159:それぞれの対話
【アザゼル海】……魔界に隣接する西海の呼称。【魔国・ハーオス】から一番近い海であり、ここで獲られた魚介類が国で流通している。
魔界に近い海ということもあり、そこに棲息しているモンスターも強く、その数も多い。北の海である【ベリアル海】より幾分漁業はし易い環境ではあるが、それでも生半可な覚悟で臨めば手痛い以上のしっぺ返しが待っている。
危険度ランクは間違いなくSSSの位置付けをされている。ムースンの依頼はここに棲息している魚介を獲ってきてもらいたいということだった。
その依頼を【魔国】の軍に席を置いた勇者であるしのぶと朱里は受けることになり、そこに何故か日色も付き添うことになった。
無論最初は完全に乗り気ではなかった日色だったが、まさかこれから向かう【アザゼル海】に以前食べたハピネスシャークというモンスターがいるとは思わなかった。
あれはまだアノールドやミュアとともに旅していた時、人間界の街である【サージュ】というところで初めて食べた時のことを思い出す。
(あれはマジで美味かった……)
思い出すだけで口の中に大量の唾液が生まれてくる。衝撃的な出会いだったと今噛み締めていた。
その話をムースンにした時、彼女もハピネスシャークを使った料理を何度も作ったことがあるとのことだった。
そしていつかその機会が訪れれば、最高のハピネスシャーク料理をご馳走するので、もし手に入れられる時が来たら力を貸してほしいと頼まれた。
日色は是非も無く二つ返事で「当然」と答えた。
本来ハピネスシャークは人間界に隣接する【グレイトブルー海】でしか獲れない。
しかも深海にしかおらず、滅多に海面に浮上してこない。本当に稀にだが、産卵の時期の少しの時間、海面に姿を現すことがある。
その身体は美しい桃色で頭に翡翠色した角を生やしている。全身、歯も身も、その角も食すことができる完全食体と言われる生物である。
では何故人間界の海にしか棲息していないはずのハピネスシャークがこの魔界の海にいるのかというと、実は元々ハピネスシャークは【アザゼル海】に棲息していたのだ。
だが時が経つに連れ、住み易い地へとハピネスシャークは群れで大移動を行ったらしい。しかし移動を拒否しそのまま【アザゼル海】に残ったものも少なからずいたのだという。
そしてそんな残ったものたちで繁殖し、こうして産卵の時期を迎えたハピネスシャークが、海面に姿を現すのだ。
「おお~海楽しみですぞぉ!」
日色が行くということでついて来たニッキは、久しぶりに行く海が待ち遠しいのだろうか目を輝かせていた。
ニッキも行くのでミカヅキも行きたいと言っていたが、シャモエと買い物をする約束をしていたらしく、普段から日色に「約束だけは守れ」と言われている彼女は仕方無く日色との同行を諦めた。
リリィンとシウバとクゼルは、三人で少し話し合いたいことがあるとのことで一緒にはこなかった。
結局ついてきたのはニッキ、カミュ、テンの三人になる。しのぶと朱里を合わせると日色も含めて合計六人だ。まあ、正確に言うと五人と一匹だが。
無論それだけではなく、シュブラーズの下にいる兵が一緒に行動している。そして極めつけは空馬車だ。
空馬車とはミカヅキと同じ種族であるモンスターのライドピークを利用して空を自由に移動する手段だ。
獣人界にいるミカヅキのようなライドピークは、翼が退化しており空を飛ぶことはできないが、魔界のライドピークには立派な翼が生えている。
しかも面白いことに、ライドピークそのものの身体が大きな荷台がある馬車のような姿に変化しており、とてもユニークなモンスターでもある。
既存の馬車を引いて空を翔けるのではなく、馬車そのものであるライドピークが空を移動するといったところだ。
今、日色たちはそんなライドピークの背に乗り空から魔界を見下ろしている。眼下には様々な光景が目に映る。
大きな山、湖、川、谷、森、多くの自然があり、ニッキだけでなくカミュやテンも楽しそうにはしゃいでいる。
日色は何度か自分で空を飛んでこの光景を目にしていたのでさほど感動は強くなかったが、初めて乗った空馬車の乗り心地は意外にも良くて安心して身を任せていた。
そうして五台の空馬車は目的地である【アザゼル海】に到着する。そこで日色の目に映ったのは妙に気合を入れ込んだ表情をしているしのぶと朱里の姿だった。
(まあ、この仕事を上手くこなせば兵士との距離も縮まるかもしれないからな、無理もないが……)
何か失敗して、こちらに害が及ばなければいいがと思い肩を竦めた。
「おおっ!? おっきいですぞぉぉぉぉ!」
「ん……でかい」
「やっぱ海はスケールが違うさ~」
ニッキ、カミュ、テンの順でそれぞれの感想を声に出している。確かにニッキたちの言う通り、目前に広がっている海、その水平線の先には何も見えず、ただただ広大な青に溜め息が漏れる。
大陸である魔界も相当の規模を持つが、やはり海と比べると見劣りするのは否めない。海は生命の源。母なる海。その器はどこの世界でも大きなものだと日色は感じた。
兵士たちが海で使用するであろう網や銛のような武器を点検している。しのぶたちもその手伝いをしているようだ。
どうやらシュブラーズの部下とは意外にも意思疎通ができているようで、接し方にも不自然さは見当たらない。恐らく部下たちはシュブラーズを通してしのぶたちがどういった人物なのか聞いているのだろう。
もしくはこんな感じで何度かともに仕事をこなしてある程度は信頼関係ができているのかもしれない。恐らく後者なのだろうと日色は一人で納得する。
「さて……おいバカ弟子」
「あ、はいですぞ!」
日色は海を見て浮かれているニッキに声をかける。
「今から修行の一環としてお前に任務を与える」
「おお! それはまことですかな!?」
余程嬉しいのか興奮気味にニッキは笑顔を浮かべる。
「ああ、馬車の中でも言ったが、これからオレはあるモンスターを狩りにいく。そしてお前にもあるものを捕獲してもらう」
「はいですぞ! 水練なら得意中の得意ですぞ!」
「二刀流、お前には話したがコイツのお守り頼むぞ」
「ん……ヒイロの頼み。頑張る」
カミュにはここに来る前に、ニッキの補佐を頼んでおいた。まだまだ子供であるニッキは、状況判断も甘い。だから暴走したり焦ってとんでもないことをしないようにお目付け役としてカミュに頼んだのだ。
彼は『アスラ族』の長であり、多くの子供たちとも接してきており、何よりニッキとも仲が良い。だからこそ彼ならば上手くニッキをコントロールできると判断した。
「黄ザル、お前はオレと一緒だ」
「おっけ~」
テンは親指を立てて了承の意を示してきた。
「それじゃ行くぞ」
「なあヒイロ」
「何だ黄ザル?」
「あの子たちは放っておいていいんか?」
テンが少し離れたところにいるしのぶたちに視線を促す。
「別にいいだろ? オレはアイツらのお守りを引き受けたわけじゃない。一緒に行くことを許可しただけだ。それにオレにはオレのやりたいことがある」
無論それはハピネスシャークを捕らえることだ。いちいち他のことに気を回していては、せっかくのチャンスを不意にしてしまう可能性もある。それはゴメンだった。
「ふぅん……なあヒイロ、俺アッチに行っていい?」
「………………好きにしろ」
どうせダメだと言ったところで頑固なテンがそう簡単に意見を変えるとは思っていない。ここで口論するよりは好きに行動させた方が時間の浪費が少なくて済む。
「はいよ、んじゃ気を付けてな~」
テンはそう言うとしのぶたちの方へ向かって行った。こうして漁獲する部隊がそれぞれ決まった。
もう一度、ニッキには油断しないように注意をして、日色は単独で海に入るために準備をし始めた。
服に『不濡』と書いて海に潜っても濡れないように魔法を施した。幾つか必要になるであろう文字を体に設置して、『飛翔』の文字を使い空を飛び沖へと向かって行った。
※
日色が単独で空を飛びながら海へと向かった姿を見ていたしのぶと朱里は唖然とした表情をしていた。
「すごいなぁ丘村っち……ほんまに飛んどるわ」
「は、はい……」
「何でも獣王と一騎討ちして勝ったらしいし、ビックリやでほんま」
「そう……ですね。一緒にこの世界に来たはずなのに、こんなにも違うんですね……」
朱里は羨ましそうに飛んでいる日色を見ている。
「そう思うんなら、これから頑張ればいいんじゃね?」
突然二人は誰かに声をかけられてハッとなり、声がした方向へ顔を向けているが、その存在を見つけられず首を傾けている。
「お~い、コッチッコッチ」
その声は下の方から聞こえた。二人がゆっくりとそちらに視線を向かわせると、そこにはニカッと歯を見せている精霊のテンがいた。
「えっと……確か丘村っちが契約したっつう精霊やんな?」
「お、知ってんのか! ウキキ!」
「シュブラーズ様に聞いとったしな。それに兵士の人たちも噂しとったし」
「おお! 俺ってそんなに有名なんか! うわ~それは嬉しいさ!」
しのぶの話を聞いて、自分の話題が兵士たちの間で賑わっていると判断したテンはにこやかに微笑む。
「ま、まあ丘村っちの精霊ってことで有名やで、なあ朱里っち?」
「ええ、まあ」
テンはピシッと笑顔が固まる。自分の話題が日色あってのものだということらしくてガックリと落ち込む。
日色は『魔人族』の英雄なので、その英雄と契約した精霊だということでテンの話題もあったという。
「う~やっぱりヒイロかぁ……いや! これからさ! ヒイロよりも人気になってみんなにこう言わせてやるさ! さすがはヒイロが泣いて頼んで契約した精霊って!」
意気込みを見せつけるようにガッツポーズに力を入れるテン。
「……えっと、丘村くんは泣いて頼んだのですか?」
朱里はジッとテンの目を見つめる。するとサッとテンは目を背ける。思わず何と言っていいか分からないのか朱里は固まってしまっている。
「まあ、そんなわけあらへんわな。あの丘村っちが泣いて頼む姿なんて想像できへんもんな」
「ふん! いいんだよ! いつかアイツの泣き顔を見てやっから!」
「はは、おもろいおサルさんやな」
「ウッキキ! もっと褒めてくれてもいいさ~!」
Vサインをしのぶに向けて突きつけるテン。そこでしのぶが何故日色と一緒に行かず、ここに来たのかその理由を問う。
「ん~ちょっちさ、嬢ちゃんたちのこと気になったんよ」
「へ? ウチらのこと? 何が?」
「うん、嬢ちゃんたちさ、何かこう気張り過ぎてないか?」
「「え?」」
しのぶだけでなく朱里も同じように虚を突かれた感じで声を漏らした。その声には少なからず動揺が含まれている。テンはそれを感じ取ったのか、「ふむ」と一度頷くと、
「今回ってさ、せっかくのチャンスなんだろ? だから、少しくらい手伝ってやろっかなって思ってさ」
「……も、もしかしてそれって丘村くんの提案だったりしますか?」
朱里が幾らかの期待が含んだ様子で尋ねる。
(ん? もしかしてこの嬢ちゃん……)
テンは朱里が少なからず日色のことを気にしていることを知り、
(う~ん、ヒイロに聞いたけど、この子たちにはきっつい説教しかしてないって言ってたよなぁ……それなのに? …………あ、もしかしてMとか?)
怒られたりして興奮を覚えるタイプなのかと失礼なことを考えるテン。ここで彼女が喜びそうな言葉を吐くこともテンにはできるが、
「いや、アイツは嬢ちゃんたちのことはガッツリ放置だってよ」
瞬間、朱里は目に見えて元気がなくなったように「そう……ですか」と呟き、しのぶも引き攣った笑いを浮かべている。
「まあ、でもさ、それは今まで嬢ちゃんたちが何も考えずにのらりくらりやって来たことをヒイロは知ってて、その結果、こんなことをしてっからヒイロは興味も無いし素っ気ねえんだろ?」
「う……それは……はい」
朱里は恐縮するように返事をした。
「しかも魔王城に出頭して、こういう対応してもらっているのもヒイロの存在があってのことだって聞いたけど?」
「「…………はい」」
さすがにしのぶも一緒に頭を垂れて肯定している。
「まあ、今のところまだな~んもしてない嬢ちゃんたちじゃん?」
コクンと二人は頷く。
「けど何かを変えようとこうして行動したのも事実だろ?」
またも二人は頷く。
「ここでヒイロが手を貸したところでそれはやっぱ、嬢ちゃんたちの手柄ってわけにはならねえんじゃねえかな?」
「それは……そうですね」
「だろ? もしかしたらヒイロはそれを考えて手を出してないのかもしれねえじゃん?」
「そうでしょうか?」
実際テンの頭の中には
(まあ、アイツにとってこの子たちがどうなろうと知ったこっちゃねえって思ってる可能性の方が高いけどよ……)
それを言ったところで仕方無いと思ったテン。
「ま、まあもし違うとしてもだ、ここで成果を出せば、ヒイロだって少しは認めてくれるかもしれねえし、嬢ちゃんたちの目標、兵士たちの信頼を得ることだってできるじゃん」
「はい、精霊さんの言う通りだと思います」
朱里の目に強い光が戻って行く。
「だからこそ、今の入れ込み過ぎてる嬢ちゃんたちを見て不安に感じてさ、俺がここに来たってわけなんさ。注意するためにな」
「そうだったんですか……私たちのために」
朱里は両手を組んで感動を覚えているように目をキラキラさせている。
「このままじゃ失敗しちまう。それはさすがに可哀相だと思ってさ」
「あ、ありがとうございます精霊さん!」
「感謝するで!」
「いいよいいよ、俺は可愛い女の子の笑う顔が好きなだけさ~ウキキ~。あ、それと俺のことはテンでいいさ」
「分かったで! あ、でもテンっちって呼びにくいし、テッチって呼んでもええ?」
「おっけ~」
「よろしくなテッチ!」
「よろしくお願いしますテンさん。ですが本当に良かったんですか、こちらに来て頂いて」
朱里が申し訳なさそうな表情をするが、テンはチッチッチと指先を立てて振る。
「気にしな~い、俺は俺のやりたいことをしてるだけだからな!」
「ふふ、何かテンさんて丘村くんに似ていますね」
「えっ!? どこがさ! 俺の方が女の子に優しいし空気も読むぞ!」
テンは心外だと言わんばかりに怒鳴る。
「あはは! そやな、そう言われればそうかも!」
「うっそだぁぁぁっ!」
そんなテンの叫びを聞いて、二人は楽しそうに笑う。先程まで意気込み過ぎていた表情や、暗かった表情とは違い、自然で力みのない表情をしていた。
※
テンと朱里たち和気藹々と会話を楽しんでいた頃、ニッキとカミュは日色と違って水着姿になっていた。
ニッキは水色のワンピース系で、腰回りにフリルがついてありとても可愛らしい。そしてカミュはというと……。
「……俺、男なんだけど?」
何故かレディース用の水着であり、ヒップカバーのキュロットがついた全身をピンクで覆ったカミュの姿がその場にあった。
「よく似合っていますぞカミュ殿!」
「ん……ありがと。だけどいいのこれ?」
「はいですぞ! 海に行くと言ったら、シャモエ殿が二人分用意してくれたんですぞ!」
「…………まあいいかな」
カミュは男なのだが、本人もどうやら気に入ったのかそれ以上追及はしなかった。
「それじゃ行くですぞカミュ殿!」
「……ん」
カミュは両手に黒刀を携えて、ニッキは手ぶらのまま海へと入って行く。まだ膝ほどまでしか海が辿り着いていない時に、カミュが口を開く。
「ニッキ……獲物、覚えてる?」
「覚えていますぞ! 確か大きな貝ですな!」
「…………そだね」
「う~どんな貝なのか楽しみですぞぉ!」
ニッキは明らかなワクワク顔でやる気を全面的に出していた。
「ニッキ……どんな貝か、馬車でヒイロが言ってたよ? さっきも言ってたし」
「え……そ、そうでしたかな?」
突然表情を固まらせて額から汗を流す。
「もしかして…………聞いてなかったの?」
「あぅ……」
カミュの言葉が的を射ていたようで、ニッキは頭を抱えだした。
「や、やばいですぞ! 浮かれてて話を聞いてなかったですぞ! も、もし違う貝を持って帰れば師匠が…………」
「ん……きっとお仕置きだね」
「ぬわぁぁぁぁぁぁっ! それは嫌ですぞぉぉぉぉぉ!」
頭を抱えながらブンブン振っている。やはりニッキ、裏切らないお馬鹿ぶりだった。
「……大丈夫」
「うぅ……カミュ殿ぉ」
「俺……ちゃんと話聞いてたから」
するとニッキは顔をパアッと明るくさせてカミュに抱きつく。
「うおぉぉぉ~! カミュ殿に一生ついていきますぞぉ!」
「えっへん!」
カミュもまた無い胸を張って自慢げな様子である。
「それじゃ……よく聞いてね」
「はいですぞ!」
「ここら辺には……イロボシ貝がいる」
「イロボシ貝ってどんな貝ですかな?」
「何でも……星の形をしてる貝」
「ほぉ~」
「しかもたくさんの色がある……らしい」
「そんなに多いのですかな?」
「色によって味が違う……らしい。……ヒイロ言ってた」
「わっかりましたですぞ! ならば全ての種類のイロボシ貝を獲ってくれば師匠に褒められるのですな!」
「褒められる……かな?」
「もちろんですぞ!」
ニッキの言葉でカミュのやる気度がうなぎ上りに上がっていく。目も若干鋭くなっている。
「俺……やる」
「行きますぞカミュ殿!」
二人は互いに顔を見合わせて頷き合い、海へと潜って行った。




