名を馳せた元冒険者だ」
どうやら二つ名のようだが、それをアノールドから聞いて日色は眉を寄せてしまう。
「何て厨二臭い……」
「ちゅうに?」
「何でもない」
「そっか? まあ、覚えておくといいぜ。彼は『人間族』にしておくにはもったいねえほどの人格者だ」
「ほう、地位や名誉に目が眩んだ野郎がねぇ」
「だから、その人はそんなんじゃねえよ! 俺も世話になったことあるしな。ずっと前だが」
アノールドは懐かしそうに遠くを見るような面相になる。
「ま、そんな奴のことはどうでもいいが、このままだとオレは関所を通れないってことだな?」
「どうでもいいって……はぁ、ああそうだ、通るにはかなり時間がかかるぜ」
日色は思案顔でこれからどうしようか考察する。待てばどうにかなるみたいだが、【ヴィクトリアス】でも一週間かかるのなら、ここではそれ以上ということだ。さすがに飽きる。
日色が打開策を考えていると、アノールドがハネマルと遊んでいるウィンカァに声をかける。
「なあウイ」
「ん?」
「お前はこれからどうするんだ? 俺たちと一緒に国境渡っちまうのか?」
奇妙な縁のもとウィンカァと一緒に旅をすることにはなったが、彼女には彼女の目的がある。それは父親を探すこと。
日色のことを気に入り、日色を自身の王として仕える決意をしたウィンカァだが、このまま流れに任せてついて来ても大丈夫なのかとアノールドは聞いているのだ。
「……ダメ?」
日色と同じような感情の見えない表情のまま首をコクンと傾ける。
「い、いや、ダメじゃねえけど、いいのか? 親父さん、もしかしたら人間界にいるかもしれねえんだぞ?」
この世界【イデア】には大陸が三つあり、それぞれの大陸は橋で繋がっている。『人間族』が住む大陸を人間界。『獣人族』が住む大陸を獣人界。『魔人族』が住む大陸を魔界とそれぞれ呼んでいる。
せっかく国境を渡って獣人界へ行ったとしても、父親が人間界にいるのなら、また戻らなければならないので、人間界を調べ尽くすまでここに残った方が良いのではとアノールドは提案する。
しかしウィンカァは頭をブンブンと横に振る。
「ととさん、人間界にいない」
「そ、そうなのか?」
「……ような気がする」
「勘かよ!」
アノールドの鋭い突っ込みが室内に響く。しかしそのままウィンカァは続ける。
「ウイの勘、よく当たるよ?」
「いや、そんなこと言われてもだな……つうか、判断基準が勘でいいのか?」
「ん……だってウイ、みんなともっと一緒にいたい」
「ふぐぅ!?」
突然アノールドは胸を貫かれたかのように手で押さえ悶えだした。
そして小声で「その目は反則だぜウイ……反則の中の反則だぜ……へへ」と危ない人みたいに呟いている。
「……オッサンは大丈夫か?」
日色もさすがに気持ちが悪くなってミュアに視線を送る。
「え、えっと……いつも通り……かな?」
どうやらミュアはしっかりこんなアノールドの耐性ができているようで、慌ててはいないようだ。かなり引き気味ではあるが。
確かにウィンカァの上目遣いはロリコン(日色だけ思っている)のアノールドには破壊力は抜群だったろう。
(そのまま悶え死にしたら絶対後世に残してやろう)
極めて滑稽な死に方をした偉人として後の世に伝えようと日色は決意した。
しばらく悶えていたアノールドは「危なかったぜ」と額の汗を拭いて、
「と、とにかく一緒に来るんだなウイ」
「おお~」
ハネマルを持ち上げながら肯定するウィンカァ。ハネマルも賛同するように吠えている。
「そんじゃ、問題はヒイロの通関だけか……何か案はあんのか?」
「まあ、無くはない」
実際その気になったら《文字魔法》で、どうとでも都合を合わすことはできるのだ。
「例えば空を飛んで関所を越えることもできるしな」
「……空も飛べんのかお前……やっぱ卑怯だわぁ~」
実際空を飛ぶことができるのは実践済みだ。
しかし空を飛んで関所の壁を越えるとなると、どうやっても目立ってしまう可能性が高い。もし不審者と判断されて魔法で撃ち落とされるのは勘弁願いたい。
もう少し目立たない方法はないものか考える必要がある。
仮に空を飛ぶにしても目立たない方法はないものか見つかれば一番良い。
「とりあえず慎重に行動しなきゃな。こんな時に限って厄介ごとに巻き込まれたりすることも多いしよぉ」
アノールドの重々しいその言葉に皆が頷く。
日色にしても何事もなくすんなり国境を通過できればそれが一番なのだが、今までいろいろ巻き込まれている経験から、何か嫌な予感がすることも事実。
(まあ無事に関所を抜けられることを祈るだけか)
話が一段落したその時、扉がノックされた。
ここは職員用の仮眠室なので、誰かが仮眠しに来たのかを思い皆の視線が向く。
ゆっくりと扉が開くと、そこからは汚らしいローブを纏って、頭にはターバンを巻いた男が姿を現した。




