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119:一夜の宴

 翌日、ぐっすり休養を取れた日色はまだ筋肉痛に悩まされながらも疲労感とは離別できていた。

 起きたのは昼過ぎだったのだが、城の中は喧噪が支配している。だがそれは緊迫感のあるものではなく、誰の顔も喜びの感情に満ちていた。

 また城外からは、陽気な音楽や人々の活気が街を賑わしている。

 本日は、昨日イヴェアムが宣言した通り、勝利の宴を開く予定なのだ。


 しかし城から見下ろす街の中は、人、人、人、人、人。まるでドデカイアイスに群がる蟻のように、地面を覆い尽くしている。

 片手に酒が入ったグラスを持ちながら談笑している男たち。清廉な衣装に身を包んで華麗な踊りを見せている女たち。

 その周りで嬉しそうに手を叩いたり、歌を口ずさんでいる子供たちがいたりなど、皆が皆勝利の余韻を楽しんでいた。


 城の周りにも、イヴェアムの演説を聞こうと多くの者が集まっている。イヴェアムはそんな国民たちを見回し顔を綻ばせていた。

 そして皆が見守る中、イヴェアムは『獣人族』との同盟が成ったことを正式に発表したのである。

 無論その発言を聞き怪訝な表情をする者もいる。やはり禍根はまだまだ残っているのだ。

 それでも実際にその『獣人族』を打ち負かした魔王の言にほとんどの者が喜び唸りを上げた。


 まだまだ同盟を意識できるのは先になるだろうが、それでもこれが新たなる一歩だということも、皆も薄々感じているのかもしれない。

 しこりはあれど、これで獣人たちと戦わずに済むのならと渋々納得する者も出てくる。


 だがイヴェアムはこの時、アヴォロスのことは口には出さなかった。せっかく皆が喜んでいる中、またも戦争の危機があることを言えるわけがない。

 それにまだアヴォロスの真意を調査中でもある。全てを把握してからアクウィナスたちと相談して皆に伝えることにしたらしい。


「王というのも大変だな」


 そんな日色の呟きをめざとく拾ったのは、


「ほほう、王を目指す気になったか?」


 赤ロリことリリィンだった。狡猾そうに笑みを浮かべて見上げてくる。


「今の言葉でどうしたらそんな結論になるのか知りたいな」

「フフン、意気地の無い奴め」

「人の上に立つなんてごめんだ。めんどくさい」

「ククク、貴様らしい」


 しかしと思い、演説を続けるイヴェアムに視線を泳がす。


(少しは成長したのかね……あのお花畑も)


 イヴェアムも、今回の決闘で考えさせられることがたくさんできたはずだ。

 今まで報われない人生を送っていたようだが、こうして望んでいた同盟が成り、少しは王として成長できたのか気になった。

 理想家で頭の中身がファンタジーなイヴェアムが、ここまで来れたのは周囲にいる者が優秀だったことに他ならない。


(ま、顔つきを見れば少しはマシになった……のか?)


 初めて会った時は、不安で悲愴感漂う、王としての威厳が微塵も感じられなかった彼女だが、決闘を経て少しは引き締まった顔になってきたように感じた。


(王としてようやく歩き出したって感じだが、これから大きくなれるかはアイツ次第だな)


 正直イヴェアムが大きくなろうがなるまいがどうでもいい。大切なのは約束を守ってくれることだ。

 この宴が終われば《フォルトゥナ大図書館》を開放すると聞いているので、日色にとってはそっちの方が楽しみで仕方が無い。


 そして今日は宴。

 あのムースンというコックに宴料理なるものを作らせているということなので、考えるだけで腹が鳴ってくる。


(あ~夕飯はまだか……)


 目一杯食べるために昼を抜いたので、ご馳走が待ち遠しい。









 日も落ち、待ちに待った夜がやって来た。前回のような長卓がある食室ではなく、大広間に呼ばれた日色は、そこへ行ってみると驚くべき光景に目が眩んだ。

 まるで一国の王の結婚式を祝うかのようなパーティが催されていた。

 豪華絢爛に装飾された広間は、鮮やかなシャンデリアの光に照らされ、盛装に身を包んだ多くの者たちがまるで日色を待っていたかのように出迎えてくれた。


 日色の登場に、様々な視線が飛び交っている。

 尊敬、憧憬、羨望、恋慕、嫉妬など、日色の活躍を知っている者たちは、余すことなく日色に向けているのだが、


「……じゅる」


 日色はそれどころではなく、テーブルの上に置かれてある豪華な食事に目を奪われていた。どれもこれも高級な食材で作られているのか、キラキラと輝くオーラが見えている。

 これはもう我慢できないと、一目散にテーブルへと駆け込んで行く。ちなみに今の日色は皆と同様盛装しており黒のタキシードを着用している。

 とは言ってもいちいち着るのが面倒だったので『変化』でタキシードにしているだけなのだが。

 まずはと、一番大きなテーブルに向かうと、そこにはムースンがいた。


「これはこれはヒイロ様、もしよろしければお料理の説明をさせて頂きたいのですが」


 しかし彼女の言葉を聞き終わるまでもなく、日色は皿を手にテーブルから食べ物をかっさらうかのように奪っていく。そして勢いよく口へと放り込んで恍惚の表情を浮かべる。

 その様子に、ポカンとしながらも日色が喜んでくれている姿を見て頬を緩ませるムースン。


「もぐもぐ……ん? コレ美味いな!」


 フォークに突き刺している魚の切り身のようなもの。それをムースンに見せるように突き出すと、彼女は笑みを浮かべて、


「それは《トラマグロの塩焼き》です。虎柄をしたマグロなのですが、脂身が少なくとてもサッパリした味を持っています。極めつけは身の弾力。歯を返すような噛み応えのある身は、通には堪らない食感になります」


 確かに弾力が半端無い。それに脂身が少ないので、しつこくなくドンドン食が進む。また塩加減が絶妙であり、しょうゆのようなコクのあるソースがマッチして美味い。

 次に目が移ったのはレタスのような葉に包まれたかなり大きいボール状のものだった。


「それは《モチ肉のレモン葉蒸し》です。《モチ肉》を一番美味しく頂けるのは蒸した時です。ですがただ単に蒸すのではなく《レモン葉》で包んで蒸すことで、柑橘系の独特な香りと酸味が、ほどよく《モチ肉》に染み込み、最高の旨味を引き出すのです」

「はむ…………うお!?」


 モチモチッとした食感を肉で味わえるとは思わなかった。何せ伸びるのだ。モチなのに肉の味。そしてほのかに漂う柑橘系の香りと、舌に刺激してくる酸味が食欲を更に誘って来る。


「これはヤバイな……お、これは何だ?」


 それは皿に乗っているある食べ物らしきものなのだが、一つ一つがまるで火のように燃えているのだ。拳大のそれは素手で持つのを戸惑わせる。

 そんな日色を見かねて、楽しそうに笑みを浮かべながらムースンは説明をしてくれた。

「大丈夫ですよ。それは《()玉子(たまご)》といって、紅蓮鳥(ぐれんちょう)の産む卵を茹でたもののことなのですが、見た目は火に包まれているようで手で持つのに躊躇させられますが、一度冷凍してから茹でることで素手でも持つことが可能になります。もちろん食べられますよ。とても濃厚な味で、一番の味どころは……いえ、まずは食してみてください」


 何か気になる所で終わられたが、素手で持っても確かに火のように熱くはない。それどころか、《火の玉子》からは、まるでしょうゆが焦げたような香ばしいニオイが漂ってくる。

 明らかにこちらの食指を誘ってきていた。無意識に喉が鳴る。


「はぐ……んっ!?」


 サクッと、まるで揚げたての天ぷらのような食感を味わい、口一杯に香ばしい匂いが広がる。卵を揚げたような味だが、まだこの食べ物には隠し味があった。

 それは胃の中に収めた時に現れた。突然胃の中が熱くなる。だが不快感は無い。むしろ安心感を与えるような温もりが全身に流れていく。


 まるで冷え切った身体に、温かいスープを胃の中に流したような感覚であり、思わず恍惚の溜め息が漏れてしまう。


「ふふ、《火の玉子》は胃の中に入ると、身体全体を温める効果があるのです。しかもその時、快感が全身を走るので、なかなかに中毒性がある食べ物なのです」


 確かに、この心地良さは癖になるというか、ずっと感じていたいと思わされてしまう。


「ふむ、美味い!」

「それは良かったです。さて、それでは今回のメイン料理を是非召し上がってください」


 ムースンはそう言うと、一つの大皿を指し示した。


「おお~丸っこいですぞぉ!」


 そこへいつの間にか傍に来ていたニッキが、目を輝かせていた。彼女もまたパーティに相応しく盛装をしている。女の子らしく青いドレスを着用していたが、普段の彼女のイメージと違って、確かに女の子っぽい雰囲気を出していた。


 他にもリリィンやシウバ、シャモエに手を引かれてミカヅキも近づいてきた。シウバはいつもの執事服だが、三人の女性たちは煌びやかな衣装を身に纏っていた。

 シャモエは、その豊満な胸を強調するような大胆に肌を露出させた挑発的な翡翠色のドレスを身に纏い、ミカヅキはニッキと同じようなものを着込んでいた。


 そして――。


「――おい二刀流、何故お前は執事服なんだ?」


 視線の先には、妙に似合っている燕尾服を着用したカミュがいた。本人はコクンと首を傾けながら、


「ん……似合う?」


 話を聞けば、どうやらシウバに是非似合うからと勧められたからだというが、確かに顔は美男子とも美少女とも呼べるほど整っているので、こういう服を着込むとそのルックスの良さが際立つ。


「これ……食べていい?」

「好きにしろ」

「……好きにする」


 カミュも腹が減っていたのか、ガツガツと美味しそうに食事を口にし始めた。


 さらに……。


「む? 何だ?」


 リリィンは……やはりゴスロリな服だった。その着こなしは完璧であり、精巧に作り上げられた人形のような可愛さを備えている。白いドレスが真っ赤な髪に映え美しさも光っていた。


「いや、やはりそういう服が一番似合ってるなと思ってな」


 さすがはロリだと思い何度も心の中で頷くのだが……。


 ――ボフッ!


 突然彼女の顔が茹で上がり、先程食べた《火の玉子》に負けないほどの顔色になる。


「にゃ、にゃにを言っておるにょだ貴様はっ!」


 何故怒られているのか分からんが、似合っているから似合っていると言っただけだ。


「フ、フン! しょ、しょれにだ、ワタシが似合うのはとーぜんだろうが!」


 よくよく表情を見てみれば、少し頬が緩んでいるので、それほど怒っているわけではないということか? なら別に気にする必要も無いと思いサッと顔を背けると、


「あ……」


 残念そうな声が聞こえたが、その声をかき消すように、


「おお~! コレ美味しいですぞ!」

「ほんとだ~! シャモエちゃんもはやく~!」

「あ、はいですぅ!」


 ニッキ、ミカヅキが料理に齧りついているのを見て、シャモエは二人の汚れた口元が気になったのか、懐からハンカチを出して二人のもとへと向かう。


「……宜しかったでございますねお嬢様。ヒイロ様にお褒め頂いて」

「なっ!? べ、別に嬉しいなんて思ってはいないからなっ! し、臣下が主を褒めるのは当然だし……それにせっかく喜んでくれると思っていろいろ悩んだのだし……少しは反応を返してもらわねばこちらとしても釈然としないし……」

「お嬢様、心の声がだだ漏れでございます」

「にゃっ!?」


 背後ではシウバとリリィンが仲良く会話しているが、またもニッキの声が一番大きく耳に入ってくる。


「あ、あのムースン殿! この丸っこいのは何ですかな!」


 それがムースンが示したメイン料理なのだが、こうして見るとその球体はかなりの大きさであり、サッカーボールの二倍くらいはあった。

 そして周囲を紐で縛ってあるのを確認できた。


「皆さま、是非目を逸らさずにご覧になってください」


 ムースンは、皆の目を引きつけるようなことを言うと、その右手にはハサミが所持されていた。

 そして球体の真上で括られてある紐をプツンと切る。

 すると――突如球体に切れ目が幾つも縦に走り、その切れ目から熱い湯気が噴出した。

 さらにまるで花が咲くような様子で、ゆっくりと十等分くらいの大きさで大皿に広がっていく。


 湯気で前が見えないが、凄まじく食欲を刺激する香りが周囲に充満していく。湯気が徐々に薄まっていき、その料理の全貌が明らかになる。

 十等分に切り開かれたその中からは、溶かしたチーズのようなトロトロした赤い液体が溢れ出てきた。


「おお~良いニオイなのですぞ!」

「ん~このにおいすきぃ!」


 ニッキとミカヅキは目を閉じて頬を染めながら鼻をクンクンとひくつかせている。リリィンやシウバも、その料理に目を奪われたように凝視している。


「皆さま、これは《チーズチリミートピザ・おこげボール揚げ》になります」


 ピザ? これが?

 いや、確かに切り別れたそれの上には、様々な海鮮が乗せられてあり、赤い液体がチーズだとしたら見た目は完全にピザだった。

 しかしこんな珍妙なピザは見たことが無かった。先程の球体状だったこともそうだが、この米が焦げているようなニオイは何なのだろうか?


 そんな疑問に気づいたのか、ムースンは笑みを絶やすことなく口を動かす。


「ご説明させて頂きます。まずパンの上に食材を乗せて一度、普通のピザのようにオーブンで調理します。そして焼き上がったそれを、今度は先程のような球体状にし、周りを炊いたお米でコーティングします。その上から形が崩れないように紐で縛った後は、180℃の油に放り込みます。実は丸める前に、内側に赤い《チリ肉チーズ》という具材を全体に行き渡るように貼っておきます」


 なるほどなるほどと何度も頷きを返す皆。


「この《チリ肉チーズ》は、揚げている間、中の熱で次第に溶け出して、満遍なく生地に広がっていきます。旨味をたっぷりと含ませるための料理法なのでございます。どうぞ、お召し上がりください」


 それぞれが皆、火傷しないように気を付けてピザを手に取っていく。


「はむ……もぐもぐ…………こ、これは……っ!?」


 もう手が止まらなかった。ジックリ味わうということと真逆で、凄まじい速さで噛み千切り口の中に放り込む。


(何だこの絶妙なバランスのとれたピザは!?)


 しかも食感も楽しいものだった。

 パンは柔らかく仕上がっているのだが、その周りを包んでいる米が、揚げられたことでおこげのようにサクサクッとした食感を演出している。まさに剛と柔が一体化したような食べ物だった。

 それに上に載っている海鮮も美味い。プリプリしたエビや、ミルクのように濃厚なエキスを出すカキ、ワカメのような海藻も散らばっている。どうやら分類的にはシーフードピザのようだ。


 そして極めつけはこの赤いチーズだ。これが全てを一体化させている原因だ。その色からかなりの辛さを覚悟していたが、本当にちょうど良い辛さなのだ。その上肉の旨味がチーズに含まれており、一切れで何度も感動を与えてくれる。

 ミカヅキたちが美味そうに食べているのがその証拠だ。

 またこのチーズが、パンにもおこげにも絶妙に合っている。

 まさしくこれは――。


(――最高のピザだ!)


 その感動は、今まで口にしたどのピザよりも群を抜いていた。

 ニッキやミカヅキは一心不乱に食べ、おかわりまでしている。

 シャモエもそんな二人を微笑ましく見つめながら美味しそうに頬張っている。だが左手と右手が微かに動いていると思って確認してみたら、メモ帳らしきものに書き込んでいた。

 恐らく彼女はこの美味さを自分でも表現するために、調理法や材料などを書き残しているのだろう。

 カミュもまた、初めて食べるピザに感動を覚えたかのように目をキラキラさせていた。


「ノフォフォフォフォ! これはまさに頬が落ちるかのごとく美味でございますね! ノフォフォフォ!」

「うむ、悪くない。これはワインに合う」


 二人はいつの間にかワインを片手に満足気に嗜んでいた。


(うん、これは最高だ)


 日色もまた満足したように口を動かし続けていた。


「――――――どうやら楽しんでいるようだなヒイロ」


 そこへこの国の王であるイヴェアムが颯爽と登場した。

 彼女はまた別格な雰囲気を漂わせている。キラキラと宝石のように輝く金髪をたなびかせ、黒いドレスを身に纏っている。男の目を間違いなく惹きつけるほどの美少女であり、スタイルも良いのでドレス姿が素晴らしく映えている。


 その隣にはアクウィナスもいた。彼もまたタキシードを身に着けているが、こちらも世の女性が虜にされるであろうと判断できるほどの際立った姿をしている。

 キリッとしたその表情と、スラッとした体躯を見て、周囲にいる女性が感嘆の溜め息を漏らしている。


「魔王か、話なら後にしろ。今は食事中だ」


 城主が挨拶をしにきたのに、さすがの日色節だった。

 だがそんな態度をされると分かっていたのか、イヴェアムは表情を崩さない。むしろ嬉しそうに微笑んでいる。


「いや、すまない。楽しんでいるようなら良かった」


 そうしてイヴェアムはジッと日色の食べている横顔を見つめている。

 そんなイヴェアムの視線に気づいたリリィンがムッと口を尖らせていた。だが隣にいるアクウィナスに近づくのが嫌なのか、その場を動かず黙って見守っている。


「……ヒイロ、感謝するぞ」


 アクウィナスの声が届き、視線だけを彼に向ける。

 そしてモグモグと口を動かして、食べ物を腹の中に納めると、


「約束さえ守ればそれでいい」


 それだけ言うとまた食べ始める。

 そんな日色を見て、微かに頬を綻ばせるアクウィナス。

 するとイヴェアムが自分の名前を呼んでくるので、仕方無く視線だけ動かしてみると、


「そ、その……ね……こ、このドレス……どう?」


 似合っているかどうか聞いているのは理解できる。だがこちらの評価を聞くのに恥ずかしくてモジモジするくらいなら、聞かなければいいのではとつい首を傾けてしまう。


 しばらく黙っていれば諦めるかとも思ったが、こちらの返答を熱望するかのようにジッと見つめている。どうやら何かを言わなければならない雰囲気だったので仕方なく評価することにした。


「……まあ、大人っぽくて良いんじゃないか?」

「そ、そそそそそう? あ、あは、そ、そうなんだ……ふふ」


 とりあえずいつもと違って大人っぽい感じが前面に出て、子供っぽさがなくなっていたので正直に言ったが、どうやら表情だけ見れば満足しているようなので良しとした。

 もしここで機嫌を悪くさせれば、面倒なことになるのはリリィンで経験している。今は食事に集中したいので、煩わしいのはゴメンだった。


 だが背後にいるリリィンから、不穏な空気を感じるのだが、怒らせるようなことをした憶えはない。

 だからきっとシウバあたりが何かしたのだろうと判断して気にしないようにした。

 イヴェアムは上機嫌な様子でアクウィナスと話している。ようやく静かに食事を楽しめると思ったその時、


 クイ……。


 後ろから服を引っ張られた感触を感じた。


(おいおい、ゆっくりさせてくれよな)


 かなり不機嫌気味にその相手を確認すると、


「あ、ご、ごめん……なの」


 日色が怒っていることが伝わったのか、怯えた様子で視線を逸らすイオニスがいた。彼女は魔軍イオニス隊の隊長であり、今回の決闘でも活躍した少女である。

 薄緑色の髪をサイドに結ってあり、クルクルとカールを巻いている彼女だが、決闘へ行く前にしていたアイマスクはもうしてはいない。


 何故ならアイマスクをしていた理由、彼女の目の周辺にあった火傷は日色が治したからだ。大きくて円らな瞳が、小さな顔に収まっており可愛い子だということがハッキリと確認できる。

 彼女が着用しているのは青色のチャイナドレスみたいなスリットの入ったものだった。胸には小さな鈴が三つほどついており、動くたびに清涼感漂う響きが耳に入ってくる。何ていうか、可愛いチャイナ娘みたいな感じだった。


「……何だ?」


 あくまでも無愛想に聞くと、イオニスは機嫌を窺うようにチラチラと上目使いで見てくる。そんな様子が、まるで自分が苛めているかのように思われ、溜め息が漏れてしまう。

 自分はただ美味いものに集中したいだけなのだが……。


「……ほら」


 いつまでも要件を言わない彼女に皿を差し出す。その上には先程のピザの切れ端が乗っている。


「……え?」

「食ってみろ」

「あ……うん」


 皿から受け取ったイオニスはその小さな口を半ば開けてピザに噛みつく。すると陰りを見せていた彼女の表情が、ニッキたちのように明るくなっていく。


「……おいしいの」

「だろ? ていうか、お前も食べたこと無かったんだな」


 隊長なのだから食べていると思っていたが初めての経験らしかった。


「うん。ムースン言ってたの。このピザは特別な時にしか作らないって」

「ほう、なら尚更食いだめしておかなきゃな」


 そう言って日色もピザを口にする。


「……ねえなの」


 またもクイッと服を引っ張られる。もう慣れたもんだと思って視線を向けた。


「英雄は、食べるの好きなの?」

「まあな」

「ふ~ん」

「ところで、その英雄って言うのは止めろ」

「……どうしてなの?」


 彼女たちにしてみれば、そう呼びたいという気持ちも分かる。自分がそれだけのことをしたということは分かっている。だが、呼ばれるのはどうも慣れないし嫌だ。


「背中が痒くなる」

「…………じゃあ、なんて呼べばいいの?」

「好きに呼べばいいが、英雄とかは止めろ」


 するとイオニスはむ~っと下唇に人差し指を当てて考え込む。そして思いついたのか、サッと顔を上げて見つめてくる。


「じゃあ、お兄ちゃんって呼んでいいの?」

「別にいいが、他にそう呼んでいる奴がいるならちゃんと分けろよ紛らわしいから」

「大丈夫なの。呼んでるのはお兄ちゃんだけなの」

「ならいい」

「うん」


 イオニスは嬉しそうに頬を染めてはにかんでいる。恥ずかしくもあり、嬉しくもあるといった感じだ。

 それからイオニスはイヴェアムに呼ばれて一緒にどこかへ行ってしまった。そして満を持したような雰囲気を醸し出してリリィンが傍にやって来た。


「ずいぶんお盛んだなヒイロ」

「今度はお前か……」

「な、何でそんな鬱陶しそうな顔をするんだっ!」


 心外だと言わんばかりに指を突きつけてくる。だがこちらにも言い分はある。何故ならゆっくりと食事を味わいたいからだ。


「だ、大体貴様は隙が無さそうであり過ぎる!」

「何言ってるんだ?」

「女どももどうかしておるわ……何故このようなスペシャル鈍感な奴のことをこうも次々と……むぅ」


 今度は聞き取れないほどブツブツ言い出したが、本当にコイツは何がしたいのか分からず眉をひそめる。

 近くではシウバが笑いながら「嫉妬するお嬢様も可愛いでございます!」と言いながら恍惚に頬を染め上げているが、


(これのどこが嫉妬なんだ? というかオレは何もしていないぞ?)


 隙が無いから嫉妬してる? いや、あるから嫉妬してるのか? ………………意味が分からん。


 確かにこんな世の中で隙を見せるのはよくないだろうが、あるから嫉妬するという意味が分からない。


(……………………まあいいか)


 考えても答えが見つからないので、とりあえず今は放置しておくことにした。

 もし重大なことであれば、おのずと答えに辿り着けるだろうと判断した。というよりも今は食事だ。もう本当に一人にしてくれと願う。


 一人でブツブツと言い出したリリィンから距離を取り、ようやく一人になった日色は思う存分食事を楽しもうと思って、近づいて来るなよオーラを放出しながら食べ物を口に運んでいく。

 それを見た日色とお近づきになりたいと思っている周りの女性たちは、今ここで話しかければ親しくなれると判断するが、日色から圧倒的な拒絶感が伝わってきて、皆が敬遠することとなっていた。


 日色もまた自分に視線が集中していることは分かっていたが、それが日色の英雄的資質に触発されていることは知らない。

 だからまさか女性たちが、日色の心を落とそうとしていることなど全く気づいてはいないが、今の日色の雰囲気と、リリィンの牽制によって阻止されていることなど日色には知る由も無かった。


 そして誰もが喜び笑みが溢れていた一夜の宴は終わりを告げた。




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