イベント前夜
冬休みに入ってすぐに大規模イベントは始まる。
イベント前日。
ジェムプロ、クロクロもギリギリまでラストリハーサルを行ったり、ちょっとしたアイデアでの修正を入れたりと頑張っていたけれど、最終日前日という事で軽めのリハーサルをするぐらいで、タレント陣営はほぼ全員がお休みだ。
最終の機材チェックなどを済ませるウチのスタッフとそれぞれの会社のスタッフ達も、ここまでしっかりとリハーサルができたおかげか、イベントを前日に控えてはいるけれど空気もだいぶ落ち着いてきているようだった。
「正直、準備期間の方が大変なのよね。裏方だと特にね」
「あー、そっかぁ。まあそうだよね」
貸しスタジオの敷地内、外に置かれている自動販売機の隣にあるベンチに腰掛けて、ユズ姉さんとそんな話をする。
ユズ姉さんはジェムプロのスタッフ達の大親分みたいなポジションにいるせいか、現場でバタバタとは動かなかったけれど、並行して進む商談だったりプロモーションだったりの企画会議だったり、何しろずっと忙しく動き回っていた。
複数のプロジェクトを抱える形で対応を続けていた中で、大きな直近のイベント――つまりウチのイベント準備が終わったことで、ようやく肩の荷が下りたというか、ちょっとした余裕が生まれたみたいだ。
「そういえば、姉さんから聞いたわよ」
「ん?」
「大学行かずにこのまま会社の仕事を優先するんでしょう?」
「あー、うん。そうだね」
「はあ。姉さんもそうだったけれど、あなたもそんなに急いで大人にならなくたっていいのよ?」
「私は大学に通って勉強したい事もないからね。いつか何かを学びたいって思ったら、その時にまた考えるよ」
「……そうね。自分で決めているんだったら別にいいわ」
「うん。いつも心配してくれてありがとうね」
「バカ。家族なんだから当然でしょ。持ちつ持たれつでいいのよ」
「へへ、そだね」
前世の記憶を取り戻す前から、ユズ姉さんには色々と心配させてしまったり、迷惑をかけてしまったりもした。
肌の色、髪の色、瞳の色。
そういうものが、この島国では酷く浮いて見えていて、明らかに周りとは〝違うもの〟を見るような目を向けられてきたから。
そういう目を向けられても、そこにきっと敵意とか害意とか、そういうものはないんだと思う。
ただ気になって見てしまう、というようなものなのだろうと、今ならば判る。
けれど、昔の私はそんなことにさえ気付けず過剰に捉えてしまっていたから、全てを覆い隠すように過ごしていた。
でもまあ、魔法が使えなくたって、今みたいに視野を広げる事さえできたのなら、そんな自分を受け入れられるし、むしろ特別感を演出しなくても特別に見えるなら、それはちょっとした武器とも言える。
ほら、ラノベのヒロインとかって髪の色とか目の色とか幻想的だし。
そんな特別な存在みたいな見た目をしてるって考えれば、悪くはないかもしれないじゃん。
まあ、そういう系に興味がない人には共感できないかもだけどね。
いっそ私だって、前世の記憶を取り戻す前から堂々と中二病系に振り切ってしまえば楽しめたかもしれないのにね。
いや、そうだったら前世の記憶を取り戻した結果、早速魔法使っておかしな真似とかしてたかもしれないけど。
……魔法を使えると理解して、いきなり悪魔召喚とかやってたり、星を降らせるとかやり始めてたら、あっという間にこの世界でも魔王確定じゃん。
「どうしたの?」
「……私、中二病重症になってなくて良かったなって。世界的に」
「は?」
「あ、うん。なんでもないです、ハイ」
手に持ったホットココアを飲んで、ベンチの背もたれに背中を預けて白い息を吐きながら空を見上げる。
冬、山の中という事も相まって、周りの光源が少ないおかげで星が結構きれいに見えた。
「明日からのイベント、そっちはどうなの?」
「ウチの面々は緊張してるみたいだよ。さすがにまだまだジェムプロとかクロクロみたいな面々に比べると、経験が足りてないからね」
「まあそれはそうでしょうね」
「実際のところ、視聴者数ってスタートからどれぐらいいくと思う?」
「オープニングセレモニー時点で20万人ぐらいはいくんじゃないかしら」
「……多くない?」
「少なく見積もった最低ラインで、の話よ」
「……え?」
20万人がライブ観戦するって、何それ、ワールドカップとかオリンピックとかじゃあるまいし。
そんな事を考えていた私に告げられた言葉に、思わずユズ姉さんに顔を向けてみれば、ユズ姉さんは遠い目をして続けた。
「クロクロとジェムプロの合同イベントっていうだけでもその数字は不思議じゃない数字よ。そこにさらに新技術、新スタジオだもの。注目度で言えば、V視聴者だけじゃなくて各メディアなんかも注目していただけあって、かなり高いでしょうね」
「メディア?」
「――我々にも雑誌、テレビなどのメディアによる取材依頼はきていましたよ」
「きゃっ!?」
横から出てきたレイネにユズ姉さんがびくりと身体を震わせた。
私はレイネの魔力に気が付いていたから、近づいてきているのは分かっていたんだけれどね。
レイネ、普通に気配を消してるからね。
魔力を探っていたりしない限り、まったくもって判らないし。
「レイネ、お疲れさま。そっちは終わったの?」
「はい。問題ございませんでしたので、本日の最終チェックも無事に」
「そっか。遅くまでご苦労さま。――それで、取材依頼なんてきてたの?」
「はい。ですが全てお断りさせていただいております」
未だに驚いた様子で心臓を抑えているユズ姉さんの隣にしれっと佇んだレイネが、さも当たり前のように断言してみれば、ユズ姉さんが深く深呼吸してレイネに顔を向けた。
「せっかくのチャンスだったのに、良かったの?」
「雑誌、テレビといったメディアは面白おかしく脚色される可能性もありますし、一度我々が受けてしまうと前例ができたとばかりに次々と依頼が舞い込む可能性が高いです。そもそも我々はインターネットを通して宣伝しておりますので、今さら雑誌だのテレビだのに露出する理由もございません」
「そうは言っても、そういったメディアに露出すれば新しい層を開拓することに繋がるんじゃないかしら?」
「正直に申し上げて、特に新しい層への開拓を急いでいる訳ではございませんので。まして、そういった要素で言えば今回のようにクロクロ、ジェムプロという二大巨塔とも言える事務所が参戦し、新技術と新スタジオを利用している時点で、話題性という意味では充分ですから」
「……ま、それもそうなのよね……。間接的に新技術とスタジオの宣伝にも充分なるのは間違いないでしょうし」
うん、ユズ姉さんの言っていることも分かるんだけれど、私たちの場合、新たな視聴者層を開拓するという目的は今のところ特にないからね。
それに、実際テレビやら雑誌に出てしまわない方が気楽と言えば気楽なのだ。
元々私も歯に衣着せぬ物言いというものを好んでしまうし、それが配信中――つまり、ヴェルチェラ・メリシスという前世の魔王モードでいると、火に油どころかガソリンをぶち撒けて燃やし尽くすレベルで色々言っちゃうもの。
テレビだったらカットされるだろうし、生放送なんて出たら慌ててCMに入るような状況がたくさん生まれそう。
そういう意味で、芸能人の大御所がどうとか、建前がどうとかで話さなきゃいけないような場に、魔王ヴェルチェラ・メリシスが登場するのは色々な意味でよろしくない。
自重しろと言われても自重できる自信もなし。
「――さて、それじゃ帰るってスタッフたちに伝えてくるわね」
「うん、待ってるね」
車でここに来るという話だったユズ姉さんだけど、今日は私の転移魔法送迎である。
表向きはタクシーを呼んでいるという事にしているけど。
そんな訳で、スタッフの人達に先に上がるという挨拶をしに行ったユズ姉さんを見送ると、レイネがこちらを見つめて小さく微笑んだ。
「いよいよ始まりますね」
「うん、ついに明日だね。私たちのこの一年の集大成、だね」
ようやくだ。
私たちの会社にとっても、そしてVtuber業界にとっても凄まじく大きな影響を生み出す特大イベントが、ついに始まろうとしている――――。




