40.ハッピーエンド
「直美……! 見て! なんて可愛らしいんでしょう!」
「お姉ちゃん……一日に何回それ言うの?」
呆れたように苦笑するナオミは、ジュリエッタの目の前で愛嬌を振り撒いている氷狐を見下ろした。
「キュウ〜」
コテンとひっくり返った氷狐はつぶらな瞳をいじらしく輝かせてジュリエッタに甘えている。
「だってこんなに可愛いんですもの。ついつい言葉が口を突いて出てしまうのよ」
氷狐を撫でるジュリエッタの目と口は柔らかく弧を描き、その様を見ていたナオミも表情を和らげた。
「そんなに可愛いかねぇ?」
「可愛いわよ! この愛くるしい瞳にモフモフの毛並み……! なによりもレアンドロが私のために贈ってくれた子だもの。可愛くて仕方ないに決まっているわ」
上から下へとモフモフの毛並みを熱心に撫でてやりながらジュリエッタが微笑むと、そんなものかとナオミは肩をすくめた。
満足して起き上がった氷狐はフサフサの尻尾を揺らす。
「あら、もういいの?」
「キュイ!」
「それじゃあ散歩に行きましょうか」
「キュキュ〜」
先頭を切って誇らしげに公爵邸の庭を歩き出す氷狐のうしろを追いかけながら、ジュリエッタとナオミはゆっくりと散歩を楽しんだ。
「お姉ちゃん、手」
「あら、ありがとう」
手を差し出されたジュリエッタは戸惑いもせずナオミの手に手を重ねて繋ぐ。
「お姉ちゃんと犬の散歩ができて嬉しいな」
「うふふ、直美ったら。犬ではなくて氷狐よ」
「似たようなもんでしょ。一緒に犬を飼おうって約束したじゃん」
「まあ……! 覚えていてくれたのね」
「当たり前だよ。私がお姉ちゃんとの約束を忘れるわけないじゃない」
ジュリエッタが感激したような瞳を向ければ、ナオミは照れたように頰を掻いた。
(シャイなところは相変わらずね)
クスクスと笑うジュリエッタが成長した妹との他愛のない会話を楽しんでいると、慌てた様子のモランがやって来た。
「奥様、旦那様がもうすぐご帰宅です」
「今日は早いわね! すぐに行くわ」
「お姉ちゃん、あんまり急いだら危ないよ。ゆっくり行こう」
「もうナオミったら、心配性なんだから。……分かったわ。ゆっくり、なるべく早く行きましょう」
氷狐を従えたジュリエッタはナオミの手を引き、待ちきれないとばかりに玄関へと向かった。
「ジュリエッタ……!」
「あなた、おかえりなさい」
駆け寄ってきたレアンドロの手をそっと握りながら、ジュリエッタは笑顔で夫を出迎える。
「変わったことはないか?」
「ふふふ……。なにもありませんわ」
ジュリエッタと目を合わせたレアンドロは、照れくさそうに耳先を赤く染めながらなにかを取り出した。
「これを君に……」
「まあ!」
手渡されたのはずっしりと重い手紙だった。
「私もこれをあなたに」
同じようにジュリエッタが手紙を差し出すと、レアンドロは嬉しさを隠しきれないかのように口元を緩める。
「毎日毎日、よくやるねぇ」
毎日手紙を送り合う二人の甘い空気を切り裂くような呆れ声に顔を上げたレアンドロは、ナオミの顔を見てピクリと眉を動かした。
「なんだナオミ、ここでなにしていたんだ! 病院の仕事はどうした?」
「そりゃあもう、人使いの荒い誰か様のおかげで毎日毎日早朝から夜中まで馬車馬のように働いてますよ。今日は久々の息抜きにお姉ちゃんと水入らずで過ごしていたんです。お義兄さんこそ、帰ってくるのが早すぎでは?」
ジュリエッタを挟んだレアンドロとナオミの間にバチバチと火花が散る。
「俺は一秒でも早くジュリエッタに会いたいのだから当然だろう」
「私だって一秒でも長くお姉ちゃんといたいんです。お義兄さんはいつもお姉ちゃんを独り占めしてるんだから、少しくらい遠慮してくれてもいいじゃないですか」
「あらあら。相変わらず二人は仲がいいのねぇ」
火花を散らす二人がどう見えているのか、氷狐を撫でながら微笑ましい目を向けてくるジュリエッタに二人が反論しようとした時だった。
「お邪魔しますわよー!!」
屋敷中に響くのではというほどの声量と、ズカズカと進んでくる図々しい足音。
バンッと扉を開けて入って来たイレーネが口を開こうとしたタイミングでユナが前に出る。
「イレーネ様、お茶をご用意しますからまずはお座りください」
話し出すと止まらないイレーネのことを理解しているユナは、とにかく話し出す前に座らせようとにこやかに席を勧めた。
「あら、ユナ! いつもありがとう! 失礼するわ」
以前、ユナの誤解による一方的な罵倒にあったイレーネだが、既に水に流したことを掘り返すような性格ではない。
ユナに向けて朗らかに応じ、着席したイレーネは氷狐を従えたジュリエッタに楽しげな目を向ける。
「ジュリエッタ様! 今日も氷狐がとても懐いておりますわね! さすがですわ〜」
「ありがとうございます、イレーネ嬢。今日はどうされましたの?」
笑顔のジュリエッタが問いかけると、イレーネはパチンと指を鳴らした。
「私とルカの婚約式の招待状をお持ちしたのですわ!」
すかさず動いたルカが氷狐があしらわれた招待状を恭しく差し出す。
「まあ……! ついに決まったのですわね、おめでとうございます!」
招待状を受け取ったジュリエッタが嬉しそうに微笑むと、イレーネは思いが止まらないとばかりに喋り出した。
「これで私とジュリエッタ様は義姉妹ですわ。こうしてご縁ができたこと、本当に嬉しく思っておりますの。なにせジュリエッタ様のおかげで公爵様にクラウチ先生にカルメラ様にと、氷狐の保護活動に欠かせない方々のご協力を得ることができたのですもの。なによりも氷狐を愛して支援してくださるジュリエッタ様には常日頃から感謝しておりますのよ」
「義姉妹……確かにお二人が結婚すればそうなりますわね。私とルカが姉弟なのですもの。まだ少しくすぐったいのですけれど、私も嬉しいですわ」
レアンドロの不倫疑惑が嘘のように打ち解けているジュリエッタとイレーネは、互いに目を合わせて微笑み合った。
「公爵様のご尽力でルカも貴族として認められましたし、公爵家の皆様にはお世話になりっぱなしですわね。ルカったら魔力の扱いも一流でますます役に立って困ってしまうくらいですの。婚約式なんてすっ飛ばして早く結婚したいのですけれど、この子ったらそういうところは格式を重んじるべきだと頑固ですの」
「お嬢様の結婚が略式でいいはずはありませんから」
澄ました態度のルカは真面目な顔でしみじみと言い放った。
「まったく、私のこととなると譲れないこの態度。童顔のくせに多才で優秀でいじらしいなんて、これだからこの男は可愛くて困ってしまいますわ。そのうえもとから腕っぷしも強かったのに加えて魔力まで手に入れて完璧に使いこなすのですもの! ますます手放せなくなってしまって、早く囲ってしまいたいものですわ」
おほほ、と笑うイレーネは幸せそうで、ジュリエッタは心から祝福を送る。
レアンドロの手回しによりティボルトから切除された魔核はクラウチの手でルカに移植された。
ティボルトの魔核が持つ風の魔力は魔力量こそ少なかったものの、ルカは天性の才で少ない魔力を要領よく使いこなし活用していた。
そよ風しか起こせなかったティボルトとは違い多種多様な風を操るルカはその力の全てをイレーネのために使っている。
しかし、ルカがイレーネの結婚相手として認められるためには、魔力以外にももう一つクリアしなければならない課題があった。
貴族同士の婚姻しか認められていない国法により、魔力を手に入れたルカをどこかの家門の私生児として認めさせ、貴族の血筋であると偽装しなければならない。
そこで白羽の矢が立ったのが、ジュリエッタの実父ペルラー伯爵だった。
レアンドロと取引した国王からの内密な打診により、ペルラー伯爵は血の繋がらないルカを平民との間に設けた知られざる実子と偽り家門に入れた。
ペルラー伯爵の私生児となったルカは、戸籍上はジュリエッタの実弟となっている。
「ペルラー伯爵ときたら、あれだけ偉そうに振る舞っておいて私生児を二人も隠していたと社交界から嘲笑されていらっしゃいますわね。オルビアン公爵家やメトリル伯爵家を敵に回したくなくてジュリエッタ様やルカのことを悪く言う者はおりませんけれど、あの尊大で横柄な鼻に付くいけ好かない伯爵が社交界で除け者にされているのは正直いい気味ですわ」
クスクスと悪い笑みを浮かべるイレーネに、ジュリエッタは首を傾げる。
「確かに……。考えてみればあの見栄っ張りなお父様が、よくルカのことを承諾しましたわよね?」
ジュリエッタのことでさえ隠し立てようとしていたペルラー伯爵が、国王からの打診とはいえもう一人の私生児を受け入れるとは到底思えなかった。
ジュリエッタが不思議そうに振り向くと、レアンドロとナオミは息ピッタリにそっぽを向く。
ナオミからの密告により、ペルラー伯爵が幼少期のジュリエッタを虐待していたことを知ったレアンドロは復讐も込めて伯爵を脅しルカのことを承諾させていたのだが、そのことはジュリエッタには秘密にしていたのだ。
二人の様子がおかしいことに気づいたジュリエッタだが、それを指摘する前に再び扉が開く。
「なにを騒いでいるの?」
入って来たのはカルメラだった。
「お義母様!」
カルメラに駆け寄ったジュリエッタは満面の笑みで招待状を掲げて報告する。
「とうとうイレーネ嬢とルカが婚約するそうです」
「あら! それはめでたいわ。盛大にお祝いをしなくちゃね。婚約祝いはなにがいいかしら」
「どうせなら氷狐モチーフの記念品を作るのはいかがです?」
イレーネとルカの婚約に沸くカルメラとジュリエッタ。
ジュリエッタとの時間を邪魔されてしまったレアンドロとナオミは苦笑しながらも、楽しそうにはしゃぐジュリエッタの姿を見守っていた。
「やっと二人になれたな」
邪魔者が帰り静かになった寝室でジュリエッタの手を引き寄せたレアンドロが呟くと、ジュリエッタはクスクスと笑い出した。
「うふふ。まるで私と二人きりになりたかったかのような口ぶりですわね」
「当然だろう。俺はいつだって、人気者の君を独り占めしたいと思っているんだ」
真面目な顔をするレアンドロに胸を高鳴らせたジュリエッタは、いそいそと髪を整えるフリをして心を落ち着かせながらレアンドロを上目遣いに見上げた。
「あなた……。一つだけ、聞いてもよろしいですか?」
「どうした?」
ジュリエッタの問いに素直に首を傾げるレアンドロは真っ直ぐな眼差しを向けてくれる。
勇気をもらったジュリエッタは緊張した面持ちで顔を上げ口を開いた。
「あなたのハッピーエンドは、私との未来で合っていますのよね?」
思いがけない問いに虚を突かれたレアンドロは驚きながらも、他の誰にも見せないような優しい微笑みを浮かべる。
「もちろんだ。他のエンディングなんて絶対にあり得ない。俺の幸せは君との未来にしかない」
「よかった。……あなたにご報告がありますの」
レアンドロの言葉に胸を撫で下ろしたジュリエッタは、表情を緩めて愛する夫に柔らかな目を向けた。
「ここに……新しい命が宿ったようですの」
繋いだ手を自らの腹に誘導するジュリエッタに、レアンドロは目を見開く。
「直美にも確認してもらいましたので、間違いありませんわ」
「……ジュリエッタ!」
堪らずジュリエッタを抱き寄せたレアンドロは湧き上がる気持ちが溢れるように声に出して伝えていた。
「愛している」
嬉しそうに微笑むジュリエッタは涙ぐむ夫の頭に腕を伸ばして抱き締めると、一度は手放しかけてしまったこの幸福な日々に思いを馳せる。
「私も。心から愛しております。あなたと愛する人達に囲まれて、毎日がとてもとても幸せですわ。これからはなにがあっても、この幸福から身を引いたりいたしません」
「……ああ、どうかそうしてくれ」
瞳を見合わせたレアンドロは愛する妻の頰を指でなぞり、応えるように口付けを落としたのだった。
愛する夫に魔力を移植して身を引きます 完
読んでいただきありがとうございました!
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おかげさまで本作の書籍化も決定いたしました。
読んでくださる皆様には感謝しかありません。
また別の作品で楽しんでいただけるよう、これからも精進してまいります!
本当にありがとうございました〜!




