【配信】リリシア・ハート――柚月 玲愛―― Ⅰ
『待機』
『期待』
『一期生ここかー』
『待機もうすぐ1万なんだがw』
『陛下のトコだけあって期待度高いなw』
流れるコメントの数々を見つめながら、私――柚月 玲愛――は深く深呼吸する。
走馬灯のように頭の中を駆け抜けていく、今日までの挫折と苦労の日々。
それらは決して明るいばかりの過去なんかじゃ、なかった。
どれだけ頑張っても、まるで出口の見えない長いトンネルの中を歩き続けているような。
あるいは、深い水の中、どれだけ藻掻いても水面を揺らめく光が見えないままでいるような、そんな日々だったと思う。
大人の事情で選ばれず、大人の事情で終わった私のアイドル人生。
私の気持ちとか、頑張りとか。
そういう一切合切なんて、まるで見ようとせずに。
そんな現実と、夢が零れ落ちてしまった事に落ち込む私に対して、また違う大人が言う。
――「まだたった5年程度だろう」、と。
きっと悪気なんてなくて、あの人達にとっては1年という時間は酷く短い、単調な日々でしかないからこそ出てきた言葉なのかもしれない。
でも、私にとっては違う。
まだまだ短い人生の、若輩者風情かもしれないけれど、それでも私にとっては人生を、命を捧げて続けてきた活動の日々。
軽々しく否定されたくない。
簡単に、諦められるようなものじゃないし、何よりそうやって軽いもののように見られるのが、どうしようもなく悔しい。
なのに――そんな想いとは裏腹に、心はぐらぐらと揺れてしまっていて、折れかけていた。
それでも諦めきれなくて、でも、もう一度立ち上がるのが怖くて、蹲ってしまった私の心を掬い上げてくれたのが、私の視線の先、カメラを構えてくれているレイネさんと、その斜め後方で椅子に腰掛け、足を組んでいる我らが陛下だった。
私の歌声を録音したデータを聴いて、わざわざ私に直接声をかけてくれたレイネさん。
彼女が私を見つけてくれて、陛下が認めてくれた。
だから私は、今日この場にいる。
……えっと、うん。
さすがに、本当に魔法が使えちゃうとか、まさか私がアニメみたいに魔法を使えるようになるなんて思ってはいなかったけど、さ……。
いや、さすがに、ね?
アイドルを目指していたのは確かだけれど、まさか魔法とか……ね。
――――んんっ、と、ともかく!
今日この日、あと数分で、新たな自分として……夢魔のリリシア・ハートとして生まれ変わる。
その瞬間が、刻一刻と近づいてきている。
『シルエットじゃなんも分からんのよな』
『コウモリっぽい翼みたいなのあるし、悪魔系と予想』
『んなもんとっくにあっちこっちで言われてるんだよなぁ』
『まあどう見ても悪魔っぽいのは確かだからな』
アイドルとして活動していた時、メイングループの動画を投稿したりなんて事はあったけど、その時は頑張っても3桁に届くかどうかという再生数が限界だった。
なのに今、その百倍近い人間が私の配信を前に、こうしてコメントしてくれていて、注目してくれている。
個人勢Vtuber、ヴェルチェラ・メリシス。
陛下の活躍によって切り拓かれてきたその道に立っているからこそ、ここまで注目されているんだって事は重々承知している。
そんな場所に私が立ってしまっていいのかという不安。
それと同時に、まだまだ私の実力は何も示せていないのに、ここまで注目されているんだっていう申し訳なさと……私では掴めなかった輝きを見せつけられているような、そんなちょっとした悔しさみたいなものが胸の内に燻っている気がする。
ワガママで、自分勝手な感情。
そんな気持ちを抱くべきじゃないと分かっているのに……消えてくれない小さなシミみたいなそれを消し去りたくて、胸元できゅっと手を握り締める。
「――リリシア・ハートよ」
不意にかけられた声に顔をあげると、私の名を呼んだ陛下が、口角をあげた。
「見せつけてみせよ、リリシア・ハート。レイネと妾が見つけた、お主の輝きを。お主の溢れんばかりの才能を。確かに、妾の活躍が、レイネの尽力が舞台を整えたのは紛れもない事実であろう。しかし、これから集まった者達を魅了し、惹き付け、虜にするのは妾でもレイネでもない、お主じゃ」
「……っ」
「臆するな、リリシア・ハート。貴様は、妾が知る限りでは最高の歌姫じゃ」
「――ッ、はいっ!」
――あぁ、この人は……ズルいよ。
心を真っ直ぐ見抜いてきて、それでいて堂々と言い放ってみせるものだから、どうにも不思議な説得力があって。
一瞬、鎌首をもたげた不安や暗い感情が、彼女の――陛下の一言で、あっという間に霧散して、私の中から消えていった。
そんな事を感じながら我に返ると、すでに時は訪れていた。
ふわふわと浮かんでいたタブレットを見れば、すでにオープニング映像が始まっていた。
暗転した暗い世界。
そんな中、踵を踏み鳴らしながら進む、何者かの影。
そこは、ステージの舞台裏。
スタッフと思しき人達が機械の前に座っていたり、慌ただしく歩きながら、カメラに向かって会釈をして通り過ぎ、カメラもまた上下して、カメラが誰かの視点である事を物語る。
『はじまた!』
『え、ちょ、なに?』
『ん? ステージ裏とかそんな感じ?』
『スタッフゥー』
『ンン、これはアニメーションですンねっ! でなければ有り得ないンですゥっ!』
『どっかの現実逃避教授もどきおるやんけw』
流れるコメントの数々にくすりとしてしまう。
このシーンは実際に〝新技術〟を用いて撮影したもの。
この撮影の為に、スタッフの人たちにも本番さながらに動いてもらったんだよね。
さすがにステージそのものまではまだできていなくて使えないけれど、こういう裏側部分だけなら誤魔化しも効くからって言われて。
そんな事を思い返している家に、映像の中の私が舞台袖からステージに姿を現して。
それと同時に、私もキュー出しされてゆっくりとスタンドマイクに向かって歩いていく。
『きた!』
『小悪魔系カワイイやったー!』
『ステージの上?』
『ライブ風な感じでやるのかな?』
『おうたくるー?』
もう、私の目にはコメントは映らないけれど……今更、迷うつもりなんてない。
ゆっくりと深呼吸して、そして――歌う。
蒼穹に向けて、遠い空の向こうへと届かせるイメージで、最初の高音を響かせる。
『え』
『やば』
『鳥肌』
『すご』
『きれい』
『プロじゃんこんなん』
『やば、なんかもう泣きそう』
こうして、私の初配信は始まった――――。




