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178:月下の誓い

「そ、想定内? ど、どういうこと?」


 イヴェアムが日色の言った意味を正確に理解できていないのか聞き返す。日色は何でもないような顔をしながら無愛想に口を動かす。


「こういう状況を想定して、アイツにはある物を持たせてある。まあ、それはアイツだけじゃないが」

「あ、ある物って……何?」

「それは……」


 説明しようとした時、空から物凄い速さで日色の方へ向かって来る物体があった。その正体に一早く気づいたのはイヴェアムだ。


「アクウィナス!?」


 イヴェアムの目前に降り立つアクウィナスは、その紅蓮の髪を揺らしながら周りの様子を見ている。そして視線をイヴェアムに戻し軽く頭を下げる。


「すまない。アヴォロスの企みに気づかなかった」

「い、いや! アクウィナスのせいじゃない! アクウィナスはちゃんとここが攻め入られる可能性を示してくれていた! それなのに私が無理矢理【ムーティヒの橋】の防衛に行かせたんだ! 悪いのは私だ!」

「それは違う」

「え?」

「あの時、ここから去る時に確かに私はここが襲われる可能性を示唆した。しかし戦争はまだ始まったばかりで、すぐにアヴォロス本人が動くという可能性まで読めていなかった。俺の部下ならあの時の防衛力でも問題無いとタカをくくっていた。それが失敗だったのだ。私の浅慮で陛下を危険に晒してしまったことに変わりは無い」

「だ、だけど私が……」

「キリアがいなくなった以上、陛下の側近として支えるのは俺の役目だ。側近のやるべきことは、陛下の安全を常に保つこと。それなのにただ陛下の命そのままに行動してしまっていた。俺が甘かったのだ」


 アクウィナスから深い自責の念が感じられる。余程自分がこの場にいなかったことで、多くの兵が死んだことを悔やんでいるのだろう。


「それに……マリオネ」


 近くで兵の指揮を執っていたマリオネの身体を見てアクウィナスは渋い表情をする。彼の右眼と左腕が失われており、それもまたアヴォロスの攻撃によって与えられた傷だった。


「俺のせいで重要な戦力を削ってしまった。本当にすまない」

「頭を上げてアクウィナス! 責められるべきはあなたじゃなくて、危険があることも分かっていたのに戦力を割いた私の落ち度よ! だからもう…………謝らないで」


 イヴェアムには誰かに怒鳴られるより、こうしてアクウィナスに頭を下げられる方が堪えるのだろう。彼女は責任感が極めて強い。ただ楽観的で直情的な部分があるため、思い立つとすぐに行動してしまう。

 今回、それが仇となり多くの命を散らせてしまった。それも恐らくはイヴェアムのことを知り尽くしているアヴォロス……いや、キリアが向こうにいるせいだろう。

 彼女ならばイヴェアムの性格から嗜好、その弱点なども全て把握できているだろう。そこを突くような作戦だって簡単に立てられるに違いない。実際アヴォロスの大胆とも思える作戦は見事にハマり、イヴェアム側に大打撃を与えることができた。


「はいはい、お二人とも暗いッスよ!」


 そんな中、一人明るく振る舞っているテッケイルが手をパンパンと叩いて注意を自分に引きつけている。


「いいッスか? 後悔しても何も始まらないッス。やるなら後悔より反省! 今後二度とアヴォロスに先手を取られないように行動すればいいんスよ」


 ニカッと笑う彼の表情でイヴェアムは少しだけ強張っている部分が和らぐ。そしてアクウィナスもまた軽く息を吐くと、


「陛下を守ってくれたのはお前かテッケイル?」

「違うッスよ。それはそこのテンさんッス」


 テッケイルがテンを指差す。するとアクウィナスがテンに頭を下げ礼を言った。テンも当然のことをしたまでだと言っているが、国のトップに頭を下げられて礼を言われているせいか、結構照れて「ウキキウキキ」と喜んでいる。

 そしてマリオネの傷、兵士の傷に関しても、日色が治したことをテッケイルがアクウィナスに教えると日色にも礼を言ってきた。


「気にするな。それなりの対価はもらっているからな」


 予定ではあるが、とは日色は言わなかった。そしてアクウィナスが再びイヴェアムの方へ顔を向けると、現況がどうなっているか尋ねる。

 イヴェアムも今分かっていることをテッケイルの情報を交えて伝える。


「そうか、やはりアヴォロスに上を行かれているな」

「ただ何でアヴォロスが獣人の姫を攫っていったかは分からないんスよ」


 テッケイルがそう言うと、イヴェアムが思い出したように日色の顔を見る。


「そう言えばヒイロ、さっきの続きだけど……」

「ん? ああ、そうだったな」


 皆が日色に視線を向ける。すると日色は右手を上げて袖を捲る。その手首には糸で編まれたリングが身に付けられてあった。


「ヒイロ、それは?」


 イヴェアムの問いに日色は「ここだけの話だ。誰にも言うなよ」と言うと、皆が頷く。


「これは《ボンドリング》っていうものだ」


 皆がキョトンとする中、カミュが小さく「あ……」と呟いたせいで、視線が彼に集中する。イヴェアムが彼に「知ってるの?」と尋ねると、カミュはコクンと頭を振って肯定する。


「……コレ、前にヒイロが仕留めたモンスターから作ったやつ……だよ」


 ノアと初めて出会い、手玉にとられてしまったことを反省した日色は、カミュとニッキを連れてカミュの故郷である砂漠へと向かった。そこでなら思う存分修行ができると踏んだからだ。

 しばらく修行していると、カミュの祖父であるシヴァンから、最近オアシスに住みついたモンスターがいると噂を聞いた。

 何でも珍しいモンスターだそうで、全身が糸状の毛に包まれている野球のボールほどの小さなモンスターだという。しかも色が様々にあり、全部で十種類ほどいるとのこと。

 昔はもっと自然豊かだった頃、そのモンスターもかなりの数生息していたというが、近頃では滅多に見かけなくなったのだという。

 だが最近、砂漠にある幾つものオアシスでその姿を確認するようになったと話すシヴァン。あまり興味の無かった日色だが、そのモンスターの特性を聞いた時、感心を抱いたのだ。


「そのモンスターの名前はイトダマって言ってな、十種類全てを倒して、その身体に生えている毛を編んで作ったものがこの《ボンドリング》だ」


 実際倒すのにかなり手古摺ったのを覚えている。小さくてすばしっこく、また砂の中にも潜ってしまうので、全部を捕まえるのに結構時間が掛かった。


「その効果は、いろいろあるが、その一つに念話がある」

「ねん……わ? ……それは何?」


 イヴェアムが首を傾げる。


「心の中で会話ができることだ」

「え? それなら他の魔具にも似たようなものがあるわよ?」


 確かに彼女の言う通り、似たような効能を持つ魔具は存在する。


「ああ、だがそれは決まって範囲が決定されてるだろ? 一番効果が強いやつでも【魔国】くらいの広さで限界のはずだ」

「そ、それは……そうね」

「だがこれは同じものをつけている相手がどこにいようが、いつでも会話することができる」

「そ、それは凄いわね…………ん? 同じものということは、もしかして……」

「そうだ、第二王女の腕にはコレと同じものが嵌められてる」

「へ、へぇ」


 イヴェアムはジッと《ボンドリング》を見つめて何か物欲しそうな目をしているが、日色は話を続ける。


「こういう糸で編んだリングを、オレの世界では《ミサンガ》って呼ぶんだが、オレや第二王女はそっちの呼び名の方を使ってるな」

「《ミサンガ》……何か呼びやすい名前ね」

「ああ、願いを叶えてくれるというジンクスもある。そして願いを叶えると切れるらしい」


 実際それを話すと《ボンドリング》をあげたミミルとミュアは喜んで受け取った。


「そ、それじゃこれを皆に配ったら連絡用にちょうどいいわね!」

「いや、オレが捕らえたイトダマからは三つしか作れなかった」

「あ……そ、そうなんだ……」


 明らかに落胆色を顔に出すイヴェアム。だがハッとなった彼女は「み、三つ?」と日色にもう一つの行方を聞く。


「そいつもある奴に渡してあるが、今はそいつのことはいい。とりあえず、青リボンから今の状況を聞き出すことが先決だ」

「そ、そうね! うん、その通りよ!」


 本当は聞き出したいのか、ウズウズしてそうな表情を浮かべるイヴェアムだが、そんな状況ではないことを悟っているのか追及はしないようだ。そして彼女だけでなく、今まで黙って聞いていたリリィンもまた、彼女以上にリングを凝視していた。

 そしてミミルにあげたという言葉を聞いた直後から明らかに不機嫌さが増している。それに気づいていない日色だが、傍にいるド変態執事は気づいているようで、楽しそうにリリィンの嫉妬した顔を見つめてニヤニヤしていた。

 ニッキはニッキで、一緒にイトダマを捕まえたにも拘らず、ようやく思い出したのか手をポンと叩いて「おお~確かにそのようなものを作っていましたですぞ! 忘れてましたな~」と笑っていた。やはり彼女は可愛らしいお馬鹿であった。

 日色は《ボンドリング》に魔力を流し始める。すると淡い光を放つリング。日色は目を閉じて心の中で呼びかける。



     ※



 【獣王国・パシオン】の第二王女であるミミル・キングは、現在捕虜にされている。国に《マタル・デウス》が攻めてきて攫われてしまったのだ。

 今ミミルがいるのは【ヴィクトリアス】の王城。そこの一室を与えられていた。最初ミミルは牢屋にでも放り込まれるのではと覚悟をしていたが、普通の客室で幽閉という形で閉じ込められていた。

 何でもアヴォロス曰く、さすがに『精霊の母』たる存在であるミミルを牢屋に繋いでくのは不憫過ぎると言ってベッドも椅子も窓もある客室を与えられたのだ。

 しかし窓は格子が嵌め込んであり、扉の前では常にアヴォロスの兵が監視しているという状況ではある。

 それでも一通りの生活を保障されていることが、ミミルを逆に不安にさせた。それだけ自分の存在がアヴォロスにとって重要なのだと理解させられているからだ。


 ミミルは自身に力が無いのを悔やむ。もしミュアやイオニスなら、ここから力を以て抜け出すこともできるだろう。しかし《化装術》も使えない、身体能力も並以下のミミルではその選択肢が初めから用意されていないのだ。

 ミミルは右腕に身に付けてある日色からもらった《ミサンガ》を悲しげな様子で見つめる。


「ミュアちゃん…………ヒイロ様……」


 大好きな者たちの名前を、囚われてから幾度も呟いてみたが声は虚しく室内に響くだけである。

 恐らく自分が攫われたことはすでに【パシオン】中に広がっているだろう。もしかしたらその情報はすでに【ハーオス】まで届いているかもしれない。

 日色がどこにいるかミミルには知らされていなかったが、恐らくその【ハーオス】にいるのだろうと漠然と思っていた。

 だがこうして《ミサンガ》を見つめていると、日色がすぐ傍にいるような気がして心が落ち着くのだ。

 彼は自分とミュアだけにこの《ミサンガ》を与えたと言っていた。それがとても嬉しかった。日色の特別な存在になれているような気がしたからだ。


 いつもぶっきらぼうで感情が豊かな日色ではないが、時折見せる子供のような仕草や、本を読んでいる時の涼しげな表情、美味しいものを食べている時の満足気な姿、どれをとってもミミルを楽しませてくれた。

 最初会った時は、彼が『精霊』だと勘違いしたが、彼に声を取り戻してもらい、何となく彼という存在がずっと気になっていた。それがハッキリどういう感情に基づく意識なのか判断しかねていたが、二度目に会った時、ミミルは確信できた。


 ああ、この人のことが好きなんだと。


 きっかけはもちろん最初の出会いだ。医者にも治せなかった声をあっさりと苦も無く取り戻してくれた彼のことを不思議に思い、彼のことを知りたくなっていた。

 いや、確かなことを言えば、初めて顔を見た時、この人は自分にとってかけがえのない人になるという予感がしていた。何故そんな予感がしたのかは定かではない。

 ただそれから彼を想う度にその想いが日に日に強くなっていった。彼が二度目にやって来た時、思わず立場も忘れて抱きついたのを覚えている。

 あんなに感情が先立って行動したのは初めてだった。声を失ってからは、人の顔色を見て、誰かを幻滅させないように石橋を叩いて渡るような生活をしてきた。


 だから自分の感情の赴くままに、ましてや男の人に抱きつくなど有り得なかった。今思い出しても大胆なことをしたと顔が熱くなってしまうほどだ。

 しかしそれだけ自分の中で日色の存在が大きなものになっていたことに気づいた。正直に言えば声を取り戻してくれただけの存在とも言える。いくら何でも普通はそれだけでこれほどの想いを宿すなんてあるのだろうか……。

 それにやはり何故最初に会った時、あれほど彼のことを信じられたのかも不思議だった。今まで男の人と二人っきりなど皆無に近かった。

 というよりもあまり男の人と話すことに自信がなかったのだ。精々が兄や父と話すくらいだ。《三獣士》のバリドでさえも、二人っきりで話すという状況は正直辛いものがあった。

 しかし初めて会ったはずの日色にはそんな思いなど持たなかった。


(そうです……あの時、ヒイロ様を見て、何だか懐かしいって思ったのです)


 それはようやく巡り会えたような……心が震える想い。あの時、自分は何故か感動していたのだ。今思い出すと、それが感動だったと名前を付けられる。


(どうしてそんなふうに思えたのかは分かりませんが…………とても心地好かったです)


 一番その想いが強くなったのは、彼の魔法に触れた時だった。あの温かさは絶対に忘れない。陽だまりのような心地好さと温かさ。そしてフワフワと空に浮かんでいるような浮遊感。大きなものに包まれて守られている感覚が、懐かしいと思えたのだ。

 ミミルはその時のことを思うと自然と頬が緩む。だがすぐにその表情は崩れ陰りを帯びる。周りを見渡せば自分以外誰もいない。

 冷たさしか感じない部屋の中でミミルは不安がどんどん募ってくる。もしかしたらここで死ぬことになるのかもしれない。

 それは嫌だった。いや、一番嫌なのはアヴォロスに利用されることだ。そしてその力で皆を傷つけられることが一番怖い。

 そうなる前に死ぬしかないのだろうかとミミルが決断に迫られていた時、


『……ボン』


 微かにどこかから声が聞こえた。ミミルはハッとなって顔を上げる。しかし部屋の中はやはりミミル一人だけだ。

 気のせいかと思い目を伏せようとしたが、


『聞こえるか……?』


 今度はハッキリと言葉が聞こえた。しかもそれは……それは――――。


『聞こえたら返事をしろ、青リボン』


 ――自分の愛しい者の声だった。



      ※



『ヒ、ヒイロ様っ!?』


 日色の脳内にかなりの音量でミミルの声が届く。思わず顔をしかめると、


『少しボリュームを落とせ。というか声に出さなくてもいい。頭の中で会話ができる』

『え?』

『どうせ近くに監視役がいるんだろ? 聞かれたらまずい。だから声には出すな』

『……は、はい』

『よし。まずお前は無事なんだな?』


 最初に聞くべきことはミミルの安全だ。


『は、はい。ですが今は……』

『お前が捕まってるのは分かってる。今は【ヴィクトリアス】の王城の牢屋か?』


 恐らく囚われているならそうだろうと日色は判断したが、彼女が言うには王城の一室を与えられているとのこと。何故アヴォロスがそんな待遇をしているのか謎だったが、話を続ける。


『いいか青リボン、今オレがお前と会話できるのは、以前お前にやった《ミサンガ》のお蔭だ』

『こ、これがですか?』

『ああ、そこに魔力を流すことで同じ《ミサンガ》を持っている者同士、頭の中でいつでも会話が可能だ』

『…………』


 声の向こう側から何やら不機嫌そうな雰囲気が伝わってきた。


『お、おいどうした?』

『……ヒイロ様?』

『……何だ?』

『どうして最初から教えて頂けなかったのですか?』


 どうやら効能を黙っていたことにご立腹のようだ。


『それには幾つか理由がある。前もって教えておけば、お前たちが必要以上にそれを使うと思ってな。正直こっちが用事している時に話しかけられるのは面倒だった』

『ヒ、ヒイロ様はいけずです! ミ、ミミルだってお話したいことがいっぱいですが、それならヒイロ様のご迷惑にならない程度には抑えるつもりです! それなのに……教えてほしかったです』


 ミミルが向こう側で涙目になっている姿が容易に想像できた。日色としては正直に話したつもりだが、どうやらミミルは勝手に決めつけられたことが悲しいようだ。


『……悪かった。それに、理由はそれだけじゃないんだ』

『え?』

『実はこの《ミサンガ》にも耐久力というものがある。あまり使い続ければ不能になってしまうんだ。だからそれを防ぐためにも自重する必要があった』

『……それを最初から話してほしかったです……』

『……あ~まあ、すまんな。これからは話すように善処しよう』

『絶対ですからね!』

『あ、ああ』


 この会話を他の奴らに聞かれなくて心底良かったと思った。絶対何かしらの面倒な突っ込みを受けることは目に見えている。


『ところで青リボン、あの金髪野郎から何か言われたか?』

『あ、そ、それは……』


 何か言い難いことを言われたのか、ミミルが口ごもっている。


『言いたくないなら無理には……』

『い、いえ! ヒイロ様には聞いて……ほしいです』

『……分かった』


 それからしばらくミミルがアヴォロスかた聞かされた突拍子もない話を日色は聞いた。

 日色も彼女が特別な存在だということは知っていた。だからこそアヴォロスがその力を利用するだろうと踏んで、前もって獣王たちに彼女の守りを強化するように言ったが、ミミルから聞いた話は完全に予想外なものだった。


(『精霊の母』……? おいおい、そんな壮大な話なのか?)


 さすがに世界の原初にまで遡るような話だとは微塵も思っていなかった。しかしアヴォロスが嘘を言ってなさそうだとミミルは判断しているようだ。

 彼女がそのように判断したのなら、完全に真実とは言えないまでも関係性は確実にあると見た方が良いと日色は理解する。

 だが今、その『精霊の母』の話より今後のことだ。


『いいか青リボン、オレはこうなることを想定して、お前たちにその《ミサンガ》を託した。あとでチビにも教えとくが良く覚えておけ、いいか          』


 日色はこれからミミルがするべきことを教えていく。彼女も真剣にその話を聞いていた。そして全てを話し終えた日色が、


『分かったか?』


 そう問うと、ミミルはゴクリと喉を鳴らして答える。


『任せて下さい!』


 頼りになる返事を聞かせてくれた。


『それじゃ、これからは定期的に連絡を取る。だがそっちの状況が分からんから、今後はお前が今は安全だと思う時に連絡してこい。使い方は魔力を流し相手の顔を思い浮かべればいい。ただし使う時は注意しろ。微量でも魔力を使うから、気づかれないようにな』

『分かりました』

『よし、ならオレはこれで……』

『あ、あのヒイロ様!』

『何だ?』


 話を止めようとした時、ミミルが慌てたように声をかけてくる。


『あ、その……ヒイロ様のお声が聞けて安心しました』

『……そうか』

『やっぱりヒイロ様はミミルのヒーローです!』

『恥ずかしいことを言うなバカ』

『ふふふ、ヒイロ様照れてますか?』

『くだらんことばかり言うんなら切るぞ』

『分かりました。……ヒイロ様、その…………す……いえ、ありがとうございました!』

『ああ、危なくなったらいつでも連絡してこい』

『はい!』



 日色は魔力を《ミサンガ》に流すのを止めると、ゆっくりと目を開ける。その様子をジッと見守っていたイヴェアムたちに、ミミルについての話をすると、


「そ、そうか、無事で良かった」


 イヴェアムはホッと胸を撫で下ろしている。


「おいヒイロ、それじゃ今は放置していても問題はないということか?」


 リリィンが尋ねてくるので彼女の目を見つめて日色は答える。


「ああ、これで上手くいけば奴らに一泡吹かせてやれる」

「そうだな。だがこの状況を予測していたとは、貴様も勝つ気満々ではないか」

「当然だ。勝負事は勝った方が嬉しいに決まってる」

「それではそのことをレオウード殿に?」


 イヴェアムは日色から聞いた話を、ミミルの父であるレオウードに話すべきだと思っているようだ。


「いや、ここで獣王に話せば、違和感が生じる」

「違和感?」

「ここで青リボンが無事だということと、今後のことを教えると、獣王が当然するべき行動に迫力が欠けるかもしれないからな。奴には全力で娘を助けに動いてもらった方が、より真実味が出る。だがこのことを話せば、全力で娘を助けるフリをすることになる。もしその違和感を感じ取られると、何か青リボンと連絡を取れる手段でもあるのかと勘繰られてしまって、最悪の場合殺される可能性だってある」


 だからこそ、レオウードには真実を伝えないで、獣人たちの赴くままに行動してもらった方が、ミミルの安全がより保障されていくのだ。


「う~ん、私としては一刻も早く安心させてあげたいんだけど……」

「魔王の言うことも分かるが、作戦は作戦だ。あのクソチビ魔王の裏をかくには、それくらいしなきゃ無理だぞ? そもそも真正面からぶつかって今に至ってるんだろうが」

「う……それは………………分かったわ」


 泣く泣く了承してくれたようだ。


「オレはこれからもう一人の奴と連絡を取る。その間、魔王は態勢を整えておけよ」

「う、うん!」


 日色はこれからミュアに連絡を取り、ミミルに話した内容と同じことを彼女に伝えることにした。


『わ、分かりましたヒイロさん!』


 今、日色は【ドーハスの橋】にいるであろうミュアとコンタクトを取っていた。無論その方法は、先程ミミルにしたものと同様で、《ボンドリング》を通じての会話だった。

 そうして連絡を取り、ミミルのことと、今後のことをミュアに伝えた。


『あ、あのヒイロさん!』

『何だ?』

『こ、この戦い……勝てますか?』

『負ければ全てを失うような戦いだぞ。勝つしかないだろ』

『そ、そうですよね……』


 不安気な声音がミュアから聞こえてくる。元来彼女は穏やかな性格で争い事は苦手である。それでも大切な者たちを守るために、必死で修行をして強さを得た。

 しかしやはり戦争しか方法が無いということに釈然としない思いを抱えているのだろう。無理も無い。彼女の目の前で多くの人が死んでしまっているのだから。

 それだけ戦争は残酷な死がありふれてしまっている。


『お前はお前のやるべきことをすればいい』

『ヒイロさん……』

『どういう気持ちで戦いに臨んでも別にいいだろ。人ってのはそう簡単に割り切れたりできるものじゃない』

『…………』

『そこにどう折り合いを付けて納得させていくかは、お前次第だ。お前も、簡単に人を殺せるほどの力を持ってる。それは分かるな?』

『は、はい』

『だがそれを殺すために使うか、生かすために使うかは自由だ。少なくとも今、敵側は殺すために力を使ってきてる。ならばお前はどうする?』

『わたしは…………わたしはみんなを守りたいです!』

『ならその想いを貫けばいい。どんな結果になろうが、土台さえしっかりした信念で支えられていれば、受け止めることができるはずだ』

『……はい!』


 ミュアから迷いを吹っ切ったような返事が聞こえてきた。


『ありがとうございますヒイロさん! そ、それと……そ、その……』


 何やら言いたいことがありそうな雰囲気を出しているが、日色は黙って待っている。


『その……わ、わたしはヒイロさんも守りますからっ!』

『…………オレは誰かに守られるほど弱くはないつもりだぞ?』

『しょ、しょれでもですぅ!』

『…………言うようになったなチビ。ならもっと強くなれよ』

『は、はいっ!』


 嬉しそうな表情で返事をしていることが有り有りと思い浮かべられる。


『それじゃ今後。気を付けろよ?』

『わ、分かりました! ヒイロさんもお気をつけて!』


 短く返事をすると、日色は《ボンドリング》の効果を消した。ふぅっと小さく息を吐くと、肩に乗っていたテンが話しかけてきた。


「なあヒイロ、ところでさ、アヴォロスって奴が魔王ちゃんに言ってたことなんだけどよぉ」

「……?」

「ほとんどアリシャの言ってたことと同じだったさ」

「……なるほどな。これでより信憑性が出てきたってわけだ」

「みてえだな。そういや今頃アリシャは何してんのかね~」

「さあな、会わなければならない人物がいるとか言ってたし、話を聞いた以上、オレはもう用はないがな」


 今はアリシャのことより、今後の動きに関しての方が重要である。壊滅的ダメージを受けた【魔国・ハーオス】だが、作戦本部を城の中、とはいっても敷地内にある練兵場にイヴェアムが設置した。

 完全に城が崩壊したわけではないが、周囲の状況を素早く察知できる外に作戦本部を設置した方が良いと判断したようだ。

 多くの兵が死に、国も崩壊してしまったが、まだ人々の目は死んではいなかった。いや、本当は兵たちの士気はかなり低下してはいた。

 しかしイヴェアムやマリオネ、そしてアクウィナスたちが指揮を取り、皆の戦いに向ける意志を強めていった。


 また建物が軒並み破壊されても、民さえ無事なら国はまたやり直せる。幸いこういう状況を考慮して、イヴェアムの命令で【獣王国・パシオン】と同じく、前もって民たちを避難させてはいたのだ。

 かなりの兵士が死んでしまったことは遺憾だったが、それでも力を持たない民たちが無事だということが、イヴェアムたちの支えでもあった。

 途中、帰って来たオーノウスからも、二つの橋での攻防に勝利したという情報を聞いて、兵士たちの意気込みも増した。

 これでようやく拠点が築け、そこを中心に人間界へと攻め入ることができるようになった。

 まだまだ戦争は始まったばかりだが、失ったものは多大。だがそれでも失っただけではなかったことが大きい。


 日色が天を仰ぐと、もう日も暮れ始めていた。ここからは奇襲が怖い。より周囲を警戒する必要があるが、何となく今日はこれ以上の騒ぎはないと感じていた。

 戦争の一日目が終了する予感。そしてそれは恐らく、敵側……アヴォロスも同様に感じているだろうと日色は思った。



      ※



 【ヴィクトリアス】王城、《玉座の間》では黒衣を身に纏った者たちが顔を並べていた。その顔ぶれを玉座から見下ろすように観察したアヴォロスが口を開く。


「さて、今日はご苦労様。こちらの思惑通り、戦争は進んでる。これも君たちのお蔭だよ」


 するとそこでカイナビが手を上げる。


「どうかしたのカイナビ?」

「はい。コクロゥと、あの貧相な勇者がいませんが? それにノアまで」

「ああ、コクロゥと勇者くんにはちょっと任務を授けた」

「夜闇に乗じて何か仕掛けるんですか?」

「ううん、それは向こうも警戒してるだろうから難しいね。それに転移石も限られてるから、二人には時間をかけて目的地へ向かってもらってるんだよ。到着は明日以降になるだろうね」

「陛下の御命令で動いているのでしたらそれで構いません」


 どうやらカイナビは、二人が勝手な行動をして顔を見せていないと勘違いしていたようだ。


「しかしノアはどこへ?」

「う~ん、彼は出奔したかな?」

「何ですってっ!? あ、あの野郎……今度見つけたら廃人にしてやる!」


 怒りに拳を震わせるカイナビ。その態度で、彼女がどれだけアヴォロスを慕っているかが理解できる。


「アハハ、いつも余のために考えてくれて嬉しいよカイナビ」


 ニコッとアヴォロスが笑みを向けると、カイナビはパアッと明るい表情を宿す。


「い、いえ! 陛下のためですから! 当然です!」

「アッハハ! カイナビのその笑顔、口から覗く八重歯、ぽっくりとできるえくぼ、ん~何もかも今一つさ~」

「急に何だクソメン!」


 ビジョニーに非難されたことに憤るカイナビ。


「いいかい? 真の笑顔というものは~」


 クルクルと身体を回転させて、ビシッとポーズを決める。右手を相手の手を取るような仕草で差し出し、軽く首を傾け、片目を閉じ、腰を若干捻った格好。そしてその表情は眩いばかりの笑顔を持ち合わせていた。


「こうさ! これが笑顔! どうだい? 僕の笑顔と君の残念な笑顔と比べるとその違いがよく分かるだろう? そう! 君は残念スマイルしかできないんだよ! これからは君のことを残念スマイリーと呼ぼう!」

「陛下! コイツ殺してもいいですかっ!」


 顔を真っ赤にしてビジョニーを指差しながらカイナビがアヴォロスに嘆願するが、アヴォロスはクスクスと笑っている。


「落ち着きなよカイナビ。彼はそんなだけど、戦争に必要な存在なんだから。もちろんカイナビも、余にとって大切な存在だよ」

「へ、陛下……」


 嬉しそうに頬を染めるカイナビ。やれやれといった感じで、周りの者から溜め息が零れ出ている。

 そしてアヴォロスが笑みを崩さないまま皆に言う。


「あとは何か問題はあるかい?」


 その問いにまたもカイナビが手を挙げる。話すことをアヴォロスが許可する。


「ジュドム・ランカースについてですが……」

「ああ、彼か」


 その場にいたキルツの眉がピクリと動いたが、それを察知できた者はいなかった。


「今奴は洗脳が解けた国民どもを国外へと連れ去ろうとしています」

「でもまだ国の中にいるんでしょ?」

「はい。何分数も数なので、そう簡単には移動できないはずです。それに移動を渋っている者もいます」

「アハハ、それはそうだろうね。だって……彼らの愛する子供たちがいないんだから」

「放置していても構わないのですか?」

「うん、今のところはね。ジュドムも国民を背負って行動できる範囲は限られているし、彼のことだから国民を安全な場所まで誘導させるまでは攻めてはこないよ。まあ、監視は必要だけれどね」

「陛下がそう仰るのであれば」

「それにもうすぐアレのお披露目もするしね。その時に……ククク」


 カイナビが頭を下げて一歩身を引く。アヴォロスは他に何か無いかと尋ねてから、何も無いようなので満足気に頷き言葉を発する。


「まだまだ戦争はこれからだよ。存分にその力、尽くしてもらいたい」


 その場に居る者から返事が聞こえ、アヴォロスも満足そうに頷く。

 そう、戦争はまだ始まったばかりなのだ。



     ※



 【ヴィクトリアス】から数キロほど離れた場所にある森の中、木々が密集しているせいで葉っぱのベッドと化している登頂部にノア・ブラックは気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 周囲はすでに日が落ち星が瞬いている。微かな風が髪を揺らし心地好い気分をノアに味わわせていた。そしてそのノアが枕代わりにしているのが、彼のパートナーである『精霊』のスーである。

 今そのスーがピクッと何かに反応したように、目を開けて周囲を警戒しだした。すると葉っぱの中からニョキッと幾つもの花が現れる。

 青い花びらをつけた柑橘系の香りを漂わせるそれが、ノアたちを囲むように次々と出現した。

 スーは寝ているノアを起こさないようにそっと立ち上がる。


「――――――何用だ?」


 スーは怒気の混じった声音を吐く。睡眠を邪魔されたことに苛立っているのかもしれない。鋭い眼光で花々を睨みつける。


『一つだけ聞く。戻ってくる気はあるか?』


 花びらが揺れた瞬間、そんな声がスーの耳をついた。納得気に目を細めたスーは淡々とした様子で答える。


「――――――断る」

『それは何故だ?』

「――――――理由は一つ。貴公らに興味が失せたからだ」

『お前たちの望みを叶える手はずだったはずだが?』

「――――――ノアは騙されたかもしれないが、我は騙されぬ。貴公らの目指すものが、我々の意図したものとはかけ離れているものだということは薄々気づいていた」

『それはお前たちの勘違いだ。こちらは仲間の願いは叶える所存だった』

「――――――フッ、それは貴公の解釈であろう……カイナビ?」


 スーの言葉を聞いた瞬間、空気が一変して張りつめた。花から明らかな憤怒が伝わってくる。


『……再度聞く。陛下を裏切るのか?』

「――――――これはあの者の命令か? それとも……」

『黙れっ!』


 刹那、周囲の花が弾けたと思ったら、無数の花びらが螺旋を描きながらスーとノアに襲い掛かった。その花びら一枚一枚がカッターのように鋭さを持っている。

 無防備で受ければ体中が刻まれてしまうだろう。スーがノアを守ろうと動こうとしたその時    


「ふわぁ~、もううるさいなぁ」


 いつの間にか立ち上がっていたノアが、その手に《断刀・トウバツ》を持っていた。そしてめんどくさそうに向かってくる花びらの群れに向かって一振り。

 その一振りは凄まじい風圧を生み、花びらは全て吹き飛ばされてしまう。


『ちっ、バケモノめ』


 どこからかそんな忌々しげな声が聞こえる。そしてそのまま気配は消えていった。


「スー、なんなのコレ? ちょ~ウザいんだけど?」

「――――――さあな。どこぞの小娘が感情のまま動いたのだろう」

「……どゆこと?」

「――――――ここも静かではなくなったということだ」

「え~それ困るんだけど」

「――――――なら大陸を移動するか? 人間界よりもマシな場所が見つかると思うが?」

「ん~めんどくさい」

「――――――お前を乗せて飛ぶのは我なのだが?」


 暗に疲れるのは自分だけだとスーは言いたいようだ。だから面倒も何も、どうせノアはスーの背中で眠っているだけなので、彼の言葉を否定したいのだろう。


「……あの赤いのってどこにいるのかな?」

「――――――む? やはりあの少年のことを気に入ったようだな」

「アイツくらいだから……おれの本気受け止められんの」

「――――――フフ、なら追うか?」

「…………やっぱ眠たいからいいや。スー、適当に飛んで」

「――――――やれやれ、相変わらずだなお前は」


 見るからに肩を竦めるスーは溜め息混じりにそう言うと、ノアを背中に乗せて大空を翔け上がった。すでにもう夢の中に入ったノアを一瞥したスーは、眼下に向けて声を響かせる。


「――――――カイナビよ! 二度は無いぞ! 次に我らの邪魔をすれば容赦はせん!」


 それだけ言うとスーは旋回してどこかへと去って行った。

 スーが見下ろしていた場所にある一本の大樹の陰、そこにカイナビが闇に紛れていた。


「……ちっ、クソ鳥が! 陛下を裏切ったこと、いつか後悔させてやるからな!」


 空に消えていくノアたちを射殺すような視線をぶつけるカイナビ。彼女はアヴォロスからノアたちが離散したことを聞いて、さっそく行動に移したのだ。

 もう一度戻ってくる意思があるのなら問題無いが、もし断るようなら始末しようと考えていたようだ。しかしノアの実力はある程度知ってはいたが、やはり一人では暗殺もままならないと判断できた。

 気配を消して近づいても、スーには感づかれ、攻撃に移ってもノアにあっさりと看破された。さすがは伝説の獣人なのだが、カイナビはアヴォロスのことになると熱くなり過ぎる。

 今回も彼を裏切ったことが許せず、アヴォロスの許可無しでノアたちを探し出してここまでやって来ていたのだ。

 無論そのことを追及して咎めるようなアヴォロスではないが、カイナビは今回のことをアヴォロスに報告するつもりだった。そして機会があれば、裏切り者を始末する役目をもらう算段なのだ。

 カイナビは始末できなかったことを悔やみながらも再び闇へと消えた。



     ※



 皆が寝静まった頃、【魔国・ハーオス】の王城にある魔王イヴェアムの私室では、イヴェアムがテラスへ出て空から顔を覗かせている月をその目に捉えていた。

 アヴォロスの襲撃によって破壊されたはずの王城だったが、日色があっという間に魔法で崩壊した部分を復元してくれた。何でも自分が寝る場所を確保するためにやったらしいが、皆は唖然としていたのをイヴェアムは覚えている。

 もしかしたら粉々にされた街も元通りになるのではと思って、日色に頼み込んだが、「それは戦争が終わった後だ」と却下された。

 せっかく直しても、また攻めてこられて壊されたらバカみたいだからと。全てが終わった後、気分が良かったら直してやると日色は言った。


 彼らしい理由だとイヴェアムは思ったが、本当に彼の力には頼りっぱなしである。今回、自分の判断の甘さで多くを失い、多くを傷つけた。

 それでも彼の力で多くを取り戻すことができる。それはイヴェアムにとって喜ばしいことだが、やはりよく考えるととても異常なことだとも思えた。


(どうしてヒイロにそんな力があるのかしら……?)


 イヴェアムはその考えをすぐさま首を振って捨てる。


(いけないわね。アヴォロスに言われたことに囚われてるわ)


 アヴォロスから聞かされたこの世界の真実。そして日色という存在の意味。それが本当に真実なのかどうか、確かめる術はイヴェアムには無い。

 だが心の奥底では、それが事実なのだろうと確信めいたものがあった。


(ヒイロの力は確かに強過ぎるけど……それでも彼は私たちの救世主だもの)


 感謝こそすれ、恐れを抱くなどイヴェアムには有り得ない。だが他の者たちはどうなのだろうかとふと考える。

 致命傷の傷だった兵士たち。それを短時間で治癒させた魔法。マリオネにしても同様だ。失った足を甦らせる魔法など聞いたこと無い。そして王城の復活。

 見る者が見れば、やはりそれは異質で畏怖されるものなのかもしれない。


「強過ぎる力は争いを生む……か」


 アヴォロスの言うことを真に受けているわけではない。しかしそれでも、人の心が流されやすく脆いものだということは理解できる。まだ短い人生経験だが、その中でもいろんな人の心に触れてきた。

 魔王という立場にあり、凡そ負の感情を大いに感じてきた。権力や身分、金や魔法など、やはりそこには差別が存在する。

 そして人はそれを守ろうと躍起になり、自分とはかけ離れた存在に恐怖を抱いてきた。だからこそ、今まで人は人同士で争ってきたのだ。


 『人間族』は強い力を持つ『魔人族』を恐れて、『獣人族』はかつて支配されてきた恐怖から逃れるために『人間族』を逆に滅ぼそうとし、『魔人族』はそのプライドと力の強さから、自分たちこそが世界を総べる存在だと争ってきた。

 それが始まり。そしてそれぞれの思いは交錯し、どんどん歪みは大きくなり、憎しみと痛みが広がっていき、争いの絶えない世界になってきた。

 それが人の弱さ。心の弱さである。人は安心したいのだ。そしてその安心は、優位に立っている時しか得られないと、人は勘違いを起こした。

 だからこそ、自分たちより上の存在を邪魔に思い、存在ごと消そうとしたのだ。


(これも世界の異物による意志というものなの?)


 イヴェアムは再度首を振ってふぅっと息を吐く。そしてふと、そこから見える王城の建物の屋根に人影が見えた。


「……ヒイロ?」


 目を細めなくても、月明かりに映し出された人物がイヴェアムにはすぐに特定することができた。



     ※



 静寂が支配する夜の中、金色の月明かりを浴びて、日色は魔王城の屋根の上でたそがれるように上空に浮いている満月を見つめていた。

 屋根には日色だけが居り、いつも肩の上にいるテンは日色にあてがわれているベッドでだらしなく寝息を立てている。他の者たちもそれぞれのベッドで静かに横たわっている。

 今日の出来事を思い出していたら身体が妙に熱を持ち、興奮しているようでこうして夜風に当たり熱を冷まそうと出てきたのだ。

 屋根から眺める国の惨状は、月明かりでよく分かる。まだ崩壊していない場所も無論あるが、クレーターを中心として、周囲にその被害が広がっていた。

 どれほどの破壊力が込められていたかは、離れていた城が余波だけで破壊されたことを考慮してもよく分かる。


 日色は黙って崩壊した街に移していた視線を再度月に向ける。日本とは違って巨大な月。それこそ落ちてきそうなほど圧迫感も持っている。

 まるで月自体がこの【イデア】を観察しているかのようだった。そしてそんな月を、日色は飽きることなくジッと見つめている。しばらくして、日色は閉じたままだった口をゆっくりと動かす。


「……魔王か?」

「き、気づいてたの?」


 驚いたイヴェアムの声が日色の背後から耳に入ってきた。日色はそのまま振り向かずに小さく「ああ」とだけ答える。最近何となく、その者が持つ魔力の質から相手が分かるようになった。《太赤纏》を習得してからは、それがより顕著になった。


「隣、いい?」

「好きにしろ」

「ありがと」


 イヴェアムが隣まで来ると、背中から出していた翼を縮める。日色はチラリと横目でその様子を見つめると、ふと気になったことがあったので聞いた。


「その翼って、そうやって収納されてるんだな?」

「え? し、知らなかったの?」


 見れば、服の背中には二つの亀裂が入っていて、そこから翼である黒い物体が縦状に収まっていた。広げる時はそこから左右に姿を見せるということだ。


「まあ、予想はしてたが、そうしてじっくりと見るのは初めてだな」

「……な、何かそんなに見られると恥ずかしいわね」


 夜でも彼女が頬を赤く染めていることが分かった。何が恥ずかしいのかは日色には分からないが。

 イヴェアムはゆっくりと、少し距離を開けて日色の隣に座ると同じように月を眺めている。そして夜風が彼女の金の髪を揺らせ、月明かりを反射させてキラキラと輝いている。


「気持ち良い風ね」

「ああ」


 日色はぶっきらぼうにそう答えるとしばらく沈黙が流れる。その状態を崩したのはイヴェアムだった。


「こ、こんなところで何してたの?」

「眠れなかったからな。気分転換だ」

「そ、そうなんだ……そうなのね……」


 何を話していいか分からず困惑しているのが、よく伝わってくる。そんなに間が持たないのなら、さっさと自分の部屋へ戻ればと日色は思うが、イヴェアムが次に聞いてきた質問には少し関心を覚えた。


「ね、ねえヒイロ……ヒイロは元の世界に戻りたいって思ったことあるの?」


 彼女の目を見つめると、若干瞳が潤み、不安そうに揺れていた。


「無いな。今更元の世界に戻るなんて考えられんぞ」

「そ、そうなの?」

「当然だろ? オレにはこっちの世界の方が合ってる」

「じゃ、じゃあ、何があってもこの世界からいなくならないわけね?」


 何やら真剣な表情で尋ねてくるので、彼女の真意が気になった。


「……何故そんなことを聞いてくる?」

「そ、それは……」


 顔を俯かせる彼女を見て、ある考えを思いつく。


「そうか。そういやお前、あのチビ金髪から世界の真実とやらを聞かされたようだな」

「う……」

「大方オレについてのことも教えられて、オレが【イデア】のことをどう思ってるか気になったって口だろ?」

「うぅ……」


 図星のようで反論せずただ彼女は唸っている。日色は呆れたように溜め息を吐く。


「だ、だってヒイロ! あんな話を聞いて冷静にいられるわけないわよ! というかヒイロも知ってたの!」

「大分前にな。ある女に教えてもらった」

「……お、女? 女の人……なの?」


 訝しげにイヴェアムは眉を寄せているが、日色は彼女がその女性のことをアヴォロスの手の者だと考えているのだろうか?


「言っとくが、そいつは信頼はできないが、嘘はついていなかったぞ? オレの魔法で確かめたからな」

「う~そういう意味で聞いたわけじゃないんだけどな……」

「何か言ったか?」


 小声だったのでハッキリと聞こえなくて聞き返したが、彼女は顔を背けて「な、何でもないわ!」と言った。そして彼女はそのまま大きく深呼吸すると、重々しい雰囲気を醸し出し訪ねてきた。


「……ねえ、ヒイロはこの世界の真実のこと、どう思う? も、もしあれが本当だったらだけど……」


 やはりアヴォロスから言われたことが大分堪えているようだ。魔王という立場にありながら、兵士たちを守れず多くを失った。そして何故か目の前で自分の首を放置したアヴォロスの真意を計りかねていたのだろう。

 真実かどうか判断できない話だけを聞かせて、さっさと去って行ったアヴォロスの行為に困惑しているのかもしれない。

 必死に答えを求めようとしているイヴェアムが、日色の顔を見つめてくる。日色は視線をイヴェアムから月へと動かし言う。


「関係無いな」

「……へ?」

「たとえこの世界が、誰かに支配されていたとしてもだ。それが何か関係あるのか?」

「え……だ、だって人の意識を操作したり、それにそのせいで前の英雄も……」

「単純にそいつの心が弱かっただけだろ?」

「…………」

「そいつは、周りが傷つけられていくのに耐えられず、その状況から脱するために自分の命を絶った。オレに言わせれば、それはただ逃げただけだ」

「で、でもだって! 誰だって敵わないじゃない! そんなわけの分からない存在に意識操作されて、しかも、好きだった人を殺されて……私でも……」

「勝手に決めつけるな」

「……え?」


 日色は不愉快そうに眉をひそめてイヴェアムを睨む。睨まれたことでイヴェアムは身を微かに引いてしまっている。


「誰が敵わないって決めたんだ?」

「……だって、本当にいるかも分からないし……いたとしても、そんなことできる相手に敵うわけ……」

「だから決めつけるなって言ってる」

「…………」

「たとえオレの存在が、そいつらの楽しみを作るために呼び出された都合の良いものだとしてもだ、オレはオレだ。オレがこの世界に来たきっかけを作ったのがそいつらでも、オレが今、ここでこうしていることはオレの意志だ。オレが無数の選択肢の中で選んだ結果だ」

「でも、もしかしたらそれも誰かの人の意志が介入して決めさせられたのかもしれないわよ?」

「あのな、そもそも他の奴らがいて選択肢ってのが増えたり減ったりするもんだろ?」

「そ、それは……」

「大体人と関わってれば、誰かの意志が選択肢に介入することなんて普通にあるだろうが」

「…………」


 人と関わっていれば、その人のことを考えて選択肢を変化させることだって多分にある。たとえば一つの店があったとしよう。一人なら一つだけ商品を買うとする。だがその場に友達や家族がいれば、その人たちの分も買おうとする選択肢が増えることもある。

 他にも、その人物が商品を買ってほしいとねだってくるかもしれない。それが子供であったなら? 好きな異性だったなら? その意志で、本来一人ではありえないはずの選択肢が生まれ、選ばない選択をすることだってあるだろう。つまりはそういうことだ。


「だからたとえ、もしだ、もしチビ金髪の言う通り、この世界全ての者の意識を操作し、オレを追い落とそうとしたとしてもだ。そうなった状況の中、どの選択を選ぶかはオレの意志だ」

「ヒイロ……」

「過去の英雄は、その状況の中、死ぬことを選んだ。それだけだ」

「…………そうなのかな……?」

「それにだ。お前だって、自分の選択が、誰かに操られたりしているものだって思うか? いや、そう思いたいか?」

「嫌よ! そんな……そんなこと死んでも思いたくない!」

「だったらそれでいいんじゃないか? 仮に誰かに操作されてたとしても、その時自分が選んだ選択を後悔しなきゃそれでいい。結果的に最悪な選択をしたとしてもだ。それも全部ひっくるめて、自分の選択だと決定してればいいんだ」

「ヒイロ…………ヒイロは強いわね」


 イヴェアムは苦笑を浮かべる。まだ納得はしていないようだが、日色から答えを聞いて、幾分かはスッキリしているようだ。


「まあ、いろいろ言ったが、もし、本当に意識を操作できるような奴らがいて、オレに何かしてくるなら、オレは…………絶対に許さないな」

「……どうするの?」

「簡単だろ? 探し出してぶっ飛ばす」


 …………………………ぷっ。


 イヴェアムの口が膨らみ、突然クスクスと笑い出す。そんな彼女の態度が気に食わず口を尖らせる日色。


「何がおかしいんだ?」

「あははははは、ううん、ごめんごめん! でもおかしいよヒイロ!」

「人を見て笑うな。それ以上笑うなら!」

「――っ!?」


 日色は彼女の頭を抱え、こめかみを両手で挟んでグリグリと力を込める。


「い、痛い痛い痛い痛い痛い~!」


 ひとしきり痛みを与えると手を放す。


「ったく、何がおかしいんだか」

「う~酷いわよ~ヒイロのバカ!」

「知るか」

「…………もう! でも……ちょっと安心したかも」

「お前……ドMだったのか?」

「そ、そそそそそういう意味じゃないわよ!」


 驚いた。結構力を込めてグリグリとやったので、かなり痛かったはずだ。それなのに安心したと言われて、まさか彼女にはシウバ属性があるのかと心底引いてしまっていた。


「安心したのは、ヒイロが相変わらずってこと!」

「はあ? オレはお前と会ってから変わってないと思うが?」

「ん~それはどうかな~?」


 何だか気になる言い方だったので追及するが、イヴェアムは楽しそうに笑みを浮かべるだけで答えてくれなかった。仕方無くまたグリグリの刑を施してやろうと思ったが、ヒュルリと身をかわしてイヴェアムは立ち上がって距離をとった。


「ちっ、覚えてろよ」

「ふふ、ヒイロは気づいてないのね!」

「あ?」

「…………結構変わったわよヒイロは」

「…………」

「それは多分、ヒイロのことをす……好きな人全員が感じてることだと思うの」


 イヴェアムは胸にそっと手を添えて目を閉じながら微笑んでいる。月明かりを纏う彼女の姿は神々しく、素直に綺麗な存在だと思えた。


「だからヒイロも、変わらずこの世界を好きでいてほしい」

「心配しなくても、好きだからここにいる」


 本気になれば元の世界だって日色なら帰れるだろうと日色自身感じている。それだけ《文字魔法》が強力だということなのだが。


「うん! ありがとヒイロ! この世界を好きになってくれて!」

「お前に礼を言われる筋合いじゃないと思うが?」

「ううん! でも言わせてほしいの! あと……お願い」

「お願い? もしかして裸を見た時のやつか?」

「も、もう! あのこと自体は忘れなさいっ!」


 顔を紅潮させて怒鳴るイヴェアム。やはり風呂での出来事は相当恥ずかしかったようだ。


「分かった分かった。それで? ようやく願い事が決まったのか?」

「うん。聞いてくれる?」

「それが約束だからな」


 日色もその場から立ち上がり、イヴェアムと対面する。互いに顔を見合わせ、イヴェアムがその血色の良い唇を震わせる。


「ヒイロ――――――絶対にいなくならないで」


 彼女の瞳を見た。サファイアのように美しい碧眼がキラキラと揺らめいている。口元を一文字に結び、日色の答えを必死で待ち望んでいる表情。


「……そんなのでいいのか?」


 日色にとっては何てことのない願いだった。そもそもこの世界からいなくなるという選択肢は、今の日色にとって有り得ないものである。

 これほど刺激的で楽しい世界は捨てがたい。だからこそ守るために戦争にだって参加しているのだ。


「うん、約束……してくれる?」


 イヴェアムがそっと小指を突き出してきた。この世界にも指切りがあるのだ。日色は軽く肩を竦めると、同様に小指を出しイヴェアムのそれと絡める。


「そんなのでいいんならお安い御用だ」

「うん、約束」


 二人の指はしっかりと繋がり、月夜の約束として結ばれた。





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