紅葉と楪
※ 幕間です。
※ 三人称視点です。
「――私が姉さんのマネージャーをしていた頃の話が聞きたい?」
「はい。凛音お嬢様のマネジメントをする上で、そうした業界を知る為にも、知識は必要かと思いまして」
「なるほどねぇ……」
楪は目の前にいる自称メイドでもあり、この国の華族――それも上位の家系に育ったという女性、篠宮 琴乃ことレイネルーデの言葉に納得を示しつつ、淹れてもらった食後の紅茶を口に運んだ。
「あ、それ私も興味あるかも」
「凛音ちゃんも?」
「うん。お母さんから聞いてなかったし、ユズ姉さん視点だとどんな感じだったのかなって」
食事用のリビングテーブルから移動した先、ソファーから顔を覗かせた楪の姪っ子である凛音。彼女にまでそう言われて、楪はふと凛音と自らの姉であり、凛音の母である紅葉との関係が、今年に入るまでは少々疎遠であった事を思い出した。
外見だけ見れば日本人のそれとは全く異なっている。
明らかに外国人に近い色を持った姪は、髪は美しい銀色で瞳は金色。顔立ちや骨格もハーフ特有のすらりとして長い手足を持ち、しかし見たまま外国人らしい顔立ちという訳ではなく、日本人からも「別物」として見られない程度に日本人に寄った容貌を有している。
この容姿で芸能界にでも入ろうものなら、容姿だけであっという間に人気が出るだろうと楪も思う。大人の目線から見れば、「恵まれている」とも。
しかし、それはあくまでも「分別ある大人の目線」での話だ。
周囲が大人であれば「可愛い」だの「天使みたい」だのと可愛がられ愛でられたかもしれないが、周りが子供では「見目の良さ」よりも「自分達との違い」に目がついてしまい、無遠慮にそれらを指摘して揶揄する。
もう少し大きくなったとしても、男子ならば「特別な存在」に構われたくてからかったり、女子ならば「自分よりも注目を集める存在」が気に喰わないから仲間にしない、なんて行動に行き着く子供が多いからだ。
結果、周囲から奇異の目を向けられる事となり、凛音は非常に内向的な性格へと変わっていった。
そうした煩わしさを避けるべくウィッグやカラーコンタクトを使い、猫背になって俯く事の多かった凛音は、他人と関わろうとしなかった。それは家族であっても同じで、どこか遠慮がちに過ごしていたのだ。
しかし、凛音がVtuberとして活動を始めて以来、瞬く間にそれらが解消されて、今では母娘の関係も改善された。
楪も、かつては姉と姪が上手くやれているかが心配で実家のあったこの家へと立ち寄っていたものだった。
紅葉は母として、身勝手な理由で日本人らしからぬ色を与え、父のいない人生を歩ませてしまったという負い目が消えず。凛音は母に迷惑をかけている、自分を否定して母を傷付けてしまったと距離を置いていて。
だからせめて、自分がその溝を少しでも埋められるように協力してあげる事ができたら、という考えもあったのだ。
そうした蟠りが消え去った今となっては、ただただこの家の居心地の良さとレイネルーデの圧倒的な奉仕力に抗えず、息抜きと愚痴りに帰ってくるような気分であるが、それはともかく。
ともあれ、過去にまつわる細かな話まではした事はなかったな、と楪も思い直し、当時を思い出しながら手に持ったティーカップの中で揺らめく紅茶の水面に目を向けた。
「そうね……。姉さんが子役時代は当然私も子供だったから、当然マネージメントなんてしていなかったんだけどね。そんな私が姉さんのマネージャーになるきっかけとなったのは、私が中学二年生、姉さんが高校一年生の頃に姉さんのマネージャーが次々辞めちゃったのが原因ね」
「え、そうなの?」
「えぇ。もっとも、何も姉さんが売れて勘違いした子役よろしく天狗になった訳じゃないわ。姉さんは当時、子役として確立させた地位に胡座をかかず、大きくなるにつれて演技の幅を広げるような役柄に次々挑戦していたわ。しかも、どんな役をやってもピタリとハマってしまうのだから、まさに一年を通せばテレビで観ない時期の方が少なかったわね」
この国はもちろん海外でも名の知れた大女優――滝 紅葉。
そんな紅葉という大女優は、子役時代から独特な世界観を持っていた。
普段はどこか気の抜けるぼんやりとした空気を纏いつつも、ふとした瞬間に人の本質――芯を見抜いてそこをあっさりと指摘して迫る。演技では周囲を惹き込み、巻き込み、ドラマや映画を『作り物』ではなく『一つの現実』として真に迫る、そんな人間であり、女優だった。
「凄かったわ。当時は海外に出ていなかったけれど、海外に出る為に勉強も欠かさなかったもの。普通、日本であれだけ騒がれてチヤホヤされたら、多少は天狗になってもおかしくはなかった。でもね、姉さんはそうはならなかったわ。ただ興味がある事をやっただけ、称賛されたくてやった訳じゃないし、作品で称賛されるべきなのはキャストじゃない。ストーリーを作り上げ、その世界を表現する監督だって言い切っていたわ。もちろん、いつものあのほんわかとした空気でね」
「あ、なんとなく想像できたかも」
「凛音ちゃんなら分かるでしょうね。そう、いつも姉さんのアレね。まあそんな事もあったけれど、演技やそういう発言も含めて、姉さんは素晴らしい女優だったわ。でも、だからこそ、でしょうね。実は姉さんも、以前の凛音ちゃんとは全く違う理由だったけれど、周囲からは孤立してしまったの」
「孤立?」
「えぇ、そうよ」
楪が言う通り、周囲はそんな紅葉という特異な存在を恐れ、畏れたのだ。
事務所からつけられたマネージャーは誰も、紅葉に見透かされているようで怖くなると口にして長続きしない。圧倒的な演技力と見目の良さから仕事が減らず、大きなトラブルを引き起こした訳でもないというのに、マネージメントを行うべき存在が紅葉に恐怖し、相次いで離れていったのだ。
しかし、恐怖するだけならばまだしも、崇拝するかのように敬う者まで出てしまうのが非常に大きな問題であった。
「姉さんは良くも悪くも他人を惹き付けるの。スター性、カリスマ性としか言い様のない姉さんの在り方に、良くも悪くも人は惹かれたわ。そのせいで、姉さんをマネジメントする立場にありながら姉さんに媚び諂う大人もいれば、姉さんの力になっているつもりで、その威を借りて居丈高に振る舞う大人もいた。そんなものを姉さんが求めていないのに、ね」
「あー……、いるねぇ、そういうの……」
妙に実感の籠もった姪の同調ぶりと遠い目の理由は楪には分からなかったが、一方でレイネルーデは凛音が何を思い出してそんな反応を見せているのかが理解できた。
かつての魔界にて、魔王ヴェルチェラ・メリシスの配下になった途端に、何もかもを叶えようとする狂信者のような者も、ヴェルチェラの意思だとでも言いたげに偉そうに振る舞う存在というのは確かに存在していたからだ。
もっとも、前者はヴェルチェラによって「鬱陶しい」と一蹴され、後者はレイネルーデの手によって葬られるか、教育を施されてきたが。
「本当に当時はそういう人間があまりに多すぎてね。結果として、姉さんのマネージャーをできる人間がいなくなっちゃった時期があったのよ」
「なるほど。それでユズ姉さんがマネージャー代わりを努めるようになった、ってこと?」
「えぇ、そうね。最初はただのお手伝い感覚だったんだけれど、そんな私を見た事務所の偉い人がどうしてもって頼んできてね……。芸能界なんて特殊な場所だからでしょうけれど、あの業界は子供でも普通に仕事させようとするのよね……」
事務所でもトップの人気を誇る紅葉。そんな彼女をマネージメントできないというのは事務所としても無視できる問題ではなかった。何せそのままでは事務所に在籍する意味がなく、そんな状態ではいつ紅葉が移籍を訴えてもおかしくはないのだから。
そんな中、紅葉を非常に上手くコントロールし、紅葉もまた意見にしっかりと耳を傾ける、そんな相手がなかなか見つからずに事務所が慌てている頃、紅葉は突然、彼女の妹である楪を「お手伝い」と称して現場に連れてきたのである。
当時紅葉は高校生、二つ下の楪は中学生。
マネージャーがいないのでお手伝いという事でやってきた楪だったが、そんな楪もまた紅葉と同様に、別のベクトルで尖った才能を発揮したのだ。
楪は俗に言う、『委員長タイプ』の存在だった。
真面目で気配りができ、率先してリーダーシップは発揮しないものの、彼女に物事の指揮を任せておけば大抵うまく着地させる事ができるような、そんなタイプだ。
斜に構えた反抗期真っ盛りといった少年も、両親に愛され、狭い世界で妙な自尊心を築いた少女も、楪の意見だけはしっかりと聞いていて、本人は意識していないものの「彼女の言う事さえ聞いていれば悪い事にはならない」と気付かぬ内に刷り込まれていた。
もちろん、楪自身がそのように仕向けたという事実はない。気がつけば、あるいは自然とそのような結果が生まれていたのだ。
そんな楪は紅葉と一緒になって現場に着くなり、関係者へ挨拶がてら対応順序を確認に向かい、現場入りはスタッフを待てばいいのか、それとも時間までにスタジオに移動すれば良いのかを質問する。紅葉にも事前にどういう仕事なのかを聞かされていたので、その情報の擦り合わせや、変更はないかという対応も素早く行った。
それでいて、紅葉も妹の言う事はしっかり聞いているという事もあってか、非常にスムーズに仕事が進んだのだ。
それから一ヶ月、その現場で楪は完璧なマネジメントを実施してみせた。
もちろん、会社対会社の取引や商談に同席するという事はなかったが、少なくともバランス感覚に非常に優れており、紅葉をしっかりと誘導し、現場の希望と事務所の方針を全てうまく調整してみせるその手腕を買われ、中学生でありながら専属マネージャーとして働かないかと声をかけられたのであった。事務所としてもそんな逸材を手放したくはなかったのである。
紅葉と楪、その二人をよく知らない人物は、この姉妹を「似ていない」と評する。
しかし一方、紅葉の事務所の社長やベテランスタッフ達のように、この姉妹をよく知る人物ほど、この姉妹は「よく似ている」と思わずにはいられなかった。
片や畏れられる程のカリスマ性、他者を魅了するカリスマを持った姉。その一方で、他者に信頼され、愛され、助けよう、手伝ってあげようと思わせ、他者を惹き付け、好かれる妹だ。
要するに、この二人は程度の差こそあれど、他者を惹き付ける力を持っていたという事だ。故に「本質や形、結果は違えど、他者を惹き付ける存在であるという点は実に似ている」と、そんな評価を下していた。
もっとも、楪にとってみれば「手のかかる姉の面倒を見ている内にスキルが身についた」という程度の認識でしかなかった上に、そこまで評価されている事を理解していなかったりもするのだが。
「――姉さんのマネージャー業務は……正直言ってすっごく大変だったわ。高校を卒業したかと思えば、海外の映画に出たいからっていきなり渡米準備を進めてしまうし。昔から英会話だけは熱心にやってたから、最初からそのつもりだったんでしょうけれど……」
「行動力すごいね……」
「えぇ、そうね。その後はしばらく休みたいからって休む調整をさせられて、そのまま海外で休んで帰ってきたと思ったら身籠って帰国してくるし……」
「……うわぁ」
「あ、勘違いしないでね? 凛音ちゃんがどうとか、そういう訳じゃなくてね?」
「あ、うん。大丈夫だよ、そんなの言われなくたって分かってるから」
実のところ、凛音が父親の存在がない事に対して何か思うところはないのかと楪は紅葉と一緒にいる時に訊ねた事があった。
その際に凛音から返ってきた言葉は「いないものはいないんだからどうでもいいんじゃない?」という酷く淡泊かつ至極どうでも良さげな反応だったため、この手の話題が地雷ではない事は楪も理解している。だが、あまり触れるべきではない話題だったかと思ってしまう。
確かに相手が普通の子供ならば非常に扱いが難しい話題だ。
楪は間違っていない。
この状況で何が間違っているかと言えば、そもそも楪が気遣っている相手が規格外な存在――凛音であるという点だろう。
魔族という種族は人間のように親が子を生むだけではない。魔物から進化して自我を持つようになるものもいれば、自然に発生したかのように生み出されるケースもある。
かつての魔王、ヴェルチェラ・メリシス。彼女は親子による血脈によって生まれた命ではなく、自然発生型の魔族だ。気がつけば己という存在がそこに在ったのである。
確かに育児に悩むかつての部下等は見てきた。その悩みに一喜一憂し、愛情を持って接していることは窺えた。
だからと言って、自分に父親という存在が必要だとすら思わなかったのである。
もちろん、凛音として生まれた以上、父親がどういう存在なのかは多少なりとも興味はあったが、そこに悲劇があって母である紅葉が傷ついてさえいないのであればどうでも良かったのだ。
「つまりね、レイネさん」
「はい」
「マネージャーとして最も必要なもの。それは……」
「それは……?」
「支えるべき相手の環境を整える、ただそれだけよ。自分が支えた相手が、最高のパフォーマンスを発揮できるように、色々なものを整えるのがお仕事ね」
「なるほど。つまり、メイドで在れ、ということですね。よく理解できました。それならば問題などあろうはずもございません」
「えっ?」
常に主である凛音が十全の力を振るえるように整える。
それはつまり、レイネルーデにとっては「メイドとして当然の役割」でしかない。
もちろん、本来ならばメイドとは『万能の従者』ではないし、『全てに備えた者』でもないが、レイネルーデのメイド道ではそれが当たり前なのだ。
きょとんとした表情を浮かべて小首を傾げる楪と、己に間違いはなかったのだと無表情ながらに胸を張るレイネルーデ。そんな二人の空気に耐えきれず噴き出した凛音の笑い声だけが、しばしその場を支配したのであった。




