206:日色 VS アヴォロス
ミュアが後ろから抱きついてくる。日色はジッとアヴォロスを睨みつけながら視線を外しはしない。
「ヒイロさん……ヒイロさん……良かったよぉ……」
日色は腰に感じる温もりに、何故かホッとするものを感じる。彼女の声を直に聞いて、戻ってこれたのだと肌で感じることができたのだ。
気づくとミュアの頭の上に手を乗せてしまっている。
「……ヒイロさん?」
「礼を言っておく。向こうに戻ったオレに、よく声をかけてくれた。……ありがとうな」
「……ヒイロさん……はい」
ミュアは僅かに頬を赤く染め上げて嬉しそうに返事をする。日色はチラリとアノールドの様子を見る。素早く『完治』の文字を書いてアノールドに向けて放つ。
「オッサンを連れてここから離れろ」
「あ、はい! その……ありがとうございますヒイロさん」
礼を言う彼女の腰に視線を向けると、そこには《絶刀・ザンゲキ》が携帯されてある。
「お前が持っててくれたんだな」
「あ、はい!」
ミュアも日色の視線に気づき、刀を手渡してくれた。日色は鞘から刀を抜くと、
「そろそろ起きろ、黄ザル」
すると刀身が淡く光り輝き、そこから小さなテンが出現する。
「んお……? お、おお!? ヒイロじゃねえか!? ようやく戻ってきたんだなっ!」
「そんなことより、準備はいいな?」
「おおさ! ガッツリ寝て体力満タンだぜ!」
その瞬間、日色は上空から殺気を感じて、即座にその殺気に対して刀を向ける。バチィィィッと、青白い粒子が周囲に舞う。日色が防いだのは、魔力でできた刃状の物体だった。
「落ち着きがないな……テンプレ魔王?」
「ヒイロォ……何故ここにいる?」
アヴォロスの動揺ぶりが手に取るように分かり、日色は思わずほくそ笑んでしまう。
「……チビ、さっさとオッサンを連れて行け」
「わ、分かりましたっ! ヒイロさんも気をつけて下さい!」
日色の魔法のお蔭で傷を完治させたアノールドだが、まだ目を覚ましてはいない。ミュアは彼の身体を掴むと、ゆっくりとその場から離れようとする。そこへニッキたちも「師匠ぉぉぉぉっ!」と叫びながら近づいてくる。
「バカ弟子、お前らもここから離れろ。チビを手伝ってやれ」
「え……でもボクは師匠と一緒に!」
「いいから言うことを聞け」
背中越しにニッキに淡々と物を言うと、ニッキはシュンとなる。彼女の傍にいるヒメが不機嫌そうに日色を睨んでくる。
「まったく、皆を心配させておいて、その言い草はないのではなくて?」
「ヘビ女か、そういう状況でもないだろ。さっさとそいつらを連れて下がれ。話は全てが終わったあとだ」
「……分かったわよ。行くわよニッキ、カミュ」
ヒメに促され、ミュアを手伝いながらカミュがその場を離れていく。しかしニッキだけは、お預けを受けた子犬のようにジッと日色を見つめている。
「……師匠」
「…………バカ弟子、強くなったようだな」
「……は、はいですぞ!」
「なら、その力で周りの者を守れ。頼りにするぞ」
「は、は、はいですぞっ!」
単純なニッキ。日色の言葉で破顔し、ヒメとともにやる気を出してミュアたちのところへ戻った。
日色は刀から眩い光を放ち、アヴォロスの魔力を弾き飛ばす。
「残念だったな、お前の企みは…………占い師が砕いた」
「占い師……だと? ……っ!? そうか……あの時あの場にいたランコニスを使ったのか!?」
アヴォロスもまた送還の魔法陣の傍にいたランコニスには気づいていた。しかし取るに足りないことだと断じて考えることはなかった。
だからこそ、ランコニスの力を使ってマルキス――いや、アリシャが魔法陣に飛び込んだことに気づけなかったのだ。
「……まさか奴は……送還を使ったのか?」
「……そうだ」
「バカなことを……そんなことをすれば己の命が尽きると知っておるはずだ」
「それでも奴は使った。この世界に……オレを戻すためにな」
その時、別の場所にも光の柱が天から大地を突き刺し、中から大志と千佳が出現。その現象に、彼の仲間であるしのぶと朱里が笑顔で駆けつける。
「……あの者たちもか……全く以て理解できぬな」
「それは同意するが、アイツらが自分で選んだ選択だ」
「くっ……やはり貴様はイレギュラーよ。こちらの思惑を悉く裏切ってくる」
忌々しげに魔神の頭の上から見下ろしてくるアヴォロス。そしてその遥か上にも、信じられないという面持ちで日色を睨みつけている存在がいる。
それは優花の生み出した水溜まりの上に立っているペビンである。
「まさか……シナリオが崩れた? ……いや、彼女か……だが彼女は今動けないはず……なら何故……」
妙なことを呟くペビンに、優花は不審さを感じているようで、警戒するような目つきで彼を見つめている。
ペビンと同じ高さにいたイヴェアムも、アクウィナスとともに、日色の存在に驚愕して瞬きを失っている――が、すぐにアクウィナスがフッと笑みを零すと、
「行って来い、陛下」
「……アクウィナス……うん」
アクウィナスは、彼女の腕から離れて、自らの翼で浮く。そしてイヴェアムは脇目も振らずに日色に向けて落下してくる。
「……む?」
日色もまた自分に向けて滑空してくる存在であるイヴェアムに気づく。このままでは突撃されると思ったのでその場から少し離れようとするが、右足に違和感を覚える。何故かテンが、足を掴んでそこから動けないようにしていた。
「ダメさヒイロ、乙女の抱擁は逃げずに受け止めるのが男だぜ?」
「はあ?」
テンのせいで動けない日色を、イヴェアムが抱きしめた。
「うぐっ!?」
結構な衝撃に呻き声が漏れた。彼女の腕が顎に当たり痛みが走る。
「おいこら! 離せ魔王!」
力一杯抱きついてきているせいで苦しさを覚える。だからその腕から解放されたくて引き剥がそうとするが、彼女の身体が小刻みに震えていることに気づき、ピタリと止めてしまう。
「良かった……信じてた……信じてたんだからぁ」
「…………」
「ヒイロ……本当に良かった……」
「礼なら占い師に言え。もっとも、礼を言えるのは、あの世に行ってからだろうがな」
その言葉で今度はイヴェアムが動きを止めて、ゆっくり身体を離す。そしてアリシャからもらったネックレスについているタグを見る。その中央にハマっていた紅玉が、いつの間にか綺麗に消失していた。
「……そっか。彼女がヒイロを助けてくれたのね」
「ああ、奴の命を背負うことになったがな」
「……そっか……そっか」
彼女も思うことがあるのか、タグを握り締めて涙を一滴流してから「ありがとう」と言葉を出していた。
そして閉じていた瞼を静かに開けると、ニコッと笑みを浮かべる。
「……お帰りなさい、ヒイロ」
彼女のその微笑みは、とても美しく、心を掴まれるような魅力を備えていた。日色はアリシャの言葉を思い出す。
『それと最後に――――――あなたを慕う者たちを守って』
何故こんなにも自分との再会を喜んでくれるのか理解しがたいが、日色はアリシャの命を背負うと決めた時から、もうあんなことを経験したくないと改めて強く思った。
自分のために泣いてくれる人たち。彼女たちが、もしまたアリシャのように日色の命を救うために、自らの命を犠牲にしようとするなら、それは絶対にさせない。
そんなことになるなら、その危険の芽を全力で潰そうと決断した。
日色はイヴェアムに向かって「離れてろ」と一言告げると、前方に数歩歩いてイヴェアムから距離を取る。
「……もう、お前の好きにはさせないぞ」
「ヒイロォ……ククク、そうか、結局貴様とは全てを出し尽くして滅ぼさなければならないようだな!」
「やれるものならやってみろ。今のオレは、かなり強いぞ」
日色は刀の柄をギュッと力強く握りしめて「宿れ、黄ザル」と呟く。
「あいよ!」
刀身が眩い光を纏っていく。そのまま刀身を自らの胸に突き刺す。
「天下に輝け――――――――――――セイテンタイセイ」
再び光の柱が、今度は日色から天を衝くように伸びていく。
中から現れたのは《合醒》を行って、《斉天大聖モード》になった日色だった。
「ここでお前を潰す」
「いや、貴様を潰すのは余の方だ」
互いに睨み合い、
「オレが――」
「余が――」
二人が同時に口を開く。
「「―――必ず勝つっ!」」
※
帰ってきた日色の姿を見て、《奇跡連合軍》の面々は喜色満面といった具合だ。やはり日色がどれだけ皆の支えになっているのか、それで一目瞭然である。
本人は自分が柱になっていることなど知る由もないだろう。むしろそんな役目はごめんだと言って吐き捨てるに違いない。
だが彼の感情がどうであれ、連合軍からすればまさに英雄という位置に立っているのも確かなのだ。
そしてその中に立つリリィンもまた、彼の帰還を心待ちにしていた人物。
「あの馬鹿者……戻ってくるのが遅いわ」
毒づく彼女だが、その頬は確実に緩んでいる。
「よろしかったでございますね、お嬢様」
彼女の執事であるシウバも、ホッとしたように肩を下げている。
「フン、ずいぶんと他の女と仲が良いようだがな」
ミュアやイヴェアムに抱きつかれても、日色は表情を変えてはいないが、それに反してリリィンはこめかみをピクピクと痙攣させている。
「ノフォフォフォフォ! 彼女たちもヒイロ様をお慕いしている方々ですから。お嬢様と同じく」
「なっ!? ななななな何を言っているシウバッ! ワタシがヒイロなどに懸想をしているわけがないだろっ!」
「おやおや、ではその頬の緩み具合はどういった心境の表れなのでございましょうか?」
「ぬぐ……こ、これは別に何でもないっ! そ、そうだ! ようやく奴が帰ってきたことで、ワタシが楽をできるから喜んでいるだけだっ!」
真っ赤な顔をして言っても説得力の欠片も感じさせないのだが、シウバは微笑ましそうに笑みを浮かべると大きく頷く。
「ノフォフォ、ならばそういうことにしておきましょう」
そこへアノールドを運んできたミュアが到着する。
「シウバさんっ!」
「これはこれはミュア殿」
「ここからできるだけ離れてほしいとのことです! 何でも戦いに巻き込まれるからと!」
「畏まりました」
「もうかなり距離は取っているが、一体ヒイロは何をするつもりだ?」
リリィンはいまだにイヴェアムに抱きつかれている日色を不機嫌面で睨みつける。
「ミュアッ!」
「ウイさんっ!?」
加えて現れたのはウィンカァ・ジオ。先程から姿が見えなかったせいか、ミュアは心配げに「どこへ行かれていたのですか?」と尋ねる。
「ん……ととさんを治療してた」
「クゼルさんは無事ですか?」
アヴォロスに瀕死の状態に追い込まれたクゼル。彼を介抱するために離れていたのだ。今は戦線を離脱して、テンドクがいる場所で休息中である。
「ん……人間の人が助けてくれた」
「に、人間の人?」
妙な言葉だったが、ウィンカァらしい発言でもあった。聞けば、しのぶという勇者の一人に一命を救ってくれたとのこと。今そのしのぶは、突如として現れた大志と千佳のもとへ駆けつけている。
「ヒイロのニオイがした……だから来た」
「はい! ヒイロさんが帰ってきてくれました!」
「ん……良かった。ナデナデしてもらいに行ってもいい?」
「ええっ!? こ、こんな状況でダメですよぉっ!」
「そう……なの?」
「クゥ~ン……」
ウィンカァと相棒であるハネマルはシュンとなり落ち込む。余程日色に頭を撫でられるのが好きなようだ。しかし現状ではそんなことをやっている場合ではない。
「ウイさん! ヒイロさんがここから離れてほしいとのことです」
「……ヒイロ、全力でやる?」
「だと思います」
「ん……分かった」
ウィンカァが気絶しているアノールドを見て、ヒョイッと軽々と彼の身体を担ぐ。やはりとてつもない怪力の持ち主である。
「なら行こ」
「はい!」
日色の言う通り、仲間たちは日色から距離を取ろうとした時、日色を中心に光の柱が天に上る。その場にいた者全員の目を釘付けにする。
何故ならその光の中から現れたのは、一見して日色とは確認できない人物だったのだから。
黒髪から黄色い髪に。装着していた眼鏡もない。右手には刀ではなく棍のような赤い棒状のものを備えている。また赤ローブ姿だったはずなのに、服装も明らかに変化している。
「……どういうことだシウバ? アレは何だ? 聞いていたか?」
「い、いえ……わたくしも初めて拝見します」
一番長くともにいたはずの二人も知らない姿。
「しかし、ヒイロ様がテン殿と融合したのは理解できます」
「融合だと?」
「はい。アレは今では失われたはずの力―――《合醒》と呼ばれる技です」
シウバが《合醒》というものがどういったものなのかを皆に簡潔に説明すると、リリィンが愉快気に口角を上げる。
「ククク、やはりヒイロは面白い。さすがはワタシのしもべだ。まさか『精霊』と一体化までできようとは……」
「す、すごい……」
ミュアも日色の内包する力を感じ取ったようで驚きに満ちている。それは他の者も同じだ。ただ一人だけ……同じ『精霊』のヒメだけは、まるで先を越されたことを悔しく思っているような顔をしている。
「凄いっ、凄いっ、凄いですぞ師匠ぉっ!」
「こらニッキ、いつかは貴方にも、アレをやってもらうのだから感心だけで終わらないの!」
「ええ!? ボ、ボクも師匠みたいになれるのですかな!」
「当然よ! この私と契約したのだから、それくらいできてもらうわ。でも今は無理。今は……アイツの戦いをよく見ておきなさい」
「ヒメ殿……はいですぞっ!」
余程嬉しいのか、ニッキは目をキラキラと輝かせながら期待感の溢れる眼差しで日色を凝視している。まるで彼の一挙手一投足を微塵も見失わないという雰囲気だ。
そして彼女たちだけではなく、少し離れたところにいる、日色を良く知っている者たちも同様に驚嘆していた。
「ガハハ! さすがはヒイロだ! 益々ヒイロがほしくなってきたぞ! これは是非ともミミルの婿になってもらわねばな!」
「レオウード様、このような場で不謹慎ですぞ」
豪快に叫びを上げる獣王レオウードに、《三獣士》のバリドが注意をする。
「わ~キレイだニャ~、ねえレオウード様! 僕もヒイロの婿になりたいニャ!」
「クロ……女の子は婿になれないから」
クロウチならぬシロップが、日色への好意を言葉にすると、プティスがそれに突っ込みを入れる。
「ニャッ!? それはホントかニャ!? 嫌ニャ嫌ニャ! 僕もヒイロほしいニャ~ッ!」
見た目も子供のシロップが手足をばたつかせ、駄々をこね始める。プティスは溜め息混じりに提案を出す。
「……嫁にならなれる」
「それニャッ! レオウード様っ、僕はヒイロの嫁になるニャ!」
「ガハハ! モテモテだなヒイロよっ!」
「ああもう! ここは戦場ですからっ!」
バリドの胃が痛くなる状況はまだ少し続きそうだ。
彼らの後方には、シュブラーズとイオニスが、皆と同様に日色を見つめている。
「あれがヒイロ……くん?」
「すごいの。物凄い力なの」
二人にとっても日色の変わり様は凄まじいようで、その力に呆気にとられてしまっている。
「へぇ~本当に只者じゃないわね~、あなたのヒーローさんは」
「っ……べ、別にヒーローとかじゃ……ないの」
シュブラーズの不意な言葉に明らかに動揺を見せるイオニス。彼女は元々目元の傷を隠すために視界を閉ざしていたのだが、それを日色に治してもらってから、日色を好意的な目で見るようになっていた。それにシュブラーズは気づいていたのだ。
「ウフフ、イオニスは可愛いわねぇ~」
「う~……苦しいの……」
抱き付かれたシュブラーズの、豊満な胸に顔を埋めることになるイオニス。
「でもヒイロくんってば、ライバル多そうだから、イオニスも負けちゃダメよ?」
「……知らないの」
そういうイオニスの耳が真っ赤に染まっているのを見て、シュブラーズは優しく微笑みを浮かべた。
※
「黄ザル、《金斗雲》っ!」
「おうよ!」
日色が上空に向けて飛び上がると、その足元に光が収束していき小さな雲のような物体が顕現する。その上に乗った日色は、そのまま魔神と一体化したアヴォロスの真正面までゆっくりと上昇していく。
(魔神か……とんでもない存在感だな……)
改めてこうして正面から見ると、その存在の密度の濃さが伝わってくる。日色が今まで出会ったどのSSSランクのモンスターと比べても、モンスターが可愛く見えるほどだ。
「黄ザル、最初から飛ばしていくぞ」
言葉の終わり、右側から魔神の尻尾が日色を振り払うかのように飛んできた。《金斗雲》を器用に動かして尾を回避していく。
だが避けたところに魔力で構成された斬撃が放たれてきた。
「ちっ!」
手に持った《金剛如意》を下から上に突き上げるように払い、その斬撃を弾く。弾いたと思ったら、今度は上空から二本目の尻尾が打ち下ろしてくる。このまま攻撃を受ければ地面に叩き落とされてしまう。
日色は《金剛如意》をブンブンとその場で回しながら、上空から襲い掛かってくる尾に向けて投げつける。
「――《閃極回巻》っ!」
高速回転する《金剛如意》から放たれる光が円盤状になって、魔神の尾に衝突し、ズシュゥゥッと切断に成功する。
だが切断した部分から再び新たな尾が形成されていく。
「なるほどな、尻尾をいくら斬っても無駄だってことか……」
「みてえだな。けどあの巨体に《閃極回巻》じゃ少し役者不足かもな」
テンの言う通り、尻尾と同じく超再生能力を持っているとしたら、生半可な傷ではダメージを与えることはできない。
「ならやはり《文字魔法》を駆使して戦うしかないな」
「ヒイロ、まずは《太赤纏》で様子見をした方が良いんじゃねえか?」
「……確かに一理ある。なら――」
パンッと両手を合わせると、日色の身体を赤気オーラが纏う。
「ほう、《合醒》をしている間も《太赤纏》は使用できるのか」
アヴォロスが興味深そうに目を細めている。
確かに《太赤纏》を使えるが、結構燃費が悪く、すぐに力を消耗するのであまり使いたくはないというのが正直な気持ちでもある。
しかしこの状態でどこまでできるか試す必要もある。
「このまま魔神の身体を貫いてやるっ!」
ヒュンヒュンヒュンヒュンッと残像を遺すような速度で魔神に迫る日色。魔神の六つの瞳が不気味に光った瞬間、その眼から紅いレーザーが放出する。全部で六発。
(そんなことをできるのか!?)
日色は咄嗟に髪を千切り分身体を作り上げ、レーザー攻撃を翻弄することにする。狙い通り、本体を見極めることができていないようで、分身体をレーザーが貫いていく。
その間に日色はドンドンと魔神へと迫る。膨大に膨れ上がった《赤気》が日色の身体を覆い、まるで赤い砲弾のようだ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ブチィィィィィッと魔神の腹部から背中に向けて日色は身体をぶち抜く。しかし貫いている時に感じた違和感。
(この感じ……肉体じゃない? まるで魔力を斬った時の感覚に似てるが……!)
そこへテンも魔神の正体に気づいたようで説明してくる。
「どうやら奴は魔力の塊のような存在みてえさ。だからいくら身体を傷つけても、魔力ですぐに修復しちまう」
貫いた部分も徐々に魔力が覆い再生していく。簡単に言えば水の塊を貫いたような感覚だ。いくら水を斬ったり貫いたところで、すぐに傷口が塞がるようなイメージ。
「テンプレ魔王の野郎、厄介な化け物を生み出しやがって」
「けどヒイロ、魔力だって無限じゃねえ。少しだけど、攻撃を当てりゃ減ってる」
「分かってる。だが少しだけだ。こんな化け物と永遠に思える攻防など死んでも勘弁だぞ」
確かに日色の攻撃により魔力は減少するのだが、本当に微々たるものだ。魔神を倒すのに魔力を全て消失させなければならないとするならば、途方もない時間がかかる気がして辟易する。
「もっと大部分を削り取れるようにしなければならないってことだな」
《太赤纏》は確かに攻撃力は跳ね上がるが、どうも物理攻撃に対して相性が悪いようで、大して魔力を削り取れない。となるとやはり
「《天下無双モード》で一気に決めてやる!」
この戦況の中において、アヴォロスの目を盗み文字を書くという行為はなかなかにリスクが高い。いちいち文字を書く時間を省きたいのだ。
《天下無双モード》なら、思い描くだけで《赤気》が勝手に文字を一瞬で形成してくれるので動きながらでも容易に魔法を使うことができる。
「ククク、その顔、どうやら《天下無双》の文字を使うようだな」
「っ!?」
やはり真紅・優花情報は面倒だ。アヴォロスが《文字魔法》について詳しいことが、日色のリスクをさらに跳ね上げている。しかしアヴォロスに対抗するためにも《天下無双モード》は必至。必ず書き上げる必要がある。
日色がピクリと右手の指先を動かそうとした時、アヴォロスが上空へ向けて叫ぶ。
「イシュカァァァッ!」
呼んだのはイシュカ――優花の名前。彼女は上空で生み出した水溜まりの上に立ち、いまだに観戦モードを実行中だ。
アヴォロスに名を呼ばれて、優花は懐からあるものを取り出し、地面へと直下させた。すると日色とアヴォロスの頭上で、それが音を立てて割れ、赤い粒子が周囲を舞う。
「これはっ!?」
当然見覚えがあるものだ。それはアヴォロス――いや、《マタル・デウス》が好んで使用していた赤い石。《魔法無効化フィールド》を作り出す魔具である。
日色が押し黙って赤い粒子を眺めているところを見て、アヴォロスは愉快気に笑みを浮かべる。
「そういえば、説明がまだだったな。この赤き粒子は、《赤い雨》の成分を抽出して作り上げたもの。名を《赤呪》と呼んでいる。その効果は言わなくても……理解できるな?」
アヴォロスは両腕を広げて優越感を含ませた表情のまま続ける。
「この状況の中で、魔法が使えるとしたら《精霊魔法》、つまりは《絶対魔法》と呼ばれる力のみ。しかし残念ながら《文字魔法》は《絶対魔法》ではない」
確かにこのフィールドの中では《文字魔法》を使えないことは証明されている。
「……まあ、あるものを利用すれば、誰もが魔法を使えるようにはなるが、残念ながらもうこの世に存在しないはずのものだからな」
「…………」
「さてヒイロ、魔法を使えないまま一体どうする?」
「…………」
「貴様の唯一の特異能力を奪われて、この魔神に勝てると思うか?」
「…………」
「確かにこの【イデア】に戻って来たこと自体、余は驚いた。しかしたとえ貴様が戻ってこようが手はあるのだ。いつでも貴様を屠れる手がな」
獰猛に光るアヴォロスの瞳。日色の瞳は髪の毛で隠れて確認することはできない。ただ呆然と立ち尽くす図が見えている。
「《文字魔法》、《太赤纏》、《合醒》、まるで貴様はビックリ箱のような存在だ。あのシンクでさえも成し得なかった《合醒》に届くほどの逸材。正直その姿をこの目で見た時には打ち震えた。さすがは余が敵として認識した者だとな」
アヴォロスはアヴォロスで、日色のことを敵としてだが認めていることが、その言葉で理解できる。
「しかもこうして送還されても戻ってくるという偉業。あのアリシャに命を賭してまで希望を託された存在。…………畏怖の対象でもある」
アヴォロスから笑みが崩れる。彼にとって、日色の存在はやはり最大の障害のようだ。
「だからこそ、余はこれ以上、貴様が化けないうちに仕留めるとしよう。せっかく戻って来た貴様に敬意を表して……な」
アヴォロスが静かに日色に向けて右手をかざす。
「もう抵抗などするでないぞ? ここで終わりとするのだ……ヒイロ」
しかし日色はゴソゴソと懐を漁った後、右手に何かを掴み、それを口へと持ってきた。
「む? …………っ!? き、貴様っ、そ、それはどこで――っ!?」
日色が手に持っていたのは金色に光る薔薇。乱暴に口に含みゴクリと胃へと流す。そして素早く日色は右手を動かして文字を書いた。
『天下無双』
発動した瞬間、凄まじい《赤気》が日色の身体から迸り、日色の頭上で天下無双と《赤気》で文字が書かれてある。
「残念だったな、テンプレ魔王。オレの魔法は健在だ!」
「バカなっ! 何故貴様がそれを持っていたっ! 余が全て根絶したはずだ――――――《金バラ》はなっ!」
日色が口にしたのはかつて、リリィンが使用したのを一回見ていた《金バラ》だった。摂取すれば一定期間、《完全正常》の能力を身に宿すことができる。たとえ《赤い雨》の中でも、自由に魔法を使うことが可能なのだ。
「あ、ヒイロに渡したいものがあるの」
日色がまだあの白い空間でイヴァライデアに会っていた時、彼女から手渡された物があった。それが日色のトレードマークである赤ローブだった。
今は学生服を着用していたので、このまま戦いに赴くのであれば赤ローブをもらえるのは嬉しいことだった。
「それは助かるな」
彼女から受け取った赤ローブを着込むと、懐に何かが入っている気がした。
「――これはっ!?」
それは《金バラ》と呼ばれる、食べればあの《赤い雨》の中でも自由に魔法を使うことができる《完全正常》の能力を宿すことができる代物。
「多分、これから必要に……なる」
「なるほどな、用意がいいな」
実はアヴォロスが《魔法無効化フィールド》を作り出す技術を持っていることを知り、《奇跡連合軍》は《金バラ》の回収に急いだ。
唯一生息している通称《毒の山》――【ヴェノムマウンテン】。そこに生えている《金バラ》を手に入れようとしたが、驚くことにいつの間にか山には火が放たれており、《マタル・デウス》が先回りして《金バラ》を絶滅させたのは明白だった。
そのため他に《魔法無効化》に対抗する方法はないものだろうかと考えたが、良い案が見つからずにいたということだ。ただ一つ、赤い粒子を風の化装術などで吹き飛ばせば良いのではと日色の中では案として思いついてはいた。
「ごめんね。本当なら、ヒイロの魔法を《絶対魔法》に格上げしたいんだけど、今のあたしじゃこれが限界」
「ん? まあ、あまり期待してないから気にしてない」
日色の物言いにズーンと無表情のまま肩を落とし落ち込むイヴァライデア。
「そんなことより、いつになったら戻れる?」
「……もうすぐ、ほら」
彼女が指を差した先の白い部分にヒビが入ってきて崩れ落ちていく。その先は真っ暗な闇が広がっている。
「最後にヒイロ、手を出して」
「あ?」
「時間がない。早く」
「だったらペロペロキャンディを舐めてないで、焦ってる雰囲気を出せよな」
しきりに高速で舌を動かしてキャンディを舐め続けている彼女に呆れる。日色は溜め息混じりに右手を差し出す。
「あたしに残されてる力。役に立てればいいけど」
その時、日色の目に驚愕すべき現実が舞い込んでくる。彼女が右手の人差し指に魔力を宿したと思ったら、日色の右手の甲に何かの文字を書いていく。それは自分が《文字魔法》を使う時と全く同じ仕草である。
「お、お前……!?」
「ふぅ……この力、使うことがなければ一番いいけど。ヒイロ……」
「な、何だ?」
「……闇に呑まれちゃダメだよ?」
「は?」
「憎しみと怒りだけに囚われちゃ絶対ダメ」
「お、おい……」
彼女が急に何を言い出したのか分からず眉をひそめてしまう。
「もし、辛くなった時は――」
「はぶっ!?」
突然、口の中にペロペロキャンディが突っ込まれた。
「そのキャンディの甘さを思い出して」
それだけ言うとスーッと消えたイヴァライデア。日色は彼女の忠告よりも、涎塗れのキャンディを口に突っ込まれたことに怒りを覚えていた。
(あ、あの真っ黒幼女め……次に会った時はグリグリの刑だ)
泣いても許さないという想いを込めて拳を震わせていた。
日色はイヴァライデアにもらった《金バラ》がさっそく役に立ち、そのお蔭で《天下無双モード》になることができた。
アヴォロスは当然の如く、愕然とした表情で先程、何故《金バラ》を持っているのか尋ねてきていた。
「答えろヒイロ! 何故それを持っていた!」
「答える義務は無いな。お前で勝手に解釈するんだな」
突き放す日色の言葉を受け、アヴォロスは忌々しげに睨みつけてくる。
「時間もないんでな、早々にそいつを倒させてもらうぞ!」
日色は《金剛如意》を構えながらそのまま魔神へと突っ込む。その瞬間、まず『超加速』の文字が《赤気》で生み出され発動。その素早さはアヴォロスに険しい表情をさせるほどのもの。
魔神の懐に入ったところでボッ、ボッ、ボッ、ボッと次々と一瞬で文字が日色の周囲に浮き上がる。
『削減』『削減』『削減』『削減』
このまま一気に魔力の塊である魔神から、魔力そのものを削減していくつもりだ。一気に文字を発動すると、魔神の身体の一部が刹那に弾けた。
「くっ!? 一気に魔力が失われただと!?」
アヴォロスの悔しげな叫びが轟く。それを聞いて、やはり効果的なのは物理攻撃ではなく、こういった《文字魔法》での特異攻撃だと改めて理解する。
「このまま一気に消し飛ばすっ!」
「させるものかっ!」
瞬間、魔神の身体からブツブツブツブツと小さな穴が生まれたと思ったら、そこから無数の細長く鋭い針が突き出てくる。
「ちっ!?」
日色は咄嗟に『防護壁』の文字を生成して周囲に《赤気》による壁を作り出す。ガチンガチンガチンッと針は壁に阻まれ日色まで届いていない。
「まだだヒイロッ!」
針が触手みたいに動き始め、球体状に《赤気》で守られた日色を絡めとっていく。そのまま触手のように動く針が繭のようになった日色を上空へと放り投げる。
「そのまま消え逝くがよい――――――《滅却大砲》!」
魔神の口から放たれる巨大な魔力レーザーともいえる攻撃が日色を捉える。
その光景を見ていた日色の仲間たちが、真っ青な表情で日色の名を叫んでいる。それもそのはずだ。あのままでは日色は身動きとれずに《滅却大砲》の餌食になるのだから。
まともに喰らえば塵一つ残さずに消失してしまう。しかし皆の思惑はどうであれ、日色は防護壁ごと《滅却大砲》に呑まれてしまった。轟く仲間たちの声。
レーザーがそのまま天を貫いていき、段々と消失していく。そして、先程まで日色がいたはずの場所にはただ何も無い空間が広がっているだけ。
皆は絶望にかられる表情を大地の上で見せているが
「そのまま潰れろ、テンプレ魔王っ!」
日色の声が遥か上空から響く。皆がその声に導かれて天を仰ぐ。そこには無傷の日色の姿があった。
日色は《滅却大砲》に当たる前に『転移』の文字を生成して抜け出していたのだ。そして今、《金剛如意》に『巨大化』の文字を書いて魔神の上に落下させている。
魔神よりも大きくなった《金剛如意》。単純な物理攻撃は魔神には効かないが、元々『精霊』であるテンを宿した武器なので、ただの物理攻撃ではなくしっかりダメージは与えることができる。
また生身であるアヴォロスは、確実に下敷きになれば負傷するはずなのだ。
「舐めるなヒイロッ!」
魔神の身体から魔力を吸収するアヴォロス。そのままゆっくりと両手を上空へかざすと、一気に膨大な魔力が放出し巨大な盾を作り出した。
バギギギギギギィィィィィィィィィッと両者一歩も譲らない攻防により、拮抗したその力が互いに弾き合い、凄まじい衝撃波とともに両者が吹き飛ぶ。とはいっても吹き飛んだのは《金剛如意》だけ。魔神は大地へと押し付けられているのか、その巨体を地面に埋もれさせていく。
弾き飛ばされてきた《金剛如意》を小さくして日色はパシッと手に取る。二つの技のぶつかり合いで、瞬く間に周囲は荒地と化している。傍にあった森は消し飛び、大地は砕けている。
誰もが日色たちの攻防を見て言葉を失っている。まるで格が違う、別次元の戦いだと。
「ヒイロ……」
心配そうにイヴェアムやミュアたちが遠目に見つめている。そんな彼女たちの視線を受けながらも、日色は眼下にいるアヴォロスを見下ろしている。
日色の頭上で浮いている『天下無双』の文字の一つ、『双』の文字が消失した。
(あと三つ……急ぐ必要があるな)
※
日色とアヴォロスの戦いを、自身が生み出した水溜まりの上で見下ろしていた優花の視線は、二人のうち主に日色の動きを追っていた。
(ヒイロ・オカムラ……)
彼の名前を心の中で呟き、徐々に彼に対して興味が増していくのを感じる。彼と実際に初めて会ったのは、『魔人族』と『獣人族』が決闘をしていた時、初めての顔見せをした。
獣王レオウードとの戦いは観させてもらっていた。《マタル・デウス》の者たちと一緒に彼の戦いを見ていて、優花は懐かしさが胸に押し寄せてくるのを感じていた。
性格や生き方などは灰倉真紅とは違うが、戦い方は似ていた。同じ《文字魔法》を行使し、そのチートぶりで敵を薙ぎ倒していく様は、あの真紅が帰ってきたとさえ錯覚を覚えたものだった。
しかし彼は敵だ。真紅と同じ魔法を使おうとも、アヴォロスと敵対する道を選択した。だからたとえ真紅と似ていたとしても、倒さなければならない人物。
アヴォロスの夢を叶えるためにはどんな汚いこともするつもりだった。大好きな彼が生き続けることができるのなら、何でもする。その覚悟は固まっていた。
自分の胸の中には、アヴォロスの《核》が埋め込まれている。
(私は陛下に生かされた。だからこの命尽きるまで、彼の望みを邪魔する者はすべて排除する)
それは日色とて例外ではない。だが彼は強かった。特に《ボンドリング》を使用して【シャイターン城】に乗り込んできた時は見事としか言いようがなかった。
まさか城を破壊し、自分まで攫われるとは思ってもいなかったのだ。地下牢に捕まっている時は、アヴォロスに対して申し訳なさで一杯だった。
このまま死んだ方がアヴォロスのためになるのではと思いもしたが、アヴォロスには勝手に死ぬことを禁じられている。また、《核》を通じてアヴォロスが、必ず助けに向かうと言っているような気がした。だから待った。
そしてまず最初に会いに来たのは【ヴィクトリアス】の第二王女ファラだ。もしかしたら自分を殺しにきたのではと考え身構える。しかし彼女は国民とジュドムの安否を尋ねてきた。
《シャイターン砲》によって彼らを葬ったと言うと、彼女が泣きながら「ジュドム様たちを返して下さい!」と言ってきた。
悲痛の表情を浮かべながら必死に懇願してくる姿は、何となく昔の自分と重なって苛立ちを覚えた。だからこそ、「死んだ者はもう甦らない」と冷淡に言うと、ファラは絶望に顔色を染めながら、意気消沈した様子のままその場から去っていった。
次に来たのが日色だ。まさか彼が単独で会いに来るとはまったく思っていなかった。しかし少し彼と話をしてみたいと思っていたのも確かなので好都合だとも思った。
だが自分の失言によって彼の逆鱗に触れてしまい、明確な敵意が向けられた時は死を覚悟した。彼の生みの親を侮蔑した言葉を口にしたのは間違っていた。
誰しも親を馬鹿にされれば怒るだろうが、彼の怒りは常人とは違って強いものだった。過去に何があったのか知らないが、彼が親を大切に思っていることは確かだ。
(あの時からだ……あの男のことを考えるようになったのは)
何故なら彼が親について語っている瞳の奥には、寂寥、後悔、無力感などといった感情が潜んでいるのを発見した。
その瞳は、アヴォロスが現在宿す瞳の光と類似していた。だからこそ興味を持ったのかもしれない。
戦争が徐々に本格化していき、優花を助けに来てくれたのはアクウィナスである。彼はかつて、初代魔王だったアダムスと親友の繋がりを得ていた。
そしてアダムスが死ぬ時に、魂の契約によって強い――呪いにも似た繋がりを持つことになる。《アダムスの核》を胸に秘めているアヴォロスに、強制的に忠誠を誓ってしまったアクウィナスが助けてくれた。
今後アヴォロスがどう動くのかは事前に聞かされていた。勇者を使って日色を元の世界へと送還する。それが戦争における最大の目的。
でも何故だろうか、その話を聞いた時、ホッとしたのは……。
送還できれば、日色は死ぬことはない。やはり敵とはいえ、死なないのならそれが一番だと思っているのか……いや、もうそんな感情は壊れてしまっているはず。
世界に裏切られ、大切な者たちが死んでしまってから、冷たい感情しか持てないようになったはず……少なくとも他人に関しては。
だが日色が死なないと思った時、安堵したのも確かだ。アヴォロスと同じ瞳を持ち、真紅と同じ戦い方をする彼だからこそ、生きることができるならそうしてほしいと思ったのかもしれない。
(だけど……彼は帰ってきた)
驚きだった。まさか送還されて帰ってくるとは誰も思っていなかったはずだ。こんな争いばかりの世界に、平和な世界を捨てて再び舞い戻るとは思わなかった。
だが帰ってきた。しかもまるで迷いのない顔をしている。それが不思議でならなかった。戻ってくれば戦いになる。必ず命を狙われる立場になる。それを知り帰ってきた彼の心情が理解できない。
それでも覚悟を秘めた彼の顔を見ると、そんな心の強さを羨ましく思う。
(彼の強さはどこからくるのか……陛下と同じ瞳を持つ少年……)
アヴォロスと戦っている日色をジッと見つめる。
(戻って来なければ死ぬことはなかったのに……)
こうなれば自分も全力でアヴォロスを支援するつもりだ。イレギュラーである日色に、アヴォロスの夢を潰させるわけにはいかない。
自分の役目はアヴォロスを支えること。彼の盾となり槍となること。もし日色がアヴォロスを殺すというのであれば、自分の命を以てそれを阻止するだけだ。
ハッキリ言って周りの者は誰も信用することはできない。
(特に……)
横目で同じ水溜まりの上に立つある人物を見つめる。ペビンだ。彼もまた日色が帰ってきた時は滅多に見せたことのない驚愕の表情を浮かべていたが、今ではまるでテレビでも観るような感じで黙って日色に視線を送っている。
糸目の奥から不気味に光る瞳。彼は信用できない。無論アヴォロスも完全には信を置いてはいない。ただ彼からは貴重な話も聞くことができたし、彼自身があの種族だということで、情報にも信憑性があった。
(ペビン……『神人族』の一人……一体奴は何を考えて接触してきたのか……)
彼の最終的な考えは定かではない。
何を思って、同じ『神人族』を滅ぼす手助けをしているのか……。
アヴォロスも彼の危険性は承知している。それでも彼は利用できる。そして優花は、彼の動きを逐一チェックするようにアヴォロスに頼まれている。
すると何を思ったのか、飄々とした様子で観戦していたペビンが、優花に近づいてくる。つい身を固めて警戒度を高める。
「少しよろしいですか、イシュカさん?」
「……何用だ?」
「いえ、少しやるべきことができたので」
「……どこへ行く?」
「う~ん……まあそれは内緒ということで」
「貴様ぁ……!」
やはり何を考えているか分からない男。ペビンは会釈した後、優花から離れていき、ナグナラに近づいていく。
「あれ~? どっか行くのね?」
「ええ、少し出てきます。所長も死なないように気をつけて下さいね」
「む~縁起でもないことを言うななのね~!」
優花はヴァルキリアシリーズである02号に耳打ちをする。
「……畏まりました。奴の動向を探ればよいのですね」
「ああ、必ず奴は陛下を裏切る。少しでも不審なところを見せれば……殺せ」
02号が首肯する。
ペビンが自らの後方に六枚羽を顕現すると、そのまま天へと昇っていく。優花は02号の目を見て頷くと、02号も了承したように頷きを見せて、背中から黒い翼を生やしてペビンを追っていった。
優花はもう一人、04号に視線を向けると、彼女にも追っていけとアイコンタクトを取る。二重尾行をしろということだ。
04号も一つ頷くと同じように空へ舞い上がっていく。
(さて、あとは……)
チラリとナグナラを見つめる優花。彼の足元に広がっている水溜まりを消失させる。
「ふえ!? 何なのねぇぇぇぇぇぇええええええっっっ!?」
地面へと直下していくナグナラを冷ややかな目で眺めている優花。
「お前も信用はできない。陛下の傍にいるのは、私と、陛下の血液で生み出されたヴァルキリアだけでいい」




