204:神との対面
「……世界? 何を言ってる?」
先程から意味が把握し辛いことばかり言っている黒幼女に対して眉間にしわを寄せたままの日色。
「そのままの意味。あたしは世界だったもの。今は……」
無表情ながらも彼女が落ち込んでいることが伝わってくる。またも沈黙が続く。日色はボリボリと頭をかきながら、とりあえず話題を変えることにする。
「……ところで、ここからオレは出られるんだな?」
「……うん。それは心配ないよ。時間がくれば……戻れるから」
「……【イデア】にか?」
「……うん。そのために彼女は命を使ったんだし」
「か…………や、やはりあの占い師は……死んだ…………のか?」
その続きは正直聞きたくなかった。だが聞かなければならないと本能で悟っている。
コクンと頷く彼女を見て、日色は胸が締めつけられるような痛みを感じる。
「……何でアイツは……そんなことを……くそっ!」
ギリッと歯噛みしながら叫ぶ。
「……あたしのせいなの」
「……何だって?」
「……あたしが彼女にそうさせた」
「お前が……? どういうことだ?」
「あたしにはもうほとんど力がない。ううん、力を奪われてるって言った方がいい。できるのはほんの少しだけ。たとえば……アリシャという人物に未来の光景を見せること」
アリシャは未来が見える人物で、《先見のアリシャ》とも呼ばれていたとのこと。
「ちょっと待て! お前が奴に未来を見せていた? 何故そんなことを?」
いろいろ聞きたいことはあるが、まず何故そんなことをしたのか理由を知りたい。黒幼女はスッと目を閉じると語り出す。
「世界を守るため。あたしは何とかしたかった」
「…………」
「でもできることは限られていた。何とか作られたシナリオを覆すためには、誰かに力を託すしかできなかった」
「力を……託す?」
「……うん。その一つが、アリシャに与えた未来視の能力。でも完全じゃないあたしの力では、都合の良い未来を見せ続けることはできなかった。いろんな邪魔が入ってしまい…………それでもアリシャは頑張ってくれた」
「……何とも要領を得んぞ」
「簡単。あたしがアリシャを殺したのと同じ。彼女にヒイロ、あなたを送還するように動かしたの」
「な……んだと……?」
驚くべき答えが返ってきた。無意識に身体が震えてくる。
「それしかなかった。あなたという希望を【イデア】に繋げるためには……」
「つ、つまりお前は、何らかの方法で占い師に力を与えた。その力を利用して、奴にオレを送還させる役目を負わせたって……ことか?」
「……うん」
「ふざけるなぁっっっ!?」
日色の怒号。しかしその怒りを受けるのが当然の報いだと思っているのか、静かにそのまま佇んでいる黒幼女。
「お前は、オレを動かすために奴を犠牲にしたってのか!」
「そう……」
ガシッと彼女の肩を両手で掴み、日色は真っ直ぐ言葉をぶつける。
「何故だっ! 何故そんなことをしたっ! 命を使ってまで何故オレを……オレを呼び戻すんだよっ!」
分からない。そこまで自分が高尚な存在などと思ったことなどない。戦争にも、自分のためだけに動いているだけだ。誰かを救いたいとか、誰かを守りたいと、そんな褒められるような理由ではない。
ただアヴォロスのやることが気に食わないから。ただそれだけ。そんな理由しか持たない自分が、誰かの命を背負って【イデア】に戻ることがおかしく思った。
「……ごめんなさい」
「あ……謝っても仕方ないだろ……オレに謝っても……」
彼女の肩を掴んでいる手から力が抜けていく。
「あたしにはもうこれしか残されてなかった。ヒイロ、あなたに託すことしかできない」
「何故だ……? 何故オレなんだ? オレはただ勇者召喚に巻き込まれただけの……」
「違う」
「……え?」
「あなたを召喚させたのは…………あたしだよ」
「何だって……?」
またも聞き捨てならない言葉が発せられた。今まで日色は召喚に巻き込まれたことをただの僥倖としか思っていなかった。勇者でもないし、かなり変わった魔法を持っただけの存在だと。
「もう勇者に力を託すことはできなかった。監視されてたから。だから……あたしの残されている力を使って、あなたを呼んだの」
「……じゃ、じゃあオレは巻き込まれたわけじゃない?」
「うん、あくまでも偶然を装い、【イデア】の希望として育てるためにあたしが召喚したんだよ」
「…………ちょっと待ってくれ、少し整理させろ」
日色は頭を抱え、今までの黒幼女の言葉を整理していく。
黒幼女には特別な力がある。その力はアリシャに未来視を与えられるようなもの。また勇者召喚を利用して日色を召喚させることができる存在。
(世界そのもの……だった?)
徐々に符合していく謎めいた事柄。アヴォロスから聞かされてきた説得力のないお伽話のような言葉が重みを帯びていく。
(世界……支配者……奪われた。取り戻す……意識を操作される……)
日色はチラリと傍にいる黒幼女を見つめる。
(コイツは……世界……だったもの……)
日色は自分の思いを呑み込み静かに目を閉じる。そしてそのままの状態で口を開く。
「お前は――――――――――――神なのか?」
半信半疑にゆっくりと瞼を上げて彼女を見る。すると真っ直ぐに日色の目を見つめたまま、彼女は確かに頷いた。
「あたしの名前は――イヴァライデア。【イデア】を創世した意志そのものだよ」
日色は言葉にできない思いを抱えてジッと彼女を見つめる。揺らぎを見せない瞳の強さを見て、嘘や冗談を言っている様子はない。
証拠はない。確かに今のこの状況は不可思議ではあるが、彼女が神だという証になるわけでもない。
「……それじゃお前が……神だとして、【イデア】に住む者たちの意識を自由に操っていたのか?」
「違うっ!」
驚いた。初めて声を張り上げたイヴァライデアに対して気圧されてしまった。
「あたしはそんなことしない! ……ううん、でもアリシャやシンク、そしてヒイロを利用したんだから否定はできない……ね」
「シンク……? 初代勇者のことか?」
「うんそう。何とかあたしが彼に《文字魔法》を授けたの。作られたシナリオを壊すために。だけど……失敗した。彼らに見つかって、修正されてしまった。結果……彼は死んでしまった」
「……おい、初代勇者に《文字魔法》を授けたって言ったな? それじゃオレの魔法も……」
「うん、あたしが授けたの。その魔法はあたしそのもの。彼らのシナリオに囚われないで、真っ直ぐに自分を貫くことがきる心の強い人を探した。そして見つけたの。それがヒイロ、あなたよ」
つまり最初から決して偶然なんかではなかったということだ。日色が召喚されたのも、《文字魔法》というユニーク魔法を得たのも、全てはイヴァライデアの意志によるものだったということ。
「ごめんね。あたしは勝手にあなたを選んで、勝手に希望を押し付けた。アリシャも死なせてしまった。あの子の死を、あなたに背負わせてしまうことになった」
「…………」
「それでも、あたしは【イデア】を守りたかった。このままじゃ、すべてが不幸になるから!」
日色の目に彼女の涙が映った。相変わらずの無機質な表情だが、その眼からは美しい滴が零れ落ちている。
「…………オレは別に召喚されたことを怒っているわけじゃない」
「……え?」
「それどころか感謝してる。オレに【イデア】はピッタリだ。オレはあの世界で生きていきたいと本気で思えた」
「ヒイロ……」
「だが、お前のやり方が気に喰わん!」
「…………」
「何もかも計画通りっていう感じが、あのテンプレ魔王みたいでウザい! オレは体の良い駒なんかじゃない! もちろんたとえお前が作り出した奴らだとしても、【イデア】に住む奴らも駒なんかじゃない! その意志を自由に操るなんてもってのほかだ!」
「……うん。分かってる。いずれ償わなければならないことも。でも今はできない」
「……聞かせろ黒幼女、お前が何を抱えてるのかをな」
「……託してもいいの? ヒイロに?」
「ふん、ここまで来たんだ。それしかないだろ。それに…………アイツの死は、オレがちゃんと背負う。いや、背負わなきゃ、アイツの死が無駄なものになってしまう。そんなこと許容することはできん」
たとえイヴァライデアの計画通りだとしても、彼女が日色のために自分の命を使い送還魔法を行ってくれたのは事実だ。それを忘れて生きることなど日色にはできない。
「オレのために使ってくれた命をオレは生涯忘れない。だから黒幼女、お前も背負え。背負い続けろ。それがお前の贖罪だ」
「…………分かった。でもヒイロ、今はあなたにあたしの全てを託す」
※
【イデア】では大狐と化したクゼル・ジオが、魔神ネツァッファと一体化したアヴォロスと壮絶な戦闘を繰り広げていた。
その激しい戦いには、おいそれと手を出せずに《奇跡連合軍》のほとんどの者はただ黙って見守ることしかできない。
いや、手を出したいのは山々ではあるが、アヴォロスの前に、黒衣の群れを先に対処しなければならない現実が広がっている。
レオウードやイヴェアムの指示で、とにかく戦場にいる敵をアヴォロスだけにして集中するためにも、黒衣や《醜悪な人形》を先に片づけることを優先させる。
「おい貴様――」
紅い髪を風に靡かせながら不敵に笑みを浮かべ、リリィンは目の前に立つ相手を睨みつける。
「ふむ、おやおや、何かご用でしょうか?」
名前はペビン。日色を昏倒させ、送還魔法を使わせた直接的な原因。彼がいなければ日色は無事だった可能性が高い。
いくらミュアのお蔭で日色が戻ってくる可能性が出てきたといっても、ペビンのしたことに、リリィンはかなりの憤りを覚えている。
「貴様はこのワタシが葬ってくれるわ」
ビリビリと大気を震わせるほどの殺気がペビンを襲う。だが彼はまるでそよ風を受けている感じで平然と佇んでいる。
「ん~戦場の空気はなかなかに愉快なものですね」
「何だと?」
「あなたもそう思いませんか、アダムスの後継者さん?」
「くっ……ワタシはワタシだ。そのような名で呼ぶな!」
リリィンがザザッと大地をするような勢いでペビンへと迫る。同時に身体から魔力を放出。この戦場で培った力だが、魔力に触れた者を幻術にハメることができるようになった。
今までは目を合わせた者のみだったが、このままペビンを魔法にハメてその後に死を与えてやろうとリリィンは考えている。
「おやおや、怖い怖い」
サササッとリリィンに向けて軽く手を振るペビン。するとその手から生み出された波紋が広がりリリィンの身体を通過する。
「―――っ!?」
放出していた魔力が一気に消失する。
「な……にがっ!?」
驚いて硬直している隙を狙ってペビンが腕を伸ばしてくる。だがペビンは突如腕を引っ込め後ろへ跳ぶ。先程ペビンが立っていた地面から黒い腕が伸びる。
「シウバ!?」
「お嬢様!」
シウバがリリィンの後方から現れ、魔法を使ってペビンを捕まえようとしたのだ。しかし一早く察知したペビンがその場から離れた。
「これはこれは、まさか『冥王』もご参加とは」
「申し訳ございませんが、あなたに対して怒りを覚えているのはお嬢様だけではございませんよ?」
確かに感じるシウバの殺気。彼もまた日色に好意を抱いている人物の一人。ペビンに恨みがあるのも当然なのだ。
「気をつけろシウバ。奴は奇妙な能力を使う」
「奇妙な能力?」
「ああ、奴から放たれた波動を受けると、力が消えてしまうのだ」
「……そういえば、ヒイロ様の《太赤纏》も消されていましたね」
「何のからくりか分からんが、魔法に頼らず物理攻撃中心で攻めた方がいいかもな」
リリィンの物言いに対し、不意にペビンがほくそ笑む。
「来ないのですか? こちらはその方が嬉しいのですが」
「ほざけ! 今度こそ確実に仕留めてやろう!」
シュンッと風のようにリリィンがその場から走りペビンの背後を取る。加えてシウバが正面から突撃する。挟み撃ちでの攻撃。
「……ふむ」
ペビンの糸目が微かに開かれ、その奥に潜む瞳が不気味に光る。すると次の瞬間、ペビンがその場から消失。
ハッとなるリリィンたちだが、すぐさま彼の居場所を突き止め視線を向ける。そこは頭上。ただ彼の姿を見て二人はギョッとしたまま止まってしまった。
「な……何だその姿は……!?」
リリィンが驚くのも無理はない。何故ならペビンが、自身の後方から透き通るような水色をした六枚羽を生やして空に浮かんでいたのだから。
「くっ! 人間ではなかったのか……?」
「そ、そのようでございますな……しかし……」
シウバの疑問は尤も。それはリリィンにも浮かんでいるものだったから。ペビンの見た目は『人間族』と変わらない。だから最初は人間だと思っていた。
もし彼が黒い翼を生やしたのであれば、『魔人族』の血を引いているハーフなのかもしれないと考えることはできた。また『獣人族』であれば、バリドのような『鳥族』の血を引いているハーフとも考えられる。
翼が黒くないということで、必然的に『魔人族』の線は消える。例外なく翼を持っている『魔人族』のそれは真っ黒を呈しているのだから。
今は満月。彼にも『獣覚』が起こり、『鳥族』の力が表に出てきたのであれば納得できる。しかしながら六枚羽を持つ獣人などリリィンは聞いたことも見たこともない。
長年生きているはずのシウバでさえその知識の中には存在していないようだ。
「い、一体なんの種族だ……?」
スーッと静かに空から大地へと降り立つペビン。その後ろには神々しく輝く羽がいまだに顕在している。
「おや? どうされたのですか? 何か物凄く珍妙なものでも見たような表情ですが?」
「分かっているのなら答えろ。貴様は一体何者だ?」
《太赤纏》のみならず、魔力までも一瞬で消失させることができる稀有な能力を持ち、見たこともない六枚羽を有する存在。久々にリリィンの好奇心が激しく疼く。
「そうですねぇ……知りたいですか?」
ギロリと彼を睨みつける。
「おお~怖い。ですが残念ながら内緒にしておきましょう」
「何だと?」
「僕はこう見えて謎めいた研究者という立場を守っていますので」
「ならその身体に直接聞く!」
「その方が早そうですな!」
リリィンとシウバは二人して再びペビンに突っ込んでいく。
※
「……う」
「おお!? 気がついたかリリス!?」
【ヴィクトリアス】の第一王女であるリリス。彼女をルドルフから受け取ったジュドムは、戦場から少し離れた場所で、彼女を介抱していた。
「あ……ジュ……ドム様?」
彼女から自身の名を聞き、正気が戻ったのだと判断してジュドムは安堵する。
「良かったぜ、ジイサンの気付け薬が効いたようだぜ」
そう言いながらジュドムは背後で作業している老人に視線を向ける。その老人の名はテンドクといい、かつてジュドムが所属していた《平和の雫》のトップ2の一人で、SSSランカーの称号を持つ冒険者だ。
彼は薬師として自分の力を使って兵士たちの傷を治癒している。
「わ……私は……あ、お母様っ!?」
リリスの視界に静かに横たわっている王妃マーリスが映る。その隣には勇者の教育係だったウェル・キンブルもいる。
あれから何とか彼女たちを気絶させて、正気を取り戻させるためにテンドクの調合した薬を服用させたのだ。
「おいリリス、何があったのか思い出せるか?」
「え……あ、いいえ。あの時……」
彼女が思い出すのは大志に裏切られてしまったという事実だけ。彼の近くにいたコクロゥによって侍女が殺害され、彼の腕の中にはマーリスが眠っていた。
そこから意識がなくなり、気がつけばここにいたという。
「そっか、そんじゃ何も覚えてねえのか」
「も、申し訳ありません……」
シュンとなるリリスの頭をジュドムは優しく撫でる。
「気にすんな。けど今は戦争中だ。お前の父…………ルドルフも戦死した」
「そ、そんなっ!? お父様がっ!?」
顔を青ざめさせて悲痛な声を張り上げるリリス。
「ああ、お前を守って……最後は立派に逝ったよ」
「ああ……お父様……そんな……嘘です……」
彼女はルドルフが行ってきた非道を知らない。彼のせいで人生を歪められた者は数多く存在する。それをジュドムは赦すことはできない。たとえ最愛の女性だったアリスが死んだ時に、彼の心が壊れていたとしても、彼がやったことは自己中心的で、民を蔑ろにするものばかりだ。
しかしジュドムは、自分にも責任はあると思っている。そんな心を砕かれたままの親友を救うことができなかったのだから。
だがそれでも彼が最後に意識を取り戻してリリスを救ったのは事実だ。それは紛れもなく親の愛情そのものだった。
「リリス、さっきも言ったようにここは戦場だ。王妃たちが目覚めたら、すぐにここから一緒に離れろ。ジイサン、後は頼んだぜ」
テンドクはジュドムの言葉に大きく頷く。
「あ、お待ち下さいジュドム様!」
「ん? どうした?」
「……ありがとうございました」
「はは、気にすんなって言ったろ? お前はルドルフの子供だ。なら俺の子供みたいなもんだ。だから絶対に死ぬなよ。きっとこれからお前には残酷な運命が待ってるだろうが、ルドルフに助けてもらった命を大切にしろ。分かったな?」
「……はい」
ジュドムは彼女に向けて最後にまた頭を一撫でしてから、リリィンたちが戦っている戦場へと戻っていった。
※
アヴォロスが作り出した黒衣や《醜悪な人形》の数は徐々に減り続けているが、それでもやはり不安は拭えない。それはひとえに魔神と一体化したアヴォロスのせいだ。
先程から大狐化したクゼルが先手先手を取り攻撃を当てているが、そのほとんどを魔神が口から吸収して、身体に負った傷をすぐに治癒していく。
攻撃をしなければ、相手にダメージを与えることができず、攻撃をすれば相手にそれを吸収されて、せっかく与えたダメージを回復される。これでは永久にイタチゴッコ、いや、クゼルの方が明らかに分が悪い。
何故ならクゼルの体力にも確実に限りがある。その証拠に、僅かであるがクゼルが焦りを見せ始めている。
「ククク、どうしたクゼル? 連続攻撃の間隔が伸びているぞ?」
アヴォロスの不敵な物言いにもクゼルは黙したままジッと魔神を観察している。
「貴様は確かに伝説の獣人種だ。しかしこちらは魔神だ。格が違う」
クゼルの九本の尾がユラユラと揺れ始める。まるで何かを誘っているかのような仕草。すると尻尾から花粉のようにも見える小さな粒子がクゼルの周囲を漂う。
「む? 何をするつもりだ?」
「ここからもう少し離れて頂きましょうか」
ようやく喋ったクゼル。その一言が終わった後、驚くことにクゼルの巨大な身体が透過していく。
「……!? 消えただと?」
アヴォロスの視線は先程からクゼルを射抜いていた。しかしそこからクゼルの姿が消失してしまったのだ。
同時に、魔神の左側から強烈な衝撃が走り吹き飛ばされる。何か巨大なものに体当たりをされたかのよう。
「ぐっ!? そこかっ!」
魔神の細長い尻尾がビュビュンッと左側に振り下ろされるが、空を切って大地を割っただけ。瞬間、今度は下から上へ突き上げられるような衝撃を受け、上空に身体を浮かす魔神。
露わになった腹部に再び体当たりをされたかのような衝撃が走り、後方へと魔神が吹き飛ぶ。ガガガガガガガッと大地を削りながら、リリィンたちがいる戦場から徐々に距離が離れていく。
転倒した魔神はゆっくりと立ち上がると、六つの紅い瞳を不気味に光らせて三本の尻尾を頭上へと伸長させる。そして何かを掴むようにグルグルグルと巻きつき始める。
見た目では空気を掴んでいるように見えるだけだが、徐々に空間が歪み始め、何もなかったはずの空間からクゼルの姿が現れる。
そのまま地面へと叩きつけられるクゼルだが、身体から紅蓮の炎を迸らせ魔神の尻尾を燃やし尽くしていく。大地すらも溶解させるほどの熱量により、魔神の尾もその形を失っていく。しかしアヴォロスは冷ややかな表情のままでクゼルを見つめている。
溶けた尻尾が、ズズズズズズと溶けた部分から新たな尻尾へと生え変わっていく。とんでもない再生力である。
「今のが『金狐』の異能か。確か《忍尾》……だったか」
アヴォロスの言葉にクゼルは肯定も否定も返さない。
《忍尾》というのは『金狐族』特有の能力の一つであり、尻尾から発生させる粒子は、周りの景色と同化させる能力がある。つまりは一種の擬態。
「こそこそ隠れ潜む種族らしい技よな」
「…………」
「ふむ、まただんまりか。ならそろそろ黙れなくさせてやろう」
パカッと魔神の口が大きく開かれる。
「っ!?」
魔神の口から考えられないほどの膨大な力が集束されていく。それは山をも吹き飛ばした一撃を思い出させる。
「させませんっ!」
バサァッと九本の尾を、まるで翼のようにはためかせ、隣同士の尾が絡み合っていき一本になっていく。それを繰り返し行い、巨大な一本の尻尾を作り上げる。
「ククク、《滅却大砲》とでも名付けるか。ゆけ」
キィィィィィィィィンッと耳をつんざくような音が大気を震わせ、魔神の口に集う赤黒い球体がクゼルに向かって放たれる。
回避することは可能。速いといっても避けられないほどではない。しかしクゼルは避けることは決してできない。何故ならクゼルの後方には、《奇跡連合軍》がいるのだ。そこにはクゼルの娘であるウィンカァも戦っている。
このまま避けてしまえば、山をも消失させる攻撃がウィンカァたちを襲う。恐らく成す術もなく全てが一瞬で消えてしまうだろう。
クゼルが険しい顔つきを見せ、一つにした尻尾を回転させながら球体に向かって放つ。
二つの攻撃が衝突した瞬間、その下方では衝撃波だけでクレーターが作られる。
「ぐっ! ぐぅぅぅぅぅっ!?」
「ククククククク」
苦しげに表情を歪めるクゼルとは違って、アヴォロスはまるで高みの見物でもしているかのようだ。
バヂヂヂヂヂヂィィィッと球体から赤黒い放電現象が起こり、徐々にクゼルの尾を押し返していく。
このままでは押し切られると思ったクゼルは、全力を以て尾に魔力を流していく。ボコボコッと膨れ上がる尾。そしてそのまま球体の方向を上方へと逸らすことに成功して、連合軍たちを救うことができる。
だがそこでクゼルはギョッとする。
「ククク、誰が一発だけと申した?」
すでに魔神はさらなる追撃のために口に《滅却大砲》を準備していた。
「くっ!?」
一発を弾き飛ばすことに成功したクゼルだが、全力で対応したために隙を作ってしまっている。目の前から迫る脅威。避けることはかろうじてできる。だがそれを選択することはできない。
クゼルは自身の身体で球体を受け止めるが、そのまま踏ん張りが利かずに連合軍の方へと押し返されていく。
「ととさんっ!」
遠くからウィンカァがクゼルを心配げに叫ぶ。クゼルはその声に呼応するように歯を食い縛り、身体で球体を覆うと、尻尾で大地を叩いてそのまま上空へと昇っていく。
「ククク、これで一人脱落だ」
刹那、地上からかなり上空へと向かったクゼルを凄まじい爆発が襲う。《滅却大砲》が爆発したのだ。その風圧はとてつもなく、地上にいる者たちまで暴風が襲い掛かる。
大地がしなるようなその威力。その渦中にあるクゼルを見て、ウィンカァは顔を青ざめさせる。
「ととさぁぁぁぁぁんっ!?」
天を仰ぎ、巨大に広がる黒煙を凝視していると、煙の中から小さな影が地面へと落下していく。間違いなくクゼルだった。大狐化も解けてしまっている。
「ハネマルッ!」
「アオォッ!」
ハネマルが背中の翼を動かして大空へと駆け上る。そのままクゼルを背中でキャッチすると、少しふらつきながらもウィンカァのもとへ戻ってくるハネマル。
「ととさんっ!?」
彼の身体は酷いものだった。体中が血に塗れており、絶望的な状態だと誰もが思うだろう。骨も砕けているようで痛々しいまでの姿だった。
「う……ウィン……カァ……」
「ととさんっ!?」
意識はまだあるようで、少しホッとした表情をするウィンカァだが、致命傷にも見えるそのダメージに、クゼルは微かに唇を震わすことしかできなかった。
早く治療しなければクゼルが死んでしまう。
「どくんやアンタ!」
「……え?」
「いいからさっさとどきぃっ! 死なせたないやろっ!」
ウィンカァのもとへ突然現れたのは赤森しのぶだった。彼女はクゼルの胸に手をかざすと、
「セイントヒールッ!」
眩い輝きが両手から放たれクゼルの身体を覆っていく。
「アンタ、さっさと治療薬でも持ってくるんや! ウチの魔法だけじゃ足りへんでっ!」
「え……あ……助けてくれるの?」
「当然やろ!」
「……ありがと」
「礼はええ! それよりも!」
「ん……分かった」
ウィンカァはしのぶにクゼルを託して、治療薬を得るべくその場から離れていった。
※
アヴォロスは魔神の翼をはためかせながら上空へとゆっくり昇っていく。眼下に広がる戦禍を冷ややかに見下ろしていると、アヴォロスがその身体を沈み込ませている魔神の顔を部分に水溜まりが生まれ、そこから優花が出現する。
「陛下、そろそろ準備が整ったとのことです」
「……そうか。いよいよだな。カイナビに始動しろと命じろ。余もすぐに向かう」
「はっ!」
水溜まりに消える優花。アヴォロスの視線が真っ直ぐにある場所へと注がれる。
「さあ、余興もそろそろ終わりにしよう」
すると、結界に覆われていた【シャイターン城】がゴゴゴゴゴゴゴと地響きを立てながら微かに揺れ始める。アヴォロスが見ていたのは城だったのだ。
ゆっくりと、だが確実に【シャイターン城】が独りでに動いていく。そのまま大地から離れると、結界の覆われたまま天へと浮き上がっていく。
「何だとっ!?」
その光景を見ていたレオウードがまず叫ぶ。日色の攻撃により、一度は地上に落とされた城が、再び宙を浮かび始めるのだから驚かずにはいられない。
レオウードだけでなく、他の者たちも次々と城を注視し始める。
「くっ! もう復元したというのか!?」
今度はイヴェアム。マリオネとともに、目の前にいるヴァルキリアたちと戦っていたが、あの悍ましい力を宿す城の復活に目を奪われてしまっている。
「どうやら計画は次の段階へと移行するようです」
冷淡に言葉を吐くのはヴァルキリアシリーズであり、イヴェアムとともに暮らしてきたはずの05号である。彼女は他のヴァルキリアたちとともにその場から離れて行く。
「ま、待てキリアッ!」
イヴェアムの叫びも虚しく、05号の足を止めることは叶わず、ヴァルキリアたちは地上に現れた優花の作り出す水溜まりに身体を沈み込ませていく。
05号たちだけではなく、リリィンとシウバを同時に相手をしていたペビンも空飛ぶ城を見て微かに笑みを浮かべる。
「おや、もうそのような時間ですか。仕方ありませんね」
「何を言っている貴様!」
六枚羽を背中に宿し、城と同じように宙に浮かんでいるペビンに対してリリィンが怒鳴るが、ペビンはそのままリリィンとシウバを一瞥すると城へと飛んでいく。
「逃がすものか!」
リリィンもまた背中から黒い翼を生やして追随する。
「おやおや、そういえばあなたも飛べるのでしたね」
ペビンは一つも驚いていない様子で言葉を口にして、一度歩みを止める。
「言っただろ。貴様は絶対赦さんと」
「しつこい方ですね。ですがあなたにはもう飽きました」
そう言って後ろ手に組んでいた両手を前に差し出してくる。リリィンは彼の両手に掴まれているものを見てギョッとしたが、すぐにスッと浮遊感が失われて落下していく。
彼の手に握られていたのは黒い翼。リリィンは落下しながらも自分の背中に意識を向ける。何故か翼が八分ほど切り取られた様子を呈していた。
「なっ!?」
翼を失ったリリィンは飛行することは無論できない。
「お嬢様ぁぁぁっ!」
落下してくるリリィンをシウバが見事に受け止める。だがリリィンは驚愕したままの表情を、いまだに空中で見下ろしてきているペビンを見る。
「ではこれで、またいずれどこかでお会いできれば」
手を振るとそのまま踵を返して【シャイターン城】へ戻っていく。その間に手に持った翼を投げ捨てると、その翼が粒子状になって消え失せる。
すると驚くことに、リリィンの切り取られた翼が、元の無傷の状態へと戻った。
「お嬢様、これは一体……」
「さあな、ただ奴が別格だということだけはハッキリした」
「まさかお嬢様のように幻術を?」
「いや、ワタシもそう思ったが、感覚的に違った。あの時、間違いなくワタシの翼は――――――奪われていた」
「では何故戻ったのでしょうか?」
リリィンにも答えが見出せないのか、城の結界に入り込んだペビンの後ろ姿を睨みつけながら首を左右に振る。
「とにかくあの城が甦った以上、ここの戦場をさっさと終わらせなければ危険だ」
「ですが、大分数を減らせたとはいえ、まだ多くの敵が残存しています。どうされますか?」
「フン、そのようなもの!」
リリィンが再び戻った翼で空を飛びながら戦場が最も苛烈な場所まで向かう。
「リリィン殿!?」
イヴェアムが突然現れたリリィンに声をかけるが、反応は返さずに静かに目を閉じて大地に立つリリィン。
そんな無防備を晒す彼女に向かって黒衣が突撃してくる。
「危ないっ!」
イヴェアムが助けに向かおうとするが、突如として彼女から放たれた莫大な魔力により足を止めてしまう。まるで津波のように流れ出る魔力が、周囲の者たちを包んでいく。
そして次々と彼女の魔力に触れた者たちが膝を折り倒れていく。だがそれは黒衣や《醜悪な人形》などの敵として認知されている者たちだけ。
「す……凄い……!」
イヴェアムは咄嗟にそのような言葉を漏らす。敵が集まっている中心に向かい、目を閉じて突っ立っているという常軌を逸した行いに、イヴェアムだけでなく、その様子を見た全員がリリィンの正気を疑ったが、彼女から発せられた魔力により敵が倒れたことによって、その畏怖とも感じられる魔法の効果に、誰もが呆気に取られていた。
ほぼすべての敵が倒れた瞬間、クラッと目を閉じたままのリリィンが前のめりに倒れそうになる。そこへシウバが現れ彼女を支えることに成功。
リリィンの全身からは信じられないくらい汗が流れ出ており、顔色も青くなっている。常人の何十倍もの魔力を一気に放出したのだから当然こうなることは明白。
しかし彼女のお蔭でアヴォロスと【シャイターン城】に集中することができるようになったのも事実。
「お嬢様……お疲れ様でございました」
慈愛に溢れる笑みを浮かべてシウバは彼女の額の汗をハンカチで拭う。
これを好機と見たイヴェアムは、リリィンの行為を無駄にはできないと悟り、再び【シャイターン城】を落とすべく皆に攻撃の指示を出す。
「いいか! 絶対にあの城を落とすのだっ!」
何故ならあの城には恐ろしい兵器が積み込まれている。――――――《シャイターン砲》。その威力は【ヴィクトリアス】を瞬時に壊滅させるほどのもの。
この戦場に撃たれれば一溜まりもない。是が非でも、あの攻撃を放たせてはならないと、この場にいる全員の心が一つになっている。
だがそこへ最大の障害がやってくる。上空から大きな影。それを見たイヴェアムが悔しげに言葉を吐く。
「……アヴォロス……!」
いつの間にかこの場に舞い戻ってきていた魔神。だが少し気になることもあった。それは魔神の身体からアヴォロスが出て、顔の上に立っているのだ。一体化が解かれている。
そして魔神の開かれていた六つの瞳も、四つまで減っている。するとアヴォロスが魔神の頭から翼を広げて飛び上がり、【シャイターン城】へと入っていく。アヴォロスというコントローラーを失ったせいか、そのままの状態で地面へと落下してくる魔神。
「皆の者ぉっ! 衝撃に備えろっ!」
レオウードが叫ぶ。このまま魔神が落下してくれば、かなりの衝撃が周囲を破壊するのは明らか。全員がその場から離れて防御態勢を取る。
案の定、魔神は落下の衝撃で大地を揺らし巨大なクレーターを生み出す。しかし予測も立てられていたお蔭で、それによる人的被害はさほど見当たらなかった。
魔神はアヴォロスと一体化する前と同じく、眠ったように身体を動かさない。
「一体アヴォロスは何をしようとしてるのだ……?」
イヴェアムの疑問は寂しく風に流れていくだけだった。
※
アヴォロスは【シャイターン城】へ入り、地下室へと急ぐ。そこには地上にいたアヴォロスの仲間たちが集まっていた。
「首尾はどうだ、カイナビ?」
「はっ! まだ完全ではありませんが、このカイナビの力で城の復旧を成せました」
カイナビはアヴォロスが登場した瞬間に跪いて自分を売り込むように言葉を発する。
「うむ、よくやった」
城の崩壊した部分は、カイナビの作り出す植物によって新たに生まれ変わっている。アヴォロスが彼女に任せていたのは城の復旧だった。
破壊されたところを修復させ、城を浮遊させることができるまでに準備させていた。
「まあ、大部分は魔力を魔神から大分削り取ったお蔭なのね~」
デカい図体を動かしながらナグナラが言う。
この地下室には壁に巨大なクリスタルが埋め込まれていて、それを通して外の光景を見通すことができるようになっている。
城下ではリリィンが《マタル・デウス》を一掃した情景が映し出されている。
「ほう、アダムスの劣化版め、なかなかやりよる」
アヴォロスが少し感心したように目を開くが、すぐに興味を失った感じでナグナラに視線を向ける。
「出力はどれくらい出せる?」
「ん~魔神の魔力を回しても八十パーセントが限界といったところなのね~」
「なるほど、それなら問題はない。残りの魔力は余が継ぎ足す」
「でも最高出力を撃てば、きっとこの城は終わりなのね~」
「もとよりその一撃を撃つためだけに作り上げた代物だ。撃てればもう用はない」
「分かったのね~、準備するのね~」
大小様々なクリスタルが壁に埋め込まれている。ナグナラとペビンはそのクリスタルに触れて調整し始める。
部屋の中央にある魔法陣にアヴォロスは一人で立ち、両手を合わせる。魔法陣から黒い触手が伸びてきて、アヴォロスの身体に纏わりつく。
ドクンドクンとアヴォロスから力を吸収しているように波打つ触手。魔法陣へと注がれるアヴォロスの力。同時に周囲から軋む音が聞こえる。アヴォロスの力が城という器から零れ出ているようだ。
「さあ、このまま空へと上がれ!」
アヴォロスは真っ直ぐ前を見据える。そこには巨大なクリスタルに映し出されている大きな月が見えている。
※
突然上昇スピードを上げた【シャイターン城】。
まるでイヴェアムたち《奇跡連合軍》を歯牙にもかけない様子で舞い上がっていく。
「どういうことだ? 奴らはどこへ向かうつもりなのだ?」
獣王レオウードの疑問には誰も答えを返せない。ただただ、唖然として高く天へと昇っていく城を見つめている。
「と、とにかくまたあの《シャイターン砲》を撃つかもしれん! ここから……いや、ならば何故魔神をこの場に放置しておくのだ?」
イヴェアムの咄嗟な疑惑。仮にアヴォロスが、あの山をも消滅させる《シャイターン砲》を大地に向かって撃とうとしているのならば、何故ここに魔神を放置させるのか理由が分からなかった。
何故ならあれほどの力を放てば、魔神といえどダメージを受けることは必至。下手をすれば魔神消滅も有り得るかもしれない。城の直下に魔神がいるのだから、直撃は避けられないはず。
「魔王ちゃん、とにかく空を飛べる奴らは追いかけた方が良いだろう」
イヴェアムに近づいていきたジュドム・ランカースが提案してくる。彼の言う通り、アヴォロスの思惑がどうであれ、このまま手をこまねいて何もせずにいるわけにはいかない。
「そうですね、では翼を持つ『魔人族』を中心に部隊を編成して城へと向かわせましょう!」
「それはアクウィナスと私が指揮を執りましょう」
「ああ、任せたぞマリオネ」
「御意!」
マリオネが宙に浮かんでいるアクウィナスに向かって飛び立っていく。彼ら二人が指揮を執れば、滅多なことにはならないとイヴェアムは信じている。
イヴェアムは魔神を一瞥する。よく見れば、先程は四つ開かれていた瞳が五つ目も開かれていた。
「どうやらあまり時間は残されていないようね」
恐らくすべての瞳が開かれたら、魔神が再び動き出すと推察される。それまでに態勢を整えることも、アヴォロスに関することも対処しなければならない。
イヴェアムはギリッと歯噛みしながら、マルキスからもらったネックレスについているタグを握り締める。
「熱っ!?」
突如、タグから熱を感じて咄嗟に離してしまう。見ればタグの中央に嵌められてある紅玉が輝き熱をもってしまっているようだ。
「マルキス殿…………ヒイロ、早く帰ってきて」
イヴェアムは不安気に一人の少年の名を呼ぶ。彼がもしここにいれば、きっと今の状態でも希望が見出せる。いつも彼は絶望を希望に覆してくれた。だからこそ、イヴェアムは彼の帰還を信じて待つだけ。必ず帰ってくると。




