158:いざ、アザゼル海へ
「お願い?」
「うん」
「……どうしても聞かないとダメか?」
「……聞いて……ほしいの」
陰りを帯びた幼女の顔はどうしてこうも卑怯なのだろうか。傍から見れば、日色がまるで彼女を苛めているように見えてしまう。
「悪いが、オレにも用事があってだな」
「おいおい、いいじゃんかヒイロ」
今まで黙っていたサルが口を挟んできた。無論許可なく肩に乗っているテンのことだ。
「……何がいいんだ?」
「だってよ、ここには《太赤纏》の訓練に来たんだろ? オーノウスがいたらそうするって言ってたじゃん」
確かにそうだが、彼がいない以上は次に優先すべきことを実行したいのだ。それは図書館にこもって至福の時間を優雅に過ごすこと。
「まあまあ、話ぐらい聞いてやれってさ。こ~んな可愛い子が頼んでんだしよ。それとも相手がミュアやミミルじゃなきゃ聞かねえってか?」
ジト目で見つめてくるテンに苛立ちを覚えて言い返そうとしたら、
「二人に会ったのお兄ちゃん?」
目が嬉しそうに輝き、明らかに火がついたような様子だ。余計なことをしてくれたなとテンを睨むが、彼は素知らぬフリをして、ヒョイッと逃げるようにカミュの肩に跳び移った。
「ねえねえお兄ちゃん、ほんとなの?」
「…………まあな」
仕方無く話を終わらせるためにも認めた。だが話を聞きたそうな顔をするイオニス。
「……アイツらの話ならそこのお喋り小動物にでも聞け。きっと嬉々として語ってくれるだろうしな」
顎を動かしテンへと視線を向けさせる。そしてその隙にその場を離れようと
「よし、もう用事は済んだな。じゃあ後はそこの小動物に任せて……」
クイ……。
離れられなかった。しっかりとイオニスの小さい手が服を掴んでいた。もうこの際、魔法を使って逃げるかと思った矢先、
「なあ丘村っち」
突然しのぶが声をかけてきた。怠そうにそちらへ顔を向ける。
「そ、そないな嫌そうな顔しんといてや! イオニス隊長のお願いに関することなんやから!」
「……?」
イオニスに視線を落とすと、彼女は肯定するように頷いている。そして再びしのぶへと視線を戻す。
するとしのぶがパンと手を合わせて予想外の一言を言ってきた。
「頼む丘村っち! ウチらと戦ってや!」
突然しのぶに戦いを申し込まれた日色なのだが、無論その理由を問い詰める。しのぶが代表して説明してくる。
「実は見て分かると思うんやけど、ウチら軍に志願したんや」
「……それで?」
「まあ、頭の良い丘村っちのことやから気づいとると思うんやけど、やっぱ風当りがそんな良くないねん」
それはそうだろう。幾ら魔王がその保護を認めたからといっても、何といっても二人は勇者なのだ。この国へ攻め込み、魔王を討とうとした人物なのだから。
すぐに割り切って仲良くしろという方が無理がある。
「そんでな、ここで毎日訓練してんねんけど……」
「いじめを受けたりとか……か?」
先回りして質問したが、しのぶは首を横に振って否定する。
「ちゃう、その逆っつうのも変やけど、ウチらのことまるで腫れ物に触る感じで近寄って来てくれへんのや」
なるほど、恐らく兵士たちは勇者の扱いに戸惑っているようだ。軟禁されていたとはいえ、勇者としての実力は過去から推察するに普通の規格を越えていると兵士たちも思っているはず。
下手に機嫌を損ねるようなことをして、彼女たちが暴走でもしたらと思ってあまり踏み込もうとしていないようだ。
だから必要以上に彼女たちに関わらないのだろう。風当りというのは、新人に対して物理的ないじめなどではなく、態度がよそよそし過ぎるというわけだ。
「……お前ら、何か勘違いしてないか?」
日色は不愉快そうに眉を寄せると彼女たちに向かって口を開いた。
「か、勘違い?」
「そうだ、お前らの立場を考えたらここの連中がよそよそしくなるのも理解できる。今お前らがそこに立っていること自体が普通では考えられない異常だ」
「そ、それは……」
「あの魔王だからこその処置。普通ならとっくに処刑されているか、一生牢暮らしだろ」
日色の言葉に反論できず、しのぶと朱里は押し黙っている。
「それに『人間族』の勇者だったお前らが、ホントに『魔人族』のためを思って軍に入ったのか、『魔人族』に貢献してくれるのか判断できない兵士が警戒するのも当然じゃないのか?」
「うぅ……」
「大方、オレと戦って自分たちの真剣な姿を見せつけたいと考えてんだろ?」
「…………」
沈黙は肯定と同義だった。
「まあ、望んでなくてもオレはここではそれなりに信頼されてるしな。そんな相手と互いを認め合うような戦いをすれば、それは兵士だって考えを変えるかもしれない」
クリティカルヒットを当てられ続けているかのような苦悶の表情から、彼女たちの思惑は日色の考え通りだったと判断できる。
「もう一度言うが、勘違いするなよ。オレは今のお前らを認め、戦うことなんてしない。少しは考えて行動してるようだが、それでも甘過ぎる。世の中そんな簡単にできていないって前にも話したが……忘れたのか?」
「ちゃうっ! 忘れてへん! せ、せやからこうやって何かしたいと思って……」
しのぶの顔が見る見る悲しげに陰りを帯びていく。
「丘村っちの言う通りや。全部そうや…………ハッキリ言って、軍に入ったんも大志っちらを助けられる可能性が高うなるて思たからや」
やはりかと日色は得心する。
「でもそれはイヴェっちにもちゃんと話しとる」
魔王よ、その呼び方はいいのかと心の中で疑問を浮かべた。
「それにそこにおるイオニス様やウチらの面倒を見てくれとるシュブラーズ様も知っとる」
おいおい、魔王の部下が様付けなのに、魔王は…………どんだけ仲良くなったんだ……?
思わず魔王の無駄に広い器に呆れを感じた。
「ウチらの望みを知って、その上でこうやって扱うてもろとるんや。すっごく嬉しなったわ」
しのぶは微笑むと、朱里と顔を見合わせる。そして今度は朱里が喋り出した。
「私たちの望みはもちろん叶えたいと思っています。ですが、それと同じように『魔人族』の方々にも恩返しをしたいと思っているんです」
「恩返しだと?」
「はい、勇者である私たちに再び立ち上がるチャンスを与えてくれた『魔人族』の方々には本当に感謝しています。だからこそ、この力でお役に立てればと考えたのです」
日色はジッと二人の目を見てみる。そこには不安そうな揺らぎが微かにあるものの、前を見据えるという意志を感じた。
しかし彼女たちがまさか『魔人族』のことを気に入っていることには驚いた。しかしまあ、これほどの厚遇を受けると気持ちが傾くにも当然かと日色は一人で納得した。
「なるほどな、お前らの考えは理解した。だがここでお前らと戦うつもりは無い。何よりオレにメリットが無い」
ただ疲れるだけなのに、何故良くも知らない彼女たちのために動かなければならないんだ。
そんな日色の言葉を受けてしのぶと朱里は一目見て分かるほどに落ち込んでいる。
「ここの連中を納得させるなら他の方法で……ん?」
喋っている途中でクイッと服をイオニスが引っ張る。
「……何だ?」
「しのぶたちの相手……ダメなの?」
「さっきも言った通り、面倒だしメリットが無いからな」
そんなことをしているくらいなら図書館にこもっている方が全然良いのだ。
「……そうなの……」
イオニスもまた目を伏せてガッカリ感を伝えてくる。そんな彼女の顔を見たら、自分が子供を苛めているような気持ちになってしまう。
「なあヒイロ、一戦くらいやってやったらいいじゃん」
ここでまた余計なことを言って来るお喋りザルのテン。
「ならお前が相手してやったらどうだ? そんな形でもご立派な精霊なんだろ?」
存分に嫌味を含めた言い方で言ってやった。
「言い方に棘があんじゃん! それに嬢ちゃんたちが戦いたいのはヒイロだろ?」
「ここの連中に認めてもらいたいなら別の相手でもいいだろ? それに戦いじゃなくても時間をかけて接していけば信頼だって得られるかもしれないしな」
「ああ言えばこう言う奴だなヒイロは……いいじゃんか、ちょうどアレを試したいとか言ってたし」
確かにテンの言っている通り、オーノウスがここにいれば少し彼相手に試してみたいことはあった。しかしもう気分的には読書へ向いているのだ。
「別にそれは後で二刀流にでも相手してもらうからいい」
「ん……ヒイロの相手は俺がする」
カミュが無機質な表情のままで答える。揺るがない意思を示す日色に、周りの誰もが諦めかけていたその時、
「あらぁ~みんなどうしたのぉ?」
シュブラーズが妖艶な微笑を浮かべながら登場した。彼女はそこにいる日色の姿を見つけて両手をパチンと叩いて嬉しそうに笑みを見せた。
「ヒイロくんじゃないのぉ~。ん~…………どうかしたのかしらぁ?」
しのぶや朱里、そしてイオニスの消沈している顔色を見て不思議に思ったのか訪ねてきた。「実はなの……」とイオニスがシュブラーズに事の成り行きを説明した。
「ん~そうだったのねぇ。ヒイロくんはどうしても二人の相手するのは嫌?」
「嫌だな。無駄に疲れるだけだ」
「そうねぇ、ヒイロくんはお客様だから無理なお願いはできないわねぇ」
良識のある人物で良かったと日色は内心で思う。するとシュブラーズが、何かを考えるようにその大きな胸を支えるように両腕を組むと目を閉じる。
そしてポンと手を叩くと、
「それならちょうど良かったわぁ。二人に頼みたいことがあったのよぉ」
しのぶと朱里の顔を見つめる。二人だけでなく皆もキョトンとして彼女に視線を集中させる。
「実はねぇ、コック長のムースンから魚介類の備蓄が少なくなってきたから【アザゼル海】に行って調達してきてほしいって言われててねぇ。本来ならハーブリード隊に任せるんだけどぉ、そんなに信頼を掴みたいのであればやってみてはどうかしらぁ?」
彼女の言う【アザゼル海】というのは、この国から一番近い海の名前だ。主に魚介類はそこから調達している。
魔界に接する海として、やはり危険度が高いので信頼が厚い部隊を常時動かすらしいが、シュブラーズもしのぶたちのことを何とかしたいと思っていたようで、ちょうど良い機会とばかりに提案してきたようだ。
「いいんじゃないか、信頼できる部隊に任せるはずの任務をこなせばそれなりに信頼も得られるだろうしな。じゃあオレにはもう用は無いな」
ようやくその場から退出できると思って足を動かそうとした時、
「ちょっと待ってヒイロくん」
「ん?」
突然シュブラーズから制止の声が掛かり足を止めた。
「実はねぇ、ヒイロくんにも行ってもらいたいんだけどぉ」
「……何を言ってるんだ?」
即座に不機嫌ムードになる日色。どう考えても自分は必要無いだろうと思っていたのに彼女がどういう意図でそのような言葉を放つのか疑問に浮かぶ。
「ん~とねぇ、実はあそこの海底にはハピネスシャークがいて……」
「よし、必ず捕らえて来よう」
「「「「「……………………………………え?」」」」
日色はキリッとした表情を作り力強い拳を作り「任せろ!」といった感じの様子だった。だが突然真逆な返答をした日色に無論皆は呆気にとられたように固まっている。
テンでさえ目を見開きながらあんぐりと口を開けている。提案したシュブラーズも即座に了承されるとは思っていなかったのか戸惑いがちに、
「あ、あのね、えっと……いいのかしら?」
「ああ、当然だ。一刻も早く行くぞ」
「あ、そう……なの? ええ、まあ行ってくれるなら嬉しいんだけどぉ」
明らかにやる気に満ちた光を瞳に宿している日色を見て、テンはシュブラーズに近づき「これが狙いだったんか?」と聞いた。
「う~ん、まあ最終的にはこういう流れに持って行きたかったけどぉ、まさか何の苦労も無く一瞬でここに着地できるとは思わなかったわぁ」
「どういうことさ?」
「実はムースンてば、ヒイロくんと食材の話とか結構するらしいのよ。その中でヒイロくんが過去に食べたものの中に、もう一度食べたいものがあるって話になったらしくてぇ」
「ふぅん、それで?」
「今言ったハピネスシャークもそうらしいの。手元にあったらムースンが美味しく調理してくれるらしいから、ヒイロくんも機会があれば手に入れようと約束していたみたい」
「あ~それで…………あの変わり身振りか」
テンは日色の変わり様に納得いったように頷いている。
「それにしてもよ……さっきまで頑なに嫌がっていたのに、たった一つの食材でコロリって…………簡単な奴」
「うふふ、あら、私はそんなヒイロくん可愛いと思うわよぉ? それに何はともあれこれでヒイロくんがあの子たちと一緒に行ってくれるから、一石二鳥だわぁ」
いまだに日色を唖然として見つめているしのぶと朱里。
「ま~ったく、掴めるようで掴めない奴だなヒイロは……ま、それが面白えんだけどさ」
テンはニッと歯を見せて笑みを浮かべる。そしてそのまま地を走って日色の肩に跳び乗る。
「よっしゃ! んじゃ【アザゼル海】に行こっぜぇ!」
「当然だ! 必ず手に入れて美味しく頂いてやる!」
日色は意気込みを見せつけるように子供みたいに拳を突きつける。
テンとカミュも「おお~」と言いながら同様の仕草をした。




