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280:最後の文字魔法

「ほう。それは確か《太赤纏》でしたか。攻防一体の身体能力向上手法。まあ単なるドーピングといったところでしょうか」


 冷静にオリザスが、日色の行使した技を分析し始める。


「恐らく極端に向上させた身体能力を駆使し特攻を試みるつもりでしょうが、そのような力でこの《エクヘトル・イデアル》の防御を貫けると思ったら大間違いですよ」

「それはどうだかな」


 日色が冷淡に返すと、「はい?」とオリザスが眉をひそめる。


「お前の見極めが正しいかどうか、今見せてやるよ」


 直後、ボッと何かが燃えるような音とともに、その場にいた日色が消える。

 そして一瞬にして《エクヘトル・イデアル》との距離を潰し接近していく。


「何っ!?」


 さすがに驚きを隠せなかったオリザスが声を上げると同時に、日色に向かって光の槍が伸びる。

 目前へと迫る閃光だったが、日色はまたも消えたように移動し、相手の上部へと姿を現す。


「くっ、スピードが段違いに上がっているっ!?」


 再度迎撃しようと、今度は日色に向けて無数の黒い刃が襲ってくる。

 日色もまた同様に超スピードを活かして縦横無尽に空を翔けオリザスを翻弄していく。

 そのお蔭で徐々にではあるが《エクヘトル・イデアル》の懐へと近づく。


(思った通りだ。このデカブツの攻撃速度はとんでもなく早いが、あくまでもそれはあのストーカー野郎が操作しているに過ぎない。奴の知覚を超える速度で動けば――)


 ――簡単に懐へと入れる。


 思惑通り、日色はオリザスの死角をつき、彼が反応できないうちに《エクヘトル・イデアル》に向けて刀を振るう。


「はあぁぁぁぁっ!」


 ようやく届いた一閃。

 全力を込めた日色の一撃がオリザスの最終兵器に向けて放たれる。


 ――バヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィィィッ!


 まるで回転するドリルとドリルをぶつかり合わせたような音と火花が散る。


「くぅっ! たかが人間ふぜいが、この《エクヘトル・イデアル》を舐めるなっ!」


 日色の姿を見止めたオリザスが、すぐに迎撃しようと日色に向けて灰化の閃光を放つ。


「こっちこそ舐めるな! 攻防一体の技だと言ったのはお前だっ!」


 日色は身体を纏っている《涅槃如来》のオーラを最大限に噴出し、向かってくる閃光に備える。

 こちらも衝突した直後に、けたたましい音が鳴り響くと同時に周囲へと光が散っていく。


「う、受け止めただとっ!?」


 信じられない面持ちでオリザスが声を荒らげる。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! っらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 閃光を弾いた日色の姿に言葉を失うオリザス。

 今が好機だと、日色はすべてのオーラを刀へと収束させる。


「これでっ、どうだぁぁぁぁぁぁっ!」


 刀から噴出される金と赤の眩い光が巨大な刀の形へと変わり――プツ……。

 《エクヘトル・イデアル》のボディに刀が静かに沈み込んだ。

 それを皮切りに、光の刀はズブズブズブズブと切り込みを入れていきそして――一気に真っ二つにした。


「バ、バカな……っ!? 僕の最高傑作がっ……!?」


 切断された《エクヘトル・イデアル》の体内から露わになるオリザス。

 日色は手を緩めず、彼に向けて刀を槍投げの要領で投擲した。


「貫け――《仏陀ノ閃》」


 《絶刀・ザンゲキ》は光の刃となって超常の速度で、真っ直ぐオリザスへと向かい、彼の腹部へと突き刺さった。

 そのままオリザスの身体を貫いた《ザンゲキ》は、途中光の粒子となって消失し、再び日色の手の中へと戻る。


 衝撃によってオリザスは、《エクヘトル・イデアル》の体内から地上へと落下していく。

 そして《エクヘトル・イデアル》のボディもまた、そのまま地上へと落ちる。

 吹き飛ばされたオリザスは、玉座の方へ飛んでいき、玉座を破壊しながら後方の壁へと突き刺さった。


「っ……がはぁっ!? ……くっ! おのれぇぇっ……!」


 頼りの兵器すら失ってもなお、まだ諦められないのか、オリザスはフラフラになりながらも立ち上がる。切断された腕の出血を止めた時と同じように、再度何かを服用するが……。


「!? く、くそ……何故効かないっ……!」


 日色が放った技である《仏陀ノ閃》だが、放つ前に刀にある文字を刻み込んでいた。


『復元不可』


 この文字により、攻撃によって傷つけられた部分を二度と復元できなくしたのである。

 ただ日色もすでにオーラが尽き、元の状態へと戻ったままオリザスの目前へと降り立つ。


「矮小な人間がっ! 僕の崇高な野望を邪魔するなっ!」


 喋る度に口から血を撒き散らす。


「お前の野望にオレたちを巻き込むな、ストーカー野郎」

「だ、黙れ黙れ黙れぇぇっ! 貴様に分かるものか! たった一人の理解者を失った僕の気持ちが! それを取り戻したいって願う僕の感情が!」

「…………滑稽だな」

「何……だと?」

「お前は今、自分で言ったこととやろうとしていたこと、そこに明らかな矛盾が生じていることに気づいていないのか?」

「……何が言いたい?」

「気持ち……感情」

「…………っ!」


 気づいたのか、オリザスがバツの悪そうな表情を見せる。


「お前がアダムスから排除しようとしたものこそ、今のお前を構成するものなんじゃないのか?」

「! ……何を……」

「オレも以前、大切な存在を失ったことがある」

「……!」

「その時に狂おしいほど願ったさ。どうかもう一度、やり直したいってな。そして同時に自分の無力さを呪った」


 父と母を事故で失った時、またこの世界でミュアを殺されてしまった時……。


「確かに感情があるから悲しい。辛い。心は揺れて正気ではいられなくなってしまう」

「…………」

「だけどな。だからこそオレたちは成長できるんだよ。あの痛みがあったから、今度は二度と失いたくないと自分を奮い立たせることができる」


 きっとオリザスと自分とは、立場が違っていたら同じことをしていたかもしれない。

 ずっと一人で、誰にも認められず、孤独の世界に佇んでいたオリザス。

 日色もまた両親が死んでからは、世界がとても空虚のように思え、何も信じられなかった。

 だがこの世界へ来て、こんな自分を仲間だと……好きだと言って認めてくれる人たちができた。


 その筆頭がミュアである。

 彼女が死んだ時、日色の中では両親が死んだ時以上の痛みと憎しみに苛まれた。

 そして暴走し、世界すらどうでもよくなっていたはず。

 しかしそれを仲間たちが止めてくれた。


 ここがオリザスとの違いなのだろう。

 彼もまた自分を認めてくれたアダムスという存在がいて、そんな彼女を失ってしまった。

 だがオリザスを支えてくれる者は、アダムス以外いなかったのである。

 故に彼は暴走をしたまま、こんな悲しい野望の道を歩いてしまった。


(……リリィンやイヴェアムたちがいなきゃ、オレも今頃はどうなっていたか)


 そう思うと、自分は恵まれているのだと認識できた。

 だからこそ、彼女たちとの絆を奪おうとしたオリザスを赦しはできない。


「好きというのも感情だ。気持ちだ。心だ」


 それがあるから人は人と繋がっていけるのだ。


「そして今、お前がオレに抱いているのもまた感情だ」

「っ……」

「アダムスを取り戻したいという気持ちも分かる。オレも……いや、誰だって大切な奴を失い、それが取り戻せるなら行動に起こそうとするだろうしな」

「…………たら、……だったら邪魔をするな!」

「言ったろ。お前の野望にオレたちを巻き込むなと」

「くっ!」

「やるなら誰にも迷惑のかからないところでやれ。迷惑なんだよアホ」


 何も言い返せないのか、オリザスは悔し気に歯を食いしばっている。


「……っ…………僕は…………僕はそれでも…………たとえ誰に怨まれようと、僕にとっての太陽を……この手にしたかったっ!」


 本当に、この男にとってアダムスは〝すべて〟だったのだろう。それが痛いほど伝わってくる。

 こんなことにならなければ、もしかしたら友と呼べる存在になっていたかもしれない。


「――――もういいよ、オリザス」


 そこへ、いつの間にやってきていたのか、アダムスの声が鼓膜を震わせた。





 やってきたアダムスの身体を見て日色は絶句してしまう。

 何せ身体のほとんどが消えていたからである。

 声をかけようと思ったが、それを察してかアダムスが手を上げて日色を制止させた。そしてそのままオリザスに向かって口を開く。


「ねえオリザス」

「黙れ、失敗作! アダムスの顔で、声で、僕の名を呼ぶな!」

「いいから聞けコラ、ぶっ殺すぞガキんちょが!」


 思わず尻込みしてしまうほどドスの聞いた声がアダムスから発せられる。

 日色もドン引きしたが、オリザスも言葉を止めてしまった。

 アダムスは咳払いをすると、そのままゆっくりとオリザスのもとへ向かう。


 ――フワリ。


 もう片方しかない腕でオリザスを引き寄せ抱きしめたのである。


「っ!? ……アダ……ムスッ……!」


 刹那、オリザスは目を大きく見開く。


「……ごめんね、死んじゃって」


 その言葉を受け、オリザスは初めて悲痛な面持ちをして涙を流す。


「!? ……僕は……僕は君を………………失いたくなどなかったっ……!」

「うん」

「愛してたんだ! 唯一僕という存在を認めてくれた君を!」

「うん」

「もう一度会いたかった! 抱きしめたかった! 抱きしめてほしかったっ!」

「うん…………分かってる」


 アダムスは決して反論などせずに、オリザスの心の叫びを静かに受け止めている。


「もういいよオリザス。ありがとう。ワタシをこれだけ求めてくれて。本当にありがとう」

「アダムスッ…………僕は…………間違って……たのか?」

「そうだね。間違ってたっていうなら、それはきっとアンタをこんなふうにしてしまったワタシもそうなんだよ。だから……もうここまでにしょうよ、オリザス」


 オリザスはアダムスの温もりに抱き止められながら、嬉しそうにアダムスを抱き返す。


「……っ、すまなかった……君をこんな…………僕は……っ」

「いいんだって。曲がりなりにももう一度親友にも会えたし、それに……」


 チラリと日色の方をアダムスが見る。


「この世界の希望が確かにここにあることも実感できた。だから……いいんだよ」


 そうしてしばらく二人は静かに情を交わしていたその時である。

 全身を刺すほどの憎悪が日色たちに襲い掛かった。

 その原因となるものに意識を向けると、それは《エクヘトル・イデアル》が落下した周辺から感じていることが分かる。


 大地が、大気が、全身が震えた。

 すると地上からゆっくりと空へ上がっていく巨大な物体を視界に捉える。

 それは間違いなく真っ二つにした《エクヘトル・イデアル》だった。

 二つの欠片はひとりでにくっつき、再び一つの球体へと戻る。


「バカなっ! ちゃんと潰したと思ったのに!」


 日色が愕然とする中、何故こうなったのかオリザスが言う。


「……暴走してしまったようですね」

「!? どういうことよ、オリザス?」

「すみませんアダムス。《エクヘトル・イデアル》はこれまでワタシが《菱毘眼》によって吸い込んできた者たちをエネルギー化したもの。そして負の燃料と呼ぶ悪意で凝縮した兵器なのです。先程までは僕が力をコントロールしていましたが、舵を失い暴走してしまっているようです」


 そんなことを言っている間に、《エクヘトル・イデアル》から例の灰化光線が地上へと降り注ぐ。

 その一つ一つが日色やアダムスに向かって襲い掛かってくる。

 満身創痍ながら、日色たちはギリギリ回避に成功した。オリザスもアダムスを抱えたまま何とか逃れる。

 だがまるで雨のように乱射される光線をずっと避け続けるのは不可能に近い。今すぐ何とかしなければ、全身が灰と化す。


「どうしたらいいの、オリザス?」

「一度暴走状態に入ってしまえば、僕にもコントロールはできません。すみません。ですが一つだけ方法はあります」

「方法?」


 オリザスは「はい」と答えると、ゆっくりとアダムスから身体を離し、初めて彼は笑みを見せた。


「オリザス……?」

「ねえアダムス、君はこの世界が好き……なんですよね?」

「え……うん、大好きよ」

「……だったら、僕は君の望みを叶えるだけです」


 眩しいばかりのその笑顔に、何か不穏なものでも感じたのかアダムスが眉をひそめる。


「オリザス……アンタ何を……」


 だがその問いには答えず、オリザスは日色へ言葉を放つ。


「ヒイロ・オカムラ! 僕を《エクヘトル・イデアル》へと導け!」

「あぁ? 一体何を言ってる?」

「いいから僕の言う通り動け。さもないとこの世界が滅びるぞ!」

「っ…………どうにかできるのか?」

「やるさ。他ならぬアダムスのためだ」


 彼の言葉には重い説得力を感じた。何故ならその瞳は、憎しみと怒りによって淀んでいた先程とは違って、まるで自分の仲間たちのような純粋な想いを感じたからだ。


「…………分かった」


 日色が答えると、オリザスがフワリと浮かぶ。


「オリザス!」

「……アダムス。今までありがとう。そして…………ごめん。あの世で会ったら、またぶん殴ってくれ」

「オリザスッ!」


 アダムスの声を背に受け、オリザスが《エクヘトル・イデアル》へと飛翔する。

 光線が彼の身体を貫こうとするが、その目前に『相殺』の文字が飛び込んできて、光線は文字とともに消失した。

 そうして次々とオリザスに襲い掛かる光線を、日色が文字を飛ばして彼を守っていく。


「これで最後だ! 突っ切れっ!」


 日色はオリザス自身に『超加速』を発動させ、それを受けたオリザスが見事に《エクヘトル・イデアル》の身体を突き破り中央へと入った。

 そして自分の血を使って、魔法陣のようなものを描いていく。

 心配そうに見上げるアダムスを見たオリザスは、まるで最後の別れとばかりにニッコリと微笑み――。


「――――また会いましょう、アダムス」


 その瞬間、魔法陣が一気に広がり《エクヘトル・イデアル》の全体を包み込んでいく。

 山のように大きな全体が、握り潰すようにどんどん小さくなっていき十分の一ほどまで収縮する。

 そのまま打ち上げ花火のように真っ直ぐ上空へと上っていく。


 雲を越え、大気圏を越え、そして宇宙へと飛び出す。

 今では遠目にしか映らなくなった【ヤレアッハの塔】がある場所へと向かったと思ったら、その近くで大爆発を引き起こした。


「オリザス…………オリザスゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」


 アダムスの叫びがこだまする。

 今の爆発の直後、確かに感じ取っていたオリザスの気配が消えた。

 彼は恐らく自分の命をすべて魔力爆発に転換させたのだろう。それを《エクヘトル・イデアル》の内側から大爆発させた。

 大切な人を奪うことになった憎いはずのこの世界を守るために、彼はその命を費やしたのである。


 ただ想い人の願いを叶えるために――。


 確かにオリザスのしたことは許されないことだし、日色も決して許すことはないだろう。

 しかし彼を憎み切れるかといえばそうではない。

 何かが間違っていたら、彼と同じ立場にあっただろうと日色は思うからだ。


 それに最後の最後で大切な人のために尽くせた彼を、ほんの少しだが認めることはできる。

 悪意の塊のようなサタンゾアとは違う。

 オリザスはただただ純粋な子供で、母のようであり、姉のようであり、親友のようであり、そして恋人のような人をもう一度抱きしめたかっただけ。

 やり方は間違っていたが、日色は彼の壮絶な人生の幕下りには立派だったのではないかと思った。


「――うぐっ」


 呻き声が聞こえ、日色は空から声を発したアダムスへと視線を移す。

 彼女はいつの間にか前のめりに倒れていた。


「おいっ!」


 日色は慌てて彼女へ駆け寄り抱き起す。


「しっかりしろっ、ファンキー魔王!」

「……っ、わたし……だから……ヒイロ」

「イヴァライデアッ!?」


 もうイヴァライデアの身体のほとんどが粒子となって消失している。

 残すは胸部から頭部にかけての僅かな部位だけだ。

 日色は残存する魔力を使って様々な文字を試してみる。

 しかしそのどれも効果はなく、自分の無力さを突きつけられただけだった。


(くっ、このままじゃコイツが……!)


 イヴァライデアは日色にとってどのような存在なのか。

 単純にいえば、厄介ごとを持ち込んできた赤の他人……なのだろう。

 彼女の魂を受け継いでいるといっても、そんな自覚など少しもない。それは前任者であった灰倉真紅とて同じことだと思う。


 イヴァライデアはこの世界――【イデア】の神。《文字魔法》という絶対的な力を持つ。

 この世界の平和を第一として考え、宇宙からの飛来者である『神族』たちの暴挙から世界を守るために、地球という他の星から救世主として真紅を召喚させた。

 だが真紅はその命を散らし、その生まれ変わりが日色なのである。


 イヴァライデアは諦めず、再び日色を【イデア】に召喚させ、結果――彼女の望みは叶えられた。

 日色は退屈だった。地球での生活は単調で、何の面白みもないものだったから。

 だからこの世界に召喚され過ごしていくに連れて、召喚してもらったことに感謝したものだ。

 何と言葉にすればいいか分からない。

 彼女が日色にとってどういう存在なのか。


 親でも兄弟でも親戚でもない。かといって知り合いというだけの浅い関係でもないし、友人と呼べるような親しい関係でもない。


 なら彼女は――。


 そう考えた時、不意に日色の脳裏にある言葉が浮かんだ。


(そうか、コイツはオレにとって――――半身なのかもな)


 イヴァライデアは自身の魂を灰倉真紅に分け与えた。

 その転生者が日色だとするなら、まさしく同じ魂を持つ半身。そんなふうに思えた。

 切っても切ることのできないその繋がりがあるからこそ、日色は彼女を失うことに大きな痛みを覚える。


「…………ねえ…………ヒイロ」

「! 何だ、イヴァライデア? 何かお前を助ける良い方法でも思いついたか?」

「……頼みが…………ある、の」

「頼み?」

「…………聞こえ、ないの……」

「……何がだ?」

「声が……聞こえない」


 もしかして耳が聞こえなくなっているのかと思い、そう尋ねたが彼女は頭を振って否定した。


「魂を……解放した……はずなのに…………みんなの声が……聞こえてこない」


 そう言えばと日色もハッとなる。

 解放してずいぶんと時間が経った。

 現状を理解したであろう日色の仲間たちが一向に駆けつけてこないのだ。

 アヴォロスやリリィンなら、真っ先にこの場へ飛んできてもおかしくない。

 それなのに……。


「多分……魂の……接続が……上手くいって……ないんだと……思う」


 声を発したのはイヴァライデアではなくアダムスだった。まだ彼女の意識もあるようだ。


「どういうことだ?」

「人の魂……は……虚ろで……か弱いものだから……。離れていた……時間が……あり過ぎて…………肉体とリンク……できないのかも……しれない」

「!? どうすればいい?」

「――《文字魔法》なら……何とかできる……はず」

「そ、そうか!」

「でも……あはは、ごめん……ね。もうワタシの意識は……もたない……や。あとは……イヴに……任せ……から」

「ファンキー魔王!」

「こ……ら、こんな……時は……名前で……呼んで…………よね」

「…………アダムス」

「…………えへへ……うん、やっぱ………良い男……だね。だから…………イヴの世界……頼――」


 笑顔になったかと思ったら、今度は涙を流し悲痛な面持ちを浮かべた。


「…………イヴァライデアか?」

「……うん。アダムス……また……救えなかった……」


 親友であるアダムス。造られた存在だとはいえ、やはり自らの手で殺したも同様だ。イヴァライデアにとって辛い選択だっただろう。


「……でも、アダムスのために……も……。ヒイロ……わたしの額に……手を……置いて」


 言われたとおりに日色は彼女の額に手を置く。

 するとイヴァライデアの身体が金色に輝き始めた。


「今の日色なら……わたしの……すべてを……コントロール……できる」

「……すべて?」

「でも……世界のすべてを……救う…………力の反動……は、並大抵……じゃない。もしかすると…………力を……一時的……ううん……永遠に……失う可能性……だって……ある」


 彼女が言いたいことは伝わった。

 すでに日色の代名詞ともなっている《文字魔法》。

 世界中の人々を救うために使用すれば、その反動で日色を支え続けてくれた柱を折ることに繋がるかもしれないという。


「それでも…………いい……?」

「ああ、当然だ」


 仮に自分の魔法欲しさにこのままを維持するとしよう。

 彷徨う魂たちが消失し、結果的にこの世界で日色は一人ぼっちになる。

 地球にいた頃からボッチには慣れているし、別に今まで苦に思ったことはなかった。

 だがこの世界に来て多くの者たちと繋がり、大切な……失いたくない存在たちに出遭えた。


 ミュアたちを――彼女たちがいない世界など考えられない。

 たとえコレが最後の《文字魔法》になろうとも――。


「ヒイロ……なら…………そう言って……くれると……思った。あり……がとう」


 直後、彼女の全身が光となり、額に置いていた日色の右手に収束する。


「イヴァライデアッ!?」

〝――大丈夫。わたしはヒイロの中にいるよ〟


 頭の中に彼女の声が響いた。


「ったく、驚かすなよな」

〝ごめん。でもほんとにもう時間がない。急がなきゃ〟


 イヴァライデアの言うことに従い動くことになった。

 これまで三大陸となっていた【イデア】。今では四大陸で構成されるその世界の中央へと急いで向かった。

 そして遥か上空まで翔け上がる。


「空の色は戻りつつも、ここまで来ると寒いものだな」


 一体高度何万メートルのところにいるのか定かではない。

 普通の人間では一分といられない場所かもしれない。


〝ヒイロ、もう理解してると思うけど〟

「…………分かっている」


 彼女と同化したことで、その想いや思考まで読めるようになった。

 これから行うことで、イヴァライデアがどうなるのかも。

 そしてこうすることでしか、ミュアたちを取り戻せないことも分かっていた。


〝ごめん、ね。ヒイロには……いつも辛い役目を――〟

「オレは誰かに選択を委ねるのは嫌だ」

〝ヒイロ……?〟

「オレは自分で選び、自分で責任を負ってきた。選んだ選択に後悔なんてしない。悲しくても、辛くても、痛くても、それが……オレの答えだ!」


 日色の全身から金色の輝きが噴出し、さらにかつてサタンゾアを倒した時のように、瞳は金色に染まり、背には巨大な黄金の翼が顕現する。


〝……ヒイロ、あなたはもう…………わたし以上の神様……だよ〟


 神々しい日色の姿にイヴァライデアは感嘆の溜め息を漏らす。

 日色はゆっくりと右手を動かしていく。

 すると同時に、空をキャンパスにするかのように、広大な文字が刻まれ始める。



 ――『導』――



 世界を、人を、すべてを、在るべき場所へと導く。

 その想いを込めて書き上げた〝一つ文字〟。

 その文字は、イヴァライデアの命で――魂そのもので書き上げたもの。


〝ヒイロ…………ありがとう〟


 頭に響く微かな声音。

 その音が心に響くとともに、日色の両目から涙が零れ落ちた。

 死を受け入れた感情が心に染み渡ってくる。


 しかしイヴァライデアは、ただただ笑っていた。

 そんな満面の笑みを見せるイヴァライデアの顔がありありと脳裏に浮かんでくる。

 何一つ後悔などしていない。最高の笑顔。


 きっと自分はこの瞬間のために今まで生きてきたのだろう、と。

 そんな達成感と充足感に満たされた彼女の表情に、日色は痛ましさや寂しさよりも、喜びが込み上げてきた。

 友であるアダムスを失って、彼女が心から笑えた日などなかっただろう。

 無力に嘆き、大きな罪を背負い、ずっと心には闇が巣食っていたはず。


 だが今の笑顔には、そんな負の感情など一切ない、幼い少女らしい無邪気な笑みがそこにはあった。

 だからこそ、日色はこう口にするのが正しいのだと……思った。



 ――――あとは任せろ。



 もうこの世界に神という存在は要らない。

 たとえこの先、また諍い事が起こったとしても、きっとそれは人々が乗り越えてみせる。

 だから安心して――。


(眠ってくれ……イヴァライデア)


 日色は魔法を発動した。

 導きの文字は輝く光の流星となって地上に降り注ぐ。

 世界中の者たちを優しく包み込み、彷徨う魂たちにここが居場所だと導くように――。













 心地好い春風が全身を優しく撫でていく。

 日色は小高い丘の上に立ち、目の前に広がる蒼穹と青海だけに彩られた光景を見ていた。

 何一つ障害のない美しい光景だ。

 微かな潮の香りに包まれながら、日色は視線を下へと下げる。

 そこには立派な石碑が置かれ、線香とともに綺麗な花が添えられていた。


「――また、ここにいたんですねヒイロさん」


 不意に背後から聞こえた声だが、その声音に驚くことなく日色はそのままの状態で口を動かす。


「お前こそ、まさか一人で来たんじゃないだろうな――ミュア」

「えへへ。大丈夫ですよ。ちゃんと護衛にニッキちゃんがついてきてくれましたから」


 しかし彼女の背後を見るが、日色の愛弟子であるニッキの姿は見当たらない。

 聞けば空馬車でここまで来たらしいが、ニッキは腹が減ったらしく、「お弁当の時間ですぞー!」と言って、今は持ってきた弁当を食っているという。

 相変わらずニッキらしいといえばらしい。


「ったく、アイツは」

「ふふふ。……立派な石碑ですね」

「……ああ。アヴォロスの提案もあって、腕の良い石工に頼んで作ってもらったんだ」


 元々はほとんど手入れのされていないただの石の塊だった。

 そこにはこれまで三つの名が記されていたのだ。


 一人は灰倉真紅。一人はその灰倉真紅の恋人だったラミル。

 そしてもう一人は、アヴォロス自身が刻んだ彼の想い人である石峰優花である。

 しかし新たに加えられた名前が二つあった。


 【魔国・ハーオス】を建国し、初代魔王として名を馳せたアダムス。


 彼女の名前に寄り添う形でもう一人――イヴァライデアの名もまた刻まれていた。

 ここは【エロエラグリマ】といい、灰倉真紅が没した場所でもある。

 元々は獣人界の西端を越えた先に浮かぶ浮島だったが、今では四つの大陸の中央に浮かんでいた。

 世界を救うために奮闘し、そして殉職した者たちの名が刻まれた小さな墓場である。


 あのオリザスが起こした事件から、すでに三年の時が流れていた。

 今日は墓参りのつもりで日色は一人この場に来ていたのである。


「気持ちの良い風だな」

「はい。そうですね」


 何気ない会話をし、ふと日色は自分の右手に視線を置く。

 するとミュアが日色の想いを察したかのように聞いてくる。


「やはり寂しいものですか、ヒイロさん。――《文字魔法》が使えなくなったことは」


 そう。彼女の言う通り、現在日色は《文字魔法》が使えない。

 イヴァライデアが危惧していたことがそのまま現実となってしまったのである。

 最後、この世界に住む者たちの魂を守るために使用した魔法の反動だろう。

 ただ一気に使用できなくなったわけではない。


 しばらくは魔法を使えていたのだ。

 ただ時間の流れとともに、自分の中から何かが抜け出ていくように感じていた。

 恐らくイヴァライデアと同化したことで、彼女の力が少しだけ日色の体内に残っていたのだろう。


 だが時間の経過につれて、徐々にそれも失われていき今ではまったく使えなくなった。

 使用できなくなる前に、日色はこの【エロエラグリマ】を四大陸の中央の海に転移し固定した。

 そしてもう一つ、獣人界に建国した我が国もまた、四大陸目になる南の大陸へと移したのである。


 その時はいろいろもめたりしたものだが、一大陸に一国という形の方が収まりが良いということで決議されたのだ。

 日色にとって《文字魔法》という存在は、自分の分身ともいえるもの。

 ミュアの言う通り、やはり寂しいのかもしれない。

 使えなくなってもうずいぶんと経つというのに情けないことである。


「あの時、わたしたちが力になれてさえいれば、結果もまた違ったはずですのに」


 ミュアだけでなく、リリィンやイヴェアムなど、多くの仲間たちが悔しさで嘆いていた。

 IFの話を幾らしたところで意味はない。

 日色はあの時、自分にできる限りを尽くした。そこに悔いはない。


 それはきっとイヴァライデアだって……そうだ。

 だからいつまでも暗い表情を浮かべていると、彼女だって浮かばれないだろう。

 日色はそっとミュアの頭を撫でる。


「ん……ヒイロさん?」

「……ずいぶん、大きくなったな」


 日色の視線はミュアの腹部へと向かう。

 細身の彼女だが、腹部だけはぷっくりと膨れている。


「ふふ、来月には生まれる予定ですから」


 ミュアは懐妊したのだ。彼女にとっての第一子。

 相手はもちろん日色である。


「この子が生まれてくる世界は守らないとな」

「はい。でも大丈夫です。だってわたしたちにはヒイロさんがいますから」

「ミュア……!」

「それにヒイロさんだけでありません。この子は多くの人たちに望まれて生まれてきます。まあ、ちょっとミミルちゃんやリリィンさん、そしてイヴェアムさんの視線が怖かったりするんですけど……」


 はははと引き攣った笑いを浮かべるミュア。

 確かにミュアが懐妊した直後、彼女たちの眼の色が変わり隙あらば夜這いをかけてくるが。


「そういやオッサンのとこは早ければ今月生まれるんじゃなかったか?」

「おじさんったら、一カ月くらい前からずっとそわそわしてましたよね。まあその度にエルニースさんにいつも叱られてシュンとなってますけど」


 完全なカカア天下になっているとのこと。まあ、アノールドが亭主関白でいられるとは到底思っていないが。


「……ねえヒイロさん」

「何だ?」

「この子の名前、考えてくれましたか?」

「一応、な」

「ほんとですか! 聞かせてください!」


 興奮気味に詰め寄ってくるミュアに苦笑を浮かべつつ日色は答える。


「女なら〝ヒュア〟。男なら〝トイロ〟だな」


 言われるまでもなく、女児ならミュアから名前をインスピレーションし、男児は日色からだ。


「わぁ、可愛らしい名前ですね! わたしも大好きな響きです! ふふ、ミミルちゃんたちに自慢しちゃおっかなぁ」

「止めろ。あとが怖いだろ。主にオレへの襲撃が」


 ナニへの襲撃とは口にはしないが。


「あはは、でも早く生まれてきてほしいなぁ」


 ミュアは慈愛の溢れた笑みを浮かべながら大きくなった腹を撫でている。

 そんな姿を見ていると、本当にもうすぐ彼女が母親になるのだと認識させられる。

 少し前までは日色やアノールドの後ろをついてくる幼気な少女だったというのに。

 今ではもう立派な一国の王を支える妻である。


(オレが誰かと結婚し、子供まで授かるなんてな)


 地球で生活していた頃からはまったく想像できない。

 きっと独身を貫き、そのまま孤独死でもするのだろうとさえ思っていたから。

 それはこの世界に召喚されてからも変わらないと思っていた。

 だが今は、心の底から幸せというものを噛み締めている。


 そして――。


(これもすべてはお前のお蔭だ――イヴァライデア)


 石碑に視線を戻し、軽く微笑む。

 できることなら傍にいて祝福してほしかったが……。


「……さあ、もう行こうか」


 日色の言葉に「はい」と答えるミュアと一緒に歩き出す。

 すると突然少し強い風が吹く。



 ――――おめでとう、ヒイロ!



 不意に鼓膜を震わせた声音に、思わず日色は目を丸くして再度石碑を見やる。


「? どうかしたんですか、ヒイロさん?」

「…………いや、何でもない」


 日色は軽く肩を竦め、誰にも聞こえないくらいに呟く。


「また来る。じゃあな」


 消えていく命があれば生まれてくる命がある。

 何千、何万、何億という生命の営みが世界に存在するのだ。

 そうやって人の歴史は紡がれていく。

 生きている者にとって大切なのは、そんな新しい命のために平和な世を維持すること。


 だからこそ日色もまた、次なる世代に向かって尽力する。

 自分の子供のために、いや、今後芽吹くであろう命のために。

 それがこの世界を守るために命を尽くした彼女への恩返しだと――。







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