温泉にて
今回凛音ら『次代を担う若い世代を応援』という名目で呼び寄せられた、芸能界の子役、若い世代、スポーツ界の注目選手といった面々を呼び出した主催者が宿泊する、サントリーニ島で一般的に見られる建物――キクラデス様式の宿泊用建物内。
ロフト部分にあたる主寝室、そのベッド横には小さな台と機械が設置され、若い男が機械に繋がれたヘッドフォンを耳に当ててダイヤルをゆっくりと回している。
そんな男に向かい、同じくそのロフト内、紙煙草から紫煙をあげていた中年の男が口を開いた。
「――アレの具合はどうだ?」
「ノイズが発生したものの、問題なく作動しているようです。ただ、仲間内で温泉がどうのと当たり障りのない会話しかしていませんが……」
「焦る必要はない。〝新技術〟に関する話題を拾い上げられれば良いだけだ。本命は別にある。お前は交代が来るまで、しっかり聞いておけ」
「……かしこまりました」
不承不承に頷いた若い男の背を見ながら、指示をした男がふんと鼻を鳴らして煙草を灰皿へと押し付け、短くなった煙草の火を押し潰してから立ち上がってロフトを出ていく。
その様子を横目に見ていた若い男は、お目付け役とも言えるような存在が建物から出て行った事を物音で判断すると、解放されて安堵したといった様子で深い溜息を吐き出した。
「……なんでこんな事に……」
胸の内で燻っていた感情に押し出されるように、ぽつりと愚痴が零れた。
若い男――末永 義雄は、いわゆる技術者という存在だ。
幼い頃からの内向的な性格、自らを陰キャとしてスクールカーストの下位に位置付いて当たり障りなく学生生活を過ごし、専門学校でプログラミング、趣味でCG技術を学び、就職して3年目。
順風満帆な人生とは言わずとも、これといって山や谷があった訳でもない、ごくごく普通の会社員――のはずだった。
そんな自分が今、学生時代に父親が持っていたアマチュア無線をいじって培った技術を用いて、自分の所属している会社にイベントと称して招待された女子高生グループの部屋を盗聴している。
たとえばこれが、特殊な趣味を持った男であったのなら、「仕事だからしょうがない」と理論武装でもして嬉々として盗聴を楽しめるかもしれないが、末永という男にそういった趣味はない。〝女子〟という実態を、実の姉という立場を用いた暴君を通じて理解している末永は、そういった関わりを持たずに姉や妹といった存在に幻想を抱いていないタイプの人間だ。
――……仕事、辞めようかな。
一人残され、盗聴器に耳を当てながらも末永は思う。
クレアボヤンスという会社は、末永が子供の頃からテレビでCMを打ち出すような大きな企業だった。そういう意味で、古くから名を売ってきた会社と言えば一流企業なりの安定感がありそうだ。そんな会社に就職すれば、将来だって何も考えずに暮らしていけるんじゃないか、なんて淡い期待を抱いていた。
歴史もあり、名前を売っている会社ではあったものの、しかし時代の流れに翻弄され、売上を落としていた。それでも新たな技術として3D技術に投資をして新たな方向性へと舵を切り、どうにか業績を回復させつつある。
しかしその実、内部の体制においては古い体質が根強く残っている。
残業していれば仕事を頑張っていると見られ、サービス残業も珍しくない。
新人は朝早く来て当たり前。風邪を引いても休めない風潮。
上司の命令は絶対で、飲み会は絶対参加。反論したり欠席しようものなら職場内イジメの標的に。
効率化も生産性の向上を目指したシステム導入も、「以前の方がやりやすい」というシステムに適応できない上司の一声で有耶無耶になり、未だに紙媒体に手入力の各種業務。
世に言うブラック企業の典型例のような、いわゆるサービス残業が当たり前となっていて、残業時間が過労死ラインに届きかける、というような絵に描いたような体質ではないものの、そういった規制だけでは見えない部分に未だ蔓延る旧態依然の体制を強いる会社である事に間違いはなかった。
しかし、そんな会社が掃いて捨てるほど存在しているのが日本という国だ。
転職を考えて知り合いから話を聞いてみても、それなりに大手と呼ばれるような会社はどこもかしこも似たり寄ったりである事が窺えた。もちろん、そういった体質ではない会社もあるにはあるようだが。
そんな現実が目の前にあるせいで、なかなか転職に踏み切れない――それが末永という男であったのだが、さすがに今回の件は限界だった。何せ会社の命令で犯罪行為をさせられているのだから。
「――なんて考えてみても、しっかりと成果を出して保身を考えようとしてるあたり、俺もクズのお仲間だなぁ……。はあぁぁ……」
ぼんやりと呟いて、深くため息を吐き出す。
「……それにしても、なげぇな……。今度はメイク相談か」
◆ ◆ ◆
「――という訳で、盗聴器は回収済み。盗聴器を聞いている相手にはレイネも魔法をかけてくれたし、今頃、相手は私たちが盗聴器にも気付いていないし、部屋でおしゃべりしてると思ってるんじゃないかな」
「……魔法でそんな事までできるのね……」
敷地内にある温泉専用の建物の屋上部分にある露天風呂。
洋式ホテルよろしくジャグジーやらになっている訳ではなく、何故かこの露天風呂だけは和式というか、人工だと思うけど不揃いの岩が敷き詰められたような和式の造りになっていて、ザ・温泉って感じの見た目をしている。
湯着を着て、濁り湯に胸元まで浸かった状態で、頭にタオルを巻いて話す私の言葉を聞いて、トモとユイカが目を丸くして、このみんが唖然とした様子でぼんやりと呟いた。
「でもさ、盗聴してるヤツに魔法かけただけなんでしょ? それって聞く人間が違ったりしたらバレるんじゃないの? 魔法かかってなかったら聞こえないってことでしょ?」
「いえ、バレませんよ」
「へ? どして?」
メイド服のまま私のお世話をすると豪語したものの、断固として拒否したため同じく湯着を着て入っていたレイネが、不思議そうな顔を浮かべて問いかけてきたトモ、それにその近くに座るユイカとこのみんへと顔を向けた。
「私が盗聴している人物に魔法をかけたのは、あくまでも盗聴器を集めた際に一時的に発生した空白の時間に対し、違和感を覚えさせないというだけのものです。それとは別に、現在盗聴器の発信器を遮音結界で覆いつつ、普段の当たり障りのない会話を延々と内部に再生させているだけですので、聞き手が変わったところで聞こえてくる音が変わる訳ではありません」
「なーる」
「呪い殺してしまっても良かったのですが、生憎とこちらの声を盗聴していた人物は一人きりだったようです。その背後関係を洗い出すまでは生かしておこうかと」
「ひぇ」
「冗談です。殺しはしませんよ、殺しは」
「かえって怖いんだけど……??」
……いや、レイネならできちゃうからね、実際。
私のアンチが多かった頃、開示請求と呪いのダブルパンチでやり返していたのがレイネだもの。
不特定多数と繋がるインターネットとは違って、限られた周波数の盗聴器の電波を辿って相手に呪いを施すぐらい、朝飯前というものだ。
「相手はここに私たちを招待してきた会社の人間みたいだね。狙いはどうも、私が配信で使ってる〝新技術〟みたい」
「それって……」
「うん、魔法技術のことだね」
私が配信で使っている〝新技術〟という名の魔道具だけれど、これが魔法である事はここにいる面々も理解している。
3人とも、すっかり魔法にはまってるみたいだからね。
以前魔法を教えた時に比べても、魔力がそれなりに増えているみたいだし、魔力障壁を上手く使えるようになってきている。
多分だけど、仕事やら何やらで忙しい中でも自室でトレーニングしていたんだろう。
そんな3人が相手だからこそ、全てを私とレイネだけで片付けず、こうして直接状況を説明する事にした。
正直、もうこの3人には普通の人間じゃ勝てないからね。
魔力障壁を使えば、相手を攻撃する事はできなくても攻撃されて怪我をしたり、命を落としたり、なんて事にはならないし。
「……というか、いくら利用客がいないって言っても、ここで話していい内容じゃなくない?」
「問題ありません。ここに入ってきた時点でこの内部は全て掌握しております。他の人間が温泉に入ろうと近づいてきても、用事を思い出して引き返していただいております」
「ア、ハイ」
「ユイカの気持ちも分かるけど、私とレイネが気を付けている以上、第三者に盗み聞きされたり、近づいてきた人間に気付かないって事はないよ」
一部例外を除いては、だけどね。
私とレイネにダンジョンに繋がる転移門を渡してきたような、ああいう埒外の存在を除いて、という意味で。
「ともかく、ごめんね、3人とも。こっちの事情に巻き込んじゃって。せっかくの旅行なのに、なんかめんどくさい事になっちゃった」
「いやいやいや、そんなの問題ないって」
「そうそう。以前までなら不安になったかもしれないけれど、ねぇ……」
「……正直、リンネやレイネさんをどうにかしようとするなんて、普通の人間には無理でしょ」
「それな」
「うんうん」
全然気にした様子のないトモ、それにどこか達観した様子のユイカに続いて、どこか遠くを見るような目で呟いたこのみんに、私も思わず苦笑する。
まあ、実際レイネや私をどうにかする事ができる人間はいないだろうとは私も思う。
だって、この世界の神とか神使の実力からしてねぇ……。
「それで、どうするの? このままやり過ごす?」
「襲われたら返り討ち、あとはやり過ごす、というところがベターな対応だと思うのだけれど……。ただ、リンネの顔を見ていると、そうはならなそうな気がするのよね……」
若干呆れたような物言いでこのみんが私を見て告げるので、私はにっこりと微笑んで深く頷いた。
「ちょっと考えている事があるんだ」
「お? 何するん?」
「アタシらも手伝えるものは手伝うよー」
「そうね。私も手伝うわ」
「ありがとう、みんな。――じゃあ、今夜配信するから3人ともVtuberデビューしてね」
「「「……は?」」」
にっこりと笑って告げた私の言葉に、目を丸くした3人の視線が集まった。




