137:アラゴルンの死
「ええっ!? あのウイの父親が見つかったぁ!?」
「ほ、ほんとですかヒイロさん!?」
話というのは先日仲間になったクゼル・ジオの件についてだ。彼の娘であるウィンカァ・ジオのことは、一緒に旅をしたことがあるミュアたちも知っている。
そしてこの国でミュアたちと別れる時、もしウィンカァの父親を見つけたら、是非自分たちにも報告してほしいと日色に頼み込んでいたのだ。
彼らもウィンカァのことはずっと心配しており、一日でも早く父親が見つかればと祈っていたはず。
だからもし見つければ報告してやると約束した。
そしてほとんど偶然のような出会いではあったが、その父親の消息が判明し、こうして二人にそのことを告げるためにやって来たのだ。
「そっかぁ、まさか魔界にいたなんてなぁ」
「う、うん。でもほんとに良かった! あとはウイさんにそのことを教えてあげるだけですね!」
「そのことならもう連絡しておいた」
「早っ! いや、つうか当然か。アイツにも頼まれてたんだしな」
実はもうそのウィンカァとは連絡済みだった。当然《文字魔法》を駆使して彼女を探し当て、その情報を伝えたのである。
ウィンカァは最初呆然としていたが、日色が嘘を吐くはずがないと知っているからか、全面的に信用し居場所を聞いてきた。
もちろん嘘偽りなく教えたのだが、彼女は今手放せない仕事を抱えていて、魔界へ行くのはしばらく後になるとのこと。少しだけでも会えばいいと言ったが、仕事を途中で放棄なんてできないと律儀に言う。
クゼルもまたウィンカァの無事を確かめられて安堵していたようだ。そして彼女がここへ来るまでジッと待つことを約束した。
「ほんとに良かったよぉウイさん」
「そうだな! 今日はめでたい日だな!」
ミミルやククリアも、詳しく話を聞いて涙を流して喜んでくれた。
「なあヒイロ、もしよ、二人が再会することになったら、その時呼んでくれねえかな?」
「あ、わたしもお願いします!」
「魔界に来ることになるがいいのか?」
「おうよ! 今はもう同盟国だしな!」
「はい! イオちゃんにも会いたいですし!」
イオちゃんというのは、ミュアが決闘で仲良くなったイオニスのことだ。
「ま、それくらいなら構わんぞ」
ミュアたちは嬉しそうに互いの顔を見合わせ笑っている。それを微笑ましそうにミミルやククリアも見つめている。
だがその時、どこからか悲鳴のようなものが聞こえてきた。
――ドガガガガガガガァァァァンッ!
そんな凄まじい破壊音とともに、さらに悲鳴が大きくなった。慌てて皆が外へと向かうと、そこに広がった光景に皆は息を飲んだ。
「そ、そんな……」
その呟きはククリアのものだ。
「《始まりの樹》が…………………………折れた……っ!?」
聞けばどうやら《始まりの樹・アラゴルン》が半ばから折れてしまい、それが国民たちの住処へと落ちたらしい。
ククリアやミミルは、もしかしたら樹の下敷きになった人がいるのではと青ざめていたが、すぐ報告に来た者たちの話では、どうやら幸いなことに死者はいなかったという。
樹が折れる際に、予兆のような音を聞いていた国民が、皆にそのことを告げたことで最悪な状況を生まずに済んだとのこと。
それでも枯れたとはいえ、大樹が落ちてきた衝撃は凄まじく、下敷きになった木々は軒並み押し潰されてしまっていた。
見ればバリドたちも兵士や国民に指示を出して動き回っているようだ。とにかくこのまま放置しておくことはできないので、何とか《始まりの樹》を動かそうとしている。
しかし大樹はかなりの重量を持っていて、なかなか動かすことが難しいようだ。そこへ騒ぎを聞きつけた獣王であるレオウードもやって来た。
現況を把握した彼は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたが、しばらくしたら決断したように小さく頷く。
「よし、《アラゴルン》を運びやすい形にしろ!」
「レオウード様、よろしいのですか?」
バリドは驚愕に目を見開いているが、その理由も分かる。《アラゴルン》はここに住む者たちとって、国のシンボルであり、獣人の誇りでもあった。
確かに賊の手で枯れさせられたとはいっても、神聖な樹を自分たちで破壊してしまうのは気が引けているのだ。
「仕方無かろう。それに残念ながら《アラゴルン》はすでに……」
死んでいるとは口にはしなかったが、レオウードの苦心が伝わったのか、兵士たちも悔しそうに顔を俯かせている。
彼らの反応だけで《アラゴルン》が彼らにとってどれだけ大事なものかは何となく理解できる。
「なあヒイロ、俺ちょっと行って来ておっけー?」
黙って見守っていた日色の肩に乗っていたテンが何を思ったのか、倒れた《始まりの樹》に行きたいと言ってきた。
「何故だ?」
「ん~気のせいじゃなきゃさ、中にいるんだよね~」
「中にいる? 何を言ってる?」
テンはヒョイッと肩から下りるとサササッと駆け出し、《アラゴルン》に跳び乗った。
「む? 何だこのサルは?」
当然テンを初めて見たはずのレオウードは怪訝そうに言うが、隣にいるバリドは、
「あ、お前は確かヒイロとともにいたサルではないか!」
「む? ヒイロ? ヒイロが来ているのか?」
どうやらレオウードにはまだ日色来訪の報せが届いていないようだ。
そんな彼らの思いを無視してテンは樹を触りながらキョロキョロと見回し、いまだ残って立っている樹の方へと進み出す。
自然と皆もテンに視線を泳がしていき、彼が痛々しい姿になった《アラゴルン》を見上げながら、その根に触れる。
――ピカァァァァ……!
すると突然樹が淡い光を放ったのだ。
「なっ!?」
「何をしているサルッ!?」
レオウードは驚き、バリドはその現象の引き金になったであろうテンに向けて怒鳴る。
光はまるで樹から絞り出ているかのように一つの所へと集束しだした。
ちょうど折れた部分の中心辺りにそれは集まり、やがて何かの形を成していく。
「やっぱおめえだったかぁ――――グリ」
テンが突然喋ったことに周りの者は愕然と静まっていたが、そこへ日色がテンの背後へと歩いて行く。
「そいつは何だ?」
グリとテンに呼ばれたものは、まるでゲームなどで見る樹の妖精か何かに見えた。頭には大きな葉っぱを持ち、丸っこい顔にテンと同じくらいの大きさの身体。
葉っぱで作られた服を着込んでいて、明らかにファンタジーな存在に思える。しかしその表情は疲弊したようにぐったりとしている。
垂れ目であろうその目が、さらにそのせいで垂れている。
「ヒイロ? お前何故ここに?」
レオウードが尋ねてくるが、
「話は後だ。今はこの状況を把握したい」
「う、うむ……」
レオウードも優先すべきものがどれなのか認識し、日色の言葉に従い黙っていた。
「コイツはさ、この樹に宿ってた精霊さ」
テンは精霊の顔をよく見るために、近くにやって来た日色の肩に跳び乗る。
「俺らはグリって呼んでたけど……」
「にゅ~、グリンオージュれす~」
そのグリンオージュとやらが、眠そうな目をこちらに向けて言ってきた。
「グリ、確かおめえ、昔どこぞの樹に宿るとか言って出てったんだったよな」
「にゅ~、そうれす~」
「おめえが宿ったってのは、この樹だったんか?」
「そうれす~、居心地が良かったのれす~」
グリンオージュが言うには、遥か昔から存在する《アラゴルン》を一目見て気に入り、その樹に宿ってともに生きることにしたという。
しかしこれは日色とテンがした契約とは別物であり、簡単に言えば精霊が勝手に住居として決定して、そこに住みついているといったところだ。
だがもちろん住むだけではなく、ある程度の魔力を提供したり、その場から動けないなどというリスクを背負うが、そのリスクを鑑みても《アラゴルン》は素晴らしい居場所だったらしく、ずっとこの場に居たとのこと。
しかしその《アラゴルン》が賊に枯らされてしまい、その時に受けたダメージも少なからずグリンオージュも受けてしまい今まで動けなくなっていたという。
「そ、それでは《アラゴルン》は《精霊樹》だったということか?」
レオウードが尋ねてくるが、テンはフルフルと頭を横に振る。
「いんや、あくまでもコイツが住みついていただけであって、正式に契約してるわけじゃねえから、《精霊樹》とは言い難いんじゃねえかなぁ」
「そうれすね~、グリは誰とも契約してませんれす~」
「そんで? おめえが出て来れたってことは、この樹はまだ生きてんか?」
すると明らかに落ち込んでいる様子を表情に見せるグリンオージュ。そして「ひぐ……ぐす……」と鼻を鳴らしたと思ったら、
「……うわぁぁぁぁぁぁんっ!」
突然涙を流して泣き出した精霊に誰もがキョトンとして大口を開けてしまっている。
「あの人なんてことしてくれたんれすかぁ~!」
「あ、あの人?」
テンが聞き返すが、
「人間れす~! しかも異世界人れすよ~!」
その言葉に日色が一番衝撃を受けた。そこであの決闘の場で先代魔王であるアヴォロスが、確か勇者を拉致しているようなことを言っていたことを思い出した。
そして樹を枯らした黒衣の男たちは、アヴォロスの仲間であることは十中八九間違いない。
ということは……だ。
(まさかアイツらのうちのどっちかが……?)
それは青山大志と鈴宮千佳のことだったが、そう言えば人間の男だと言っていたことを思い出して、この現状を生み出したのが大志の方だと推測する。
(あの考え無し、何をやってるんだ?)
何故アヴォロスの言うことを聞いて行動しているのか……。
しかも民を救うはずの勇者が獣人だからと言って、元魔王の言うことを聞いてこんな馬鹿なことをするか……?
そこでアヴォロスの性格や言動などから推察していく。
(……もう一人の奴を人質にでもとられた……か?)
それはありそうだと判断した。お人好しで真面目そうな正義感面した大志が、好き好んで魔王の下で働くわけがない。
特にあの戦争の後なのだ。自分たちの考えが甘かったということを認識したはずだ。その後にこのようなことを進んで起こすほど愚かではないだろう。
ということは考えられるとしたら、そうせざるを得ない状況に陥っているということ。しかし異世界人である彼を、生半可な理由でこんなことをさせることはできないだろう。
となると、もう一人の千佳の方に何かしらリスクを背負わされている可能性を思いついた。もし千佳の命を救いたければ言うことを聞けと言われれば、彼ならば必ず言うことを聞くだろう。
今彼を支えてくれるのは傍にいる千佳しかいない。その彼女を失うことは甘ちゃんな大志には相当辛く恐怖を覚えるものだ。
そこに恋愛感情などがあるかはどうか分からないが、一人ぼっちを怖がりそうな大志なら、その理由だけで動くと考えられた。
(しかしまあ、この世界に来て正義を成すどころか悪に手を染めることになろうとは……不憫なイケメンだな)
少しだけ哀れに思えて同情してしまった。同じ異世界人でも、考え無しに行動するとこういう結果を生むということの良い例だった。
(まだマシなのは、その二人と別れたアイツらだが……)
朱里としのぶのことだ。
(このことを知った奴らがどう動くか……ま、オレには関係無いか)
四人がどう思いどう行動して最終的にどうなろうが知ったこっちゃなかった。
「にゅ~、せっかく最高の居場所れしたのに~」
不満気に口を尖らせるグリンオージュだが、テンはさらに問う。
「んじゃ、もうこの樹は死んじまってんだな?」
「……そうれす~」
今度は悲しそうに目を伏せる。長い間共に生きてきた居場所が無くなればそうなってもおかしくはないだろう。
しかし死んだという言葉を聞いて、獣人たちはより一層悲愴感漂う表情を色濃く宿している。
「やはり……もう生きてはいないのだな《アラゴルン》は……」
「パパ……」
「お父様……」
レオウードの悲痛な呟きにククリアとミミルも同調する。だがそこで同じく近くにいたミュアはハッとなって日色の顔を見上げてくる。
「あ、あのヒイロさん!」
「……何だ?」
「そ、その……ですね…………も、もしかしてヒイロさんなら……」
「無理だぞ」
「……へ?」
ミュアは意表を突かれたように固まっているが、彼女の言いたいことは分かっている。
「オレにこの樹を治してほしいとか思ってるんだろ?」
「え、あ……はい」
「そ、そのようなことができるのかヒイロよ!」
レオウードも食いついてくる。彼の気持ちは分からないでもないが、ここは正直に言った方が良いと思い口を動かした。
「確かに、オレの魔法は万能だ。だがこの魔法にもできないことは確実にある」
「そ、そうなんですか?」
「しょせん人が扱う力だ。限界が存在するのは当然だろ」
「…………」
「まあ、それでも実際に試したことはあるんだがな」
「えっ!? もしかしてすでに《始まりの樹》を蘇らせようと?」
「勘違いするなチビ。オレが言ってるのは、死んだもの……つまり命の蘇生っていう意味だ」
「あ……」
「どうやらすでに死んだものを生き返らせるような力は無いようだ。文字すら書けんしな」
「そ、そうなんですか……」
「まあ、一部が傷ついているだけなら何とでもなるが、こうも完全に生命力が無くなったものを再び復活させることはできんな」
「ほ、ほんとにもうダメなんでしょうか?」
「…………少しだけでも生きてる部分があるんだったら何とかなったが…………コイツはもうダメだ」
希望の光が見えたと思った矢先に、また闇が広がったせいか皆が意気消沈する。しかし本当のことだった。
日色も死者を生き返らせることができるか、実際に試したことはあった。とは言っても死んだモンスター相手に試したのだが、どんな文字を思い浮かべて書こうとしようが、命を復活させるような文字は書けなかった。
それどころか、書こうとした時点で魔力が枯渇したような感覚が襲い、後に凄まじい激痛に苛まれた。
これはただ魔力が足りないせいなのかとも思ったが、どれだけレベルが向上し魔力が上がっても、使用はできなかった。同様の反動が体を襲っただけだったのだ。
仮にこの樹が酷い損傷を受けていても、まだ命が少しでも根付いているのであれば損傷さえ治せばいいので問題は無かったが、完全に死んでいるものを蘇らせることはできない。
(命を奪う文字を書けても救う文字は書けない……か)
しかしそれで良かったのかもしれないと思うことにした。命が魔法で簡単に蘇生させられるようなら、それこそ生きている価値というものが無くなってしまうような気がした。
「とにかくだ、死んだもんはどうしようもない。諦めるんだな」
日色の冷めた言い方にバリドは少し感じるものがあったのか、キッと鋭い視線を向けてくる。
「ヒイロ、お前には分からんだろうが、この樹は我々にとって……」
「ああ、はいはい。言いたいことは分かる」
「なっ、貴様!?」
「だがな、後悔して先に進まないより、反省して前に進む方が大事だと思うが?」
「う……」
「何があったか、それはオレには分からん。だが起こってしまった事実に、幾ら嘆き悲しんでいても仕方無いだろうが」
「し、しかしそう割り切れるほど人は単純ではない!」
「そうだな。だから別に悲しむこと自体は悪くなどない」
「は?」
「要はその悲しみを持ち続けてもいいが前を向けという話だ。この樹がアンタたちにとって大事なものなのは見てて分かる。だが、このままじゃ生活にも支障が出るだろ?」
大樹によって押し潰されている木々を見つめて肩を竦める。
「獣王だって、そこんとこを分かってるから、アンタたちにこの倒れた樹を砕いてどけろって言ってるんだろうしな」
レオウードに目を向けると、彼も小さく頷きを返し口を開く。
「ヒイロの言う通りだ。確かに死んだとしても《アラゴルン》は我らの誇り。だからこそ、このまま放置することなど、それこそ不遜極まりない所業だ。獣人として、感謝を込めて埋葬してやるのだ皆よ!」
レオウードの言葉に反応して皆が応えるように声を上げる。相変わらず熱い種族だなと思いつつも、案外こういうノリも気持ちの良いものだと思える。
レオウードの指示で、倒れた樹を細かく分解して広場に集めていく民たち。バリドも率先して自ら樹を削っている。
「ところでだ葉っぱ」
「にゅ~? 葉っぱってグリのことれすか~?」
まだ顔に疲れが見えるが、先程よりは良くなっているので、力が大分戻って来ているようだ。
「お前、そんなにこの居場所を守りたかったんなら何で賊の攻撃を防がなかったんだ?」
テンやシウバと同じ精霊なら、あの大志程度なら余裕で何とかできたはずだと思ったからだ。
「ああ、それは無理だってのヒイロ」
その答えにテンが口を開いた。
「どういうことだ?」
「実はさ……」
グリンオージュはそもそもテンやシウバのような『高位精霊』ではないという。人語は話すことができるが、人を傷つけるような力はほぼ皆無とのこと。
また契約でなくとも《アラゴルン》に魔力を提供しているので、その時に抵抗できるほどの力は無かったのだ。
というよりも、大志が持っていたナイフの邪気に当てられて気を失いかけていたという。それほど弱い精霊なのだ。
「ナイフ?」
「にゅ~、そのナイフを異世界人が樹に刺した時れす~。樹に宿っていた生命力が一気に無くなったれす~」
「……青リボン、何か知ってるか?」
ミミルなら詳しいことを知っているのではと思って聞いてみた。
「あ、はい。そのナイフでしたら、お父様が回収されて、今はユーヒットさんに渡っているはずです」
「ユーヒット? …………誰だったか?」
「国お抱えの研究者よ。アナタにはララシークの兄と言った方が良いかもね」
ククリアが教えてくれてようやく思い出した。そう言えば決闘でも面白い戦い方をしていた奴だということを思い出した。グルグル眼鏡でウサミミが特徴の白衣男だった。
恐らくナイフがどういう原理で樹の力を消したのか調べるために研究者であるユーヒットに託したのだろう。
「なるほどな。それで? 葉っぱはこれからどうするんだ? 精霊は寄り添う相手がいなければ、そこに留まることができないはずだろ?」
「にゅ~、そうれすね~、久しぶりに森に帰るれす~」
森とは【スピリットフォレスト】のことだろう。テンは手を上げると、
「そっか、んじゃじっちゃんによろしく伝えといてくれっか」
「にゅ~、分かったれす~」
そう言うと、段々とグリンオージュの体が透けてきた。そしてほんの数秒でそこにいたグリンオージュは影も形も見当たらなくなった。
どうやら【スピリットフォレスト】に帰って行ったらしい。




