261:イデアコック王決定戦4
控室にてムースンとエルニースの勝負を眺めていたミュアは、ムースンの握手をかわして去って行くエルニースを見てやはりと思っていた。
「エルニースさん、少しも楽しくなさそうだね」
「……だな。無表情だけど、無表情には無表情なりに雰囲気から感情くらい分かるもんだ」
「うん。ウイさんにしろ、カミュさんにしろ、楽しい時は楽しいっていう空気を出すし、悲しい時は悲しいって空気出すしね。だけどエルニースさんは楽しいっていう感じがまったくしない」
それは今までにも感じたことだったし、ムースンとの勝負の中でもやはり彼女は料理を楽しんでいないことが理解できた。
「一体、彼女に何があったんだろう……?」
「さあな。おいそれと俺たちが足を踏み入れていいもんか分からねえけど、あんなふうにすっげえ料理が作れるのに……もったいねえよなぁ」
「そうだね。……でも多分、昔はエルニースさんも料理を楽しんで作ってたんじゃないかな」
「根拠は?」
「だって、エルニースさんの料理を食べたヒイロさんたちは幸せそうな顔をしてるもん。そんな料理を作れる人が、まったく料理の楽しさを知らないってことはないと思う」
「確かにな。なら何で逆転して、料理を憎み始めたのか……だな」
アノールドは残念そうに首を左右に振る。彼にとって料理は大切なものだし、他の人にも大切に思ってもらいたいものなのだろう。
憎む対象に置いているエルニースのことを残念に思っているのかもしれない。
「ねえ、おじさん! まだ出番まで少し時間あるよね!」
「え? ああ。……まさかお前」
「うん! ちょっと行ってくる!」
「あっ……」
アノールドが制止の声をかけようとしたみたいだが、ミュアは素早く控室を出て行った。
そしてミュアは、今まさに自分の控室に入ろうとしているエルニースを確認し、
「――エルニースさん!」
声を背中で受け、歩みを止めたエルニースがゆっくりと振り向く。しかし彼女は表情を変えずに、ただミュアを見つめているだけ。
「ちょっとだけ、お話……いいですか?」
「…………」
少しの間沈黙が続いていたが、ミュアの真剣さが伝わったのか、彼女は、
「……中に」
許可をしてくれたので、ミュアは思わず笑みを溢し「ありがとうございます!」と言って中に入った。
互いに椅子に腰かけると、ミュアはまず言うべきことを先に言う。
「あ、あの、決勝戦進出、おめでとうございます」
コクリとエルニースが小さく頷く。
「あのムースンさんに勝つなんて、やっぱりすごいですね、エルニースさんは」
「……目的、あるから」
「…………目的……ですか。それってやっぱり……仇を取ること、ですか?」
再び彼女がコクリと頭を縦に振る。キュッとミュアが、自分の服を掴む。
「……い、いきなりこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが……。エルニースさんがどうして料理を憎んでいるか、教えてくれませんか?」
「…………関係ない」
「はい。わたしには関係ないと思います。でも……放っておけないんです!」
「……何故?」
「分かりません。……ただ、エルニースさんが辛そうに料理をするのが、見ていて悲しいからです!」
「……!」
「料理は人を幸せにするものだって、わたしはある人に教えてもらいました」
「…………」
「そして、エルニースさんが作る料理もヒイロさん……審査員の方たちは幸せそうに食べていました。そんな料理を作ることができるエルニースさんが、どうして料理を憎んでいるのか…………気になるんです。もしかしたら、何か誤解とかあって――」
「勝手なことを言わないで」
「え……!」
ミュアは彼女の目を見てギョッとなる。今まで感情らしい感情が見当たらなかったのに、今の彼女の瞳の奥には誰でも分かるような怒りが込められているのだから。
「エルニース………さん」
「あなたは何も知らない。私の怒りも、あの子の苦しみも。何も知らないくせに、勝手なことを言わないで」
「……だ、だから教えてほしいって」
「教える必要は……ない」
「う……」
「あなたには何もできない。あなたは私と同じ舞台にも立ってない。ただのサポート役。そんなあなたが私の気持ちが理解できるわけがない」
「そ、それは……」
「部外者は引っ込んでて」
反論することができない。確かに自分は料理は作れるが、この大会にメインで参加しているわけではないし、参加できるほどの腕もない。
(……それでも!)
俯きがちだった顔を上げてパッと上げて、エルニースの顔を見つめる。
「だったら、決勝戦! わたしもおじさんと一緒にメインで戦います!」
「……!」
「同じ舞台に立ちます。もちろん、それはおじさんのお蔭でそうなると思いますが、もし決勝戦に上がれたら、私もサポートではなく料理を作ってみせます! ですから!」
「…………」
「お願いします! 料理は楽しいもののはずなんです! わたしは、できれば一緒に楽しみたいんです!」
その時、エルニースの目が見開きハッとなった。だがすぐに目を伏せ顔を背ける。
「……エルニースさん?」
「……なら、まずは準決勝に勝つといい」
「……?」
「同じ舞台に上がってくればいい。準決勝に勝ったら、少しだけ……教えてあげる」
「ほんとですか!?」
エルニースが首肯する。
「なら、絶対に準決勝を勝ちます!」
とはいっても、戦うのはアノールドではあるが。彼が勝ち上がるために、全力でサポートしようと思った。
ミュアは頭を下げ礼を言ってから控室を出て行った。
※
ミュアが控室からいなくなり、がらんとなったその場で、エルニースは大きく溜め息を吐き出す。
(…………ビックリした)
何故驚いたのか。それはミュアが言った言葉。
『料理は楽しいもののはずなんです! わたしは、できれば一緒に楽しみたいんです!』
その言葉を聞いて心臓がドクンと脈打った。
かつて、大切な人――自分の妹が言った言葉と似ていたから。
『お料理は楽しいもん! わたしもお姉ちゃんと一緒に楽しみたいよ!』
彼女との思い出が色褪せたことなど一回もない。今の自分の記憶には、彼女との楽しかった記憶で溢れ返っている。
「…………ニコリス」
妹の名を呟く。もう二度と返事がもらえない問いかけを、もう何度しただろうか。
「私は……負けない。勝つしかない。だって……あなたを奪ったものに屈するなんて……できないから」
エルニースが両手を顔を覆い、小さく嗚咽する。
悲しみを刻み込まれた記憶。
――忘れることのできない苦い過去が、今もなおエルニースの心を掴んで離さない。
それは――五年前の近くて遠い昔の出来事。
エルニースは物心つく前に父を亡くし、母が一人でエルニースと、その妹であるニコリスを育ててくれていた。
母は気丈な人で、決して弱音を吐くような性格ではなかったが、ある日、三人で一緒に買い物をしていた時――
「お母……さん……?」
エルニースとニコリスの前で、母が倒れた。
医者に調べてもらうと、心臓の病気だという。過労がたたり、元々それほど強くなかった母の身体に負荷がかかってしまったとのこと。
いつもにこやかに笑う母。弱みを見せず、毎日毎日、朝から晩までエルニースたちを養うために働いてくれた。
母は料理人で、彼女が作る料理はエルニースもニコリスも大好きだったのだ。
母が亡くなる前日、苦しいはずの母が何故かキッチンに立っていた。
「寝てないとダメだよっ!」
当然エルニースは注意した。しかし母は澄んだ表情のまま料理を作り上げる。
「この料理はね、お母さんとお父さんの絆の料理なの」
「絆……?」
エルニースの隣でニコリスも首を傾げていた。
「そう。お父さんが最初に食べてくれた私の料理。お父さんが大好物だったものなの」
それは一杯の――《親子丼》。
「最初の頃は下手でね。卵も火を通し過ぎたり、鶏肉がカチカチになったりで、とても美味しいとは言えないものだった。でも、それをお父さんは、美味いって食べてくれたの。この料理のお蔭で、私は誰かに食べさせる喜びを得ることができた。だから料理人になったのよ」
初めて聞いた、母が料理人になったきっかけ。まさか父だと思わなかったが、何故かエルニースの心の中には嬉しさが込み上げてきていた。
(そっかぁ、お父さんはとっても優しい人だったんだぁ)
記憶には残っていないが、そんな話を聞くと心が温かくなってくる。
「わ~、おいしいね、お姉ちゃん!」
「そうだね、ニコリス!」
二人して、母が作った《親子丼》を食べる。今まで食べたどんな母の料理よりも美味しいと感じさせるもので、何となくだが、自分もこの料理を作ってみたいと思わせてくれるものだった。
しかしそれは奇跡のような時間だったのだろう。その直後、すぐに母はまた倒れて、そのまま翌日――静かに息を引き取った。
母方の祖父母に引き取られたエルニースとニコリス。
最初の頃は、ずっと泣いていた毎日だったが、ニコリスのある一言で、エルニースは人生の決断をすることになる。
「…………また、あの《親子丼》が食べたいな」
そんなニコリスの言葉で、いつか自分も母のような《親子丼》を作りたいと思っていたことを思い出した。
すぐさまキッチンに立って、《親子丼》を作ってみた。それは母のと比べると非常にお粗末なもので、とても《親子丼》とは思えない様相を呈している。
ところどころ卵と鶏肉が焦げているし、母が作ったフワフワでトロトロな卵とはかけ離れた代物だ。
ニコリスの前にそれを出したが、案の定、彼女は呆気にとられたように目をパチクリしていた。
「ご、ごめんね、もう一回作り直すから」
「ううん! 食べる! いただきます!」
「あ……」
母の《親子丼》を百点としたら、十点にも満たない出来栄えのソレを、ニコリスは食べた。
「んぐんぐんぐ…………おいしくない」
「だ、だよね」
「けど…………あったかい」
「え……ま、まあ冷めてはいないと思うけど」
「ううん。そういうんじゃなくて……何だかね、お母さんを思い出すの」
「ニコリス……」
「ありがと、お姉ちゃん! おいしくないけど、とってもおいしい!」
その笑顔を見て、エルニースは自分も母のように誰かを笑顔にするような料理人になりたいと思った。そしてまずは、自分の身近にいるこの子を……ニコリスを満足させられるような料理を作ってみようと。
それから祖母や近くに住む主婦たちに料理のコツなどを聞いたり、本を読んで勉強を繰り返した。
気が付けば母が亡くなってから二年。十四歳になっていたエルニースに、作れない料理はほとんどないほどの上達ぶりを発揮していた。街の料理大会で、大人を押しのけて優勝するほどの実力。周りからは天才料理人と呼ばれるようになっていた。
また二歳年下のニコリスも、エルニースほどではないが腕を上げていたのだ。
しかしエルニースがあっさりと優勝した料理大会で、ニコリスは惨敗することに。
「大丈夫だよ、ニコリス! きっと次は勝てるから!」
「……うん」
負けたことが余程ショックだったのか、ニコリスは目に見えて落ち込んでいた。それから憑りつかれたように毎日毎日料理を作り、さすがに心配になった祖父母たちは、止めようとする……が、
「止めないで、おばあちゃんたち! わたしは頑張るもん! だって、お姉ちゃんに置いて行かれたくないから!」
ニコリスにとって、エルニースの存在はプレッシャーにもなっていたのかもしれない。口の悪い者からは、天才の残りカスと罵られていた。無論そんなことを真正面からハッキリと言うのは子供だけだったが。
それでもニコリスにとっては苦しい現実だったのかもしれない。
「ねえ、ニコリス。別に無理して私と同じ道を歩まなくてもいいのよ?」
「別に無理なんてしてないよ?」
「だって……」
すると太陽のような笑顔を作り彼女は言う。
「お料理は楽しいもん! わたしもお姉ちゃんと一緒に楽しみたいよ!」
「ニコリス……」
「お姉ちゃんとおんなじ世界で、お母さんの後をおっかけたい!」
彼女もまた、エルニースと同じ思いを持っていることを知ったエルニースは、それ以上彼女を止めることができなかった。
しかしこの時、もっと強く言い聞かせて、無理矢理にでも止めておくべきだったと、後になって知ることになる。
「おお~っ! すげえぜ、あの子! 一流の料理人でも捌くのが難しいって言われる《ハードシャーク》を一瞬で捌いたぞ!」
「ホントに十四歳なのかよっ!」
「よっ! 我らが星! このまま世界にまではばたけっ!」
周囲からの絶賛の声がエルニースの耳に届く。今、エルニースがしていたのは、実演料理というもので、お世話になっている料理屋の前で、《ハードシャーク》を捌いたのだ。
どんな料理人でも、一瞬でこの素材を捌くことはできないはず。それを可能にしているのは、
(私のユニーク魔法……《切断魔法》があるから)
それはまさしく料理人のためにあるような魔法だった。自分にその力が宿っていることを知った時から、エルニースは料理人としての格を急上昇させていたのだ。
ハッキリ言ってエルニースは浮かれていた。何もかもが上手くいっていると過信し、気づいていなかったのだ。群衆の中にいたニコリスが、悲しげにエルニースを見つめていたことを――。
それからニコリスの様子が豹変し、これまでよりも料理に裂く時間が増えた。まだ十二歳の身体を酷使し、睡眠時間も削って料理作りに没頭する。
エルニースが休んだ方が良いと言っても、
「ううん! まだ大丈夫だよ! だから待ってて。すぐに追いつくから!」
決まってその言葉を吐き、エルニースを拒絶し続けていた。エルニースも、世話になっている店が忙しくて、あまりニコリスに目をかけることができなかったのが痛かったのだろうか。
ある日、病院にニコリスが運び込まれたということを知ってエルニースは顔を真っ青になる。
慌ててかけつけると、ニコリスの全身に包帯が巻かれており、彼女は静かに眠っていた。
医者に尋ねると、料理の最中に気を抜いてしまい、熱した油が入った鍋を落とした結果、その油が彼女の両腕にかかったということ。
それだけではなく、痛みで暴れた際にキッチンの火が彼女の腕に燃え移り、駆けつけた祖母による消火が終わるまでずっと燃え続けていたという。
「まだ、お伝えしなければならないことがあります」
「……え?」
「一命はとりとめましたが、彼女の両腕の傷が深過ぎます。このままだと、壊死し、全身にまで回る可能性が……あります」
「ど、どういうことですか?」
「切断を……提案します」
「――っ!?」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が走った。
何という悲劇だろう。ニコリスはただ、少しでもエルニースに追いつきたくて、一心不乱に頑張っていただけ。料理を……作っていただけなのだ。
それなのに、たった一つの油断のせいで、彼女のすべてが奪われた。
「……ニコリス」
エルニースは、眠っているニコリスのもとへ向かい、痛々しい姿で寝入っている彼女を見つめ続けていた。
「……おね……ぇ……ちゃん」
「ニコリス? ニコリス!」
ゆっくりと目を開けるニコリス。
「……えへ……へ……し、失敗……しちゃった……」
どうしてそんなふうに笑えるのか、こんな状態なのに……。
「でも……だい……じょう……ぶだよ。きっとすぐに……追いつく……から」
そうか。彼女はまだ自分の現状を知らないのだ。
もう決して追いつくことなどできないという現実を……。
そして、医者からニコリスに残酷な真実が告げられてしまう。
それからニコリスは、しばらく呆然自失になり、いきなり暴れ出したりもするようになってしまったことで面会謝絶になった。
少しして、面会できるようになったので、エルニースは《親子丼》を作って持って行くことにしたのだが……。
「――帰ってっ!」
「ニコ……リス……!」
ニコリスがベッドに設置された机を蹴り上げ、その上に置いた《親子丼》が床に落ちる。
「何で! 何でなの! 必死に料理のお勉強してただけなのに! お姉ちゃんと一緒に頑張りたかっただけなのにっ!」
「ニコリス……」
「…………お姉ちゃんはいいよね……」
「え?」
「料理の才能があって……。お母さんも自慢だよね。わたしなんかと違って」
「そ、そんなことない! ニコリスだって料理作れて――」
「もう作れないよっ!」
「っ!?」
そう。彼女にはもう、両腕が無いのだ。今までみたいに料理を作ることは……できない。
「……わたしはずっと羨ましかった。ううん、それ以上にお姉ちゃんが誇らしかった」
「……!」
「だから必死に追いつこうって思った。わたしだって、お姉ちゃんとおんなじ世界に立ちたい……から。だけど……もう」
「ニコリス……」
「……出てって」
「え?」
「いいから出てってっ! もう何もかもダメなんだからぁっ! ――うぁっ!?」
「え……ニ、ニコリスッ!」
ガクンとまるで電源が落ちたかのように、ニコリスの焦点が虚ろになり、そのままベッドに横たわる。
大急ぎで医者が駆けつけ、診断した結果。心神喪失状態で、もしかしたらこのままずっと戻らないかもしれないことを知らされた。
そうして、エルニースの最愛の妹であるニコリスは、生きた人形と化してしまったのだ。
エルニースは自分を酷く苛むことになる。
ニコリスが苦しませていたのは誰だ?
「……それは私……」
ニコリスがこうなるまで気づかなかったのは何故だ?
「……それは自分のことしか見てなかったから……」
ならどうしてそうなってしまったのか?
「……それは料理のことしか考えていなかったから……」
それは何故?
「……楽しかったから……」
本当に? なら楽しいって何?
「楽しい……それは……」
心の中の質問に、エルニースは答えを出せないでいた。
「料理は楽しいもの……だってそれは……お母さんが教えてくれたもので、ニコリスも……そう言って……」
でもその料理が母を奪い、ニコリスから両腕を……心を奪った。
料理があったから、母はエルニースたちを養えたが、料理があったから、あまり構ってもらえず、結局は過労で倒れ死んだ。
そしてエルニースは料理の魅力に憑りつかれ、大切な妹が苦しんでいることにも気づかずに、あまつさえその料理に妹の心と腕が奪われることになった。
それなのに料理は本当に楽しい?
「分からない! ……だって……だって私は……!」
自分が作った料理を食べてもらって、笑顔にさせるのが好きだった。それを教えてくれたのは他でもない――ニコリスだ。
それなのに、エルニースはニコリスを蔑にしてしまい、料理に没頭した結果、本当に守りたかったものを……守れなかった。
「私はただ……ニコリスに幸せになってほしかっただけ。笑ってほしかっただけだったのに……っ」
料理がすべてを奪った。
あれだけ楽しく、幸せに感じていたのに、急に冷めていくような感覚が全身を侵していく。
料理、憎い。料理、憎い。料理、憎い。料理、憎い。料理、憎い。料理、憎い。
「……料理は……あの子を救ってはくれなかった……っ!」
復讐しよう。料理に復讐を。
理解している。これは八つ当たりだ。逃げ場のない怒りに、代償行為を探しただけの理不尽な答え。
でももう自分の中で道は決まってしまった、選んでしまったのだ。
「私なら……どんな料理も作れる。すべての料理を作って、頂点に立ち、その上で見下してやる……! それが私の復讐だから」
こうして、若干十九歳で《イデアコック王決定戦》で、圧倒的勝利を収める、冷酷なエルニースが出来上がった。
過去を思い返し、苦々しい顔を浮かべるエルニースは、ジッと控室のモニターを見つめる。
そこには先程、話を聞きに来た銀髪の女の子が映っていた。
そういえば、まだ名前を聞いていなかった気がする。
「……どうして、あんなことを言ったんだろう」
思い出すは、彼女に言い放った自分の言葉。
『同じ舞台に上がってくればいい。準決勝に勝ったら、少しだけ……教えてあげる』
何故そのようなことを言ってしまったのか。
それは多分、あの子の中に、かつてのニコリスの面影を感じたからだろう。ニコリスと同じようなことを言う彼女。
モニターには、彼女の名前と、彼女が支持する男の名前が映し出されていた。
「……ミュア・カストレイア。アノールド・オーシャン……」
自分の言葉を偽るつもりはない。もし彼女たちが今から始まる準決勝を勝ち抜き、決勝までこれたのなら、正直に話してあげるつもりだ。
決勝にもこられない程度の実力で、好きなことを言われても説得力はない。せめて同じ舞台に立ってから、意見してほしいものである。
「……別に、話そうが話すまいが、私のすることは変わらない」
そう、やるべきことは大会で頂点に立つこと。そして料理を卑下し、憎み続ける。それがエルニースの復讐。
エルニースの瞳が暗く、冷たい闇が濃く広がっていく。
※
「ようやく闘り合えるな、トルド!」
「おうよ、アノールド! 前回は負けちまったけど、今回は勝たせてもらうぜ!」
アノールドと、その対戦相手であるトルドは互いに火花を散らしている。
「あらあら、男ってホントーに暑苦しいんだから、ねえ、ミュア…………ミュア?」
「え? あ、ど、どうしたんですか?」
「……何かあったの? 元気ないようだけど」
トルドのパートナーであるコランが心配そうに尋ねてくる。
「い、いえ! 何でもありません! ただ緊張してて!」
嘘だった。本当はエルニースとの会話で、彼女のことが気になってしまい上の空になっていただけ。
「そう? せっかく準決勝なんだから楽しまないと損よ」
「楽しむ……はい! そうですよね、料理はやっぱり楽しまないと!」
「ふふ、でも私は作れないからアイツの手伝いはあんまりできないけどね」
「そんなことありませんよ! きっとコランさんが傍にいるだけで、トルドさんは百パーセントの実力が出せると思いますから」
「ミュア……!」
「だけど、わたしとおじさんも負けませよ!」
「……ふふ、ええ。私たちもよ。全力で相手するわ」
準決勝に勝って、決勝でエルニースと闘うためにも負けるわけにはいかない。
(けど、それはそれ。今は準決勝を背一杯楽しまなくちゃ!)
ミュアの頭の中からエルニースのことが消えていき、目の前の闘いだけに集中していく。
すると先程のムースンとエルニースとの勝負と同様、地面からゴゴゴゴゴゴと音を響かせながら舞台が競り上がってきた。
その上には山のように積まれた複数の果実がある。
「この中から好きな食材を使って、最高級のデザートを作って頂きたいと思います!」
なるほど。大会二日目のラスト。最後はデザートというわけだ。
「しかし! この中のどれもが調理が非常に困難なものばかり! 制限時間は一時間半! 何品でも構いませんので時間内に料理を作り上げて頂きます! ただし、調理を失敗してしまえば、食材一つにつき、十分間のペナルティタイムとさせて頂きます!」
「あ? どういうことだ?」
アノールドが首を傾げながら尋ねると、シウバはニコッとしながら答える。
「つまり今、アノールド選手の持ち時間は一時間半でございますよね?」
「ああ、そうだな」
「しかし例えば、あそこに置かれている食材を一つ調理台へと持ち運び、調理を開始したとします。しかしどうも皮も剥けないし、切ることもできない。つまり加工することができない。となれば調理失敗。持ち時間から十分を減らし、制限時間が短くなっていきます」
「そんなのアリかよっ!?」
「アリなのです! 大会ですから! ノフォフォフォフォ!」
エルニースたちの闘いもかなり際どいものだったが、今回の勝負方法もシビアなものらしい。
つまり失敗するごとに持ち時間が減り、時間内に料理を完成することが徐々に難しくなってくるということだ。
「この勝負は、どれだけ早く、食材の調理法を見つけるかにかかっています! いいですか? 失敗は十分間の寿命を削っていきます! しかと覚えておいてくださいませ!」
再度念を押すようにシウバが説明してきた。
「へぇ、面白えじゃねえか! おいアノールド、まさか怖気づいたってわけじゃねえよな?」
「ばっ、そんなわけねえだろうがっ! やってやるよ! 完膚なきまでにキャインと言わせてやっからなっ!」
「キャインっていうのは犬のお前だ! 絶対負けねえからなっ!」
どうやら二人は覚悟を決めたようだ。
「お二組とも、準備はよろしいですね? では――本日最終、第六回戦初めてくださいっ!」
大きな銅鑼が鳴らされ、開始の合図が響き渡った。
勝負開始した直後、すぐにアノールドとミュアは、食材がある舞台の方へ急ぐ。時間は一分も無駄にできないのですぐに食材の目利きをし始めないといけない。
無論相手のトルドの方も同じく舞台にやってきて、どの食材を使うかじっくり観察している。
「さて、食材の種類はざっと見て十種類ほどか」
「ねえおじさん。どれか使った食材はないの?」
「ああ、一つもねえな。多分、どれも稀少でなかなか手に入らないものなんだろうな。トルドも難しい顔してらぁ」
ということはトルドもまた初めて扱うものばかりなのだろう。
「デザート……か」
「どんなものを作るか決めてる?」
「そうだなぁ。こんだけのフルーツがあるんだから、ミックスして何かできればいいんだが、いかんせん一つ失敗するごとに十分の時間が削られるしな。冒険はそうはできねえ」
「だよね。けどほんとに調理って難しいのかな? どれも簡単に皮も剥けるし、切ることだってできそうだけど……」
「……ミュアの言う通りだな。とりあえず、まずはこのフルーツにしてみっか」
そうしてアノールドが手にしたのは、表面がすべすべしていて緑色をしている、一見野菜のウリのように見える果実。
「おっと、アノールド選手が最初に手に取ったのは《レッドパンク》だ!」
シウバの説明にアノールドは眉をひそめる。
「……レッド? 赤? ……緑だろ、これ」
「そう、だね……。しかもパンクって……?」
「分からん。名前から何か連想できっかもって思ったけど、何も思い浮かばねえ。とりあえず調理台へ持っていって調べてみっか」
「うん!」
そうして《レッドパンク》を持ち帰り、まな板の上に置くアノールド。
「ミュア、一応湯を沸かしておいてくれ。もしかしたら何かに必要になるかもしれねえから」
「うん、任せて!」
調理台に置かれているあらゆる調理器具を確認するアノールドだが……。
(あれだけ失敗のリスクをシウバが説明したってことは、皮を剥くところからもう特殊なやり方が必要なのかもしれねえ。けど、ここにある調理器具で調理できるのも確かだろう)
だから用意されているのだから。
(けど、普通に包丁やピーラーを使っていいのか? いや、そもそも皮を剥く必要があるのか?)
アノールドは《レッドパンク》を手に取りニオイを嗅いでみる。スイカのようなどことなく野菜臭もする独特なニオイをさせる果実だ。
「……そういや、エルニースは、さっきの戦いで簡単に食材の意志を感じ取りやがったな。俺にもあんな芸当があっさりとこなせるといいんだが……」
目を閉じて意識を集中させるが、そう都合良く食材から意志が感じ取れることはない。
調子の良い時は、何となくこうした方が食材が喜ぶのではという直感が働くが、それがまったく機能してくれない。
(ままならねえな。……そうだ、トルドは?)
対面するように設置されているもう一つの調理台。そこにはすでにトルドも、食材を持ってきて腕を組んで思い悩んでいる様子を見せるトルドがいた。
(アイツも結構苦戦してるようだな)
何といっても、一つの食材で、調理を間違うだけで時間が削られるのだから、おいそれと手は出せない。しかしながら、このままジッとしていても、それは時間の無駄に他ならない。
「――よし! とにかく、ものは試しだ! 料理は度胸! 失敗が成功を導く!」
包丁を手に取り、思い切って《レッドパンク》を真っ二つにしてやった。
(どうだ! 真ん中ちょん切ってやったぞ! これは合ってんのか!?)
切ると、中身がバナナのような色をした実が姿を見せた……が、
「お、おいおい何だコレッ!?」
バナナ色をしていた実が、突然血のように真っ赤になっていき、ぷく~と膨れたと思ったら――――パァンッ!
「のわぁぁぁっ!?」「きゃあっ!?」
……いきなり破裂した。思わずアノールドとミュアは声を上げてしまい、それを見ていた観客やトルドたちも呆けたように調理台を見つめている。
調理台は真っ赤な肉片が飛び散ったようになっており、明らかに調理失敗を理解させられるものだった。
「おぉーっとぉ! さっそくアノールド選手! 《レッドパンク》の調理失敗です! よって、持ち時間から十分間が削られます!」
残り時間――一時間十七分となってしまった。
「は、ははは……なるほど、赤い破裂……ね。よ~く分かったよ……」
つまり調理に失敗すると、《レッドパンク》は先程のように実を真っ赤にして破裂する特性を持っているようだ。
「お、おじさん、大丈夫!?」
「あ、ああ。けど一つ目、失敗しちまったなぁ」
「う、うん。どうする? 続けて《レッドパンク》を使うの?」
「……いや、もう一度舞台に行くか」
その時、
「うわっちィィィッ!?」
トルドの悲鳴が聞こえた。見ると、まな板が、というよりまな板の上にあるものが燃えているのを発見する。
「これはトルド選手! 《フレイムチェリー》の調理失敗です!」
「くっそぉぉぉっ! 何だよこの食材ィィィッ!」
気持ちは分かるぞ、トルド……と、アノールドは心の中で思いつつ、舞台に目を向ける。そのまま腕を食材を手にしながらいろいろ考察していく。
フルーツの名前は、その前にあるプレートに書かれている。
「……っ!? そっか、もしかしたらここにある食材の名前、失敗したらどうなるか分かるような名前が書かれてんじゃねえか?」
「うん。わたしも思った。さっきの《レッドパンク》にしろ、トルドさんが選んだ《フレイムチェリー》にしろ、失敗したら名前の通りになってるからね」
「……まあ、それが分かったところでどうしようもねえんだけどな」
「そ、そうだね……」
そうなのだ。名前の由来が分かったところで意味がない。知りたいのは調理方法なのだから。
「……《アイアンニードル》? 技名かよ……ん、あとは《フォグレープフルーツ》、《アイスイカ》……他にもいろいろあるみてえだけど、どれも扱い辛そうなものばっかだなぁ」
「あ、でもこの《アッシュストロベリー》は可愛いし、とっても美味しそうだよ! ん~香りもフルーティだし」
「お、苺か。……よし、今度はこれにしてみっか」
ザルを持ってきて、緋色に染まった《アッシュストロベリー》を入れて調理台へと持って行く。
(……ん? トルドも決めたのか。あれは……《シャボンアップル》ってやつだな)
互いにいろいろ吟味した結果、それらを選んだ。
(できれば、このフルーツで調理してえ。あまり他に鞍替えするのも選んでる時間がかかるしもったいねえしな。たとえこれを何度か失敗しても、続けた方が良いかもしれねえ)
調理台に置いた《アッシュストロベリー》に視線を落としながら思う。
「……ミュア、さっき沸かしてくれた湯を持ってきてくれ」
「あ、うん!」
彼女が持ってきてくれた湯を、一個の《アッシュストロベリー》にかけていく。すると、形が変化し始め、灰のような形状になる。
「くそっ! 失敗か!」
アッシュ=灰。つまり灰化した時点で失敗だ。アノールドはまな板で灰化してしまった《アッシュストロベリー》をゴミ箱に捨て、他の《アッシュストロベリー》をまな板に乗せた。
「おっと! アノールド選手、二度目の失敗です! これでアノールド選手の持ち時間はさらに削られることになりました!」
そんなこと言われるまでもなく分かっているので、いちいち言われることで焦りが生まれていく。
「ぐわ! 失敗かよぉ!」
どうやらトルドの方も芳しくなさそうで、見れば、宙にシャボン玉が浮かんでいた。それをトルドは鬱陶しそうに手で払い消失させる。
「これでトルド選手の持ち時間も再度十分を失いました!」
「こなくそぉぉぉぉっ!」
トルドも悔しげに顔を歪めながらも、必死に頭を悩ませて調理法を見出している様がよく分かる。
「なら次は蒸すのはどうだ!」
アノールドはせいろを取り出し、そこに《アッシュストロベリー》を入れて数分待つ。だがやはり灰化してしまう。
「ちくしょう。これもダメか」
「みたいだね、おじさん。これってもう使えないんだよね?」
「そうだな。捨てておいてくれ」
「うん」
ミュアが灰化した《アッシュストロベリー》をゴミ箱の中に捨てる。
「どうやらアノールド選手たちは、またもや制限時間が削られた模様でございます! これで三度目です!」
シウバの残酷な宣言が聞こえる。
それから数度の失敗を繰り返し、互いに持ち時間が四十分を切ってしまった。
アノールドは《アッシュストロベリー》を使っての調理で何度か失敗して、まだ光明を見出せずにいた。ミュアも心配そうに見つめている。
(……いろいろ試してみたけど、これといった調理法が思い浮かばねえ……!)
恐らく本格的に料理を作ろうと思ったら三十分以上はかかる。残り時間は四十分を切っている……つまりもう、失敗はできない。
すると観客たちから「おお~っ!」という歓声が響く。見れば、トルドが新しい工程に入っていたのだ。
「よっしゃ! ようやく見つかったぜっ!」
アノールドは心の中で「何っ!?」と叫びながら、焦燥感にかられる。トルドが先に調理法を見つけて、ようやくスタートできたのだ。
「お、おじさん!」
「分かってる、ミュア! ……くそ、どうすりゃいい……?」
目の前にチョコンと置かれている《アッシュストロベリー》を見つめながら額から汗を垂れ流すアノールドは、震える手でまだ試してない調理法を見つけようと模索する。
しかし時間は刻一刻と過ぎ去っていく。
「一体どうしたら調理できんだコイツは……!」
その時、ミュアが《アッシュストロベリー》を手にし、
「でも不思議な果物だよね。失敗すると灰になるなんて。どんな構造してるんだろ」
「……さあな。それを言ったら、他の果実だってそうだしな」
「だよね。でも、灰になったらさすがに食べられない……よね」
それはそうだ。砂を調理していると同じなのだから。
「……ええい! こうなったら次は氷水に浸けてみる!」
ボールに氷水を入れて、ゴクリと喉を鳴らしながら《アッシュストロベリー》をそっと浸けようとする……が、
「う、うぅ……手が震えやがる!」
これで失敗すれば、時間的にもう絶望的だ。事実上の最後のチャレンジかもしれない。
大きく深呼吸をしながら、ポトンと氷水に《アッシュストロベリー》を落とす。
(――どうだっ!)
成功してくれという願いを込める。……しかし、結果は残酷だった。
徐々に形を崩していく《アッシュストロベリー》。数秒後――灰化してしまった。
「お、おじさん……」
「ちき……しょう……っ」
これで持ち時間は二十分台になった。あとの調理工程を考えると、もう取り返しがつかない可能性が高い。
その間にトルドは自身の料理を進めている。
(くそぉ……これで終わりかよ)
せっかくここまできたのに、料理すら作れないで終わるとは情けない限りだった。
自分の不甲斐無さに悔しくて歯を食いしばってしまう。しかし、ここであることに気づく。
(……? 何でまだ持ち時間が減らねえんだ?)
そうなのだ。いつもコールするシウバの声が聞こえてこない。シウバを見ると、ジッとアノールドの調理台を眺めているだけ。
アノールドはそんなシウバの視線を追うように、ボールに入った灰化した《アッシュストロベリー》を見やる。
(……! もしかしたら俺は、とんでもねえ勘違いをしてたんじゃねえのか!?)
今までの失敗したと思われる工程を思い出す。いや、正確にはシウバがどんな時に時間を削るコールをしていたのかを、だ。
(……そういや、失敗したって思った直後、コールは無かった。あったのは……)
アノールドは足元にあるゴミ箱を凝視する。そこには失敗した分だけの灰が注ぎ込まれていた。
「……そうだ」
「おじさん?」
「……なあ、ミュア。俺たちは勘違いしてたんだよ」
「勘違い?」
「そうだよ! これはまだ失敗なんかしてねえんだ!」
ボールに入った《アッシュストロベリー》を指差す。
「で、でも灰化してるよ?」
「失敗なら、何で持ち時間が削られねえんだ?」
「……あ」
「そうだよ。まだ失敗じゃねえんだ。思い出したんだ。今までどんな時に持ち時間が削られてたのか」
「どんな時って……」
ミュアも思いだそうとしているのか、上目遣いになりながら考え込んでいる。
「分からねえか? それはな、ゴミ箱に捨てた時だよ」
「――あっ!」
「だろ? 最初の《レッドパンク》はともかくとして、《アッシュストロベリー》に関していえば、どれも灰化して調理を諦めて捨てた時にコールされちまってる」
「じゃ、じゃあコレはまだ調理失敗じゃないの?」
「ああ、そうだ! くそ、何で気づかなかったんだよ!」
「で、でも灰化したままで使えるの?」
「けど失敗してねえってことは、これが正しい調理法なんだよ」
アノールドは灰化した《アッシュストロベリー》をまな板に取り出し、指で触れてみる。
(……砂みてえな触り心地だ。けどコレはまだ死んでねえんだ!)
アノールドは目を閉じて全神経を指先に集中させる。
(教えてくれ……、お前はどんなふうに調理されてえんだ)
すると頭の中が、涼風が吹き抜けたようにスッキリとしていく。誰かの声が聞こえてくる――。
「――よし! 任せてくれっ!」
アノールドは灰だけをボールに移すと、そこに卵黄を入れて手でかき混ぜていく。
「ミュア! 他の《アッシュストロベリー》も灰化させてくれ! さっきと同じ方法でな!」
「う、うん、分かった!」
トルドに送った時と同じように、歓声がアノールドたちにも送られる。
「おぉーっとぉ! どうやら二組ともが、調理法を会得した模様です! しかし時間は迫って来ています! 果たして料理を完成させることができるのでしょうか!」
アノールドとトルドは、その最中、互いに視線を交わし笑みをぶつけ合う。絶対負けないという意味を視線で送り、調理に集中していく。
そして――調理終了の銅鑼が鳴る。
「そこまでです! では二組とも、料理をお出ししてくださいませっ!」
まず先に料理を審査員に出したのはトルドチームだった。
「俺が作った料理は――《シャボン餡蜜》だ!」
器の上に置かれているのは、直径が五センチほどの球体。しかも全部が虹色に輝き、目を奪われるほどキレイな仕上がりである。
「《シャボンアップル》を調理するのは、まず凍らせてやらなければならない。そこで、こっちのコランが得意としてる氷魔法で、一気に凍らせた。凍らせることで普通のリンゴみてえな大きさだった《シャボンアップル》は、それくれえ小さくなる。ここで難解なのは、凍ったままの《シャボンアップル》を沸騰した湯に浸けることだ。そうすることで一気に解凍された《シャボンアップル》がそんな瑞々しい色合いになる」
それはまさにシャボン玉のような美しさ。しかも触れるだけで壊れるのかと思いきやプルンとしていて、感触も面白い。
日色は一口食べてみた。
「ん……んん――っ!?」
口の中に入れて噛んだ瞬間、パチパチッと何かが弾ける。まるで極小の爆弾を無数に口の中に入れたような食感。
しかし決して痛みなどなく、むしろほどよく口の中を刺激してくるので癖になるかもしれない。
味はリンゴなのだが、果汁もたっぷりなようで、一個だけで存分にリンゴ分を楽しめる。
半分ほど噛んで中身を確認してみると、そこからフワフワと浮いてくる小さな球体。シャボン玉の中に、無数の小さなシャボン玉が、まるで卵のようにぎっしり詰まっていた。
そこから宙へと浮き出し、パチパチと弾けるのだから目で見るだけでも楽しい。
(面白いフルーツだ。それに冷たくて美味い! 餡蜜との相性も良くて、食べるだけで清涼感を得られるぞ)
この食感は、大人でも子供でも楽しめるものだと思う。二日目の最終勝負。最高のデザートの一品だと日色は感じた。
トルドも審査員たちの笑顔を見て、コランと顔を合わせニカッと嬉しそうに微笑んでいる。
そして次――。
ラストのデザートが日色たちの前に並ぶ。
「本日最後の一品! アノールドチームのデザートでございます!」
シウバの掛け声で、皿に被せられた蓋が取られる。
そこからはガラス瓶に入った料理が出てきた。
「俺たちの魂のデザート料理! それがその――《スカーレット・ブランマンジェ》だっ!」
日色はふむ……と、ガラス瓶に入った白と赤が混じった物体を観察する。
(《ブランマンジェ》……か。確か、砂糖や酒、生クリームにバニラなどで風味をつけた牛乳をゼラチンで固めたもの……だったはずだ。まあ本来はアーモンドを砕いてそこからミルクを抽出し、牛乳に香りをつけ、そこに肉を入れることもあったらしいが)
かつて読んだことのある料理本の知識から引っ張り出してくる。
ちなみに古フランス語で“白い食べ物”という意味の“blanc mangier”に由来するらしい。
「スプーンで掬って食べてみてくれ。きっちり冷やしてあっから美味えぞ!」
アノールドの言うように、瓶を持っただけで冷えていることがよく伝わってくる。
「……ん? この上に載ってるのは何だ? ……ジャムか?」
「その通りだぜ、ヒイロ」
白い《ブランマンジェ》の上に鮮やかな紅色をした液体が載っている。
「ほう、中にもまばらにジャムを入れてるようだな」
「おうよ。もちろんそのジャムは《アッシュストロベリー》だ。卵黄と混ぜ合わせることで、灰化した状態から、ジャムみてえなドロドロの液体になるんだけどよ、それにレモン汁を加えてじっくり弱火で煮た」
「なるほどな。少し色が黄色いのはそのせいか」
「中には生クリームや六分の一サイズにカットした《アッシュストロベリー》も入ってる。ほれほれ、説明よりも早く食ってみろって」
それもそうだと思い、スプーンを瓶の中に入れる。低反発で、プリンのような固形物状になっていた。スプーンの上に乗せると、プルンと軟らかそうに揺れる。
「あむ……っ!?」
口の中に入れた瞬間に広がるバニラと苺の香り。遅れてレモンの風味とアーモンドの味が口内に染み渡る。
「美味い! それにこのジャムが別格だ! そのままの形も美味いが、ジャムにすることで甘味が増してるし、白い部分と絶妙にバランスが取れてる! しかもこの喉越しの爽やかさ……!」
ひんやりと冷たいことで、スッと抵抗なく喉から胃へと流れ落ちていく。苺の甘い香りが鼻から抜けていく感覚が心地好い。
(もともと《アッシュストロベリー》の糖度は半端無く高いんだろうな。少なくとも今まで食べた苺の中では一番甘い)
隣を見れば、リリィンも滅多に見せない蕩けた顔で食している。余程気に入ったのか、スプーンを持つ手が止まらず、あっという間に完食してしまった。
しかしそれは彼女だけでなく、日色や他の者たちも同じだ。至福の表情を浮かべながら、背もたれに身体を預けている。
そんな審査員たちの顔を見て、アノールドとミュアは「「やった!」」と言いながらハイタッチをした。
「――さあ、それでは審査が終了したところで、結果を出して頂きましょう! 赤の旗はトルドチーム。白の旗はアノールドチームでお願い致します!」
会場が静まり返り、結果に誰もが注目している。決勝に勝ち上がれるのは、どのチームなのか……。
審査員の手が支持する旗を掴む。
「さあ、いよいよです! 決勝に進むのは、どのチームだ――っ!」
シウバの煽りに、会場中が息を呑む。ミュアとコランは両手を合わせて祈りを捧げており、アノールドとトルドは、瞬きをせずにジッと審査員を凝視している。
赤、白、白、赤、赤、白、白、赤、白、白。
「結果が出ましたっ! 第六回戦、勝者は――アノールドチィィィィィムッ!」
宣言を受け、
「うおっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「やったぁぁぁぁっ! おじさぁぁんっ!」
アノールドとミュアは互いに抱き合い勝利の喜びを体中で表現している。
反対にトルドとコランは、ガックリと肩を落とし、そして……アノールドたち称えるように拍手を送った。
「やられちまったぜ、大したもんだ」
「そうね。けど、満足そうな顔してるじゃない」
「まあな。全力で闘ったんだ。悔いはねえよ。……でもやっぱ、勝ちたかったけどなぁ」
「ふふ、次こそリベンジね」
「ああ!」
トルドとコランは、そのままアノールドたちのもとへ向かう。
「よぉ、アノールド」
「トルド……」
しばらく二人は見つめ合う。するとほぼ同時にフッと頬を緩めると、
「ったく。自信作だったってのに、やってくれたな」
先にトルドが愚痴まがいに言葉を吐き出す。
「俺だって、先に調理を始められた時は、もう終わったって思っちまったもんよ。何とか良いものが出来て良かったけどな」
「ミュアも立派にアノールドのサポートをしていたわ。お疲れ様」
「そんな、コランさん。わたしはほとんど何もしてません。ただおじさんを信じていただけですから」
「信じるということもサポートの一つよ」
「……はい!」
ミュアは満面の笑みでコランに返答すると、コランもまた同じように微笑んだ。
「さて、それでは審査員の方々にお話をお聞きしてみましょう! ではアクウィナス殿?」
「うむ。俺はトルドチームが作った《シャボン餡蜜》の方を押した。ボリュームがあって、新食感というところに惹かれたからな。それに《餡蜜》としてのクオリティの高さを評価させてもらった」
「なるほど! では次にララシーク殿、お願いします」
「おう。ワタシはアノールドたちの方だ。見た目が可愛いっていうのも評価したし、何よりも《アッシュストロベリー》そのものを調理し、ジャムに変えたのも良かった。《シャボンアップル》の方は、あれそのものにはあまり手は加えられていなかったからな」
確かにララシークの言うように、《シャボンアップル》そのものを美味しく調理したというより、餡蜜になる部分に力を入れたといった方が良いかもしれない。
まあ、あまり手を加えない方が良いとトルドが判断したのだろうが。
「では――」
「ちょっと待ってくれ、シウバ」
「はい? どうされましたか、アノールド殿?」
「どうしてもある野郎に聞きてえことがあんだよ」
「ほうほう、それはどなたで?」
ビシッと日色の方に指を差してくるアノールド。
「おいこらテメエ、何で俺の料理じゃなくてトルドなんだよ?」
そう、日色はアノールドが作った《スカーレット・ブランマンジェ》ではなく、《シャボン餡蜜》の方を支持していた。
「何が悪かったってんだ?」
「ふむ。別にオッサンのも美味かったぞ」
「なら何でだ?」
「単純に、《シャボン餡蜜》の方が食べ応えがあったから。量的にな」
「……は?」
「男としては、こんなみみっちいガラス瓶よりは、がっつり食べれる器に入った《餡蜜》の方が良かった」
「い、いや……男としてはって、それお前だけじゃ……」
「そうでもないだろ? アクウィナスだってボリュームを評価してるし、他の男どもも、ほとんど《餡蜜》を支持してるぞ」
確かに《シャボン餡蜜》を支持したのは、日色、アクウィナス、レッグルス、ジュドムであり、ホオズキとテンドクは、恐らく歳のせいで大食ではないから、アノールドの料理の方がちょうど良かったのだろう。
「な、ななななな……っ!?」
「良かったな、オッサン。もし審査員が、良く食う男どもだらけだったら、オッサンは負けてたかもなぁ」
「くっ! しまったぁ……ボリュームのことはすっかり眼中にしてなかった」
だが幸い女性が好む少量のデザートということで、何とか勝ちを拾ったアノールドだった。
「まったく、どっちが勝ったか分からんな。もっと精進しろよ、オッサン」
「あいっ変わらず偉そうだな、テメエはぁっ!」
「偉そうじゃない。今は偉い審査員様だ。崇めろ」
「誰が崇めるか、横柄眼鏡野郎!」
「黙れ、変態鬼畜親バカロリコン」
「長えよっ! 親バカだけしか認めてねえっ!」
親バカは自分でも理解しているようだ。会場も、アノールド弄りにドッと沸いている。
「さあさあ、お二人ともよろしいですかな! ではこれにて本日の大会を終了とさせて頂きます! 今一度、感動と笑いを届けてくださった参加者たちに、温かい拍手をお願い致します!」
シウバの願いに呼応して、歓声と拍手が鳴り響く。……笑いだけはアノールドしか取っていないとは思うが。
「明日は決勝戦です! 決勝カードは、圧倒的実力で勝ち進んできた期待の新星――エルニース選手と、仲睦まじい二人組――アノールド・ミュアチームでございます! 皆様方、明日を楽しむためにも、今日はしっかりと睡眠を取ってくださいませ! ではまた明日、お会い致しましょう!」
参加者や、審査員たちがはけるまで、歓声と拍手は鳴り止まなかった。




