253:金色の文字使い
レオウードが逝った現実を、日色もまた直視することになった。
「……レオウード……」
「獣王が逝ったか……最後まで大した奴だったな」
アヴォロスもレオウードを認めていたのか、感心めいた言葉を出す。
日色はただ助けられなかった悔しさで拳を震わせることしかできなかったのだ。できればもう一度、彼と食卓を囲いながら食事を食べてみたかった。
それが叶わなくなったことが辛い。
ただ一つだけ安堵したのは、彼が満足しながら逝けたことだ。彼のお蔭で、皆の命が救われたといっても過言ではないほどの奮闘を見せ、最後は獣王らしく堂々とした風格を漂わせながら死んでいった。
それが彼の救いになっていたのかもしれない。
(【イデア】を……ミュアたちを守ってくれて、ありがとうな、レオウード)
しんみりとした空気が支配する中、突如として日色の身体が黄金色に光り輝く。
「な、何だっ!?」
声を出した日色だけではなく、アヴォロスも目を丸くしながら日色を見やる。
光が日色の身体の中から外へ放出し、その光が形を成していく。そこに現れたのは、幽霊のように透けている――――イヴァライデアだった。
「イヴァライ……デア?」
閉じていた目をゆっくり開けたイヴァライデアがキッとした表情を浮かべて塔を見つめる。そしてそのまま、遠目に映る【イデア】に視線を移動させた。
日色とアヴォロスは互いに顔を見合わせ眉をひそめると、代表して日色が口を開く。
「い、一体どうしたんだ? というかお前、生きてたのか? まあ、透けてるが……」
するとイヴァライデアが日色に詰め寄って、焦ったような表情で言葉を放つ。
「大変だよっ、ヒイロ!」
「……は?」
突拍子もない出来事で、思考が定まらない。しかし彼女の言葉は続く。
「塔を、月を止めなきゃっ!」
「ちょ、ちょっと待て! 一体何を言ってる? 月を止める?」
「そうだよ! アイツが……サタンゾアが月を【イデア】に落とそうとしてるんだよっ!」
「何っ……だと……っ!?」
とんでもない言葉が耳に入ってきた。
「どういうことだ! きっちり説明しろっ!」
「感じるの。サタンゾアの怨念が、塔を……月を支配しているのを」
「怨念?」
「うん。今、塔のシステムがその怨念に乗っ取られてしまってるの」
「……乗っ取られてどうなってる?」
「多分サタンゾアは、《四天魔》によって【イデア】を破壊することができなかったから、今度はこの月そのものを使って破壊しようと考えたんだよ」
「マジかよ……っ! どんだけしぶとい奴なんだっ!」
まったくもってその通りである。肉体を倒したと思ったら、今度は黒い煙になって《四天魔》を使って【イデア】を破壊しようとしたり、それが駄目になると、今度は怨念になって月を支配するというしつこさ。
「どうすれば、止められる?」
「…………止める方法はただ一つ。塔の最上階へ行って、月を司るシステムを奪い返すしかない」
「最上階……か。月が【イデア】に落ちるまでどれくらいある?」
「あまり近すぎると、引力で引っ張られるから、安全圏までってことになると、多分…………十分もないかも」
「何だと……っ!?」
日色は自分の手の平を見つめる。
(魔力はまだ戻ってない。体力だって多少は戻ったにせよ、最上階まで昇り切れるとは思えない)
何といっても塔は、塔下から見上げても頂上が見えないほど高いのだ。階段は何段あるのか分かったものではない。
しかも制限時間は十分。階段を昇っている時間なんてありはしない。
(どうする……どうすればいいっ! 最後の最後でこんなことっ!)
せっかく皆が頑張り平和を掴みとった矢先の出来事。
ここで終わりになどしたくはない。しかし今の状態では、塔の最上階へ辿り着くこともできない。
「魔力が……あれば……っ」
しかしその時、
「ヒイロよ、誰か忘れてはおらぬか?」
「え……っ」
そうだ。ここにはアヴォロスもいたのだ。
「余も魔力は底を尽きかけておる。しかしまだ!」
彼の背中から真っ赤な翼が生える。
「この命を燃やすことはできるぞ!」
※
【イデア】の魔界では、いまだに悲しみが渦巻き、レオウードの死を受け止めきれない者で溢れている。
だがそんな中、率先してレッグルスが動き、獣王を託された身として覚悟を見せ始めると、次第に暗い雰囲気だった現状が打破していく。
ミミルもまた涙が止まらなかったが、いつまでも悲しんでいては、せっかくレオウードが命を懸けて守ってくれたものに対して失礼だと考え、必死に皆の手伝いをしていた。
すると、右腕にしている《ボンドリング》が光り輝く。
“――聞こえるか、ミミル”
それは愛しい男性の声だった。
“ヒ、ヒイロさまっ!?”
“……レオウードのことは、残念だったな”
“ヒイロさまぁ……っ”
彼に言われると、また涙腺が緩み始める。
“だが、アイツの意志を引き継いでいくのはお前らの仕事だぞ”
“ヒイロさま…………そうですよね。それは分かっているのですけど”
だが悲しいものは悲しいのだ。
“安心しろ。お前らが無事に意志を引き継いでいけるように、オレも最後まで力を尽くす”
“力を……?”
何やら声から覚悟のようなものを感じて、
“あ、あの……何かあったのでしょうか?”
“……いいか、落ち着いて聞け。そしてこの話を、各国の代表たちに伝えてくれ”
“は、はい”
“まずは確認してほしいことがある。お前の位置から【ヤレアッハの塔】は確認できるか?”
“あ、はい。見えます……ですが……あれ?”
“どうした?”
“いえ、その……多分気のせいかもしれませんが、少し塔が大きくなっているような……”
“……それは気のせいなんかじゃない”
“どういうことですか?”
“実はな……”
日色がイヴァライデアから聞いたという話を伝えてくれた。内容は信じがたいものだったが、彼が言うのであれば真実なのだろう。
まさか月そのものが【イデア】に落下しようとしているなんて……。
“いいな、この話をイヴェアムたちに伝えてくれ”
“わ、分かりました。で、ですがミミルたちはどうすれば……”
“何もしなくてもいい”
“え?”
“お前らはよく頑張ってくれた。ミミルだって、負傷者の手当てなどを手伝っていたんだろ? よくやった”
“ミミルには、それしかできませんですから”
“それでもだ。自分にできることをお前はした。それが一番だ”
彼にそう言われるとむず痒い気持ちになる。何だか抱きしめられて頭を撫でられている感じだ。
“月は必ずオレが何とかする。今、アヴォロスに最上階まで連れて行ってもらっているが、制限時間も課せられてる厳しい状況だ。だが、信じろ。皆にはそう伝えてくれ”
“ヒイロさま……はい、承りましたです!”
“良い返事だ。……じゃあな”
そうして会話が終わりそうだったので、ミミルは、
“あ、あの!”
“何だ?”
“……帰って来てくださいます……よね?”
何故そんなことを聞いたのだろうか。
誰よりも彼のことを信じているはずなのに、彼の「じゃあな」と言う言葉を聞いて嫌な予感が全身を震わせた。
“当然だろ。オレはまだやりたいことがたくさんあるからな”
“……お待ちしておりますから、ずっと”
“……ああ”
そこで通話は切れた。
彼は当然と言ってくれたが、どんどん不安が広がっていく。
(ヒイロさま……どうかご無事で……!)
※
アヴォロスが己の生命力を糧として、翼を生やし高速でもって塔の最上階まで連れてきてくれた。素晴らしい速度で、僅か五分足らず。
しかしそのせいもあってか、アヴォロスは到着した瞬間に膝を突き、盛大に息を乱している。そのまま手を伸ばして日色の肩に触れると、そこから僅かな魔力が注がれた。
「早く……行け……ヒイロ!」
「……分かった」
幽霊状態になっているイヴァライデアとともに歩を進めていく日色。
「ここが、最上階……か」
最上階は天井はなく、まるでビルの屋上のような吹きさらしになっている。
中央にはピラミッドのような金色をした四角錐のオブジェが建てられてあり、それぞれの面には複雑な文様が刻まれてあり、その紋様は床まで伸びて、このフロア全体を覆っている。
「ヒイロ、あれが塔の制御システムだよ」
イヴァライデアが指を差したのは、ピラミッドの前方に設置されている台座。その上に浮かぶ球体である。
その球体の中で蠢く黒い存在。それが何なのか、日色にはすぐに分かった。
「…………サタンゾア……っ!」
すると球体の中からゆっくりと出てきた黒い煙に鋭い目が宿る。
「クハハハハハハッ! もう遅いわっ! よもや《四天魔》が囮だったことを知る由もなかったであろう!」
最初から彼は《四天魔》を当てになどしていなかったようだ。皆が《四天魔》に注視している間に、最上階までやって来て準備を整えていたということ。最後まで、自分の手で【イデア】を滅ぼすことだけを考えていたのだ。
「キィィィ――ッハッハッハッハッ! 動き出したら止まらないぞっ! 全部っ、全部潰れてしまうがよいっ! 我が支配できない世界など、どうでもよいわっ! キハハハハハハ ッ!?」
突如煙に向かって『滅』の文字が放たれ、発動した後、
「グギャァァァァァァァァァァッ! ……キハハ……ハハ…………」
優越感を漂わせた笑いを置いていき、そのまま消滅した。ただ攻撃した日色はその場で膝をつく。
「ヒイロッ! せっかくアヴォロスからもらった残り少ない魔力なのに!」
「分かっ……てるっ」
だが我慢できなかった。あんな奴がこの世に存在していることが許容できなかったのだ。
しかし少し回復した魔力を、討伐に使ったためか、意識がまた朦朧としてくる。
「はあはあはあ……イヴァライデア……どうすれば……いい?」
「……制御システムを制御し、月を止めるには、サタンゾアの怨念のエネルギーを超えるエネルギーをシステムに注ぐしかないの」
申し訳なさそうに彼女が言う。それもそのはずだろう。日色もアヴォロスも、もう魔力は空っきりだし、体力だってほぼ残っていない。
だが日色は不敵に笑みを浮かべる。
「……何だ、結構簡単じゃないか」
そう言いながらフラフラの足取りで球体に近づく。その球体に両手を沈み込ませる。
「うっ……ぐぅぅぅぅぅっ!?」
日色の身体からエネルギーが球体を通して、台座に伝わり、そして床からピラミッドへと注がれていく。
ただそのエネルギーは弱々しく、月は止まってくれない。
「はあはあはあ……」
目が霞む。意識がカメラのシャッターを切るかのように、ところどころ途切れる。
(いよいよもって、ヤバイかも……な)
だがこの役目だけはこなさなければならない。皆が命を懸けて守った【イデア】。日色も大好きな蒼き星を守りたいのだ。
「魔力が……足りない……なら……っ! うおぉぉぉぉぉっ!」
「ヒイロダメッ! それ以上生命力を燃やしたら、ヒイロがっ!」
「黙ってろっ! オレはこうすることを選んだっ! 誰に恥じるでもなく、オレがこうしたいからしてるんだっ! それは神でも止めさせないっ!」
「だけど今の状態でそんなことしたら死んじゃうっ!」
「アイツにも……ミミルにも言った! あとは任せろとっ! 一度吐いた言葉は何があっても歪めないっ! それがオレのプライドだっ!」
日色の覚悟に、イヴァライデアは顔を青くさせながらただ見守ることしかできない。
そんな中、
「ククク、やはり貴様は愚か者だ。だが……」
日色の隣に来て、同じように球体に腕を入れ、生命力を流すのはアヴォロス。
「貴様の覚悟に、余も負けてはおられぬっ! はあぁぁぁっ!」
徐々にピラミッドの輝きが強くなっていく。フロアに刻まれている紋様にも光が注がれていくが、
「……ダメ。やっぱり疲弊し切った二人だけじゃ、フロア全体に力を行き届かせることは……っ」
どうやらここのフロアに刻まれた紋様すべてを光らすことができればミッション達成のようだ。
「イヴァライデアッ! 時間はあとどれくらいだっ!」
「あ、あと二分ほどしかないよっ!」
二分……。それは絶望のカウントダウンだ。
もう絞り尽くした感じで汗も出てこない。
(おいおい、これ以上……何を絞ればいいんだよ……)
その時、脳裏に浮かぶのは、これまで【イデア】で出会った者たちの顔。
皆が自分の名前を呼ぶ。それは記憶。その中で、皆が笑顔になっている。
もし失敗すれば、何もかもを失い。すべては闇の中へと消え去ってしまう。
――――――そんな……こと…
日色は歯を食いしばり、固く閉じていた目をカッと見開く。
「そんなことは我慢できねえんだよぉぉぉぉぉっ!」
刹那、日色の眼が黄金に輝き、背中から金色の翼が出現した。それを見たアヴォロスは、フッと頬を緩めて、
「……まったく、大した奴だ……」
と呟きながら、そのまま意識を失い倒れた。
「ヒイロ……あなたは一体……っ!?」
困惑気味のイヴァライデアをよそに、日色は真っ直ぐ球体を睨みつけながらさらに翼を広げる。どんどん大きくなり、宇宙にまで伸びていく。
「もっとだっ! もっとだっ! もっと輝けぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええっ!」
注がれた日色の力は、フロアを金色に埋め尽くした。
※
空に浮かぶ異常な光景を、ミュアたちは唖然としながら見つめていた。事情はミミルからすべて聞いている。
日色が落下する月を止めるために奮闘しているということを。
そして今、その月から世にも美しい金色の翼が広がっているのだ。
「……キレイ……!」
ミュアのみならず、誰もが無意識に口ずさんでいることだろう。それほど美しい翼だった。まるで月に生えたかのようなその翼は、大きくはためき空を飛ぶように月ごと遠ざかっていく。
だがその翼を見ていると、悲しく切なくなってくる。まるでロウソクに灯された火が、最後に一気に燃え尽きるかのような感覚が伝わってくるのだ。
隣にいるミミルが手を握ってくる。震えている。彼女も何となく、あの翼の意味を理解しているのだろう。
あれは――――命を燃やした炎だと。
すると何故か、涙が勝手に溢れてきた。
見れば、近くにいるイヴェアムもまた同様に泣いている。
(嫌だよ……違うよね、ヒイロさん……!)
問いかけても応えはない。
不安だけが広がっていき、そして、不意に空に響くような声が聞こえた。
悪いな――――……。
それは聞きたい声だけど、聞きたくない言葉だった。
月はそのまま遠ざかり、落下してくることはなかった。
ただ、金色の翼の消失とともに、大切な人の感覚も消えていくことになってしまった。
手記 ランコニス・サーガー
世界の運命がかかった『神人族』との死闘から二年が過ぎました。
大戦争は、多くの痛みと悲しみを生み、二年経った今でも癒されずに残っています。
破壊された自然などは、この二年で元通りに戻すことはできましたが、傷を負った心は決して癒されることはありません。
多くの人が命を奪われ、大切な者の死を簡単に受け入れることなどできるはずもありません。
私は戦争時、弟のレンタンと一緒に城で待機していたので、あの方の最後を知ったのは、戦争が終わってかなり後のことでした。
イヴェアムさんが国中の人を集め、涙ながらに語ってくれました。
我らが英雄――ヒイロ・オカムラが、世界を救い散ってしまった、と。
正直悪い冗談かと思いました。ですが、テンさんの契約が一方的に破棄されたこと、ミミルさんの《ボンドリング》に編んだ、ヒイロさんの髪が燃え尽きてしまったことなど、彼がもうこの世にいないことを証明するものが多過ぎました。
彼を慕っていた多くの人たちは呆然とし、絶望が心を支配しました。かくいう私も、その事実を聞かされてから涙が止まりませんでした。仕事中も、やる気を出そうとしても、ふとあの方のことを考えると涙が出ます。
それほど私の中で、大きな存在になっていたんです。そしてそれは、ミュアさんやミミルさんやイヴェアムさんたちも同じはず。
ですが無情にも時間は過ぎていくばかり。あれから皆の心にはポッカリ穴が開いたまま。
……何故死んだんですか? 嘘ですよね?
何度何度問いかけても帰ってくるのは静寂だけ。
悲しんでいるはずのリリィンさんは、ヒイロさんの死を知った直後から、すぐに獣人界に赴き、人手を集めて【ヴァラール荒野】へと向かいました。
すぐさまここに【万民が楽しめる場所】の着工に入ったのです。リリィンさんは、まるでヒイロさんの死を忘れようとするかのように、脇目も振らずに精力的に働き、今では立派な建物が幾つも並ぶ娯楽施設溢れる場所へと変貌を遂げました。
荒れ果てて、死んだ大地の上に、皆が楽しめる場所を造ったのです。そこではヒイロさんが提案したスポーツ大会や料理大会なども開催される予定で、まだ準備中ですが、近々開催するつもりのようです。
名前は【太陽の色】と名付けられました。どういう意味か何となく分かっていますが、リリィンさんに尋ねると、真っ赤な顔をしていつもはぐらかします。
その【太陽の色】には、一際大きな博物館が建てられてあり、最上階には一つの像が立てられてあります。
毎日、参拝客や観光客が訪れては、その像に祈りを捧げていきます。
変わったのはそれだけではなく、三国に住む人たちの意識も徐々に変わりつつあります。世界の危機を救ったヒイロさんを英雄視し、皆が彼のようになりたいと冒険者を目指す子供たちが増えてきています。
もしかしたら冒険者学校のようなものも近々造られるかもとイヴェアムさんは言っていました。
【獣王国・パシオン】では、レオウードさんの後継として、新たに獣王を引き継いだレッグルスさんは、先代に負けないように立派に民を導いているとのことです。
しかも半年前にドウルさんと結婚したのですから驚きです。実は『精霊』でも子供が産めるということで、もしかしたら近いうちにサラブレッドが誕生するかもしれません。
ミミルさんは世界を回り、歌を届け皆に力を与えています。他の人たちだって悲しみを抱えながらも、一生懸命に自分のできることをしています。
【人間界・ランカース】も、国を拡大化させて、この二年でさらに民の数を増やして活気を集めています。さすがはジュドム王の采配ですね。
勇者たちも、過去の罪を償うように、人々のために奔走しているとのこと。
【魔国・ハーオス】は、自国の利益よりも、【太陽の色】の発展に力を入れたりしているようです。その方が、世界のためになるだろうと、イヴェアムさんの決定で。
誰も彼もが忙しく働いていますが、やはり……何かが足りないのです。
それはやはり…………あなたですよ、ヒイロさん。
ランコニスは書いていた手記をパタリと閉じる。そして大きく伸びをして「ふぅ~」と息を吐く。
コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
「はーい」
「姉ちゃん、ミュアさんたちが来たよぉ」
「うん、すぐ行くわね」
弟であるレンタンの声が聞こえ、ランコニスは椅子から腰を浮かす。
実は今、ランコニスは【太陽の色】へとやって来ている。リリィンが住んでいる屋敷の一室を借りて、シウバとシャモエの手伝いをしているのだ。
今日、【パシオン】の視察代表として、ミュアやアノールドたちがやって来る手筈になっているのである。
ランコニスは、窓から空を見上げる。いつも見ていた月と比べて大分小さくなっているが、確かにそこにポツンと浮かんでいた。
「ヒイロさん…………本当にあなたはいないんですか……?」
ダメだ。そんなことを考えるとまた泣いてしまう。ランコニスはパチンと自身の頬を打って、本日も笑顔を大事にしようと心がけ、ドアへと手を伸ばした。
――――――【太陽の色】。
広大な土地に建設された建物の中で、一際異彩を放つほど大きくて美しい建物がある。
そこには世界のあらゆる知識が詰め込まれているといっても過言ではないほど、膨大な資料や剥製などが存在する《アウルム大博物館》である。
まだ開館前の時刻。
その最上階に、一人の人物がポツンと立っていた。全身を黒いローブで覆っており、フードで顔も確認することができない。見つめているのは、そこに存在する一つの像。
“英雄ヒイロの偉大なる像”
と書かれている日色の等身大の石像である。
また、その隣には囲いが作られてあり、一振りの刀――《絶刀・ザンゲキ》が飾られてあった。
その刀に近づき、黒ローブが手に取った瞬間、けたたましいほどのサイレンが鳴り響く。
するとすぐに警備員らしき人物が現れ、
「貴様っ! 何をしているっ! それがこの世界にとってどれほどのものか知っているのかっ!」
怒号をぶつけるが、黒ローブは舌打ちを一つすると、警備員の脇を物凄い速度で駆け抜け逃亡していく。
「ぞ、賊だぁぁぁっ! 捕らえろぉぉぉっ!」
リリィンが住む屋敷を訪ねたミュアは、一緒に視察に来たアノールドとともに、ランコニスを訪ね、まだ見回りには早いかもしれないが、【太陽の色】を見て回ることにした。
「もうすぐここでいろんな大会が開かれるんですよね」
「はい。きっと盛り上がります」
「俺は料理大会にエントリーするぜ! そんで豪華な優勝賞品を勝ち取ってやるんだ!」
「もう、おじさん! 朝から大きな声を出さないでよぉ!」
「怒るミュアは成長しても可愛いよなぁ~!」
「も、もう……」
大戦争から二年。ミュアも十五歳になって、少し女性らしい身体つきにもなってきた。とはいってもイヴェアムとかククリアなどと比べると落ち込んでしまうほど物寂しいものではあるが。
それでも少しは身長も伸びたし、顔つきも変わったと思う。
「それに最近できたクレープ屋さんも大人気ですよね」
「ああ、あの甘ったるい奴な」
「でもヒイロさんなら美味い美味いって言って食べるんでしょうね!」
ランコニスの言葉に、ミュアとアノールドは表情に陰りを帯びさせる。
「あっ、ごめんなさいっ! 私そんなつもりじゃ!」
「ううん、いいんです! だって、わたしだって……そう思いますから」
「……だよな。ったく……あのバカ野郎。世界を守ったって、自分が死んじまったら意味がねえだろうがよぉ」
何だかんだいっても、アノールドも日色のことが好きなのだ。ミュアは彼の死を知った時、彼と一緒に泣いたのを覚えている。
日色と出会ってカラフルに色づいた世界が、一気に灰色に戻ったような感じだった。この二年で少しは気持ちを落ち着かせることができたが、それでもやはり彼のことを想うと、心がキリキリと痛む。
(ヒイロさん……わたしは、あなたがまだどこかで生きていると信じています。だから……早く戻ってきてください……!)
ほとんどの人は、集めた証拠のせいで彼が死んだと考えているが、ミュアはまだ彼の生を疑っていない。いつか必ず出会えると、そう信じて 。
その時、サイレンが鳴り響く音が聞こえ、三人は慌てて向かう。
すると《アウルム大博物館》の中から、黒いローブで全身を覆った何者かが、飛び出てきた。
「あ、あれはヒイロさんの刀っ!?」
「テメエッ、何者だっ!」
アノールドが、背中に背負っている大剣を構え、黒ローブと相対する。
「そ、それはヒイロさんのですっ! 返してくださいっ!」
ミュアが怒気混じりに叫ぶと、
「…………そうは言ってもな、これを取ってこいと頼まれたのだがな」
「た、頼まれた? 一体誰にですか!」
そこへ、騒ぎを聞きつけたリリィンたちも現れる。
「……ふぅ。こうなったのも全部アイツのせいだな」
何故か黒ローブが落胆している様子だ。
「誰に……と聞いたな?」
「は、はい!」
「そのようなもの、コイツの持ち主に決まっておるであろう」
「……………………は?」
全員がミュアと同じリアクションを取る。
そして黒ローブの人物が、フードを取り、さらに場を騒然とさせる。
「あ、あなたは――っ!?」
そこに現れたのは……。
「――――――アヴォロスさんっ!?」
そう、日色と同じく月で死んだとされたアヴォロスであった。
皆が言葉を失い、静寂が支配している中、どこからともなく、ゆったりとした足音が聞こえる。
それはミュアの視線の先。
「……っ!? あ……ああ…………っ!?」
ミュアは言葉にならない想いが込み上げてくる。
「ったく、お前の要求通り取ってきてやったぞ!」
そう言って刀を放り投げるアヴォロス。
それを遠目に見える人物が左手で受け取り、腰に携帯した。
「余にこのようなことを頼みおって」
「仕方ないだろう。美味そうなニオイがしてきたんだ。探すのは当然だ」
右手には先程話題にしていたクレープを持って食べながらミュアたちのところへ歩いてくる。
一歩ずつ歩く度に揺れる、漆黒の髪と赤いローブ。憮然とした表情をしながら、左手でクイッと眼鏡を上げて、立ち止まる。
「このクレープ、なかなかの味だな。ん? ……何だお前ら、雁首揃えて。何か祭りでもあるのか? ていうか、そんなに見るな。このクレープはやらんぞ。欲しけりゃ、自分で買ってこい」
憎々しいほどいつも通りの横柄な態度。
どこからどう見ても、それは待ち望んだ人だった。
もうそれは感情の反射だった。誰よりも早く駆け出し、ミュアは愛しい人の胸へと飛び込んだ。
「ヒイロさんっ、ヒイロさんっ、ヒイロさんっ!」
「お、おいっ! クレープが零れて……っ」
「ヒイロさん……良かった……良かったよぉ……っ! 会いたかったんですからねぇ。信じてたんですからねっ!」
「………………ああ、今帰った」
日色が優しく頭を撫でてくれる。
この感触だ。そしてこの優しく心地好いニオイ。
ミュアはこの穏やかな温もりを感じながら、彼へと言うべき言葉を届けた。
「――おかえりなさい!」
「おう、ただいま」
ミュアの英雄が帰って来たのだ。
――――――【エロエラグリマ】。
獣人界から切り離された西端に位置するところに浮かぶ孤島。
丘の頂上にある墓石に花が添えられていた。
そこには以前、三つの墓石が存在したが、今では四つだ。
灰倉真紅と、その妻であったラミルの名前が刻まれ、三つ目には“ユウカ・イシミネ”と刻まれ、最後の墓石には“アリシャ・ニア・ピピス・ヴィクトリアス”と刻まれている。
そしてまるで何かに祝福されるかのように、天から降り注ぐ陽光に照らされキラキラと輝いていたのだった。




