193:勇者たちの奮闘
日色が再会したアノールドとクロウチを連れて、新たに見つけた扉の中へと突き進んでいた。もう三度目になる闇の道を見据えて歩を進めながらアノールドとクロウチから聞いたアクウィナスの裏切りについて考えていた。
ジュドムが言うには、恐らく彼の偽物だろうということだが、日色には判断はしかねる。
そのアクウィナスを見たのは二人だけだし、アクウィナスについてあまり知らない二人でもある。
だからアクウィナスが裏切り行為をして二人を傷つけたことを信じることなどできないだろう。それは一応ジュドムと同じく日色もそう思う。
しかしながら、アクウィナスを全面的に信頼できるほど付き合いが長いわけでも、アノールドと違って一緒に旅をした経験も、戦った経験もほぼない。
故に彼の考えていることなど全てを把握することなどできるわけがない。だからこそ彼が裏切ったと言われても、正直に言えばどちらも可能性としては有り得ると日色は考えている。
ただもし彼が裏切ったのだとしたら、何故このタイミングなのかが気になる。【シャイターン城】を落とされる時にでもアクウィナスを動かせたのではと思ってしまう。
アヴォロスにとって【シャイターン城】は失うことができない戦争の要でもある。日色なら城を落とされる前に、アクウィナスを動かして絶対に阻止する。
だがアヴォロスはこのタイミングでアクウィナスを動かした……らしい。それも彼が本当に裏切ったのだという前提での話だ。
(やはり偽物の可能性が高い……か)
それならば納得できる。さらにアクウィナスのことをあまり知らない者たちのもとへ偽物を送りこんでも、偽物だと気づかずに不意をつかれる可能性も十分に高い。
(もし……本物だとしたら疑問に感じることもあるが、一応警戒はするべきか)
あくまでも自分の目で見たものしか信じないので、日色はどちらの可能性も五分と見て動くことに決めた。
そうしておけば、仮に本物でもそれほどの衝撃を受けることもない。
「……ミュア、大丈夫かな」
アノールドが誰かに答えを求めるように言葉を絞り出す。
「オッサン、チビはもう一人でも戦える。あまり過保護なのはどうかと思うぞ?」
「それは分かってるけどよぉ」
「それにチビはあの場からは離れた場所にいた。この空間に閉じ込められてるとは思えない。まあ、外で何が起こってるかは分からんが、コレが無事なら何ともないだろ」
そう言いながら右腕に嵌めている《ボンドリング》を見せる。もしミュアの身に何か危険なことが起こっているとしたら、このリングが反応を返してくれる。
何も反応がないということはミュアが無事だという証拠でもある。
「そ、そっか……あ、でもそれならお前だけでもすぐにミュアのとこに行けるんじゃねえのか?」
「……行けるだろうが一度外に出れば、再び中に入れるとは限れない。この中にあのテンプレ魔王がいるなら都合が良い。ここできっちり潰してやる」
そうすればこの空間も元に戻るので一石二鳥である。
「まあ、確かにその方が良いかもしれねえけど……ああミュア……心配だぁ」
それでもアノールドはやはり愛娘のことが気になるようで落ち着きがなくなっている。
「そうだぜアノールド、信じることも力だ」
「ジュドムさん……そうですね」
何やら二人の間に信頼感のようなものを感じてどういう繋がりがあるのか気になったようでマルキスが「二人って会ったことあるの?」と尋ねた。
「ああ、俺がまだ二十代の頃にな。アノールドを家畜奴隷にしてた奴をぶっ飛ばした時に……だよな?」
「はい。あの時はホントに助かりました。もしジュドムさんが助けてくれなければ、俺は今、ここにこうして立っていないと思いますから」
日色は背後からその会話を聞きながらなるほどなと思っていた。初めてアノールドと会った時、彼が《魔錠紋》を刻まれ、人間の家畜奴隷になっていた過去があることを教えてもらっていた。
そしてその時に助けてくれたのは人間だと言っていた。
(それがこの男だったってわけか……)
チラリと日色は顔だけを後ろへ向けて、精悍な顔つきを微笑みで崩しているジュドムに視線を送った。
人間はほとんど信用しないアノールドだったが、唯一ジュドムのことを手放しで褒めていた理由がようやく理解できた。
「ニャ! ヒイロ! 扉があるニャ!」
日色の左隣でくっつくように歩いていたクロウチ(白猫バージョン)が前方に指を差す。そこには確かに扉があったが、ふと日色は何となく感じるものがあり足を止めた。
「ど、どうしたニャ?」
「そうだぜヒイロ、何で止まるんだよ?」
クロウチとアノールドが不思議そうに眉をひそめて日色を見つめてくる。しかし彼女たちの質問には答えずにジッと扉を見つめる。
その奥から不穏な空気というか、邪悪で強大な魔力が感じる。
(……まさか)
日色は腰に下げている小袋から《桃蜜飴》を取り出し魔力補給をする。その行為に戦闘経験が豊富なジュドムは察したように、彼の纏う空気も力強くなってきた。
身体を万全にして、日色はゆっくりと扉の前まで歩いて行く。誰もが日色の醸し出す雰囲気を感じて押し黙りながら見守っている。
日色は眼鏡をクイッと上げると、右足に力を込めてそのまま扉を蹴り飛ばした。そして扉の奥から気圧されるようなオーラを感じながら足を踏み入れた。
一瞬の光が包み、すぐに目前に広がった光景に思わず目を細めた。目線の先には日色のターゲットが立っていた。
「ククク、待っていたぞ――――――ヒイロ・オカムラ」
そこに佇んでいたのは間違いなくアヴォロスだった。まるで高みから見下ろすかのような視線を向けているアヴォロスを睨みつけながら前へと進む。だがその時、予想だにしない声が左側から聞こえてきた。
「ヒイロ!?」
咄嗟にアヴォロスから視線を切り、声の主を確認するために顔ごと向けた。そこにはここにいるはずのないイヴェアムの姿があった。
「……魔王!?」
「ま、魔王ちゃん!? 何でここにっ!?」
日色だけでなくジュドムも声を張り上げて吃驚している。無論アノールドやクロウチも同様に目を丸くしている。
日色は彼女がここにいること、そしてアヴォロスの傍に控えているアクウィナスらしき人物を見て素早く思考を回転させる。
「……そうか、奴に連れてこられたか」
「ヒイロ…………ごめんね」
その一言で、自分の見解が合っていたことを知る。【魔国・ハーオス】へいるはずのイヴェアムがこの場にいる現実。それは誰かが拉致してきたとしか考えられない。
「……魔王、国は無事か?」
「え? あ、うん、無事よ」
つまり前回みたいにアヴォロスが国を崩壊させにいったわけではない。そもそも彼はここから動けないはず。故にアクウィナスを動かしたのだろう。
またアヴォロスの傍にはあの石峰優花の姿も見える。
そしてあのイヴェアムがアクウィナスの偽物と本物を区別できないわけがない。国には彼の親友のオーノウスもいる。
国が無事だということはアクウィナスは暴れていないということ。何かしら言葉巧みに優花を連れ出し、イヴェアムを捕縛してここまで連れてきたのだろう。
偽物が今の戦争時に二人を騙せるとは思えない。故に考えたくはないが、今目の前で静かにその存在感を放っているアクウィナスは――本物だ。
だがそれでも一応日色はアヴォロスたちから視線を逸らさずにイヴェアムに尋ねる。
「あの赤髪は…………本物だな?」
小さく息を呑む音がイヴェアムから伝わり、そして重そうに唇を震わせる。
「……そ、そうよ」
「……そうか」
「んなバカなっ!? おいアクウィナスッ! お前本当にあのアクウィナスなのかっ!」
当然ジュドムは信じられないようで怒声に似た声を張り上げた。しかし答えたのはアヴォロスだった。
「……ここにいるアクウィナスが偽物だと断ずるなら、貴様もそこまでの男だということだ《衝撃王》よ」
ジュドムはギリッと歯を噛み、ただただアクウィナスを睨みつけることしかできなかった。
「赤髪がどういう意図で裏切ったなんてどうでもいい。今は敵なんだろ? なら戦う必要があるだけだ」
「だがヒイロ! アイツは操られているだけかもしれないんだぞ!」
ジュドムが可能性の話をしてくるが、たとえそうだとしても日色が言ったことは変わらない。
「言っただろ? 奴の思惑がどうであれ、向こう側についてオレの邪魔をするなら……敵とみなすだけだ」
「く……魔王ちゃん! 魔王ちゃんはそれでいいのか!」
日色には何を言っても無理だと判断したようで、その矛先をイヴェアムへと帰るジュドム。しかしイヴェアムもまたどうしていいか迷っているようで困惑をその表情に宿している。
日色は三歩ほど前に出てから足を止める。アヴォロスの視線が日色へと集中する。
「このわけの分からない空間から出るには、お前を倒す必要があると聞いた。ちょうどいい、ここでお前を潰してやる」
「ククク、あまり大きなことを申さぬ方がよい。小さく見えてしまうぞ?」
「言ってろ」
いつでも戦闘に入れるように準備を整えながら思考する。相手は見たところ三人。日色側は戦力に換算できないマルキスとランコニスを引くと、四名ほど控えている。
この四名にはできればアヴォロス以外の二人を相手にしてもらいたい。アクウィナスは強敵だろうが、ジュドムもいることだし、数の上では有利なので何とかなるだろう。
あとは一対一で日色がアヴォロスを討つことができれば全てが終わる。
その考えを後ろにいる者たちに伝えようとした時、アヴォロスの後ろ側に突如として扉が出現し、中からはカイナビと名乗る少女が出てきた。
しかもその背後には見たことのある顔があった。
(アイツらは……こんなとこにいたのか)
そこに現れたのは朱里やしのぶと同じく、この世界【イデア】で勇者として召喚された四人のうちの二人―――青山大志と鈴宮千佳だった。
「っ!? お、丘村!?」
大志も日色の存在に気づいたようでハッとなっている。しかし千佳については目を合わしたが涼しい顔を保っている。
(何だ? 何か違和感を感じる……)
千佳を見て、ハッキリと言葉にはできないが、無表情で佇んでいる姿が何となく不可思議に感じた。このような状況の中、感情の起伏が何も見えないのがおかしかった。
「お、おいアヴォロス! 俺たちをここに連れてきて何をさせるつもりなんだよ!」
「ククク、もう怪我は治癒したようだな。治療を施したカイナビには感謝することだ」
「何を言ってんだっ! そもそも俺を殺そうとしたのはお前だろうがっ!」
「何を言う。貴様を刺したのはそこにいる女ではないか」
「くっ! コイツは千佳なんかじゃないっ!」
彼の悲痛な叫びを聞いて日色は益々謎が深まっていく。千佳ではない。これはどういうことだろうか……?
どう見ても日色の記憶にある鈴宮千佳が目の前にいる。確かにこうして見ると、前に会ったような彼女独特の雰囲気を感じさせないが、それでも見た目は間違いなく千佳だと判断させる。
だが怒りと焦りを交ぜ合わせたような表情でアヴォロスを睨みつける大志を見て、彼が本気で先程の言葉を言っていることは理解できる。
「お前は約束を破ってばかりだ! お前は……お前はっ!」
ギリギリと歯を鳴らして目を血走らせている大志。今にもアヴォロスに飛びつくような感じだが、拳を震わせるだけで実際に行動を起こすことはしない。
(何か刃向えない理由がありそうだな)
日色は彼が怒りに任せて暴れない背景には、アヴォロスに攻撃してしまうと取り返しのつかないことになるという考えが見えた。
「約束はまだ続いておる。貴様をここに呼んだ理由。それは貴様の望みを叶えようとしているからだ」
「……何だと?」
「安心しろ。あのチカという女ももう用済みだ。貴様に返してやる」
「ほ、本当だろうなっ!?」
「カイナビ、準備はできているな?」
アヴォロスは傍に控えているカイナビに声をかけると、彼女は跪きながら発言する。
「はっ! 陛下の仰る通り、奴はすでに送ってあります」
「クク、そうか」
「お、おい、何を言ってんだよ? 千佳のことだよな?」
「そう慌てるな。今見せてやろう」
アヴォロスが床から突き出ている石柱の所へ行くと、その石柱に触れて魔力を流していく。すると周囲の様子が徐々に変化していく。
それまでは空を覆い尽くさんばかりに砂時計が浮いている幻想的な空間だったが、空間が突如として歪みはじめ、周りの景色が変わっていく。
そして眩い光が石柱から迸り、光が周囲を覆い、一瞬の輝きの後、驚くべき光景が広がっていた。
「ここは……っ!?」
日色の視界には先程の空間ではなく、広大な大地が映っている。いや、広大だと思った大地だが、よく見れば大地の先は崖になっていた。全体的に見ると、どうやら大きな円柱状の大地の上に立っているようだ。周囲は崖が広がっている。
またその崖を挟んで向こう側には同じような円柱状の大地が幾つも突き出ていた。
そしてその上には――。
「し、師匠ぉぉぉっ!」
崖を挟んで左側の大地にはニッキとカミュとテンがヒヨミと対峙している。ニッキも日色に気がついて大声で呼びかけてきている。
そして他の大地にも《奇跡連合軍》に所属する者たちが、《マタル・デウス》と対面している。
(赤ロリたちもいるな……)
リリィンやシウバたちの姿も発見。この空間に閉じ込められた者たちが、一挙に集結させられたようだ。
「師匠ぉぉぉぉぉぉっ!」
ニッキが日色を見つけた嬉しさで日色に向かって走ってくるが、
「バカ弟子っ! 迂闊に近づくなっ!」
そう怒鳴るが時すでに遅く、崖を跳び越えようと大きくジャンプしたニッキは、バキィッとまるで見えない壁に阻まれたように弾かれてしまい大地へと押し戻された。
慌ててカミュが彼女が大地に叩きつけられる瞬間に駆けつけてその身体を抱きとめた。
「ニッキ、大丈夫?」
「うぅ~おでこ打ったですぞぉ~」
ニッキは両手で赤くなった額を押さえつつ涙目をしている。だがどうやら無事だったようで日色もホッとした。だがこれでやはり互いに連携が取れないという事実が証明された。
恐らくは同じ空間にいるように見えて別の場所にいるのだろう。故に崖を越えて他の大地へ足を踏み入れるのは普通の方法では無理みたいだ。
「千佳ぁぁぁぁっ!?」
いつの間にか大志が崖近くまで移動して一つの戦場を見つめていた。そこには黒衣を身に纏った鈴宮千佳がいた。しかも同じ顔が二人もいる。ただその中の一人は、大志の顔を見て明らかに動揺している。
そして、千佳たちを相手にしているのは同じように動揺している朱里としのぶである。この対戦相手は明らかにアヴォロスによって操作されていることが理解できる。
それぞれの戦場には、それぞれに適した相手が用意されているようだ。
リリィン&クゼル VS 黒衣死人
ニッキ&カミュ&テン VS ヒヨミ
シュブラーズ&イオニス VS ビジョニー
朱里&しのぶ VS 千佳三人
シウバ VS アビス
バリド&プティス&ラッシュバル VS 黒衣死人
ちなみに黒衣死人は顔まで黒衣で覆っているので死人なのかどうか正確には判断できない。だがこの中の戦場で一番気になるのはやはりニッキたちだ。
一度引き分けのようになってしまったが、地力では負けている。あそこにテンがいるのがせめてもの救いかもしれない。
「……む? 獣王と髭男爵がいない……?」
レオウードとマリオネの姿が見えない。まだ戦っているのであれば、ここに姿を現すと思っていたのだが……。
「ああ、奴らはコクロゥを打ち倒した。まあ、少し意外ではあったが、奴らは勝利を得た。故に……」
その時、日色の近くに扉が出現し、そこからレオウードとマリオネが出てきた。
「む? ヒイロ?」
「へ、陛下っ!? 何故このような所に!?」
マリオネがイヴェアムのもとへ一目散に駆けつける。
「これで役者は揃ったな」
アヴォロスが不敵に笑みを浮かべた後、カイナビに視線を向ける。
「さて、カイナビ」
「はっ!」
「貴様はその玩具とともに戦場へ向かえ」
「はっ!」
アヴォロスの命を受けて、カイナビは返事をすると千佳とともに扉の中へと消えていった。そして彼女たちが現れたのは朱里たちのところだった。これで朱里たちが相手をしなければならないのは五人になった。
そして準備が整ったかのようにアヴォロスが日色に対して口を開いた。
「さあヒイロ、ゲームでもしようか」
「……ゲームだと?」
「そうだ。これから行われる戦場で、どちらが勝つか、ギャンブルをしようということだ」
「ふざけたことを。そんな見え見えの時間稼ぎに付き合っていられるか」
日色はアヴォロスの思惑が時間稼ぎだと見抜く。アヴォロスの急務は魔神の復活と城の復旧だ。しかしそれには時間がかかるし、邪魔をされるわけにはいかない。
だからこそこうして膨大な魔力を使用してでも、厄介な敵を迷宮に閉じ込めて時間を稼いでいる。
そんな茶番にむざむざと付き合うわけにはいかない。
日色がジリッとアヴォロスとの間を詰めると、アヴォロスは不敵に笑みを浮かべて再び石柱に触れて魔力を流した。
すると直後――日色の視界が白で埋め尽くされた。
「っ!?」
そしてその白がガラスを割ったように音を立てて崩れた。次に移った光景に日色は言葉を失う。
何故なら大地そのものは変わりはなかったが、間違いなく先程立っていた場所とは違うと認識できたからだ。突き当たりには大きな砂時計もないし石柱もない。それどころかアヴォロスがいないのだ。
代わりに……。
「な、何なんだ? いきなり目の前が真っ白になったぞ!?」
何故か大志が一人だけいた。彼も予想外のようでキョロキョロと周りを見回している。日色も周囲を確認する。すると左側の崖を挟んだ向こう側の大地にアヴォロスやイヴェアムの姿を確認。
(なるほどな。ここは奴の腹の中だったな)
とすれば、敵を簡単に転移させることもできるはず。アヴォロスはトコトン遊びを行うようだ。彼の考えは簡単に読める。
日色はジッと、今もなお戸惑って現況に理解していない大志を見つめる。
(奴の目的……多分……)
そう思考した瞬間、左側からアヴォロスの声が、まるで拡声器を使っているかのように響いてきた。
「これは一つのゲームだ。なあに、ルールは簡単だ。互いの駒を全て使って、相手の駒を打ち倒した方が勝利を得る」
日色は黙って話を聞くことにした。どちらにしろ、相手の思惑を全て把握しておこと思ったからだ。
「本来ならすでに戦った貴様は免除しようと思ったが、ずいぶん元気のようだからな。ゲームそのものに参加させてやろうと思った次第だ」
余計なことをと不愉快に思う。しかしこの世界がアヴォロスが作り出したものだというのであれば、何をしようとも覆されてしまう。
(……何か策を考えなければな)
正直この世界から脱出することはできるだろう。しかしこの場に居る者全員というわけにはいかない。四文字級の魔法を使えばそれも可能になるかもしれないが、使った後に狙われたらたまったものではない。
四文字を使うにはまだ早過ぎる。リスクが高い力は使いどころを誤れば即座に敗北 いや、この場では死を意味するだろう。
故にアヴォロス以外にはそう簡単に四文字は使えない。
だからそれ以外の方法で、ここを脱出できればいいのだが、どうやらアヴォロスの企みがそれを許してくれないようだ。
「貴様ならもう理解しているだろう。貴様の相手は……そこにいる勇者だ」
アヴォロスの言葉に衝撃を受けたのは日色ではなく大志だった。
「……え? あ、お、俺が丘村と……戦う?」
「そうだ勇者。貴様に課す最後の任務。もし目の前にいる相手を殺すことができれば、貴様の望みを叶える。もう準備はしてある」
「じゅ、準備……」
ゴクリと喉を鳴らし日色を見つめてくる大志。
「丘村を……殺す? こ、殺せば……千佳と帰れる!?」
彼の瞳がドンドンと濁っていくのが見える。頬を引き攣らせながら無理矢理笑みを作っているような表情。歪んだ笑顔。
(こいつ……)
彼を見て壊れていると感じた。アヴォロスのもとにいて、何をされたのか分からないが、あんな言葉一つでこれほどの感情を表に出すとは尋常ではない。何かしらの洗脳を受けているとしか思えない。
「よいか? 貴様が死ねば希望はない。貴様の大切な存在もまた……消える」
アヴォロスの言葉にハッとなり大志は千佳がいる戦場へと視線を向ける。向こうも大志を見ていたようで互いに視線を合わせる。
「千佳……お前は俺が守る……守るんだ……守る守る守る守る守る守る守るっ!」
ギロッと血走った瞳を日色へと向ける。
「……哀れな奴だな」
「な、何だとっ!?」
「いや、もう何も言っても意味がないだろ」
日色は《絶刀・ザンゲキ》を抜き、そのまま大地を蹴り素早い動きで大志との距離を潰す。
「んなっ!?」
大志はまったく反応できていない。日色はすぐさま懐に入ると、刀に魔力を流してそのまま彼の身体を一閃した。
「ぐあっ!?」
大志はそのまま地面へと倒れ込み、日色はカチンと刀を鞘に納めた。《ザンゲキ》の特徴は魔力を宿して斬撃を施すと、相手に魔力酔いを起こさせて意識を消失させることができる。
「しばらく寝てろ。起きたら全部終わってる」
これで恐らくはアヴォロスが次の相手を送り込むか、もしくは他の場所へと転移させるのだろうと思っていたが、
「ククク、何を終わろうとしておる?」
アヴォロスの声が耳をつく。
「見て分からないか? もう終わった」
「ククク、確かに貴様の動きには感服させられたが、あいにくそいつは今までのそいつではないのでな」
「……?」
日色が首を傾げていると、小さな呻き声を上げながら立ち上がろうとしている大志に気づく。
(バカな……手応えはあったぞ?)
実力差も確実にある。まともに一撃を当てられたので、大志はすでに行動不能に陥っていると思っていたが、どうやらそれは見誤りだったようだ。
立ち上がった大志の身体がいつの間にか赤黒く変色してしまっている。翼も生え明らかに日本人とは考えられない様相を呈している。あれはまさしく――――――『魔人族』だ。
(そういや情報にあったな。《魔石》を使って『魔人族化』できるってことだが……)
勇者が一度、その姿を変貌させたという情報も耳にしてはいたが、シュブラーズの魔法でそれは無効化し追い払うことができたと聞いている。
「ぐぅ……お、丘村ぁぁ……」
明確な殺意が迸ってくる。前に会った時とは明らかに異質な存在感を放っている。
「なるほどな。勇者だけでなく、とうとう人間まで止めたか」
「黙れっ! 丘村……俺は貴様を殺す! 殺して俺の方が強いことを証明してやろうではないかっ!」
空に浮きながら高みから言葉をぶつけてくる。口調すらも変わっている。自我を失いかけているのかもしれない。
「……ダメ勇者、いや、もうすでに勇者でもないな。ただの……哀れな人形か」
「黙れぇぇぇぇぇっ!」
腰に携帯している剣をその手に握り、そのまま突っ込んでくる。日色はそのスピードに虚を突かれたが、咄嗟に身体を翻して回避する。
だがプツッと日色の頬から一筋の赤い線が引かれる。完全に見極められなかった。
日色は体勢を整えると空に浮かんでいる大志を観察する。
(どうやら能力が爆発的に向上したようだな……)
先程日色が見せた動きと遜色ない動きだった。予想外な速さに完全に避けることができなかった。油断……一言で言えばそうだろう。
日色は不意に頬の傷にそっと触れる。
(……毒は塗られてないみたいだな)
もし毒でも塗られていたら解毒をしなければならない。しかし大志の剣には毒が施されている様子はない。
かといってこれ以上傷をもらうわけにはいかない。
日色はチラリとアヴォロスを見つめる。そして不安そうに見つめているイヴェアムの顔も映る。つい、そんな顔をさせている自分に腹が立った。
「……舐めるなよ。ダメ野郎」
日色は両手を広げ、右手に魔力、左手に身体力を集める。そしてパンッと合掌する。
「《太赤纏》っ!」
日色の身体の周りを赤いオーラが覆い始める。まるで紅蓮の炎を身に纏っているかのようだ。そして大志を睨みつけながら言う。
「格の違いを見せてやる」
一気に終わらせることを決定した。
※
大志の変わり果てた姿を遠目に見て千佳の表情は絶望に彩られていた。そして大志があのような姿になってしまった理由に、自分が挙げられることを知った千佳は酷く心が引き裂かれそうな思いが込み上げてきているはずだ。
「大志……そんな……」
今は敵として相対しているしのぶと朱里も、悲痛な表情で大志を見続けていた。
「またあの力使っとる……アカンて大志っち……」
「しかもその相手が丘村くんだなんて……」
「何や丘村っちも本気っぽい雰囲気やけど、ホンマに戦う気なんか?」
「そんな……同じ日本人なのに……」
二人にとって同郷である日色と大志の戦いは認められないものだろう。まさか二人だって考えていなかったに違いない。
仲が良かった四人が引き裂かれ、こうして傷つけ合わなければならなくなるなんて誰が予想できただろうか。
前回は大志に攻撃され、今回は千佳が目の前に立ち塞がっている。しかも千佳と同じ顔をした人物が三人もいる。千佳はアヴォロスの作ったクローン体だと言っていたが、たとえクローンでも千佳と同じ顔をした相手を本気で攻撃できるわけがなかった。
「おいこら、ぼ~っとしてないでさっさと戦え!」
カイナビがいつまでも行動を起こさない千佳に対して発破をかける。
「そうしなきゃな、お前のほしいものは手に入らないぞ?」
「う……わ、分かったわよ!」
千佳は後ろ髪を引かれる感じで大志から視線を逸らし、しのぶたちに戻した。
「朱里……しのぶ」
二人もまた千佳の顔を見つめているが、三人とも覇気の感じられない表情を浮かべている。相手が相手なので仕方ないだろう。
「ホンマにやるんか千佳っち?」
「……やりたくないわよ! だけど……」
下唇を噛み締めて千佳は辛そうに二人を見つめる。
「ちっ、いつまでネチネチやってる。行け、レプリカどもっ!」
カイナビの掛け声で、オリジナル以外の千佳が一斉に腰に携帯している剣を抜き朱里たちに襲い掛かった。
朱里たちも向かってくる三人の明確な殺意を感じて戦闘態勢に入る。
「しゃあないわ朱里っち! 動き止めるでっ!」
「は、はいっ!」
しのぶが先頭に立って両手を向かってくる三人に向ける。彼女の両手に魔力が集束していく。
「アクアスパイラルッ!」
両手から放たれた水が、螺旋を描きながら三人に向かって放出される。しかし三人はそれぞれその場からバラバラに散開して上、左、右に別れて突進してくる。
「グリーンバインドッ!」
朱里がしのぶの背後から、まずは左に避けた千佳レプリカに風の戒めをぶつける。その風は波を打ちながら千佳レプリカを捉える。そしてそのまま地面に倒れて拘束が完了する。
しかしまだ相手は二人いる。
「右は任してもらうでっ! パラライズッ!」
しのぶの地面に触れた右手から放たれる電流が、大地を伝って真っ直ぐに千佳レプリカへと向かう。しかし千佳レプリカは回避するために大きくジャンプした。
「それを待っとったんや! 跳ねやっ!」
突然地面を伝っていた電流が跳ねたように上空へと向かい、跳び上がった千佳レプリカの身体を襲った。
「へぇ、結構やるじゃないか」
カイナビが、二人の手際の良さに思わず感嘆している。それは千佳も同じで、久しく見ていなかった二人の戦闘力に目を見張っている。
「あとは上やで朱里っち!」
「はい! 行きますよ!」
二人は横に並びながら上空から落下してくる千佳レプリカに向かって手を突きつけながら叫ぶ。
「「クールプリズンッ!」」
突如地面から間欠泉のように噴き出した水の奔流が上空にいる千佳レプリカを包み込む。水で弾き飛ばすのではなく、水の中に閉じ込めて動きを奪う魔法だ。
見事無傷で千佳レプリカたちを行動不能にした二人を見て、千佳は無意識に「凄い……」と呟いていた。
「千佳っち、これが今のウチらの実力や」
「はい。あれから必死に訓練しました。千佳さんたちを救うためにです!」
「……しのぶ……朱里……アタシは……」
千佳は二人と別れてから無論訓練などしてはいない。ずっとアヴォロスに力を奪われ続けていたからだ。レプリカを作るためにだ。
しかし朱里たちは別れてからも常に己を鍛え続けていた。その差が如実に表れている。
「役に立たないレプリカどもだな。おいオリジナル、お前はどうすんだ? このままじゃ負けて全てを失うぞ?」
不愉快そうに言うカイナビの言葉が千佳の胸を抉る。そして視線を大志へと向ける。
「ハハ、お前な、あんな男のどこがいいんだ? 仲間だった奴を見捨てようとしてる奴だぞ?」
「……え? ど、どういうこと?」
千佳がカイナビに食いつく。
「あ? そっか、そっちの奴らも何も知らないのか? んじゃ教えてやるよ。アイツはな、そっちの二人をこの世界に置いて元の世界に帰るつもりなんだぞ、お前と二人でな」
カイナビが千佳を指差す。千佳にも衝撃的だったが、それ以上に朱里たちは言葉を失っていた。それもそのはず。こうして朱里たちが強くなったのは他でもない大志たちを救うためだ。
それなのに大志は自分たちを見ていなかったと聞かされていたのだからそのショックは計り知れない。
「嘘……嘘よ! アイツはバカだけど仲間を見捨てる奴じゃないわ!」
「ハハハ、ならコレを見てみろ」
カイナビが懐から取り出したのは少し大きめの占い師が使うような水晶玉。そしてそこに映し出される光景。
そこには大志がアヴォロスの提案に乗り、どんどん壊れていく様子が映し出されていた。千佳のことしか考えられず、千佳のためにと獣人たちのシンボルである《始まりの樹・アラゴルン》を破壊し、そして仲間だったリリスまで裏切った映像。
その映像が音声とともに千佳や朱里たちの感情を揺さぶっていく。
「というわけだ。な、最低なクソヤローだろ?」
カイナビは不愉快気に舌打ちをしながら言い放つ。彼女もまた大志の行動に気分を害しているのかもしれない。
映像を見せつけられた三人は顔を青ざめさせ俯いていた。
「じゃ、じゃあ大志はアタシのために世界を裏切っただけじゃなくて……朱里やしのぶも犠牲にしようとしてるの?」
千佳はガクッと膝をつき、身体を抱えながら小刻みに全身を震わせている。また大志が自分たちを見捨てた現実を受け止め切れずに朱里としのぶは呆然自失になっている。
そのせいか、拘束していた魔法が解けてしまい、三人の千佳レプリカが自由を得てしまった。そしてそのまま立ち尽くしている朱里としのぶに向かって剣で突き刺そうと突進してくる。二人はそこでようやく彼女たちの存在に気づいたが、その刃は一呼吸で彼女たちを貫く寸前まできていた。
だが次の瞬間、突然しのぶと朱里の目前に土の壁が出現し彼女たちを守った。
「なっ!?」
カイナビがそれを成した人物を見て驚愕の表情を見せる。
何故なら二人を守ったのは、紛れもなく――――――千佳だったからだ。
「お、お前何をっ!?」
「うるさいわねっ! 朱里としのぶは大切な友達よ! 守るのは当然じゃないっ!」
千佳は剣を抜き、そのまま力一杯カイナビに一閃。カイナビは左肩を斬られ痛みで顔を歪める。
「お、お前……こんなことしてどうなるか分かってんだろうなっ!」
射殺さんばかりに睨みつけてくるカイナビに対し、大きく深呼吸した千佳は真っ直ぐな瞳を突きつける。
「いいわよっ! アンタたちに私の願いは叶えられないわよっ! アタシの願いは私自身が叶えるっ! あのバカ大志もアタシが元に戻してやるわ! そしてこの手でぶん殴って目を覚まさせてやるのよっ!」
「く……ちっ」
カイナビは千佳の気迫に気圧される形で、突如として彼女の背後に現れた扉に入りその場から消えた。
「ち、千佳っち!?」
「しのぶ、朱里! さっさとそのアタシモドキを倒すわよっ!」
「オ、オッケーやっ!」
「は、はい!」
突然千佳に発破をかけられ戸惑いがちになりながらも、しのぶと朱里は体勢を整えて千佳がいる場所へと向かう。
千佳を前衛にし、その左右にしのぶと朱里がつく。
「こうしてしのぶたちと陣を組むのも久しぶりね!」
「せやな!」
「来ますよ!」
朱里の言った通り、千佳の作り出した土壁を乗り越えて、千佳レプリカが三人で突撃してくる。そのままレプリカたちは走りながら右手を上空へかざす。
すると上空に炎が出現し、大きな槍状に変化していく。
「気をつけなさい! フレイムランスよ!」
「分かっとる! ここはウチにお任せやで! 千佳っち、下がっといてや!」
しのぶの指示に従い千佳はしのぶの背後へと回る。そしてレプリカからフレイムランスが放たれてくる。
「無駄やでっ! タイダルウェイブッ!」
しのぶの全身から魔力が迸り、しのぶが両手を地面につけた瞬間、地面に横一閃に亀裂が生じ、その中から大量の水が出現し、前方へと波うちながら流れていく。
その波にフレイムランスは呑み込まれジュゥゥゥゥッと呆気なく消失していき、三人のレプリカたちをも呑み込んでいく。
「やるわねしのぶ! アタシだって負けてられないわよ! そのまま氷漬けになりなさいっ! フリーズデッドッ!」
しのぶの放った水が徐々に凍り始め、呑み込まれているレプリカたちも同様に凍結していく。しかしその中で一人だけ、難を逃れたようで、凍った部分を足場にして剣を構え千佳へ向かってくる。
キィィィンッと千佳も剣で応対し、レプリカと鍔迫り合いになる。それを見て朱里が手を貸そうと右手を向けるが、
「待って朱里!」
助力を拒否する千佳。
「ど、どうしてですか!?」
「これは! ええいっ!」
千佳は剣を振り切り、レプリカを前方へと飛ばして距離を作る。そして覚悟を決めたようにキリッとした表情をレプリカへと向ける。
「この偽物はアタシにやらせて!」
「千佳さん……」
「これはアタシのケジメでもあるの!」
朱里は困ったように眉をひそめているが、しのぶと顔を合わせると、彼女は静かに頷く。千佳の好きにさせてあげようという態度である。
レプリカが地面に手をつくのを見て、すかさず千佳も同じように地面に手をつく。
「グランドスプラッシュッ!」
千佳の発言とともに、両者の前方の大地が、まるで爆発したような勢いで土の塊が凶器となって相手に飛んでいく。
たが同じ力がぶつかり見事に相殺。すぐにその間隙を縫って両者が次なる手を打つ。
「アイストーネードッ!」
再び同じ魔法が重なり、今度は氷の嵐が両者を包み込んでいく。今度は相殺とはいかず、嵐の中に佇む二人は徐々に氷の礫により身体を負傷していく。ブシュッと、鋭い氷が千佳の右太腿を裂き、その痛みで膝を折ってしまう。
それを好機と見たのか、レプリカは追い打ちをかけようと両手を組み、人差し指と中指を立てて、まるで銃のような形を作る。するとその指先から炎が出現し、段々と拡大化していく。
「フレアボム……」
千佳はレプリカが使おうとしている魔法を察知する。レプリカから放たれた紅蓮の塊。真っ直ぐ千佳へと向かってくる。咄嗟にしのぶたちは千佳の名を叫ぶ。
このままでは直撃は免れない。
しかし次の瞬間――――――千佳は確かに笑った。
「それを待ってたのよ!」
千佳はニヤッと笑みを浮かべると、そのまま大空へと高く跳び上がる。そしてフレアボムが地面へと接触し爆発を起こす。生まれた爆風により千佳はさらに上空へと飛ばされる。
しかしアイストーネードの檻から脱出することに成功した。レプリカは仕留めたと思っているのかその場を動かすに、フレアボムが衝突した地面の先を眺めている。
しかもアイストーネードに囲まれているので、今もなお彼女は氷によって体力を奪われている。千佳はその状況を見て、上空で身を翻し体勢を整える。
そして両手を地上に立っているレプリカ目掛けてかざす。魔力がその両手に集束していく。魔力を察知したようでレプリカが天を仰ぎ見る。
「もう遅いわよっ! オリジナルを舐めないでよねっ!」
眩い光が千佳の両手を包み込む。そして―――。
「フォトンブレイクッ!」
弾丸のように発射された光の塊がレプリカに触れた瞬間、光が一気に広がりレプリカの身を焦がしていく。光に包まれたアイストーネードもまた、その効果を奪われていき消失していく。
「悪いわね……だけど鈴宮千佳はこの世に一人だけでいいのよ」
バシュンッと光が弾けた刹那、そこにいたのはピクリとも動かないレプリカだけだった。
※
千佳の反撃に遭い、アヴォロスのもとへ帰ってきたカイナビ。彼女の左肩の傷を見てアヴォロスは淡々と言い放つ。
「窮鼠猫を噛むというやつだな」
「も、申し訳ございませんでした陛下!」
ササッと彼の眼前で跪くカイナビ。
「まあよい。好きにさせておけ」
「はっ!」
アヴォロスはチラリと遠くで戦っている千佳を見つめる。
(奴の裏切りは想定外だったが、しょせんは凡弱。放置しておいても結末は変わらない)
千佳の行動など取るに足らないことだとアヴォロスは捉えている。失った者もレプリカ三体だけなので痛くも痒くもない。
「それで? 貴様はそこで高みの見物でもしているつもりかアヴォロス?」
突如、耳をついたのは獣王レオウードの声だった。視線を千佳から彼に移動させ、そのいかつい顔がさらに怒りで歪められているのを確認する。
「クク、そういえばまだ言ってなかったな。あのコクロゥを倒して獣人の仇を討てて良かったな獣王」
「…………」
「その顔……もしかしてコクロゥが勘違いから暴走したことに気づいたのか?」
「……っ!?」
レオウードの目が大きく開かれる。
「き、貴様……知っていたのか?」
「逆に聞こう。知らないとでも思っていたのか?」
「くっ……」
「一応配下の者たちについては調べ尽くしている。その思いも行動も全て……利用するためにな」
「……コクロゥの復讐心を利用したというのか?」
「そうだ。奴と出会ったのは奴が獣人どもの集落を襲っていた時だ。その顔を見た時、ピンときた。コイツは使えるとな。話を聞き、そしてその復讐に手を貸してやるということを条件に余の下に奴はついた。まあ、それだけではないがな」
「それだけじゃない?」
レオウードだけでなく、その場にいる者全員がアヴォロスに注目してくる。
「余の創る世界の可能性を教授してやった」
「世界の可能性だと?」
「そうだ。余は神のシステムを乗っ取り、あるべきだった世界を取り戻す」
「取り戻す……? 何を言っている?」
「理解できないのであればそれでも構わん。そもそも貴様たちに理解してもらおうなどとは思っておらん」
アヴォロスの勝手な物言いに、レオウードの怒りのボルテージが上がっていく。そしてその隣にはジュドムが立つ。
「マリオネ、お主は他の者の防衛を頼みたい」
レオウードの言に、イヴェアムを一瞥したマリオネが答える。
「命令ではなく頼みか……承知してやろう」
マリオネの返事に小さく頷くと、レオウードは隣に立つジュドムに言葉をかける。
「万全か?」
「そう言いたいが、ちょっと前にとんでもない先輩とやり合ってな。傷はヒイロに治してもらったが魔力と体力は不安要素だな」
「そうか。こちらもすでに全力を一度出しておる。相手はアヴォロスだけでなくあのアクウィナスもいる。どこまでやれるか分からん」
「ハハ、ずいぶん弱気じゃねえか」
「何だと?」
「俺らの役目は未来に芽吹く種を守ることだろ?」
「…………」
「そのために俺らは後ろにいる奴らの踏み台になりゃいいんだよ」
「…………違いないな」
男二人は笑みを浮かべて真っ直ぐにアヴォロスを睨みつける。
「望む未来を掴むのはアヴォロスではなく我々だということを証明してやろう!」
「その意気だぜレオウード!」
一つの戦場を潜り抜けてきた二人から、大気を震わすほどの気迫が迸る。ビリビリとするものを感じるアヴォロスは、さすがは今までの世界を背負って立ってきた人物だちだと感心した。
「だが、舐めてもらっては困るな。余は遥か昔から世界を背負ってきたのだ。貴様らの力など、余の影すら届かぬわ」
まず最初に動いたのはレオウードだった。踏み込みだけで大地に亀裂を生むような力。弾かれたようにアヴォロスの細い首へと剛腕が迫る。
しかし次の瞬間、レオウードの伸ばされた腕に光の如く剣線が走る。彼の右腕が瞬時に切断される――が、切断された部位がボボウッと炎化して霧散する。
どうやらすでにレオウードは《転化》をしていたようだ。切断された部分からは、炎が出現し、元の腕を形成していく。レオウードもその場から距離を取り自らの右腕を奪った相手を睨みつける。
「やはり立ちはだかるか……アクウィナスよ」
アクウィナスの右手には刀身が淡い緑色を宿している剣が握られている。
「陛下を傷つけることは許容できない」
「…………そうか、ならば全力でお主を叩こう」
「どけレオウードッ!」
レオウードの背後から彼を跳び越えながら目前にいるアクウィナスに向かってジュドムが掌底を放つ。
ドゴオォッとジュドムの攻撃が地面を大きく抉る。それだけで、相当の破壊力を込められていることが理解できる。
しかしながら、その攻撃は地面を抉っただけで、その場にはアクウィナスは疎か、アヴォロスたちもすでに移動していた。
「ふむ、さすがは《衝撃王》だな。なかなかの威力よ」
アヴォロスが感心しているが、ジュドムはニヤッと口角を上げたままだ。その笑みを不思議に思ったアヴォロスは、背後に殺気を感じて咄嗟に振り向く。
「油断しおったなアヴォロスゥゥゥッ!」
そこにいたのは身体から凄まじい炎を迸らせているレオウードだった。どうやらジュドムの攻撃は陽動だったようだ。その隙にレオウードは、アヴォロスの動きだけに注意を払い、背後をとったということだ。
レオウードの右拳に集束する蒼炎。それは彼の奥の手である《終の牙》で間違いない。最初から全力でアヴォロスを仕留めるつもりのようだ。できればこの一撃ですべてを終わらせるつもりなのだろう。
蒼炎を身に纏った拳がアヴォロスの腹を貫かんばかりに迫ってくる。レオウードの脳内では完全に決まったと思っていることだろう。瞬きよりも短く細い時間で、アヴォロスはレオウードの攻撃を受けることになる。
しかしその刹那、レオウードの耳に確かにアヴォロスの言葉が届いた。
「想定内の行動よな」
「っ!?」
アヴォロスの不敵な笑みがレオウードの瞳に映った時、まるで転移したようにアヴォロスがその場から消失した。
「ぬっ!? ど、どこへ行ったっ!?」
レオウードは愕然とした表情のまま、その視線を周囲へと動かしながらアヴォロスを探す。
「ククク、まだ気づかぬか?」
「っ!?」
その声はレオウードの背後から聞こえてきた。そしてグサッとレオウードの背中から胸へと何かが突き出た。
「がふっ!?」
レオウードは視線を落とし、自らの胸を突き出た物体を見つめる。青白いウネウネとした奇妙な細長い物体が血を巻き込み赤に染まっていた。
ザシュッとその物体が引き抜かれ、レオウードは思わず膝をついてしまう。そしてトドメを刺さんとばかりにアヴォロスがその剣状のものをレオウードの後ろ首へと突き刺そうとする。
「させんっ!」
「む?」
アヴォロスを襲う波動。まるで風の塊が放たれたかのようにアヴォロスは吹き飛ばされその場から距離を取らされた。
レオウードの危機を救ったのはジュドムの《拍手掌》によって生み出された衝撃波だった。ジュドムは慌ててレオウードのもとへ駆けつけると、彼を支えながら立たせる。
「無事か?」
「ぬ……すまん」
衝撃波により吹き飛ばされたアヴォロスだったが、まったくもってダメージは受けていない。静かに体勢を整えた後、冷ややかに視線を二人に向けている。
「ふむ、思った以上に衝撃を操作できるようだな」
ジュドムとの距離を常に把握していたアヴォロスは、そこからでは衝撃波を飛ばしてこない、また飛ばせてもそれほどの威力はないと推察していたのだろう。しかしその予測は外れ、アヴォロスの身体を吹き飛ばすほどの威力を備えていた。
「しかし、一人は脱落だな」
アヴォロスのその言にジュドムはキッと睨みつける。
「コクロゥとの一戦で、一度全力を尽くした後だ。動きも相当鈍くなっておる。万全ならば、余の気配も敏感に悟れたはず。想像以上に消耗しているようだな」
「ぐ……」
悔しげに歯を食い縛りながら胸に手をやっているレオウード。
「そしてジュドム・ランカース。貴様もやはり体力が落ちておるな。顔には出さぬが、余の瞳は誤魔化されぬぞ?」
アヴォロスの観察力は桁外れだ。それはアヴォロスの持つ《魔眼》によるものではあるが、一目見て二人が万全とは程遠い実力しか発揮できないことを悟ったのだ。
アヴォロスは両手から膨大な魔力を放出させ、それを先程の剣状のものに凝縮させ形を整えていく。禍々しいほどにその物体に込められている魔力量を感じたようで、誰もが息を呑んでいる。
「少しは遊んでやろう。ちょうど暇だったのでな」
アヴォロスの碧眼が怪しく光り輝いた。




