イベント最終日スタート
特大イベント最終日。
朝9時。
この特大イベントのラストデイを飾るライブは10時半からの開演となっていて、私とレイネは先に現場入りという形で現地のスタジオにやって来ていた。
この3日間、同時接続の最大人数は脅威の3桁万人を突破して、102万人。
今日の合同コラボではさらなる混雑が予想される。
そのため配信サイト自体が耐えられず、ラグや遅延、場合によっては配信が停止するなどの事故を起こす可能性も高いため、別サイトでも急遽配信枠を立てることになった。
すでにイベントそのものはジェムプロ、クロクロにとっても大成功であったと言える程の効果が出ており、チャンネル登録者数も一気に広がった。
特に、女性Vtuberしか観ていなかったジェムプロの視聴者層が、クロクロの男性Vtuber等に興味を持ったりという効果もあったようで、クロクロも賑わっている。
『……待って? このイベント中、忙しくて自分のチャンネル登録者数確認してなかったんだけど、これなんのバグ? ぬかよろこびさせて「残念バグでしたー!」ってなったらキレていい?』
『え゛、100万人どころか110万人ってなぁに……? 私の記憶が正しければ、3日前は82万人だったんだけど……?』
『チャンネル登録者数バグった』
『寝よ。これはきっとメイビー夢の中』
クロクロのモノロジーはこんな感じで驚愕の投稿が続いていた。
どうやら今回のイベント効果を全く想定していなかったようで、昨日の夜あたりからこういった内容の投稿が続いている。
まあ、イベントに参加できなかったライバーもいるにはいるんだけど、そちらにも波及するのは時間の問題だろう。
実際、箱の中のライバーを応援していると、そのライバー経由でコラボ相手とかを追いかけるようになったりするものだしね。
じゃないと身内ネタとかについていけなかったりするから。
ちなみに、クロクロもジェムプロも、スタッフの人たちはこの3日間結構忙しくしていたというのに、成功を確信したのかギラギラしているみたいだしね。
多分ボーナスとか出るんじゃないかな、私は別の会社だから知らないけど。
まあ、ウチもこの3日間は一期生メンバー、スタッフも頑張ってくれているし、この辺りは新技術のレンタル、このスタジオの運営が動き始めてから、賞与と給与アップという形で応えていこうとは思う。
そういうところで応えられないような会社に、今後も社員がついてきてくれるはずもないだろうしね。
その辺りについては、すでにレイネにはその旨を相談して、合意をもらっている。
「やあ、ヴェルチェラ・メリシス魔王陛下」
「……鳳社長、お久しぶりです。ヴェルチェラ・メリシスはあくまでもVtuberとしての名前ですので、滝と呼んでください」
声をかけてきたのは、まさかのジェムプロの社長にして元女優の鳳 楓香
《ふうか》さんだ。
かつて新技術の持ち込み、その話し合いの席で顔を合わせて以来、直接こうして顔を合わせる機会はなかったけれど、相変わらず元女優としての美しさ、プロポーションの良さと、パンツスーツ姿がよく似合っている。
「滝はウチにもいるのよね。それに、あなたの場合はモデルそのものが飛び出してきたような神秘さを持ち合わせている。私に言わせてもらえば、どちらかというと和名の方が偽名っぽくすら感じるというのが本音よ」
……まあ、前世の本名だし、この容姿だからね。
分からなくはないかな。
「それに、彼はあなたと会うの初めてでしょう? 紹介も兼ねているのよ」
「彼?」
そう言われて、鳳社長の斜め後ろに立っていた男性に顔を向けると、その男性は名刺を取り出してからこちらに一歩近づいてきた。
「お初にお目にかかります。クロクロを運営している、株式会社VIVIDの代表をしております、赤石と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
そんな言葉を投げかけながら名刺を渡してくる男性。
30代後半から40代前半といったところか。
こちらもレイネに渡された名刺を手渡し、ビジネス的な名刺交換――ぶっちゃけ私には不慣れ過ぎるけど――をお互いに済ませたところで、赤石さんが改めてこちらを見つめた。
「いや、しかし驚きました。配信でも拝見していましたが、実物はまさにモデルそのもの。こんなにも美しいとは」
「ただの小娘相手に、お上手ですね」
「いえいえ、ただの小娘だなんて、そんな。正直に申し上げて、御社の技術力、それに発想というものには脱帽しております」
「ありがとうございます。クロクロを運営している会社、それもその代表である赤石さんにそう言われると、自信になります」
……うん、めんどくさい。
ぶっちゃけ私、こういう対外的なやり取りってホント苦手なんだよね。
ビジネス研修的なことはレイネにも教わったけれど、レイネは「凛音お嬢様はいつも通りで問題ございません」とか雑に言われちゃったし。
そんな事を考えていると、レイネが鳳さんにアイコンタクトでも送ったのか、鳳さんが改めて口を開いた。
「急にごめんなさいね。実は彼、どうしても御礼が言いたかったみたいなのよ」
「御礼、ですか?」
「はい。我々クロクロは、ジェムプロさんのようにアイドル方面での売り出しや方向性というものがハッキリとしないまま、エンターテイメントの新たな形を提供していく事業として運営を開始していました。そのため、正直に言えば統一感がなく、伸び悩んでいる部分があったのですよ」
「そんな事はないかと思いますが……」
「いえ、実際にジェムプロさんとの差は広がっていたと言えるでしょう。クロクロのライバーの皆さんは、それぞれに特色もタイプもバラバラです。そのため、視聴者の方々も「この箱はこういう箱」という安心感を得られていないため、どうしても新人は伸びにくい傾向にあります。実際、その流れはここ1、2年は顕著でした」
そういうものなのかな。
私としては、むしろびっくり箱のようなもので、どんな新人が出てくるか純粋に楽しみにしてたりするんだけど。
「そんな中で今回の特大イベントに参加できたのは、非常に大きいことだと感じていまして。是非、今後も積極的に様々な箱と、この技術を利用して売り出していければと考えています」
「そうですか……、ありがとうございます。こちらも協力できる範囲では協力いたしますので、何か大きな催しの企画などがある際などは、是非ご相談ください」
「ありがとうございます! おっと、失礼。それでは、私はこれで失礼します」
何やら慌ただしくスマホを取り出し、電話をしながら足早に去っていく。
なんというか、嵐のような人だ。
そんな事を思いつつ背中を見送っていると、鳳さんがくすくすと笑って肩を揺らしていた。
「相変わらず忙しないわね」
「面識があったんですね」
「えぇ、もちろん。この業界の先駆者として活動を広めていくために、お互いに意見の交流会なんかもやっていたのよ。もっとも、最近はお互いに忙しくて時間が取れなかったけれど……相変わらずね、彼は。これから海外に行くらしいのだけれど、わざわざ一言御礼を言うために立ち寄ったらしいわ」
「そこまでしなくても……」
「えぇ、そうね。私もそう思うわ。でも、それが彼なのよ。ただ、社長が積極的に動きすぎるせいで、そこに寄生虫のように引っ付いているだけで、むしろ悪影響を生み出しているような人材もいるみたい。色々大変みたいよ」
あー……まあ、いるよね、そういう人も。
トップや上の人間が動き回り、動きすぎた結果、与えられるものだけに対応して、恩恵ばかりを享受するような存在っていうのは一定数存在する。
実際、前世でもそういう存在はいたからね。
ただまあ、魔界は実力社会だから、そういう存在はあっさりと淘汰されていた訳ではあるけれど、この世界ではそうもいかないだろうし。
当然、腕っぷしだけじゃなくて仕事の能力における実力主義だからね。
年功序列なんてものもないし、もちろん身分差別も有り得ない。
縁故採用なんてやろうものなら、それをやろうとするような存在もろとも職を失うような世界だ。
だから、自分の得手不得手や実力、傾けられる情熱をしっかりと見極めるための時間は長い。
お金のために、生きるために仕事をするって感じでもなかったからね。
生きるためなら物々交換でも充分に生きられた訳だし。
「それじゃ、私もスタッフたちに声をかけて色々とやる事があるから、これで失礼するわね。今度、ディナーでも奢らせてちょうだい」
「その時は是非、母にも声をかけてください」
「えぇ、もちろん。それじゃあね」
颯爽と去っていく鳳さんを見送って、私は一つため息を吐いた。
「私もあんな風に忙しくなったりするのかな?」
「いえ、それはありません」
「え?」
「あれらは本人が好きでやっていること、なのでしょう。本来であれば、あそこまで成熟した組織であれば、それこそ以前の陛下がそうであったように、そのトップとなった存在がやることは方針の決定、下から上がってくる報告の数々に目を通しながら、対策を打つべきかどうかの会議などになってきます。ああして現場に足を運んだり、忙しなく動き回るのが好きなタイプだからこそ、自分で色々動いているのかと」
「……あー、そりゃそうだよね。単純にあの人たちが現場が好きなタイプだからって感じか」
実際、私は魔王時代にはほぼ缶詰だったり、他国の賓客の対応だったりっていうぐらいだったもんね。
社員がいて、組織が回っているのであれば、そのトップが動かなくてはならないことは実務以外のところに比重が傾くからね。
ただまあ、この世界の場合、今後はそもそも「仕事」という存在の仕組みから変わっていく事になりそうだな、なんて思う。
AIがもう少しでも発展すれば、人間は多くの仕事を失う。
特に専門家と呼ばれるような、知見や知識を売りにしているような職業は、AIという集合知識がインターネットを利用して事例を調べたりできるようになれば、まず敵わなくなるだろう。
物流や販売も、AI技術を利用したオートパイロット運転、自動運転も増えてくれば、今後は自宅で全て完結するようにもなったりするだろうし。
人間にできるのは、きっと創出することぐらいだ。
新しいアイデア、既存のものにはないものを生み出していくという事ぐらいになりそうな気がする。
そうなった時、娯楽っていうのは生き残るだろうなと思う。
そこまで人類が進むのに、果たしてあと何十年かかるのかは分からないけれど。
ちょっと未来が楽しみだ。
そんな事を考えてレイネとお喋りしている内に、ついに特大イベントの最終日が幕を開けた。




