騒動の終わり
「貴様が何を以て、何を思って『上級国民』ぶっておるのかは知らぬ。そんなものは妄想……いや、その歳になってまでそれでは、もはや妄執と言った方が正しいであろうな」
「な……ッ! 貴様――!」
「――黙れ。虫酸が走る」
「が……っ、ぐぅ……!」
魔力を込めた圧力、再び。
いや、さっきもそうやって苦しい思いをしたんだから、相手が普通じゃないって事ぐらい理解しなよ、とは思う。
どう考えたって下手に怒らせるべきじゃないって気がつくと思うんだけど。
……もしかして、自分ならまだ助かる、みたいな根拠のない自信でもあるのかな?
近くに人の気配なんて皆無だし、こちらを監視しているような人間もいない。
認識阻害の魔法を発動しているから、誰も気付けないと思うけど。
……ま、いいや。
中二病の老害だもの、常識が通用するとは思えないし。
「国会議員などという立場ならば、なるほど、確かにお偉いさんであろうな。しかし、それは『立場』が偉いのであって、貴様自身が偉くなった訳ではない。権力というものを履き違えてしまう存在は往々にして現れるものじゃが、その最たる例が貴様のような愚物じゃよ」
「……わ、私は、選挙で……! ――ぎいぃぃあああぁぁぁぁッ!」
ぴっと人差し指を向けて、その先に浮かべた手のひらサイズの赤い魔法陣。
その先から赤黒い色をした炎が収束されて放たれ、大河内が地面についていた手のひらを貫いた。
「黙れ、と。さっきからそう言っておるのじゃ」
耳を劈くような叫び声が、廃工場の中に響き渡る中で淡々と告げて、無理やりに空間魔法を用いて口を閉じさせる。
大きく開かれた血走った目からは涙が零れ、強引に閉じられた口の代わりに鼻で荒々しく呼吸をしながら虚空を睨みつける。手負いの獣が唸るような籠もった声が漏れる中で、改めて私は続けた。
「選挙で選ばれた、とでも言おうとしたようじゃが、それは違うのう。ん? そうであろう? 貴様の記憶を覗けばよく分かる。貴様は『選挙に勝った』のではなく、『票を買った』だけ。まして、それを実際に行ってみせたのも貴様ではない、貴様の後ろ盾であろう」
レイネから共有された大河内というこの男の記憶を見れば、どれだけこの国の選挙が形骸化したものであるか、よくよく理解できる。
最大与党の後ろ盾。
親の七光りもあって、世間一般で言うところのエリート街道を歩んできたこの男は、党にとっても担ぎ上げるにはちょうど良かった、というところらしい。
様々な事業で癒着している支援者たちに党の幹部がわざわざ声をかけ、一言かける。それだけで、「これを断ればどうなるか分かっているのか」と釘を刺せるのだ。ただ、その言葉に従ってさえいれば甘い蜜を吸えるから。
けれど、そこに違法性はない。
だって、彼ら彼女らは「実際に何もしていない」、「ただ、〝善意〟で〝応援〟しただけ」と言えてしまうのだから。
どうにもこの国は、そうやって忖度する社会が形成されてしまっているらしい。
――政治になんて興味はない。
――平和に、暮らしやすくさえあってくれるならそれでいい。
多くの国民がそう思っているだろうし、そう願っているだろう。
実際のところ、私も前世を思い出す前は政治なんてものは完全に別世界の出来事でしかなかったし、自分が携わらないものだと思っていたもの。
この国は世界的に見ても暮らしやすい平和な国だとは思う。
平和な時代に生まれ、生きてきた子供でしかなかった私自身、それは当たり前のものとして受け入れてきた。
戦争や紛争は遠い世界の出来事。
テレビやネットでは、興味のない芸能人のスキャンダルばかり。
これを平和と言わずになんと言うのやら。
政治にしてもそうだ。
やれ誰々の汚職やら問題行動やらが報道され、また辞職して、また知らない議員が出てきて大臣になって、それでも特に生活には影響もないものだから、問題なく回っているように見えてしまう。
だから、私のような若い世代は政治や政治家に対して最初から特に期待もしないし、失望も何もない。遠いところで「なんかやってる」ぐらいの認識しか持てる訳もないし、持つ意味もないのだから。
実際のところ、政治家なんてものの立場から見れば、その方が都合もいいのかもしれない。
だって、あまり若い世代が政治に興味を持ち始めると、今の政治家が懇意にしている相手からの票だけじゃ結果をコントロールできないだろうし。
とまあ、つらつらと推測や憶測を並べてみたものの、知った事ではないけどね。
前世を思い出して、裏側を知ったからと言って、「じゃあ魔王の力を使って今の国の体制を壊そう」とは思わないし。
「上級国民だのなんだの、貴様が年甲斐もなく中二病を患っているのはドン引きじゃが、まぁそんな事はどうでも良い。この国の政治についても同様にのう。まあ、かと言ってくだらぬ戦火を撒き散らしたりというものなら、場合によっては滅ぼすやもしれんが、そんな事は今は関係ない」
立ち上がり、見下ろす。
未だに手のひらを貫かれた痛みに震え、荒々しく息をしつつもこちらを見上げた大河内の表情が、痛みに苦しむそれから恐怖に染まるようなものへと変わっていくのが見て取れた。
私は今、きっと、酷く冷たく、無感情に目を向けている事だろう。
かつて魔王として、〝敵〟を見ていた時と同じように。
「――妾の身内に手を出した時点で、貴様らは〝敵〟じゃ。かつての頃より、妾は〝敵〟は全て消すと決めておる」
手のひらを上に向ける形で、くいっと人差し指を動かす。
大河内の身体がゆっくりと空中に吊り上げられるように浮かんでいき、じたばたと暴れて逃げ出そうとしているのか、溺れたように藻掻いているけれど、そんな事をしても無駄。
最後の最後に、無理やり固定して塞いでいた口を開かせた。
「――あ、ああぁ……ッ! た、助けてくれッ! 私が悪かった! もう、もう二度と手を出さないと誓う!」
「知ったことか。貴様はすでに手を出した。その行いは消えぬ」
「ひ……ッ! た、頼む! お願いだ! そ、そうだ、金なら払う! 周りが手を出さぬよう、手も回す! わ、私ならそれができる!」
「金なんぞで妾を買おうとしても無駄じゃ。手を出さぬよう手を回すのも、不要じゃな。そのような愚物は、これから貴様が味わうように、後悔の中で苦しみ、狂いながら死んでいくだけのこと。末路は変わらぬ」
「あ、そ、んな……っ。ま、まて、ちがう、待ってくれ!」
「吐いた唾は呑めぬということじゃ。そら、喜べ。どうしようもない貴様のような愚物が、一つばかり賢くなってから死ねるのじゃ。せいぜい苦しみながら、その魂に今生の愚かさを刻み付けながら逝け」
「す……、すみませんでした! 許して、許してくださいいぃぃっ!」
「断る。――仕舞いじゃ」
手を翳して、魔法陣を顕現させる。
赤黒い光を放った幾何学的模様が、大河内の目の前を埋め尽くすように明滅し、その中心にどろりと粘性のある液体のような何かを生み出した。
そこから垂れ落ちる水滴が、じゅっと熱せられた鉄の上に落ちた水滴を一瞬で蒸発させるような音を立てて、地面に穴を空ける。
ずるりと這い出るように膨張していくその本体の造形が、徐々に鮮明なものになっていく。
それは赤黒い液体でできた骸骨とでも言うような代物だった。
口を大きく開いたような顔を大河内に向けながらも、早く己を解放しろとでも言いたげに魔法陣に手をついて、大河内に手を伸ばす。
「ひ……、あ、ああぁぁぁぁ……ッ!?」
藻掻いても逃げられないその場所で、ただただ魔法陣から出てくるソレを見て、叫ぶ。
気が付けば大河内のずぼんが濡れていき、鼻をつくアンモニア臭が漂い、ぐるりと目が回るように上を向いて――身体が弛緩した。
「…………むぅ。くっさいのう……」
今の今まで目の前に浮かべていた魔法陣を手を払って消し去り、思わず顔を顰めて呟きつつ、同時に大河内の身体を遠慮なくどしゃりとその場に落として数歩後退り。
弱めの風を起こして倒れた大河内とその周辺の風を遠くへ押し退ける。
……いや、嗅ぎたくないし。
いっそ焼き払いたい。
「見事な演技でございました」
後退った私に近づいてきたレイネが声をかけてきたので振り返れば、レイネも少しだけ嫌そうに大河内に目を向けていた。
「……此奴、死んでおらんか?」
「いえ、どうやら気を失っただけのようです」
「たかが幻覚と幻痛で、ここまでとはのう……」
「所詮は愚物です。痛みに慣れているという事もなければ、恐怖に打ち克てる程の胆力もなかったのでしょう」
目の前に無傷で倒れている大河内を見て、レイネが小さく「いっそ死ねばいいのに」とか呟いた。
わお、過激。
実のところ、最初っからこの男を殺すつもりはなかったし、傷つけるつもりもなかった。
けれど、なんていうかほら、あんな高齢中二病患者……というか、なんかちょっと暗示をかけただけで「俺様は偉い! 崇め讃えよ!」みたいな事を口にし始めた時点で、ただの脅迫じゃいつかまた調子に乗りそうだなって判断。
そこでレイネに念話で幻影と幻覚、幻痛を与えてもらい、ちょっとぽきっと心を折るために灸を据える事にした、というのが実状であった。
ふっと身体の力を抜いて、気持ちを切り替える。
「ま、こんなのでも、殺す訳にはいかないしね」
「本日こちらを襲ってきた部隊の者達は、戸籍上抹消されていた者達でしたが」
「そっちは別にいいけどね。ただ、国会議員が相手となると下手な事すると面倒だし」
新聞やらテレビやらの報道とか、そういう風に騒がれるのも面倒だ。
何かの拍子に私たちを狙っていた事がどこかに漏れていて、私たちが捜査線上に浮かび上がる、なんて事になるのは避けたい。
「そうですか? その程度なら私の家の力でどうにかなるかと」
「ううん、そうじゃなくてね。どうせ国にマークされるぐらいなら、いっそテレビの前で堂々と魔王らしくやらかした方が私らしいでしょ?」
私だって元とは言え魔王だ。
いくら立場がなくなったと言っても、私にも矜持は今も残っている。
もちろん、それをあの倒れている大河内みたいに妄執する訳でもないし、今は一般人――女優の娘で人気Vtuberであるけれど――だと理解しているから、そこに胡座をかくような事はないけれど。
そんな風に思って答えてみせれば、表情をあまり変えないように努めているレイネにしては珍しく、目を丸くしてきょとんとした表情を浮かべていて。
そしてふっと、花が咲き綻ぶような柔らかな笑みへと変わった。
「――そうですね。それでこそ、陛下であり、凜音お嬢様かと」




