194:シウバ VS アビス
その頃、別の戦場にいるリリィンは、隣に立っているクゼルと一緒に大志と戦っている日色を見つめていた。
「どうやらこの空間は思った通り隔絶された場所のようだな」
「そのようですね。先程ニッキさんが無茶なことをしていたようですが」
「ふん、あやつはバカだからな。さて、それよりも……」
リリィンの視線は地面に倒れて呻き声を上げている黒衣たちに向けられる。
「まだやるつもりか?」
めんどくさそうにリリィンは半目で五人の黒衣を見つめる。
「くっ!」
黒衣の一人が立ち上がり、真っ直ぐにリリィンへと向かってくる。しかしリリィンは呆れたように溜め息を漏らすと、キリッとした表情を作り上げてその場からフッと消える。
そして一呼吸で、黒衣はその顔を地面に埋もれさせていた。その頭をリリィンが押さえつけていた。
「そのような鈍足でワタシに一撃でも入れられると思っているのか?」
黒衣は痙攣しながら地面に倒れている。
「まったく、もう少し骨のある奴はいないのか?」
不機嫌そうに口を尖らせているリリィンが、そのルビーのように赤い瞳をある人物へと向ける。
その先にはアクウィナスがいた。
「……ちっ」
リリィンが不機嫌なのは、何も相手の拙い力量だけのせいではなかった。
「アクウィナスさん……何故裏切ったのでしょうか?」
近くにやってきたクゼルが心配気に声をかけてくる。
「フン、知らんわ。何か理由があるのだろうが、近くにいるのならこの手でくびり殺してやるものを……」
「……しかしさすがはヒイロさんですね。彼はアクウィナスさんが裏切ってもほとんど表情は変わらなかったようですから」
「奴の度肝を抜くほど難しいものはないからな」
口調は厳しいが、どことなく自慢げに語っている。
「とにかくここから出るにはこの者たちを一掃する必要があるみたいですね」
「はぁ、面倒だな。仕方ない、クゼル、前に出るなよ」
「分かりました」
リリィンが一歩前に出ると、大きく息を吸い、
「貴様らっ! こっちを見るがいいっ!」
その言葉を聞き、ギギギと顔を向けてくる黒衣たち。そしてリリィンの目が大きく開かれる。すると突如、黒衣たちは糸が切れたマリオネットのようにガクッと顔を地面に落とす。そして二度と動かなくなった。
「フン、やはり雑魚だったな」
文字通り一掃だった。
「お疲れ様でしたリリィンさん」
「別に疲れてなどおらん。それよりもさっさとヒイロのところへ向かいたいのだが」
リリィンはクゼルの言葉に素っ気なく返して、周囲を見回す。どこかにヒイロの場所へと繋がる扉がないか探しているのだ。
「まあ、あの男相手でもいいがな」
チラリとその獰猛な目線をアヴォロスへと突きつける。
「とっとと終わらせて【楽園】の造園に着手したいのだがな」
「そうですね。こんな戦争なんて早く終わらせないといけませんね」
するとようやくといったところか、前方に扉が出現した。
「さて、どこに繋がっていることやら」
リリィンは視線を日色へと巡らしてから、すぐに切り、扉へと歩き出した。
日色のところへと繋がっていることを願いながらも、その扉の向こう側から現れた光景に思わず溜め息が漏れた。
そこは日色のところでもアヴォロスのところでもなかった。そこは
「おっじょぉぉぉぉぉっさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
燕尾服を着用した変態が飛びついてきた。
「見境なしか貴様ぁっ!」
「へぶんずぅっ!?」
リリィンが空から口を尖らせて降ってくる変態に向かってサマーソルトキックをカウンターで撃退する。
そして血を撒き散らしながら上空へ浮かんでいる変態のもとへ跳び上がり、リリィンは右足を変態の顎にかけ、両手で変態の両足をガシッと掴む。そしてそのまま変態の頭を逆さまにした状態で地面へと落下してくる。
「お、お嬢様うぷっ!」
「いいからそのまま沈め!」
「こ、これはシャレに――」
バキィィィィッと地面に頭をから突っ込んだ変態。その名をシウバという。
だが彼にも救いはあった。何故ならここのフィールドは砂漠だったから。地面は柔らかい砂なので、まだ衝撃は小さいものだったろう。
しかしながら彼の上半身は見事に砂にめり込み、情けなく両足だけまるでケーキに立てられているロウソクの如くピンと立っていた。
「リ、リリィンさん……何か最後にシウバさん、何か言ってたと思うんですけど……」
クゼルが顔を引き攣らせながら言っているが、リリィンは腕を組みながら、何となくスッキリした顔をする。
「これで世界はまた一つ平和に近づいたな」
「…………」
クゼルは何も言えずに、今もなおピクリとも動かないシウバをただただ見つめている。そんな中、リリィンは気配を感じて視線で気配を探る。
そこには真っ黒の服を着込んだ美形男性が佇んでいた。
「ほう、貴様が今度の相手か」
リリィンは彼から伝わってくる只者ではない空気に思わず愉快気に笑みを作る。
「……リリィン・リ・レイシス・レッドローズ……」
「ほほう、ワタシも有名になったものだな」
「悪いがお前に用はない」
「何?」
ピクリと眉を上げて笑みを崩すリリィン。
「俺が用があるのはそこの男だけだ」
どうやら彼が戦いたいのはシウバのようだ。
「フン、それは残念だったな、あの男はすでに昇天した」
冗談交じりに言うが、男は表情一つ変えない。どうやら冗談が通じる相手ではないようだ。
「……つまらなそうな男だな」
「そうなのでございますお嬢様。わたくしが先程からユーモア溢れる言動をさせて頂いているのですが、少しも感情を表に出してはくれなくて困っているのでございます」
「生きてたのか変態執事」
いつの間にか砂から抜け出し、頭に砂を乗せながらリリィンの隣に立っている。クゼルもその素早い行動に呆れてポカンとしている。
「ノフォフォフォフォ! 久しぶりのお嬢様の折檻…………蕩けそうでした」
「そのまま砂に吸収されれば良かったのだがな!」
「ノフォフォフォフォ! これは手厳しい! ですがそんなツンなお嬢様にわたくしはもうビンビンと感じるものがございます! ノフォフォフォフォ!」
シウバの相変わらずの言動に、リリィンは頭を抱えて溜め息だけを深く吐いていた。
すると突然、リリィンとシウバの表情が険しくなる。リリィンの足元に突如として広がる黒い影から鋭い針状のものが伸びてリリィンを貫こうと襲い掛かってきた。
しかしその物体の動きが突然停止し、ボロボロと崩れていく。見ればシウバの足元から伸びた影が、リリィンの足元に広がっている影に伸びていた。
「ノフォフォ……ずいぶんせっかちでございますな……アビス殿?」
シウバがリリィンに攻撃した張本人を見つめる。リリィンも殺意を込めた睨みをアビスへと向けられている。
「いつまで茶番をしているつもりだ? そろそろ本気を出せ」
アビスが冷淡に言葉を述べる。まるで感情が伝わってこない。
「この若造が……ワタシを無視するとはな。余程脳をグチャグチャにしてほしいらしいな!」
リリィンから大気を震わせるほどの覇気が迸るが、やはりビクとも感じていないようでアビスは涼しげな表情だ。
リリィンが彼の黒い瞳をジッと睨みつけた後、フッと目を閉じる。
「終わったぞシウバ、さっさとここから出るから出口を探せ」
リリィンはすでに勝負がついたと判断して、戦闘態勢を解く。しかしシウバはリリィンの言うことを聞かずに、警戒を緩めないでジッとアビスを見つめている。
「……シウバ?」
いつまでも動かないシウバを不自然に思って彼を見ながら首を傾げる。
「お嬢様、残念ですが、彼とお嬢様とでは相性が悪いのでございます」
「何だと?」
彼の言った言葉の意味が分かったのは、次に発せられた言葉を聞いてからだ。
「やはり初代魔王とは違い、薄っぺらいものだな…………お前の《幻夢魔法》は」
「な、何だと……っ!?」
リリィンの瞳が驚愕に開かれる。それもそのはずだ。リリィンは、先程相対した黒衣たちを一掃した時のように、彼の目を見て《幻夢魔法》をかけた。
(しかも特大に濃いのをかけたはずだ。奴の心は殺したはずだ!)
リリィンの魔法は幻を見せつける能力があるが、たとえ幻でもその精神を侵し、心を殺すことができるほどの力を持っている。故に今までの相手は手を触れずともリリィンの姿を見せつけるだけでも倒すことが可能だった。
それなのにアビスは平然と立ったままだ。
「おいシウバ、どういうことだ! 奴は何をした!」
「……彼は『精霊』なのでございます。しかも……わたくしと同じ『闇の精霊』」
「っ!? ……そういえばそうだったな。つまりワタシの魔法を無効化したというわけか」
『精霊』という存在は、その存在そのものに魔法は通じないのである。つまりどれだけ強力な魔法を行使したとしても、彼に作用する魔法は全く効果がないのだ。
「彼はわたくしにやらせて下さい」
「シウバ?」
「何度も戦わずに済むように頼み込んでいたのですが、彼はしてはいけないことをしました」
シウバは普段はあまり見せないキリッとした表情でアビスを見つめている。
「…………好きにしろ」
リリィンにしても、魔法が効かない相手と戦うのは面倒この上ない。しかも相手が『精霊』とあらば尚更である。故にここは同じ『精霊』であるシウバが適当なのは確か。
「ありがたき幸せ」
シウバがリリィンに丁寧に頭を下げると、リリィンがその場から離れてクゼルの隣に立つ。そしてシウバはザクザクッと砂を踏みしめ数歩歩いたあと足を止める。
「ようやく本気になったか?」
「ええ、少しあなたに言いたいことがあるのですがよろしいですか?」
「……何だ?」
「わたくしはこの世に大切なものが幾つかございます」
「…………」
「たとえどのような方でも、それを傷つけようとするのであれば温厚ではいられません」
「……何が言いたい?」
「いえいえ、ただあなたはわたくしの逆鱗に触れた。ただそれだけのことでございます」
「…………?」
シウバが姿勢を正してクイッと相手を挑発するように右手を動かす。
「お嬢様に手を出すとどうなるか、教えて差し上げます。さあ、かかってきなさい幼い『精霊』殿?」
不敵に笑みを浮かべるシウバから、異常なまでの敵意を感じたのか、アビスはそれまで変えなかった表情を変え、目を凝らすように細めた。
※
ご主人様であるリリィンを狙われてシウバから穏やかさが失われ厳しさが増した。狙ったアビスを冷ややかに見つめながら相手から一定の距離を保っている。
そしてすかさず懐から食事用のナイフを数本取り出すとそのままアビスへ向けて放つ。しかしアビスの足元から黒い塊が彼の前方に壁となって出現しナイフを呑み込んだ。
「そんなものが効くと思っていたのか?」
「いやはや、魔法が効きませんので物理的に戦おうかと」
「冗談はよせ。俺たちの扱う魔法は『精霊魔法』だ。『精霊』に唯一効果がある魔法だろう」
「おや? そうでしたかな? 最近物忘れが酷くてですな」
「……なら俺の背後にあるのは何だ?」
アビスの背後から襲い掛かる槍状の黒い塊。アビスは振り向きもせずに向かってきた槍をその場から左に身をかわし逃れた。そして一言。
「油断も隙もない奴だ」
「ノフォフォフォフォ! さすがですなぁ」
シウバは相手の油断を誘いつつ、その隙をついて一気に勝負を決めようとしたが、アビスの警戒網を潜り抜けることはできなかったようだ。
「次はこちらからいくぞ」
アビスから苛烈な殺意が迸り、彼の身体から放出された闇が広がりまるで波のように襲い掛かってくる。
「これはこれは、老体は労わらなければいけませんよ?」
「よく言う! そんなに柔じゃないだろ! 《冥王》っ!」
「――っ!?」
アビスが言い放った最後の言葉を聞いた瞬間、シウバの表情がさらに険しくなる。シウバは厳しい目つきのまま向かってくる闇を睨みつけ、そしてサッと右手を闇へと向ける。
するとその闇がシウバの手に触れた刹那、まるで元々シウバのものだったかのように闇はシウバの右手へと吸い込まれていく。
その光景を砂の上に立ち、平然と見守りながら押し黙っているアビス。全ての闇がシウバに吸い込まれた時、アビスは細い目をさらに細める。
「やはりシウバ・プルーティス。いや、《冥王》」
「ずいぶんと懐かしいですね。まさかその名を再び耳にするとは考えておりませんでしたな」
「他にもある。《始まりの闇》、《光の天敵》など、『精霊』……特に俺たち『闇の精霊』で知らない者などいない」
「ノフォフォフォフォ! 恥ずかしい若気の至りのことにございますよ! 今はただの執事です」
「……一つお前に聞きたいことがあった」
「ほほう、何でございましょうか?」
「『闇の精霊』は、他の『精霊』と違って異質。その存在は数えるほどしかいないが、何故お前は【スピリットフォレスト】を捨てた?」
微笑を浮かべていたシウバの表情からゆっくりと笑みが崩れていく。
「捨てた……そうですな。わたくしは確かに故郷を捨てました」
「何故だ?」
「それをあなたが聞きますか? 『闇の精霊』は異質といったのはあなたですぞ?」
「……俺たちは契約者なしでも自由に外を行き来できる」
「それはメリットですな。わたくしが申し上げていますのはデメリットの方ですぞ」
「…………」
「『闇の精霊』は契約者なしで自由に動けるのではなく、元々契約者を持てない代わりに自由がきくだけです」
「それが理由か?」
「それは理由の一つに過ぎません。それはあなたも理解しているでしょうに。我々『闇の精霊』はその存在そのものが強い。【スピリットフォレスト】にいる『精霊』たちは、それこそ千差万別。生まれたばかりのか弱い者も大勢います。ですが『闇の精霊』は、そこにいるだけで、他の者の力と干渉し呑み込んでしまう。あの場にずっと居続ければ、『精霊』たちが自我を失い暴走してしまうのです」
「……それは決して俺たちの非ではないはずだ」
ギリッと歯を噛み締めながら、初めてアビスが感情を見せた。シウバはその表情を見て、彼もまた犠牲者なのだということを悟った。
「そうですか……あなたもまた、失ったのですね……己の大切な者を」
「…………忘れたか?」
「む?」
「もう何千年も前になる。俺とお前は――――――会ったことがある」
「っ!?」
アビスの告白にシウバの目が大きく開かれる。シウバにとって彼の記憶がない。しかし彼が嘘を言っているようには見えない。つまり過去に……しかも数千年前に彼と会っているのだ。
「お前が今の『精霊王』――ホオズキと、もう一人……アシュカとともに【スピリットフォレスト】に住んでいた時だ」
「…………そうですか。そんな昔にわたくしとあなたが……」
「覚えていないか? あの時、まだ生まれたばかりだったが、お前たちの周りをチョロチョロと動き回っていた存在がいただろう?」
シウバは過去を思い馳せるように記憶の中を探っていく。そしてハッとなり、確かに彼の言う通りに小さく幼い『精霊』がいつも三人の周りにいたことを思い出す。確か二つの存在……。
「その一つがまだ幼かった俺だ」
「……!?」
「俺はお前の存在に影響を受けて、あの場で自然構築されて生み出された闇の属性を持つ『精霊』だった。そして……もう一つ。アシュカの影響を受けた光の属性を持つ『精霊』…………ヘブンがいた」
名前は知らない。だが確かにシウバの記憶上では、小さな『精霊』が、いつも楽しそうにシウバたち三人の周りでプカプカと浮いていた。まだ自我が育ち切っていなかったが、その二つの存在は、『精霊の母』を失った三人に、確かな希望をもたらしてくれた。
『精霊の母』が死んで、しばらく『精霊』が世界に生み出てこない時期が続いた。このまま絶滅していくのであろうかと危惧した矢先に生まれたのが、その二つだった。だからこそ、まだ世界は死んでいないのだと思えた。
その二つの存在を皮切りに、次々と新たな『精霊』が生み出されていった。ただそのほとんどがある場所――【スピリットフォレスト】だった。いや、それは順番が逆だ。
『精霊』の生み出る場所として、そこを聖域とし【スピリットフォレスト】と名付けたのだ。また、その場所は『精霊の母』が命を失った場所でもあった。
彼女は自らが死ぬ前に、ある一定の範囲内に結界を張っていたようだ。自分が死んでも、他の『精霊』たちが生き続け、そしてまた生まれてこられるような空間を作り出していたのだ。
「だがある日、お前という『闇の精霊』の影響を受けて、自我を失った存在がいたな」
「…………」
どうやら彼はあの出来事を知っているようだ。シウバは苦しそうに顔を歪める。
「それがアシュカだった。まだ若い俺たちには何が起きたのか分からなかった。突然暴れ出し、多くの『精霊』たちが散っていった。そして……ヘブンもその犠牲になった」
「っ!?」
アシュカの影響を受けて生み出されたヘブン。それは言ってみれば、今のホオズキに孫のような存在であるヒメがいるようなものだ。人間で言えば、血の繋がり。肉親と同意。
そしてそんなヘブンと恐らく仲が良かったであろうアビス。アビスは親友を目の前で失ったのだ。他でもないシウバの影響力によって。
「結果的にアシュカをお前たちが倒した。俺はアシュカを憎んだ。友を奪った存在を憎んだ。だけど……憎み切れなかった」
「アビス殿……」
「アシュカはそれでもヘブンの親のような存在だ……それに彼は俺たちに一番よくしてくれていた」
一番面倒見の良かったのがアシュカだ。『精霊』たちも全てが彼を慕っており、シウバやホオズキもまた絶大な信頼を彼に寄せていた。そこで彼に『精霊』たちを纏める役である『精霊王』になってもらったのだ。
順風満帆だった【スピリットフォレスト】が、たった一つの出来事に恐怖した。そしてそれを成したシウバ――『闇の精霊』の存在が問題視され始めた。
皆から慕われていたアシュカの消滅は、それまでの『精霊』たちの常識を覆すものだった。『精霊王』として皆を導いていた存在が、たった一つの『闇の精霊』の影響力によって自我をなくしてしまうということ。
その現実が『精霊』たちを恐怖に陥れることになった。また『闇の精霊』は自我が強く、契約者を持たなくとも、自由に世界中を行き来することができるという事実にも拍車をかけ、異端、異質、異常な存在として認識し始められた。
ホオズキはシウバ――果ては『闇の精霊』たちの扱いを決定しかねていた。どんな属性を持つ存在とはいえ、同じ『精霊』なのは間違いないのだ。
だが長時間同じ場所に居続けていれば、『闇の精霊』の存在の強さに呑み込まれてしまい、他の者が自我を失い暴走してしまう。
故にホオズキは決断を下す必要があった。だがシウバは、そんな親友であるホオズキに辛い役目を背負わすようなことはしたくなかった。
だからこそシウバは黙って【スピリットフォレスト】を出ることに決めた。
「俺が許せなかったのはそれだ」
「……?」
アビスが殺気を含ませた視線をシウバへとぶつけてくる。
「お前は自身がその場にいれば、また誰かを暴走させる危険性を考慮した。だから自分一人で出ていった」
「…………」
「……だがお前は問題を放置し、逃げただけだ」
「……耳が痛いですな」
アビスの言葉。それはまさしく正論だった。シウバは逃げたのだ。親友であるアシュカをその手にかけることになり、居場所まで失った自棄になった行動ともいえる。いや、実際にそうだったのだ。シウバはあそこに居続けたくなかったのだ。
居続ければ、嫌でもアシュカのことを思い出す。ホオズキから憐みの視線を向けられる。仲間たちからは恐怖の対象として見られる。それが我慢できなかった。
「あれから他の……とはいってもあの時に自我のあった『闇の精霊』は俺だけだが、どうなったか知ってるか?」
シウバは眩しそうに目を細めてアビスを見つめる。無表情の彼なのだが、どことなく泣いているように見えた。
「俺は……お前を追って【スピリットフォレスト】を出た」
「……そうですか」
「だがまだ人化もできない俺は、お前を探すのは楽ではなかった」
それはそうだろう。いくら自由のきく『闇の精霊』だといっても、自然界には危険が溢れているし、幼いアビスには過酷なものになったはずだ。
「何年、何十年、何百年、何千年もお前を探し続けた。そして見つけた。だがお前はその時、お前は――楽しそうに笑っていた」
再び湧き上がるアビスからの殺意。
「あそこにいるガキのもとで、まるで過去を捨て去ったかのように笑っていた」
その時、シウバはリリィンに拾われて執事として仕えていたのだ。彼女のもとで生活しているのは本当に楽しくて、己が『闇の精霊』だということを忘れることもできた。
「その時の俺の絶望感を理解できるか?」
「アビス殿……」
「お前の影響を受けて生まれ、勝手に傍からいなくなられ、長い年月をかけてようやく探し当てたと思ったら、お前は全てを忘れて日常を楽しんでいる。こんなふざけたことがあるかっ! 何故出ていく時に俺も連れて行かなかったっ!」
激昂。初めて誰にも分かるほどに感情を爆発させるアビスを見て、シウバは申し訳なく思うことしかできなかった。
「お前は自分のことしか考えていなかった……俺のことを忘れていた……」
「アビス殿……わたくしは何も言えません。確かにあの時、逃げることだけしか考えておらず、お嬢様と出会った時からわたくしは至福の時間を過ごしてきました。過去を顧みないで、あなたという存在も忘れていた」
「俺を生み出しておいて……勝手だと思わないのか?」
「勝手ですな。まことに勝手だと思います。わたくしはあなたに何かできるのでしょうか?」
「なら俺の恨みを受け止めろ! それが俺の望みだっ!」
アビスが大地を蹴り上げ瞬時にシウバの懐へ入る。そのまま全力を込めた右拳をシウバの腹へと突きだした。
「ぐほぉっ!?」
メキメキッと骨の軋む嫌な音とともに激痛がシウバの腹部に走る。そのまま砂を撒き散らせながら吹き飛んでいくシウバは、一切の抵抗の意志を見せずに、追い打ちをかけてくるアビスを黙って見つめているだけだ。
そして何度も何度も全身を強打され続ける。膨大な魔力が込められたアビスの攻撃は凄まじい威力があり、タフなはずのシウバの体力をドンドン減少させていく。
互いに魔法は通じない。だからこその肉弾戦なのだが、こうも成すがままにされていると、シウバも次第には息絶えてしまう。
だがシウバには彼に抵抗するつもりなど毛頭なかった。
(彼は……わたくしの被害者……わたくしは彼の怒りを受け止める義務がある……)
シウバはただただ懺悔しながらアビスの猛攻を受けるしかなかった。怒り心頭に顔を凄ませるアビスが納得するまで。それがもし己の死だとしても、シウバは受け入れなければならないと思っていた。
そしてアビスはシウバを仰向けに倒し、シウバを冷ややかに見下ろしながら口を開く。シウバはそんな彼を見て、大人しく運命を受け入れるように目を閉じた。
(すみませんお嬢様……どうやらここで幕のようでございます)
心残りは数え切れないほど残っている。リリィンの造る【楽園】も見てみたかった。日色がこの先何を成していくのか見てみたかった。もっと新しい家族と一緒に過ごしてみたかった。やりたいことを上げれば切りがない。
だがこの青年の想いを受け止めることができるのは自分だけ。そう思い、シウバは静かに死を待った。アビスの右手に刃状の黒い物体が生み出される。
「『精霊魔法』は『絶対魔法』。魔法無効化を受け付けない崇高な力。だがその力にも優劣は存在する。万全のお前相手では俺の魔法は通じなかっただろうが、今は違う。今ならば俺の魔法で、お前の無効化を突き破れる!」
たとえ魔法を無効化するフィールドを生み出す『赤い雨』の中でも、『精霊』は魔法が使える。何故なら『精霊』の扱う魔法は、全ての干渉を無効化できる効果があるから。
それが《絶対魔法》と呼ばれる所以。魔法を無効化できる『精霊』相手にも有効である。しかし、そこには優劣がある。
例えば『精霊』同士、互いに魔法をぶつけ合ったとする。この時、力の弱い方の魔法は無効化されるが、強い者の魔法はその効果を発揮することができるのだ。
シウバとアビスの力量からいって、シウバの方が上だった。しかし体力を奪い満身創痍にさせた今のシウバでは、アビスの力を上回ることができない。つまりアビスの魔法はシウバに届いてしまうのだ。
「死んで詫びろっ!」
アビスがその凶刃をシウバの喉元へ突き立てようとした時、何者かがアビスを横から吹き飛ばしてしまった。
「っ!?」
アビスは突然のことに戸惑ったが、身体をクルリと回転させて体勢を整えると、自らを吹き飛ばした相手を確認する。
そこには腕を組みながらふてぶてしそうに佇む赤い髪の少女――――――リリィン・リ・レイシス・レッドローズがいた。
そして彼女は不愉快そうに倒れているシウバを見下ろしながら近づき、その細い足を高く上げるとそのままボールでも蹴るような感じでシウバの頭部を蹴り上げた。
「アホかぁぁぁぁぁぁっ!」
「ぶゅっへぇっ!?」
シウバは人身事故にでもあったようにゴロゴロと砂の上を転がり、一つの砂山に衝突した。
さすがのアビスも彼女の行動に唖然としている。それもそのはずだ。もしかしたら今の一撃でシウバは昇天したかもしれないのだから。
だが彼女はキリッとした表情のまま怒鳴る。
「何をふ抜けたことをやっているっ! 貴様は私の従者だろうがっ! シャキッとせんかっ!」
「あ、あのリリィンさん、今の……シウバさん死んだんじゃ……」
「愚か者! あの程度でゴキブリ並みの生命力を持っている変態が死ぬかっ!」
クゼルの心配気な声も、リリィンはズバッと切り捨てる。
吹き飛ばされたシウバは砂に埋もれながら考えていた。
(相変わらずお嬢様は容赦がありませんなぁ……)
目が覚めるような今の一撃で、ショック療法とでもいおうか、身体を襲っていた強烈な脱力感が少しマシになっていた。
シウバは砂山からフラフラになりながらも出てきて立ち上がる。
「い、痛いのですが……お嬢様?」
「フン! 貴様にとっては嬉しいサービスだろうが!」
確かに普段なら気持ち良くなれるかもしれないのだが、今のシウバは度重なるアビスの攻撃により疲弊し切っている。下手をすれば今の一撃でも十分に天に召される自信はあった。
「シウバ! 貴様初めて会った時、ワタシにこう言ったな! 『自分には何もない』と!」
「……!?」
「ならこの様は何だ!」
「…………」
「何もないのであれば悔やむこともあるわけがあるまい!」
リリィンの言う通りだ。何もなければ過去すらないということだ。
「ワタシの従者なら、逃げることは許さん! 過去に何があったのか知らんが、きっちりケジメをとれっ! 死に逃げるな愚か者めっ!」
「……お嬢様…………はは」
思わず笑みが零れ出た。そうだ。この真っ直ぐ過ぎる彼女の傍にいることが心地好くて、彼女の傍ならもう二度と間違うことはないだろうと思えたのだ。
(お嬢様……感謝致します)
シウバはパパパッと服についた砂を落とすと、大きく深呼吸をする。そしてアビスのもとへ向かい、彼と対面して発言する。
「アビス殿、どうやらわたくしは、まだ死ねないようでございます」
「ふざけるなっ! この上、まだ生き恥を晒したいかっ!」
「結構なことでございます」
「な、何だと?」
「生き恥を晒そうとも、生きろと仰って下さる方がおられます。その方がおられる限り、わたくしはどれほど泥水をすすろうと生きていこうと思います」
「くっ……」
「そしてこの戦いにおいて、わたくしなりのケジメをつけさせて頂きます」
シウバは戦闘態勢を整え、アビスの瞳を曇りのない瞳で見返した。
「ではいきますぞ、アビス殿?」
「っ!?」
爆発的に膨れ上がるシウバの魔力と殺気に、無意識に大きく一歩後ろへ下がってしまうアビス。
「だ、だが満身創痍のお前に、俺の魔法を打ち消すことはできまいっ! シャドウシックルッ!」
アビスが手刀を作り距離を維持したまま、その場で手刀を振り下ろすと、弧を描く黒刃が放たれシウバに襲い掛かってきた。
しかしシウバが避けようともせずに立ち尽くしている。
「シウバさん! 避けて下さい! ああ、リリィンさん、やはりまだシウバさんは……!」
「フン、その心配はない。奴の表情がそれを物語っている」
クゼルの心配をよそに、リリィンが淡々とものを言う。クゼルは眉をひそめながらシウバの顔を見つめる。確かに先程のような悲壮感は欠片も見えず、真っ直ぐな瞳で向かってくる黒刃を見つめている。
「……ダークゲート」
シウバの口が静かに動き、その目の前に黒い円が出現。そしてアビスの攻撃がその円に呑み込まれたと思ったら、アビスの上空から同じような黒円が現れ、そこから驚くことにアビスが放った黒刃が、今度はアビス目掛けて飛ぶ。しかしアビスは不敵に笑みを溢している。
「愚かな。いくら攻撃の軌道を変化しようがしょせん俺の攻撃。この俺に効くわけが……」
バシュゥゥッとアビスの左肩を斬り裂いた黒刃。仰天するアビス。自分の攻撃が、自分にダメージを与えるわけがないと心底信じていたようだが、それが覆されて困惑している。
傷はまだ浅い方だが、傷口を押さえながら痛みに耐えるような表情でシウバを睨みつける。
「な、何故だ!……!?」
彼の疑問にシウバが答える。
「あなたにお返しする時に、わたくしの魔力を注がせて頂きました。故に今のはもうわたくしの攻撃そのものでございます」
「くっ……俺の無効化の耐久値を越えたというわけか」
アビスの力にシウバの力を上乗せすることで、本来なら無効化できるはずの魔法が、アビスの許容量をオーバーしてしまったあげく攻撃を受けてしまったのだ。
「《絶対魔法》にも優劣は存在する。そう仰ったのはあなたですよ?」
「ぐ……ならばこれでっ!」
アビスの全身から闇が広がっていく。それが次第に形を成して、無数の矢に変化していき、空を埋め尽くしていく。
「ほほう~これはこれは、大したものですなぁ」
シウバはアビスの力量に感嘆し目を丸くしている。青い空が、一気に闇空へと早変わりした。そしてアビスがクイッと指先を地面に向けて折る。
すると次々と黒い矢がシウバ目掛けて降り注いでくる。
「ブラック・デスッ!」
シウバを囲うようにして覆い尽くしている矢の集合体から放たれる強襲。真っ直ぐ落ちてくるものもあれば、弧を描き死角から襲い掛かってくる矢も存在し、まさに四方八方を埋め尽くされた回避不可能の魔法だった。
その状況を見て、さすがにまずいと思ったようでクゼルがシウバの名を叫んでいる。だが隣に立っているリリィンは表情を一切変えずに黙って見守っているだけだ。
まるでシウバの勝利を疑っていない。そんな彼女の姿を見たシウバが満足気に微笑む。
「そうですなぁ~、まだまだ若い者には負けていられませんよ。ノフォフォフォフォ!」
いつものシウバのバカ笑いが轟き、その間にも矢はシウバに迫ってきている。そして避ける間もなくシウバの全身を、無数の矢が貫いていく。
「……フッ」
アビスも確実にシウバの命を奪ったと確信しているかのように笑みを浮かべる。ザクザクザクザクッと音だけが響く黒塗りの空間を見つめながら、攻撃が終わるのを待つ。
時間にして数分だが、攻撃を受けている者にとっては永遠にも感じる攻撃。終わらない矢の放射に文字通り全身を貫かれても時間が来るまで地獄は続く。いや、すでにこの空間に入った者は最初の十数秒で死を与えられているはずである。
そしてすでに骸と化しているであろうシウバの様子をアビスは確認するために近づく。砂の上には黒い物体が横たわっている。
だがその黒い物体を見た直後――――――アビスに戦慄が走る。
何故ならそこにいたのは黒い獣。全くの無傷で、見るだけで恐怖で震えてしまいそうな紅き瞳で睨みつけてきている。虎のようなその姿に、アビスはマズイと感じたのか、その場から距離を取ろうとするが、虎の動きはその上をいく。
瞬時に砂を巻き上げた虎は、雷のような速度で一気にアビスを追い越し彼の背後に立つ。そしてフッと虎が殺気を緩めると、驚くことに言葉を話した。
「わたくしの勝ちですな、アビス殿」
「がはぁっ!?」
シウバの声が聞こえたと同時にアビスの全身が、激しく刻まれ前のめりに倒れた。今の一瞬で、虎から目にも止まらないほどの速さで攻撃を受けたのだ。
そしてシウバの声を発した虎が、徐々に姿を変化させていき、シウバとして顕現する。
「ふぅ~久々にあの姿になると堪えますなぁ」
首を回してボキボキッと小気味の良い音を出すシウバ。
「ぐ……お前……何をした……?」
「分かりませんか? いみじくもあなたが仰ったではありませんか。『絶対魔法』にも優劣があると」
「…………っ!? バカなっ! 俺の魔法を無効化したというのか!?」
「ええ、その通りでございます」
「ふざけるなっ! 万全のお前ならともかく、今のお前が俺の攻撃を無効化できるわけがないっ!」
「……『精霊』にとって優劣とは、その存在の力でございます」
「……?」
「確かにあなたに組み伏せられていた時、あの時ならば間違いなくあなたの刃はわたくしに届いたことでしょう」
シウバは目線を下げて彼を見つめる。
「しかし、お嬢様のお蔭で、わたくしはまだ死ねないということを強く意識しました。弱々しかった存在力が元の強さに戻ったわけです」
「バカなっ! 存在の力が意志次第で何とでもなるというのか!」
「……その通りでございます。我々『精霊』は、元々が自然の意志が形になって生まれた存在でございます。意志の力が存在の力なのですよ」
「……!」
「わたくしはあなたにしたことを罪と感じ、その手にかかることで罰を受けようと……死を受け入れようとしていました」
その時、シウバの生きる意志は脆弱なものになり、存在の力も失われていっていた。しかしリリィンの言葉で立ち直り、再び生きることに執着した結果、元の存在力を取り戻したのだ。
「『精霊』としてはまだまだあなたはわたくしより弱い。だからこそ、あなたの魔法はわたくしには通じなかったのでございますよ」
「…………俺は……お前を……許さない……」
その言葉を受け、表情に陰りを見せるシウバ。そして静かに彼に近づき、膝を折って手を差し伸べる。
「……何の真似だ?」
「……わたくしに償わせて頂けませんか?」
「……?」
「本当は、あなたに殺されることがあなたにとって一番の復讐なのかもしれませんが、どうやらわたくしはそれを選ぶことができないようです」
「…………」
「ですが、あなたにしてしまったことは、今でも悔やみきれません。だからこそ、わたくしに、別の形で償わせてほしいのです。勝手なことを申し上げているのは重々承知しております。ですがどうか……この身で、どうか……」
シウバの不安気に揺れる瞳をジッとアビスは見つめる。アビスは視線を切り、目の前に広がっている砂を見つめる。そして静かに目を閉じて言葉を出した。
「……今更遅い。俺はアンタを許せない。次に会った時は今度こそこの手でアンタを……倒してやる」
「…………そうでございますか」
シウバは差し出した手を引き、悲しげに立ち上がるとそのまま重い足取りで近くまで来ていたリリィンの前に立つ。
「……もういいのか?」
「はい、ご迷惑をおかけしました、リリィンお嬢様」
「まったくだ! 貴様はワタシの従者なのだから勝手な行動をするな! 分かったな!」
「……畏まりました」
「ならとっとと次の扉を探してこい」
かなり落胆しているシウバだが、リリィンの命を受けて扉を探しに向かった。
「ずいぶん消沈していましたがシウバさん大丈夫でしょうか?」
「長生きのくせに肝心のことは理解しておらん愚か者は放っておけ」
「え? 肝心なこと?」
「む? 貴様もそこにいる奴の言葉を聞いていなかったのか?」
「……?」
「奴は今度こそ倒してやると言ったのだぞ?」
「……あ」
「それまで殺してやる一辺倒だったものを……しかも呼び名がお前からアンタにまで変わっている。ったく、どっちも甘い奴らだ」
リリィンは呆れたように溜め息を吐く。クゼルは苦笑を浮かべながら、
「それってやはり彼は今でもシウバさんを完全には恨み切れていないということでは?」
「知らん! というよりそんなことはどうでもいい。おい貴様、一つ聞くが何故《マタル・デウス》に入った? シウバを殺すためなら入る必要などあるまい」
リリィンが問うと、アビスが「お前には関係ない」とだけ答える。ピキッと額に青筋を浮かべるリリィンは「ほほう」と殺気を醸し出すが、何とかクゼルが間に入って宥めていた。
そして扉を見つけたシウバが戻ってくると、三人はその扉に向かおうと歩を進めたその時、アビスから「おい」と言葉が発せられた。それにはシウバが対応した。
「どうかされたのでございますか?」
「…………いや、何でもない。さっさと消えろ」
「……すみませんでした」
何か言いたそうだったが、結局それ以上は口を開くことはなかった。三人は静かにその場を後にした。
※
「ほう、あのアビスが負けたようだな」
シウバとアビスの戦いが終結したことを知ったアヴォロスは、さすがに驚きを得ていた。アビスは『闇の精霊』であり、かなりの強者でもある存在。
その彼が、老人一人に負けるとは思ってもいなかった。
「だがそれも当然か。どうやら相手も『闇の精霊』のようだしな。しかもあの威圧感……原初に近い存在か……アビスには荷が重かったようだ」
存在の強さが明暗を分ける。簡単なこと。その強さが、ただ単にアビスは劣っていたというだけの話だ。
(奴め、【スピリットフォレスト】に手を出さない代わりに、自らを差し出すと言った割りには使えん駒だったな)
そう、アビスが《マタル・デウス》に入ったのはアヴォロスから【スピリットフォレスト】を守るためだった。
故郷の住む『精霊』たちを平穏無事に過ごしてもらいたいがために、アビスはアヴォロスに与することを決定した。彼にとって、やはり故郷は大切なものだったのだろう。
アヴォロスも『闇の精霊』が手に入るのであればそれで良しとして、その場はアビスの願い通り【スピリットフォレスト】を襲わないと誓った。
(しかし敗北するとは存外当てにならん奴だ)
アヴォロスは遠目に見えている砂漠のフィールドで倒れ込んでいるアビスを一瞥すると、もう興味を失って視線をある者たちに向ける。
それはすぐ目の前に倒れている二人の人物。
「よもや、この程度とは思わなかったぞ……獣王に《衝撃王》よ」
傷だらけで倒れているのはレオウード・キングとジュドム・ランカースだった。あれから彼らがアヴォロスに攻撃を仕掛けてきたが、呆気なく返り討ちにあっていた。
「ぐぅ……ば……化け物め……」
レオウードが激痛に顔を歪めながら憎々しい感情を瞳に宿している。
「退屈過ぎるな。たとえ前の戦場で全力を尽くしているとはいえ、もう少しは奮闘してもらいたいところだ。これでは本当に遊びで終わってしまうぞ?」
《奇跡連合軍》のトップクラスに立つ二人が成す術もなく打ち伏せられていることが信じられないのか、イヴェアムたち周囲にいる者たちは言葉を失っていた。
「これが余と貴様たちの明確な差だ。元々の余自身の魔力と身体。その上に初代魔王であるアダムスの魔力が付与されているのだ。貴様たちに勝つ術などあるものか」
その言葉を受け、イヴェアムの前に立つマリオネが強張った表情を浮かべながら発言する。
「初代魔王アダムス……その実力は全ての者の上に立つとされていた」
「ほう、よく知っておるではないかマリオネ。そうだ、アダムスの全盛期の力、それを知っているのはここにいる余と、アクウィナス、そして……」
アヴォロスの右斜め後ろから扉が開き、中からある人物が姿を現す。それはイヴェアムをギョッとさせ、悔しさに歯噛みさせる人物だった。
「……キリア……っ!」
かつて初代魔王アダムスの手により生まれたヴァルキリアシリーズ。それがキリアである。
「ここにいるヴァルキリアだけだろう。アダムスの力は常軌を逸していた。『魔人族の神』とも称され、戦いではただの一度も敗北することなどはなかった。それだけ彼女の力は人々の理解を超えていた。そのような力を得た余に、いくら迷宮の維持で魔力を消耗しているからといって、貴様たち如きが届く理由もあるまい」
不敵に笑みを浮かべるアヴォロスに対し、皆はただ睨みつけることしかできない。傍にはクロウチやアノールドもいるが、明らかにレベルが違う。
レオウードたちでさえ子ども扱いされている現状で、下手に手を出しても足手纏いになってしまうだけなのだ。
すると今度はそのアノールドの後方に扉が開き、そこからリリィン、シウバ、クゼルが姿を現した。
彼女も少し目を開き現場に驚いた様子だったが、すぐに普段と同じ自信たっぷりの表情に戻す。アクウィナスはリリィンの姿を見て、若干眉を動かした程度だが、確実に反応を返していた。
そしてもう一つ、アノールド側に扉が開いたと思ったら、そこからはバリドとプティス、そしてラッシュバルが出現。彼らの相手は黒衣死人だったはずだが、どうやら打ち倒してきたようだ。
「続々と役者が集うな。残りの戦場は……三つか。思った以上に《連合軍》は優秀なようだ」
だが少しも焦りを見せないアヴォロス。むしろ余裕さえ感じている。全ては想定内の出来事だからだ。
その時、一つの戦場から声が届く。それはすでに勝負が決したはずの鈴宮千佳たちがいる戦場だった。
「早く大志のところへ行かせなさいっ! アヴォロスゥゥゥッ!」
千佳だけでなく、朱里やしのぶも叫んでいる。しかしその希望に応じるつもりなどは一切ない。
「貴様らはしばらくそこで大人しくしているがよい」
それだけを言うとすぐに視線を切った。
「さて、あっちの戦場ではそろそろ勝負がつきそうだな」
アヴォロスの視線の先にはシュブラーズとイオニスが、ビジョニーと戦っている場面が映っている。しかしこちらはイヴェアムたちも想定外なのか、ビジョニーの前に力なく倒れている二人がいた。




