233:レッカの正体
《ソロモンの古代迷宮》にて《強欲の首輪》を手に入れた日色一行は、皆が待つドゥラキンの洋館へと帰ることになった。
帰ってみると、嬉しい驚きがあった。それはアクウィナスとレッカ、そしてクゼルが各地を巡り、少ないながらもMP回復薬とHP回復薬を集めてきてくれたということ。
知り合いに当たって、回復薬を譲ってもらったらしいのだ。塔へ行く準備が着実に整っていった。
アダムスに出会ったということをドゥラキンたちに言うと、驚愕の表情を浮かべていたが、アダムスが満足気に逝ったということを教えると、特にドゥラキンとアクウィナスは嬉しそうに「そうか」とだけ言っていた。
リリィンは自分には関係ないと口を尖らせていたが。
アダムスに渡された手紙を、リリィン、ドゥラキン、アクウィナスに渡す。どんな内容なのかは分からないが、リリィンはめんどくさそうに、他の二人は喜ばしそうに受け取っていた。手紙を読みながら、ドゥラキンは涙を流していたようだが、彼女の最後の言葉に、胸に押し寄せてくるものがあったのだろう。
アクウィナスとリリィンは後で読んでおくとだけ言って懐へしまっていたが。
その日の夜、日色はレッカに呼び出されて外へと出ていた。出発を二日後に控えての呼び出し。以前彼には自分のことを話すか否か答えを出せと言っていたので、その件についての呼び出しなのだろう。
「答えは出たのか?」
「……オス」
洋館から少し離れた岩場の上に二人で腰を下ろし、星空を見上げている状況。レッカは言い難そうに眉をひそめている中、静かにその小さな口が動いていく。
「以前、自分はヒイロ様のことを父上と呼ばせてほしいと申し出ましたです」
「そうだったな。あれはホントに驚いたぞ」
「す、すみませんです……い、勢いで言っちゃいまして」
「そこから聞いていいか?」
「はい……です」
ゴクリとレッカの喉が鳴る。覚悟を決めた顔を向けてきた。
「じ、実はですね……じ、自分には前世の記憶があるのです」
「……は?」
予想だにしない解答に思わず声を漏らしてしまう日色。
「と、とはいってもですね、ハッキリしたものではなく……その……つい最近、思い出したというか、何というか」
「ちょっと待て、落ち着いて最初から説明してくれ。前世ってのはどういうことだ?」
「…………自分の前世。それは……まだ生まれてもいない胎児なのです」
「た、胎児? そ、その時の記憶があるっていうのか?」
「は、はいです。母上のお腹の中にいた記憶があって……その、父上と母上の優しい声がずっと耳に残っているのです」
「……胎児の記憶だけか? 生まれてからの記憶はないのか?」
「……前世では、生まれる前に死んじゃいました……です」
さすがの日色も息を呑む話だった。つまりレッカの前世は、胎児のまま死んでしまったということだ。この世に生まれ出ることが叶わなかった。
「ですが、母上のお腹の中にいながらも、母上のお顔や、父上のお顔は覚えているのです」
「おいおい、お腹の中にいたのに……か?」
「オス……。何故かは分からないのですが、何となく顔立ちは覚えていたのです」
「……まさか、その父上ってのがオレだったのか?」
「いいえ、違いますです」
「……? なら何故オレが父親になるんだ?」
「それは――――ヒイロ様が、父上の生まれ変わりだからです」
彼の言葉が胸に衝撃を与える。嘘だろと心の中で思いつつ、言葉が出ずに目を丸くさせて彼を見つめていると、
「じ、自分は、シンク様と、ラミル様との間にできた子供だったのです」
とんでもない告白に頭の中が真っ白になる。
(コ、コイツは何を言ってる? 灰倉真紅とラミルの子供? いや、確かにラミルってのが妊娠していたって話は聞いてる。けど生む前に自殺したってことらしいが……! それがコイツの前世!?)
確かにそうでもなければ、日色のことを父上と呼びたいなどと言わないだろう。実際日色が考えていたのは、未来からやってきた自分の子供なのかという荒唐無稽な解釈だったが、なるほど……レッカは転生体ということらしい。
アダムスから聞いた、日色が真紅の生まれ変わりだということを考えると、レッカが誰かの生まれ変わりである可能性もまた否定できない。
しかしそれがまさか真紅の子供だったとは誰が想像できただろうか。
「あ、あのぉ……固まっていますが、大丈夫ですか?」
「か、固まっても仕方ないだろうが。いきなりとんでも告白を受けてるんだからな!」
「も、申し訳ありませんですぅ! じ、自分だって最初は混乱したんです! それまでは普通に暮らしていたんですが、突然前世の記憶が目覚めてしまい、どうしていいか分からず…………ですが、ある時、先生が助けてくださって」
「せ、先生?」
「はいです。今、自分は八歳なのですが、記憶が目覚めたのはつい最近で、生まれた頃から一人だった自分は、誰にも相談することができずに、どうしていいか分からず戸惑っていると、ある人が手を貸してくださったのです」
「誰だ?」
「名前は教えてくださいませんでした。いつも全身を黒いローブで覆われていらしたので、顔も分からず」
「ちょっと待て、よくそんな怪しい人物に師事しようとしたな」
日色なら絶対についていかない。まあ、レッカの状況を考えると藁をも縋りたい気持ちだったのかもしれないが。
「その人は、何となく悪い人には思えなかったのです。どこか懐かしい、そして優しい感じの人でしたので」
「なるほどな。それにしてもまだ信じられないが、灰倉真紅の子供の生まれ変わりだというのはホントなのか?」
「オス。父上と母上の名前も憶えていましたので。それに先生も認めてくださいましたから」
「ん? 何故そいつが認める? 先代の勇者は六百年以上も前の奴だぞ?」
「先生も長いこと生きておられるらしく、父上にもお会いしたことがあると仰っていましたです」
「何? ……ホントか?」
「オス。先生が仰る容姿なども、自分の記憶にある父上と同じでしたので」
日色は、その黒ローブの人物のことを考察する。
(長いこと生きていて、灰倉真紅のことを知ってる。そして黒ローブで全身を隠しているような存在……)
その時、日色の記憶の中で、ある存在が浮かび上がる。それは《ソロモンの古代迷宮》で日色たちを助けてくれた黒ローブの人物のことである。
(オレの考えた人物があの黒ローブの正体なら、コイツの先生の可能性だって考えられるか……)
そうであれば、すべての辻褄が合う。何故ならその人物ならば、確実に真紅のことを知っているはずだからである。
「……その先生って奴は、女か?」
「よく分かりませんです。女性か男性か分からないような声色でしたので」
これで益々、日色が会った人物が、レッカの先生だという可能性が増した。何故なら、日色が会った人物もまた、変声機でも使っているような、性別が判別できない声音をしていたのだから。
「そいつとはよく会うのか?」
「たまに呼び出されますです。いつも先生からなので、連絡を取る手段はありませんですが」
「何故先生と呼んでいる?」
「戦い方や世界のこととか、そして父上や母上のことを教えてくださったので」
「なるほどな。分かった。そいつのことは一先ず置いておいてだ、よくオレが灰倉真紅の生まれ変わりだと分かったな」
「それも、実は先生が教えてくださいましたです」
「そうなのか?」
「あ、でも先生も確証はなかったらしいのです。もしかしたらと……。それで実際にヒイロ様に会ってみてはどうかと仰られたのですが。どうやって会えばいいのか分からなかったもので」
「普通に会いにくれば良かっただろ?」
「えっと……実はですね、まだ隠していることがありまして」
そう言いながらレッカは、スッと立ち上がると、懐から一枚の札のようなものを取り出し、それを自分の額に貼る。すると札に書かれている文字が独りでに動き出し、レッカの身体へと移り変わっていき、文字が光ると同時に、彼の身体も呼応して光った。
そして驚くことに、ドンドンと姿が変化していき、髪色も黒に、尖っていた耳も日色と同じような耳に、肌の色も褐色から白っぽい肌に変化していく。
光が治まった後、そこにいたのは、『魔人族』から『人間族』に変化した少年だった。
「実は、これが自分の本当の姿なのです。今まで黙っていてすみませんですぅ!」
頭を下げるレッカ。怒られるのかと思っているのかビクビクしている様子が伝わってくる。
「いや、別に姿を変えてたことはどうでもいいぞ。オレだって今までいろいろ変えていたからな。だがなるほどな。お前は人間として生まれたんだな。だから『魔人族』が住む【ハーオス】には一人で行き辛かったってわけか」
「オス……。ですが、先生が姿を変える魔具を下さって、『魔人族』の身体になることができたのです。その頃、【ハーオス】では《魔軍隊長決定戦》なるものが開催されるとお聞きしましたです」
レッカも参加して、隊長の座を射止めたイベントである。
「先生がせっかくだから参加してはどうかと仰られました。もし隊長になれば、ヒイロ様のお傍にずっといられると教えてくださいましたので……」
「お前、よく勝てると思ったな」
「あ……えと、先生が自分の実力なら問題ないと仰ってくださいましたので」
確かに日色の考えている通りの人物が黒ローブの正体なら、レッカの類まれな戦闘センスを見て、隊長くらいならなれると考えても不思議ではない。彼は、あの真紅の子供の生まれ変わりなのだから、その身に秘めている力が甚大なものだとしてもおかしくはないだろう。
(しかしまあ、コイツが灰倉真紅の子供の生まれ変わりか……。オレに似てるのは黒髪って部分だけだが……何とも驚愕だな)
まさに驚愕の真実といったところだろうか。何も知らないままなら、彼の話を戯言だと切って捨てていたが、今では自分も真紅の生まれ変わりだし、この世界には転生体が結構存在していることを鑑みて、彼の存在を否定することもできないのだ。
いや、それだけではなく、レッカの瞳を見て、彼が伊達や酔狂で言っていることではないのも理解できている。
「……ん? おい、なら何故ミミルに母上と呼ばせてほしいって言わないんだ?」
「あっ、そ、それは……」
何故だかレッカは顔を真っ赤にして俯かせている。
「ど、どうした?」
「あの……その…………は、恥ずかしくて……です」
「は? 何故恥ずかしい?」
「いえその……ヒイロ様は自分と歳も離れていて、父上と変わらない姿ですのでいいのですが……。ミミル様はその……」
「あ~まだアイツはチビっこいからな。さすがに今のアイツを母上と呼ぶ勇気がないってことか?」
「はい……です」
まあ、十歳と八歳だから、呼ぶのに抵抗があるのは分かる。二歳しか違わないのに母親として甘えることは恥ずかしいのだろう。
「でもまあ、話しておいたらどうだ?」
「そ、その方が良いでしょうか?」
「オレやアイツは、前世の記憶ってのに目覚めたわけじゃないから、いきなりあなたの前世の子供でしたなんて言われて戸惑うだろうが、別にそれでどうこうなるわけでもないだろ?」
「は、母上って呼ばせてもらえるのでしょうか?」
「それは知らんが……。ていうかオレも父上って呼ばれるのは嫌だぞ」
「はぅっ!? ダ、ダメでしょうか?」
ウルウルと目を潤ませて見つめてきた。何故だろうか、こんな話を聞いてからか、物凄く断り辛くなっている気がする。心の奥底で、認めてやれと誰かに命令されている感じだ。
これが真紅の魂が疼いているということなのだろうか……。
「………………はぁ、好きに呼べ」
パアッと満開の花が咲いたような笑顔を浮かべるレッカ。余程嬉しいのか、
「オッス! 父上~っ!」
そのまま飛びついてきた。涙まで流して喜ぶ彼を見て、さすがに「やっぱ止めてくれ」とは絶対に言えないなと思い溜め息が零れ出た。
「ところでお前はこれからどうするつもりなんだ?」
「……それは自分が望めば、ともに塔へと連れて行ってくださるのですか!」
「そうだな。お前なら下手に足手纏いにはならないと思うが、お前はそれでいいのか?」
「? ど、どういうことですか?」
「このままオレと一緒に行けば、確実に死闘になる。下手をすれば死んでしまうことだってある。まだ八歳なんだろ? 前世なんて関係ないって言ってここから離れていっても誰も責めんぞ」
「それは……」
「前世はあくまでも前世だ。今の自分じゃない。オレは前世のことなんて関係なく、『神人族』がいると鬱陶しいから倒すってだけだ。そこに使命なんてものは感じちゃいないし、オレはやりたいことをやってるだけだ。けどお前は突然前世の記憶に目覚めて流されるままにここまで来たんだろ? それはホントにお前自身がやりたいことなのか?」
もしそうでなければ、彼の参加は止めさせた方が良い。前世に惑わされている人生などいつか必ず後悔すると思うからだ。記憶があろうがなかろうが、レッカには自分の人生を歩んでほしい。子供なら尚更だ。
レッカは日色の言葉を受けて考え込むようにして地面に顔を向けている。そして不意に彼が口を開く。
「……確かに、いきなり前世の記憶が目覚めて混乱しましたです。先生も、あくまでもそれは魂に刻まれた記憶ってことで、今の自分には関係無いんだぞと教えてくださいましたです」
黒ローブの人物も、レッカを無理矢理戦いに巻き込もうとしたわけではなさそうだ。むしろ彼の幸せを考え、離れる道も示したようだ。
「その時、じっくり考えましたです。自分が本当にやりたいことって何だろうって。そして思ったのは、父上と母上に会いたいっていうことでした」
「……一つ聞きたいが、今のお前の両親はどうしてるんだ?」
「いませんです。自分は捨て子だったらしく、赤ん坊の頃に拾われましたです。自分はその人のことをお爺ちゃんと呼んでいましたが、お爺ちゃんも自分が七歳になった頃に寿命で他界しましたです」
「……そうか。ならその黒ローブに拾われるまでは、ずっと一人だったってわけか?」
「はいです。お爺ちゃんは元々一人で魔界に暮らしていましてですね、お爺ちゃんが亡くなってからは、ずっと自分は一人だったのです」
寂しげな表情を浮かべるレッカ。余程そのお爺ちゃんとやらは良い人だったのだろう。それはレッカの人柄を見ているとよく分かる。正しい教育もしっかりと施していたようだ。
(しかし、人間なのに魔界に捨てられていた……か。まるでニッキと同じだな)
ニッキもまた幼い頃に捨て子として【バンブーヒル】にいたところを、モンスターであるバンブーベアが育てていたのだ。彼女も両親のことを知らない。何か繋がりめいたものを感じるが、気のせいだろうか……。
「だから自分には本当の両親が分からず、探そうにも手掛かりなんてないので、お爺ちゃんの小屋に居続けていましたです。そんな時に、前世の記憶が甦って……」
「出会ったのが先生とやらだな」
「はいです。そして先生に、父上と母……ミミル様のことをお聞きし、是非会いたいと思ったのです。先生にどうやったら会えるかとお聞きして、父上が身を寄せている魔王城で、《魔軍隊長決定戦》が行われるから、それに参加してはどうかと仰られました」
「それはさっき聞いたな」
「はいです。ですが、もう一つ、隊長になる理由があったのです」
「理由?」
レッカがコクンと小さく頷きを見せる。
「先生から、もし父上の傍にいることを選ぶのであれば、父上を支えてやれと言われました」
「黒ローブがか?」
「はいです。もしかして先生と父上はお知り合いなのではありませんですか?」
「……さあな。アイツの正体はオレも知りたいと思っているが……」
推測はできていても確証はない。ただその推測は限りなく確証に近いものであることは確かだが、実際に確かめるまでは真実は不透明だ。
「父上……父上は、前世など関係無いと言ってここから離れてもおかしくないと仰られました」
「ああ」
「ですが、自分はここにいます。いいえ、いたいんです。父上のお傍に!」
「……死ぬかもしれないんだぞ?」
「それでもです。確かにこの気持ちは、前世の記憶に強く影響を受けているのかもしれませんが、それでも自分は父上のお力になりたいと思いましたです。これは、自分のやりたいことですから!」
真っ直ぐに、揺らぐことの無い純粋な瞳が日色の瞳を見据えてくる。彼のことを考えると、ここで断り突き放した方が良いのかもしれない。
だけど何故だろうか……。これも真紅の魂が疼いているのか、レッカの安全を願うと同時に、レッカとともに戦いたいという気持ちも少なからず込み上げてくる。
日色は星が散りばめられてある空を見上げる。冷たい夜風が頬を撫で、日色の髪を揺らしていく。そのまま腰を下ろしていた岩から立ち上がり、レッカに背中を向ける。その仕草でレッカは断られたと判断したのか、悲しそうに顔を俯かせた。
「……レッカ、とりあえずこれから命を預け合う仲間には、お前の真実を話しておけ」
「……え? あ、あの……それじゃ……」
「出発は二日後だ。分かったな?」
不安色で一色だったレッカの表情が、瞬時に明るくなり破顔する。
「オ、オッスッ!」
日色は彼の嬉しそうな声を背中で受け止めながら、洋館へと戻っていく。心の中で、「これでいいんだろ、先代」と呟きながら……。
「「「「ええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」」」
叫び声がドゥラキンの洋館に響き渡った。
翌日、レッカが皆を食堂に集めて、日色に聞かせた話をしたのである。当然のごとく、レッカが前世では真紅とラミルの子供だということに誰もが驚いていた。
そして一番驚いていたのは――
「ミ、ミミルが…………母……ですか?」
そう、ラミルの転生体でもあるミミルである。
「オ、オッス! で、ですからその……よ、よろしければ、は、ははは母上とお呼びしてもよろしいですかっ!」
「え、ええっ!? い、いきなりミミルがお母さんになるのですか!? えとえと……そのぉ……」
助けを求めるように日色に視線を向けてくるミミルに対し、日色は軽く肩を竦めながら、
「別に呼び名くらい好きにさせたらいいんじゃないか?」
「ヒ、ヒイロ様は、その……い、嫌ではないのですか?」
「は? 何がだ?」
「だ、だって……ヒ、ヒイロ様は父上と呼ばれてらっしゃるんですよね?」
「ああ、昨日の夜に許可を出したな」
ミミルの顔が徐々に赤みを増し、恥ずかしげにモジモジしだす。
「と、ということはですよ……。その……ミミルが母上と呼ばれるのなら、ヒイロ様とミミルはその……ふ、夫婦ということになりますよね?」
…………は?
何故そういう見解になるのかミミルの思考についていけない日色。当然、嬉しそうに笑みを浮かべる彼女の表情を見て唖然としてしまう。
そこへ黙っていられないという感じで間に入ってきた存在がいる。
「ちょ、ちょっと待ってよミミルちゃん! そ、それはいくらなんでもズルいよぉ!」
ミュアだった。彼女が日色のことを好きなのは周知の事実である。
だがミュアの言い分に、ミミルは両頬に手を当てながら、
「で、ですがこれは前世から決まっているらしく、どうしようもないということなのですよ、ミュアちゃん。ミミルだっていきなりで困っているのですからぁ」
少しも困っている様子を見せずに話すミミルに、ミュアがムッとした表情を浮かべる。
「だ、だけどぉ……ヒイロさん!」
「な、何だ?」
「ヒイロさんはミミルちゃんと夫婦なんですか!」
「……いや、違うだろ」
「違うんですかっ!?」
今度ショックを受けたのはミミルだった。
いくら前世で夫婦という繋がりがあったとしても、現世でそれがそのまま維持されるわけではない。何故なら日色とミミルは結婚どころか、恋人同士でもないのだから。
無論日色もミミルの気持ちは理解してはいるが。
「あ、あの……じ、自分としてはその……母……ミミル様と父上が結婚されたら嬉しいのですが」
レッカのその言葉にミミルはこれ以上ないほどの嬉しそうな顔をして、レッカの近くにいって彼の頭を撫でつける。
「さすがはミミルの子供なのです! とっても偉い子なのですね、レッカは」
「あ……」
もう母親気取りなのか、名前まで呼び捨てにしているミミル。しかし撫でられて気持ち良さそうに目を細めているレッカ。体格は両者ともに変わらないが、そのやり取りは何となく親子を思わせる。いや、どちらかというと、姉と弟かもしれない。
その時、クイッと服を引っ張られる感触を感じて振り向くと、そこにはウィンカァ・ジオがジ~ッと上目遣いで見てきていた。
「……な、何だ?」
「……ウイとも、結婚する?」
この状況での爆弾発言に、周囲が騒然とする。クゼルなど、娘の言葉に口をあんぐりと開けたままだ。
「何故そうなる」
「ウイは……ヒイロのこと、好き。ヒイロは、ウイのこと……嫌い?」
「嫌いではないが……」
むしろ仲間としては好きの部類だ。
「じゃ……好き?」
「まあ、どちらかと言えばな」
ウィンカァのアンテナのように立っている髪束が、喜ぶ時の犬の尻尾のように激しく動き回っている。表情もどことなく嬉しそうだ。
「ほほう、言うようになったではないか、この女タラシめ!」
いきなり暴言を放ってくるのは、不機嫌オーラ全開のリリィンだ。
「何が夫婦だ! そんなものワタシが許可するわけがないだろ! ヒイロはワタシのモノだぞ! 聞いているのか獣娘どもっ!」
「ヒ、ヒイロさんはリリィンさんの所有物なんかじゃないです!」
「そうです! ミミルの旦那様なのですから!」
「ん……ヒイロはウイと結婚する」
ミュア、ミミル、ウィンカァの反撃。リリィンの怒りゲージが益々高まっていく。
「ならここで決めてやろうか。一体誰がヒイロに相応しい存在なのかどうか!」
「の、望むところです! わたしだって譲れないものがあるんです!」
「レ、レッカ、母を助けると思って手伝ってください!」
「オ、オッス! お、お任せくださいです!」
「ウイだって、負けない」
全員から凄まじい威圧感が迸り、洋館がギシギシと軋み始める。何てカオスな状況なのだろうか……。
「…………よし」
日色は決めた。ゆっくりと椅子に腰を落ち着かせると、懐から一冊の本を取り出し読み始めた。
「ウオォイッ! こらてめえヒイロ! なぁに現実逃避してんだよこのバカッ!」
アノールドの一喝。
そうは言うが、この状況を治める労力を考えたら面倒さが勝ってしまったので、自分の世界に逃げ込んでしまっただけなのだ。
「止めろよ! これみんなお前のせいなんだしよォ! つうか考えてみると羨まし過ぎるぞコノヤロウッ!」
「知るか。決着がついたら知らせてくれ」
触らぬ神に祟りなしということで、日色は場が治まるまで静かにすることにした。
レッカの告白により一悶着あったものの、皆それぞれ、明日の出発に向けて準備に取り掛かり始めていた。
日色は、ララシークとユーヒットらとともに地下空洞へ。
「最後の調整もしっかりしてある。ミミル様との同調も問題無しだ」
「ニョホホホホ! 僕が設計したのですから不備などありませんですよ!」
【獣王国・パシオン】きっての研究者であるララシークとユーヒットが合同で開発したのだから、日色も大丈夫だと信じている。
しかし考えてみれば、この世界に来て初めて見たかもしれない。
「明日はこの船で大空を翔けるんだ。この――――《スピリット・アーク》でな」
ララシークは自慢げに胸を張りながら声を張る。
この世界で初めて見た。それが船という存在。この世界では海を渡る船はほとんど無い。何故なら海は危険地域であり、たとえ船を造っても海を渡ることなどできずに、海のモンスターや環境によって壊されるのが目に見えているからだ。
故に日色はこの世界でまともな船を見たのは初めてだったりする。
今、日色の目の前には百人は余裕で乗れる巨大船が視界に入っていた。ただ普通の船とは違うのは、船の側面に折り畳んだ翼が設置されてあることだ。
「いいか、もう一度操作方法をレクチャーしとくが、船の中には《精霊炉》があって、動かすためにはミミル様の歌の力が不可欠になる」
「ニョホホホ! これは『精霊』の力で空を飛ぶシステムですから当然なのですよ!」
「クソ兄の言う通りだ。本来これだけの質量のものを飛ばすには相当の魔力が必要になる。ヒイロの魔法で飛ばすこともできるだろうが、舵取りもしなきゃならねえとなると、もし戦闘になった時にはヒイロは戦闘に参加する必要があるから、船に意識を集中させることは難しい」
確かにララシークの言う通り、船を飛ばすのは《文字魔法》でも事足りる。しかし飛ばしている最中に戦闘になったりすると、船を動かしながら戦闘をするのはさすがに厳しいものがある。
「だから魔力の塊である『精霊』を生み出すことができるミミル様の力を利用させてもらう計画を立てた。それがこの《精霊船》だ」
「ニョホホ、ミミル様の歌で、常に『精霊』を生み出し、それを力に変換する《精霊炉》を作るのは、なかなかに難関でした。本当は一年以上前、『魔人族』と『獣人族』との戦争があった時、【ゲドゥルトの橋】が壊された頃からかコレの完成を急いではいましたが、動力に関して問題があり、なかなか完成にはいたりやがりませんでしたのです」
戦争時、イヴェアムとアクウィナスによって、獣人界と魔界を結ぶ通行手段である橋が壊された。そのため戦争は即時終結を迎えた。あの時、この船が完成していれば、自由に大陸を行き来することができ、イヴェアムの思惑も覆っていただろう。
「幾つか案はあった。魔力を補充できる魔具を使って飛ばしたり、人の魔力を常に供給し続ける方法なんかも考えた。けどどれも現実的じゃなかったんだよなぁ」
「ニョホホ、どれも有限でやがりますからねぇ」
「そこで考え出されたのが《精霊炉》だ。ミミル様なら、歌い続ければ、その間ずっと『精霊』を生み出すことができる。これならば無限に近いエネルギーを常に供給することが可能だ。まあ、ミミル様次第っていう問題もあったがな」
ミミルは『精霊の母』の転生体であり、歌うことで『精霊』をこの世に創造することができる存在である。
「でもよくアイツが了承したもんだ」
「最初は渋ってたぜ、さすがにな。ミミル様の歌の力で生み出された『精霊』は、すぐに力に変換されて消費されるんだ。生み出す母としては複雑過ぎる心境だろうしな。けど、ミミル様は納得してくれた。知ってるかヒイロ、今のミミル様は生み出した『精霊』と対話までできるようになってるんだぜ」
「それは初耳だな」
「ミミル様も、自分が成長するために努力してるってわけだ」
ミュアもそうだが、本当にこの世界の子供は強いと日色は素直に感心を覚える。
「対話した『精霊』たちにも了承を得ているようだ。世界を救うために、力を貸してくれるってよ」
言ってみれば生み出されてすぐに死ぬことになるのだ。普通ならそんなことはできないだろう。あの優しいミミルなら尚更だ。しかし彼女は決断した。
自分の力を世界のために役立てるということを。『精霊』たちとも対話をして、ともに戦うことを。
「この船で明日、【ヤレアッハの塔】まで飛ぶ」
「宇宙空間でも平気なんだよな?」
「それも『精霊』の力で常に船を防御膜で覆うから大丈夫だ。それにお前の魔法も重ねればさらに問題はなくなるだろう」
「すべては明日 か」
「そうだ、すべては明日だ」
この《スピリット・アーク》が自由を掴む翼になってくれると日色は信じている。
ドゥラキンの屋敷では、それぞれ明日への想いを胸に過ごしていた。キッチンでは、ミミルがククリアやレッグルスとともに、船に積む保存食を作っている。
「クーお姉さま、こちらのお肉は燻製にした方が良いのですね?」
「うんそうよ、ミミル。あ、そっちの魚は一夜干しにするからね」
「こっちも残りの肉、切っておいたよ」
「ありがと、レッグ兄」
三人で仲良く息の合った調理を施している。そんな中、不意にククリアが眉を微かにひそめて言葉を出す。
「……明日か。ごめんねミミル、大事な日に何もできなくて」
「それを言ったら俺もそうだよ。俺だってミミルに何もしてやれていない」
「そんな! クーお姉さまも、レッグお兄さまも、こうやって皆さんのために保存食を作ってらっしゃるではないですか!」
「……でも、一緒に戦えないじゃない」
「ああ、それがとても悔しい。明日からはミミルたちが、無事に帰ってくるのを祈るしかできないんだからな」
二人して雰囲気を暗くさせるので、ミミルも悲しさを覚える。
「……違います」
「「……え?」」
「違いますよ、クーお姉さま、レッグお兄さま。確かに一緒には塔に行くことはできません。ですが一緒に戦うことはできます」
「……どういうことなの?」
「お二人のお心は、いつもミミルのここにあります」
ミミルは自分の胸にそっと触れる。
「お二人の想いがここにある限り、それは一緒に戦っているということだと思うのです」
「ミミル……」
ククリアが優しげに呟く。ミミルはニッコリとして二人に笑みを見せる。
「ミミルだって怖いです。もし船の操作に失敗したらと考えると身体が震えてきます。ですが、クーお姉さまやレッグお兄さま、そして【パシオン】にいるお父さまたちのことを考えると勇気が湧いてくるのです。皆さんのお心が、ミミルのここにあるのです。だからミミルは頑張れると思います」
ククリアが感極まったかのようにミミルを抱きしめる。そしてその上からレッグルスもそっと二人を抱きしめた。
「ありがと……ミミル」
「成長したな、ミミル」
「ミミルは一人ではありません。いつもお傍には、こうしてクーお姉さまたちがいてくれます。ありがとうございます。ミミルはとっても嬉しいです」
三人の絆は強い。いや、三人だけではない。【獣王国・パシオン】にいる者たち全員が、ミミルと繋がっているのだ。その心で。
その想いがミミルの背中を押してくれる。だからこそ戦える。勇気を出せる。
「ですから、待っていてください。ミミルはきっと無事に帰ってきますから」
ミミルの言葉に涙を流しながら二人は強くミミルを抱きしめていた。
そんな三人をこっそりと扉の向こう側で観察していた『精霊』のドウルが「よがっだでずねぇ~、レッグルズざまぁぁ~」とこちらも涙を流して喜んでいた。
※
「はあっ! 《風の牙》っ!」
アノールドの持つ大剣から放たれる風を纏った斬撃。ターゲットはミュアである。
「《銀転化》っ!」
ミュアの《銀耳翼》から放たれた銀の粒子が前方に集束して壁を形成し、斬撃がそれに触れると美しい粒子状に変化してミュアへと吸収される。
「《雷の牙》っ!」
ミュアがチャクラムの《紅円》に雷を纏わせて投げつける。弧を描きながら二つのチャクラムがアノールドの左右から迫ってきた。
「おらぁぁぁっ! 《風陣爆爪》ぉぉぉっ!」
大剣を地面から空へと突き上げ、巻き上げる風によって《紅円》を弾き飛ばす。ミュアは空を自由に翔け、弾き飛ばされた《紅円》をキャッチする。
「……ふぅ、そろそろ休憩すっか、ミュア」
「うん、おじさん!」
ミュアは明日に備えて、新しく手に入れた《銀転化》を使った戦闘経験値を増やしていた。アノールドも快く模擬戦を引き受けてくれて助かっている。
ポットに入れた茶を二人で美味しく頂く。
「ぷはぁ~、美味え!」
「うん、生き返るね!」
僅かにかいた汗に、微かに吹く風が気持ち良い。しばらく沈黙が続くが、アノールドが神妙な面持ちで口を開く。
「…………なあミュア、もし……もしなんだけどな、もし怖ければ、明日はここに残ってもいいと思うぞ?」
「おじさん……」
アノールドの気持ちは良く分かる。明日はあの『神人族』との決戦になるのだ。下手をすれば死んでしまうかもしれない戦い。
今までミュアを実の娘のように育ててきたアノールドにとっては、そんな戦いにミュアを送り出したくはないだろう。しかも自分はここから出られないのだから尚更そう思うかもしれない。
「……ありがと、おじさん。わたしのことを心配してくれて」
「ミュア……」
「でもね、わたしは戦うよ。そのために身に着けた力なんだもん」
「…………」
「それにね、『神人族』を倒さなければ、もしかしたらおじさんも操られるかもしれない。そんなことわたしには耐えられないよ」
「ミュア……」
「だから、そんなことをさせないためにも、決着をつける必要があるんだよ。ううん、決着をつけたいの!」
「…………はは、ホントに強くなったなぁ。初めて出会った時と比べりゃ、月とスッポンだぜ。あの頃は、戦いのたの字も知らない子だったのによぉ」
「うん、そうだね。ずっとお父さんやおじさんに守られてばっかだった。ううん、旅に出てからも、わたしはずっとおじさんの背中を見ていただけだったもん」
だからこそ歯痒くて、申し訳なくて、自分も強くなりたいと願った。
「だから今度はわたしがおじさんを守る番だよ」
「ミュア……」
「だから、信じて待ってて。大丈夫だよ! わたしの傍にはヒイロさんもいるんだから!」
「む……それが一番不愉快なんだよな。ったく、俺のミュアはまだアイツにはやらねえぞ」
「はは、まだってことはいつかはいいってこと?」
「…………ふん!」
アノールドの親バカは今に始まったことではない。でもミュアは全然息苦しくは無い。それどころか感謝している。ずっと親代わりになってくれている彼だからこそ、今度は自分の手で守りたいと思っているのだ。
ミュアはそっと彼の手を握る。
「……ミュア?」
「おじさん、わたしはおじさんのこと大好きだよ」
アノールドが突然の告白に顔を赤く染めて照れる。
「絶対帰ってくるから。みんなで!」
「……ああ……ああ! 俺はお前の親だぜ! 子供を信じねえ親はいねえ!」
「うん!」
絶対に帰ってくる。そして皆で幸せを噛み締めるんだと、ミュアは心に誓った。
※
ドゥラキンの洋館 二階の一室では、クゼルとその娘であるウィンカァ、そして彼女の相棒のハネマルが顔を突き合わせていた。
クゼルはウィンカァの愛槍 《万勝骨姫》を手入れし、それをウィンカァがハネマルを撫でながらジッと見つめている。
「ずいぶんとこの子とも仲良くなったようですね、ウィンカァ」
クゼルは槍を優しく扱いながら、まるで自分の子供のように「この子」と言う。
「ん……《万勝骨姫》にはいっぱい、世話になった……よ?」
「はは、そうでしょうね。この子もウィンカァと一緒にいられて喜んでいますし。そこにいるハネマルと同じようにね」
「アオォッ!」
ハネマルも賛同しているのか尻尾を振りながら野太い吠え声を聞かせる。
「よし、最終調整はこれでいいでしょう」
「ん……ありがと、ととさん」
クゼルから槍を受け取るウィンカァ。
「これで、明日も戦える。ヒイロを、守れる」
「…………一つ、あなたに言わなければならないことがあります」
「ん……?」
可愛らしく小首を傾げるウィンカァに、クゼルは苦笑を浮かべると、静かに口を動かす。
「実はですね……大変言い難いことなのですが…………ウィンカァ、あなたを物心がつくまで育ててくれたのは、貴方の本当の母ではないのです」
「……?」
「初めてヒイロくんと会った時にお聞きしました。リンデがあなたが小さい頃に亡くなってしまったことを」
クゼルは申し訳なさそうな表情を作る。リンデというのは、ウィンカァの実母であるピアニの双子の妹なのだ。
まだウィンカァが生まれて物心がつく前に、かつて住んでいた場所に賊が押し寄せ、その際にピアニは命を失う出来事があった。
賊が持っていた刀は、クゼルがかつて才能の赴くままに造っていた刀であり、その力のせいでピアニが死んでしまったのだ。
自分のせいで愛する妻を死なせてしまった罪から、これ以上家族の傍にはいられないとして、リンデにウィンカァを預け、世界に散らばった自身の武器を回収する旅に出ることにした。
「七歳になった時にリンデが亡くなったらしいですね」
「……ん」
「それからあなたは、私を探してずっと旅を……ハーフという辛い運命を背負いながら生き続けてきたのですよね」
ウィンカァは、『獣人族』と『人間族』の間に生まれたハーフ。この【イデア】において、ハーフという存在は生きにくい立場である。
魔法も《化装術》も使えず、どちらの種族でもないということで《禁忌》とされて侮蔑の目を向けられる。下手をすれば殺されることだってあるのだ。
今でこそ他種族同士が手を取り合うような時代になってきてはいるが、それでもハーフを敬遠する者は昔から絶えることはない。
ウィンカァがどうやって生きてきたか想像すると、クゼルは胸が締めつけられるような気持ちになってしまう。
「本当にすみません。私のせいで……」
「ううん、ととさんのせいじゃない……よ?」
「ですが……」
再びウィンカァが首を左右に振る。
「ほんとに違う。ととさんは何も悪くない。それにウイ、知ってるよ?」
「え……何をですか?」
「かかさんが二人いるってこと」
「えっ!? ま、まさか……リンデから?」
「ん……かかさんが死ぬ前に、教えてくれた」
「……そう、でしたか」
「ウイを生んでくれたかかさんのことは、よく覚えてない」
「そうでしょうね」
まだ本当に幼い時だったので覚えていなくても無理はない。
「でも、ちょっとだけ覚えてる、こともある」
「そうなのですか?」
「ん……こうやって、眼を閉じると、最初のかかさんの顔がぼんやりと浮かんで……くる」
「ウィンカァ……」
「ちょっとしか、覚えてないのは残念だけど、ウイは、嬉しい」
「嬉しい?」
「ん……だって、ウイには、かかさんが二人もいる。何か、得?」
「得って…………はは、あなたらしいですね」
「ん……だから、謝らないでほしい、ととさん。ウイはもう、幸せ」
クゼルは思わず胸に熱いものが込み上げてきて、そっとウィンカァの身体を抱きしめる。
「……ありがとうございます、ウィンカァ」
「ん……いいよ」
クゼルは彼女から伝わってくる温もりにありがたみを感じる。こうしてまた再び彼女を抱きしめられる日がくるとは、旅に出た時には思わなかったことだ。
再び会えた幸せに、クゼルは感謝している。だからこの幸せはもう二度と失いたくはない。
「……ウィンカァ」
「……何?」
「必ず、帰ってくるのですよ」
「ん……頑張る」
「あなたが大好きな羊羹もいっぱい作って待っていますから」
「もっと、頑張る」
「みんなで……みんなでまた、楽しくお茶をしましょう」
「ん……」
親子の絆が深まり、ハネマルも嬉しそうに二人に顔を擦り付けていた。
※
同じく洋館の二階の一室では、優雅にワインを嗜んでいるリリィンのもとにアクウィナスが尋ねてきた。
部屋の中にはニッキ、シウバ、シャモエ、ミカヅキもいる。突然来たアクウィナスの姿を見て、リリィン以外の者は歓迎ムードであるが、リリィンは不愉快そうに眉をひそめていた。
「……何の用だ?」
「少し、お前と話をしたくてな」
「ワタシには無い」
「そう言うな。お前にもアダムスから手紙があっただろう」
「ああ……アレか。うんざりするほどの謝罪文を連ねたものだろう? 今更あんなものを寄こされてもな」
アダムスの手紙。日色から受け取ったのはドゥラキン、リリィン、アクウィナスの三人だ。
リリィンは鬱陶しげに肩を竦めると、シウバが注いだワインを喉へと流す。
「俺の手紙もほとんどが謝罪文だったな。やはりお前の手紙の内容もそうだったか」
「だったら何だ? というかそんな話をしにきたのか?」
「…………すまなかったな」
ピクリとリリィンの眉が動く。他の者も興味があるのか、ジッと二人を見守っている。しかしシウバは気を利かせるようにニッキたちを連れて部屋を出て行く。
「貴様も謝罪か? どうやら流行ってるらしいな」
嫌味ったらしくリリィンが口を開く。
「……お前が城にいた時、大した力にもなれなかった」
「…………」
「兄という立場にありながら、お前を……」
「ふざけるな。お前は兄なんかではない。血も繋がっていないではないか」
キッと視線を鋭くさせてアクウィナスを睨みつけるリリィン。
「……そうだな。俺はただ、シャーリィ――お前の生みの親の世話係につき、アダムスに認められた結果、リ・レイシスの名を貰っただけだしな」
リリィンは眼を閉じながらクイッとワイングラスを傾ける。
「お前がアダムスの後継者として認知され、周りに期待されていたことは無論知っている。そして、その重圧に押し潰されそうになっていたことも」
「フン、別に押し潰されそうになどなってはいない」
「……なら何故、城を出た?」
「…………」
「俺はあの頃、戦いばかりでお前を支えることができなかった。それを今も悔やんでいる」
「フン、その罪滅ぼしとして、今の魔王を可愛がっているというわけか? 貴様の自己満足に付き合わされているとも知らず、魔王も可哀相だな」
「…………かもしれんな」
「む……」
反論を一つもしないアクウィナスに、リリィンは気まずそうに眉を寄せ上げると、誤魔化すように顔を背ける。
「俺はお前に何もしてやれなかった。兄としても、家族としてもだ」
「貴様を家族として認めた覚えなどないがな」
「…………」
「う……そ、そんな辛気臭い顔を見せるな。せっかくの酒が不味くなるだろうが!」
「悪いな。許してもらおうなどとは思ってはいない。ただやはり、言葉にしてお前に伝えたかっただけだ。本当にすまなかった」
頭を下げるアクウィナス。その姿をジッと見ながら、リリィンは大きく溜め息を吐く。
「……もういい。別に今更だ。ワタシは今の生活を……人生を後悔などしてはいない」
「リリィン……」
「幸か不幸か、やりたいことも見つかったしな」
「……ヒイロのお蔭か?」
「なっ! 何故ここでアイツの名が出てくる!」
「……違うのか?」
「う……い、いや……違わないが……だ、だが……」
「フッ、やはりヒイロには敵わないな。お前の心も掴んでいる」
耳を真っ赤にしてリリィンは「うぅ~」と唸っている。アクウィナスはそんなリリィンの顔を見て頬を緩めると踵を返す。
「いきなりすまなかったな。これだけを言っておきたかったのだ。それと、明日は気を付けて行け。生きて帰って来い」
「…………フン、当然だ。ワタシを誰だと思っている」
その時、バンッと勢いよく扉が開き、
「ノフォフォフォフォ! お嬢様なら大丈夫でございましょう! 何故ならお傍にヒイロ様がいらっしゃるのですから!」
変態が現れた。
「シウバ……盗み聞きをしているのなら、出て行った意味などないだろうが」
さすがのリリィンも怒りを超して呆れたように肩を落とす。
「いやはや、兄と妹との和解。何と素晴らしいのでしょうかっ! このシウバ、感激しましたぞ! 感動で打ち震えるこの胸を、どうか……どうかお鎮めくださいませっ、おっ嬢様ぁぁぁぁぁぁんっ!」
リリィンに向かって跳んでいくシウバ。口元はすでにタコの口のように尖っている。
「失せろ変態がっ!」
「だんびばっ!?」
三回転後ろ回し蹴りが綺麗にシウバの顔面を捉える。そのまま吹き跳んだ変態は、壁に頭だけをめり込ませ沈黙した。
「ふぇぇぇぇぇっ!? シウバ様ぁぁぁぁっ!?」
「わ~い、めりこんでる~」
「やはりリリィン殿、見事な攻撃ですぞ」
シャモエはおろおろし、ミカヅキは喜び、ニッキは感心していた。
「ったく、ニッキはともかく、貴様らはワタシがいない間もワタシの従者として相応しい行動を心がけろよ! 特にそこの死に損ない!」
「が、がじごまりまじだ……」
壁の中からくぐもった声が聞こえる。どうやらまだ生きているようだ。
「シャ、シャモエも精一杯頑張りますですぅ! ですからお嬢様とニッキちゃんも、絶対にご無事に帰ってきてくださいですぅ!」
「ごじゅじんがいるからだいじょうぶだよ、シャモエちゃん! ねえ、ニッキ!」
「ミカヅキの言う通りですぞ! 師匠は最強! そんな師匠の弟子であるボクは二番目に最強なのですぞ! だからボクがみんなを守るんですぞー!」
それぞれ意気込みや感想を述べる。
するとアクウィナスが再び笑みを浮かべる。それを見たリリィンがムッとなって、何故笑っているのか問い質すと、
「いいや、こんな平和な日常が永遠に続けばいいなと思ってな」
アクウィナスがそんなことを言うので、リリィンもそれに応える。
「フン、そのためにも空にいる自称神どもを捻り潰さねばな。まあ、このワタシが行くんだ。万が一にも失敗など有り得ん」
「よっ! さすがはお嬢様! その自信しかない物言いに痺れますぞー!」
「……いつ復活した、変態?」
「ノフォフォフォフォ! 執事ですから! ノフォフォフォフォ!」
「……はぁ、ホントにどうやったら死ぬんだこの不死身は……」
シウバの生命力の高さにほとほと呆れ返るリリィンだった。
※
「ほっほっほ、儂らにも挨拶とは、意外にも律儀じゃのう、《万能の者》よ」
嬉しげに長い顎鬚を擦りつつ笑みを浮かべるホオズキ。
今、日色はアダムスの力が消えて、海底から【グレン峡谷】へと移動した【スピリットフォレスト】へと来ていた。
明日に【ヤレアッハの塔】へ出発するので、ホオズキたち『精霊族』にも一言言っておこうぜとテンに言われたので、仕方なくやって来ていたのである。それにアダムスの手紙を渡すという理由もあったので。
この場には、『精霊王』のホオズキだけではなく、【フェアリスガーデン】に住む『妖精』たちも来ていた。無論その長である『妖精女王』のニンニアッホもだ。
妖精の中で一番日色に懐いている赤髪の『妖精』であるオルンという子も、久々に日色に会えたことが嬉しいのか、会った時から遊ぼうとせがんできている。
しかし双方の長たちに話があると言うと、むくれながらも、日色の頭の上にチョコンと座り楽しそうに笑っていた。
「オレは面倒だから来るつもりはなかったがな。この小動物がどうしてもと言うから来てやっただけだ」
「わ~お、男のツンデレは誰得? って感じだぜ?」
「ほう、お前は余程ツルッツルになりたいらしいな?」
日色が再び『脱毛』の文字を書こうとしたら、テンが光の如くその場から逃げ去った。
「ふふ、仲が良いようで何よりですね」
ニンニアッホの勘違いが恐ろしい。今のやり取りでどこに仲の良さを示すものがあったのだろうか……。
「ねえねえ、ヒイロ! ヒイロ!」
頭の上でオルンが、毛を引っ張りながら喋る。
「お前はいつまでそこに乗ってる? さっさと降りろ赤いの」
「やっ! ここはオルンの特等席だもん! 特等席だもん!」
相変わらず、二回繰り返す鬱陶しい喋り方だが、頬を膨らませる仕草はとても可愛らしい。
「はぁ……それで? 何か言いたいことでもあるのか?」
「うん! 挨拶って何? 挨拶って何?」
どこか行くの? 的な表情で尋ねてくるオルン。
「まあ、ちょっとバカどもを潰しに行くだけだ」
「へぇ~。すごいんだね、すごいんだね」
どう凄いのかオルンのニュアンスからは理解できないが、彼女は瞳をキラキラさせて音楽に乗っているかのように身体を左右に揺らしている。
日色は懐から一通の手紙を取り出すと、ホオズキへと渡す。
「む? これは何じゃ?」
「アダムスからの手紙だ」
「おおそうか、これはわざわざすまんのう…………って、アダムスゥゥゥゥゥゥゥッ!?」
ジジイにも関わらず凄まじい大声を張り上げるホオズキ。
「ど、どどどどどどういうことじゃっ!」
「いいからさっさと読め。アンタに渡してくれと奴から頼まれただけだ」
「む……むむぅ…………た、確かにこれはアダムスの字じゃのう」
手紙を見ながらホオズキは信じられないといった面持ちだ。まあ、彼女はすでにこの世を去っているはずなので、手紙があること自体に驚きを得ているのだろう。無理もない。
黙って手紙を読み始めたホオズキは、驚きの表情から一変して、穏やかさを含ませ、そして次第に切なさを見せてくる。
「…………そうか。あやつは《ソロモンの古代迷宮》におったのか」
「残留思念だがな」
「……あやつは笑いながら逝けたんじゃな?」
「少なくともオレにはそう見えたぞ」
「そうか…………そうか」
彼の顔に幾分とホッとする様子が見て取れる。もしかしたら彼とアダムスが最後に会った時は、アダムスの顔は悲しげなものになっていたのかもしれない。だからこそ、彼女が笑って消えていったことに安心しているのか……。
「感謝するぞ。これを届けてくれてのう」
本当に嬉しそうに頬を緩めるホオズキ。彼はアダムスの『契約精霊』だったのだから、思うところがたくさんあるのだろうことは予想できた。
ふと彼から視線をニンニアッホに移すと、彼女はヒメと談話している。ヒメも明日、一緒に塔へと向かうので、別れの挨拶でもしているのだろう。
彼女たちは親友同士らしいので、ニンニアッホは心配そうな表情を浮かべている。
ホオズキが手紙を大事そうに懐へと収めると、視線を日色へと向ける。
「明日、いよいよじゃのう。本当なら儂も行きたいところじゃが、契約者もおらん今ではそれも無理な話。儂らにできることは、この地でお主らの無事を祈るだけじゃ」
「別に祈らなくてもいい。当然、無事に帰ってくるからな」
「ほっほっほ、相変わらずの自信家じゃのう。いや、じゃからこそ、イヴァライデアはお主に希望を託したんじゃろうがのう」
「ヒイロ様、どうかお気をつけて。あなたに何かあれば、オルンも悲しみますから」
ニンニアッホの言葉。彼女の言葉に従って頭に意識を向けると、どうやらオルンは寝てしまっているようだ。完全に安心しきっている顔で。
「あらあら、オルンったら、本当にヒイロ様が好きですね」
「ったく、涎を垂らしてないだろうな」
涎関係はミカヅキだけで十分である。
ニンニアッホが、寝ているオルンをそっと両手で包み、頭から離してくれた。
そしていつの間にか戻ってきていたテンと、ニンニアッホの傍にいるヒメに日色は顔を向ける。
「さて、オレはもう行く。黄ザルとヘビ女は、まだ話があるんだろ? 終わったら戻ってこい」
「ウキキ~! オッケー!」
「ヘビ女って……本当にデリカシーのない男ね」
日色が『転移』の文字を書いて発動させようとした時、ホオズキから一言。
「わざわざありがとうのう。お主は、死ぬんじゃないぞ」
「死ぬわけがない。まだやりたいことがたくさんあるからな」
それだけ答えると、魔法を発動し、ドゥラキンの洋館が見える外へと移動した。
日色はゆっくりと視線を上空へと向ける。
かつてそこには、地球とは比べるべくもないほど巨大な月が存在した。今は金色の塔が浮かんでいる。
(月……か)
ふと月の下で約束した一人の女の子のことを思い浮かべてしまう。最後に会った時、彼女は泣いていた。
感情が豊かで、他人には優しいが自分には厳しい。そして照れる姿が可愛い女の子。
(……イヴェアム)
何だかんだいっても、彼女に救われたこともあった。だから日色は感謝している。彼女が笑い続けられるような世界になってほしいとさえ思う。
しかし最後――彼女は泣いていた。
それは『神人族』のせいで流した涙ではあるが、それでも日色は、そんな彼女は見たくなかったのだ。
何故なら、彼女には笑顔がよく似合っていたから 。
※
――――【魔国・ハーオス】。魔王城。
マリオネは難しい表情で、他の《魔王直属護衛隊》の者たちと顔を突き合わせていた。そこには魔王であるイヴェアムの姿は見当たらない。
「……あれから陛下はどうだ?」
「表面上は変わりはないッスね。魔王としては立派に仕事をしてるッスよ」
マリオネの質問にはテッケイルが答える。しかし誰もが浮かない表情をしたまま。
「だが、侍女たちに聞くと、夜に陛下の自室からすすり泣く声が聞こえるらしい」
オーノウスが悲痛な面持ちで言う。
「無理もないわ~。だって、あんなことがあったんだもの……」
シュブラーズも悲しげだ。
彼らが何の話をしているのか。それは先日、日色を拘束していた件である。
それはもちろん彼らが本心で行った行動ではなく、《塔の命書》に操作された結果なのだが、それでも記憶が残っていることで、彼らの中ではそのことが棘となり心に突き刺さったままなのだ。
日色もまた、操作されていたからだということは理解しているだろう。だからイヴェアムたちに対し怒りなど微塵も覚えていない。それは連絡用魔具で日色と直接コンタクトをとったこともあり証明されている。
しかしそうだとしても、日色を国の敵にしてしまったことが、彼らにとって苦痛以外のなにものでもないのだ。
それでも落ち込んだままだと、民たちを導く側として無責任になってしまう。だからこそ普段通り仕事はしっかりとこなそうと努めているのである。
民たちに広がった日色の噂も、なかなか消すことができずに、日色がイヴェアムの命を狙い世界征服を企んでいるという噂を聞く度に心痛が起こる。
そしてそれが最も強いのは、やはりイヴェアムなのだ。彼女も他の者たちの前では毅然とした態度のまま、魔王として振る舞っているが、夜に一人で泣いているところを多くの者が確認している。
何とか慰めてやりたいとマリオネたちは思うのだが、その話題を出しても、彼女は「大丈夫だから」の一言で終わるのだから、取りつく島もない。
マリオネは首を微かに左右に振りながら口を開く。
「一体どうしたものか……」
「そうッスね……。けど、僕たちにできることは、普段の仕事をしっかりするってことッスよ。情報では明日、ヒイロくんたちは塔へと向かうらしいッス。彼らが無事に帰ってくることを願うだけッスね……」
皆が悔しそうに眉をひそめる。本当は全員が日色の力になりたいのだろう。しかし操作される可能性が高いので、一緒に行くことができないのだ。
シュブラーズが眼を閉じながら、静かに言葉を口にする。
「……陛下を慰められるとしたら……きっとそれは――」




