160:アザゼル海のモンスター
日色は『飛翔』の文字で空を飛びながら眼下にある海を観察していた。近くに島なども見当たらなく、ただただ一面に青が広がっているだけだ。
波は穏やか。というのもこの【アザゼル海】では時間帯によって海の顔が変わる。昼頃の今は波も無く穏やかだが、それ以外の時間帯ではまるで台風が訪れてるかのような荒れ狂う顔を見せる。
とても漁業などできる海ではない。だからこそ、この限られた時間の間で獲るべきものを獲らなければならないのだ。
「さて……情報ではここらへんがハピネスシャークが浮上してくるポイントだが……」
産卵の時期の少しの間だけ、海面に顔を覗かせるモンスターであるハピネスシャーク。しかも穏やかなこの時間帯のみ。
ジッと海面を見続けていると、うっすらとだが何か黒い影が見えてきた。
「……来たか? それとも……」
日色が視線を鋭くさせた瞬間、バシャッと海から何かがこちらへ向かってきた。日色は向かって来る何かから左に避ける。
空気を鋭く切る音が耳に届き、まともに受けていたらかなりのダメージを受けていたことを想像できた。
(やはりもう一方の方だったか)
日色はすでに相手が目的のものでないことを把握している。情報ではこの時間帯で、ここに現れる可能性があるモンスターが二種類いることを聞いている。
無論その一つはハピネスシャークであり、そしてもう一つは――。
「初めて見たな――――カウントオクトパス」
それは超巨大なタコだった。赤黒いその皮膚は厳つい顔を更に強調している。八本の極太の足にピノキオの鼻のように伸びている口。
その大きな体躯は日色を一口で食べられるほどの大きさだった。
「ちっ、ここで暴れればハピネスシャークが出てこない。なら、ついてこいタコ野郎!」
日色はタコから逃げるようにさらに沖へと飛んで行く。カウントオクトパスもまた触手を伸ばしながら後を追って来る。
(早々に片づけなきゃな)
あまり時間を取られていると、その間にハピネスシャークが産卵を終えてまた深海へと戻って行く。
日色の背後から凄まじい勢いで触手が伸びてきた。しかし軽やかに左右に体を動かして避けていく。
十分離れたと思った日色は動きを止め、再び正面を向いてカウントオクトパスと相対する。
触手が真っ直ぐ向かってきた。日色は《絶刀・ザンゲキ》を抜いて触手を避けて横から斬り裂いた。ブシュッと見事に切断された触手が海へと落ちていく。
しかし次の瞬間、斬ったはずの触手から新たな触手が再生した。
「便利な足だな」
どうやらいくら斬ったところでダメージは与えられないらしい。今度は相手が口から墨を吐いてきた。
(情報だと麻痺毒が含まれてるんだったよな)
この墨には相手を麻痺させる効果が含まれている。だから決して当たるわけにはいかない。日色は設置文字の『反射』を利用して墨を逆に相手に食らわせる。
ブシャァッと真っ黒な墨がカウントオクトパスの頭にかかり、動きがピタリと止まる。
「よし!」
今のうちに頭を斬り裂いてやろうと考え向かうが、次の瞬間に何本もの触手が一斉に日色を捕まえようと向かってきた。
「……っ!?」
何とかかわしながらも一本の触手に体を掴まれる。ギリギリとかなりの圧力が体に巻かれた触手から伝わってくる。しかし日色は少しの焦りも見せずに冷静だ。
「なるほどな、自分の墨には耐性があるか。やはりユニークモンスターだな」
すると他の触手が徐々に形を変えていき、それがタコ足のような柔らかいものではなく、刃のように硬質し鋭くなっていく。
(あれで獲物を切り刻んで食べるってわけか)
本来なら墨で相手の動きを奪った上で、刃のようになった触手で相手にトドメを刺すのだろう。
「だが、相手が悪かったな」
日色は設置文字である『電撃』を使用する。
――バチバチバチバチィィィッ!
日色の全身から激しい放電が起こり、タコ足を焦がしていく。カウントオクトパスも電撃の威力に思わず巻き付いていた触手を離した。
忌々しそうに日色を睨んでくるカウントオクトパスを冷えた視線で見下ろす。
「久しぶりのユニークモンスター、ちょうどいいからアレを試させてもらうぞ!」
日色は両腕を広げると、場の空気が突然静まった。
※
「ほ、ほんまに一人で戦っとるな丘村っち」
しのぶは遠くでユニークモンスターと戦っている日色の姿を見ながら頬を引き攣らせている。
「カウントオクトパスってSSランクのモンスターですよね? それを一人で善戦するなんて……丘村くんは凄いですね」
朱里も瞬きを忘れたように見入っている。
「いやいや、善戦って言うけど、ありゃまだ遊んでるだけだって」
テンが朱里の言葉を修正する。
「そ、そうなんですか?」
「おう、多分アレを試せる相手かどうか試してるんだろうけどさ」
「アレ? アレって何なん?」
しのぶが気になったのか尋ねてくる。
「ん~それは秘密かな~。言うなって言われてるしさ。まあ見てても分からんと思うけどな~」
「何や気になる言い方やな」
「そんなことより、ほらほら、コッチはコッチで仕事した方がいいさ」
「そやな。テッチが言うんやったら、丘村っちはほっといても安心みたいやし、朱里行くで?」
「あ、はい」
朱里はそれでも日色のことが気になるのか後ろ髪を引かれるような感じでその場から動く。
「そんで? 嬢ちゃんたちのターゲットは何?」
「あはは、丘村っちみたいにコレやっつうものはあらへんよ。言ってみれば魚介類なら何でもや」
「ふぅん、そっかぁ。海に潜るんか?」
「だからこないな格好してるんやんか」
今しのぶと朱里は水着姿だった。二人ともビキニ姿である。
しのぶは紫と白のボーダーで、下はショートパンツなのだが小柄な彼女にとても似合っている。
朱里はその零れ落ちそうな胸を包むオレンジ色の布が覆っている。動く度にプルンプルン揺れるソレはさすがとも言うべきものだった。
「けどやっぱり女として負けた気ぃするわ……」
じ~っと朱里に視線を向けるしのぶ。そして大きく溜め息を漏らす。
「……見てみ、兵士さんたちの視線も、同じ水着姿のウチより……朱里っちに…………いや朱里っちの胸に」
「ええっ!?」
朱里は恥ずかしそうに胸を腕で隠そうとするが、確かに周囲の兵士たちはしのぶだけでなく朱里の胸へと視線が注がれている。
確かに女性の象徴とも言うべき殺人的な威力を持つその胸に男が意識を向けてしまうのは仕方が無いだろう。
「ウッキキ! 確かにシュリちゃんは巨乳だしな!」
「もう! テンさんたら、恥ずかしいこと言わないで下さい!」
顔を真っ赤にして叫ぶ朱里に対し、楽しそうに笑うテンとしのぶ。
「ま、巨乳な話題は置いといてや、さっさと行こうや」
「もう! しのぶさんが話題にしたんじゃないですかぁ!」
何とか二人で朱里を宥めてから二人と一匹で海へと入って行った。
※
その頃、ニッキとカミュは海へと潜っていた。二人の目の前にはとても美しい光景が広がっている。
透き通った青い海の中は、魚たちや海藻の存在がクッキリ視認できた。
しかもここの砂はガラスのように光を反射して海に漂ってキラキラ光っている。
まるで星空の中にいるかのような錯覚を覚える。ニッキもカミュもその光景に見惚れているようで目を輝かせていた。
すると突然ニッキが目の前を横切っていく魚の群れを追いかけだした。
(……どこ行くの?)
無論心の中で問いかけてもニッキには届かない。ニッキは楽しそうに笑顔を浮かべて泳いでいる。
恐らくあまりにテンションが上がった子供っぷりを発揮して任務を忘れてしまっているのだろう。やはりニッキ、お馬鹿なところは健在である。
カミュも放置しておくことはできないと思い彼女を追いかけて、トンと彼女の肩を叩く。
「ん? ぼうざでだんでぶがば?」
振り向いたニッキは何かを言っているが全く分からない。するとニッキは息を吐き過ぎたのか青い顔をして海面へと向かって行った。
カミュはそのまま眼下を見下ろして、海藻に囲まれているところに視線を向ける。
(……あった)
それは海底に幾つも存在した。星形した貝であるイロボシ貝である。日色の情報の通り、赤、青、黄と様々な色をした貝が散在している。
そうこうしているうちにニッキが再びやって来た。そして彼女に指を差して貝の存在を示すと、「ぼお~!」と感動したような声を出して、学習しないのか泡を吐きながら貝のもとへと向かっていく。
カミュもニッキの後を追って行く。
しかしその時、カミュの警戒網に何かがかかる。
跳び上がるように足を動かして、急いでニッキの元へ向かうと――シャキンッ!
刀を抜いてニッキを狙っていたと思われる何かを斬り裂いた。ニッキもその様子に気が付いて咄嗟に身構えた。
見れば海藻がウネウネと、先程と違って明らかに伸びていた。一瞬で成長するわけはない。そして今カミュが斬ったのは間違いなく海藻の一部だった。
(ヒイロに聞いた…………これが食人海藻)
日色からはイロボシ貝の周りにある海藻に気をつけろと言われていた。それは食人海藻であり、文字通り人を食う海藻だと。
無論ニッキも日色に注意を受けていたはずだが、目的の貝を見つけてすっかり注意を忘れて飛び出してしまったのだろう。
カミュが視線でニッキに「気を付けて」と言うと、ニッキは「ずびばぜんでずぞ!」と恐らく「すみませんですぞ」と言っているのだろうが、これ以上息を吐いたらもたないことをまた忘れているようだ。
カミュは日色にニッキのお守りを頼まれている。だからニッキが無茶な行動をしないように注意をする必要がある。
(まずはここから離れて……あ)
そう思った矢先、ニッキが伸びてくる海藻をその手で掴み引き千切ろうとし始める。しかし他にも伸びてくる海藻がニッキの体に巻き付く。
「ぶぼぉ!?」
海藻はゴムのように伸びるようでなかなか引き千切ることができないらしい。刃物を備えていないニッキとは相性の悪い相手なのかもしれない。
カミュは二刀流を構えてニッキを拘束している海藻を断ち斬る。しかしそこでカミュも息苦しさを覚える。ニッキも先程と同じように手を口に当てると海面へと向かって行った。
カミュも一先ず海面へと浮上した。
「ぷはぁっ! カ、カミュ殿!」
「……何?」
「も、申し訳ありませんですぞ……」
どうやら自分の先走りで海藻に捕まってしまったことを悔いているのだ。カミュは無表情のまま頭を横に振る。
「ん……大丈夫。二人で……頑張ろ?」
「は、はいですぞ!」
ニッキは落ち込んでいた表情から一気に嬉しそうに破顔した。二人はどうやって海藻を倒して貝を手に入れるか作戦を練ることにした。
カミュとニッキは作戦を立てて、再び海底へと向かった。互いに顔を見合わせると頷き合い、まずカミュが先に食人海藻が守るように取り囲んでいるイロボシ貝へと向かった。
すると当然カミュの侵入を防ぐように海藻が伸びてくる。それをカミュは黒刀で斬り刻んでいく。だが数が多く、また海の中なので制限された動きのせいか、伸びてきた海藻に足を掴まれる。
しかしカミュは慌てず目を鋭く細めると、突然海藻が生えている地面が盛り上がっていく。
(ここの海底は砂でできてる。だから……ここは俺のフィールドでもある!)
海底の砂を操り、海藻を根こそぎイロボシ貝から距離をとらせようとする。
(く……重い……っ!)
しかしいくら砂を操ることができるとはいっても、海の中で砂を操作するのは初めてであり、また水を含んだ砂がこれほど操り辛いとは思わなかった。
それでも途中で諦めるわけにはいかず、そのまま海藻ごと砂を持ち上げていく。そして食人海藻の正体が明らかになっていく。
(これが……本体)
砂から現れたのは、体に海藻を生やしたヘビのように長いモンスターだった。実は食人海藻というのはこのヘビ、海藻コブラが地面に潜り、体に生えている海藻だけを表に出した姿だった。
獲物を海藻で捕獲して、体の表面に幾つもある口から摂取するモンスターである。イロボシ貝の周りをその長い体で覆うように丸めて潜んでいたのだ。
ヘビらしく、カミュを睨みつけながら舌をニョロッと出している。その長い体をウネウネと動かして突進してくる。
だがカミュは動かない。それは足に巻き付いている海藻のせいというわけでもない。ただ何かを確信しているようにジッと佇んでいると……
視界の端で小さな影が動いた。
「ばぶべんっ!」
ニッキだった。今までどこに居たのか、突然現れた彼女は海藻コブラの体を下から突き上げるようにして拳を振るっていた。
瞬間、爆発が起きたような音とともに海藻コブラの体が跳ね上がる。これはニッキの得意技である《爆拳》だ。拳に魔力を宿し、相手に攻撃が当たった瞬間に魔力爆発を起こして攻撃する。
その威力は込める魔力量によるが、巨大な海藻コブラの体が跳ね上がるほどなのだから相当な威力が見て取れる。
ニッキの攻撃で海藻コブラは苦痛に顔を歪める。またカミュを拘束していた海藻の力が緩み、その隙をついて刀で拘束から逃れた。
そしてカミュはすぐさま間を詰めて、向って来る海藻を斬り裂き、その長い身体に刃を入れる。
ブシュッと血液が流れ出る。
しかし思ったより皮膚が固くて切断するまではいかなかった。
海藻コブラはカミュを警戒するように睨んでくるが、ニッキの攻撃はまだ続いていた。
ニッキはその小さな体を器用に動かして、海藻を避けると、右拳に力を込め始める。そして距離が離れているのにも拘らず、ニッキはそのまま海藻コブラに向かって拳を突き出した。
すると彼女の拳から、拳型の魔力の塊が放出され、それが海藻コブラの身体に当たる。
――ドガァンッ!
またも盛大な爆発が起きた。
キシャァァァッと痛々しそうな悲鳴を上げた海藻コブラは、堪らずその場から逃げていった。
その様子を見て、ニッキとカミュは互いの顔を見合わせ頷くと、ニッキは笑顔を、カミュはVサインそれぞれ向けた。
邪魔者を排除できたニッキたちは様々なイロボシ貝を海から浜辺へと持ち帰っていく。色とりどりのそれは、キラキラと輝いていて、まるで宝石のようにも思われる。
「赤、青、黄、緑、白、これで全部ですかな?」
「うん……多分」
ニッキとカミュは浜辺に置かれた多くの貝を見ながら満足気に頷いていた。
「おお~、これで師匠に褒めてもらえるですぞ!」
「……楽しみだね」
「はいですぞぉ!」
褒めてもらえることが確定しているかのように顔を綻ばせている二人。
「でも、上手く言ったね作戦」
「はいですぞ! これもカミュ殿のお蔭ですぞ!」
食人海藻の正体は日色に聞いていたので、まずは本体を引っ張り出すためにカミュが囮になることにした。海底の砂を操り見事海藻コブラを出現させることができた。
そして海底の岩場に身を潜ませていたニッキは、隙を見て相手に攻撃をする。元来臆病で慎重なモンスターなので、倒せないまでも慌てさせれば逃げていくと踏んでいた。
無論カミュは仕留めるつもりで刀を振るってはいたが、さすがは【アザゼル海】のモンスター。その防御力も生半可ではなかった。
それでも作戦が上手くいったので結果的に成功と言える。
「それにしても、あの業……凄かった」
「えへへ~、照れるですぞ~」
「ううん、ホントに凄い」
「ありがとうですぞ! あれはですな、《爆拳・弐式》ですぞ!」
にへらと嬉しそうに笑みを浮かべながら自慢げに胸を張るニッキ。
「……後は待つだけ」
「そうですな! う~早く師匠帰ってこないですかな~」
二人は互いに慕う日色の帰りを、イロボシ貝を背中にして待つことにした。




