223:束の間の平和
それは夕日のせいだろうか。彼女の顔が真っ赤に染まる。
不安と緊張で揺らめく紺碧の瞳。それでも真っ直ぐ日色の目を捉えようとしているのが伝わってくる。
いきなりの告白に虚を突かれてポカンとしていると、ボフッと彼女が頭から湯気を出して目を回しだす。
「や、だ、だからねその……す、好きだし、私の好きなものをヒイロにもね、その、知ってほしくて、だから今日…………私は……」
徐々に落ち着きを取り戻し、顔を俯かせる彼女。
「……ミュアが羨ましかったの」
「う、羨ましい?」
「ヒイロに、あんなにも思われていたことが……羨ましくて悔しかった」
恐らく戦争時、ミュアが死んだ時に取り乱した日色のことを言っているのだ。
「私は……いつも一歩遅いの。勇気がない……から。失敗するのが……怖いから。だからこの想いだって……ずっと心の中に閉じ込めておこうって思った」
一体いつから彼女は自分に対してそういう感情を芽生えさせていたのか日色は考えるが見当もつかない。そもそも異性として好かれるような特別なことなどした覚えなどまるでないからだ。
「でも……ね、ミュアがあなたを命がけで守って倒れた時、あなたへの想いを口にした時、彼女の強さと勇気に嫉妬したの」
ミュアに対して彼女が劣等感を持っていたということらしい。
「だから私も……少しくらい勇気を出そうって……でも、どうしたらいいのかずっと考えていて……。そうしたらあなたから今日の話を聞いて」
「この機会に告白……か」
「……うん」
日色はボリボリと頭をかく。正直困惑している。ミュアやミミルからは分かり易い告白は受けている。彼女たちのことも好きなのは確かだ。まあ、それがハッキリとした恋愛感情なのかは別にして、告白されたこと自体は嫌ではない。
「……あのな、俺が異世界から来たのは知ってるだろ?」
「う、うん」
「その世界じゃ、オレは他人との繋がりを拒否して、なるべく一人でいようとした。何故だか分かるか?」
「一人が好きだからじゃないの?」
「それもある。けど、一番の理由は、親しい存在を持ちたくなかったからだ」
「……どうして?」
「……両親が死んだ時、ホントに苦しかった。辛かった。悲しかった」
「ヒイロ……」
「何故辛いか、何故悲しいか……それはきっとその存在が自分にとって大切だから。失いたくないほど、大切な存在だから失った時、あれだけ苦しかったんだ。だからオレは、もうそんな思いはしたくなかった。親しい奴らを持たなければ、たとえそいつらがオレの前から去るようなことになっても、別に苦しくはない。そんなふうに思ってたんだ」
「……そうだったんだ」
「まあ、一人が好きってのも大きい理由ではあるがな」
「でもそれなら、ミュアが死んだ時、もうこれ以上仲間たちと接するのを止めようとか思わなかったの?」
「……思ったさ。いや、それよりも自分を呪ったよ。だから言っただろって、もう一人の自分が嘲笑っていた気がする。大切に想う存在を作れば、いつかこうなることは分かってたはずだろってな。すべてはお前の信念の甘さが招いたことだって」
もしもう一人の自分が言ったように、ミュアがそれほど大切な存在でなかったとしたっら、あれほどまでに辛い想いをしなくても済んだはず。暴走などもしなかっただろう。
「けどな、そんな考えは間違ってるって教えてくれた奴がいた」
「え? だ、誰?」
「お前だよ……イヴェアム」
「わ、私!?」
「そうだ。まあ、厳密に言うとお前だけじゃないがな。あの時、イヴァライデアに刻まれた『絆』の文字が発動した時に、今まで出会った奴らの顔が思い浮かんだ」
日色は自分の右手の甲を見る。今はそこには何もないが、戦争時には確かにそこにはイヴァライデアによって『絆』の文字が書かれてあった。
「そいつらが、オレに向かって手を伸ばしていた。暗闇の中で蹲っているオレを、救い出してくれた。そのきっかけを作ってくれたのはお前だ。お前が死ぬかもしれない状況なのに、オレの前に出てきてオレを止めてくれた」
ミュアの死によって何もかもを壊したくなっていた自分。ただ一色。闇に染まった意識の中で、イヴェアムの声が自分を取り戻させてくれた。
「だから、こう見えても感謝してるんだぞ」
「あ……う、うん」
「……何で顔を真っ赤にするんだ?」
「だ、だってだって……ま、真正面からそんなこと言われたら……うぅ」
プスプスと頭から煙のようなものを出し顔を紅潮させている。
「オレは、あの時確かに思った。一人じゃなくて良かった……ってな」
そもそも人との繋がりがなかったら、ここまで強くなれなかったかもしれない。たとえ強くなっていたとしても、あの戦争でアヴォロスに負けていただろう。一人では絶対に今の自分はない。ここにこうして穏やか夕日を眺めることはできなかったはずだ。
人との繋がり。それはかつて拒絶していたものだった。だがこの世界に来て、ミュアたちと出会って、いや、いろんな人たちと出会い、旅を通じて新しいものに触れて培った感情。押し殺そうとしていたそれが、いつの間にか大きく膨らんで、自分にとってかけがえのないものへとなっていた。
大切な存在がいなければ、確かに心を惑わされることはないかもしれない。しかし大切な存在は、人にとってやはり必要なものなのだと日色は思えるようになった。
「この世界は、オレに初めてをたくさんくれる。戸惑うことも多いが、それが何とも心地好かったりする。興味深い感情だ」
「ヒイロ……やっぱりヒイロはヒイロね」
「あ?」
「私が初めて会った時からヒイロはヒイロよ」
「そうか? まあ、日本にいた時と比べると大分変わったと思うけどな」
「ううん。確かに前とは違って、ヒイロが変わったところはあるわ。私のことも名前で呼んでくれるようになったし。でもね、ヒイロの根っこの部分は全然変わってないと思うの」
「根っこの部分?」
「うん。だからみんな、ヒイロが好きになるのよ、きっとね」
「……よく分からんが?」
「ふふ、いいの。私がそう思ってるだけだもの」
彼女が何を言いたいのかサッパリだ。
「……まあいい。ところで告白に関することなんだが」
「!? う、うん……」
いきなりの蒸し返しにイヴェアムの表情が緊張に包まれる。
「オレにはまだよく分からないんだ」
「……?」
「いや、だから……異性として人を好きになるっていうことがよく分からないということだ」
「…………今までそういうことってなかったの? 初恋……とか?」
「無かったな。あったのか、お前には?」
「えと……私もヒイロが初めてだけど……も、もう! 言わせないでよ!」
「何をキレてるんだ?」
キレやすい年頃なのだろうか……?
「とにかく、ミュアにもミミルにも言ったんだが、今はお前らの気持ちに応えることはできない」
「そ、そうなん……だ」
「悪いな。とりあえず誰かと付き合ってみるなどという軽いことはしたくない。付き合うのなら、本気で好きになった奴とだ。ただ今は、やるべきことも多いし、そういうことは考えられない」
「……そっか」
明らかに落ち込み苦笑を浮かべる彼女を見て、日色はフッと視線を彼女から切り夕日へと向ける。
「まあ、いつかはオレにもそういう相手ができるかもしれないがな」
「そ、それって、その相手が私っていう可能性もあるのよね!」
「お、おう……か、可能性としてはな。オレだって、見ず知らずな奴と付き合うつもりはないし、付き合うとしたらそいつのことをある程度は知ってるのが普通だろ」
「う、うん! だからまだ完全に振られたわけじゃないってわけよね!」
「……まあそうなるか」
確かに将来的にどうなるかは分からない。イヴェアムのことを好きになることだって可能性としては十分にある。何故なら女性としてはミュアやミミルのような幼女ではない分、一番付き合いやすい人物であることは間違いないだろう。
「分かった! 分かったわ!」
「は?」
「なら覚悟してなさいヒイロ!」
「……?」
「私のことを好きって言わせてあげるんだからっ!」
「…………劇的だな」
「え?」
「そんな劇的なセリフを言われたのは初めてだ。一生忘れそうもない」
「わ、忘れそうもない……そっかぁ……えへへ」
彼女がここまで積極的だとは驚きだったが、やはり好きと言われて嫌という感情が湧かない分、自分もまた少しずつ彼女に惹かれているのかもしれない。
「さて、今日は楽しめたか?」
「え? あ、うん……とっても楽しかったわ」
満面な笑みを見せてくれる。どうやら十分に彼女に償いができたようだ。その分出費も多かった気がするが。
「それじゃ帰るか…………と、その前にだ」
日色はギロリと視線を後方にある林の中へと向ける。
「十秒以内に出てこなければ、爆発させるぞ?」
そう言い『爆発』の文字を書いて林へと向ける。イヴェアムはそんな日色の行為にキョトンとしているが…………。
日色がカウントダウンを始めると――――。
「ちょ、ちょっと待ってくれさヒイロッ!」
「そ、そうよぉ~! 魔法なんてぶつけられたらたまらないわよぉ~!」
林の中から現れた二人にイヴェアムが驚愕の表情で声を張り上げる。
「シュ、シュブラーズッ!? テ、テン殿もっ!?」
そう、まさしく今までスパイ活動を行っていた二人だった。
「やっぱりいたか黄ザルめ、それに――」
「アハハ、ヒイロくんってば怖い顔してるわよぉ」
「ちょっとどういうことよシュブラーズッ! も、もしかして後をつけてきたの!?」
「え~っとぉ~アハハ~、そういうことになるのかしらねぇ~」
「どうせそこの小動物にでもそそのかされたんだろ」
「ち、ちっげえよヒイロ! 今回は二人で決めて尾行しようってことになったんだっての!」
「益々悪いだろそれは」
「本当よ! シュブラーズ! 罰としてしばらくは減俸するからね!」
「ええ~っ! 勘弁してよ陛下ぁ~! 私はただ陛下のことが心配でぇ~!」
「それで本音は?」
「陛下の慌てふためく姿を是非この眼で収めたいなぁって……あ」
日色の質問に素直に答えてしまったシュブラーズ。
「シュブラァァァァァズゥゥゥゥゥ~ッ!」
「ひっ!? へ、陛下の顔怖い~!」
「待ちなさぁいっ!」
「嫌よぉ~!」
シュブラーズが追いかけるイヴェアムから逃げ惑っている。
「いや~、何はともあれ一件落着だよなぁ」
場をしめようとしたテンの頭をガッシリと後ろから掴む日色。
「こら小動物」
「な、何さ……ヒイロ?」
日色はササッと文字を書いて見せつける。
『脱毛』
お仕置きにはちょうどいい文字だろう。
「ちょ、ちょっと待てヒイロ! その文字の意味をできれば教えてほしいような、ほしくないようなっ!?」
「黙れ。反省しろ」
「ウッキィィィィィィィィィィッ!?」
冷たい風が吹く小高い丘の上――悲しき猿の叫びがこだました。
※
「おっふろですぞぉぉぉぉ~っ!」
「ミカヅキだってまけないも~んっ!」
ザッブ~ンとプールかとも思えるような巨大な浴槽にダイブするニッキとミカヅキ。
「こら、ニッキちゃん、ミカヅキちゃん! 飛び込んではいけませんっ!」
彼女たちに注意をするのはランコニスである。
「そうよニッキ。乙女たるもの、優雅に入浴すべきよ」
静かに湯に浸かるのは人間化しているヒメである。
「ふぅ、気持ち良いわねぇ。ランコニスも早く入りましょう」
「あ、はい」
ここは魔王城に存在する魔王専用の入浴場なのだが、イヴェアムは独り占めをするような人物ではなく、こうして仲間たちに使用を許可しているのだ。
根っからの母親気質なのか、いまだに湯の中で騒いでいるニッキたちにランコニスは注意をしている。
「あの子も大変ね」
本来なら契約者のヒメがニッキを止めないといけないのだが、面倒そうに目を閉じて湯を堪能している。
その時、もう先に湯に浸かっていたリリィンと目が合う。
「む? 何だ?」
「……フッ、別に」
「キ、貴様今どこを見て笑ったっ!」
「ふぇぇぇぇっ!? い、いきなり立ち上がると丸見えですよお嬢様ぁぁぁっ!」
リリィンの近くにいたシャモエがリリィンの前を隠そうとしている。
「別に笑ってないわよ。貴方のその貧相な身体に興味もないし」
「うぐぐぐぐ……コイツ……永遠に覚めぬ悪夢に閉じ込めてやろうか?」
「あら? 私は精霊よ? できるものならやってみれば?」
両者の間で散る火花にシャモエはどうしたらいいのか分からずパニック状態である。
「一体何を騒いでいるのかしらぁ?」
そこへある部分をプルンプルン揺らせて登場する人物がいた。シュブラーズだ。ヒメは彼女の豊満過ぎるボディと自分のボディを比べて頬を引き攣らせる。
一緒に入ってきたイヴェアムとイオニス、それに新しく隊長に就任したジュリンも身体にタオルを巻いて、できるだけシュブラーズに近づこうとはしていない。比較されるのが嫌なのだろう。
「そ、そういえば……」
発言したヒメだけでなく、リリィンたちも混乱中のシャモエに同時に視線を向ける。
「ふぇ? あ、あの……な、ななな何でしょうか?」
全員の視線を釘付けにしているのはシャモエの胸部である。殺人級の大きさは、シュブラーズとタメを張る。
「シャモエちゃんはおおきいね~」
「むむむ! 師匠も大きい方が喜ぶですかな?」
ニッキの言葉で、真っ先に反応したのはイヴェアム、リリィン、ランコニス、イオニスである。それぞれが自分の胸に視線を落とし、そしてシャモエと比べて溜め息を漏らす。
正直に言って、イヴェアムとランコニスは平均程度はあるとは思うが、比べる相手が相手なものだから意気消沈してしまっている。
そこへペタペタと我関せずといった感じで入浴場へ入ってきた者がいた。歩く度にシュブラーズと同等に胸部を揺らせる存在――ウィンカァ・ジオである。
「ん……何か用?」
いつもと同じ無機質な表情のまま首を傾げる。まだ十五歳の彼女だが、育ちに育ち切った抜群のスタイルを備えているのだ。本人は一欠けらもそれを自慢しようとはしないが。
そんな彼女を見て、イヴェアムたちの自信が打ち砕かれていく。
「ええい! このような脂肪が何の役に立つというのだ! 女としての魅力は決してこのような脂肪だけではあるまい!」
「ふぇぇぇぇっ!? お嬢様、揉まないでくださいですぅぅぅぅっ!」
しかしリリィンは八つ当たりするかのように、シャモエの胸を揉みしだく。グニュングニュンといろんな形に歪む胸を見た貧乳派に属する者たちはゴクリと喉を鳴らす。そして再び自分のそれと比べると肩を落とす。
「おお~! ウイ殿! 一緒に泳ぐですぞ!」
「およぐおよぐ~!」
「ん……ウイは速いよ? とう!」
ニッキたちと同じように飛び込み泳ぎ出すウィンカァに対し、またもやオカンパワー全開のランコニスが三人を注意しだす。
「あらあら、みんな元気いっぱいねぇ~」
シュブラーズは楽しげに笑みを浮かべているが、こんなカオスな状況で笑っていられるのは彼女くらいのものだろう。
※
その頃、日色もまた魔王城の入浴場に入り身体の疲れを取っていた。魔王専用の浴場と比べると小さいが、それでも日色たちが来て改築したようでそれなりの広さを見せている。しかもだ……。
「向こうは何を騒いでんだかな……」
実は隣同士に作られているのだから驚きだ。魔王専用が隣にあっていいのかという疑問は浮かぶが。
「さあヒイロ様! この壁の向こうには理想郷がありますぞ!」
物凄い良い笑顔で鼻血を垂らし、壁を指差す変態がいた。
「勝手に行けばいいだろ。それで殺されてこい。そうすれば世界は少し平和になる」
「ノフォフォフォフォ! これは手厳しいィィッ! 手厳しいですぞヒイロ様! 男たるもの、女性の入浴シーンを覗くのは当然の義務! いや、神からもたらされたプレゼンツッ! いいえ! 覗かないなど、逆に婦女子の方々に失礼というのものでございます! さあ、いざ行かん! わが楽園へ!」
例の如く、壁の上の方には少し開いている。まるで昔の銭湯みたいな造りであるが、シウバはそんな壁をゴキブリのように登っていく。とても気色が悪い。
「むほむほむほっ! さあ、ヒイロ様! 今ならまだ間に合いますぞっ! それとも先にわたくしがご確認をした方がよろしいでございますか?」
「勝手にしろ。それよりも前を見た方がいいぞ」
「ノフォ? 前……ですかな?」
シウバが顔を正面に戻すと、そこには怒りに顔色を染めた般若オーラを纏ったリリィンの顔があった。彼女を見たシウバは、まるで自分の死期を悟ったかのような儚げに笑みを浮かべ、穏やかな口調でこう言った。
「…………痛くしないでね」
「黄泉の国へ向かうがいいっ!」
「へぶんすぅっ!?」
どこにあったのか、鉄でできた桶を顔に投げつけられ真っ逆さまに落ち沈黙した顔の潰れたナニカ。
「ヒ、ヒイロ兄……か、かかか顔がつぶれてるよぉ~」
「ああ、女湯を覗けたんだ。奴も満足して逝けただろ」
実際は覗く前にリリィンに顔を潰されたのだが、日色にとってはどうでもいい。しかしシウバのあまりにも残酷な様子にレンタンは怯えてしまっているが。
「あっちゃ~、シウバさん撃沈ッスか~。まあ、ここに住んでる女性陣はみ~んな強いッスからねぇ」
テッケイルが愉快気に笑っている。他にもマリオネやオーノウス、ラッシュバルもいるのだからそうそうたる面子だ。
「けどまァ、ヒイロに覗いてほしいって思ってる女の子はいるかもなぁ」
「はぁ? そんな痴女がいるのか、脱毛猿?」
「それを言わないでぇぇぇっ!」
今、日色の精霊であるテンは、その美しかった黄色い毛並みは失われ、ツルッツルになっている。イヴェアムとのデートを尾行したお仕置きとして、日色から『脱毛』の文字を使われこうなったのだ。
「うぅ……本当なら俺に魔法なんて効かないのにィ……絶対魔法はズルいさぁ~……」
「自業自得だ。当分それでいるんだな。そのうち生えてくるだろ」
「くっそぉぉ~っ! ぐれてやるぅぅぅっ!」
走り去るテンだが、ツルッと滑って頭を打ちのたうちまわっている。一体奴は何がしたいのだろうか……?
その時、ふと視線を感じた。
「……何か言いたいことがあるなら言えばどうだ? 新隊長さん?」
見ていたのは先日、“魔軍隊長決定戦”で、圧倒的実力で隊長の座を獲得したレッカ・クリムゾンだ。
「い、いえっ! す、すすすすすみませんですぅっ!」
慌てて湯から立ち上がり頭を下げる。
「いや、そこまで謝らなくてもいいが……」
「み、みみみ見ていたのは、その……ヒイロ様に……きょ、興味がありまして」
「言っとくがオレは男には興味ないぞ? ノーマルだ」
「じ、自分もですっ! そ、そういう意味ではなくてですね」
「だったら何だ? 話したいことがあれば話せばいいだろ」
実は彼が隊長に就いてからも、何度か彼の視線を感じていた。別に敵意とか害意を感じるようなものではなかったので今までスルーしていたのだ。
「じ、実はその! お、お願いがありますですっ! オスッ!」
「お、お願い……だと?」
「はいです! そ、その……ヒ、ヒイロ様のことをですね――――――ち、父上とお呼びしてもよろしいですかっ!?」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?
想像を超えた願いに思わずここが夢の中なのではという錯覚すら覚えてしまう。周りにいる者たちも完全に虚を突かれた感じで固まっている。
「ど、どどどどどうでしょうかっ!?」
「ど、どうでしょうかと言われてもな…………普通に考えて嫌だぞ」
するとガーンとショックを受けたように崩れ落ちるレッカ。
「何故それほどショックを受けてるのか知らんが、考えてもみろ。オレはまだ子供なんてできたこともないし、そもそもお前とオレはあの時初めて会ったんだぞ?」
あの時とはもちろん決定戦の時だ。
「そ、それはそうですが……ですが……ですが自分は……」
下唇を噛んで何かを言いたいが言えないといった様子を見せつけてくる。
(最初から変な奴だったが、一体コイツは――?)
※
「何か向こうも騒がしいわね、男どもは何をやっているのかしら?」
湯に浸かりながら不愉快気に男湯がある壁の方を睨みつけるヒメ。
「フン、大方またあの変態執事が何かしているのだろう。ちっ、どうやったら死ぬのだアイツは」
「シウバ様……大丈夫でしょうか……」
「放っておけシャモエ。毎回毎回自業自得だ」
「ねえねえ、シャモエちゃん、そんなことよりいっしょににおよごうよ」
「あ、引っ張らないで下さいミカヅキちゃん~!」
「ボクも泳ぎは負けないですぞ!」
「コラー! だからやめなさいって言っているじゃないですか!」
「わ~ランコちゃんがきたー!」
「逃げるですぞぉ!」
「待ちなさ~い!」
ランコニスも大変そうだ。そんな彼女たちを微笑ましそうに眺めていたイヴェアムにそっと近づくのがシュブラーズ。だけでなく、彼女は新隊長に就任したジュリンも連れてきていた。
「陛下ぁ、ちょっといいかしらぁ」
「え? うん、どうしたの?」
「新しく仲間に入ったこの子とも親睦を深めようと思ってねぇ」
「ええ、いいわよ。私も決定戦からあまり会話できなかったから」
「こ、光栄です! で、でもホントにいいんですか? アタイが、こんな場に一緒にいて」
「あら、いいわよぉ。あなたも国を支える一人だものぉ。ねえ、陛下」
「その通りよ。この機にみんなと仲良くすればいいと思うわ」
「わ、分かりました」
まだ緊張が解けていないジュリンから初々しさを感じ取ったのかイヴェアムは微笑んでいるが、シュブラーズはジッと彼女を見つめて、
「それにしても、ジュリンもスタイルいいわよねぇ。男が放っておかないわよ、その胸」
「え、ええ!?」
突然ジュリンに向けてセクハラ発言をしだした。
「そ・れ・と・も、もしかしてもう男がいるとかぁ?」
「え、えええええっ!? な、ないですよ! ア、アタイみたいな無骨な女なんてモテるわけないし……」
シュブラーズには劣るが、イヴェアムよりは確実に大きい胸を恥ずかしげに隠しながら頬を染める姿は恐らく男はクラリといってしまうだろう。
「むぅ……やっぱり胸が大きい方が良いのかしら……」
「あら、それってもしかしてヒイロくんのことぉ?」
「なっ!?」
「告白までしちゃってぇ、陛下が一歩リードかもねぇ」
「な、なななな何だとぉぉっ! おい魔王! いいいい今、こ、こ、告白したと聞いたが、だ、誰にだ!?」
突如として話しに参加してきたリリィン。シュブラーズの言葉を聞いた者たちは一様に彼女に注視する。
「ちょ、ちょっとシュブラーズ! こんなところで何を言うのよ!」
「いいじゃな~い。ここにいるほとんどの人は、ヒイロくんのこと好きなんですものぉ。そうでしょぉ~?」
だがシュブラーズの目線から、ほとんどの者が目を逸らす。恥ずかしそうに。
「はいですぞ! ボクが一番師匠のことが大好きなのですぞ!」
「ちがうも~ん! ミカヅキだもん! ニッキなんてミカヅキのこれっくらいしかスキじゃないもん!」
ミカヅキが手で豆を掴むかのような仕草をする。
「むむむ! そんなことないですぞ! ボクの師匠への愛はこ~んなにおっきいですぞ!」
「ミカヅキだってもっとも~っと、こ~んなにおっきいも~ん!」
「ボクの方が大きいですぞ!」
「ミカヅキだもん!」
二人の幼女の言い合いを見つめて、他の者たちは嘆息する。
「あの子たちは正直でいいわねぇ~。陛下も負けてられないわよぉ」
「ちょっ……ま、負けてないわよ別に」
「あらぁ! 今の聞いたみんなぁ! とうとう陛下が素直になったわぁ~。聞いてたぁ、ヒイロく~ん!」
「あっ、待ってよシュブラーズ! さすがに恥ずかしいからもう止めてぇっ!」
「ええい! どいつもこいつもワタシのしもべたるヒイロに手を出しおってぇぇ……」
リリィンが悔しげに歯噛みしている傍でシャモエはオロオロとどうすればいいのか戸惑っている。また他の者たちも、イヴェアムがヒイロに告白したという話を聞いて、心中穏やかでない者も出てきていることだろう。
イオニスも何かを考え込むように目を伏せているし、ランコニスは騒がしくしているニッキたちを注意しないまま、これまた考え込んでいる。
まあ、この中で唯一入浴を堪能している者がいるとしたらそれはウィンカァだろう。何も気にしていない様子で、ゴシゴシとハネマルの身体と自分の身体を洗っている。
「まったく、どこがいいのかしらね、あんな鈍感眼鏡」
ヒメは口を尖らせながら、カオスな状況に辟易している模様。
「うぅ……アタイ、このノリについていけるかな……?」
新隊長ジュリンは一人、先行きに不安を覚えているようだった。
※
風呂から出た日色は、入浴時のことを考えながら城を歩いていた。
当然気になるのはレッカ・クリムゾンのことである。突然の父上と呼ばせて下さい発言。何の脈絡があってそのようなことをレッカが言ったのか、いくら考えても分からない。
ニッキのように弟子にしてほしいと言うのならまだ分かる。あのエキシビジョンマッチにおいて、日色の強さを感じ取り慕いたいというのなら不思議ではない。
しかし父上と呼ばせて下さいというのは衝撃だった。あの後、すぐにレッカは謝罪をして風呂から出て行った。何とも微妙な空気が場を支配したので、さっさと身体を洗って風呂から出たのだ。
「とりあえず、アイツに聞いてみるか」
日色はある人物に会うために、その者が住む部屋へと向かった。前にも来たことがあるので、迷うことはない。
扉の前に立つと、ノックをする前に開いた。
「やはりヒイロか、入れ」
気配で日色だと気づいたのか、扉の奥から顔を見せたアクウィナスの感知能力に溜め息一つ漏らしてから部屋へと入る。
「今日は星が綺麗だ。テラスへ出よう」
アクウィナスがワインボトルを手に持つと、二つのグラスも用意してテラスへと向かう。前にもこうやって二人で酒を酌み交わしたことがあったのを思い出す。
「そういえば、あの時の酒はなかなか飲み易かったな」
「安心しろ。これもあの時の酒と比べても見劣りはせんぞ」
「ほう、それは楽しみだ」
テラスにあるテーブルに着き、アクウィナスがグラスにワインを注いでくれる。
「珍しい色だな。水色をしているぞ?」
「ああ、これは《スカイブルー》というワインだ。アルコールもほどよく、とても飲みやすい」
「なるほどな」
まず香りが素晴らしい。日色はワインの良さなど知らないが、いつまでも嗅いでいたいと思わされる清涼さを感じる。
一口喉へ流し込むと、確かに前回堪能した酒と比べても飲みやすさは劣っていなかった。正直美味い。酒は得意ではない日色だが、これなら何杯でもいけそうだ。
「美味いな。さすがはアクウィナスだ。城内でもワイン通として通っているだけはある」
「はは、酒豪のマリオネには負けるやも知れぬがな」
マリオネの酒の趣味は幅広くて、アルコール度数の強いものが好きらしいので、日色とは合わない。
「ところで、こんな夜に何か用か?」
「ああ。お前に調べてほしいと言った件についてだ」
「……レッカ・クリムゾンか?」
「そうだ」
実は決定戦が終わった後、アクウィナスに彼への調査依頼をしておいた。《ステータス》も視ることができない彼が、自分たちに害悪となる可能性があるかもしれないので、真っ先に動いておいたというわけだ。
「そうだな。俺の部下に身辺を調査させたが、分かったことはあまりにも少ない」
「聞かせてくれ」
アクウィナスがワインを一口飲むと、静かに口を開く。
「まず、奴の出生は不明だ。種族は『リュシオル族』に似ているが……定かではない」
「『リュシオル族』っていうと、魔界の西北地域に生息する種族だな。確か奴らは絶滅危惧種だろ?」
「ああ、もう数人程度しかいないという噂だな」
「その種族に似ているというわけか」
「外見上の特徴としては……だ。彼らには二本の触覚があるが、レッカという少年にも小さいが確かにそれがあるのを確認している」
「そういえば……」
風呂に入った時に、確かにレッカの頭の中に小さい触角のようなものが二本あったような気がする。
「あとは彼が今までどのようにして生きてきたのか……だが、まだ調査中だ」
「おいおい、それじゃ分かってることって種族だけか? しかも確定じゃないし」
「だから言っただろう、少ないと」
それにしても少な過ぎだ。まあ、まだ調査依頼してそれほど経っていないので仕方ないとは思うが。
「それより、急に彼のことを聞きにきて、何かあったのか?」
「…………オレはアイツの父親じゃないよな?」
「…………は?」
日色の突然の質問に当然の如く呆けた様子を見せるアクウィナス。
「……父親とはどういうことだ?」
「実はさっきな……」
風呂場でレッカに父上と呼んでもいいか尋ねられたことを教える。
「なるほど。つまりヒイロは、いつの間にか父になっていたということか」
「冗談言うな。そんなわけがないだろ。大体オレはこの世界に来てまだ一年半ほどだ。あんなにデカい息子がいるわけがない」
「それもそうだな。しかしそれなら妙な話だな。無論元の世界でもあの子との面識はなかったのだろう?」
「ああ、そのはずだ。少なくともオレの記憶にはない」
「ふむ。レッカという名前にも?」
「聞き覚えはない」
「なら益々不可思議な少年だ。何故ヒイロを父としたいのか尋ねたのか?」
「尋ねる前に消えやがったからな」
「とりあえず本人に直接聞くしかないのではないか? こちらもいろいろ調査してはいるが、お前だってあの子を心から怪しいとは思っていないのだろう?」
「……それはそうだがな」
実は彼の言う通りなのだ。レッカの《ステータス》が見えないのは《不明の領域者》か、あるいは『神人族』の関係者かと最初は疑っていたが、レッカと手合せをして、彼が害意ある者にはとても思えなかった。
突き出す拳からは真っ直ぐな想い、日色を見る目は純粋で輝きのある光を放っていた。戦っている最中、レッカはただ純粋に日色との戦いを楽しんでいた。
まるでそう……それこそ、子供が父親を捕まえようと必死な様子を見てとることができた。だからこそ、レッカが『神人族』の関係者ではないと本能で悟ったのだ。
「だがそれはオレの感覚であって、真実じゃない。確かにアイツには邪気が無い。それは認める。しかしあの歳で異常なまでの強さもそうだが、出生が明らかじゃないってことは十分に怪しいぞ」
「ヒイロの言うことも尤もだな。だが俺もあの少年が悪人だとはとても思えんが?」
「用心するにこしたことはないだろ? 父上と呼ばせてほしいってわけの分からないことまで言うんだ。正気じゃないぞ」
「フフ、いかにもお前らしい見解だが……案外本当にお前の子供っていう線も」
「ない」
「……そうか。ではこれからどうする?」
「とにかく調査は続けてくれ。何か分かったら知らせてほしい。それに何となくだが、もうすぐ何かが起こりそうな予感がする」
「…………金色の塔」
二人して空に浮かぶ【ヤレアッハの塔】を見つめる。
「できれば以前話したドゥラキンの結界へ全員を連れていければ安全なんだがな」
「……まず無理……だろうな。数が多過ぎる。それにお前が守りたいのはこの国だけではあるまい」
そうだ。日色が守りたいのは……守りたい人がいるのはここだけではない。それに結界の中にいたとしても根本的な解決にはならない。
「さっさとあの塔に行って、バカどもをぶっ潰せさえできれば、平和に過ごせるんだがな」
「それに関しては、動いてもらっているのだろう?」
「ああ、チビウサギたちに頼んでる。間に合えばいいんだがな……」
もし『神人族』が先手を打ってきたらと思うと胸がざわつく。しかし現時点でできることはやっている。あとは時間との勝負でもあるのだ。
その時、ボンッと目の前にテンが出現した。
「おいヒイロ、戻ったらしいさ」
「……! …………そうか」
彼の一言で把握した。
「どういうことだヒイロ? 何が戻ったのだ? それにテン、その寒そうな姿はどうした?」
「うぅ……聞かないでくれよぉ~」
脱毛猿になっているので、初めて見るアクウィナスにとっては驚きだろう。
「【フェアリーガーデン】、そして【スピリットフォレスト】が、かつてあった場所へと戻ったんだな?」
「お、おうよ。間違いねえさ」
「ヒイロ、以前に言っていたアダムスによって海底に飛ばされた両エリアが、元の【グレン峡谷】へと戻ったということか?」
「ああ、精霊王も近々戻るって言ってたが、結構早かったな」
「じっちゃんはさっそくドゥラキンとコンタクト取るって言ってたさ」
「分かった。お前も一緒に行って話を聞いてこい。何かあれば知らせろ」
「任せろぃ!」
そう言ってテンがその場から消えた。
「妖精と精霊の国がそれぞれがあるべき場所に収まったということだな……」
「ああ、つまりはアダムスの力が完全に消えたってことだ。それも恐らくは――」
日色は言いながら金色の塔を睨みつける。
「イヴァライデアの加護も弱まっているということだ」
もし彼女が健在で十分に力が発揮できている状況ならば、顕現しているアダムスの力を増幅させることも容易いだろう。少なくとも、『神人族』の問題が片付くまで、《不明の領域者》の因子を持つ『精霊族』を、海に避難させておいたはずだ。
それができないということは――――――。
「塔で何かあったか?」
頭の中に浮かぶは、神王と名乗る一人の人物のこと。イヴァライデアによって封じられていた存在。
「神王が復活した……か?」
「さあな。だがそういえば、どことなく数日前と塔の雰囲気が違うような気がする」
日色は目を凝らして見つめるが詳細は分からない。
「どうやら悠長に構えていられる時間もそれほどないようだぞ」
「そのようだな。さっそく陛下を交えて会議を行おう。夜だが、そのようなことを言っている場合ではないようだしな」
「ああ、オレは【パシオン】に行って、レオウードに知らせてくる」
「そうだな。ジュドムにも伝えておいた方がいいだろう。頼めるか?」
「面倒だが仕方ないな。オレとしても、衝撃王が『神人族』に操られるのはゴメンだしな」
敵対するには厄介過ぎる存在だ。その前に注意を向けてもらい、できればドゥラキンの結界内で大人しくしていてもらいたい。
(まだ完全に人を操れる力はないようだが、神王とやらがイヴァライデアの力を取り込んだらそれも可能になる。その前に《塔の命書》から逃れられる場所に主要な奴らだけでも移動させないとな)
もし《イデア戦争》に参加した強者たちが一斉に日色の敵に回るようなことがあれば、さすがに生き残るのは難しい。
日色にとってはもう、彼らを殺して自分が生き残るような道を選びにくくなっているのだ。
「とりあえず後は頼むぞ、アクウィナス」
「了解した」
日色は『転移』の文字を使い【獣王国・パシオン】へ飛んだ。
しかしその頃、闇夜に乗じてある集団が獣人界に入り、【パシオン】へと向かっていた。
※
――――【ヤレアッハの塔】。
塔の最上部に位置する場所には三つの部屋が存在する。その一つが神王が佇む部屋。一つがイヴァライデアが封印されている《イヴダムの小部屋》。そしてもう一つの部屋に、ペビンとハーブリードが立っていた。
部屋の中には幾つもの引き出しが存在する巨大な箪笥が立ち並んでいる。
「う~ん、まだこのペンも書けないようですね」
一つの引き出しを開けて、中に入っている羽ペンを手に取り観察するペビン。
「まだイヴァライデアの力が残っているということだね。ペンが書けない以上は、《塔の命書》に書き込むことはできないな」
「往生際が悪いですよね、彼女」
「自分の子供らを守るのに必死というわけだよ」
「それももうすぐ終わりますね。とりあえず、例の男は動かしているんですよね?」
「ああ、転移魔法陣が復活したらすぐに動けと命じておいた。今頃はもう獣人界に入っているだろうな」
「しかしそう簡単に行きますか? 相手には《不明の領域者》の因子を持つ者が存在します」
「クク、だからこそ俺たちはこの部屋にいるんだ。そして――」
テーブルの上に広げてある何冊もの本。これは《塔の命書》。その一冊を手に取るハーブリード。
「ペンが書けるようになれば、すでに決まったも同然。因子を持たない奴を動かして場を支配してやればいい。なぁに、王が動けば民も動くというものだ」
その《塔の命書》を開いたページには名前が書かれてある。
――――――レオウード・キング、と。




