176:ミミルの正体
【獣王国・パシオン】から国民たちの悲鳴が轟く…………ということは無い。事前に襲われることも仮定して国民たちには国が誇る研究者であるユーヒット・ファンナルが《王樹》の地下に避難シェルターを作って、そこに国民たちを避難させていたのだ。
しかしだからといって、今攻めてきている《マタル・デウス》に好き勝手暴れさせるわけにはいかない。一度コクロゥの襲撃で破壊にあった国を再び壊されることなど許容はできないからだ。
全体の指揮をとっているのは《三獣士》のリーダーである鳥人間のバリドである。国王が不在の今、全てを把握できている彼が指揮するのがいいだろうとレオウードから直接言い渡されている。
本来はレオウードの長男であるレッグルスが良いのであろうが、戦場経験はバリドの方が豊富ではあるので、レッグルスからもバリドが良いと推薦したのだ。
今、以前にも現れた水人形たちが国を徘徊しながら兵士たちと相対している。かつての日色のように瞬時にして殲滅ができれば良いのだがそう都合良くはいかない。
主に氷や雷などの《化装術》を扱える者たちを中心にして水人形たちを破壊していく。相変わらずの鈍重な動きなので撃退は問題は無い。だが数が多過ぎる。
国のあちこちから《王樹》に向かって進んでくる水人形たちは、まるで何かを探しているかのような感じだ。
「おいバリド」
国を一望できる《王樹》の高台で指揮していたバリドに近づいてきたのはララシーク・ファンナルである。よれよれの白衣のポケットに手を突っ込み、大きな長いウサミミを揺らしながら歩いてきた。
「……ララシーク様」
「どうやら奴らの中にはアヴォロスはいねえようだぜ?」
「……身を潜めているのでは?」
「いや、そんな魔力は感知されてない」
そう言いながら彼女がポケットから取り出したのは一つの水晶玉。そこには無数の黄色い点や青い点が見受けられる。
それは彼女が作り上げた魔力感知用の魔具であり、そこには彼女が事前に調べたアヴォロスの魔力が映り出されていないことから彼がここには来ていないことを示す。
「奴が来たらこの中に赤い点で示されるようにしてある。けど青い点だらけだ。まあ膨大な魔力量を持つ奴も四人くらい居るみてえだけどな」
黄色い点は味方の獣人である。大小様々な点だが、中にはかなり大きな点も確認できる。それが彼女の言う膨大な魔力量を持つ者だろう。
「情報ではアヴォロスは【ハーオス】を一人で崩壊させたらしい。それほどのことをやってのけたんだ。きっとそれなりのリスクだって背負い込んでるはずだ。同じようなことは奴にはできねえんだろうさ」
「なるほど……では少しは楽になりますかね」
「いや、その分、今度は数で攻めてきてやがるし、アタシと良い勝負できそうな奴らもいるしな」
「ララシーク様とですか!? で、ではやはりここを崩壊させるのが目的で?」
「……さあな、とにかく奴らはココを目指して来てる。けど適度な破壊活動しかしてねえ。目的は……やっぱココか?」
ララシークが顎に手をやり考えていると、国の外側から今度は複数の大木がまるで生きているように器用に根を動かして《王樹》へと向かって来た。
「ちっ、今度は木か? 何とも芸の豊富な連中だな」
「ララシーク様、術者を先に叩けばいいのでは?」
「ああ、だが見ろ。四人……少なくとも主力っぽい連中がいるが、国との距離を開けて魔法だけを遠隔操作してやがる。しかも四人ともがそこに集まってる。つまりそいつらを叩くってことは、ほとんどの戦力をそこに注ぎ込むことになる。つまり国外へ行くハメになる。そうなると、国の中にいる戦力が減り防衛力が低下する。もしかすると、それを狙っているかもしんねえ。迂闊に術者を叩きに行かねえ方が良いかもな」
「しかしこのままですとジリ貧です! 相手は魔法ですが、こちらは生身です!」
バリドの言うことも尤もである。相手は遠くから魔法で攻撃しているだけだが、獣人たちは実際に身体を動かしている。その消耗力は多大なものだろう。
向こうはもしかしたら大量に用意したMP回復薬を服用しながらの作戦かもしれないのだ。
「いや、ここは時間を稼げばいい。もうすぐレオ様だって帰ってくるはずだ。そうすれば突破口だって開ける」
ララシークの言葉を聞いてバリドは「そうでしたね」と頷きを返す。レオウードが戻れば、さらに兵士たちの士気も高まるし、いくら相手が四人でもレオウード相手に好き勝手できないだろう。
今四人が攻めている理由にレオウードがいないからということが多分に含まれているはずだからだ。彼が帰ってくれば、彼らの目的も達し難くなるとララシークは判断しているようだ。
「プティスは何してる?」
ララシークの言うプティスとはバリドと同じ《三獣士》の一人である。
「彼女は積極的に水人形の撃退に向かっています。氷使いですから」
「ナハハ、まあ、ワタシには劣るけどな!」
ララシークが得意としているのも氷属性なのだ。同じ氷使いとして確かにララシークの方が数段上である。
「そういえば民たちは問題無いですか?」
「ああ、バカ兄とククリア様が纏めてるようだぞ」
ララシークの兄はユーヒットである。そしてククリアとは第一王女のことだ。
「そうですか。レッグルス様もレニオン様も、ああやって前線に出て戦っておられます」
「そうだな。ガキだガキだと思ってたが、知らず知らずに成長してるもんだな」
「はい。王子たちは私の教え子でもありますから、感慨深いものです」
そう、第一王子レッグルスと第二王子レニオンは、幼い頃から《化装術》や戦い方をバリドから教わってきているのだ。
こうして彼らが奮闘する姿を見ると、やはり嬉しく感じるのかバリドは頬が緩むのを我慢している様子だ。
だが成長に喜んでばかりではいられない。警戒を高め、何としてもレオウードが帰って来るまで防衛する必要があるのだ。バリドは鷹の目のように鋭い目つきで周囲を確認していく。
そして徐々にだが、こちらの防衛力が、相手の攻撃に対し優っているようで押し返してきている。
「よし、これならば問題無いか」
そうバリドが呟いた時、ララシークが何かに気づいたように振り向く。するとそこには兵士を連れた第二王女のミミル・キングが近づいて来ていた。
※
【獣王国・パシオン】から少し離れた場所で以前やったようにキルツが魔法陣の上に座り意識を集中させていたが、ジッと《王樹》をみつめていた彼の眉がピクリと動いた。
そしてその様子を敏感に感じ取った黒衣に包まれたままのイシュカが口を開く。
「見つけたようだな」
その言葉にキルツは軽く舌打ちをするが、それはイシュカには気づかれていない様子だ。
「どこにいる?」
「…………」
「答えろ、キルツ。陛下の命に背くのか?」
イシュカのその言葉でキルツの固く閉じられていた唇が動き出す。
「……《王樹》の高台。そこには《三獣士》のバリドと、《氷結童子》がいる。そこに兵士を伴って…………現れた」
情報を口にし終わると、キルツは今度は聞こえるように舌打ちをする。
「キルツさん……」
心配そうに呟くのは彼女のパートナーであるランコニスである。しかし二人に一瞥もしないでイシュカは言葉を発する。
「ではランコニス、向かうぞ」
「……はい」
チラチラとキルツを見ながらも、ランコニスはイシュカの足元に広がった水溜まりの中に足を踏み入れた。
ランコニスは水溜まりに吸い込まれていく瞬間、確かにキルツが悔しそうに歯噛みしているのを確認した。
二人がいなくなり、その場にはキルツとヒヨミの二人になった。沈黙が続く中、ヒヨミが静かに口を開く。
「お前はただの傀儡だ。喚くことも嘆くことも、抗うことも許されはしない」
「…………ハハ」
「……何がおかしい?」
「いいや、おかしいから笑ってるんじゃねえよ。ただ哀れでよ」
「そうだろうな。今のお前の立場には同情を禁じ得ない」
「…………」
キルツはヒヨミの言葉には何も言い返さなかった。
(違えよ。俺が哀れだと思ってんのは、こんなくだらねえ戦争しか起こせねえお前らのことだ……)
キルツは再び視線を《王樹》の方へ向ける。
(……悪いな……嬢ちゃん)
誰かに向けた謝罪がキルツから滲み出ていた。
※
バリドは突然現れたミミルの姿にアッとなり、すぐに傍に近づく。
「ミミル様! どうしてこのような場所に! ここは危険ですからシェルターにと申し上げたはずです!」
「う……そ、それは理解していますけど、ミミルにも何かできることがあると思いまして……」
顔を俯かせるミミルを見てララシークは軽く溜め息を吐く。確かに彼女の周りに居る者たちは自分の役目を全うしている。
姉は国民たちの先頭に立って皆の不安を取り除いている。兄たちは戦線で敵と相対して国を守っている。そして彼女の親友であるミュアも、今は前線で必死に戦っているはずだ。
ミミルだけが確固たる仕事という仕事は割り当てられていない。しかし彼女にも役割が確かにあるのだ。それをララシークは伝える。
「ミミル様、あなたの役目はククリア様と同じ国民たちの恐怖を少しでも取り除くことです」
「え?」
「それは……歌です」
「歌……?」
「まあ、こんな時に何を言ってるんだと言われるかもしれませんが、あなたの歌には力があります。こんな状況でも、人々に勇気や癒しを与える力が」
「……ララシークさん」
「だから今すぐククリア様のところへ向かって、皆の前でお歌い下さい。あなたにしか、いや、あなただからこそできることがあるんです」
ララシークに言われ、ミミルの目に強い光が宿る。そしてミミルは大きく頷きを返すと、
「……分かりました! ミミルのやるべきことをします! その、すみませんでした……本来なら自分で気づくようなことなのでしょうが……その……すみません」
王女として、確かに自分のできることに気づくべきだったのかもしれないが、こうして自分の非を素直に認め改めようとするところが彼女の魅力でもある。
バリドもララシークも頬が緩み、彼女に頷きを返す。そしてバリドが兵士に向かって言う。
「護衛はしっかり頼んだぞ」
「はっ! お任せ下……さ……ぃ……っ!?」
突然ミミルの傍に控えている二人の兵士が膝を折る。突然のことに皆が吃驚する思いだが、
「きゃっ!?」
ミミルが小さく悲鳴を上げて、苦しそうに目を閉じている。そして何故か彼女の身体が宙に少しだけ浮く。
「「ミミル様!?」」
二人は何故そのようなことが起きているのか分からずつい彼女の名前を叫ぶ。するとミミルの周囲の空間が揺らぎ始め、そこから人型の何かが姿を現す。
「「っ!?」」
バリドたちの目の前には、二人の人物が現れ、黒衣を身に纏った一人はミミルを持ち上げて拘束している。そしてもう一人はその黒衣の者の方に手を置き目を閉じていた。
「な、何だコイツら!? どこから現れた!?」
バリドが叫ぶが、黒衣の人物が静かに口を開く。
「……【獣王国・パシオン】、第二王女ミミル・キング。確かにもらったぞ」
その言葉にバリドは目を血走らせジリッと近づこうとするが、黒衣が懐から取り出したナイフでミミルの喉元に当てる。
「なっ!? き、貴様ぁっ!」
「……お前はまだいい。そこの……《氷結童子》、妙な真似をするな。王女の命を刈り取るぞ?」
「……ちっ」
実はララシークは密かに《化装術》を発動させて相手を倒す算段だったのだが、それを見破られてしまい仕方無く力を抑える。そして水晶玉を見ると、そこにはいつの間にか大きな二つの青い点が自分たちの近くまでやって来ていたことに気づかなかったことに後悔を覚えた。
それはミミルの登場により彼女に意識を向けてしまっていて、水晶玉から注意を離してしまったことに起因する。
「う……ぐ……っ」
ミミルが苦しそうに黒衣の腕の中でもがくが、鬱陶しいというように黒衣が彼女の首筋に手刀を落とす。
「あっ…………ヒイ……ロ……さ……ま……」
ミミルは愛しいものの名前を呼びながら意識を失った。
「貴様ぁぁぁぁっ!」
「何度も言わせるな。それ以上近づけば、この者の首を落とす」
「くっ……くそっ!」
「ランコニス、行くぞ」
「……は、はい」
ランコニスと呼ばれた少女が目を見開き返事をする。そして黒衣たちの足元に水溜まりが広がっていく。それを見たバリドが「転移魔法かっ!?」と焦燥感を表すが、手を出すこともできずにただただ身体を怒りで震わせているだけである。
そんな中、ララシークは一歩前に出て口を開く。
「お前、そこの全身黒づくめのお前、名前を教えろ」
「…………イシュカだ」
するとイシュカはミミルを抱えたまま水の中へと沈んでいった。三人が消えた瞬間、ララシークはすかさず水晶玉をチェックする、すると先程四つの大きな点が集まっていた場所には二つしかなく。少ししてからそこに三つの点が現れた。
「バリド! すぐに部隊を東の丘に向かわせろ! アタシも行く!」
「しょ、承知っ!」
バリドは空を飛びながらレッグルス、レニオン、プティスの部隊に向かって行った。ララシークは高台から東の方を注視すると、
「アッチだな」
鋭く細められた彼女の瞳。そして彼女が前に手をかざすと、そこから空間を割ってララシークの倍以上はある巨大な雪ウサギが出現する。
「ユキちゃん、空から向かうぞ」
ララシークはユキちゃんこと、『精霊』のユキオウザに乗り込んだ。
※
東の丘ではキルツとヒヨミがイシュカたちの帰りを待っていた。そして地面に水が広がりそこからミミルを抱えたイシュカとランコニスが姿を見せた。
「任務完了だ。今すぐコレを陛下に捧げよう」
イシュカの物言いにキルツはサングラスの奥で目を細めて舌打ちを打つ。その視線はミミルに向けられてあり、やり切れない思いを抱えていた。
「さっさとこちらへ来いキルツ。お前の功労、陛下に伝えてやろう」
「…………」
確かに今回、キルツが作り出した水人形の襲撃で、相手の注意を外側に引きつけることができ、本来の目的であるミミルという考えを相手に抱かせないことができた。
だがそれは実際キルツの思惑から外れていたのだ。ヒヨミが作り出した木々と違って、水人形は必要以上に破壊活動は行わず《王樹》に意識を向けさせていた。
だからこちらの狙いは《王樹》にあるのだとキルツは敵対勢力に教えていたつもりだったが、いかんせん能力の制限もあり、上手く伝えたいことが伝わらなかった。
それ以上に、イシュカの仕事の迅速さを見誤っていた。キルツはどうにかミミルを解放してやりたいと思っていたが、今の自分はヒヨミに言われた通り傀儡に過ぎず、刃向うことはできない。
できることと言えば、ほんの少しのヒントを敵側に教えることと、こうして若干時間稼ぎすることだけだ。
耳を澄ませば獣人部隊がこちらへ向かってきていることは分かる。しかしイシュカの転移の方が早いだろう。
キルツは再びサングラス越しにぐったりとしているミミルを見ると、
(すまねえな……獣人の嬢ちゃん)
再度心の中で謝罪した。そしてイシュカの言うように足を動かして水の中に踏み入れたその刹那
――ピシィィィィィィィィッ!
突如として辺り一面が凍結した。
そして上空から影が差し、四人が見上げるとそこには大きな雪ウサギが空を飛んでおり、そこから小さな影が飛び下りてきた。
スタッと地面に着地したそれは、不敵な笑みを浮かべながら言い放った。
「国の大切な宝ぁ、返してもらうぜ?」
白衣を身に纏った幼女、ララシーク・ファンナルの登場だった。
※
「ほう、かの《氷結童子》か」
ララシークの姿を見てヒヨミが物珍しいような声音を漏らす。そして足元に広がった氷を一通り確認してからその視線をララシークへと戻す。
「これほどの威力を備えた《化装術》を瞬時に発動させるとは、さすがは《化装術》の生みの親といったところか」
今ララシーク以外の人物の足元には一面氷が張ってあり、彼らの足首まで氷で地面と繋がっているのだ。
「ろくでもねえお前らはここで一網打尽にしてやる」
ララシークが手を上空へかざすと、晴れだった空を突如として雲が覆い、天から雪がシンシンと降ってきた。
「天気まで操るとは……これは興味深いな」
「感心してないでどうにかしたらどうだヒヨミ?」
イシュカに窘められたヒヨミが軽く肩を竦めると、その巨体から膨大な魔力が大地へと流される。しかしバチンとその魔力が氷に触れた瞬間に弾かれる。
「! ……む?」
さすがのヒヨミも眉をひそめて地面に視線を向ける。
「ムダだぜ。アタシの氷に捕まった奴は魔法は使えねえからな」
「……なるほど。だから先程から転移できないのか」
イシュカが全く慌てる様子もなく確認作業のように言葉を発する。そこにララシークは違和感を感じてしまう。
(何で驚かねえ? 普通は魔法が使えねえなら慌てるはずじゃねえか?)
顔には出さずに不敵な笑みを浮かべながらも、ララシークは頭の中で疑問と戦っていた。
「《氷結童子》よ」
イシュカがララシークに向かって口を開く。
「さっきから聞いてるその名前、もしかしなくてもアタシのことか?」
「そうだ、お前の戦いを見た陛下がお前のことをそう呼んでいたのでな」
「……だったら言い直せ、アタシは童子なんかじゃねえ! せめて《氷結美少女》とかにしろ!」
同じ子供でも、断然美少女の方が響きが良い。欲を言えば美女や天才とかをつけてほしいとララシークは思っているが、実際自分の見た目がアレなのも理解しているのだ。だがせめて童子と呼ばれるのは勘弁してほしかった。
「そんなことより」
「そんなことよりっ!?」
イシュカの軽薄な発言に思わずララシークは声を荒げてしまうが、イシュカは気にせず続ける。
「先程の忠告をもう忘れたのか? 我らに手を出せばこの獣人の首が落ちると」
「フン! あそこでは言わなかったけどな、それはブラフだろ?」
「…………」
「恐らくアヴォロスからミミル様の身柄を確保してこいって命を受けたんだろ?」
「…………」
「王の命は何よりも絶対。それはこんな敵地に、たった一人を誘拐するために主力がやって来たことからも察することができる。ミミル様の何を狙ってるのかは知らねえが、そっちだってミミル様に死なれると困るんじゃねえのか?」
「ほう、ならば何故先程はあっさりと見逃した?」
イシュカの疑問は尤もだ。いつでもこんな《化装術》を行使することができるならあの場でイシュカを拘束できたかもしれない。わざわざ仲間と合流させるリスクを背負う必要はないはずだ。
「簡単な話だ。あそこで術を発動して戦いになってれば《王樹》もただじゃすまねえ。だがここでなら思う存分力を発揮できる」
「……なるほど、案外強かなウサミミだ」
「へん! ウサミミをバカにするなよ?」
突然周囲の空気がグッと低くなりイシュカたちの足首まで広がっていた氷が頭部に向かって更に広がりを見せる。
「いいのか? 王女まで氷漬けにしてしまうぞ?」
ララシークはそれには応えず力を行使し続ける。実際氷漬けにしたところで命を奪うわけではない。それはかつて『魔人族』との決闘でシュブラーズを氷漬けにしたことからも分かるはずだ。
ララシークの狙いはあくまでも彼らの動きを奪うこと。そして最優先事項はミミルの安全である。ここから連れ去られるという事態だけは防がなければならない。
イシュカはララシークのそんな考えを知らず、自分たちを王女ごと氷漬けにする覚悟なのだと判断したのか、さっそく動きを見せ始めた。
「ランコニス、いい加減これをどうにかしろ」
「は、はい!」
ランコニスと呼ばれた女性が慌てながら地面に張った氷に触れる。すると刹那、一瞬にして氷が消失した。
「なっ!?」
ララシークはもちろん術を解いてはいない。それなのに元の地面に早変わりしてしまっていた。
(消えた? 無効化? い、いや、だけど感覚は……まだあるぞ……?)
それは奇妙な感覚である。確かに地面の氷が無くなり、彼らも自由に動けているようだが、何故かララシークの感覚ではいまだに地面には氷が張っているのだ。
だが実際には氷は一欠けらも見当たらず、ただその場には雪が降り続けているだけだ。魔法も使えないはずなのに……そんなわけの分からない違和感を抱きながらも、ランコニスが何かをしたのは確実であり、そちらに視線を動かそうとしたが、地面にパキッと亀裂が走る。
そこから突然尖った木が出現し、ララシークはすぐさま身を翻してその場から離れる。
「ほう、さすがの敏捷性だ」
それはヒヨミの攻撃魔法だった。
(木……? ユニーク魔法か! 厄介だな……それに)
チラリとまたランコニスの方を見る。一番厄介で不可思議なのはこの女性だった。彼女はいまだに地面に手を触れているのだが、その行為のせいだろう、先程から氷を張ろうにも、いや、張れてはいるのだ、ララシークの感覚では。だがそれが実際に顕現してはくれない。
混乱する脳内を必死に宥めながら、周囲を警戒する。これで一気に形勢逆転させられたのは間違いないのだから。
「ならもう全力でいくぞっ! ユキちゃんっ!」
空間を割って出て来た雪ウサギが、物凄い速さでイシュカのもとへ向かう。しかしその前方に突如として地面から複数の丸太が壁のようにして出現し、イシュカの姿を隠していく。
「ちっ! ユキちゃん、ジャンプだっ!」
ララシークの言葉通りその丸太を越えるようにジャンプするが、驚くことにさらに上空へと伸び始め、ユキオウザの跳躍力を上回るほどの壁になる。丸太にぶつかり落下してくるユキオウザ。
仕方無く回り込もうとララシークは思ったが、かなりの距離に丸太が出現していて時間がかかりそうだった。するとその時、
「どけェェェッ! ララァァァァッ!」
ララシークの背後から鬼のような形相をした獣王レオウードが拳に炎を漲らせながら突進してきた。
「レオ様っ!?」
彼の登場に頼もしく思えたララシークは、言う通りにその場から少し離れる。
「オラァァァァァァッ!」
さすがの分厚い丸太の壁も、レオウードの渾身の一撃には脆いものであっさりと破壊される。さすがはレオウードだとララシークは喜びを得るが、破壊された丸太の向こう側では、すでに水溜まりに沈んでいるイシュカたちを発見する。
「レオ様っ!」
「ウオォォォォォォッ! ミミルゥゥゥゥゥゥゥッ!」
レオウードが全身をバネにしたような感じで弾かれたようにイシュカへと向かうが、
「……さらばだ獣王よ」
イシュカのその言葉とともに、ミミルは水に吸い込まれて消えてしまった。
「ぐっ! ララァァァッ!」
ララシークは即座に水晶玉で彼らの行き先を確認するが、どうやら周辺にはいないようで、歯を噛み締めながら頭を力無く振る。するとレオウードが地面を力一杯叩き痛烈な叫びを上げる。
「アヴォロォォォォォォォォォォォォスッッッ!」
大気を震わせるその覇気に、駆けつけたバリドたちも尻込みするほどだった。誰もが怒りに震えているレオウードに近づけず、遠くから喉を鳴らすだけだ。
ただその姿だけで、彼が間に合わなかったのだという理由にはなった。皆が悲しみに暮れ、ミミルという獣人の癒しを奪われた兵士たちも怒りを覚えていた。
そしてミミルの兄であるレッグルスとレニオンも、もっと早くに駆けつけられていればと苦渋の面相を浮かべている。
だがその中で一番悔しい思いをしていたのはララシークだった。そして何故か今になって足元の氷が復活している不思議に解答を見つけようとしている自分に腹が立つ。
ララシークは氷を解除し、力無く天を仰ぐ。
「すまんミュア……お前に頼まれていたのに……ミミル様を守れなかった」
ミュアが前線へ赴く前にララシークにミミルのことを頼むと言われていた。ミュアもララシークの強さは誰よりも知っているので、安心して任せられると思ったのだろう。
しかし現実はあっさりとミミルを奪われてしまった。普段は陽気で自由奔放なララシークまでもが項垂れていることで、さらに兵たちの空気は悪いものに変わっていく。
するとそこへククリアがやって来る。彼女もミミルのことを聞いて駆けつけてきたのだ。そんな彼女の目の前には近寄りがたい雰囲気をかもし続けているレオウードと、後悔に身を委ねてしまっているララシークが映る。
その状況でミミルの事情を察したのか、悲しげに眉を寄せるが、すぐに頭を振ってキリッとした表情を浮かべる。
そして誰も近づけなかったレオウードに向かってズカズカと歩いて行く。バリドが止めようとするが、気にせず前へと進んでいく。
「パパ……いいえ、レオウード国王っ!」
ククリアのその言葉に耳だけをピクリと動かすレオウード。そしてその声を聞いた近くにいるララシークもまた顔を上げてククリアを見つめる。
「いつまでそうしてるつもりですかっ! それでも父上は国王なのですか!」
「…………ククリア」
「ミミルが奪われて悲しいのは誰もが同じです! 自分の無力に怒りを覚えるのもまた同じです! ララシークもです!」
ククリアはララシークの顔をチラリと一瞥する。
「ここで項垂れていれば満足ですか! ここで怒りに震えていれば何かが変わるのですか! そうではないでしょう! 獣人なれば! 仲間や家族が奪われたのであれば、取り返せばいいではないですか! だから……だから…………」
見れば彼女の目からも涙は流れている。そして握られた拳からは真っ赤な血も滴り落ちていた。
「だからっ! そんな姿は見せないで下さいっ!」
下唇を噛み締め、高らかに言い放ったククリアの顔を見て、レオウードは我を失いそうになっていた目に優しさが灯り、目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
そして顔を空へと向けながら口だけを動かす。
「……ガハハ、我々は情けないなララよ」
「……ナハハ、そうですね。まさか十倍以上も歳の離れている少女に説教をされるとは、面目次第もありませんね」
レオウードの言葉にララシークもバツが悪そうに答える。レオウードは不安がっている兵士たちを一望してから視線をククリアに戻し、彼女の涙を指で拭った。
「すまなんだなククリア。いや、ありがとうが先か」
「パパ……ミミルを…………ミミルを助けてあげて……」
彼女の身体を抱きしめたレオウードは力強い瞳で言い放つ。
「任せておけ!」
※
首筋に軽い痛みが走りミミルは意識を覚醒させる。ゆっくりと目を開け、光が眼球を刺激してくる。思わず顔をしかめてしまったが、その瞬間に聞こえた声で自分に何が起こったのか正確に把握できた。
「やあ、ご機嫌はいかがかな、獣人の姫様?」
目の前に居たのは少年。サラサラとした金髪を持ち、誰もが一度は凝視してしまうほどの美を備えている少年。だがミミルにはその少年の顔に嵌められている瞳に恐怖を見た。
深淵……とでも言えばいいのか。それとも奈落……? その瞳に映し出されているのは間違いなくミミルなのだが、その碧眼の奥底に眠っている昏い昏い負の塊をミミルは感じ取ることができた。
目を見た瞬間、一瞬で体中から冷たい汗が噴き出て、身体が震え出す。目の前にいる者は自分とは違う。強制的にそう意識させられた。
誰もが見て、その碧眼は美しいと思うだろう。確かに表面上だけを見れば、宝石のような美観を備えている。しかし見る者が見れば、その奥に潜んでいる怪物に気づく。
この存在は異質だと。そう感じざるを得なくなるくらいミミルは、目の前にいる戦争を起こした張本人である元魔王アヴォロスの本質を見抜いてしまった。
「アハハ、どうしたんだい、そんなに震えて?」
「い、いや……こ、来ないで下さ……い」
ミミルがいるのは【人間国・ヴィクトリアス】の《玉座の間》。ちょうど玉座の目の前に椅子が用意され、そこに何の縛りもなくただ座らされていたようだ。
そして玉座に座っていたアヴォロスが、段々と歩み寄って来るが、ミミルはそこから離れたい思いを宿すものの身体が恐怖で動かない。
そうこうするうちにアヴォロスは眼前まで来ていた。そしてその整った顔をミミルの耳元まで近づいて来て、囁くように言う。
「やはり君には余の正体が……視えてるんだね?」
ビクッとミミルは身体を硬直させる。アヴォロスは顔をミミルから話すと、涙目になっているミミルを楽しそうに見つめている。
「ククク、君を拉致してきて正解だったかな?」
そしてそのまま踵を返して玉座へと戻る。座り直したアヴォロスの笑みは無邪気に彩られている。
「ランコニスから話を聞いた時は、まさか君のような存在がまだいたのかって驚いたよ」
「…………え?」
ミミルは不安と恐怖で、彼が何を言っているのか理解し切れずにいた。
「そのことに気づいてるのはどれくらいいるんだろうね」
アヴォロスは珍生物でも見るようにミミルを観察し、
「君は、自分が何者かしっかりと把握しているかい?」
「……?」
「その様子だと、誰からも自分のことを聞かされていないのかもしれないね。まあ、無理も無いか。もし公になったら、今度の戦争でも間違いなく使われていただろうからね」
「つ、使われて……いた?」
「そう、教えてあげようか。気にはなっているんでしょ? どうして自分が攫われたのか……攫われるほどの何かが自分にあるのか……とね」
もちろんミミルは気になっていた。ハッキリ言ってミミルは戦えない。身体能力も、他の獣人より劣っており、ミュアのように《名も無き腕輪》をしていても、いつまで経っても覚醒してはくれない。
だからもちろん《化装術》も使えないし、レベルだって一桁という低さである。
得意なのは歌。今回の戦争で自分が役に立てることがあるのなら、それは皆のために歌うことだけだ。少しでも皆の気分が紛れるように、そんな些細なことしかできない存在だとミミル自身も理解している。
だからこそ、あのアヴォロスが何故自分などを危険を冒してまで拉致したのか気になるのだ。
「いいかい、そもそも君には特別な能力があるよね?」
「のう……りょく?」
「そう、君にも自覚はあるはずだよ。まずは……その瞳だ」
アヴォロスがミミルに指を差す。そしてそのまま続ける。
「君には人には視えないはずのモノが視える……でしょ?」
「……!」
彼の言う通り、ミミルは幼い頃からこの瞳で不思議なものをたくさん視てきた。それは幽霊と呼ばれる存在であったり、『精霊』であったり、他にも様々な不可思議な現象を目にしたことがある。
「そして極めつけは、君の……歌だよ」
「え……歌?」
「そうさ、君が歌えば『精霊』が寄ってくる。そう聞いているんじゃないのかい?」
「あ……それは……」
その通りだった。自分で意識したことがないミミルだが、歌うと決まって自分の傍に『精霊』が出現するのだ。
「それってさ、結構異常なことなんだよ? そもそも『精霊』というのは、今は深い海の底でほそぼそと生きてるだけの存在なんだよ。自然界で生まれた『精霊』もすぐに【スピリットフォレスト】へと向かう。そして『精霊』を呼び出すには他の獣人のように《化装術》を以て、空間に亀裂を発生させて顕現する。まあ、例外はいるけどね。ヒイロ・オカムラのように『精霊』と契約できたのなら、自由に『精霊』も行動できるし。元々自由を束縛されない『精霊』だって中にはいる。けどそれは基本的には例外の部類。普通は『精霊』を簡単に呼び出すことなんてできないんだよ。だけど、それを君は歌っただけで『精霊』を呼び出している。いや、それは正しくないな……」
アヴォロスはニヤッと口角を上げると、呆然と見上げているミミルに対して驚くべきことを言う。
「君はその歌で『精霊』を生み出しているんだよ」
「…………え?」
生み出すとはどういうことだろうかとミミルの頭の中で何度も彼の言葉を反芻する。言葉通り受け取るならミミルが『精霊』そのものを生み出していると取れるが、混乱が混乱を呼び整理できていない。
そんなミミルの思いを露知らず、アヴォロスはさらに続ける。
「君はね、世界に選ばれたんだよ。『精霊の母』としてね」
「『精霊』の……はは? ははって……な、なんですか?」
「アハハ、混乱してるね! まあ当然かな。今まで君のことを教えてくれる人なんていなかっただろうからね。というより、君が『精霊』を呼び出していることに深く疑問を持った人もいなかっただろうしね。まあ、疑問を持っていたとしても、『精霊の母』に辿り着いてはいないだろうけどさ」
愉快気に笑うアヴォロスを唖然として見つめるミミル。彼が何度も言うハハ。それは母……ということなのだろうか。そう考えれば生み出すという言葉とも繋がりが出てくる。
つまりミミルという存在が『精霊』をこの世に生み出している母親だということ。しかしそんなことがあり得るのだろうか……?
自分はただ歌うことだけしかできない獣人で、まだ十一歳の子供である。そんな存在なのに、いきなり『精霊の母』と言われても信じられるわけがなかった。
「教えてあげるよ。『精霊の母』という存在が、一体どういうものなのかをね」
「…………」
「かつてこの世界、人という存在がまだ生まれていない頃、そこにはのちに『精霊の母』と呼ばれる存在がいた。身形は人型だったけど、人ではない存在だった。彼女は美しい大地と澄み渡った空に大いなる海、広大な自然が生み出した結晶だった。世界で初めての人型生命体。それが彼女『精霊の母』だった。彼女には特別な力が備わっていた。それは『精霊』を創り出すこと。彼女の力は絶大だった。その力は世界中に流れ、自然界に命を育んだ。多くの『精霊』が生まれ、そこから様々な生命体も生まれていった。獣人のルーツである『霊獣』もまた生まれる。元々『精霊』がそこに生きていた生物と融合した結果、『霊獣』となったんだ。つまり突き詰めていけば、獣人の母でもあるのかもしれないね『精霊の母』は」
そんな話は初めて聞いた。ミミルはジッと彼の目を見つめる。相変わらずの虚空を映し出す瞳を持っているが、何となくだが嘘をついているようには見えなかった。
「そこに生きていた生物が環境によって進化し、それが『人間族』や『魔人族』となり、人の因子を含んだ『霊獣』が『獣人族』になっていく。まあ、元々『精霊の母』も人型だったから、『精霊』が人型になるのは当然といえば当然だけどね」
そしてその『精霊』と融合した生物である『霊獣』が人型である獣人になるのは自然の摂理だったようだ。
「だけどある日、『精霊の母』にも寿命がやって来る。だけど彼女は元々自然から生み出された存在。力を失い存在が消えても、また力が溜まったらこの世に顕現して、新たな『精霊』を育んでいく。そうして時代は繰り返されてきた。だがある時、この世界に異物が舞い込んできた」
「い、異物?」
突然アヴォロスの雰囲気が変わりその瞳に怒気が生まれたのでミミルは無意識にゴクリと喉を鳴らした。
「その異物はあろうことか、無理矢理『精霊の母』を殺した」
「っ!?」
「理由は分からないよ。その存在が邪魔になったのか、それとも気まぐれだったのか、それは分からない。だが異物はその存在を抹消したんだ。だけど……抹消したと思っていた存在が驚くべき能力を持っていたことをのちに知る。それは…………人として生まれること」
「え? 人として?」
「そう、つまりは転生だよ」
「…………」
「『精霊の母』として生まれるのではなく、あくまでも『精霊の母』の能力を宿した人としてこの世に生まれる。そうすれば異物には感づかれないと考えたんだろうね」
そうまでして『精霊』を生み出すことに固執しているのは何故だろうとミミルは疑問を持った。するとその疑問に気づいたようにアヴォロスが説明してくる。
「どうしてそこまで『精霊』を創り出すために生まれるのか。それが世界の意志だから……だろうね。この世界には自然が溢れている。そしてその自然は『精霊』そのものだと言ってもいい。もし『精霊』がいなくなれば、きっと生命体は全て滅ぶ。だからこそ、『精霊の母』は世界を維持させるためにも転生という道を選んでもこの世に顕現することに固執した。そして異物はその思惑に気づかず、世界は維持し続けられていった。しかしある日、ひょんなことからある獣人の一人に『精霊の母』と同じような能力を持つ者が現れた。もちろん本人には自覚は無いさ。ただ彼女は『精霊』を創り出せた。そう、君のようにね」
「……っ!?」
「彼女もまた、歌うことで『精霊』を生み出せた。だがそれを見つけたのか、異物は結果的に彼女を殺すことに成功した」
その時、アヴォロスの目が微かに揺らいだのをミミルは見た。そこには確かな悲しみが見て取れて思わず見入ってしまった。
「それから長い年月が過ぎても、転生体は現れなかった。恐らく『精霊の母』も諦めたのかとも思ったんだけど……」
アヴォロスがミミルの顔をジッと見つめる。
「まさか再び君に会えるとはね――――――『精霊の母』」
ミミルはアヴォロスが言葉にしたことが実際真実かどうかは分からない。ただミミルは今まで、自分の目で人を見抜いてきた。いや、見抜いてきたと言うと語弊があるかもしれない。
その人物が嘘を言っているのかそうでないのか、何となくその人の表情を見ていると分かったのだ。そしてその人物の人格も全てではないが把握できるような目がミミルには備わって来た。
だからこそ、信じられないがアヴォロスが何となく嘘を言っていないことが分かるのだ。だがもしそうだとしたら、自分が『精霊の母』の転生体ということになる。
無論ミミルには自覚なんてない。『精霊』を歌うことで生み出しているという感覚も無かった。ただ歌えば心地好く、まるで世界と一体化しているような気持ちになるだけだった。
そしてその歌を聞いて、『精霊』も楽しんでくれているのだと漠然とそう感じていたのだ。しかしもしアヴォロスの言うことが真実ならば、毎回歌う度に現れた『精霊』はミミルが生み出した存在ということになる。
もう何が何だか分からなかった。どうして自分にそのような力があるのか、あるとしたらこれから何を成せばいいのか考えが及ばなかった。
「命を創り出す。とても素晴らしいことだよね」
困惑しているミミルをよそ目にアヴォロスが口を動かしていく。
「無から有を生み出す特別な力。それが君に備わっている力だ。君が何故《化装術》を扱えないのか……それは扱う必要が無いからだよ。その気になれば君は自由に『精霊』を生み出せる。君の歌に込められた力が自然界に伝わり、そこから命が具象化していく。何とも素晴らしく、恐ろしい力なんだろうね」
そんなことを言われてもミミルにはいまだにそのような自覚などないので、ただ身体が震えるだけである。
「君だって今の話を聞くまでは……いや、力を発現させるまでは普通の女の子だったはずだ」
「……?」
「君、幼い頃に病にかかったことはないかい?」
「……っ!?」
「しかも相当な重病に」
何故彼がそのことを追求できるのだろうとミミルは不思議に思った。
「その顔ではあるようだね。別に不思議なことじゃないさ。先代の『精霊の母』の転生体も同じように病にかかっていたしね。そして…………声を失った。違うかい?」
「ど、どうしてそれをっ!」
さすがに黙っておられずミミルは声に出した。するとアヴォロスは面白いように口角を上げて、「やっぱりそうなんだね」と言った。
「それで、つい最近勝手に声が戻ったんでしょ?」
「……え?」
「それも実は転生体にとって特別な儀式のようなものだったんだ。まず君が生まれて『精霊の母』としての能力が覚醒する。だがそのまま能力を行使し続ければ、自身の力に自らの心が押し潰されてしまうらしい。だからこそ『精霊の母』の魂は、一旦覚醒した能力を、その者が力に潰されないように成長するまでは声を奪うことを選んだ。そうすれば異物からも見つかりにくくなるしね」
衝撃的事実だった。彼の言葉を真正面から捉えるとすれば、五歳の時に発症した病はミミルの中にある『精霊の母』の魂が起こした自衛だったということだ。
幼いまま力を行使していけば、力の強さに耐えられないと悟った『精霊の母』の魂は、あえて特異能力を封じ、ミミルが成長し、力を使いこなせるくらいまでになるのを待っていた。
「そ、それでは……放っておけば自然と治癒した……ということ……ですか?」
「……?」
その質問に今度はアヴォロスが首を傾ける。無理も無いだろう。アヴォロスはミミルが自然に治癒したと思っているのだから。
「……どういう意味かな? 君だって自然に治ったはずだよ? だから今歌えるはずでしょ?」
「…………ます」
「へ?」
「違い……ます」
「……違う? 何が違うっていうのかな?」
アヴォロスも笑みを崩し、真面目な表情を浮かべている。
「声を……ミミルの声を取り戻して頂いたのはヒイロ様です!」
「!? …………なるほど、そういうことか」
一瞬虚を突かれたような顔をしたアヴォロスだが、すぐにハッとなり軽く息を吐き納得気に頷く。
「もしかして、彼の魔法で治してもらったのかい?」
「……はい」
「まったく、無茶するね。でも、それももしかしたら世界の意志なのかもしれないね」
世界の意志とはどういうことなのかとミミルは思ったが、アヴォロスは目を細めてミミルを見つめる。
「この世界には二つの意志が存在するんだ。一つはもちろんこの【イデア】そのものの意志。そしてもう一つは突然世界にやって来た異物が作り上げた意志。彼を動かしたのがどっちの意志かは判断しかねるけど、そっか…………君も彼を慕ってる一人というわけか」
彼の言葉にミミルは若干頬を赤らめるが、キリッとした表情でアヴォロスに視線を向ける。
「…………どっちだ……どっちが本物の意志なんだ…………いや、だけどもう止まるわけにはいかないんだ」
アヴォロスが刹那的に苦悶の表情を浮かべたが、彼はミミルに顔を見せないように背中を向けた。
「君という存在についての話は終わりだ。これからは余のために役立ててもらうよ。その力をね」
アヴォロスの背中からは非常に冷たいオーラが漂ってきている。まるでそれが生きているようにミミルの全身を包む。それは決して逃げ場など無いぞと言われているようだった。
(……ヒイロ様……)
ミミルは右手首にかけられてあるミサンガを見つめる。それはミュアと一緒にヒイロからもらったものだった。少なくとも戦争が終わるまでずっとつけていろと言われた。
願いが叶うと言われるそれを左手でそっと触れて目を閉じる。
(ヒイロ様…………助けて……下さい……ヒイロ様……)
心の中で何度も何度も愛しい者の名を告げた。
※
舞台は【ムーティヒの橋】へと戻る。そこではアクウィナスによって、《醜悪な巨人》はすでに大地に串刺しにされていた。
それこそ無数とも思えるほどの剣が巨人に突き刺さり、巨人の身体ほどもある大剣が巨人の胸を貫き大地に突き刺さっていた。
そしてすでに絶命していたのか、巨人の身体が徐々に風化し始めていた。
「さ、さすがは《クルーエル》の《序列一位》のイケメンさんやで……ウチらが苦戦した巨人をあっちゅうまに仕留めるやなんて……」
勇者の一人である赤森しのぶは、あれだけ多くの兵士たちの命を奪った生物兵器を、あっさりと倒した赤髪の『魔人族』に見入っていた。
空に浮かんでいる姿は本当の魔王のようであり、その力もまさに圧倒的だった。彼の力を知っているであろう兵士やシュブラーズたちも、さすがに頬を引き攣らせていた。無論巨人を倒したことで橋の危機が去り喜びは得ていたのだが、やはりアクウィナスの反則とも感じられるほどの力には身震いを生んだ。
アクウィナスがゆっくりと地面に降りてくると、一番先に近づいたのは彼の友であるオーノウスである。
「アクウィナス、お主までここへ来て国は大丈夫なのか?」
「いや、胸騒ぎがする。俺はすぐにでも国へと帰還する。ここは任せたぞ」
「え、あ、ちょっと待て!」
オーノウスが止めようとするも、物凄い速さで【魔国・ハーオス】へと飛んで行ってしまった。
「胸騒ぎ……だと? 奴の勘は当たるというのに不吉な……」
オーノウスが愚痴のようにそう溢すと、橋の方から一人の兵士が大慌てで駆けつけてくる。早口で捲し立てる兵士をまずは落ち着かせるオーノウス。
そして大切な話があるということなので、シュブラーズたちも呼んでから兵士から話を聞く。
その内容を聞いた彼らは皆が言葉を失う。無理も無い。何故ならその内容とはアヴォロスによって【ハーオス】が崩壊させられたという事実なのだから。
「陛下はっ! マリオネ殿は何をしているのだっ!」
オーノウスは兵士に詰め寄るように言うが、彼から聞いた話で、二人は無事だということが分かり皆はホッとする。ただ多くの兵士が無残にも散ってしまったということに皆の胸が痛んだ。
「あかんやん! 敵に先手取られ過ぎやで!」
「で、ですがこれからどうすればいいんでしょうか?」
しのぶが怒鳴るように言うと、もう一人の勇者である皆本朱里が心配気に言葉を漏らす。
「シュブラーズ、ラッシュバル、ここはお主たちに任せる。俺も一度国に戻る」
「分かったわ~、急いであげてね~」
そう言ったシュブラーズに頷きを返したオーノウスは、そこから駆け出して行った。
「とりあえず~、ここに拠点を築くわよぉ」
ようやく勝ち取った橋。ここを拠点にしてこれから人間界へと攻め入る。その準備をするためにシュブラーズとラッシュバルは部下たちに動くように言った。
しのぶと朱里も手伝おうと思い、足を動かそうとした時、懐かしい魔力を感じた。その魔力はまるで居場所を知らせるかのように漂って来ていた。
「……朱里っち、感じる?」
「は、はい。この魔力は……」
二人が視線を向ける場所は岩場の奥。そこには兵士たちはいない。誰もいないはずだった。しかし確かにしのぶたちが見覚えのある魔力が存在しているのだ。
二人は互いに顔を見合わせると微かに頷き合い、そして警戒しながらゆっくりと前に進んでいく。
そしてそんな二人の行動をシュブラーズは不思議そうに眺めていた。
しのぶたちが岩場の奥へと向かうと、その影にうっすらと人の気配を感じる。そしてゆっくりとその気配がしのぶたちの方へ動いてくる。
その正体が露わになった時、二人は思わず時を凍らせた。
「……やあ、久しぶりだね二人とも」
それはこの世界に一緒に召喚されてきた少年、青山大志だった。




