第24話 「並列処理《マルチタスク》」
王宮の訓練場。
ここ最近、研究室ではなく、この場所が召喚勇者・九条迅の“研究フィールド”になりつつあった。
それもそのはず——彼は今、単なる研究ではなく、実践的な魔力運用の最適化に取り組んでいた。
今日も訓練場の一角で、九条迅は真剣な表情で、何やら考え込んでいる。しかし、その両手は忙しなく動き続けている。
そのすぐそばでは、リディアとロドリゲスが興味深そうに彼を見つめていた。
「……えーっと、今の状況を整理すると、」
ロドリゲスが指を折りながら言う。
「勇者殿は、魔力循環トレーニングをしながら、同時に魔法理論の研究をしながら、同時に新たな魔力制御の試行錯誤をしながら、さらに新しい魔法の詠唱短縮の実験までしておる、ということじゃな?」
「……ええ、つまりそういうことね。」
リディアが呆れたようにため息をつく。
目の前の迅は、呼吸を整えながら魔力を体内で巡らせつつ、片手でメモを取りながら、もう片手で呪文の詠唱パターンを素早く指でなぞっている。
その間、目は魔道書を追い、口元は小さく数式を呟きながら思考を巡らせていた。
まるで人間のやることとは思えない。
むしろこれは「一つの肉体に集約された複数の人間が、同時に別々の作業をこなしている」 そんな異様な光景だった。
「……ねぇ、迅?」
リディアが恐る恐る声をかける。
「ん? なんだ?」
迅はメモを書きながら片手間に答える。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「おう、何でも聞けよ。」
「今、何してるの?」
「んー、そうだな……」
迅は一度メモから顔を上げると、淡々と答えた。
「まず、魔力循環トレーニングを継続しながら、魔法を詠唱する際の魔力の流れを分析してるだろ?」
「う、うん……」
「で、さっきのデータを元に、より効率的な詠唱短縮のパターンをいくつか考案して、それを魔法の発動形式の変化に応用できるか試してるんだよ。」
「……なるほど? いや、やっぱりなるほどじゃないわ!!」
リディアが思わず声を荒げる。
「普通そんなに色々なこと、同時にできるわけないでしょう!? それも全部、頭をフル回転させて処理しないといけない作業よ!?」
「うーん……?」
迅は不思議そうに首を傾げた。
「別に、誰だって飯食いながら本読んだりするだろ。それと同じだ。」
「……いや、絶対違う。」
リディアの表情が引きつる。
「そうじゃなくて! あなたは今、“魔力制御の訓練”と“魔法理論の解析”と“新技術の開発”を同時にやってるのよ!? そんなの普通、並列処理できるわけ——」
「できるけど?」
「……」
「……」
リディアとロドリゲスが無言で顔を見合わせた。
この男は、本気で自分の異常性に気付いていないらしい。
「……お主、もしかして今までそうやって生きてきたのか?」
ロドリゲスが信じられないような顔で尋ねる。
「ん? 当たり前だろ。だって、1日はたった24時間しかねぇんだぜ?」
迅は当然のように言ってのける。
「俺はガキの頃からこんな感じだったぞ? 飯食いながら読書するし、筋トレしながら論文読む。風呂入りながら数学の問題解くし、授業聞きながら他の科目の予習するしな。」
「……」
「……」
リディアとロドリゲスは、しばらくの間、何か言おうとしたが——言葉を失った。
(この男、真性の天才……いや、もはや異常だ……)
リディアが思わずため息をつく。
「ふぅ……まあ、いいわ。とりあえず、そんな怪物じみた才能があるなら、研究の効率は確かに上がるでしょうけど……」
「それだけじゃないぜ?」
迅がニヤリと笑う。
「この並列処理の力があれば、魔力操作の最適化もできるはずだ。」
「……つまり?」
「俺は今、魔力の流れを“二重”に操作してる。」
「なっ……!?」
リディアの目が大きく見開かれる。
「ほら、普通の魔法士ってさ、魔法を使う時は“一つの魔力の流れ”に集中するだろ?」
「……ええ、そうね。魔法の発動は、意識の焦点を一つに絞ることで安定するのだから。」
「でも俺は違う。」
迅が指を立てて、スッと円を描くように動かす。
「俺は、一方で魔力循環トレーニングを維持しながら、もう一方で詠唱のための魔力操作を並行して行うことができる。」
「……嘘でしょ。」
リディアが信じられないという顔をする。
「それ、普通なら“魔力の暴走”を引き起こすわ! 魔力を二重に動かそうとしたら、魔力の流れが暴走して制御不能にな——」
「まあ、普通はそうだろうな。」
迅はあっさりと頷く。
「でも、魔力の流れを制御する“意識”の方を最適化すれば、並列処理も可能になるんだよ。」
「……」
「要するに、俺は“右手で絵を描きながら、左手で違う文字を書く”みたいなことをしてるわけだ。」
「……そんなこと、人間にできるの?」
「できるけど?」
再び、絶句するリディアとロドリゲス。
(やっぱり、こいつは普通じゃない……)
リディアは改めて、目の前の男をまじまじと見つめた。
最初はただの“異世界人”かと思っていたが、この男は違う次元の生き物なのではないかとすら思えてきた。
そして——
この常識を破壊する男が、自分の“知的好奇心”をこれほどまでに刺激してくることに、リディアはまた気づいてしまった。
「……ふふっ。」
「ん? 何笑ってんだ?」
「いいえ。やっぱり、あなたといると飽きないなって思っただけよ。」
「そりゃあ良かった。」
迅がニヤリと笑う。
だが、その裏でリディアは思っていた。
(……なんだろう、この感覚。)
(この人と一緒にいると、私の世界がどんどん広がっていく……)
その胸の高鳴りの正体に、彼女はまだ気付いていなかった——。




