263:イデアコック王決定戦6
勝負が開始された直後、アノールドとミュア、そして対戦相手のエルニースも一斉に食材がある舞台を目指して動き出す。
多種多様の食材を前にし、アノールドは腕を組みながら眉間にしわを寄せている。
「確か作る料理は何品でも構わねえって言ってたよな、ミュア」
「うん。何かプランはあるの?」
「お前こそ、何か作りてえものがあるんじゃねえのか?」
「……うん。実はね、テーマを見た時に思ったことがあるの」
「へぇ、どんなことを考えたんだ?」
「テーマは“幸福”。つまり誰もが幸せを感じられるようなものだよね?」
「おう」
「料理は人を幸せにしてくれる。けど、それって食べる側だけでいいのかな?」
「……どういうことだ?」
それからミュアがアノールドに自分の考えをぶつけていく。
アノールドは黙ってミュアの話を聞きながら何度も頷きを返していた。
「――――なるほど。よし、分かった。なら俺たちは俺たちの“幸福料理”を追求してやればいい!」
「うん! やろう、おじさん!」
二人が料理プランを立てて歩み始めた頃、エルニースは淡々と食材を手に取り、調理台へと運んでいた。
エルニースは再度掲げられているテーマに視線を向け、僅かな嘆息をする。
(“幸福”……か)
ふと会場にいる観客たちに目を向ける。
(この中のどこかで、ニコリスが……いる)
祖母がそう言っていた。大切な妹。心を壊した時から、ずっと祖父母に任せっきりだった。顔を合わせるのが……怖かったのだ。
エルニースがどんな言葉をかけようが、ニコリスは反応すらしない。笑いもしないし怒りもしない。感情を表に出すことがないのだ。
この状況を作り出した発端となった自分の不甲斐無さと直面してしまう辛さで、ニコリスと向き合うのが恐ろしかった。
「――っ!?」
エルニースはブンブンと頭を振る。
(何を考えてるの! 今は料理に集中しなければ!)
そうしなければ勝てない。相手は決勝まで勝ち上がってきたのだ。予選ならともかく、集中力を欠いた状態では勝てるものも勝てなくなる。
(……そう。私は勝つためにここに立っているのだから)
揺らぎの見えていた瞳が、再び暗く冷たい光を宿す。
「……ふぅ。……《切断魔法》――《弐断メ》ッ!」
両手に持った包丁で、まな板に置いてある食材全てが、一瞬にして思い通りの形へとカットしていく。
その行為を見ていた観客たちから感嘆の声が漏れている。
何故なら魚が、瞬時に三枚に下ろされたかと思ったら、すぐに刺身の形に変化した。それが魔法によるものだとしても見事な手際であろう。
さらに野菜や肉なども次々と寸断されていく光景は、見る者を引きつけるパフォーマンスに見えてもおかしくはない。まさに――絶技。
(私はこの力で、優勝を勝ち取る!)
しかし不思議に昨日みたいな鋭さが失われているような気がする。いつもと同じように身体を動かしているのに、何故か全身に重圧がかかっているかのような、微妙な鈍さを感じてしまう。
(……これは一体?)
理由は分からない。いや……。
(まだ集中できていないだけ。ここ数日、いろいろあったから、それが頭に残ってるだけ。それを追い出せば、いつも通りに)
だが……と、脳裏に過ぎるニコリスの虚ろな顔。
(……幸福…………幸福って何……?)
今まで勝ち上がってきはしたが、本当に自分が幸福を与えられるような料理を作れるのかどうか不安が押し寄せてきた。
勝てたのは、料理がただ完成度が高くて美味しかったから。でもそれが幸福と結び付けられるのだろうか……。
そう考えるとどんどん分からなくなってくる。
(ダメ! 余計なことを考えないようにしなければ! ……けどどんな料理を作ればいいの?)
※
同じく、調理を開始し始めたミュアは、対面する調理台で見事な技を見せつけるエルニースを見て感動していた。
どう足掻いても、ミュアはあの域に達するのは無理だろう。アノールドでもできるかどうか分からない技術。
しかし何故か、その技術が寂しいものに思える。理由は分からない。予選や本選では、彼女の振るう技には、もっと強い意志のようなものを感じていた。それは言ってみれば、氷のような冷たいが絶対的な意思。
それが根幹にあるからこそ、エルニースという壁が大きく見えた。しかし今、その壁が何となく低くなっているような気がしてならないのだ。
すると先程までよどみなく動いていたエルニースの手の動きが止まった。ジッとまな板に置かれてある食材を見つめているだけ。
「……迷ってやがんな」
「え?」
アノールドもまた、調理をしながらチラチラとエルニースを観察していたようだ。
「何があったのか分かんねえけど、ほんの少しだけ食材を捌く時に“揺れ”を感じる」
「ゆ、揺れ?」
「ああ、心に隙間ができてる証拠だ。もしかしたら何を作ればいいのか、まだ決まってねえのかもしれねえな。だから食材を切る手に自信が感じられねえんだ」
「す、すごいね。そんなことまで分かるんだ、おじさん」
「伊達に長年料理人やってねえよ。アイツは今、迷ってやがる……しょうがねえな」
「え、おじさん」
いきなり調理の手を止めたアノールドが、調理台から離れてエルニースに近づいて行く。実況のシウバも彼の突然の行動に注目している。そしてエルニースもまた、近づいてきたアノールドに気づいて顔を向ける。
「ほぉら、やっぱ集中できてねえ」
「……!」
エルニースに向けてニヤリとした表情でアノールドが言うと、
「……何か用?」
少し怒気を含ませた感じでエルニースが問う。
「……別にさ、勝つだけが目的なら、このまま放っておきゃ、多分俺たちがあっさり勝つ」
「っ! ……それは自惚れ」
「自惚れなんかじゃねえよ。だってお前、実力の半分も出せてねえみてえだし」
アノールドの言葉が彼女の胸に突き刺さったような驚きの顔を見せる。
「図星……か? 大方身体の動きが鈍いとか思ってんだろ?」
「…………」
「料理人にとっちゃ、料理を作るってことは生活スタイルに組み込まれている。だからたとえ他人の目から見て分からなくても、本調子じゃねえ時はすぐに分かっちまう」
ミュアもまた、そんなことを言うアノールドの隣に立って静かに見守っている。
「今のお前は明らかにおかしい。予選、本選の時に見せたキレがねえ」
「そんなこと……ない」
「あるね。見縊んなよ。俺も料理人なんだぜ?」
「……!」
「お前の技術が遥かに高く、俺よりも上ってのは認めてる。けどよ――」
アノールドが自身の調理台へと向かい、魚をまな板に置くと――
「はあっ!」
一瞬で、三枚に下ろし刺身まで完成させた。それを見た全員が歓声を上げる。
「……な? これくらいなら今の俺にもできる。けど、お前が予選や本選で見せた技術は、今の俺にはできねえ。それは昨日や一昨日のお前は、確固たる信念を持って、なにものにも揺るがない心を持ってたから。迷いなく包丁を振れていたからだ。それだけお前の技術は格段に高い。なのに今見せた技術は俺にもできた。それが何を意味するか分かってるよな?」
ミュアも彼の真意が掴めた。エルニースは明らかに全力を出せていないということ。それどころか、自分が料理に集中できていない本当の理由に気づいていないのだ。
「なあ、エルニース。いつまで、そんなこと続けるつもりだ?」
「……え?」
「別に料理を憎んでもいいし、楽しまなくても俺はいい。けどよ、嘘つきには俺だって怒るぞ?」
「嘘……つき?」
「そうだ。お前、俺たちに全力を出すとか言ってたよな? それなのに、実力なんてちっとも出せてねえじゃねえか。まさかそんなんで俺たちに勝てるとでも思ってんのか?」
「そんなこと……」
「思ってんなら侮辱だな。料理を舐めんなよ?」
「っ!?」
明らかな憤怒。久しく感じなかったアノールドの怒りが、エルニースへと向けられる。会場中も息を呑みながらジッと凝視していた。
「昨日までのお前は良かった。たとえ嫌いな料理でも、作る料理はキラキラしてて輝いてて、人を幸せにするものだった。けどそんな状態で作った料理なんて、誰を幸せにできんだ?」
「あ、あなたにそんなことを言われる筋合いは……」
「ないかもな。けどよ、今はどういう状況だ? お前は俺とミュアと勝負をしてるんだぜ? 俺はできれば最高の勝負がしてえ。全力でぶつかり合って、互いに納得できるような」
「…………」
「腑抜けてんじぇねえよ! そんなんじゃぜってーに料理に勝つなんてことはできねえ! そんな揺らぎまくった心じゃな!」
ビシッと彼女に指を差すアノールド。
「……俺たちが見せてやるぜ! 料理はこうやって作るもんなんだってな! 行くぞミュア!」
「あ、うん」
しかしミュアは、少しその場に残った。そして言い負かされて目を伏せてしまっているエルニースに言葉をかける。
「エルニースさん」
「……」
「わたしは何度でも言います」
「……?」
「一緒に楽しみましょうって!」
「っ!」
「だって、その方がきっと、料理だって幸せになってくれるはずだから!」
ミュアは満面の笑みをエルニースに向けてから、アノールドのところへ戻っていった。
※
ミュアの言葉がエルニースの心に突き刺さった。
「……料理だって幸せになってくれる……?」
料理はあくまで料理だ。感情なんてない。料理自体が嬉しいや悲しいといった表情をするわけがないし、あまつさえ幸せを感じるなんてことがあるわけがない。
「……そうよ。料理は憎むべき対象。私から大切なものを奪った……許せない相手なんだから」
その時、対面する調理台の方から、アノールドたちの声が聞こえてきた。
「よし! いいぞ、そうそう。そうやって出汁を取っていくんだ」
「う、うん、分かった」
アノールドに教えられ、鍋で出汁を取っているミュア。
決勝戦だというのに、半端な実力の持ち主に料理を作らせようとするとはどうかしている。本来ならエルニースはそう思ったはず。
しかし……。
ミュアや、アノールドの顔を見てつい見惚れてしまう。
(……楽しそう)
真剣な眼差しをしながら二人とも調理をしているが、彼女たちから楽しさを感じる。
「うし! これであとは揚げるだけだ!」
「こっちもオッケーだよ、おじさん! タレ作りに取り掛かるね!」
「おうよ! 任せたぜ!」
声を掛け合い、互いに支え合うような形。それが羨ましいと思ってしまったのは、気の迷いなのだろうか……。さらに。
「……おう、任せてくれ。お前さんは煮てほしいんだな?」
アノールドが、食材を前にし独り言のように呟き始める。それは本選でエルニースが見せた食材との対話であった。
「よ~し、お前さんも一緒に幸せにしてやるぜ! 俺とミュアがな!」
「うん! 頑張ろう!」
本当に楽しそうに料理を作る二人だ。そんな二人を見ていると、かつての自分とニコリスの姿を思い出す。
一緒に調理台に立ち、楽しく料理を作っていたあの頃を 。
「…………私は……」
勝てない。二人の雰囲気を全身で感じでそう思ってしまった。持っていた包丁から手を離そうとしたその時
「それはダメェェェェェェェェェッ!」
突然観客席のどこかから甲高い悲鳴にも似た叫びが響いた。当然エルニースは、いや他の者たちも声の主を探そうと視線を動かす。
そして――――――発見する。
しかしエルニースは、夢でも見ているような感覚に襲われる。何故ならそこにいたのは……。
「諦めちゃ嫌だからねっ、お姉ちゃあぁぁぁぁぁんっ!」
最愛の妹――ニコリスだったのだから。
「う……そ…………何で……?」
訳が分からない。自分は本当に意識でも失って夢でも見ているのだろうかと思った。いや、きっとそうだ。だって現実のニコリスは、車椅子生活を強いられ、ずっと意識も闇の中に沈み込んでいるのだから。
それなのに自分の足で立ち、声を発し、心の失う前に宿していた強い瞳で見つめてきている。驚くべきは、失ったはずの両腕が彼女に備わっていること。
これは完全に夢だ。それしかなかった。
「こんなの……でも……!」
信じられない現実。しかし食材の香りや、観客たちの熱気、風の感覚など、夢では感じ取れないと思われるものを感じている事実に戸惑いを覚える。
「本物ですよ、エルニースさん」
「っ!? …………ミュア?」
そこへミュアが声をかけてきたので、自然と彼女に意識が向く。
「あそこで応援してくれているニコリスちゃんは、間違いなく本物です」
「嘘……嘘よ! だってニコリスは!」
「ヒイロさんに」
「え?」
「ヒイロさんに……頼んだんです」
「ヒイロさん……? も、もしかして英雄の?」
「はい」
ミュアの言葉に、誰もが審査員席に座っている日色へと注目する。日色は腕を組みながら目を閉じたままだが。
「ほほう、大会が始まる前に、行くところがあるといって出掛けたのは、そういう理由だったか」
日色の隣に座っているリリィンが納得気に頷いている。
「昨日の夜、わたしとおじさんはヒイロさんに、ニコリスさんの身体を元に戻してもらえないか頼み込みました」
「ミュアとアノールド……が?」
「そうだぜ。お前の話を聞いてよ、ニコリスがまだ生きてるってんなら、ヒイロだったら治せるはずだしな。だからおせっかいかもしれねえけど、アイツに頼んだんだ」
「ただ驚いたのは、ニコリスちゃんも【太陽の色】にいるということでした」
「そうだよな。ヒイロが魔法でニコリスを探してみると、【太陽の色】の宿の一つに宿泊してるって分かった時はホントにビックリしたよな」
「ヒイロさんはだったら慌てることもないって言って、大会が始まる前にニコリスちゃんが会場に来るだろうから、その時に治すって言ってくれました」
「……じゃ、じゃあ本当に?」
「はい。あそこで必死にエルニースさんを応援しているのは、あなたの妹のニコリスちゃんですよ」
「あ……ああ……っ!」
再び見ることができ、聞くことができた彼女の元気な姿と声。無意識に身体が震えてくる。嬉しさで胸がいっぱいになってきた。
そこへシウバが気を利かせてニコリスの近くへ行き、マイクを手渡す。ニコリスはそれを受け取ると、静かに口を開く。
「……お姉ちゃん、ごめんね」
「……ニコリス」
「わたしは……お姉ちゃんが羨ましかった。料理の才能に恵まれてて、ううん、自分のやりたいことを追求できてるお姉ちゃんが」
観客たちも黙って彼女の声に耳を傾けている。
「わたしも料理は好き。でもそれはお姉ちゃんの後を追いたいっていう思いからし始めたことで、否応なくお姉ちゃんとの差を思い知らされちゃった。料理にかける情熱っていうのかな。そういうものがわたしには欠けてたから」
「そ、そんな! そんなことない! だってニコリスはあんなに必死に料理の勉強をしてたじゃない!」
「……うん。でもそれはお姉ちゃんが遠くに行っちゃうかもって怖くなったから。好きを追い続けることができるお姉ちゃんに置いて行かれないようにするには、わたしも同じ料理の世界に入らなきゃって思ったの」
「……! じゃ、じゃああなたは料理が好きじゃなかったの?」
「ううん。とっても好きだよ。けどわたしはお姉ちゃんのように、他人のために料理を作って喜ばせたいっていう強い思いがなかっただけ。わたしはただ、お姉ちゃんと一緒に料理を作っていたかっただけだから」
初耳だった。ニコリスもまた、自分と同じ料理人の道へ突き進んでいるとばかり思っていた。
「けどお姉ちゃんはどんどん才能を開いていって、気づけばもう背中さえも見えなくなっちゃってた。だから焦って、必死に料理の勉強したけど……はは、お姉ちゃんしか見えず、料理を向き合ってなかったわたしは、大失敗をしちゃった」
それが例の事件へと繋がったということだ。
「これでもうお姉ちゃんに追いつけない。いつかお母さんのように置いて行かれてしまうと思ったらすべてがどうでもよくなっちゃった」
「そんな……私がニコリスを置いてどこかに行くなんてこと、あるわけがないっ! だって私は……私は……あなたのことが大好きなんだもの!」
エルニースの両目から涙が零れ落ちる。この大会で、初めてエルニースが見せた明朗な感情だった。
「……うん。わたしってばバカだったよ。あのね、そこにいるヒイロさんに、説教されちゃった」
「え……説教?」
皆が日色に再び視線を向ける。いまだ日色は我関せずといった感じで不動の構えをし続けているが。
「ヒイロさんがね、どんなことがあっても逃げ続けてばかりじゃ良いことなんてないって言った。逃げても、立ち止まって振り返っても、別にいい。だけど逃げ続けることだけはしちゃダメなんだって。そんなことをしていたら、大切なものがまったく見えなくなる。自分すらも偽り続けることになるからって」
リリィンが「ほほう」と声を漏らしてニヤニヤしながら日色を見つめるが、そこでようやく日色も恥ずかしそうに顔を逸らしていた。
「わたしは別に料理の道に進みたかったわけじゃない。ただお姉ちゃんの傍にいたかっただけ。事件の直前じゃ、もう料理に好きって感情はほとんどなかった。けどお姉ちゃんやおばあちゃん、おじいちゃんには、料理が好きって嘘をついちゃってた。苦しくないって言って、誰にも頼らずにバカやっちゃってた」
「ニコリス……」
「本当はね、お姉ちゃんにずっと謝りたかった。あんなことを言って……。全部自分が勝手に突っ走った結果だったのに」
「ううん! 私も気づかなくてごめんなさい! お姉ちゃんなのに……あなたのこと、全然分かってなかった」
「……謝るのは私の方だよ。私のせいで……お姉ちゃんが料理を憎むなんて。本当にごめんなさい!」
ニコリスがその場で頭を下げた。そしてゆっくりと顔を上げると、
「許してほしいなんて言わない。だけど、料理だけは嫌いならないであげて。だって私は、料理をしている時のお姉ちゃんが一番大好きだから!」
胸が締め付けられる。言葉が出てこない。代わりに涙が溢れ、身体が芯から震えてくる。
(……料理を……好きなままでいいの……?)
憎んで憎んで、憎み続けてきた。
大切なものを奪った料理を。しかし心のどこかで、やはり料理を作っていると安らぎを得られる瞬間を感じていたのもまた事実。それを無理矢理押し殺し、憎しみに変えようとしてきた。
「……私は……好きなまま……料理を作っていいの?」
「……うん! いいんだよ、お姉ちゃん!」
「……うう……っ……うぅ……っ」
「だから、わたしに見せて! お姉ちゃんが楽しそうに料理を作る姿を! 全力で闘う自慢のお姉ちゃんを!」
その言葉で心を縛り付けていた鎖が一気に解き放たれた。
ここ数年、感じられなかった爽快感が全身を包み込む。すべての毛穴が開き、世界すらも変わったような感覚を得る。まさに――覚醒。
エルニースは涙を拭いて、真っ直ぐニコリスを見ると、にっこりと微笑んだ。
「……うん、見せてあげる。お姉ちゃんの全力を」
※
刹那――アノールドは全身を刺すような凄まじいオーラをエルニースから感じた。
「っ……こ、これはヤッベェなぁ」
ゴクリと喉が鳴る。かつて感じたことのない料理人としてのオーラ。戦場を駆けてきたことがあるアノールドは、戦場人特有のオーラには免疫があったりするのだが、それとはまた異質。エルニースの身体から迸るオーラは、威圧感もそうだが何よりも見る者を惹きつけるような魅力を備えていた。
「お、おじさん……!」
ミュアもまた彼女の雰囲気のただならなさに気づいている模様。
するとエルニースが食材に視線を落とすと、ニッコリ微笑む。
「……ええ、理解しているわ。あなたはこう切ってほしいのね」
瞬間、目にも止まらない速度で、食材がカットされる。そして……。
「……あなたの焼き加減は知っているわ、それに今日のあなたは180℃の油で十二秒揚げてほしいのね」
まるで食材と会話を楽しむように穏やかな空気が流れている。ただし手元は高速で動き、調理が進んでいく。
誰もがその光景に息を呑み、実況のシウバでさえ言葉を失って固まってしまっている。
「おっと! エルニース選手! 《ダイヤミート》のカットに乗り出しました! これはカットが難しい食材の一つです!」
「……大丈夫。怯えないで、私に任せて。私なら、あなたを最高に美味しくしてあげられるから。……行くよ。《切断魔法》――《三断メ》ッ!」
ダイヤと同じ硬度を持つと言われている食材である《ダイヤミート》を豆腐でもカットするかのごとく、苦も無く形を変えていく。
「……はは、こりゃ寝た子を……いや、寝ていた竜を起こしちまったかな……?」
確かにエルニースとは全力でぶつかり合いたいと思っていた。だがこれほどの実力を備えていたとは、こうして対面してハッキリと分かる。彼女の底力というものが。そして思い知らされる。料理人としての格の違いを。
「う、うん。でも何だか、すごく楽しそう」
ミュアは憑き物が落ちたように料理をするエルニースを見て笑みを浮かべる。
「……ははは、いいねえ。いいじゃねえか! 面白くなってきたぜ、ミュア!」
「あわわ! で、でもすご過ぎるよぉ!」
「だよな! 多分実力的には向こうが上だろう。だからこそ良い! これは挑戦だ! 目一杯挑戦を楽しもうぜ、ミュア!」
「おじさん…………うん! わたしだって全力で闘う!」
「そうこなくっちゃな!」
意気込みを見せるアノールドたちを、チラリと見たエルニースは、嬉しそうに笑みを浮かべるが、それにはアノールドたちは気づけないでいた。
そしていよいよ、時間が迫り、決勝戦の結果が近づいてくる。
「――残り時間はあと十分ですっ! お二組とも、最後の追い込みに入っております!」
シウバの時間宣言にさらにスピードアップするエルニース。
「くぅ! すっげえな、アイツは! けど俺たちだって負けるかよっ!」
「うん! 負けない!」
アノールドとミュアも負けじと速度を上げて調理を施していく。そうして時間が過ぎて行き……。
「よしっ! これで完成だっ!」
「……こっちも終わり」
アノールドとエルニースが料理を完成したとほぼ同時に、シウバのカウントダウンが入る。
※
「5、4、3、2、1……それまでっ!」
アノールドたちが手を止め、すべてを出し尽くしたように大きく息を吐き出している。
「お二組とも、お疲れ様でございました! これより審査に入りたいと思います!」
いよいよ試食タイム。日色の腹はすでに準備万端である。
「ではまず、アノールドチームからお願いします!」
「うし! 是非堪能してくれ、これが俺らの全力料理――《ハピネスセット》だっ!」
審査員席に置かれる皿に、皆の視線が集まる。
サラダは色鮮やかな緑、赤、黄で飾ってあり、いろいろな野菜が盛り込まれているのが分かる。
「まずはその《カラフルサラダ》を食べてみてくれ!」
その名の通り、カラフルに彩られた野菜から食べてみることに。
「あむ…………ん、なるほど、食感も様々なでありながらスパイスの効いたこのドレッシングがさらに食欲をそそるようになっている!」
日色は別にベジタリアンではないが、これならば毎日食べても良いと思うほどのクオリティである。
「《シャキポキュウリ》や《サクサクレタス》には歯応えを、《超熟トマト》を長時間煮て作ったピリ辛のドレッシングには、酸味と辛味によって食欲をそそる効果を、《キング芋》を使った《ポテトサラダ》と同時に食べるとまた違った味が楽しめる!」
まるで皿の中にある多くの野菜たちの集落だ。どれもが手を取り合って、笑いかけてきているかのよう。
「俺らのコンセプトは、食べる奴らももちろん、料理そのものにも幸せを感じてほしいってことだ」
確かにサラダにされた野菜たちすべてが喜んでいるように思える。サラダにしてくれてありがとうと言っているようだ。
「次はスープだ。それじゃ、ミュア」
「うん」
一歩前に出たミュアが説明をし始める。
「そのスープは、じっくり時間をかけて《ハピネスシャークの骨》や《ピュアオニオン》などを煮込んで作ったスープ――《ハピネスープ》です」
そういえば、ミュアがずっと何かを煮込んでいたが、あれはこのスープを作っていたようだ。
(それにしてもあのハピネスシャークを出汁取りに使うとは、贅沢なスープだな)
初めてハピネスシャークを使った料理を食べた時は衝撃的だった。あの美味さは今も目を閉じると思い起こされる。
日色は黄金色に輝くスープを一口スプーンで掬って飲んでみる。
「―――っ!?」
全身を突き抜ける爽快感。突然海の中に飛び込んだかのような清涼感が走る。
直後に口内に広がっていく海の香りとともに、凝縮されたスープの旨味が染み渡っていく。魚の出汁が強烈に出ている。それにこれは恐らく《ピュアオニオン》――玉ねぎの甘味と風味が鼻をくすぐってきた。
今、日色は海の中で静かに穏やかに漂っている感じを味わっている。
「……ああ……美味い……」
無意識に口に出る言葉。耳に届いたのか、ミュアは最高の笑顔を見せてくる。
「そして最後はメイン――《ハピネス丼》だっ!」
名前から察するに、ハピネスシャークの切り身を使った丼なのだろう。
淡い桃色に色づく切り身には赤茶色のタレがかけられており、それが花びらを表現しているように丼に飾り付けられている。これはゴマだろうか、上に白黒の粒が振りかけられてあるし、どことなく柑橘系の香りも漂ってきた。
「もう説明はいらねえはずだ! さあ、食べてみてくれ! 美味えぞ!」
アノールドの言う通り、知らず知らずに身体がこの丼を求めているのが分かる。早く胃に流してこいと言わんばかりに腹の虫が叫び狂っているみたいだ。
日色はゴクリと唾を嚥下して、味わうためにゆっくり一口食べた。
「――こ、これはっ!?」
言葉はいらなかった。というよりも今はこの丼だけに集中したかったのだ。誰も何も喋らずに、一気に丼をかっこみ始める審査員たち。
上品なニンニアッホも、一心不乱に丼を傾けている。気づけば一分も経たずに、日色は平らげてしまう。
「おかわりだ、オッサン!」
「ねえよ! ここは食堂じゃねえんだぞ!」
「ちっ、何て使えない料理人だ」
「何だとゴルァァァァッ!?」
「あわわわわ! ケ、ケンカはダメだよ二人ともぉ!」
いつものように二人の仲裁に入るミュアだった。
おかわりがないのは残念だが、日色は残していたスープで意を満たし、恍惚の溜め息を吐き出す。
「はぁぁぁ……満足だ」
これぞまさに幸せを感じる瞬間だ。美味いものを食べると、何故こうも幸福感を得られるのだろうか。だから食べることは止められない。
「こ、これは……是非ともわたくしも食べてみたいですぞぉぉぉ!」
シウバの気持ちは分かる。だって観客たちからも次々と喉を鳴らす音が聞こえてくるのだから。
「「よしっ!」」
審査員たちの幸せそうな表情を見て、アノールドとミュアはハイタッチをかわす。
三品とも文句なしの素晴らしい逸品だった。
「アノールドチームの試食が終わり、いよいよ次が最後となります! ではエルニース選手、料理をお出ししてください!」
審査員席には一つの皿が置かれ、そこには蓋が被せられてある。アノールドたちは皿が三つあり、バランスの取れた品数で勝負をしてきた。しかしエルニースはたった一つ。
当然日色だけでなく、他の者も訝しげだ。
「ふむ。エルニースよ、これが貴様の最後の料理ということだな?」
「……はい。それが私のすべてを注ぎ込んだ、最高の料理です」
リリィンの問いによどみなく答えるエルニース。審査員が各々に頷きをかわすと、蓋を取った。そこから出てきたのは――――。
「……は?」
日色もまた仰天してしまう代物。何故ならそこから出てきたのは水筒と、弁当箱と思えるものだけだったからだ。
「べ、弁当箱……?」
さすがのリリィンも口をポカンと開けながらそう呟いていた。
何の変哲もなさそうな手頃に食べられそうな弁当と水筒があり、審査員だけでなく、観客たちも「へ?」となっている。
それもそのはずで、こんな大舞台で弁当箱を出すとは誰も思っていないはず。いってみれば質素。アノールドたちのように、見た目だけでも目を引きつけるよう演出を施していると皆が考えていたのだろう。
いや、別の意味で目を引きつけはするが……。
「こ、これが貴様の料理……なのか?」
リリィンが確かめると、エルニースはコクンと頷く。するとリリィンが視線を鋭くさせて睨むように彼女を見る。
「……決勝戦に相応しい料理。それがこれだと言うのだな?」
またもエルニースは無言で首肯するだけ。まるで食べてみれば分かると言いたげだ。
「……分かった。なら食してみよう。貴様らもよいな?」
リリィンの問いに審査員全員が了承する。日色は見ためにはこだわらない。美味ければなんでもいいので、早く食べてみたかった。
弁当箱の蓋を開ける。そこからはとてもこの大舞台には相応しくないと思われるような家庭的な料理が敷き詰められてある。
別に目新しいものはあまり見当たらない。アノールドたちの《カラフルサラダ》のように凝ったサラダがあるわけでも、《ハピネスープ》のような見た目を引きつける黄金色をしているわけでもない。
どこにでもあるような、弁当――少なくとも日色にはそう感じた。
日本で学校に通っていた時に、施設長が日色のために作ってくれた弁当のような、そんなありふれたもの。
(だが何だろうな、この弁当を見てると、心が穏やかになる)
アノールドたちの料理を見た時は、心がワクワクし激しく踊った。どんな味がするのだろうかと期待し、楽しさを覚える。
それとは逆に、エルニースの弁当は、心が落ち着くというか、懐かしいというか、温かさが込み上げてくるのだ。
日色はまず、端にあるサラダから食べてみた。
「…………ん、美味い」
次に肉団子のようなものを一口。
「……んぐ。……これも美味い」
少し喉が渇いたので、せっかく用意してくれた水筒の蓋に茶を……いや、茶だと思っていたそれは、まったく別のものだった。
「これは――スープ?」
そう、赤茶色の液体から、《コンソメスープ》みたいな色と香りを宿したものが流れ出てきた。……飲んでみる。
「……はぁ~、やっぱりスープだな」
「ああ、しかも極上のスープだ」
リリィンもスープを味わっていたようで、目を見開き笑みを浮かべたままスープの入った蓋を凝視している。
「恐らく山菜系の出汁だな。あっさりしている中にも、ふんだんに山菜のエキスが凝縮されてあるのが分かる」
確かに彼女の言う通り、一口飲んだだけで、全身が癒されていくような、また力強くなっていくような感覚。
そして脳裏に大自然が浮かび上がり、山々で息づく生命力を感じさせてくる。このスープは、見た目では分からないほど、多くの山菜を煮込んで作られていることが伝わってきた。
一言――美味い。
(この弁当、一つ一つのもののクオリティが非常に高い。それにさっきから感じるこの穏やかさは何だ?)
食べていると安心するような、心地好い気分にさせてくれる。
まるで自分が生まれたばかりの赤ん坊になって、母親に優しく抱かれているようだ。
(そういえば、母さんと父さんとたまにピクニックに出掛けていたな。こんな弁当を持って)
山にハイキングに行ったことがあった。山の上で見る景色は最高で、そこで食べる弁当は普段食べる料理の何倍も美味かったことを思い出す。
家族で笑い合い、いろんなことを話しながら、母の愛情がこもった弁当を食べる。
(そうか……ああいうのが幸せってもんなんだろうな)
つい過去を思い出し感傷に浸ってしまう日色。他の審査員たちも一様に弁当を平らげたあとは、満足そうに笑みを見せていた。
「ふわぁ~、何かとっても良いニオイ……する」
「やっと起きたか、寝てばっかチビ神」
イヴァライデアの覚醒。
「むぅ……ヒイロの中でどんどんわたしの評価が下がっていってる気がする」
それは当然の帰結だろう。一日の大半を、日色の服の中で寝ているのだから。まあ、それもムダにエネルギーを消費しないようにしているという理由があるのだが。
「それにしてもお前が起きるとはな」
「ん……だってお腹空いた。それちょうだい」
「飴でも食べてたらいいだろ?」
「いや。ちょうだい」
「……少しだけな」
とはいってもサイズ的に少しで当然なのだが。
「あむ……んぐんぐ……ん~、これとっても美味しい」
「それは良かったな」
そういえば、今までどんな料理が出ても起きなかったイヴァライデアが、エルニースの料理には反応した。
(もしかしたら本能的に、この料理の凄さを認識してたのかもな)
だが弁当を食べて満足したイヴァライデアは、また日色の服の中に入って寝息を立て始めた。
そして両者の料理を食べ終わり、最終審査が始まる――。
結果を出す前に、リリィンが二組に質問を投げかける。
「貴様たちの出した答え、存分に味わわせてもらった。そこで一つ尋ねたい。今回、テーマは“幸福”。貴様らは何を思って自分の料理を完成させた?」
まず答えたのはアノールドである。
「俺たちは、食べる奴だけが幸せになるんじゃなくて、作られた料理もまた幸せになってほしいって思った。だから相性の良い食材を使って、その食材に合った調理法を使い、食材が喜んでくれることも視野に入れた」
「なるほど。“食材の幸せ”……か。では、エルニースは?」
さすがにここで無言を貫くのはダメだと思ったのか、しっかり説明し始めるエルニース。
「私は、自分が幸せになりたかった」
「……!」
「私の料理を食べてくれる人も、食材も、もちろん幸せを感じてくれるのが良い。だけど一番は、私自身が幸せを感じられるような料理を作ること。だけど私はそれを忘れていて、それをあの子が取り戻させてくれました」
エルニースが、ニコリスがいる観客席に視線を向ける。ニコリスも微笑みながら大きく頷きを返す。
「お弁当。ずっと前に、母と妹と三人で山に出掛けた時、母がお弁当を用意してくれていました。時間が経って冷めていたけれど、とても美味しかった」
環境がスパイスとなって料理の味を上げてくれるのだろう。
「三人で笑い合って、様々なことを話して、料理を食べて……その時、私は一番幸せを感じていたような気がします。忙しい母が合間を縫って作ってくれた貴重な時間。家族でゆったりとした幸せを感じることができた。その時のことを思い出したから、私はそのお弁当を作りました」
「……つまり貴様自身が幸せを感じたものを出したということだな?」
「はい。だって、私自身が楽しい、そして幸せを感じなければ、その料理を最高にしてあげるのは絶対に不可能ですから」
「ふむ。貴様は“自身の幸せ”というわけか。少し考える時間をもらうぞ」
リリィンが審査員全員を自分のところへ集めさせ話し合いを開いた。
そして十分ほど経過した後、静かにリリィンが手を挙げた。
「では今から、第一回《イデアコック王決定戦》の優勝者を発表する!」
皆が息を呑む。
待ちに待った史上初の世界一を決める大会の結末。それを誰もが瞬きをせずに、その瞬間を逃すまいと注視している。
アノールドやミュアも表情が強張り、額には汗を滲ませていて、エルニースもまた結果を受け止めようとジッと強い視線をリリィンにそそいでいた。
「第一回《イデアコック王決定戦》の優勝者は――――」
息が詰まりそうな沈黙が少し続き、そして―――
「―――エルニース・フロムティアッ!」
刹那、大気を震わせ地面を揺るがすほどの歓声が轟く。アノールドたちを応援していた者は沈み込み、エルニースを応援していた者は狂喜するがごとく声を荒げている。
ニコリスも祖父母に抱きつき涙を流して喜ぶ。
エルニースもまた、唖然としている状態がしばらく続いていたが、喜ぶニコリスの姿を見ると、すぐに実感したように身体を震わせ笑みを浮かべる。
アノールドはガックリと肩を落とし残念そうに溜め息を吐く。
「負けたかぁぁぁ~っ」
「……もう少しだったのにね、おじさん」
「……ああ。ごめんな、ミュア。負けちまったぁ」
「ううん。わたしたちは全力でやったもん。負けちゃったのは悔しいけど、でも……うん、楽しかった」
「……だな! 悔しいけど、楽しかった! それは俺もだ!」
アノールドとミュアは、笑みを浮かべながらエルニースに近づく。
「さすがだな、参ったよ」
「……アノールド……ミュア」
「すごいです、エルニースさん! おめでとうございます!」
「ううん。あなたたちのお陰。幸せを思い出させてくれた……から」
「んなことねえって。言ったろ、俺は全力のお前と勝負したかったんだって。だから気にすんな」
「アノールド……」
「はは、けどこんな歳の離れた子供に負けるとは、俺もまだまだだよなぁ」
その時、アノールドがミュアにするような感じでエルニースの頭を撫でる。
「っ……わ、私は子供じゃない!」
「おっと、悪い悪い。ついな」
「もう、おじさん、いきなり女の子の頭を撫でるのはダメだよ!」
「そんなこと言っても、お前だってヒイロに撫でられた時は嬉しがってんじゃねえか」
「そ、そそそそれは関係ないでしょっ! バカ!」
「ええ~……」
「と、とにかくデリカシーに欠けるんだからね! そうですよね、エルニースさん!」
「そ、そうね。まあ、別にアノールドだから許してあげるけど」
「へ……?」
少し頬を染めているエルニースを見て、キョトンとするミュア。
「おお、ほら見ろミュア。分かる奴には分かるんだよ! 良い子だな、お前は、エルニース!」
「そ、そうかしら? 別に……そうでもないと思うけど」
「こ、これはまさか……!」
ミュアが何かエルニースの反応を見て驚愕しているが、当の本人たちは笑顔を浮かべながら握手を交わしている。
「あんがとな、良い勝負だった」
「こちらこそ、ありがとう」
「へへへ」
悲壮感など見えない。清々しい表情を見せるアノールドを見て、彼を応援していた者たちも、素直に拍手をしてエルニースを祝福し始めた。
「さて、両者が固い握手を交わしたところで、審査員方にお話をお聞きしてみましょう!」
シウバが審査員全員に評価を尋ねていく。まずはジュドムとテンドクだ。
「俺はアノールドチームの料理を推した。バランスが取れてて、食べてすっげえ幸福感を得られたからな!」
「儂はエルニース選手じゃ。かの料理は言ってみれば母の味を再現しておった。懐かしきその味に、幼い頃、家族と食卓を囲っていた頃を思い出して幸せを感じたわい」
次はニンニアッホとホオズキ。
「ふふ、お二組ともどちらも素晴らしいお料理でした。これほど美味なるものを食べたのは初めてです。しかし今回、私が支持させて頂いたのはエルニース選手の方です。どちらも幸福感を得られましたが、エルニース選手の方は、食べていて心がとても落ち着き安心感を覚えました。好みにはなりますが、それが理由ですね」
「ほっほっほ、儂はアノールドチームじゃ。《ハピネスセット》、その名の通り、とてもハッピーにしてもらった。見た目で楽しませる工夫も施されており素晴らしかったのう」
シウバが次に言葉を求めたのはレッグルスとララシークだ。
「私もホオズキ殿と一緒でアノールドチームを支持しました。飽きのこさせない三種の料理。見た目も美しく、味も文句のつけようのない出来栄えだったかと」
「ワタシはエルニースだな。今回のテーマにどちらも沿っていたと思うが、ワタシはこの大舞台で弁当という形にして出すという奇抜さに一票を入れさせてもらった」
次に評価を口にするのはイヴェアムとアクウィナスだ。
「まずは二組とも、ご苦労様。どちらも美味しく堪能させてもらったわ。二つの料理、優劣をつけるとしたら、それはより幸福感を得られるのがどちらか、ということになると思うの。私は、エルニース選手の方が、胸が温かくなるような感覚があり、それがとても心地好かった。だからエルニース選手を推させてもらったわ」
「……俺はアノールドチームだ。三品ともにハイクオリティに仕上がっており、見た目も鮮やか。それでいて食べて幸福感を得られた。故に、だ」
シウバがウンウンと頷きながら、残り二人となった日色とリリィンの顔を見つめる。リリィンが先に言えというような目線を向けてくるので、日色から先に評価を口にすることにした。
「どっちも美味かった。それだけは確実だ。だが今回、オッサンたちが作った料理よりも、チャイナ服が作った料理の方が、オレにはよりテーマに沿っている気がした」
チャイナ服というのは、当然エルニースのことである。
「オッサンたちの料理からは大自然の息吹ってもんを感じた。食材がそれぞれ喜び合って、互いに高め合っているような心が躍る料理。比べてチャイナ服の方は、一言でいえば家族……だな。家族と一緒に過ごす何気無い時間。それを連想させた。どちらが大きな幸せを感じるか。そう考えた時、それはやはり家族と一緒にいる時のような気がした。それがオレの答えだ」
他の審査員たちも日色の言い分に納得しているのか頷き合っている。
「なるほど、ではお嬢様、いえ審査委員長のリリィン様、最後にお願い致します」
シウバが最後に残されたリリィンに言葉を求める。目を閉じて腕を組んでいた彼女がコクリと頷くと、静かに瞼を上げて口を開く。
「どちらも見事な料理を作って大会を盛り上げてくれた。まずはそのことに礼を言いたい。感謝する」
これほど大会が盛り上がったのは、この二人含めて、参加してくれた者たちが粒揃いだったからだろう。
「ワタシは審査する前に、貴様らに問うた。料理を作る上で、何を主軸にしたのかをな。アノールドは“食材の幸せ”、そしてエルニースは“自身の幸せ”をそれぞれ追究した究極の料理だったといえる」
確かにそれは食べていてもヒシヒシと伝わって来ていた。
「今回の料理のテーマは――“幸福”。料理は人を幸せにするという言葉があるが、やはり“人”というものが一番大事ではないかと思う。それは食べる者だけではなく、食べさせる側もまた幸せになるべきではないか。ワタシはそう考えた。故に、“自身の幸せ”を表現したエルニースにワタシは軍配を挙げさせてもらった。無論アノールドチームの“食材の幸せ”が悪いと言っているわけではない。しかし、貴様らの実力になると、どちらも食材は幸せを感じていることだろう。互いに食材と対話できるほどの実力者なのだからな」
なるほど、と誰もが納得気な表情を浮かべている。
「そして“自身の幸せ”。これもまたアノールドチームも感じていることだと思うが、それをより追究したエルニースの料理にワタシは感銘を受けたということだ。ただ本当に二組の料理は見事だった。ありがとう!」
リリィンの言葉終わりにまたも観客たちが沸く。良い言葉だっただけに、今日一番のノリで声を荒げる者たちが大勢いる。
アノールドやミュアも、総評に文句がないようで、晴れ晴れしい笑顔を浮かべながら、再度エルニースと握手を交わしていた。
「皆様方っ! どうか今一度、この歴史に残る最高の勝負を繰り広げてくれたお二組に、盛大なる歓声と拍手をお願い致しますっ!」
シウバの声に呼応するように、思わず顔をしかめてしまうような音の群れが雨のように降り注いでくる。音の衝撃で会場全体が揺れているようだ。
「第一回《イデアコック王決定戦》、初代チャンピオンは――エルニース・フロムティア選手ですっ! 大会を見守って頂いた観客の皆様、そして大会を盛り上げてくださった参加者の皆様、真に感謝致します!」
その後は、トロフィーの授与式が行われた。主催者であるリリィンの手から、直接エルニースがトロフィーを受け取り、その補佐役の日色から賞金三千万リギンの目録が手渡された。
エルニースがトロフィーを掲げると、それを見てニコリスは嬉しそうに涙を流しながら喜ぶ。隣にいる祖父母もまた同様だ。
参加した者たちも、一様にエルニースを称えるように拍手を送っていた。
「ではこれにて、第一回《イデアコック王決定戦》の閉会を宣言するっ!」
リリィンがきっちり最後を締めて、大会は終了した。




