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28:グルメ狩り

 雲間から注がれる陽射しを浴びながら、日色は眼鏡を右手でクイッと上げて、眼前に広がっている光景に溜め息を吐いていた。

 少し先には目的地である街が見える。ここまでずっと歩き続けていたので、ようやく街で休息がとれると喜んでいたところに見たくない現実が飛び込んできた。


「お、おいヒイロ! ぼ~っと突っ立ってねえで手伝えってのっ!」


 旅仲間のひとりである、短い青髪を逆立てた料理人兼冒険者のアノールド・オーシャンが、大剣を両手で握り締めながら叫んでいる。

 その背後には、アノールドに守られるようにしてミュアが立っていた。

 またミュアの隣には、小さな身長には不釣り合いに見えるほどの長槍を構えるウィンカァが、前方に存在するある者たちを睨みつけている。


 日色はその彼らよりも少し後ろに位置取って、現況に面倒臭さを感じ、また一つ溜め息を漏らす。

 それはひとえに、行く手を遮るようにして立ちはだかっている複数の存在。大きさは人間の頭ほどで、サボテンのように体中に長い棘が生えている。中心には大きな目が一つだけあり、短い二本足で大地を踏みしめている。


(はぁ~、もうすぐ街だってのにモンスターか……)


 できればこれ以上疲れることはしたくなかったが、このままではアノールドがうるさいので仕方なく腰に携帯している《刺刀・ツラヌキ》を抜く。


「おらぁっ! 一匹ぃっ!」


 アノールドが突進してくるモンスターを大剣で真っ二つにする。

 ウィンカァにもモンスターが二匹同時に突撃してくるが、彼女は無表情のまま槍を素早く一閃する。あっさりと二匹を寸断した。


「……弱い」

「アオッ!」


 ウィンカァの声に反応して吠えたのは、彼女から少し離れた位置にいる子犬のようなモンスターであるスカイウルフだ。名をハネマルと名付けられた。その背に生えている翼と尻尾がパタパタと動いているのが可愛い。


「ヒイロさん! そっちにいきましたよ!」


 ミュアが、アノールドを無視して通り過ぎていった、日色にロックオンしているモンスターの存在を知らせる。しかもご丁寧に、向かってきている三匹は縦一列に並んでいる。


「ふむ、都合がいい」


 日色は刀の切っ先を、一番前にいるモンスターに向けると、右手の人差し指に青白い魔力を集束させ、刀身に文字を書いていく。書いた文字は『伸』だ。


「伸びろ、《文字魔法》!」


 日色の言葉が終わった瞬間に、書いた文字から放電現象が起こり、刀身がググンッと瞬時に伸長する。そのままモンスターを貫いていき、三匹が綺麗に串刺しになった。

 ミュアは呆気なくモンスターを討伐した日色を見て、ホッと胸を撫で下ろしている。


(あとはオッサンたちに任せるか)


 日色は自分の仕事は終わったと感じて刀に『元』の文字を書いて発動させて刀身を元の長さに戻すと鞘に戻した。



     ※



 先日雨が降ったせいでぬかるんだ大地を踏みしめ、粘り気のある音を立てる足音が響く。

 ふとその者は足を止め、小高い丘の上から目前に広がる街を眺めている。旅に汚れたのであろう色褪せたローブを纏い、フードまで被っているので表情がよく確認できない。

 それでも口元だけは微笑を浮かべているようだ。


 そして「ふぅ」と小さく溜め息が吐かれると、背負っている大きなリュックのような袋を地面へと下ろす。

 おもむろに袋の口を開けて右手を中へと突っ込む。ガチャガチャと何かが擦れ合う音が聞こえ、引き抜いた右手には一本の筆が握られてあった。

 その筆を口で挟むと、また右手を袋の中に入れる。するとそこから今度は大きな板を取り出す。形は長方形で大体、縦×横(30センチ×35センチ)の大きさである。


 板には真っ白な紙が貼られてあった。次にその者はパッドのような物を取り出し、そこに色とりどりの絵の具のような液体を複数ある窪みに注いでいく。

 そのまま地面に腰を落ち着かせて、胡坐をかいて板を膝の上に置くと、今度は筆を窪みに注いだ液体につけて紙に何かを描き始めた。


 どうやらその者が取り出したのは画材一式であり、今から絵を描くようだった。目の前に広がっている街の光景でも描くのか。そう思われたが紙に生まれるのは全く違うもの。

 そこには街ではなく、街の遥か向こうにある山々の光景が描かれていた。どうやら最初からその者が目にしていたのは街ではなく、その向こうの景観だったようだ。


 何の躊躇いもなくスラスラと筆を動かしていく。瞬く間に真っ白だった世界に命が吹き込まれていく。

 見事な出来であり、その完成度は露店などでも売れるのではないかというほどである。金が貰える。つまりその者の画力は非凡なものだということだ。


 ほんの少しで描き上げたその者は、眼前に広がる光景と絵を見比べて納得したように頷く。

 その時、チュンチュンという小さな鳴き声とともに空から小さな物体がやって来た。その姿は雀のような小鳥だった。


 しかし奇妙なのはまるで頭から緑のペンキでも被ったように小鳥の持つ色が一色なのである。

 小鳥はその者の肩に止まると、まるで内緒話をしているかのように、耳の傍で(くちばし)を小刻みに震わせている。


「……へぇ」


 そこで初めてその者は声を漏らした。その声を聞く限り男性のようだった。男が指先を伸ばし、小鳥の頭を撫でるように動かすと、また小鳥は空へと舞い上がっていった。

 しばらく男はその場で何枚も絵を描いていたが、ふと気になったものがあったのか視線を一か所に集中させる。その先には旅人であろう四人の姿が映った。

 ただその四人の前にはモンスターが出現し、戦闘中のようだった。彼らの強さはかなりのものであり、瞬く間にモンスターが倒されていく。


 男が一番目を見張ったのは、突然その中の一人の刀が急に伸びたこと。一瞬でモンスターを三匹仕留めた手腕は見事だった。

 男はその手際に感嘆したようでひゅ~っと口笛を吹いた。戦闘が終わりを迎え、男は興味深そうに四人を観察する。


 四人の近くに小さな青い獣がいる。トコトコとその中の一人に近づくと、その人物に頭を撫でられている。モンスターと仲の良い人物に自然と目がいく。


「あれは……」


 そう呟くと、微かに笑みを浮かべる。目の先にいるのは黄色い髪をした少女。そして次に気になったのはもう一人の人物。赤いローブを着用している黒髪の少年にも意識が向く。

 この世界には黒髪を持つ存在はそれほど多くはない。

 だから珍しいと感じ視線を向けるのは理解できるが、男の持つ瞳の光はそういった意味だけでなく、他の意味も含まれた様子を醸し出している。何せ刀を伸ばした者がその少年なのだ。


 男がジッとその姿を目で追っていると、黄色い髪の少女が立ち止まり男に気づいたように振り返ろうとした。



     ※



「どうしたウイ?」


 モンスターを全て討伐して、ふ~っと息をついたアノールドが、ジッとある一点を見つめて固まっているウィンカァに声をかける。

 ウィンカァは、アノールドの声を背中で受け取りながらも視線を小高い丘に向けていた。


「どうされたんですかウイさん? 向こうに何か?」


 可愛らしい大きめの帽子を頭に被ったミュアも、アノールド同様気になったようでウィンカァと同じ方向に顔を向けた。


「……気のせい?」


 ウィンカァは黄色い髪の毛を後ろで三つ編みに結い腰まで流している少女だが、彼女の特徴である頭の上にアンテナのようにピョンと飛び出ている髪束が、何かを受信しているようにユラユラと揺れている。

 そんな彼女が首をコクンと傾げて、さらに目を凝らして丘を見つめていた。

 しかしそこには何もない。少なくとも誰の目にもそう見える。


「……やっぱり気のせいじゃない?」


 独り言を呟き質問に答えてくれないウィンカァに対し、アノールドとミュアは互いに顔を見合わせ目をパチクリとさせている。

 こういう訳の分からない行動をするのは初めてではないことをアノールドたちは知っているが、それでもいまだに動かないウィンカァに対して、


「一体どうしたってんだウイ?」


 堪らずアノールドが、その頑健な表情を不思議そうに歪め、ウィンカァに向けて聞き返すが、


「ん……何でもない」


 ウィンカァはフルフルと頭を横に振ると再び何もなかったかのように歩き始める。

 そんな彼女を見て二人は疑問を残すも、「まあ、ウイだしな」というアノールドの一言でミュアも納得したように歩き始めた。


 しかしウィンカァの行動に疑問を浮かべていたのは何もアノールドたちだけではない。

 先程ウィンカァが見つめていた丘の上に、その漆黒の瞳を向ける黒髪の少年である丘村日色はまだ見続けていた。


 その眼鏡の奥で鋭く光る瞳は、まるで獲物を探すハンターのごとく細ている。

 日色もウィンカァのように何かを感じ、それともウィンカァが気にしたことに違和感を覚えたので、しばらく見つめていたが、


「おいヒイロ、さっさと行くぞ!」


 アノールドの呼び声に反応して後ろ髪を引かれるような感じで日色は丘から視線を切り歩を進めていく。


「あそこに見えんのが【サージュ】だ! もうすぐ国境を越えられるぞ!」


 アノールドの嬉しそうな声音で、ミュアも笑顔になっている。

 二人は国境を越えて、ここ人間界から獣人界へと向かうことが最優先目標だったため、国境が近づいてきたことを実感して喜んでいるのだ。


 日色もまた国境を越えるためにここまでやって来たので嬉しくないわけではない。ただ歩きづめだったため、腹が減り少々機嫌が悪いのだ。

 また腹が減っているのは日色だけでなく、ウィンカァと、その傍で歩いている犬のようなモンスターであるハネマルも同様のようだ。

 ちなみにハネマルはスカイウルフという狼型のモンスターであり、背中に翼が生えている。


 先程街についたら腹一杯食べようという話をしたらウィンカァとハネマルは涎を垂らしていた。

 無論日色も涎を垂らすまではいかなかったが、今は国境よりも早く街へ入り腹を満たしたして休みたいというのは否定できない。

 自然と早くなる足で、四人と一匹は国境に一番近い街である【サージュ】に向かって行った。



     ※



 日色たちが【サージュ】に向かうのを確認した男は、もう一度小高い丘の上で四人を観察していた。

 軽く安堵したように息を吐くと、口角をニッと上げる。見つからずに良かったと思っている様子だ。

 あの時、ウィンカァは男の気配に気づき視線を向けた。だが男の動きの方が一歩早く、身を隠すことに成功した。


「《月光(げっこう)》に…………赤ローブ……?」


 ウィンカァの特徴と、日色の特徴を捉えた言葉を呟くと、画材一式を袋の中に収めていく。

 再度、四人と一匹の後ろ姿を見て楽しそうな表情になる。


「面白そうッスね。少し接触してみるッスか」


 楽しそうにそう言うと、袋を背中に背負い、【サージュ】に向かって足を動かし始めた。



     ※



 国境近くの街である【サージュ】に辿り着いた日色一行。だがそこで思わぬ事態が起きていた。


「おいどういうことだこれは?」

「さ、さあ……」


 日色は不機嫌そうに眉を寄せていると、隣で頬を引き攣らせているアノールドがいた。

 今彼らの目の前には、人が屋台のような店を出して賑わいを集めている。その周囲には数えるのも億劫になるほどの人の群れが見える。


 喧噪が嫌いな日色にとって、この人口密度と、それで生まれている熱気が鬱陶しく感じられる。


「きょ、今日はお祭り……なのかな?」


 可愛らしく首を傾けるミュアだが、その瞳は感動しているのか輝きを放っていた。目移りするほどの店の羅列に心を躍らせているのかもしれない。


「ん……いっぱい良いニオイ」

「アオッ!」


 ウィンカァとハネマルは互いに鼻をひくつかせ、店から香ってくる様々な食べ物のニオイにキョロキョロと視線を動かしながら涎を垂らす。

 そこでしばらく考え込んでいたアノールドがハッとなった様子で、


「ちょっと待てよ、今日って《ウルイ》の一の日か?」

「そうだよおじさん」


 ちなみに《ウルイ》というのは、こちらの世界で言うと《月号(がつごう)》に当たる。



1月 ナルワイン   2月 ニヌイ   3月 グワエロン

4月 グウィリス   5月 ロスロン  6月 ノルイ

7月 ケルヴェス   8月 ウルイ   9月 イヴァンネス

10月 ナルベレス  11月 ヒスイ  12月 ギリスロン



 これがこの世界の月の流れで、それぞれが30日間ある。ちなみに年号は《アノル歴》とされていて、今は《アノル歴 2114年》なのだ。


「その日が何だ?」

「ヒイロ、お前知らねえのか? この日は毎年恒例の《ラエア祭り》だ」

「《ラエア祭り》?」


 この世界でも季節はある。日本で言うと春夏秋冬を意味する名称。



 春 エスイル          夏 ラエア

 秋 ヤーヴァス         冬 リウ



「今季節は《ラエア》だろ? この暑さを吹き飛ばそうって、あちこちではこんなふうに賑わいを催すんだよ」


 アノールドの説明を聞いて、


(なるほど。単なる夏祭りか)


 日色は納得すると増々不愉快になってくる。ただでさえ暑いし、傍にも暑苦しい奴もいるのに、この人ごみが更にそれを助長しているのだ。堪らなくウザイ。


「お前、今失礼な事考えてねえか?」

「あ? 何も。ただオッサンが暑苦しいなと思っただけだ」

「あのねぇ! そこは嘘でもはぐらかしたり、別にとか何とか言って否定するとこじゃねえのかよ! なに正直に言ってんだコラァ!」

「そういうところが暑苦しいと言ってる」

「こ、このガキだきゃホントまったくよぉ……」


 アノールドは拳に力を込めて震わせている。ふとアノールドの視界にミュアの顔が映る。その顔は上気しており、瞳は目まぐるしく動く人だかりを映していた。

 そこで何かを思いついたようにアノールドが手をポンと叩く。


「よ~し決めた! 誰が何と言おうと俺は決めたぞ!」

「何だ急に? とうとうおかしくなったか?」

「うるせえよ!」


 ミュアたちもキョトンと目をパチクリしている。


「今日はここに宿を取るんだろ? どうせなら祭りも楽しもうぜ!」


 その言葉にミュアだけでなくウィンカァもパアッと表情を明るくする。相当嬉しいようだ。

 実際こういう祭りを楽しんでみたかったが、言い出せなくてもどかしかったのかもしれない。ウィンカァはただ食べ物が食べたいだけだろうが。


「そうか、ならお前らで楽しんでくるんだな。オレは先に宿で飯でも――」

「待てって」


 日色が歩き出そうとしたところ、アノールドに肩を掴まれる。


「離せ」

「いやいや、このタイミングでそれはねえだろ? 楽しいぜ祭り?」

「興味がない」

「ふ~ん、そんなこと言ってもいいのかね~?」

「…………何がだ?」


 アノールドは人差し指を立ててニヤニヤしている。

 その顔に若干ムッと感じるものがあり張り倒したくなったが我慢する。


「いいか? この【サージュ】で開かれる《ラエア祭り》は規模がかなりデケェ」

「…………」

「店だってかな~りある。しかもだ、超人気店の屋台も出るのがココの特徴だぁ!」


 超人気店という言葉に少し興味が惹かれて日色は眉をピクリとさせる。


「そして【サージュ】ではどの屋台に一番人気が出たかを競う大会もやってる。まあ、例年食べ物屋が勝つんだが……ここまで言えば分かるな?」

「…………なるほど、それなりの美味いものが出ると?」

「満足はできると思うぜ?」 

「ふむ……」


 アノールドは世界の情勢に詳しい。

 この【サージュ】の祭りも初めてではないらしい。言っている言葉にも嘘はないだろう。つく理由も見当たらない。

 となると、美味いものという言葉に食指が盛大に動き始める。

 よしっと気合を入れて、日色は思い立ったように皆の前に出た。


「お、おい」


 何も答えず動いた日色を見て、自分の説得も意味はなかったのかとアノールドは落胆しているようだが、日色は前を見据えながらこう言い放つ。


「早く案内しろ。極上のものが売り切れなどなっていたらどうするんだ変態」

「へ、変態言うなっ!」


 アノールドは目尻を上げて怒鳴るが、口元は若干綻んでいる。

 ミュアたちも楽しみなのかワクワクしている。四人と一匹はしばらくの間、祭りを楽しむことに決めた。







「……《バーニングピーチの飴》?」


 日色は屋台の看板を見ながら呟く。

 アノールドも感心したようで目を見開いて喋る。


「お、こりゃまた珍しい果物が売ってんなぁ!」

「へい、らっしゃい! どうだい、安くしとくよ!」


 屋台の主である陽気なオヤジが愛想を振りまく。ミュアとウィンカァは屋台に並べてある《バーニングピーチの飴》を見て目を輝かせている。


「オヤジ、コレ四つ……いや五つくれ!」


 アノールドはちゃんとハネマルの分も数に入れた。ウィンカァは彼に礼を言うと、「いいってことよ」と笑いながら言った。


「あいよ! おお、お嬢ちゃんたち可愛いからオマケで特大のをあげよう!」

「あ、ありがとうございます……えへへ」

「ん……おっちゃん太っ腹」


 ミュアとウィンカァは嬉しさで笑みを溢す。

 日色たちもそれぞれ受け取り、まずは観察してみた。

 そして日色は「美味いのか?」とアノールドに聞く。


「おお、最高だぜぇ~。この燃える火のような形をした果実。飴だけど簡単に噛めるほどの柔らかさだ。ま、食べてみりゃバーニングさが分かるってもんよ」


 そう言われて日色は一口食べてみる。

 カリッと、確かにあまり抵抗感なく齧れた。モグモグと口の中で味わっていると、突然パチパチと口の中で何かが弾きだした。


「――んぅっ!?」

「へへ、驚いたか? 舌の上でパチパチと弾ける果実。それがこの《バーニングピーチ》の真骨頂よ!」


 アノールドは自慢するように叫ぶ。確かにこれは癖になる味だった。変に甘過ぎず、それでいて食感が楽しめる。これは子供に人気が出る代物だなと日色は判断した。

 ミュアも手を頬に当てて、その美味さと食感に顔を蕩けさせている。ウィンカァは小さな口を精一杯開けて頬張り堪能しているし、ハネマルもガジガジと食べていた。


 腹が減っていたこともあり、すぐに平らげた日色たちは賑わう人波の中、


「うし! 次はあそこだ!」


 アノールドの先導のもと、グルメ狩りをしていく。


(なるほど、これが祭りか。美味いものがあるんなら、悪くないかもな)


 日本にいた頃、祭りなど行ったことがなかった日色にとっては、新鮮でなかなかに惹かれるものがあった。

 しかしこの人ごみがなければもっと良いと思うのは、日色らしいだろう。

 射的やくじ引きなど、日本の祭りでもよくある屋台もたくさん出ている。


 ミュアはそういう遊びもアノールド、ウィンカァと一緒に思いっきり楽しんでいたが、しばらく歩いていると、とうとう日色の精神パラメーターが限界値を越え始めた。


(ああ、ダメだな。さっきから人にぶつかられ、足を踏まれ…………コイツら全員消えないかなぁ)


 恐ろしいことを考え始めていた。そこに一際大きな屋台が目に入る。その屋台の看板にはこう書かれてあった。



《ハピネスシャークのサンドパン》

  


 同じように看板を見ていたアノールドがまるで幽霊でも見たかのように驚愕の表情をしていた。


「ま、まさか……あのハピネスシャーク……だと?」

「知ってるのか?」

「あ、当たり前だろうが! 料理人なら、一度は捌いてみてえと思う食材だ!」


 その興奮状態から、余程の代物なのだろうと推測できた。


「いいか? ハピネスシャークは【グレイトブルー海】でしか生息してねえ。しかもだ、深海にしかいねえから、滅多に浮上してこねえ。ホントーに(まれ)にだが、産卵の時期の少しの時間、海面に姿を現すことがある。その身体は美しい桃色で頭に翡翠色した角を生やしてる。全身、歯も身も、その角も食すことができる完全食体(かんぜんしょくたい)と言われる生物なんだ!」


 アノールドが全身を震わせ熱く語ってはいるが、基本的に生体には興味がないので日色は右から左へと聞き流している。聞きたいことは一つなのだ。


「それで? 美味いのか?」

「もっちろんだぜ! いいか? その身の味は……《アクアハウンドの肉》に優るとも言われているぅ!」

「買って来い。今すぐにだ」


 瞬間、日色の目が変わり、殺意にも似た迫力があった。


「お、おお……で、でもよ」

「何だ?」

「アレ見てみ?」

「む?」


 アノールドが指差した先には、何やら商店街などでよく見るガラガラポンのくじ引きがあった。その周りには多くの人が列を連なっていた。


「数に限りがあるだろうからな……アレで当選した奴だけしか食わせてもらえねえみてえだ」

「何……だと?」


 日色の全身に衝撃が走る。まさかここに来て、そんな美味いものを食べられないとは、何という拷問だと歯を噛み締める。


「一人一回らしいな。それにもう幾つか当選してるみてえだし…………お、プレートにはあと八人前って書いてあるか……客も大勢並んでるみてえだし無理っぽいかなこりゃ」


 完全に諦めムードのアノールドを見て日色は悔しそうに拳を握る。

 ウィンカァもアノールドの言葉に絶望を感じているのか青ざめていた。

 彼女もどうやら日色と同じように、口にしてみたいようだ。


(待て待て、あの《アクアハウンドの肉》はすごかった。だがそれ以上のものが目の前にあるのに食えないだと? そんなことあっていいのか…………いや、オレに諦めの言葉はない!)


 日色がクワッと顔を上げて店を睨みつける。


「一応礼を言うぞオッサン」

「あ?」

「アレに巡り合わせてくれた礼だ」

「そんなこと言っても、食えないんじゃ……」

「いいや、諦める理由がない」

「でもなぁ、常識的に考えて無理そうだぞ?」

「ふざけるな。当選確率が低いってことが常識なら、そんな常識、オレが歪めてやる!」


 ガラガラとくじ引きをしている者たちを日色は視線を送る。どうやら当選したら金の玉が出てくるらしい。

 一つ当たりが出たということは、あとは七人分。急がなければならない。


(ならば……)


 日色は指先に魔力を集中させる。ポワッと人差し指に淡くて青白い光が灯った。


「おいお前ら、手を出せ」

「「「……え?」」」


 日色の言動に三人はポカ~ンとする。







 次々とくじ引きの前に立つ客が減っていく。そして当選者も現れ、とうとうあと四人分の《ハピネスシャークのサンドパン》しかなくなった。

 だがそこからは運の良いことに、誰も当たりを引きはしなかった。

 そうしていよいよ……。


「オレの番だな」


 日色の順番が回ってきた。

 ゴクリと喉を鳴らし、ゆっくりとガラポンを回していく。ガラガラと音が鳴る。


 ――――――――――――――――――――――コロン。


 その場にいる者全員が息を飲んだ。


 出てきた玉の色は――――――――――――――――――――――。







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