神使のいげんっ
ホブゴブリンを相手にへたり込んでしまった神楽先輩の姿を見て、私とレイネは思わず目を見合わせ、首を傾げた。
正直言うと、私としてもホブゴブリンぐらいあっさりと倒せるものだと思っていたし、レイネもそうだったと思う。
《――あの、あのあの、陛下? さ、さすがに大鬼の亜種は無理だと思いまする……》
耳につけているイヤホンマイクから聞こえてきた、ロココちゃんの声。
グループでの通話となっているので、私だけではなくレイネにもその声は聞こえていたようで、またまたお互いに目を合わせてしまう。
……なんぞ、それ??
「えっと、ロココちゃん。その大鬼の亜種って?」
《今の大妖でございまする! あちらの御三方が相手にしている餓鬼ならともかく、さすがにあのような存在の相手は、今の時代の神秘の力では相手取るのは難しいかと……》
「……そう、なんだ……」
えぇ……っと、餓鬼っていうのがゴブリンで、ホブゴブリンさんが大鬼の亜種であり、大妖である、と。
ホブゴブリンって私やレイネの生きていた世界だと、人間が初心者卒業レベルで相手にするような魔物なんだけど……。
さらに言えば、私達のような魔族であった場合、多少の魔力さえあれば子供でも倒せるクラスだったりするし。
《ちなみに、過去に神秘が強かった時代ならば、勝つことはできたのですか?》
《むむむ……、陰陽寮の者であれば充分に勝機はあると思いまする。あ、ちなみに陰陽寮というのは神秘の使い手として魔を祓っていた陰陽師たちが所属していた、神秘の研究機関であり、対魔戦闘に特化した者たちにございますれば!》
「……ありがとう、ロココちゃん。なんとなく実力が見えたかも」
要するに、人間の初心者魔法使いの集まり、みたいなものなのかな。
その中に突出した力を持った者ならば勝てて、そうでなければ勝機がある、というところかな。
まあ、この世界の神秘が私たちのいた世界に比べて脆弱というか、密度が薄いというか、そういう性質である事には気が付いていたけれど……なるほど、そもそも基準が違うのかもしれない。
私とかレイネ、それに魔王軍の上位層なら魔法一つで一息に山を平らにする事ぐらいは容易かったし、呪いとかそういう類を得意とする者なら、国をあっさりと潰せるぐらいの実力がある存在はそれなりに多かった。
けれどそれは、人間側にも英雄と呼ばれるような、対抗できるだけの戦力がいたとしても、という想定だ。
正直、そこまでの実力の存在がいないなら、魔族の中でも中位に位置するような者であっても、充分に国を叩き潰すような実力を持っていた。
それに比べて、この世界は〝未成熟なまま神秘が廃れてしまった〟というところなのだろう。
そしてそれが許される程度には平和だった。
人間しかいない世界で、手を取り合うことなく人間同士が争い合っていられる程度に。
「すみません、神楽先輩。もうちょっと弱いのからいきますね」
「……は、はぃ」
なんかプライドというかなんというか、そういうものがへし折れてしまった気がするけれど、気のせいだよね。
とりあえずランクが低く、けれどゴブリンよりも厄介な魔物という事で、狼系の魔物のペアにしておこうか。
レイネに合図を送ると、神楽先輩のいるその横の通路から、四足歩行の生物特有の足音が聞こえてきて、その姿を現した。
「――っ、いけッ!」
今度はへたり込む事もなく、神楽先輩が長方形の千円札程度の大きさの紙――いわゆる符のようなものを投げ飛ばした。
薄っすらと〝力〟が込められたそれは、回転したり折れたりすることもなく真っ直ぐと飛んで、狼たちの頭上を陣取るべく、真っ直ぐ飛んでいく。
――けど、それは悪手かなぁ。
「な……っ!?」
狼たちはそれらを素直に見送り、何が起きるかを観察するような真似はしない。
この世界で言うところの霊力という〝力〟が込められている事を察知するし、目視できてしまい、かつ避けられる速度のものなんて、脅威にはならない。
実際、狼たちは左右に大きく開いて駆け出し、符を避けてみせる。
当たり前と言えば当たり前の動きだけれど、神楽先輩にとっては意外だったらしい。
慌てて符に命令を追加するように指を振って操るけれど、それより先に狼の片方がもう片方と交差するように走り出し、相方を狙っていた符の射程圏内にわざと飛び込み、即座に離脱する。
攻撃に転じるべきか迷ったらしい神楽先輩だけれど、すでに自由になった方の狼が神楽先輩の首を狙うように飛びかかっている。
その鋭い牙を見せ、固まってしまった神楽先輩の目の前でぼふんと煙になって消えた。
「……ダメそうだね」
《……弱すぎでございまする……》
「でも、力の動きは見えた。ロココちゃんはどう?」
《バッチリ、でございまする!》
レイネにも確認しようかとちらりと目を向けたけれど、レイネは小さく頷いてからそのままトモたちの方にゴブリンを出してあげていて、神楽先輩については特に相手にするつもりもなさそう。
まあ、家の付き合いがどうのって相手みたいだしね。
レイネがあまり気楽に話しかけるのも難しいのかもしれない。
さすがにレイネが転生してからすぐに記憶を取り戻していたからって、人間を見下して冷たい対応をしていた、なんて事もないだろうし。
……ない、よね?
さすがに隠していたよね、多分。
ちょっとした不安を胸に神楽先輩へと近づいていくと、神楽先輩はしゃがみ込んだまま力なく項垂れていた。
「うぅ……、あんなに頭を使ってくるなんて……」
「まあ、隠蔽も施さずに分かりやすく攻撃してれば、そりゃ狼たちだって避けるよ」
「そんなぁ……」
「でもまあ、収穫がなかった訳じゃないから、気にしないで」
「へ?」
「――ロココちゃん、出てきていいよ」
「はいっ」
ぼふん、と煙を出してからその中に出てきた狐面を被ったロココちゃん。
最近は狐面を外して配信とかしているのだけれど、何故か今日はもったいぶってお面を装着している。
何に影響されたのかは知らないけど、多分アニメとかそういうのに影響されていると思う。
正装――という名の巫女服を身に纏ったロココちゃんが姿を見せると、同時に神楽先輩が慌てた様子で綺麗に土下座をするかのように伏してみせた。
「――頭をあげるのでございまする。わたくしめは神様の御使い、〝神使〟に過ぎませぬ」
「っ、な、ならば尚更! そ、そのような御方の前で頭を上げるなど滅相もございません……っ!」
私とレイネ、滅相もない相手の真横で普通に突っ立っている件。
さらに言えば向こうではトモたちがゴブリンたち相手にキャーキャー言いながら戦っているんだけどね。
それとロココちゃん、ちらちらこっち見ないの。
お面越しに感じられる「どうでございますか!? これが神使でございますればっ!」みたいなドヤ顔感満載の感じ、ちょっと引っ込めなさい。
あ、レイネがじろりとロココちゃんに目を向けると同時に、ロココちゃんが震えた。
この子、いつまで経っても同じ事するなぁ……。
「んん……っ! さあ、立つのでございまする、神楽の娘。そなたの中にある誤った術式の解析と改善を施すために、確認させてほしいのでございまする」
「……え?」
恐る恐るという様子で顔をあげた神楽先輩が目を丸くする。
……そういえば私、神楽さんにはまだ何も伝えてないからなぁ。
いきなり、しかも〝神使〟として敬っているらしい相手にそんな事を言われれば、そりゃあビックリもするよね。
「ぬ? 気付いていなかったのです? 神楽の娘、そなたの中にある誤った術式はさっさと消し去るか修復しないと、命を削って死に至るでございまするよ?」
「……へ」
「ロココちゃん、いきなりその辺りまで伝えると困惑するでしょ」
「そうでございますか? 神秘の使い手、術者であるのなら、それぐらいは理解していて然るべきかと。まさか、その程度の事も理解していないのでございまする……? いやいや、そんな事はあるはずないでございまする。……あぇ? なんでまた頭を下げているのでございますか? 立つように言っているでございましょう!」
……ロココちゃん、天然でぐさぐさ刺していくね。
呆然としている神楽先輩が、見えない槍でざっくりと心を貫かれている光景が見えるようだよ。
そんな現実にはまったく気付こうともしないロココちゃんのせいで、立ち上がった神楽先輩、もうなんか真っ白になりかけてるし。
「ふむ、ふむむ……。なんというか……素人が術に手を出したような有り様でございまする……」
「……しろうと……」
「失伝してしまったのであれば、普通は無理に術を施そうとはしないのでございますれば。となると、もしや〝家〟に刻んでいる術式のせいで調整もされずに施された……? むむむ、でもそんな愚かな事態はそうそう起こり得ないはず……」
「……おろか……」
「むんっ、この程度ならばすぐに直りそうでございます! 陛下、やってしまってもよろしいのでございますか?」
「……うん、やってあげて。あと、もうちょっとオブラートに包んであげるといいかもね」
「はぇ? 何がでございまする?」
「……なんでもない」
やっぱりロココちゃん、自覚ないんだね。
まあ、配信でもこういう節が視聴者から愛されている訳だし、いいんだけどね……。
「む? ほら、神楽の娘! しっかり背筋を伸ばし、霊力を巡らせるのでございます! 何をだらけているのでございまするか!」
「へ!? ご、ごめんなさい!?」
……肩を落として項垂れている姿が、だらけられている判定をされるなんて。
なんか神楽先輩、不憫だなぁ。
一応芸能人として大人気なのにね。




