249:神の操作
「イヴァライデアッ!」
サタンゾアに彼女が捕らえられ、それを阻止しようと日色、アヴォロス、ペビンは向かうが、もう二度とイヴァライデアを手放さないと言わんばかりに、サタンゾアから周囲へ向けて風の塊が飛んできた。
「「「ぐわぁっ!?」」」
三人ともが、風の圧力に逆らえず吹き飛ばされてしまう。
「くっそぉぉぉっ!」
手を伸ばすがどんどんイヴァライデアが遠くなる。すると彼女が何故か優しく微笑む。そして……。
「ヒイロ、大丈夫。あなたならきっと――」
サタンゾアが握っている手に力を込めた瞬間、イヴァライデアの身体が無数のシャボン玉のように変化して、大口を開けたサタンゾアの口の中へと吸い込まれていった。
「あ……ああ……!」
それはまさしくイヴァライデアが、彼に食べられた瞬間だった。
絶望が日色たちを覆う。
「…………ククククククク」
低く唸るサタンゾアの声。その声は、まるで断頭台で処刑を待つ罪人の気分にさせられた。
「ようやくだ。ようやく手にすることができた。これで我は……我こそが神だっ!」
猛々しく声を張るサタンゾアに対し、日色たちは光明を失ったがごとく沈んでしまっていた。
「これはさすがに参りましたね……」
ペビンですら戦闘意欲を無くしたかのように肩を落としている。アヴォロスも言葉には出さないが、イヴァライデアを奪われた事実にショックを隠し切れないのか難しい表情で固まったままだ。
イヴァライデアを守るのがこの戦いの目的の一つでもあった。それが叶えられなかった。そしてこの状況を作ったのは、間違いなくイヴァライデアを解放した自分なのだと日色は考えている。
「どうしますか、ヒイロ……くん?」
ペビンが日色の顔を見て目を見開く。アヴォロスもまた同様に眉をひそめながら、
「……貴様、まだ諦めてはおらぬのか?」
そう問う。
彼らの瞳に映った日色の顔は、絶望だけを表してはいなかった。
「……確かに、これほど絶望感に苛まれたことはなかった。イヴァライデアを吸収して、さらに強くなっただろうアイツを倒す術なんてまだ見つかってない。けど、それでも! オレらはまだ生きてるんだ!」
「ヒイロ……くん」
「ヒイロ……」
「まだ諦めない。諦めるのは殺されてからだ。すべてがまだ終わってないのに、諦めてたまるか!」
そうだ。つい先程も言われた。
「母さんに言われた。大好きな世界を、人を……守れってな」
だから。
「最後までオレはオレの信念を貫く! 悲しみと不安は母さんが持って行ってくれたからっ!」
直後、日色の身体から黄金の光が放たれる。
「ヒイロ……貴様……っ!」
「その光は……イヴァライデアさんの」
アヴォロスとペビンがそれぞれ目を丸くしながら日色を見つめている。
「……頼む、お前ら。オレに力を貸してくれ」
かつて敵だった者たちに日色は頭を下げる。サタンゾアを倒すためなら、何だってしてやると決意した。
「……当然です。僕とヒイロくんは一蓮托生。最後までともにありましょう」
「……フン、貴様が遜るとはな。……だが、悪くない」
ペビンとアヴォロスから了承を得られホッとする日色。
「ほほう、まだ諦めぬか。余程異世界人とやらはバカな存在らしい」
微塵も自分が敗北することを疑っていない表情で日色たちを見下ろしてくる。しかしそれでいい。その傲慢さが、付け入る隙を作ってくれるのだから。
「テンプレ……アヴォロス、ペビン! 三方向からアイツを挟み一斉攻撃だ!」
「了解です!」
「仕方ない」
一気に三人は散らばり、日色の指示通りにサタンゾアの周囲に立つ。
(まだだ、もっと力を……!)
すると日色の漆黒の瞳が黄金に染まる。そのまま金色の光を両手の人差し指に集束させ、指を高速で動かしていく。
『天下無双』
二つの指先によって刻まれた金色の文字。同時に、アヴォロスとペビンの身体にその文字が刻まれる。
突如、文字効果が発動し、彼らの身体を《赤気》が覆う。
「こ、これは……! ヒイロくんの《天下無双モード》ッ!?」
ペビンの見解は的を射ていた。まさしく日色が彼らに施した文字は、日色が得意としている《天下無双モード》に他ならない。
「むぅ」
そこで初めて優越感で浸っていたサタンゾアの表情が少し固くなる。それもそのはずだろう。アヴォロスとペビンの力が一気に跳ね上がったのだから。
「……ついでにだ」
再び指を動かして『完全回復』の文字を書くと、またもアヴォロスとペビンの身体に同様の文字が刻まれる。発動した瞬間、金色の光に包まれ、彼らがこれまて負ってきたダメージが回復した。
「これは……素晴らしい!」
「ふむ、これなら……いけるっ!」
ペビンとアヴォロスの瞳に強い光が灯る。同時に二人は大地を蹴り出し、一瞬のうちにサタンゾアの懐へと入った。
「無駄だ! いくら自力が上がったところで、我には唯一無二の《クドラ》がある! 発動せよ、《鉄壁のクドラ》ッ!」
サタンゾアの身体が鋼色に変化して、見るからに防御力が増した状態へと変化する。それでも気にせずに、アヴォロスとペビンは攻撃を繰り出す。
「ライトニング・フォールッ!」
「《三千屠絶》っ!」
アヴォロスから放たれた紅い雷がサタンゾアの身体に流れ、ペビンの両手の指から放たれた《絶》が波打ちながらサタンゾアの身体を切り刻まんとする。
「ククク! 無駄だっ!」
サタンゾアの言葉通り、彼らの攻撃は弾かれてしまう。しかし二人は怯むことなく連撃を繰り返し――――――ザシュッ!
突如、サタンゾアの左肩から裂傷が生まれる。
「何だとっ!?」
その傷を皮切りに、サタンゾアの身体に次々と無数の細かい傷が刻まれていく。
「ぬ、ぬぅぅぅぅぅっ!?」
明らかにダメージを受けている。
「な、何故だっ!? こやつら程度の力で、我の身体を傷つけられるわけが!」
「いつまでも頭の中はお花畑か、デカブツ」
「っ!? ヒイロ・オカムラ!」
日色が空に浮かびながら、ギロリと黄金の瞳で睨みつける。
「もう一度言う。高いところから、人を見下してるんじゃないっ!」
日色が刻む文字。それは『金剛力』。同時に周囲を覆い尽くさんばかりに同じ文字が空中に刻まれ始める。
「なっ!? 何だこの文字の数は!?」
サタンゾアが驚く中、その文字が、次々と日色、アヴォロス、ペビンの右拳に吸収されていく。バチバチバチィッとエネルギーが右拳一点に集約された。
「人の痛みを思い知れっ!」
日色たちは真っ直ぐサタンゾアへと突っ込み、
「「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」
同時にサタンゾアの腹にそれぞれの拳を突き出した。
「がぶふぅぅぅぅぅぅぅっ!?」
盛大に吐き出した息とともに、後方へと吹き飛んでいくサタンゾア。戦いが始まって以来の十分な手応えだった。
だがまだこの程度で終わってはいないはず。
「お前ら、少し時間を稼いでくれ」
日色は二人に頼み込む。
「今のお前らなら、きっとできる。オレももう少しで、さらに輝ける」
「……任せてください。その代わり、さっさとしてくださいよ」
「ペビンの言う通りだ。のんびりしていると、余が奴を滅ぼしてやるぞ」
彼らの言葉にフッと頬を緩めると、日色は大きく深呼吸をして、
「……頼む」
それだけを言うと、瞼を閉じて力を集中し始めた。
「ぐ……よもやあれほどの力を見せるとは……いや、しかし」
日色たちの攻撃によって吹き飛ばされたサタンゾアがゆっくりと立ち上がり、視線の先にいる日色たちを睨みつける。
「む……《文字使い》め、何かをするつもりのようだな」
急激な力の上昇が日色から伝わってきているようで、険しい顔つきを見せている。
「あの力、まさかイヴァライデアが何かをしたというのか? いや、どうでもよいか。少々驚きはしたが、我はもう神だ。その力の片鱗を見せてやろう」
背中から十二枚の羽を広げて空へと舞い上がる。
サタンゾアを追うように、アヴォロスとペビンが向かって行く。
「ククク、では試してみようか」
サタンゾアの身体からどす黒いオーラが溢れ出て、それが人差し指へと集束する。そのまま指を動かす軌跡が文字を形作った。
「……! 気をつけてください、アヴォロスさん!」
「確認している!」
サタンゾアの《文字魔法》。文字を書き終わったのか、口角を上げると、
「――《文字魔法》発動」
空中に刻まれた謎の文字列から黒い放電現象が走った直後、アヴォロスとペビンの身体が石化し始める。
「ぐっ!? これは!?」
「どうやら石化効果のある文字を発動させたようですね!」
「この程度で殺されてやるわけにはいかぬ! 喰らえっ、グラットゥン・キャンセラーッ!」
アヴォロスが両手から出した魔力が球体状に変化し、まるで生き物のようにパックリと口のようなものが現れると、アヴォロスとペビンの身体の周りを動き回り石化という効果を食べていき、元の姿へと戻していく。
自分の魔法が破られたというのに、サタンゾアは別段焦りは見せていない。
「ふむ。これが《文字魔法》か。それに……なるほど。……こうか」
彼が空中に文字を書いた瞬間、今度は同時にアヴォロスとペビンの身体にも同様の文字が刻まれ、突如爆発を引き起こす。
「「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」」
どうやら爆発効果のある文字だったようで、発動の時間が刹那だったため、アヴォロスも対処できずに爆発の餌食になってしまった。
しかし吹き飛ばされながらも体勢を整え、地面に激突する前に留まることができた。
「くっ……この《赤気》の鎧がなければ危なかったですね」
「……ふざけた真似を」
アヴォロスの形相が激しいものに変化し、
「アクエリアス・ゲートッ!」
叫んだ瞬間に、サタンゾアの周囲に複数現れる水でできた円形状の広がり。そしてアヴォロスの前方にも同じような水が広がっており、そこに右手を沈み込ませると、
「――エンシェント・ボムッ!」
彼が唱えた瞬間、サタンゾアの周囲を覆っている水から同時に紅蓮の塊が放出されてサタンゾアへと迫っていく。
「ほう……物質転移効果のある魔法と組み合わせた良い攻撃だ」
再び指を動かそうとしたサタンゾアの指が硬直する。
「むっ!?」
「いつまでも好き勝手はさせませんよ」
ペビンの《絶》が、彼の指に巻き付いて身動きを止めていた。だがそれでもサタンゾアが慌てる様子は微塵もなかった。
「……よもや、我の力を忘れてはおらぬな? その攻撃、すべてうぬらに返してやろう。 《空隙のクドラ》」
「くっ! ゲートホールで攻撃を飛ばしてきます! 気をつけてください、アヴォロスさんっ!」
だがペビンは驚くべき光景を目にすることになる。それは驚愕に満ちたサタンゾアの顔を見たからだ。
そのままアヴォロスの攻撃をその身に受けてしまう。
「ぬおぉぉぉぉぉぉっ!?」
小さな爆発が無数に彼の身体を傷つけていく。
「うっ……ぐっ! ええいっ! 鬱陶しいわぁぁぁぁっ!」
サタンゾアの身体を震わせた直後に暴風が吹き荒れ、アヴォロスが作り上げた水のゲートもろとも火球を吹き飛ばす。
確実にダメージを受けたサタンゾアに対し、戸惑っているのは本人だけではなくアヴォロスたちもそうだった。
「な、何故彼の《クドラ》が発動しなかったのでしょうか……?」
「……さあな。しかしこれは大いなるチャンスでもある」
アヴォロスの言う通り、何故サタンゾアが力を行使して防御、または攻撃を繰り出さなかったのか疑問に思うが、今が好機なのは間違いない。
「グラットゥン・ブリザードッ!」
「《三千屠絶》っ!」
アヴォロスが放つ魔力の塊の礫が吹雪のようにサタンゾアに襲い掛かり、その身体を少しずつ蝕んでいく。
加えてペビンの《絶》により斬撃がサタンゾアの身体に無数の傷を生み出す。
「ぐっ……! 《鉄壁のクドラ》ッ!」
しかしサタンゾアの身体を守る力は発動しない。
「《拒絶のクドラ》ッ! 《静寂のクドラ》ッ! 《転移のクドラ》ッ!」
何度も何度も連呼する言葉。だが虚しく周囲に響き渡るだけ。
「な、何故だぁっ! 何故我の力が発動せぬっ!」
「どうやら本当にチャンスのようですね! このまま一気にいきましょう!」
「言われずとも承知しておるっ!」
「小僧どもがぁっ! 舐めるでないわっ!」
ペビンがサタンゾアの指を押さえ込んでいた《絶》が力任せに引き千切られ、文字を作り出していき、アヴォロスとペビンの身体に同時に文字が刻まれる。
刹那、二人の身体を襲う凄まじい放電。まるで雷にでも打たれたかのような衝撃。
「「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」
「この程度で、我に勝てると思うでないわっ!」
すぐに次の文字を書き発動。今度はアヴォロスたちの頭上から隕石群が降り注ぐ。
「こ、これはマズイ……ですね……!」
「身体が……痺れて……動かぬ……!」
「クハハハハハハッ! そのまま潰されてしまうがよいっ!」
しかしその時、降り注いでいた隕石群に、ポッ、ポッ、ポッと文字が刻まれ始める。
その文字は――『方向転換』。
文字通り、急に方向を変えた隕石群は、進路方法をサタンゾアに定める。
「何だとっ!?」
このままでは自ら放った技を受けてしまうと思ったのだろう、サタンゾアが即座に指を動かしその場から姿を消す。
そしてターゲットがいなくなった大地へと隕石群は落下していく。
サタンゾアは遥か上空へと避難していたようで、その場から大地に突き刺さった隕石群を忌々しげに見た後、それを成した人物に視線を向ける。
「…………《文字使い》……!」
金色のオーラと瞳を持つ日色が、ゆっくりと空を浮かびながら、サタンゾアへと視線を定めていた。
「た、助かりましたよ、ヒイロくん」
「……お前らもよく時間稼ぎをしてくれた」
「そう言うのであれば、奴を倒せるほどの力を集束できたのであろうな?」
「ああ、バッチリだ」
アヴォロスたちが時間を稼いでいる間に、日色は自分の中に存在する力と向き合い、最大限にまで高めることができた。
ゆっくりと、そして静かに日色の口が言葉を刻む。
「左は――――――天上天下」
左手の指がゆっくりと動き、『天上天下』の文字を形成していく。
「右は――――――唯我独尊」
右手の指がゆっくりと動き、『唯我独尊』の文字を形成していく。
身体の左右にあった手を勢いよく顔の前まで持っていく。それぞれの指の前に刻まれている文字がバチィィンッと合体して、
「二つ合わせて―――――――――《天上天下唯我独尊モード》、発動っ!」
かつて、アヴォロスを、魔神を打ち倒した力の再現だった。
空中に刻んだ『天上天下唯我独尊』という八つの文字が、バラバラに散開して、日色の中へと吸収されていく。同時に日色の身体を太陽のような眩い光が包んだ。
そして背中から黄金の翼が姿を現し、赤いローブだった姿も、黄金色に輝き始めた。
額には真っ赤な点が浮き出ており、黒い髪は健在だが黄金の瞳を宿している。その姿はまさに神々しいといえるほどだろう。
「……何だ、その姿は?」
サタンゾアも初めて見るようで険しい顔つきになっている。
「答える義務はない」
そう言いながら日色は両手を静かに合わせる。
「《釈迦金気》……収束」
両手に黄金のエネルギーが凝縮し始め、手を離し始めると、その間にオーラで形作った刀が姿を現す。そのままその場所から刀を一閃。
空気を斬る音とともに、サタンゾアの左肩から腹部にかけて裂傷が走る。
「ぐぬっ!? な、何だとっ!?」
それは不可視の攻撃だった。
「まだまだ、これからだ」
日色は刀を目にも止まらない速度で振り続けると、次々とサタンゾアの身体に傷を生んでいく。
「ちょ、調子に乗るでないわっ! 異世界人がぁぁっ!」
彼もまた指を動かして、恐らく防御系の文字を使ったのだろう。文字が発動した直後、彼の周囲をどす黒いオーラが壁となって出現し、日色の攻撃から身を守った。
「ふざけおって……《治癒のクドラ》…………! 《治癒のクドラ》ッ! 何故だ! 先程からどうなっておるっ!?」
「ムダだ。いくらやっても、もうお前には《クドラ》は使えない」
「っ!? ……何だと?」
「どうして使えなくなったのか、まだ分からないのか?」
「……!? ま、まさかっ!?」
サタンゾアが自分の腹に視線を落とす。
「イ、イヴァライデア……か!?」
「ようやく理解できたか。そうだ。アイツは自分の力で、お前の力を封じている」
「……!」
「吸収されても、自分の力を相手に奪われても、お前の力だけは使えないように今もアイツは必死に戦ってる」
「ぬぅ……っ」
初めて見せる悔しげなサタンゾアの表情。
もしかしたらイヴァライデアは、最初からこうなることを覚悟していたのかもしれない。自分が解放された時から、サタンゾアに自分の力が奪われることを。
そうなった時、サタンゾアの中で彼の力を封じれるように力を残していたのだ。
日色は彼女が吸収される前に向けてきた笑顔を思い出す。
それは日色に、サタンゾアの力くらい封じてみせるから、必ず倒してと言われているようだった。
(さすがのイヴァライデアも、自分の力を奪われるのは阻止できなかったようだがな)
それだけが彼女の心残りかもしれない。
日色の言葉を聞いて忌々しげに睨みつけてくるサタンゾア。
「よもやイヴァライデアを吸収したことが裏目に出るとはな」
「お前は他人を舐め過ぎだ。誰にだって抗う心がある。力がある。それをお前は過小評価した。覚悟しろデカブツ。ここできっちり滅ぼしてやる」
刀の切っ先をサタンゾアに突きつけながら宣言した。
「…………クククククク」
「……!」
「クハハハハハハハハハッ! これはいい、何という現実だ! まさかここまで我が愚弄されるとは思ってもみなかったわ!」
突然笑い出したサタンゾア。諦めたか、と思うほど日色は楽観的ではない。
「ククク、面白い。これほど高難度のゲームは久方ぶりだ」
まだこの状況をゲームだと言っていることに苛立ちを覚える。
「だが最後に勝つのは、いつも我のみ。何故なら、我は神だからな!」
サタンゾアが両手を上げた瞬間、彼の周囲に無数にも思える本がどこからともなく出現した。
「あれはっ!?」
ペビンが目を見開いて声を張る。日色もまた本の正体に気づいていた。
本が独りでに開き始め、
「……さあ、この本が何か、もう理解できておるな?」
「……《塔の命書》」
「そうだ! そして《塔の命書》に対し、完全な命令を書き込めるのはイヴァライデアだけ。いや、イヴァライデアの力だけ! その意味が分かるか、異世界人!」
「っ!? まさかお前っ!?」
「ククク、イヴァライデアの力ならば《不明の領域者》だろうが関係はない。ここに本が存在する限り、絶対命令を下せるのだからな!」
「いけませんっ、ヒイロくん! サタンゾアを止めてくださいっ!」
「言われなくても分かっているっ!」
「もう遅い!」
すると突然、その場にいたアヴォロスが日色を羽交い絞めにし始めた。
「ぐっ……アヴォロス……ッ!?」
彼の眼は虚ろに染まり、自我が感じられなくなっている。
サタンゾアが指をひっきりなしに動かしながら、
「そのまま異世界人を抱えて自爆をしろ、元魔王よ」
アヴォロスの内側から急速に高まるエネルギーを感じる。その異常な高まりは寒気を引き起こす。このまま密着した状態で魔力爆発を起こされれば、さすがに日色でも一溜まりもない。
「目をっ……覚ませっ!」
「ヒイロくんっ!」
ペビンが助けに入ろうと動き出す。
「おっと、うぬは大人しくしておけ」
恐らく『停止』の文字効果を込めているのだろう。サタンゾアの《文字魔法》により、
「ぐっ!? こ、これは……っ!」
ペビンの動きがピタリと止まってしまった。
「ククク、盛大な魔力爆発を引き起こしてともに消えるがよい」
サタンゾアがその場から距離を取り始める。空中に浮かんでいる《塔の命書》も彼についていく。
日色はただ彼がそこから離れていくのを黙って見つめることしかできなかった。
※
その頃、『精霊』の力で動く飛行船 《スピリット・アーク》にて、休息をしていたミュアたち。
突然どこからともなく巨大な爆発音が響いたので、慌てて船から爆音がする方向へと視線を向けた。遠目にだが、確かに大きな爆煙が上がっている。
爆発によって大地が激しく揺れながら、吹き飛ばされそうな爆風もここまでやって来ていた。
「い、一体何が……っ!?」
だがミュアの呟きに確実な答えを誰も返さない。ただ何かが爆発した、それだけしか分からないのかもしれない。
「とてつもない爆発力だ。かつてヒイロが起こした爆発の比ではないな」
答えるのはヒメにここに連れて来られていたリリィンだ。
「で、では師匠が起こしたものではないのですかな?」
ニッキが不安気に口を開くと、人型のスーが眉をひそめながら口を開く。
「――――――今のは恐らく魔力爆発だろう」
「そ、それならボクもできますぞ。《爆拳》はもともとその原理を利用したものですから」
「――――――ニッキよ、確かにお前のそれは魔力爆発の一種。だが生命力と同時に魔力爆発を起こしたことはないだろう?」
「それはそうですが……」
「――――――自らの命を燃やし尽くし、魔力爆発に乗せて大爆発を引き起こす。その威力は、その者自身が持つ生命力と魔力によって異なるが、あれほどの爆発となれば、ヒイロレベルだろう」
「だろうな。今の爆発から察すると、大地はかなり削られているはずだ」
リリィンの補足。
「で、では今のは師匠が……?」
「――――――ヒイロが自爆をした、ということなのかもしれないな」
スーの言葉に誰もが顔を青ざめる。
「違います! 今のはヒイロさまではありません」
「ミミル殿……!」
皆の視線を一挙に自身に集めるミミル。
「ヒイロさまは……まだ生きています。ミミルには分かります」
「うん。わたしだって分かる。ヒイロさんは生きてるよ、ミミルちゃん!」
互いに手を握り合い、笑みを浮かべる二人。
「――――――しかし、何となくだが、伝わってくる魔力の感じがヒイロのものだったと思うが」
「それでもです! それでも……ヒイロさまは生きています!」
「はい! スーさんの言う通り、感じる魔力の質はヒイロさんのものですが、それでも、わたしはヒイロさんを信じています!」
――――――ならその信頼を打ち崩して見せようか。
突如空から降り注いだ低い声。
そこにいたのは絶望の権化とも呼べるほどの存在だった。
「ククク、我がここにいる理由。愚かなうぬらでも理解できるであろうな」
サタンゾアの登場。それは戦っていた相手を仕留めたが故の行動。
皆の顔が強張り、せっかくの希望が黒く塗りつぶされていくような感覚に押し潰されそうになる。
「あ、あの本は……っ!?」
リリィンの声に、誰もが息を呑む。
「さて、我が直接手を下すより、さらに絶望を与えてやろうか」
サタンゾアが人差し指を高速で動かしていく。すると一冊の本が光り輝き始める。同時にウィンカァの瞳が虚ろになり、近くにいたリリィンに向けて槍を振るい始める。
咄嗟に身体をずらしかわそうとしたが、完璧に避けられはせずに左肩に赤い筋が走った。
「ウ、ウイさんっ! 急に何をっ!?」
ミュアの叫びは当然のこと。しかしウィンカァは声に反応せずに、そのままリリィンに追随する。
「ウイさんっ!」
「――――――ムダだ、ミュア! 恐らくウィンカァは、《塔の命書》によって操作されている!」
スーの言葉に全員が唖然としてしまう。
「さあ、うぬらに仲間を殺せるかな?」
怜悧なサタンゾアの声が怖気を走らせた。
サタンゾアに操られたウィンカァが暴れ出し、仲間に攻撃を加えていく。その対象となっているリリィンも、まだ完全回復していないので動きがぎこちなく、攻撃を掠めたりしている。
「くっ! 仕方ない! 《幻夢魔法》発動っ!」
リリィンの紅い瞳が光を発した直後、ウィンカァの動きがピタリと止まりガクンと膝を折った。
「リ、リリィンさん……?」
「安心しろミュア。奴には夢の世界へ飛んでもらっただけだ」
どうやら彼女の力により幻を見せられているようで、ミュアもホッと息をつく。
だが次の瞬間、今度はそれまで眠っていたノアが目を覚まし、近くにいたスーに襲い掛かる。
「――――――くっ、今度はノアか!? 目を覚ますのだっ、ノアッ!」
スーが声を届けようとするが、操り人形と化しているノアには通じず、《断刀・トウバツ》を振り回しスーの身体を傷つけていく。
その気になれば、スーやリリィン、そしてミュアも操ることができるはずなのに、サタンゾアは上空から楽しげに見下ろしながら遊んでいる。
「…………其は爆、全てを爆ぜさせる一の赤」
「――――――っ!? 馬鹿者! こんな場所でその魔法を使うつもりか!?」
ノアの身体から膨れ上がる赤いオーラ。スーは咄嗟にノアに突っ込んで、その身体を抱えながら一気に上空へと持ち上げていく。
「其は瞬、光の如くあらゆる場へ赴く三の黄」
虹色の翼を広げたノアが呟くと同時に、彼の姿はスーの身体から逃れ、鋭い動きを見せてその場から脱出。
遺されたスーの周囲には赤い球体がプカプカと浮いている。その全部が一気に爆発を起こす。
「スーさんっ!?」
ミュアの叫びも虚しく、スーは爆発をまともに受けて地面へと直下。突き刺さった。
「ノアさんっ、目を覚ましてください! お願いしますっ!」
しかしミュアの声は届かない。ノアは上空からミュアたちがいる船全体を見下ろし、その周囲に、スーを倒した赤い球体を幾つも出現させ始める。
「やらせないですぞっ!」
「すみません、ノアさんっ!」
飛び出したのはニッキとレッカだ。船からジャンプしてノアのもとへ駆けつけノアの身体にしがみついた。
「そのまま頑張ってっ、二人とも!」
ミュアはニッキたちに向けて《銀耳翼》を震わせ銀の粒子を飛ばす。粒子が彼女たちを覆う。すると力を消失したかのように、ノアは翼を引っ込めてそのままニッキたちとともに落下してくる。
ニッキとレッカはノアを抱えて船へと舞い戻ることができた。
「ほほう、あくまでも仲間を傷つけないという選択をするか。……む? この場にいる者たちの中で《塔の命書》が存在しない者がおるな」
サタンゾアがギロリと疑わしそうにニッキとレッカに視線を移す。
「『精霊の母』の転生体はともかくとして、何故だ……?」
それはニッキとレッカもまた別世界の魂を受け継いだ転生体だからだ。イヴァライデアとアダムスが作り出した《塔の命書》のシステムでは、彼女たちのそれは作成されないのである。
「……まあよい。次はこれだ」
サタンゾアが指を動かし、幾つかの《塔の命書》に文字が刻まれていく。すると突如としてミュア、リリィン、ヒメが膝を折って船の上に倒れてしまった。
「ミュアちゃんっ!?」
慌ててミュアのもとへ駆けつけ抱きかかえるミミル。
「ミュアちゃん、しっかりしてください! リリィンさん!」
「ヒメ殿ぉっ!」
ミミルとニッキの声が虚しく響くだけ。三人は無反応だ。
「安心するが良い。その者たちを強制的に眠らせただけだ」
「ね、眠らせた……?」
「そうだ、『精霊の母』の転生体。その状態で、これを防ぐことができるか?」
サタンゾアが指を動かし文字を刻んでいく。発動したと同時に、船の頭上にとてつもない大きな岩の塊が出現した。
「さあ、この神罰でうぬらは終末を迎える」
岩の大きさは容易に船の十倍はあろうかという大きさ。あれが落下したら船など一瞬で潰されてしまうだろう。いや、船だけではなく、その上にいるミミルたちも全員即死に違いない。
今、起きているのはニッキとレッカとミミル。実質戦えるのは二人だけだが、さすがに頭の上から降ってくる巨大岩から身を守る術は彼女たちにはなかった。
ヒメのいないニッキは完全な戦力不足であり、レッカはまだ未熟。それに度重なる戦闘で疲弊もしている。そしてミミルは戦力外。絶望が彼女たちの脳裏を過ぎった。
岩はどんどん加速して落下してくる。何とかミュアたちをここから避難させたいが、あまりに時間がない。
「そん……な……っ!?」
ミミルはミュアを抱きしめながら、眼を強く閉じる。
「助けてくださいっ! ヒイロさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
痛烈なミミルの叫び。ニッキもレッカも同様の人物の存在の名前を叫ぶ。
サタンゾアは悦を込めて不敵に笑みを浮かべたまま。これでミミルたちの全滅を確信しているのだろう。
だがその時、ポッと、大岩に金色の光が走った。
するとどういうことか、巨大岩が下の部分から光の粒子状に変化して霧散し始める。
「何っ!?」
サタンゾアの眼が大きく開かれる。いや、彼だけでなく、その現象を目の当たりにしていたニッキとレッカの眼も同様だ。
ほとんど一瞬のうちに岩がミミルたちの頭上から姿を消してしまう。
そして息つく暇もなく、サタンゾアに向かって巨大な黄金の球体が迫って来ていた。
「こ、これはっ!?」
咄嗟にサタンゾアが、周囲に浮かんでいる《塔の命書》を消して、下方へと逃げようとする……が、彼の身体に糸が巻きつけられ、
「ぐっ! この糸は……っ!?」
糸の先を、視線で辿るサタンゾア。そこにいたのは、
「――――先程のお返しということで」
ペビンだった。かなりボロボロの様子だが、両手の指から放っている《絶》で、サタンゾアの動きを拘束している。
逃げ遅れたサタンゾアを捉える光の塊。
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
彼の身体を光が焼き尽くしていく。
「ふっ、ふざけるでないわぁぁぁぁぁぁっ!」
サタンゾアの身体から一気に放出されたどす黒いオーラが、光を消し飛ばした。だがまともに受けた彼の身体は明らかにダメージを負っていた。
「はあはあはあ……っ」
憎々しい表情でサタンゾアが睨みつける視線の先にいるのは……。
「――――――ヒイロさまぁっ!?」
《天上天下唯我独尊モード》の日色だった。
「おお!? 師匠ぉぉぉっ!」
「父上ぇぇぇぇっ!」
ニッキもレッカも大手を振って日色の登場を喜んでいる。
「余も忘れてもらっては困るな」
そう言いながらサタンゾアの真上に出現したのはアヴォロス。そのまま両手から魔力波を放出して、サタンゾアを地上へと吹き飛ばした。
「よくも余を操ってくれたな。自称神め」
地上に落下したサタンゾアは愕然とした表情のまま、日色たち三人を見つめる。
「な、何故だ……っ、何故生きておるっ!?」
日色は彼を見下ろしながら、普段通りの無愛想な表情をして答えた。
「そんなことは自分で考えろ」




