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203:アリシャとして……

 マルキスに従って案内されたのは細い路地の先にあった一つの扉。

「ここは?」

「何かの倉庫よ。人気がなく広い場所を探してたら、ここが適していたってだけよ」

「なるほどな」


 扉の中に入ると段ボールが幾つも積み重ねられていて、確かに倉庫のような場所だった。ラベルには有名なカップラーメン製造メーカーの名前が書かれてあったので、そういうことなのだろう。


「ていうか勝手に入っていいの? 鍵とかかかってなかった?」


 千佳が訝しみながら言うと、マルキスはクスリと笑みを溢す。


「ここを管理している人から少し借りたのよ……勝手にね」

「それって窃盗なんじゃ……ねえ大志?」

「あ、ああ……でもまあ異世界の人だし……」


 そう言う問題でもないと思うが、確かに異世界に帰れば彼女を糾弾できる者はいないだろう。

 皆で段ボールを整理して広い空間を作り上げる。


「三人でその場に立ちなさい」


 マルキスの指示通りに部屋の中心に立つ。するとマルキスは懐から小刀を取り出す。彼女の顔が徐々に険しくなっていき、まるで何か断固たる覚悟をしているかのようだ。


「おい占い師……?」


 日色が声をかけた瞬間、マルキスが小刀をもってブシュッと自らの左腕を切り裂いた。かなり深く。


「ちょっ!? 何やってんのよアンタ!?」

「だ、大丈夫なんですか!?」


 千佳と大志が詰め寄ろうとするが、マルキスは腕をさっと上げてそこを動かないようにという意志を込める。その意志を感じたのか、二人もピタリを足を止めた。


「いいから、そこを動かないで。向こうに帰るためには膨大な魔力が必要なの。何せ世界を渡るんだからね」


 ドクドクと彼女の腕から流れ落ちる鮮血。彼女は大きく深呼吸すると、血を床に垂らしながら、日色たちを中心にして一回りし始める。

 ちょうど円が描かれた瞬間に、円が青白い輝きを放ち始め、勝手に魔法陣を形成していく。大志たちはその光景に声を出して驚いているが、日色は物珍しそうに感嘆しているだけだ。

 マルキスがパンッと両手を合わせる。彼女の顔色が明らかに悪い。痛々しいまでに流れ出ている血でもう彼女の身体は血塗れになってしまっている。


「おい占い師、ホントに大丈夫なのか?」

「ええ、必ず成功させるから心配しないで」

「そういうことじゃない。血を流し過ぎだ」


 これでは向こうに着いたらすでに瀕死ということも考えられる。日色はそれでは寝覚めが悪いと思い何とか《文字魔法》を使おうとするが、魔力を指先に集中させる感覚は掴めるものも、字も書けないし無論発動もできない。


「無理よヒイロ。あなたは元々こちらの世界の人間。向こうの世界の意志とパスが繋がっていないから使えないのよ」


 残念に思った。もしここで使えるのならマルキスの出血を止めることもできるのに。キリッと歯噛みすると、日色のそんな悔しげな表情を見て、マルキスは苦笑を浮かべる。


「ねえヒイロ……」

「何だ?」

「……私はね、シンクが大好きだった」

「…………」

「ううん、シンクだけじゃない。シンクもアヴォロスもユウカもみんな大好きだった。そしてシンクが命を懸けて愛したラミルも……」

「お前……」


 マルキスの表情がどこか遠い場所を見つめるようになり、徐々に瞳の光が失われていくような気がする。


「だけど私は結局何もできなかった。好きな人を誰一人救えなかった」


 その言葉に、千佳と大志も心に痛みが走ったような悲痛な表情を浮かべる。


「だけどあなたたちにはまだ力がある。救える力を持っているのよ。だから……決して諦めないで」

「…………」

「早々に諦めた私が言うのもお門違いなのかもしれないけれど、最後にヒイロ、あなたと【イデア】で出会えて本当に良かったと思っているの」

「……最後? ちょっと待て! お前!?」


 日色は聞き捨てならない言葉を聞いたため、彼女に詰め寄ろうとするが、魔法陣から光の柱が立ち昇り、日色たちの動きがまるで石化したように止まってしまう。


「くっ……う、動けない……!?」


 それは大志や千佳も同様のようだ。どういうつもりだという感じでマルキスを睨みつける日色。すると彼女は青ざめた顔のまま微笑を浮かべる。


「あなたなら、きっとシンクに掴めなかったものが掴めると思う。そして勇者たち、あなたたちもよくぞ決断しました。その想い、大切にしなさい。それがきっとあなたたちの強さになるから」

 日色は焦っていた。何故ならこれから彼女がしようとしていることを理解したからだ。


(送還魔法!? 確かこの魔法は……!?)


 マルキス本人から聞いた送還魔法のリスク。それは一度行えば、術者は必ず死を迎えるということ。



     ※



 マルキス・ブルーノートは、初代勇者である灰倉真紅を召喚した【ヴィクトリアス】の第一王女   アリシャ・ニア・ピピス・ヴィクトリアスである。

 国王には三人の子供がいた。第一王子、第一王女、第二王女の三人。勇者を召喚すれば、『魔人族』の脅威から逃れられると考えられ、まず先に第一王子が召喚を行った。しかし失敗。命を落とした。

 召喚魔法にそのようなリスクがあったことを知らなかった王族たちは困惑する。だがこのまま勇者を呼ばなければ人間が滅ぶと思われ、国王は第二王女に召喚を命じた。


 だがこれも失敗。あっさり二人の命が尽きてしまった。残されたのは第一王女のアリシャ。アリシャは恐怖した。しかし国内でもう召喚魔法を扱えるのはアリシャだけだった。

 使えるはずの母親はもう他界していたからだ。残された希望。アリシャは悩み抜いた末、召喚を試みることにした。結果は見事に成功。

 その時のアリシャの喜びようはなかった。これで人間が、世界が救われると思うと、自分は最高の役目を終えたと思えた。


 灰倉真紅とその仲間たちは勇者に相応しい強さを示してくれた。特に真紅の超常的な魔法の力は、まるで神の如き御業を見せてくれる。

 崩壊した街を一瞬にして復興したり、荒廃した大地に緑や川を作り潤いをもたらし、人々から失われていた笑顔を取り戻してくれた。

 また驚くことに魔王アロスと友達になるという前代未聞で不可能と思われていた同盟を結び、世界を平和に導いてくれた。


「ねえシンク、どうしてあなたは他人をそんなに信じられるのかしら?」


 真紅は、まず先に信じることを優先する。たとえ敵として前に現れても、まずは対話をして相手を信じるように努める。

 今の情勢では、そんな行為が死に直結することもあるのに……。実際何度か裏切られて危ない事態に陥ったこともあったけど、それでも真紅は決して信じることを止めなかった。


「ん~そうだね。だってさ、疑うってしんどいよね」

「え?」

「信じる方が楽じゃない?」

「そ、そうかしら? でも裏切られたりしたら……辛いわよ?」

「うん、そうだね。でも人ってさ、最初は丸裸で生まれてくるんだよ」

「……?」


 彼が何を言いたいのか分からなかった。だが彼はニコッと笑みを浮かべてさも当然のように言う。


「武器も何もなく、ただ生きるために生まれてくる。そこにはさ、悪意なんて欠片もないよね?」

「そ、それはそうね」

「だから人は最後には分かり合えると思うんだ」

「そうかしら……?」


 それまで多くの裏切りや戦争などが世界や国、人を傷つけていたので、とても信じられる言葉ではなかった。


「最初から悪い人なんていないよ。悪いのはそうさせた環境そのもの。だから俺は、その環境を変えたいって思うんだ」

「環境?」

「うん、平和で争いのない、誰もが笑って暮らせる世の中。そうすれば、みんなが手を取り合って生きていけると思う。俺はこの世界に来て良かったって思ってる。いろんな人たちに出会って、いろんなことを経験して……」

「…………」

「君にも会えたしね」


 彼の屈託のない笑顔を見るだけでアリシャは何故か心が熱くなる思いが宿る。ドキッとする思いを感じて思わず彼から顔を逸らす。


「で、でもシンク! そ、そそそそういうことをあまり多用しない方が良いわよ! ど、どうせラミルにも言って落としたのでしょう!」

「お、落としたって……そんなつもりはないんだけどなぁ」


 ラミルというのは、彼が獣人界から連れてきた可愛らしい獣人の少女。何故か彼女が歌うと『精霊』が寄ってくるという不思議な力を持つ仲間の一人。彼女はシンクのことが大好きで、少しでも彼の力になれればと、不安気になっている人々の前で歌を聴かせてあげている。

 ラミルはとても良い子だ。アリシャとも気が合い、あのプライドの高いアロスとも仲が良い。


「ねえアリシャ」

「え? な、何かしら?」

「……俺はこの世界を平和にしてみせるよ。大好きなんだ。この【イデア】が」

「…………うん、私もあなたの隣で頑張るわ」

「ありがとう」


 その後すぐに魔神ネツァッファが復活して、再び世界は混沌に陥れられた。各地の猛者が集められ、すぐに討伐隊が組織されたが、魔神の強さは異常であり、とても勝機などないと思われた。

 何故ならあのシンクでさえ一度成す術もなく敗北を味わったのだから。

 しかしそこである提案が成される。それは魔神の封印。魔神を復活させることを望んでいた『クピドゥス族』の遺跡から、封印に関する記述が施されている文献を見つけた。


 調べてくれたのはアロスである。

 ただその封印術には勇者の命が必要になると書かれている。無論真紅は他の三人にはそのようなことをさせるつもりはなく、自分が行うと名乗りを上げた。

 だが結果的にいえば、彼の想いが期待通りに働くことはなかった。封印術を使用したのは彼の仲間。魔神の出現によって、多大なる犠牲を払い、何とか封印することができた。


 平和―――確かに魔神が封印されて掴めた。しかしながら戦った者たち、特に真紅たちは素直に喜ぶことができなかった。友達が死んだのだ。当然である。

 それでも真紅は皆の前ではいつも通り笑顔を絶やさなかった。だがある日、アリシャは見てしまう。真紅が一人で泣いているところを。彼を慰めようと出て行こうとしたが……。


「あ……ラミル」


 彼の傍に一早く立ったのは彼女だった。それから真紅は彼女の胸の中で盛大に涙を流した。アリシャは姿を見せることができなかった。

 ラミルの真紅を包んでいる姿は、彼女こそが彼を支え続けることができる存在なのだと思い知らされたのだ。慈愛に溢れ、全てを包み込むような優しさ。真紅と似ていて正直、勝てないと何度も思ったことがあるが、その時ほど痛烈に感じたことはなかった。

 アリシャは無意識に涙を流してその場から去ってしまった。

 だがしばらくして恐るべきことが起きる。


「――――――どういうことですかお父様!」


 アリシャは【ヴィクトリアス】の城の中で信じられない言葉を父である国王から聞いた。


「何度も言わせるな。シンク・ハイクラを始末すると言った」

「なっ!?」


 意味が分からなかった。世界を何度も救った英雄を、よりにもよってその英雄を召喚した国の王が何故そのような決断をするのか……。


「奴は危険だ。あの力はいずれ世界を滅ぼす」

「そ、そのようなこと、あるわけがありません! シンクはいつも世界の平和を願っているのです!」

「なら何故お前との婚儀を拒否するのだ?」

「そ、それは……」


 実は真紅にはアリシャとの婚儀話が持ち上げられていたのだ。しかし真紅は拒否した。


「か、彼にはすでに愛する者がいて……」

「ふん、どこぞの馬の骨ともしれぬ獣人だろう? そんな輩よりお前の方が利があるに決まっておろう」

「利とかそのような下卑た考えで婚儀を決める人ではありません!」


 聞き捨てられない言葉だった。確かに獣人は家畜奴隷として今も人間に貶められている。真紅たちの働きのお蔭で大分良くなったといっても、人間の中には獣人を下に見ている者がほとんどなのだ。そしてそれは国王も同じ。


「奴はいずれこの国を滅ぼすつもりだ。そして獣人だけを守ろうとしているに違いない」

「だ、誰がそのような戯言を!?」


 するとそこにスーッと一人の人物が現れた。白いローブで全身を覆い正体を隠している。


「あ、あなたは一体……!?」

「フフフ、王女ともあろうお人が、まさか国の意志である王に逆らいはしませんよね?」

「何をっ!?」


 その時、軽い眩暈を覚えた。その時、頭の中に流れてきた誰かの声。


「あなたは王女ですよ? ずっとシンクを支えてきました。それなのにシンクは獣人の少女のことばかり。何故でしょうか?」

「な……何故ってそれは……」

「シンクはあなたのようなしつこい女を嫌っているのでしょう。そして遠ざけるつもりだ。だからこそ婚儀を断る」

「ち、がう……」

「違わない。この世界は一夫多妻でも大いに理解されます。それが英雄ならなおさらです。それにもかかわらずあなたを蔑ろにするということは……あなたは彼にとって邪魔な存在でしかないということです」

「じゃ……ま? 私……が?」

「さあ、認めなさい。シンクはいずれあなたがたにとって災いとなる存在です。災いは消すべき。そうでしょう? 『人間族』の王女様?」

「う……」


 アリシャの意識がぼーっとしてくる。まるで心地好い湯の中にいるようだ。


「ラミルという少女……彼女を殺してみれば、もしやするとシンクがあなたを見てくれるかもしれませんよ?」

「そ、そん……なことが……できるわけ……」

「大丈夫です。あなたはただ望めば良いだけです。シンクが欲しいと。そしてラミルが死ねばそれは叶う」

「シンク……私のものに?」

「そう、僕が王にとりなしてあげましょう。シンクは殺さずラミルだけを殺すように。そうすれば……フフフ」

「そうすれば……」


 アリシャの瞳から光が失われていった。









 アリシャは気がつくと、まるで夢の中から目覚めたような気分が全身を包んでいた。起きた場所は自室のベッド。

 先程まで父親である国王と重要な話をしていたはずだった。そのことを思い出し、すぐに国王がいる《玉座の間》へと向かう。

 そして再度真紅の討伐に対して考え直してもらうように進言した。だが驚くべき答えが返ってくる。


「何を言う。お前も了承したではないか」

「…………え?」


 アリシャには、彼が何を言っているのか理解できなかった。了承? 無論した覚えなどない。


「何を言って……っ!?」


 しかしその時、彼がちょうど手に収まるほどの四角い水晶のような物体を取り出す。


「これが何か知っておるな?」


 知っている。それは《声録水晶(ボイスクリスタル)》という、声を録音できる魔具である。彼が魔具を発動させると、驚愕すべき内容が明らかになる。


『どうするのだ、アリシャ? お前を裏切るシンクを殺すべきだとワシは思うのだが?』

『いいえ、お父様。すべての元凶はあの獣人――――――ラミルという少女です』


 アリシャは有り得ないと思い愕然とした表情を浮かべる。


「こ、これは何かの――」

「黙って続きを聞けアリシャ」

「ぐ……」


 国王に制止させられ、仕方なく、自分の声が放たれてくる魔具に耳を傾ける。


『ほう、つまりラミルを殺せばすべてが上手くいくと?』

『はい。彼を惑わしているのはラミル。きっと彼女がいなくなれば、シンクは目を覚ましてくれるはずです。そして人間のためにその力を存分に発揮してくれます』

『なるほど。だがシンクはいつもその獣人と一緒ではないか? どうやって始末するつもりだ?』

『簡単です。私はラミルに信用されています。私が彼女をある場所へ呼び出せば上手く行くと思います』


 まるで無機質に紡がれる自分の声に唖然とする。言った覚えなどまるでない。だが確かに自分の声なのだ。


『ほう、ではどこに呼び出す?』

『はい。それは――――――』


 そこで国王は発動を止めて動揺しているアリシャに視線を向ける。


「さて、お前の指示した通り、全ては上手くいった。あとはシンクを殺すだけだ」

「……え? す、少しお待ち下さい。い、今何と?」

「聞いておらんかったのか? 全てが上手くいったと言っておる。お前が獣人を呼び出して、どうにか殺すことに成功した」

「う……そ……」


 彼の言葉をこれ以上聞きたくなどなかった。


「嘘とはどういうことだ? あれから五日、獣人をおびき出すと突然倒れおって、少しは王女としての自覚を持てアリシャ」


 頭の中がグルングルンとかき回されているかのような気分だった。


(私がラミルをおびき寄せて……殺させた……? いや、殺したも同然……シンクは? だってシンクはラミルのことを本当に愛して……っ!?)


 突然込み上げてくる吐き気に耐え切れずにその場で吐いてしまうアリシャ。不愉快げに国王が眉間にしわを寄せながら、侍女を呼び寄せる。

 アリシャはフラフラになりながら認めたくない現実を直視させるような状況をつきつける国王。


「ほれ、せめてもの情けだ」


 そう言って投げつけてきたのはネックレスだ。小さなタグがついている。それはラミルが今度アリシャにプレゼントしてあげるから楽しみに待っていてほしいと言っていたもの。

 一度作っている工程を見ていたから分かる。それにタグの中心に埋められている赤い玉はアリシャの血で精製されたものだ。それがここにあるということは…………そうなのだろう。


「あ……ああ……あ……」


 アリシャは涙を流しながらタグを握り締める。両手でギュッと握り締めながら盛大に嗚咽するが、


「いつまでも無様な姿を見せるな。ここをどこだと思っておる。おい侍女、アリシャはどうやらまだ回復しきっていないようだ。部屋へと連れて行け」


 侍女が頭を下げてアリシャに近づいてくるが、


「触らないでっ!」


 バチンと差し出された手を弾く。そしてギロリと国王を睨みつける。


(分からない……どうしてこんなことを……シンクもラミルも…………シンク!?)


 そこで先程の国王の言葉を思い出す。後は真紅を殺すだけと言っていた。つまりまだ真紅は生きている。


(赦されない……赦されないけど、でもシンクに謝りたいっ!)


 アリシャは脇目も振らずにその場から走り去り、真紅がいるであろう場所へと向かう。しかし城から出た瞬間、アロスが姿を見せた。

 その顔は鬼気迫る顔で、まるで世界全てを憎み切ったようなどす黒いオーラを全身から迸らせていた。


「アロ……ス……?」

「…………れた」

「……え?」


 次に紡がれた言葉はこの世で最も聞きたくない言葉だった。




 ――――――――――――シンクが殺された     




「……え?」


 彼が言うには、真紅が離れ小島にて自殺したとのこと。だが彼に言わせれば殺されたも同然だという。ラミルの死を知って、彼はすでに死ぬことを決めていたのだと。


(私の……せいで……!?)


 ラミルが死んだのは完全に自分のせい。世界がぐらつき、足場が急になくなるような感覚を覚える。自分がどこに立っているのかさえも分からず、アリシャは呆然自失状態に陥ってしまった。

 アロスはそのまま城の中へと入り国王を含めた上層部を一掃。アリシャを連れてその場から逃げたが、アリシャは痛み続ける心にずっと涙を流すことしかできなかった。


 それからアロスはある壮大な計画を伝えてきた。アリシャがやってしまったことも、全ては何者かの仕業だと教えてきた。俄かに信じられなかったが、アロスが嘘を言うとは思えなかった。

 逆らうことのできない意志によって、アリシャは支配されていると。この世界に住む者たちは、その支配者の駒でしかないのだと。


(支配……もしそれが本当でも……そんな相手に何もできることなんて……)


 絶望。たとえ操られてしまったとはいえ、自分のせいでラミルが死に、その結果、真紅をも殺してしまった事実は塗り替えようがない。

 アリシャはせめて彼らの後を追おうとしてアロスが携帯していたナイフを奪い取り喉を切った。


「何をっ!?」


 当然アロスは愕然とするだろう。いきなりアリシャが自殺をしたのだから。だがそこで初めて気づいてしまった。


「……え?」


 痛みは感じるものの、切り裂いたはずの喉が自然と治癒していく。

 そこで知った。


 ――――――――――――自分は不死者になったのだと。


 召喚魔法のリスク。召喚した者は死を奪われてしまう。


(どう……して……?)


 これは罰なのだろうか。友達を……大好きな人を殺しておいて、自分は死ぬこともできない。この罪を生涯背負って苦しめということか。


(あんまり……よ……)


 気づけばアリシャはどこかへと走っていた。気がつけばどこかの浜辺に打ち流されてしまっていたのだ。


(これも……支配者が私に与えた罪……)


 それからアリシャは街を転々とした。まるで何か答えを求めるように、目的のない旅をし続けた。何百年と放浪しても、何一つ、自分が誰かに償える方法が思いつかなかった。

 できたことといえば、本を書くこと。それは誰かに何かを伝えるわけでもなく、ただ書いていると少しだけ……ほんの少しだけ気がまぎれるという理由だけがあった。


(私にはもう何も残されていないのね。これだけ長く生きても……何も見つからない。ただあるのは後悔と残酷な毎日だけ)


 結局無意識に【ヴィクトリアス】に帰ってきていた。魔具を使い老婆に姿を変えて、しがない占いでもやって暮らすことにした。

 ある日、未来が見えた。生まれてからアリシャには未来が時々見えることがある。何度かそれで真紅たちを助け、《先見のアリシャ》と呼ばれるようにもなった。

 だがいつも唐突に見える。この力が都合よく働いていたら、真紅たちを救えたのかなと思わない日はない。後悔しても仕方ないのだが。


 見えた未来はいつかアロスが自分を探してここに来る未来。逃げようと思った。だが何故だろう、彼に見つけてほしいという思いもあった。小さく子供の姿になった彼は知っていた。そんな姿になってまで何をしようとしているのか、まだ諦めていないのか知りたいと思った。


(逃げ続けている私とはまったく違うわね)


 すでに自分ができることは何もない。彼とは大いに違う。怖くて、動けずにいるだけなのだ。しかしその時、連続して未来が見えた。

 それは一人の少年を占っているビジョン。直感した。その子が異世界人だということを。


(その子と話せと……言うの? 私にまだ何かあるとでも言うの!)


 役目などとうに消え失せたと思っていた。だが何故だろうか、その少年の顔を見て、真紅を思い出した。そして、会ってみたいと……思った。

 アリシャはネックレスにつけられてあるタグをギュッと握りしめる。あれから結局捨てられずに未練たらしく持ち続けてきたもの。こうやって握りしめると、ラミルの温かさが蘇る気がするのだ。

 自分にはもうできることはないだろう。それでもこの未来の先だけは見てみたいと本能的に思った。その少年が、いずれ世界の運命を懸けた戦いに身を投じることとは知らずに……。



     ※



「お前! ふざけたことをしてないでさっさとこれを止めろっ!」


 マルキスは日色の言葉でハッとなるが、すぐに表情を引き締める。


「……それはダメ。これしか方法がないの。アヴォロスがあなたを送還するのを【マクバラ】で感じたの」


 マルキスは未来を垣間見ることができる能力を持つ。【古代異次元迷宮マクバラ】で、日色がこの世界に戻されることを予感したのだろう。


「その時よ、自分の本当の役目に気がついた」

「おいっ!」


 怒鳴られても揺らぐことのない意志をマルキスは貫く。


「召喚の儀式で死ねなくなった身体。あれからずいぶん無駄な人生を生きてきたと思ったけど、ようやく罪深い私にもできることが見つかったと思って嬉しかった」


 儚げに笑みを浮かべるマルキスを見て、日色はギリッと歯を噛んでいる。


「あなたをもう一度、【イデア】に戻す。それが――――――私に残された最後の役目だった」

「黙れっ! いいからこれを解除しろっ!」


 もう誰かの命を背負って生きるのは嫌なのだ。あのような重いもの、何度も背負わされたくはない。両親が死んだ時、だから必要以上に他人と仲良くなるのは止めようと思い距離を開けてきた。

 そうすれば重いものを託されずに済む。日色にとって他人とコミュニケーションを密にとらないのも、簡単にいえば自己防衛と同じだった。しかし異世界で、それが徐々に崩れ始めていたのも確か。


 仲間と呼べるほどの者たちと出会い、彼らとの日々は悪くないものに変わっていった。でもだからこそ、彼らが死んだ時のことを考えると胸が痛む思いを感じた。

 特に日色のために死ぬようなことは絶対にしてほしくない。両親のように、日色を守って死ぬなどもってのほか。そんな命の重みをもう二度と背負いたくはなかった。


 だがこのままでは間違いなくマルキスは死ぬ。日色を異世界に送るために。そしてそれが彼女の役目だと彼女は言う。そんなことはゴメンだ。


「うおぉぉぉぉっ!」


 日色は必死に身体を動かそうと全身の力を奮い立たせる。マルキスはそんな日色を見て嬉しそうに笑顔を見せる。


「やっぱりあなたは優しいわね」

「止めろお前っ! 勝手なことをするなっ!」

「……ごめんなさい。でもこれだけは譲れない。私だけにできること」

「くっ!」


 何を言っても無駄。そう感じさせる覚悟が彼女から伝わってくる。大志たちも事の大きさをようやく理解したのか、踏みとどまるようにマルキスに声をかけるが、聞く耳を持たない。

 すると彼女の左腕が粒子状になって消失していく。皆がそれを見てギョッとなる。だがマルキスだけは穏やかなままだ。


「ヒイロ……私の頼み聞いてもらってもいいかしら?」

「お前! そんなことより――――――っ!」

「お願い」

「くっ……」


 日色は目を強く閉じる。それを了承と捉えたのか、マルキスが口を開く。


「……アヴォロスを、ううん、アロスを――――――救ってあげて」


 刹那、魔法陣の輝きがさらに増す。同時に大志と千佳が先にその場から消失。残りは日色だけ。

 日色は「くっそぉぉぉっ!」と叫びながらマルキスに向かって手を伸ばす。しかし届かない。


「それと最後に――――――あなたを慕う者たちを守って。そのあなたの黄金の翼で」


 マルキスの眼から涙が溢れ出てくる。


「今の私にはハッキリと見える。その輝く翼で皆をどうか……それが私の願いよ。勝手だと思うけど、ヒイロなら託せるわ」


 マルキスの身体が徐々に削られていく。


「ごめんね……でも、大切な人たちを……大事にしてあげて」

「う、占い師……お前もさっさとコッチに来――――――っ!?」


 再度腕を伸ばした瞬間、日色もまたその場から消失した。魔法陣が消え、床に膝をつくマルキス。



     ※



「ようやく、私の長かった人生も終わりか……これで良かったのよ。最後に私らしいことできたもの。そうでしょ……シンク」


 サラサラサラサラとマルキスの身体が形を失っていき、顔の半分はすでに消失している。だがその時、彼女の瞳に誰かの手が見える。救いの手が二人分。無論幻影ではあるが、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「そう、こんな私でも迎えに来てくれたんだね二人とも。待たせてごめんね。やっと……やっとあなたたちに謝れる……やっと……」


 残った右手を差し出し、少し救われたような表情を浮かべながらマルキスは光に飛び込む。


「ヒイロ…………あなたは生きてね……その想いのままに――――――」


 そうしてマルキス・ブルーノート――――――いや、元ヴィクトリアス第一王女、アリシャ・ニア・ピピス・ヴィクトリアスの長い長い生涯が、静かに幕を閉じた。



     ※

 


 日色はハッとなって目を開ける。そこは真っ白な空間がただただ広がっているだけの場所だった。上も下もない、まるで無重力状態に佇んでいるかのように浮遊感を覚える。


「こ、ここは……あっ!? あの占い師は!?」


 送還魔法を行ったアリシャのことを思い出してキョロキョロと周囲を見回す。不思議なことに、同じく飛ばされたはずの大志たちも見当たらない。


「くそ! 何だここは!」


 身体を動かそうとしても前に進んでいるのか後ろに進んでいるのか、それともその場に浮かんでいるのかさえ判断できない。

 アリシャは無事なんだろうかと思考を巡らす。勘弁してほしい。何故よく知りもしない他人が、自分のために命を投げうつのか心底理解しがたい。

 日色が頭を抱えていると、キーンと耳鳴りがし始める。


「……何だ?」


 顔をしかめながら、再度周囲を見回してみるが、やはり何も見つからない。一体どうすればここから出られるのか……日色の頭の中は混乱が渦巻いていた。

 しかしその時、不意にペタペタと足音が聞こえてきた。

 勢いよく顔を振り、その音を頼りに視線を向けてみる。


 そこには簡素な白いワンピースを着用した――――――幼女がいた。


「……は?」


 実際に大志か、千佳か、もしかしたらアリシャかと期待したところに見たこともない幼女だ。ガックリする。しかも何故かペロペロキャンディを舐めながら日色を無機質な顔で直視している。


「……だ、誰だお前は?」


 幼女を観察。外見は七、八歳くらいだろうか。黒い髪に黒い瞳と日色そっくりだ。ただ目つきの悪い日色とは違って、こちらはクリッとしていて、どこか眠たそうに垂れているので、可愛らしい顔つきが更に保護欲をそそる。

 ワンピース以外は身に付けておらず、艶々とした腰にまで伸びている真っ黒の髪もそのまま遊ばせている状態である。


(な、何だコイツ? 何でこんなとこに幼女が……?)


 極めて不可思議な感覚。あのまま送還されていれば、普通なら今頃【イデア】のはず。それなのに目が覚めると変な白い空間で、幼女に見つめられている。しかもその幼女はいまだに一言も喋らず、ただ舌だけ動かして飴を堪能しているというカオス。

 日色がもう一度彼女に向かって口を開こうとしたその時、


「……ん」


 何故か手に持っていた飴を差し出してくる。


「……おい、まさか食べろというわけじゃないだろうな?」

「…………欲しくないの?」

「いるか、そんな涎でベトベトな飴!?」

「もったいない……おいしいのに」


 そう言いつつまたペロペロと舐め始めた。


(い、いやちょっと待てオレ。今コイツ喋ったよな。つまり話せるってわけだ。でも何故だ、コイツからはアンテナ女的な不思議オーラをビシビシ感じる……)


 まさにザ・マイペースを突き進むウィンカァと同じような雰囲気を感じて脱力する。まともに会話ができない可能性が出てきてつい頬を引き攣らせてしまう。


「……なあおい、ここはどこで、お前は誰だ?」


 とりあえず聞きたいことを質問する。



ペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロ。

 


「ええい、ペロペロ鬱陶しいっ! さっさと質問に答えろ黒幼女っ!」


 いつまでも質問に答えずにペロペロしている彼女にさすがにキレてしまった。大人げないとは知りつつも、ずっとここにいるわけにはいかないのだ。少しでもここから出るヒントを得なければならない。


「……ヒイロ・オカムラ」

「っ!?」


 名前を呼ばれて日色は警戒度を高める。


「やはり関係者か。お前は一体何だ?」

「……ここはあたしの世界。ううん、ヒイロの世界でもあって、みんなの世界でもある」

「……はあ?」


 また意味の分からないことを言い始める黒幼女。思わずこめかみを押さえてしまう。


「はぁ、えっと……お前の世界というのなら、ここからさっさと出せ」

「出たいの?」

「当然だ。オレにはやるべきことがある」

「やるべきこと?」

「舐めたことをしてくれたテンプレ金髪野郎をぶっ潰す!」

「……一度負けたのに?」

「っ!?」


 負けたというのはアヴォロスの思惑にハマり、送還されてしまったことだろう。


「オレはまだ諦めてない。負けたとも思っていない」

「……そう。戦うって決めてるんだね」

「オレはあの世界を気に入ってる。あんな悲劇のアイドルを気取ってる奴に壊させるわけにはいかないんだよ」

「ぷっ、その悲劇のアイドルっていうの面白い」


 だったらちゃんと笑えよと思う。彼女はまるで人形のような、感情が欠落している感じで先程からずっと無表情だ。


「ねえヒイロ」

「あ?」

「ヒイロは、【イデア】を助けてくれるの?」

「だからさっきから言ってるだろ。壊されたら困ると」

「……そっか」


 黒幼女がスッと瞼を閉じる。


「実はね、ずっと不安だった」

「……?」

「あたしはずっと間違ってばかり。何とか抗おうとしても、できることは少しだけ。ヒイロと会えたのも、前任者が導いてくれたお蔭」

「ぜ、前任者?」


 彼女が日色の胸の指差す。すると胸から虹色に光り輝く小さな球体が出現する。


「これは……っ!?」


 見覚えがある。確か灰倉真紅が没した【エロエラグリマ】に行った時、真紅の墓石から出てきた玉だ。持った瞬間に弾けて消えたはずだが、何故ここにあるのか……。


「それはあたしが彼に託した《架け橋の白毫(びゃくごう)》。きっと彼がヒイロに渡してくれた。いつかここに来る時のことを考えて」


 そういうことかと日色は納得するものがあった。あの時、確かに誰かの声が聞こえた。あれはやはり真紅のものだったのかもしれない。


「あの子は心が弱かったけど、とても優しかった。誰にでも優しく、ううん、優し過ぎた。あたしはそんな彼を利用することしかできなかった。でも彼は赦してくれた。あたしは彼に償うことができるの?」

「いや、そんなこと聞かれても知らんぞ」


 何となくシュンとなっている様子だ。


「どいつもこいつも償い方とかを他人に聞くな。償いたいと思うのなら実際に行動に起こせばいいだろ。やり方なんて決まってるわけでもない。取り返しのつかない不幸をばら撒いたというのなら、それ以上の幸福を生み出せばいいだけのことだろ」

「……難しいよ」

「それが償うってことだ」

「…………もう、今回の《文字使い》は厳しくない? 何か妙に冷めてるし」

「客観的意見を求めたのはお前だろうが」


 何故こちらが責められなければならないんだと不愉快になる。


「とにかく、前任者がオレをここに来させるためにこの玉を渡したっていうんなら、お前は一体何なんだ?」


 それが一番気になること。死してなお、この状況を予期して真紅が玉を日色に託したのであれば、ここに来たのには大きな意味が必ずあるはず。それを問い質す。


「…………あたしは世界。ううん、今は世界だったもの……かな」


 またも意味の分からない言葉が紡ぎ出された。






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