政治と金
「――先生、本日は貴重なお時間をいただきまして、誠にありがとうございました!」
「うむ。こちらこそ、有意義な時間を過ごせて良かったとも。また来月あたりにでも」
「ありがとうございます! 是非!」
深々と頭を下げる男性たちに背を向けて、男は背中を向けて片手をあげるだけで挨拶とし、目の前に停まっている黒塗りの車へと乗り込んだ。
盛大に、とまではいかないものの誠心誠意の対応を心がけるように未だに頭を上げようとしない男性たち。
目の前に停まっていた車の後部座席へと乗り込み、先生と呼ばれた男はその後は一瞥する事もなく、ただ短く「出せ」と運転手に命じてその場を離れた。
夜遅い時間であるというのに、ネオンに彩られ、充分過ぎる程に眩い東京の都心部。
眠らない町を走り続ける黒塗りの車から見えるその夜景。
男にとっても見慣れ、見飽きたものであるのか、それらを眺める事もなく、男は己の手に持っていたバッグから分厚い封筒を取り出した。
「……フン、この程度か」
封筒から取り出し、帯を巻いた一万円札の束が3つ――300万円という大金を、男は鼻を鳴らしてからそのように評する。
この大金は『誠意』の表れ。しかし「この金額では『誠意』もたかが知れる程度である」という評価に行き着いたようである。
多額の金額が動き、必然的に大きな事業になる国の事業。
その入札権限を得るには、実績や各資格の有無が問われる。
しかし裏を返せば、それらの実績と資格があれば誰でも権限を得る事ができるという事に他ならない。
そんな莫大な利益を生み出す事業をどうしても手に入れたいと考える事業者は多い。当然ながら、そういった案件には数多くの事業者が飛び付き、我こそはと手を挙げる。
入札に向けた調整が行われ、事業者の選定が行われるのだが……そこに〝誰かの意向〟が差し込まれる事は珍しい事ではなかった。
そんな〝誰か〟になれる人物に対し、表立ってお金を渡したり、交渉する訳にもいかない。
公平な選定の中にあって、事前に交渉して前もって結果が決まってしまえば、それは俗に言う談合となってしまう。
だからこれは、ただ今までのお付き合い、そして今後のお付き合いに対する『誠意』なのだ。あくまでも〝心付け〟として手渡されたものこそが、この封筒に包まれた大金の正体である。
その結果、もしも〝偶然にも先ほどの男性たちの事業者が選ばれたとしても〟それは談合ではないのだ。
何せこれは入札とは関係のないものであって、国の事業はあくまでも公正な視点で審査され、決定したものなのだから、と。
そのような屁理屈を捏ねることが前提の代物である。
「――この程度では、あの会社はないな。おい、次からの連絡はしばらく繋ぐな」
「はっ、承知致しました」
300万円という大金を受け取っておきながら、さもそれが当たり前であるかのように告げる男。
運転手を務める男がそんな言葉に対し、大した反応も示そうとはせずに指示を受け取ってみせる。秘密を共有し、常にこういった現場にも同行する彼にとっても、こういったケースの対応は決して珍しくもない話であり、さほど頓着するようなものでもなかった。
「それで、望遠鏡から何か連絡はあったか?」
「その後はまだ何も」
「なんだと? 狗どもからの報告は?」
「いえ、そちらも動きがありません。寝静まってから開始すると聞いていますので、おそらくは今頃動いているのではないかと」
望遠鏡とは、とある会社を示した隠語だ。
本来の意味合いとは異なりつつも、意味合いが似たようなものを指すことで混乱を招かないように使われており、この日はそちらとの案件が動いている。
その案件を確実に成功させるために、子飼いとなっている〝狗〟を貸し与えているのだが、その進捗に対して何も報告がないという。
そんな運転手の男の言葉に、腕につけた時計をちらりと見やれば、時刻はすでに日付けを跨ごうとしている頃合いであった。
「……フン、まあ良い。どうせ相手はまだ世間や大人を知らない子供であるという話だ。問題など起ころうはずもあるまい」
「仰る通りかと」
「それより、報告を受けるまで帰る訳にはいかんな。面倒臭い記者の追跡がないとも言い切れん。適当に流せ」
「承知致しました」
流れる夜景を横目に、車は走り続ける。
一介のVtuberなる存在が配信サービスで使っているという〝新技術〟。
相手がそれなりに名のある企業であったのなら、交渉や技術の買い取りなど様々な手順を考えなくてはならず、手を出すには相応の労力を要する事になるが、報告を受けたところによれば、ただの高校生であると言うではないか。
調べたところ、『どこの企業の息もかかっていない』、ただの高校生風情が持つには相応しくない技術。
これを奪い、解析することができれば、自分の息のかかった会社で技術を転用し、商売を拡大させて莫大な利益を生みだす事もできる。それが自分の懐を潤してくれるのだ。
そんなものが手に入るというのなら、多少のリスクを無視する必要が、男にはあった。
運転席と後部座席の間に設置されたモニターからは、ニュースが流れており、そちらの画面では国会でのやり取りが放送されている事に気が付き、男がじとりと画面を睨めつける。
己の所属する党が、祖父や親の七光りだけで党に長年所属したままうだつの上がらなかった男を、一族に対するお情けで祭り上げて首相に就かせた。
しかしそんな存在であるが故に、結果として何もできず、現実が見えていないような答弁を行ったりと酷い有り様であった。
故に、結果として力のある派閥によって傀儡として祭り上げられた存在に何ができる訳でもなく、裏から操る存在に好きなように使われる事となり、本来なら誰もがやりたがらないような強引な党の施策を強引に推し進めさせられている。
勝手な真似をすればどうなるかと釘を刺され、与えられた原稿を読み上げる事ぐらいしかさせず、国民の負の感情を向けるためだけの、文字通りの傀儡だ。
当然ながら、国民からの支持率は底辺を這いずったが、それ以上にやり過ぎた施策のせいで、現在の与党に対する不信感は日々高まっている。
――まったく、愚かな真似を。
男はニュースの映像を見つめながら胸の内で呟く。
国民から税を搾り取るのは結構な事だ。
傀儡を使い、増税を行った影響もあり、多少なりとも党内で評価は得られよう。
しかし、傀儡を操っている者共はあまりにも堂々とやり過ぎた。
搾り取れるならば搾り取れば良いという考えは自分も同意ではあるし、その結果、国民が嘆こうが喚こうが関係ないのだ。大事なのは周囲の評価であり、票を投じる世代であり、有象無象ではないのだ。
しかし、かと言ってそんな扱いをするにしても、今は問題が頻出している。
傀儡となった男を使っているとは言え、少なからず国民を納得させるべくガス抜きする施策を打ち出し、自重するべきだったのだ。
――今度の総裁選、あの傀儡だけではなく、党にも痛手となっているのは間違いない。
その時、党を牛耳っている者共が苦しい立場に置かれ、共倒れとなってくれるのであればありがたいが、そんな派閥に所属している自分までもがとばっちりを受け、党の負債を背負うなど御免被りたい、というのが本音であった。
政情はしばらくは落ち着かないだろう。
だからこそ、政治とは関係のない場所で己を潤わせる必要があった。
そこに降って湧いたのが、〝新技術〟という存在であったのだ。
故に、男はその技術を奪う事を考えた。
――――その相手が、最も手を出してはならない類の存在であることなど、露とも知らずに。
「――……ん?」
ふと、男は車内が先程から妙に暗くなっている事に気がついた。
つい先ほどまでは、夜であっても充分に手元が確認できる程度に眩いネオンを車窓の外に感じていたというのに、気が付けばぽつぽつと街灯が散見できるような場所へと移動しているらしい事を理解する。
「おい、ここはどこだ?」
「…………追手を、撒いて、い、まシた」
「追手だと?」
「……はイ。記者カと」
「ちぃっ、ハイエナ共が……。まぁ良い。それで、上手く撒いたのか?」
「……いエ、まだ追ってきてイるようデす。この先ニ隠れラレる場所ガありまスので、そこへ向かイマす」
「……? いいだろう」
奇妙な物言いだと感じ――しかし、男は言及しなかった。
運転している部下の物言い、気になったはずのその違和感が、しかし『気が付けばなくなっていた』からだ。
――――そうしている内に、男を乗せた車は古い廃工場へと進み、その中で停車した。
「……なんだ、ここは? おい、どうなっている?」
古びた廃工場の内部。
使われなくなって久しいその場所は、建物のガワだけが残されていたようで、内部には放置された機械などもない広々とした空間と、廃棄しないまま放置されているらしい箱やダンボールの数々が山積みとなっている、そんな場所だった。
車が止まったため、一体何がどうなっているのかと声を荒らげた男だったが、しかし先程まで律儀に返事をしていた運転手の男は何も答えようとはしなかった。
返事を無視する形で運転席から外へと出て、ゆっくりと後部座席のドアの前に移動し、ドアを開く。
――そして突然機敏な動きで身体を差し入れ、後部座席に座っていた議員の男の胸ぐらを掴み、常人とは思えない力の強さで車の外へと放り投げた。
「――がっ!? ぬぐ、き、貴様、何をして……っ!?」
「――待っておったぞ」
唐突に聞こえてきた声に、男が情けなく地べたに倒れた身体を起こすのも忘れ、声の主を見つめる。
漆黒を基調に、紫色のアクセントが所々に散りばめられたドレス。
薄暗いその場所であっても、浮かび上がるような白銀色の長い髪と、装飾品の数々。
闇の中に浮かび上がる赤い瞳。
それらを携えた若い女が、まるで黒い影が実体化したような何かに腰掛け、足を組んで自分を見据えていた。
「……お前、は……」
まるで絵画から飛び出してきたような美しい存在に、男は言葉を失い、その先を紡げずに口を開いたまま固まっていた。




