本戦前のひととき
《――皆さん、大変お待たせいたしました! 今年もやってきました『OFA VtuberCUP』! ゴールデンウィークのこのタイミングに行われる、今や毎年恒例となったこの大会の実況を務めさせていただきますのは、もはや定番となりつつあるわたくし、『日暮 時雨』。そして解説には『OFA』の日本代表プロチームのこの方!》
《こんばんは、『藍』所属のミウですー。本日はよろしくお願いしますー!》
今回の大会の実況役兼解説役、クロクロのVtuberとeスポーツプロチームの『藍』のメンバーによる冒頭の挨拶とルール説明。
それらを極小とも言える音量レベルで再生させて観ているのだけれど、コメントが凄まじい早さで流れている。
注目度が高いっていうのがよく分かる。
《うはー! 今マネちゃんから連絡きたけど、今年の視聴者数が例年比180パーセントだって!》
《不正疑惑の炎上騒動もあったからなぁ。そりゃ注目も高まるってもんでしょー》
《むぐむぐ……ん、想定の範囲内》
《あ、スー何食べてるー?》
《チョコ》
《チョコいいな! あ、冷蔵庫いれっぱだ! アタシも取ってくる! ついでに飲み物も!》
《配信そろそろ開けるから急げー》
《おう! ちょっと待って!》
《ん……。私も今のうちに飲み物補充してくる》
《はいはい、いてらー。オープニングループして時間稼ぐねー。あ、ヴェルちゃんは大丈夫?》
「んむ、問題ない。というより飲み物だの食べ物だのについてはレイネがやってくれておる」
《メイドつよい……っ!》
ちらりと隣に立つレイネに目を向ければ、レイネが「当然です」とでも言いたげにすました態度ですっと目礼してくるのが見える。
スピーカーで音声を聞いてる訳でもないのに、しっかりとこちらの会話も拾えているらしい。
「しかしまあ……、あの二人は本番前だというのにバッタバタじゃのう……」
《あはは、ごめんねー、こんなんで》
「なに、構わぬ。緊張して実力が出せない、という訳でもなさそうじゃしの」
《そーだね。まったく緊張してないって訳じゃなさそうだけどね。リオもいつもなら飲み物とか食べ物ぐらいはちゃんと用意できてるはずだし、スーもわざわざ配信前に慌てて取りに行くなんて滅多にないし》
「その点、おぬしは大丈夫そうじゃな」
《大丈夫だよー。こういう大舞台の時は、いつもなら忘れないようなものを見落とさないように、しっかりチェックリストを用意してるんだ》
「ほう、しっかりしておるのう」
《いやいや、逆だよ、逆。こういう時に忘れちゃうのが私だから、そうならないようにしてるってだけだよ。私は私自身を信用してないからね。もっとしっかりしてればいいんだけどさぁ》
「……やれやれ。謙遜も過ぎれば嫌味というものじゃぞ?」
《……へ?》
ジェムプロに所属して、大きな舞台で仕事をしているリオやスーでさえ、こうして普段ならやらない慌ただしさで配信直前に動き回るハメになっているのは、声や態度には出ていなかったけれど彼女たちもそれなりに緊張しているせいだ。
緊張状態に陥ると文字通りに視野が狭まり、普段なら絶対に忘れないものを忘れてしまったり、見落としてしまったりというミスを引き起こしてしまうのが、人間という生き物だからね。
それをしっかりと対策するというのは存外難しい。
「確かに、おぬしはおぬし自身の経験から学び、対策を取り泰然と構える事ができておるのであろうな。そうして大舞台へと挑むのはおぬしの配信者としての矜持でもあるやもしれぬ。が、こと今日に関しては、あの二人や妾に不安を抱かせぬように、安心させるために敢えて意識的に余裕を見せて振る舞っておるのであろう」
《――……ッ、そんなこと……》
「なに、妾の勝手な想像であるならそれで良い。ただ妾はその行いは称賛に値すると、そう思っただけじゃ。堂々と胸を張るが良い。おぬしのそういう行いがあるからこそ、今のジェムプロがあり、その背を追って歩める者がおるのだ」
《……そう、かな……?》
「うむ」
今やVtuberになりたければ、大手の箱に入らなくては続けていくのも難しいと言われているような時代。どこの箱も参入しては鳴かず飛ばずで潰れていくような、そんな時代にありながらも業界の最大手と言えるジェムプロの一期生Vtuberと言えば、まさにVtuber文化を切り拓いた開拓者と言える。
そんなエフィ達がいたからこそVtuber文化は花開き、今では一般人にすら知られるにまで至ったのだから。
ジェムプロの一期生というものがどれだけ大変なものだったのか、私には想像はつかないけれど、決して楽な歩みではなかったのは確かだ。
実際、ユズ姉さんから聞いた話では、そもそもVtuberというジャンル自体がまだ浸透していなくて、ジェムプロとして走り出したばかりの頃は同時接続人数はまだ一桁や二桁が当たり前だったらしいしね。
そんな彼女たちがいるからこそ、その後ろに続いている後輩たちがいるんだし。
《……ねぇ、ヴェルちゃん。ちょっとおかしな事を訊いてもいいかな?》
「ん、なんじゃ? コイバナとかなら期待に応えられんぞ? そういう相手がおらんからの」
《さすがに今の流れでいきなりコイバナにはならないって。……あのさ、ヴェルちゃんから見て、さ。……私、間違っては、いない、よね?》
声色、そしてどこか怖れているような物言い。
真意が伝わらないなら伝わらなくていいと、忘れてくれと蓋をしてしまいたくなるような弱々しい意思が顔を覗かせている。
私に対してぶつけるべき相談なのか、意見を求めるべきなのかエフィでさえ理解できていない、あまりにも朧気な姿をした質問。
それは恐怖、あるいは絶望とも言えるかもしれない。
あやふやで、曖昧で、具体的にハッキリと見えていない、視えてこない――なのに確実に胸の内に燻って、揺蕩っていた疑問。
それが、つい今しがた話していた内容に関係して曖昧なまま口を衝いて出たというところのようだった。
だからこそ、その言葉が何を指したものであったのかは、言われずとも理解できた。
「……おぬしの在り方――いや、Vtuberとして歩む道そのものが間違っていないか、という意味かの?」
《――……ッ》
「いや、無理に答えんでも良い」
ひゅっと鳴った喉の音に気がついて、私は一つ落ち着かせるために「ふむ」と声を漏らす。
大成するのかも分からないVtuberというジャンルで、未来も、進むべき道も手探りで、本当にこの道が正しいのかも分からない。時には立ち止まり、全てを投げ出してしまった方がどれだけ楽なのかと悩んだ事もあっただろう。
それでも進み続けてきたものの、今は少しばかりの停滞を迎えて更に想いと焦りばかりが募っている、といったところなんだろうな。
かつて魔王として魔界を統べると決めた時、私もまたそういう悩みを抱いた事があった。
ゴールの見えない未来へと歩む中で何もかもがうまくいかないような時もあった。
そんな中でほんの僅かな光が見えた気がして、でもそこに向かって歩む最中も、ずっと付き纏い続ける不安と重圧。
間違っていたら、正しくない道であったらと迷いが浮かんでは消え、どうしようもなく足が重くなってしまい、時には膝を屈して、時には背を向けて逃げたくなるような日だってあった。
それでも歩み続け、それがようやく形になってきても決して楽にはならないんだ。
そんな中であっても、自分の選択は正しかったのか、間違っていなかったのか、もっと上手くできたのではないかという悩みは決して消える事はない。
この道を進んで良いものかどうかも分からない。
いつだって道の横から真っ黒な手が這い出てきて、自分のことを捕まえようとしているようだった。
だから、明確な答えが見つからないまま、それでもひたすらに走り続けなきゃいけない。
じゃなきゃ、呑み込まれてしまいそうな気がするから。
――道なき道を進むというのは、そういうことだ。
いつだって不安は付き纏う、迷いもする。
その気持ちは分かる。
誰かに指し示してほしいと、そう願う気持ちも。
だけど……。
「結論から言おうかの。間違っていないかどうかなんぞ、妾は知らぬ」
《――え……?》
「物事の是非なんぞ、見ている者、判断する立場、その時の状況によって如何様にも変化するものじゃ。まして、おぬしの道は計算問題よろしく誰にとっても間違いのない答えが、正しさがそこにあるようなものではなかろう。故に、おぬしの立つ道が間違っていないかどうかなんぞ、妾にも、誰にも分からぬ」
《…………そっか》
明らかな落胆の声。
エフィが私に求めた答えとは全く違う私の答えに、きっとエフィは失望したのだろうと思う。
でも、それを無視して私は続けた。
「己が選び、自ら足を進めた。であれば、その道に正しさはついてくるのではないかと、妾はそう思うておる。たとえそれを誰かに揶揄され、後ろ指を指され、嗤われたのだとしても。あるいは傷ついたとしても、その傷がまた己を成長させ、傷を知ったおかげで選べるものもある。そのおかげで最善を選び取れたのであれば、傷を負う事もまた正しいものであったとも言えるはずじゃ。結局、それらが正しかったか間違っていたか、評価なんぞは常に後付けのものでしかないということじゃ。これは自分自身に対するものであっても、他人からのものであったとしても同様じゃ」
《……そうだね》
「であろう。おっと、もちろん一般常識やら良識やらを踏まえた上であるのなら、ではあるがの。明らかに間違っておるものをふんぞり返ってやっておるのはただの阿呆じゃしの」
《……ふふっ、うん。それはね》
「うむ。まぁそんな大前提に揚げ足を取るようなみみっちい存在は捨て置けば良いとして、じゃ。詰まるところ、自らが進む道、自らが歩む道の正しさは道半ばで分かるものではない。きっとそれは、終わりを迎えた時、振り返った時になって知るものじゃ。己の道がはたして納得できるものであったかどうかで己自身が決めるのであろうよ」
《……終わりを迎えた時、己自身で決める……》
――私が魔王としての生涯を終えた、あの時のように。
それは口にはせず、胸の内で付け加えて言葉を結ぶ。
いつだって私も迷っていたし、付き纏っていた不安。
それがようやく終わって、見返してみて、その結果に納得できるかどうか。
その時に初めて正しいとか間違っていないとか、そういう一つの答えに辿り着いた。
だから、その行き着く先を知る私から言える事は、ただ一つ。
「妾から言えることはただ一つ。正しかったと、間違ったと思わぬためには選び続けるしかないということじゃ」
《……選び続ける?》
「うむ。結局のところ、行くも行かぬも、どこに、何を目指すのかも己次第。評価し、己を認めるのもまた己自身じゃ。正しかったかどうか、そう思えるようになる為に妾たちにできる事と言えば、後悔などせずに受け止める覚悟をして選択し続けることぐらいじゃ」
《覚悟して選択し続ける……》
「うむ。流されるのではなく、常に自ら選んだのだと言えるようにの。時には後悔もするであろうが、流されて選んだものではなく、自ら選んだものであれば納得もできるからの」
《……あー、なるほどね。……はあ。なかなか厳しい事を言ってくれるね、ヴェルちゃんは》
「くはっ、怖気づいたのなら退いても構わんぞ? それもおぬしが覚悟して選ぶ道じゃからの。妾は止めぬぞ?」
《はっ、冗談じゃない。私はまだまだ退かないよ。いいよ、ヴェルちゃん。Vtuberの先駆者として、これからもずっとヴェルちゃんの前で、私が正しいんだって見せ続けてあげるよ》
「くく、言うではないか。ならばせいぜい妾に追い抜かれぬことじゃな、エフィ」
《上等だよ、魔王サマ。……うん、なんていうかスッキリしたよ。ありがと、ヴェルちゃん》
「よいよい、気にするでない。……それにしても、遅いのう、あの二人」
それなりに話し込んでいたし、もしかしたら話題があの二人にはなんとなく触れにくくて入れずに待っていたり、そんな事情があるのかなと思って話題を切り替えてみる。
すると――――
《……あ》
――――聞こえてきたのは、エフィからのなんとも力の抜けたというか、思わず声が漏れたというか、そんな一言だった。
「……? なんじゃ?」
ちらりと『Connect』に目を向けても、まだリオやスーが戻ってきているって事もなさそうだし、特に何かがある訳じゃない。
マイクミュートになってるし、動きもないんだよね。
《……あー……、えっと、ごめんヴェルちゃん……》
…………んん?
「要領を得んのじゃが……何がじゃ?」
いきなり謝罪されたってことは……エフィも実は何か用意し忘れて、急遽取りに行きたいとか、そんな感じなのかな?
《……ごめん、配信開いてた》
…………ん?
「む、待たせてしまったということかの?」
《いや、そうじゃなくて……さっきのヴェルちゃんが話してくれた事とか、全部入ってた、っぽい……》
『二人カッコ良かった』
『止まるんじゃねぇぞ、エフィ!』
『陛下の御言葉集に登録します』
『純粋に感動してたわ』
レイネがささっとタブレットを操作して私に見せてくれたのは、見事にエフィの配信で流れているコメントの数々だった。
「……のう、エフィよ」
《ア、ハイ》
「おぬし、配信何年目じゃ……?」
《ほんっっっっっとごめん!》
配信5年目の大手トップVtuberが、配信5ヶ月程度の私に配信歴を問われるという珍事が『OFA VtuberCUP』の初日に起こったのであった。




