177:悲劇の再会
「た、大志さん……?」
目の前に現れた人物。青山大志と思われる人物に朱里は呟くように言った。
「そうだよ。君たちに会いに来たんだ」
その表情はどこか覇気が無く、弱々しい印象を受けさせる。
「と、突然何なん! つうか無事やったんなら何で連絡してこーへんのや!」
しのぶがそう問い詰めると、大志が申し訳なさそうに謝る。
「ごめん。でも俺だってしのぶたちに会いたかったさ」
「それならどうしてですか?」
「…………」
大志が手に持っていた黒い物体を広げてそれを着込む。二人はその姿を見て唖然としてしまう。
彼が羽織った黒い衣。それは《マタル・デウス》を意味する象徴だった。
「ごめん。今の俺は最低なんだよ」
「……ホンマやったんか? 【パシオン】の樹を枯れさせたとか、【ヴィクトリアス】を襲ったっちゅうのはホンマやったんか!」
大志は歯を噛み締めながら、静かに頭を縦に振る。それは肯定の意味だった。
「ど、どうして……ですか?」
「……千佳を……千佳を人質にとられてるんだ」
それは二人が予想していた解答でもあった。だから驚きは無かった。それよりも大志に対する怒りの方が強い。
「だったらどうして!」
「……朱里?」
突然大声で怒鳴る朱里に目を見張る大志。
「だったらどうして私たちに知らせてくれなかったんですか!」
「そ、それはでも……俺だって連絡はしたかったけど……」
「できなかったとでも言うんですか! それは違うはずです! 【パシオン】でも何かしら私たちにメッセージくらい残せたはずです! 千佳さんが人質にされたのでしたら、なおさら私たちを頼ってほしかったです!」
「う……だけど」
「どうせ大志さんは、自分のせいで千佳さんが人質にされたと考えているんでしょう! だから自分だけで解決しようと思ったのではないですか!」
図星をつかれたのか、大志の目が泳ぐ。
「それでも上手くいかずに状況が悪化し始め、ズルズル状況に流されてきたのではないですか! そうなる前にどうしてもっと早く私たちとコンタクトとらなかったのですか! 私たちが魔軍に入ったことは知ったはずです! 私たちがそのことを大陸中に広めましたから! 大志さんと千佳さんに情報が届くように……私たちがここにいると分かるようにです! それなのに!」
ポンと熱弁している朱里の肩にしのぶが手を置く。朱里もそのせいで一旦言葉を止める。
「ちょっと落ち着きぃや朱里っち」
「しのぶさん…………はい」
しのぶは軽く溜め息を吐くと、いまだに顔を俯かせて情けない態度を見せている大志に視線を向ける。
「なあ大志っち。千佳っちは無事なん?」
「あ、うん。無事だよ……多分」
「多分って……曖昧過ぎひん?」
「し、仕方ないじゃないか!」
今度は大志の方が声を張り上げる。
「俺だって千佳を助けるために頑張った! だけど周りには助けてくれる人もいなくて、そんな状況でどうやってやっていけば良かったんだよっ!」
「…………何か変わったな大志っち」
「……しのぶ?」
「昔四人でオンラインゲームしてる時も、ウチらのキャラが危険な状態があった。せやけど大志っちは自分を犠牲にしてでもウチらを守ってくれた」
「そ、それはだって…………ゲーム……だから」
「せやな。あれはゲームや。そんでコレは現実や。けどこの異世界に来た初めも、大志っちはウチらのリーダーとして引っ張ってってくれとった。それがどれほどウチらを安心させとったか、分かっとるか?」
「…………」
「みんなのことを第一に考えてくれて、絶対に元の世界に戻ろうなって励ましてくれとった。………………それが何なん?」
ピシッと空気が固まる。しのぶはそのネコ目を細め大志を睨む。
「大志っちが、ここで言うとることは全部言い訳やないの!」
「そ、それは……」
「大志っちと千佳っちが無事やったんはホンマに嬉しい。けどな、正直今の大志っちにはガッカリやで!」
「し、しのぶ……」
「どんだけ周りに流されるつもりなんや! 分かっとんのか! 大志っちがしとることは、決して許されへんことなんやで!」
大志の顔が次第に青ざめ身体も震え出す。そして拳が固く握しめられている。
「世話んなった国を裏切り、獣人たちの大切なもんまで奪っておき、今もなおそんな気色の悪い服着とる! 自分、どうなっとんのやっ!」
「…………俺だってこんなもの着たくなかったさ。け、けど! このままじゃ千佳が!」
「そうやって言いわけしとるだけやろっ!」
「っ!?」
「千佳っちが危ないから、千佳っちを助けたいから、だから今自分のしてることはしょうがないことやって、千佳っちを言い訳にすんなやっ!」
しのぶの言葉に衝撃を受けたようで、大志は「あ……ああ……」と静かに頭を振り出す。
「男やったら言いわけなんかせんと、一緒に千佳っちを助けに行こうくらい言えやっ!」
しのぶの目からは涙が流れていた。それは朱里も同じだ。大志の変わり様に涙しているのか、それとも大志が自分たちを頼らなかったことが悲しいのか、二人の目からは確かに涙が流れ出ていた。
「……ウチらは今、魔軍の分隊長までやらしてもらっとる。守らなあかん部下ももろとるんや。今すぐに千佳っちを助けにはいけへんけど、作戦を立てて必ず千佳っちを助けたる。せやから大志っちもそんな汚らしいもんはよ脱ぎぃや」
本当は今すぐにでも【ヴィクトリアス】へ向かい千佳を救いたいだろう。しかし三人で向かっても返り討ちに合うのは目に見えている。何の作戦も無しに、敵の居城に攻め入るほどしのぶは愚かではなかった。
それに今の彼女たちには所属する軍があり、部下を持っている。隊長になった以上、勝手な行動は部下を死なせることにも繋がる。自分たちの甘い判断で、またも選択を誤りたくないとしのぶは朱里と決めていた。与えられた仕事は最後まで全うしようと。
だからこそ、大志にはこのまま自分たちの傍にいてほしいのだろう。しかし次に大志の口から出た言葉にしのぶたちは言葉を失う。
「…………俺の今の任務は……しのぶたちを【ヴィクトリアス】に連れて行くことだ」
それはアヴォロスが出した命令なのだろう。何のためにしのぶたちを必要としているのか分からないが、大人しく大志と国へ戻るわけにはいかない。
「何言うとんの? もしかしてそうすれば千佳っちを解放してやるとかでも言われたんか?」
「…………そうだよ」
その言葉に、二人は完全に呆れてしまった。
「あんな大志っち、そんなもん方便に決まっとるやろ? ウチらが何で必要なんか分からへんけど、わざわざ捕まえたもんを最低な奴が手放すと思うてんの?」
「そ、れは……」
大志も本気では信じていないようだが、やはり彼は状況に流されているだけで、深く物事を考えていないようだ。それが二人には腹立たしいことこの上ない。
「多分、ウチらは四人とも拘束されるで? そんで洗脳とかされて、戦争の道具にされるわ。そんなことも分からんの?」
「大志さん、一体どうしたんですか? もっと冷静になって下さい! 三人で他の方法を考えましょう! きっと千佳さんを助けるためにはその方が!」
「うるさいっ!」
大志の怒鳴り声に二人はビクッと身体を震わせる。そして大志は懐から何かを取り出す。それは赤い宝石のようなもの。
「……もう一度言うよ? 俺と来てくれ」
「……大志っち?」
顔を俯かせたままなので大志の顔を確認できない。ただ尋常ではない雰囲気だけは感じる。そしてゆっくりと顔を上げた大志のすわりきった目を見て、ゾクッとしたものを感じる二人。
「俺は、約束したんだ。しのぶたちを連れて来るって。そうすれば千佳を助けてくれるんだ。そう、奴が言ったんだ。そうさ、だから俺は悪くない。悪くなんかないんだ」
思考能力を強制的に停止させたような目だった。明らかに自棄になっている大志に、二人は必死に声をかける。
「うるさいっ! いいから頼むよ二人とも。そうしなければ俺は二人を傷つけなきゃならない」
「…………何言うとんの? ウチらと戦うつもりなんか?」
「そ、そんな……大志さん! しっかりして下さい!」
「俺は……俺は千佳を助けるんだぁっ!」
大志は取り出した赤い石を口の中に放り込み、そして喉の奥へと流していった。すると突然痛々しいほどの叫び声を上げ始める大志。
思わず気遣って朱里が近づくが、来るなと言わんばかりに大志が手を振ると、それに掠った朱里が物凄い勢いで吹き飛ばされる。
「朱里っちぃっ!?」
しのぶは掠っただけなのに何て威力だと思っているようで愕然とした面持ちで大志を見つめている。本当は朱里のもとへ行きたいのだが、今大志から目を離せば殺されてしまうかもしれない殺気が大志から放出されているのだ。
ガクガクッと痙攣していた大志の身体が死んだように動かなくなる。訪れる静寂。そこへ吹き飛ばされた朱里がふらつきながらも戻って来た。
「だ、大丈夫なんか朱里っち?」
「は、はい。でも大志さんが……」
動かない大志に不安を覚えたしのぶは、
「た、大志っち……?」
そっと声をかける。刹那、ビクンと大志の身体が跳ねる。そして驚くことに彼の肌が赤黒く変色していく。
ゆっくりと立ち上がる大志を、瞬きを忘れて見守る二人。大志の顔を見て、思わず恐怖に顔を歪めてしまう。
血のように真っ赤な瞳。赤黒い肌。そして額からは鋭い角が生えていた。さらにドスンと大地を叩くような音がしたと思ったら、大志の臀部からワニのような尻尾が生えて、大地を叩いていた。
そしてバキバキバキバキと乾いた木が折れるような音がしたと思ったら、大志の背中から悪魔の翼のようなものが生まれる。
あまりに変わり果てた大志の姿に、夢でも見ているような気分になる二人だが、
「朱里、しのぶ、一緒に来てもらうよ」
大志の声だということに気づき、現実に引き戻されてしまった。
「伏せなさい二人とも!」
聞き慣れた言葉がしのぶと朱里の耳をつき、二人は咄嗟に身を屈める。すると彼女たちの上空を火の弾丸が通過していき、大志に衝突する。
しのぶが後ろを振り返ると、そこにはシュブラーズと数人の兵士がいた。シュブラーズは二人の元へ駆けつけると、
「悪いけどぉ、話は聞かせてもらったわぁ~」
「た、隊長、ウチらがここに来てたん見とったん?」
「ええ、何か二人が岩場の陰に行くもんだから気になっちゃってねぇ」
それでシュブラーズはこっそりと部下を引き連れて後をつけたというわけだ。
「あ、はは……ウチらは信用されてへんか……」
しのぶは部隊を勝手に抜けると勘違いしたシュブラーズが、後をつけてきたと思っている。しかししのぶの頬を軽くペチッと叩く。
「違うわよぉ。見なさいな」
シュブラーズが指差した方向には先程の魔法を放ったであろう兵士がいる。しかしよく顔を見れば、
「ア、アンタら……」
それはしのぶと朱里の部下だった。
「実は彼らなのよぉ。あなたたちの後をつけようと言ったのは」
「へ?」
「あなたたちの様子を見た彼らが、私に隊長たちを追わせて下さいって言ったのよぉ。しかもその理由が、隊長を守るのは部下の務めでもあるから……だってぇ」
「そ、そうなんか?」
「み、皆さん……」
しのぶと朱里に見つめられ、照れたように頬を赤くする兵士たち。どうやら彼らは、ただしのぶたちが心配だから後を追っただけだった。そのことにしのぶと朱里は胸が締め付けられるような思いを感じているようで、切なそうに自分の部下たちを見る。少しでも彼らを、そしてシュブラーズを疑ってしまったことに、しのぶたちは申し訳ないと思っているのかもしれない。
「あなたたちの雰囲気を感じて思うところがあったのよぉ。だから私も彼らの気持ちを汲んで一緒に来たってわけよぉ。そこで話を聞いて、増々あなたたちのことを好きになったわ私ってばぁ」
魅力的な笑みを向けてくるシュブラーズに、女同士であるにも拘らず二人とも見惚れてしまった。だがシュブラーズはすぐに表情を引き締めると、火の弾丸をぶつけられて火に包まれている大志を見つめる。
「だけど、彼があなたたちと同類だとは……とても思えないわよ?」
瞬間大志に纏わりついていた火が弾け飛ぶ。その身体には一切の火傷も見当たらない。普通の人間なら多少なりともダメージがあるはずなのに、まるで蚊に刺されたほどしか感じていないようだ。
「お前たちか、しのぶたちを惑わしてるのは……」
鋭い眼光。そこには優しかった大志の面影すら発見できない。
「とりあえず、ここじゃ狭いわ!」
シュブラーズが皆を連れて岩場から巨人と戦っていた広場へと向かう。そして先程の火の弾丸の衝突音で他の兵士たちも岩場に注視していた。
そこから出て来たシュブラーズたちに、兵士の指揮をとっていたラッシュバルが近づく。
「どうされたのですかシュブラーズ様?」
怪訝な表情で言う彼に、シュブラーズが岩場を指差す。
「どうやらまだ拠点を築くには早いみたいよぉ」
「む? …………アイツは?」
岩場の陰からゆっくりと現れた『魔人族』と同様の姿をしている大志を見て、彼の警戒心が高まる。
「あの姿……それに殺気……どうやら敵のようですが、何者です?」
ラッシュバルは《キラージャベリン》を構えてシュブラーズに尋ねる。
「どうやらあの子が、しのぶたちの探していた男の子…………勇者の一人らしいのよぉ」
「な、何ですって? し、しかしあの姿は『魔人族』ですぞ? しかもあの肌から判断しても『イフリト族』? いや、だがあの種族には翼など無かったはず……では一体……」
「そこらへんは分からないわぁ。ただ赤い物体を体内に入れた瞬間、突然あの姿になったのよぉ」
「赤い物体?」
ラッシュバルは眉をひそめ、ジッと観察するように大志を睨みつける。赤黒い肌に尖った耳、そして鮮血色の瞳。大きな翼に黒々とした角が額に生えている。とても元人間だとは思えない。
「大志っち! 目ぇ覚ましぃや! そんなん大志っちやないで!」
「そうです! 何で戦わなければならないんですか! 大志さん!」
しのぶと朱里の掛け声に、大志は進む足を止めて口を開く。
「なら一緒にき…………来い。そうすれば俺は……暴れなくて済むんだ」
「大志っち……」
「大志さん……」
彼の言葉に唖然として肩を落とす二人。
「もし、来ないというんなら」
大志がチラリと彼の右方向に待機している兵士の方を見る。そしてそちらに右手をかざすと、
「……サンダーブレイク」
キリキリキリキリと耳を覆うような音とともに、彼の右手から黒い雷が兵士たちに向かって放たれる。
「なっ!? く、黒い雷やってっ!?」
しのぶには大志がそんな魔法を使えることは知らないのだ。確かにサンダーブレイクという魔法を使えるのは知っているが、黒い色ではなく黄色と青が複合したような色だった。
その雷が兵士たちに向かうが、兵士たちも相殺しようと魔法を繰り出す。しかし黒い雷に衝突した瞬間、完全に押し負けて弾かれてしまい、兵士たちの身体に襲い掛かった。
キリキリキリキリィッとおよそ放電の音ではない不快感が響き、一瞬にして兵士たちの身体を黒焦げにしてしまう。
その光景を見てしのぶたちは仰天する。何故なら彼がいとも簡単に人の命を奪ったからだ。そして大志はというと、右手から放たれた力に少し驚きながらも、その右手をジッと見つめて微かに頬を緩める。
「これが……チカラか」
その笑みは冷ややかであり愉悦も含まれていた。まるで何かに解放されたような様子だった。
「た、大志っち……アンタ……今何したか分かってんの?」
「……当然だ。何故ならこれは戦争なのだぞ? しのぶたちこそ、前回の痛手を忘れたのか? 戦争では……人は死ぬのだぞ?」
言葉遣いまで変わってしまっている。まるで別人である。
「さあ、これ以上人が死ぬのを見たくなければ、俺について来い」
シュブラーズは、しのぶと朱里の顔を見て、彼女たちの悲痛な様子を感じ取り、ラッシュバルと顔を見合わせる。
するとラッシュバルが、皆の前に一歩出て、大志と相対する。
「どうやら貴様はすでに堕ちた勇者のようだな」
「……何だと?」
ピクリと尖った耳を動かす大志。不愉快そうに眉を寄せるとギロリとラッシュバルを睨みつける。
「彼女たちがどういう想いでこの場に立っていたと思う?」
「…………」
「勇者でありながら『魔人族』に頭を下げ、ただ一つの目的のために魔軍に入った。最初私も彼女たちの想いに気づかず、いつ裏切るだろうと恐々としてはいたが、彼女たちはこの戦争でしかと働いてくれている。それもひとえに、貴様を助けるためだ」
しのぶと朱里は、ラッシュバルの言葉に感動を覚えているのか目を見開いたまま彼を見つめている。それもそうだろう。どちらかといえば、彼は排斥派だった人物だ。それなのに自分たちのことをしっかり見ていて判断してくれたことが嬉しいに違いない。
「『魔人族』の風当たりも強かっただろう。それでも彼女たちはめげずに皆の信頼を得るまでになった。その執念と根性は尊敬に値する。だからこそ、彼女たちの探し求める残りの勇者とやらに是非会いたかったが…………残念だ」
「……貴様に俺の何が分かる?」
「分からないさ。友や仲間を裏切る輩の気持ちなどはな!」
「黙れぇぇぇっ! 死ね『魔人族』っ! サンダーブレイク!」
大志はラッシュバルの言葉を払いのけるように魔法を繰り出す。しかしラッシュバルはその魔法を《キラージャベリン》で斬り裂いた。すでに火・風・水の三属性を備える刃である《フォース・ランサー》モードに切り替えていた。
「ちっ! 一応隊長だけはあるということか! ならばこれならどうだ!」
翼を動かして天高く舞い上がり、皆を見下ろす大志。そして両手を大地へと向けると、その前方に眩い光の球体が出現する。
「ア、アカン!? アレは光魔法やっ!?」
しのぶと叫び『魔人族』たちは顔を青ざめさせる。何故なら彼らの弱点が光魔法なのだから。
「あの状態でも光魔法を使えるのか!?」
ラッシュバルも『魔人族化』した大志が、さすがに光魔法を使えるとは思っていなかったのか吃驚している。
「しのぶと朱里以外はいらない。光に消えろ――――――シャイニングレイン」
光の球体が地面へと落下し始め、次の瞬間、花火のように弾け光の弾丸が雨のように大地へと降り注いだ。
光の雨に『魔人族』たちが驚愕していた時、先に行動を起こしたのはしのぶと朱里だった。
「「ルーチェスクード!」」
二人は天に両手をかざし、そこから皆の上空を覆う光の盾を作り出した。かなりの数に上る兵士たちの全員を守れるほどの光魔法を使えるのはさすが勇者といったところだった。
大志から降り注ぐ光の猛威がその盾と衝突し見事盾に軍配が上がる。しかしそれは一撃二撃の話だ。
次々と襲い掛かる光の乱撃は止まることなく盾を消耗させていく。いや、正確には盾を維持し続けているしのぶと朱里の精神を削っていく。
「「うっ……ぐ……っ!?」」
二人に守られていることに気づいた兵士たちは、自分たちも何とかしなければならないと考え、空に浮かんでいる大志を攻撃しようと試みるが、そのためには盾から身を乗り出さなければならない。
それはあまりにも危険であり、もし一撃でも光を受ければ『魔人族』である以上、かなりの大ダメージを受けるだろう。下手をすれば先程サンダーブレイクで殺された仲間のように一瞬で消されるかもしれない。
その恐怖が皆の足を鈍くさせてしまっている。しかし苦しそうなしのぶたちの顔を見て、やはりこのままではいけないと思っているのか一人の兵士が盾外に出ようとした時、
「待ちなさい!」
シュブラーズがそれを止めた。見ると彼女はこんな時だというのに、華麗なステップを踏んで踊っていた。
「いいかしら、あなたたち、あの子たちが頑張ってるのは、あなたたちを死なせないためよぉ。それなのにあなたたちが無謀なことしたら、あの子たちの頑張りを無にすることになるのよぉ」
シュブラーズは兵士たちにしのぶたちの思いを代弁していく。兵士たちは、特にしのぶたちの直轄の部下たちは悔しげに歯を噛み締めている。自分たちの無力さが腹立たしいのだろう。
「だいじょう~ぶ。あなたたちにもしっかり働いてもらうわよぉ、ただ今は少し待ってなさいねぇ」
シュブラーズの踊りがどんどん激しいものになっていく。その時、ピキキッと光の盾に亀裂が走ってしまう。
「くぅっ! なんつう重い攻撃なんやっ! 朱里、まだ保てるか!」
「は、はい! で、ですがそう長くは……っ!」
「安心しぃ、今シュブラーズ隊長が何かやっとるみたいやし、それまで辛抱やで!」
「は、はい!」
二人はしっかりと大地に足を踏み込み、盾の維持に精神を集中させていく。
そして眼下で二人が抵抗している姿を見続けている大志はほくそ笑む。
「ハハ、頑張るではないか二人とも。ならばもう少し力を込めよう! これならどうだ! シャイニングレイン!」
再度同じ魔法を繰り出す大志、さらに強く数も膨大な光の雨がゲリラ豪雨のように降り注いでくる。
少しでも気を緩めるとしのぶたちの盾はあっさり貫かれてしまうだろう。だからこそ、皆の命を背負っているからこそ、しのぶと朱里は全力で守るのだ。もちろん人が死ぬところを見たくないというのもそうだが、彼女たちの根底にあるのは、大志にこれ以上罪を重ねて欲しくないという想いだった。
「ちっ、意外に粘るな。ならもう小手調べは止めだ! 光魔法だから勇者であるしのぶたちにはそれほどダメージは無いかもしれないが、それでもそれなりの痛みは覚悟してもらおうか! はぁぁぁぁぁぁぁ…………」
大志はちょうどバスケットボールほどの球を持つような仕草をして魔力を集中させる。すると向かい合わせにしている両手の間に、小さな光の結晶が出現する。
大志がそのまま両手を上空へ移動させて、手の平を天に向ける。その瞬間、光の結晶体が何十倍にも膨れ上がり形を変えていく。それは巨大な剣の形であり、神々しいほどの眩い光を放っている。
「ア、アカンッ! そんなもん放ったら!?」
「大志さんっ!」
二人は大志に想い留まるように叫ぶが、大志は笑みを崩さない。
「さあ、フィナーレといこうか『魔人族』ども! 光の剣に貫かれろ! ホリネス・セイバーッ!」
大志が両手を眼下に向けて振り下ろすと、物凄い勢いで光剣が突っ込んでくる。空気を斬り裂きながら、光の粒子を撒き散らしている。
その魔法の威力を感じて、しのぶと朱里は絶望する。自分たちの魔法では防げないと悟ったのだ。それと同時に、この場に居る多くの『魔人族』の死を連想させた。
「い、嫌やっ! 朱里っちっ! 全ての魔力を注ぎ込むんやっ!」
「分かりましたっ!」
そうして二人は全力で盾に魔力を注ぐ。ブゥゥゥゥンとさらに厚みが増した光の盾ではあるが、しのぶたちの表情は優れない。それでも明らかに向かって来ている剣に劣っていると判断しているのだ。
その証拠に、盾にぶつかった瞬間、一瞬足止めができたが、まるでガラスでも割れたような音とともに盾は見事に砕け散る。
二人の脳裏にはただただ負けたという事実が刻み込まれた。大志の言う通り、光魔法に耐性のあるしのぶたちは死ぬことは無い。だがそれでも光が生み出す衝撃波で怪我くらいはするだろう。意識を失うかもしれない。だがそれだけだ。
しかし周囲にいる『魔人族』たちは違う。これほどの光が圧縮された魔法では、『魔人族』たちには一溜まりもないだろう。ラッシュバルやシュブラーズのように、レベルが高い者ならまだしも、兵士レベルでは一瞬で蒸発させられても不思議ではない。
間近に迫る光剣。あとコンマ数秒で大地に突き刺さるとといった刹那、驚くべきことが起きた。それはまさに一瞬。というよりまるで夢の中にいたような感覚をその場にいる全員に起こさせた。
何故なら、先程まで向かっていた剣が綺麗サッパリと消えて、驚くべきことに《醜悪な巨人》がつけたはずの傷や、崩壊の跡も見事なまでに元通りになっていた。
しのぶと朱里も話には聞いていた。最大で一時間前の状態を復元させることのできる魔法。膨大な魔力と、かなりの時間踊らなければならないというリスクはあるが、発動すればそれまでに受けた傷や、変化した状況などを過去の状況に投影することができる反則能力。
「……ふぅ、何とか間に合ったわねぇ。おいたはそこまでにしなさいね、坊や」
それがシュブラーズのユニーク魔法《舞踏魔法》の真髄だった。
「「た、隊長!」」
しのぶと朱里がシュブラーズを呼ぶ。
「ハ~イ、無事ね二人ともぉ」
陽気に手を振っているシュブラーズ。しのぶたちは先程の現象にいまだに困惑気味だが、そのお蔭で皆が救われた事実に喜びを得ていた。
《時写》と呼ばれるシュブラーズの《舞踏魔法》の一種で奥義とも呼ばれる能力。この場の状況を、巨人が暴れる前の約一時間前の状態に戻したのだ。
無論その場に居た人を呼び戻したりはできない能力だが、効果範囲にいる者全てに対し、その時の身体の状況や現場などをこの場に投影することができるのだ。
よってその時は光の剣も無かったので、一瞬にして消失したということ。そして……。
「ぐわあぁっ!?」
突然空から何かが落下してきた。よく見ると、そこには大志がいた。しかも『魔人族化』から元に戻っていた。
「ぐ……う……い、一体……何が……?」
大志は自身が突如として元に戻ったことに対して混乱していた。効果範囲には大志もいたのだ。一時間前の大志はもちろん『魔人族化』はしていなかった。だからこそ急に元に戻り翼も失った大志は空から落ちてきたのだ。
「今だっ! 奴を殺せっ!」
その時、ラッシュバルが大志に対し攻撃命令を兵士たちに下す。
「く、くそっ!?」
大志は懐を漁り始め、しのぶたちはまたあの赤い石を取り出すのではと危惧したが、取り出したのは青い石だった。
「て、転移石!?」
ラッシュバルが目を見張り、すぐさま自分が距離を詰め、それを使わせないようにトドメを刺そうとするが、大志の行動の方が早く、石を指で挟み割ると、そのまま光に包まれた大志は消失した。
「く、くそっ!」
悔しそうに槍を地面に突き刺すラッシュバル。だがそれを見てしのぶと朱里はホッとした思いだ。無理も無いだろう。あのままだと恐らく大志は殺されていた。
どれだけ悪事を働こうが、この【イデア】に一緒に召喚されてきた仲間だし、召喚される前からも懇意にしていた友人なのだ。やはり殺されるのは嫌なのだろう。
シュブラーズは彼女たちの気持ちを悟っているのか、二人の肩にポンと手を置いて優しく微笑みかけた。
二人もまた悲しげに頷きを返した。
※
【ムーティヒの橋】から緊急転移して【ヴィクトリアス】の《玉座の間》へと戻って来た青山大志。その表情は険しく、明らかに困惑を示していた。
無理も無いだろう。せっかく覚悟を決めてアヴォロスから受け取った力を使い『魔人族化』したというのに、気づいたら元に戻っていたのだから。
そしてアヴォロスもまた、突如として転移してきた大志を怪訝な表情で玉座から見下ろしていた。彼の近くには05号や黒衣で身を包んだイシュカが立っている。
「急に何だい? しかもその姿、結局アレは使わなかったんだね。それに一人で帰って来るとは……どうやら約束は君の方が守れなかったようだね」
「ま、待ってくれっ!」
アヴォロスの瞳が怪しく光ったのを見て、千佳の命が風前の灯だということに焦り始める大志。そして大志は言いわけするように橋で起きた出来事をアヴォロスに話した。
「ふむふむ、それはきっとシュブラーズの仕業だね。確かに彼女のユニーク魔法なら、あの姿から元に戻らされても不思議じゃないか……一応彼女の魔法が通じるかどうか試してみたいと思っていたところだったしちょうど良かったね。まあ、結果は彼女の魔法は有効だったようだけど」
大志が『魔人族化』して元に戻っていることが確かな証拠である。
「でもやっぱりユニーク魔法はとんでもないね。それにしても、君もあまりに情けない帰還だったね。誰か殺してきたかい?」
「…………」
言い難そうな表情をする大志を見てアヴォロスは感心するように口を開く。
「へぇ、君みたいなものでもちゃんと人は殺せたんだぁ。ふぅん、それはなかなかに収穫があったね」
「な、何が収穫だ……うっぷ」
大志は自分で兵士を殺したことを思い出し吐き気を催す。『魔人族化』していた時は、精神が高揚していたのか命を奪ったことに悲しみどころか、むしろ力が溢れてくることに喜びを抱いていたのに、元に戻ると気弱な性格に戻る大志。
「おいおい、こんなところで吐くのは止めてね? でも良かったじゃないか。これで君は立派な立場を手に入れることができたんだから」
「……たち……ば?」
口を拭いながら大志は眉をひそめる。
「そうだよ。これで君も世界の敵だ」
「っ!?」
楽しそうに笑みを浮かべるアヴォロスをギロッと睨みつけると、大志は床をバンッと叩くと声を張り上げる。
「こ、こうなったのもお前のせいじゃないかっ! 俺は……俺は人なんか殺したく……なかった」
「アハハ! 今更何を言うんだい? そもそも勇者として立ち向かうと決めたその時から、君の手はもう汚れると決まっていたんだよ? いや、この世界に召喚されてしまった時から……かな?」
「俺は……俺は……」
「君が手をかけたのは誰なんだろうね? きっと親や兄弟、妻や子供がいただろう。しかも力を手にして君は楽しかったんでしょ? 人を殺すのが?」
「ち、違うんだ……あの時の俺は俺じゃない……アレはだって……」
「君さ」
「ひィッ!」
突如として玉座から大志の目の前に現れたアヴォロス。大志はフラフラとよろけ尻餅をつく。
「力を手に入れ、力に溺れて、仲間を傷つけ、人を殺した。それが……君さ」
「あ……ああ……」
「一度手を汚したんだ。きっと君の仲間も君のことを軽蔑してるはずさ。だって君は、仲間を裏切り余に従ってるんだからね」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 止めてくれぇぇぇぇぇぇっ!」
頭を抱えて蹲る大志を見てアヴォロスは本当に楽しそうに笑い声を上げる。
「無様だね勇者くん! それでも魔王を滅ぼす使命を受けた人種なのかい! 今の君は情けない! 本当に情けないよ!」
「う……うぅ……」
ひとしきり笑ったアヴォロスは、ニヤッと口角を上げて言う。
「だけど、そんな情けない勇者くんにも一応働いてきたんだからご褒美をあげよう」
大志は聞いているのかいないのか頭を地面につけて身を固めている。
「もし……君が余の望みを叶えてくれるというんなら、君とあの少女……チカって言ったっけ? 二人を元の世界に帰してあげようじゃないか」
「……え?」
ピクッと肩を動かし、そっと顔を上げアヴォロスを見つめる大志。
「おや? まるでそんなことができるわけないって顔してるね。でも君だってルドルフ王からこう聞いていたんじゃないのかい? 元の世界に戻すための送還魔法は、魔王が知ってるって」
「……で、でもそれは国王の嘘だったんじゃ……」
「そうだね。彼が言った言葉そのものを受け取るなら偽りだよ」
「…………」
「だけどね、また真実でもあるんだよ」
「ど、どういうことだ?」
「簡単さ。送還魔法を知っているのは魔王じゃない。…………元・魔王さ」
「……っ!?」
つまり魔王が知っているというのは間違いではない。しかし現魔王であるイヴェアムは知らないが、元魔王だったアヴォロスは知っているということだ。
「送還魔法は確かにこの世に存在するさ。だけど、今の世の中、それを知ってるのは恐らく余だけさ」
「ほ、本当に……?」
「あるよ。まあ、ルドルフ国王はその事実は知らなくて適当なことを言ったようだけど、存外的を射た方便だったというわけさ」
「……う、嘘だ! お前の言うことなんて信用できるか!」
「おや? ここにきて疑うのかい? ならこれなら信用できるかい?」
アヴォロスが指をパチンと鳴らすと、そこへ驚くべき人物が姿を現した。
「……ち…………千佳……?」
大志は目を疑うように歩いてきた人物を凝視する。しかし彼の記憶通りの千佳がそこにいた。身体も無傷であの薄暗い場所にあったクリスタルの中に入っていた時と違い、包帯なども巻いておらず、大志の知っている千佳がそこにいた。
思わず大志は立ち上がり千佳を抱きしめる。
「千佳っ! …………良かったぁ」
涙を流して喜ぶ大志。そして千佳もまた優しく微笑むと、彼の頭をポンポンと叩く。
「はいはい、アンタは相変わらず騒々しいわね」
やれやれといった感じで千佳は言う。
「ほ、本当に千佳なんだな? 無事なんだな?」
「何だと思ってんのよ。正真正銘アンタの幼馴染でクラスメイト、ついでに言えば五歳の頃、アンタが犬に追いかけられているところを助けてあげた鈴宮千佳様よ!」
ニカッと笑う千佳の顔を見て大志は嬉しそうに涙を流し腰を落とす。
「良かったぁ……良かったぁ……」
「ったく、アンタは。でもこれでようやく元の世界に帰れるわね」
「そ、そうだ! アヴォロス、一体どういうことなんだ? 何でいきなり千佳を解放して、いや、そもそも本当に元の世界に戻れるのか?」
我を取り戻したように早口で捲し立てる大志に、アヴォロスが肩を竦めながら言葉を発する。
「そんなに一気に言わなくても答えてあげるよ。まず、君が帰って来ることを想定して彼女を解放してあげた。約束だったからね。まあ、君は約束を守れなかったけど?」
「う……」
それはしのぶと朱里を連れて帰れなかったことを言っているのだ。
「まあでも、君も情報を持って帰って来たことだし、及第点を上げるということで」
「…………」
「それと元の世界に戻る方法だけど、これはさっきも言った通り、余の望みを叶えてくれたらだよ。それで? どうする? 余としては信頼を示したつもりだけれど?」
大志はジッとアヴォロスを見て、そして千佳を見る。彼女は笑みを浮かべると微かに頷く。大志は再びアヴォロスに視線を向ける。
「……分かった。その望みを叶えてやる。だから必ず俺と千佳を元の世界に戻してくれ」
「おや? 残りの二人はいいのかい?」
「あ……いや、しのぶたちは……」
先程のアヴォロスの言葉が効いているのか、軽蔑されているはずの自分が、再び彼女たちを会うのには抵抗あると思っているようだ。
「ククク、いいよ。それに帰してあげるのは二人って話だけだからね」
「そ、そうだよな」
何故か大志の表情に安堵の色が見えた。
「な、なあ千佳」
「何よ大志?」
「…………か、勝手に決めてゴメンな。けど……」
「いいわよ別に。それにしのぶたちは『魔人族』の人たちと仲良くなって国で一緒に住んでるんでしょ? もしかしたらこの世界に残りたいのかもしれないしさ」
「千佳…………そう……だよな」
「うん、きっとそうだよ」
そんな二人のやり取りを、アヴォロスは笑みを浮かべながら見つめていると、大志が彼に向けて言葉を発する。
「アヴォロス、その望みってのを教えてくれ」
瞬間、アヴォロスは満足気な笑顔を作り、
「ある少女をね…………攫ってきてほしいんだ」
「ある少女?」
「そう、コクロゥともに【ドーハスの橋】へと向かってほしい。そこに彼女はいるはずだから」
「…………名前は? どんな奴?」
「ミュア・カストレイア。銀髪の獣人さ」
大志は何度もその名を呟き、覚悟を決めたような表情を浮かべる。
「ああ、それとその子は、一応ここで待機してもらうよ。君が裏切らないとも限らないからね」
「……ああ、分かった。だけど千佳に変なことしたらタダじゃおかないぞ」
「分かってるさ。変なことなんてしないよ」
大志は千佳の方に身体を向けると、少しの別れになるだけなのに愛おしそうに彼女の名前を呼ぶ。
「大丈夫よ大志。アタシは待ってるから。アンタを信じてね」
「千佳…………行ってくる」
大志は城門にいると聞いたコクロゥのもとへ急いで行った。アヴォロスは再び玉座に腰を下ろすと、冷めた目で千佳を見下ろす。
「ククク、気づくか気づかないか……ここで気づいても面白かったんだけど……」
アヴォロスの視線の先、それは千佳の後ろ首。そこには極小な魔法陣のような紋が、黒で刻まれてあった。
「変なことはするな……か。もうした後なんだけどどうすればいいかな?」
《玉座の間》にアヴォロスの笑い声がしばらく響いていた。
※
イヴェアムの依頼で日色は、まだ死んでいない兵士たちを一所に集結させて同時に治癒を施した。
『治癒』と『兵士』
この文字で範囲は限られるが、日色の視界に入っている日色が兵士と認識する者たちの傷ついた身体を治癒できるのだ。
兵士たちの周囲を半球状の赤いオーラが覆い、そこから生まれた粒子が兵士たちに降り注ぎ傷を癒していく。赤いオーラなのは日色が《赤気》で文字を書いて発動させたからだ。
この方が普通の魔力よりも消耗は激しいが、時間的コストは大幅に減らせる。
かなりの数なので普通は時間が結構かかるが、《赤気》で効果を増幅させていることもあり、みるみる内に皆の身体が治っていく。
その光景を見ていた者たちは呆気にとられたような表情で日色を見ていた。中には「おお、天使様だ」という者もいる中、少しだけ怪訝な表情を宿す者たちもいた。
あまりにも常軌を逸した能力に思う所があったのかもしれないが、皆が治った直後はその者たちも頬を緩めて喜びを表していた。
「礼を言うぞヒイロ。兵士たちを治してくれてありがとう」
「いや、その代わり、壊れた図書館を戦争が終わったら一早く直してくれよ?」
これがイヴェアムからの依頼の報酬でもあった。日色にしても、この戦争は負けたくないと思っているので、兵士の数が減るのは痛手に他ならない。だから治すこともそれほど渋ったわけではないが、イヴェアムが日色の先手を打って図書館の件を持ち出してきた。
せっかくだからと日色は一石二鳥と考え、戦力、図書館ともに復活ができると思いイヴェアムの要求を受け入れたのだ。
治療が一通り終わったところで、少し離れたリリィンのところへ向かうと、兵士たちを手伝っていたシウバたちもその場に合流していた。
そしてそこにはすでに獣王レオウードに【獣王国・パシオン】の危機を伝えに走らせたテンも戻っていた。
「おうヒイロ! おひさ~」
何とも戦争時に似合わない間延びした声音でテンが言う。
「その様子じゃ、ちゃんと仕事はこなしたようだな」
「おうよ、がっつりきっかり伝えてきたさ! ウッキキ!」
「あとは獣王が間に合えばいいが、まあ、【パシオン】はかなりの戦力が残ってるし、心配はいらないと思うが……」
日色がそう言ったその時、突然この場に転移してきた兵士が慌ててイヴェアムのもとへと走っていく。彼の腕には緑の腕章が付けられてあり、それは連絡係を意味するためのものだ。
(……何かあったのか?)
日色も気になり視線だけをそのまま兵士を追いかける。イヴェアムに接見し、跪いた兵士から話を聞いているイヴェアムの顔が驚愕に彩られる。
そしてキョロキョロと誰かを探すと、日色と目が合い日色の方へやって来る。どうやら用があるのは日色に対してみたいだ。
「ヒイロ! 大変だ!」
「どうかしたか?」
「今さっき【パシオン】へ向かっていた連絡兵から話を聞いたんだが……」
何か嫌な予感を感じた日色。イヴェアムの陰りのある顔が、その思いを増幅させる。
「実はだな、向こうも《マタル・デウス》に襲われたらしいのだ」
「…………そうか。それで、向こうも壊滅的ダメージでも与えられたか?」
「い、いや、終始国の防衛力の方が勝り、国にはほとんど傷は受けていないという」
「ほう、大したもんだな」
やはり残された戦力がものを言ったようだ。確かに獣王が抜けているのは痛いが、あそこには獣王と同等の実力者であるララシークもいる。彼女は《化装術》の生みの親で、扱いは誰よりも完璧にこなしているので強い。
その他にも《三獣士》のバリドとプティス、そして二人の王子。どれも『魔人族』との決闘で参加した強者ばかりである。
だからこそさすがのアヴォロスも攻め切れずにいたのだと日色は推測したが、イヴェアムの話を聞いてそうではないことを知る。
「……だが、ある者が攫われた」
「……っ!?」
その瞬間、脳内に駆け巡った電流。彼女のその言葉で、一瞬にしてアヴォロスの目的を察した日色。
「…………青リボン…………第二王女か?」
「え? し、知ってたのか?」
イヴェアムは日色が見事に言い当てたのでキョトンとしていたが、日色は内心で舌打ちをしていた。
(やはり狙ってきたか。オッサンは何してる? いや、それよりも獣王にはそのことを伝えておいたはず。それなのに何でアイツがのうのうと攫われる結果になった?)
ミミルが他の者たちと比べても、遥かに特別な存在だということを日色は知っていた。それは彼女が歌う時に『精霊』を呼ぶことに疑問を持ったため、好奇心に突き動かされた日色は彼女のことを調べてみたのだ。
だが何故か魔法を使っても詳しく調べることができなかった。これはニッキの時と同じだ。ニッキの称号にある《???》という羅列も結果的に意味不明なのである。
ただ何かしらのバグか、それとも誰かに意図的に知らされないようにされているかのどちらかだと判断した。もし後者であるならば、ニッキは何か特別な存在だということ。
理を歪める《文字魔法》でも調べられないとするなら、やはりミミルも何かある存在だと日色は推察した。そして一つだけ分かったのはミミルが『精霊』を呼び出しているのではなく、創り出しているということ。
これが明らかに異常なことだということは日色でも分かった。つまりミミルは他の獣人とはかけ離れた能力を宿す少女だと理解した。
だからこそそんな存在をアヴォロスが放置しておくわけがないと思い、レオウードにそのことを告げる。彼はミミルの能力に、今まで疑問を浮かべたことが無かったようだったが、日色の話を聞いて吃驚していた。
そしてできればそのことを他の者には言わないようにと日色に頼み込んだ。日色も別に他人の秘密を言いふらすつもりはサラサラ無いので了承した。
レオウードは戦争の時、決して表にミミルを出さないようにすると言った。地下にあるユーヒットが作ったシェルターに国民たちとともに避難させておくと言った。
(それなのに何故? 獣人の中にスパイでもいたか? いや、恐らく獣王は青リボンのことを知られるとマズイと思って誰にも話してないはずだ。知ってたのは恐らくテンプレ魔王……奴が情報を流して混乱させた?)
アヴォロスがミミルのことを国に流して混乱させた結果、ミミルの居場所を知り得るようになったと日色は思ったが、そもそもミミルは国に、人々に愛されている。
仮に知れ渡ったとしても、レオウードが頼み込めばミミルのことを国民たちが守ろうとするだろう。それだけ獣人の絆は固い。
(有り得ない話じゃないが、少し理由が弱いか……なら、アイツが攫われたのは…………自らシェルターから出た……か?)
仮に彼女が何らかの意思を持ち、シェルターから出た。そしてそこを敵に見つかり捕縛されてしまった。
(それとなく獣王には絶対にシェルターから出るなと厳命をされていたはずだ。それなのにアイツが出た理由…………自分も何かしたいとか思ったか?)
彼女は見た目はポワポワして大人しそうな雰囲気を醸し出している少女だが、性格的にはどちらかというとかなり積極的な部類に所属する。
周りの者たちが戦っているのに、自分だけが避難していることに耐えられなかったのかもしれない。
(だが傍にはチビとオッサンも居たはずだ。オッサンにはチビと同じように青リボンを守れって言って…………いや、そもそもチビは無事なのか?)
イヴェアムにミュアとアノールドの情報が無いか聞くと、それに答えたのはテンだった。何でも彼女たちは【ドーハスの橋】に居たということ。
日色は頭を抱える思いだった。それと同時に【ドーハスの橋】には、ミュアの友達であるイオニスがいる。彼女が心配になってミュアが加勢に出ても不思議ではない。その考えに行きつかなかった自分に対して日色は溜め息を吐く。
(つまり守るはずの二人がその場にいなかった……か? しまったな、こうなるならチビウサギには話しておいた方が良かったか……)
ララシークのことである。彼女ならミミルの安全を考え、もっと厳重な警備をしてくれたかもしれない。
失敗したなと心の中で自分を叱咤している日色だが、およそ自分の立てた考えが合っていると納得した。
恐らくミミルは、親友であるミュア、そして家族であるレッグルスやレニオン、そして国王であるレオウードまでもが戦場で自らの使命を果たしているのに、自分だけが何もせずにシェルターに引きこもっていることに我慢ができなかった。
それでシェルターから出て、誰かに……恐らくバリドらへんに仕事をもらいに出かけた。だが運悪く敵に存在を知られ、捕まってしまったということだ。
ララシークたちは、国を破壊することが敵の目的だと思っていたはずだ。何故ならその前に【魔国・ハーオス】が破壊にあっているからだ。
だが敵の目的は最初からミミルだった。だからそこに油断が生じてしまった。
(恐らく《王樹》にいる青リボンから仲間を遠ざけるためにかなりの戦力を投入して防衛力を分散させたんだろうな。そして奴らが青リボンを狙っていることも知らなかったことも大きい。薄くなった防衛ラインを抜けて《王樹》に忍び込んで青リボンを攫った……か?)
攫ってどうやって逃げおおせたのかまではさすがに分からないが、筋道は大体そんな感じだろうと日色は推理した。
(なるほどな。ここまではテンプレ魔王の思惑通りってことか……)
日色が難しい表情を浮かべていると、心配そうにイヴェアムが口を開く。
「ヒイロ? どうして第二王女が攫われたのか分かる?」
「……さあな」
「そう……」
「まあ、あのチビ魔王のことだ。ろくでもないことを考えてるに違いないが……」
「……ヒイロ?」
日色は目を光らせて頬を少し緩める。
「安心しろ。一応想定内と言えば想定内だ」
皆が驚くようなことを日色が言った。




