34.氷狐
夢から醒めたレアンドロは、真っ先にモランを呼び出した。
「モラン…………!」
「旦那様? いかがされました!?」
眠っていたレアンドロにブランケットを持ってこようとしていたモランが慌てて顔を出す。
「王太子の行方はどこまで分かった?」
目覚めて早々問いかけるレアンドロに、モランも即座に答えた。
「それが……どうやら王太子殿下は療養の名目で休暇を過ごされているようで、詳しい所在は非公開となっておりました。取り急ぎ王太子殿下所有の屋敷や別荘を中心に調査しております」
「時間がない。今すぐ場所を確認したいから地図を持ってきてくれ」
「は! すぐにお持ちします」
持ってきた地図を広げたモランは、印をつけた数ヶ所にバツを書き込みながら説明した。
「王都周辺の屋敷はすでに調査しましたが、王太子殿下の姿は見られませんでした。療養を名目としている長期休暇ですから、遠出をされている可能性が高いでしょう」
地図を見下ろしたレアンドロは、トントンと指先で机を叩きながら考え込んだ。
「ということは、王都から離れた場所が怪しいな」
「はい。しかし、王太子殿下所有の建物は王都周辺以外にも数ヶ所ございます」
モランは答えながら地図の上に点在する印を指した。
腕を組んだレアンドロは先ほど見た夢を必死に思い出しながら手がかりになるものがないか思考を巡らせた。
「……そうだ、この中で牢屋がある場所は?」
「牢屋ですか……? それでしたら、小さい屋敷よりは古城跡の別荘などでしょうか? こことここ、それからこちらですね」
地図につけられた印の中から三ヶ所を指差したモランに、レアンドロは大きく頷いた。
「あとはこの中のどこにジュリエッタがいるかだ……」
「怪しい場所からしらみつぶしに探っていくしかないのでは?」
モランが提案するも、レアンドロは首を横に振った。
「全てを回っている時間はないんだ。どうにか明朝までに特定する方法はないだろうか」
「もう日も暮れていますし、騎士を各地に派遣するにも朝までに戻るのは厳しいかと……」
言いながらモランは、レアンドロの焦っているような様子を感じ取って言葉を止めた。
「旦那様、なにかあったのですか?」
「……夢を見た」
「夢?」
「ナオミ・クラウチが俺に見せた夢だ。ジュリエッタは王太子に捕えられている。王太子はジュリエッタの胸に魔核がないことを晒して公爵家を貶めるつもりだ。そのために明日の朝、ジュリエッタを連れて王都に向け出立するらしい。その道中になんとしてもジュリエッタを取り戻したい」
話を聞いたモランは眉間に皺を寄せる。
「不躾ですが、旦那様は……クラウチのその夢を信じるのですか?」
モランはレアンドロも危惧した罠の可能性を案じていた。
モランの気持ちも分かるレアンドロは、最後に見たクラウチの横顔を思い出す。
嘆くジュリエッタを見つめるあの横顔には隠しきれない憐憫が浮かんでいた。
レアンドロが愛してやまない純粋で清らかなジュリエッタには、人の心を惹きつける魅力がある。
ジュリエッタとの出会いで真っ暗闇だった人生が温かく色付いた経験のあるレアンドロは、ジュリエッタと過ごすうちにクラウチの心境に変化があったのだろうと容易に察することができた。
ジュリエッタの魅力を誰よりも知っているからこそ、レアンドロには夢で見たクラウチのあの横顔が彼女の本心なのだという自信があった。
「ああ。奴の罠とは思っていない」
確信めいたレアンドロの表情を見たモランは、主であるレアンドロが言うのならばとそれ以上なにも聞かなかった。
「でしたら王都の周辺で待ち構えるのは……ダメですね。王都の近くで王太子殿下に攻撃を仕掛けるのはリスクが高すぎます。下手をしたら反逆罪に問われかねません」
「ああ。ここは王都に向かってくる道中を狙うべきだろう。向こうが朝に出立するのなら、少なくともこちらも早朝に出なければ間に合わない。すれ違いになどなろうものなら最悪だ。やはりジュリエッタがどこにいるのか事前に把握しておきたいのだが……」
レアンドロとモランが頭を悩ませていた、その時だった。
「ちょっとよろしくて!?」
突然扉を押し開けて入ってきたのは、お馴染みとなったイレーネとルカ。
「うわ……また来てたのか」
心の声が漏れたレアンドロの言葉は気にせず、イレーネは声を張り上げた。
「話は聞こえましてよ!」
自信満々のイレーネは、得意顔でレアンドロを見る。
「公爵様、よろしいですか? 氷狐は神秘の生き物なのです!」
「…………悪いが、氷狐の話を聞いている暇はないんだ。あとにしてくれ」
この状況でも氷狐の話をはじめたイレーネに呆れ顔を向けるレアンドロだが、そんなレアンドロをイレーネは金切り声で叱責した。
「奥様を見つけるために重要な話ですから今聞いてください!」
「な、なんなんだ……っ」
イレーネの声量に耳を押さえつつ、ジュリエッタのためと言われて聞く姿勢を見せるレアンドロ。
息を大きく吸ったイレーネは一気に話しはじめた。
「氷狐の素晴らしさは見た目だけではありません。氷狐の見た目は愛らしい狐そのものですけれど、狩りの仕方は統制の取れたオオカミそのものなのです。特別なコミュニケーション能力を活かしてどんな獲物でも仕留めるチームワーク。しかも魔物を狩るためにそこら辺の猛獣よりもずっと聴覚・視覚・嗅覚が発達しているのですわ。さらには広い雪原を駆ける彼らのスピードは馬よりずっと速く、魔物を食すせいか持久力も桁外れ。これがなにを意味しているのかお分かりになって?」
同時に首を横に振ったレアンドロとモランへ向けて、イレーネは得意げに胸を張った。
「奥様の居場所が三ヶ所に絞られているのでしたら、氷狐を向かわせれば事足りますわよ」
「なに……!?」
驚くレアンドロに、イレーネはさらに説明を続けた。
「氷狐の足でしたら王都から各地の別荘まで夜明けまでに着きますわ。そしていずれかの場所でジュリエッタ様の痕跡を見つけられれば、氷狐同士の特別な遠吠えを駆使して王都に残った個体へと情報がすぐに伝達されます。なんと氷狐の遠吠えは仲間内の氷狐には数百キロ先でも届くのですわよ! つまり、ジュリエッタ様がこの三ヶ所のうちのどこかにいらっしゃれば、夜明けまでに居場所が判明いたしますわ」
レアンドロは開いた口が塞がらなかった。
「そんなことが……狐に可能なのか?」
この一言にイレーネは毛を逆立てる勢いで声を荒げる。
「狐とは失礼な! ただの狐ではなく氷狐ですのよ!? 一緒にしないでいただきたいわっ! 今日はその氷狐が王都に到着したとお伝えにきましたの。秋も深まった時期とはいえ、王都は北部に比べて気温が高いですから、氷狐のために公爵様の氷をいただこうかと……」
こんな時間になんの用かと思えば、やはり氷狐のことだったイレーネをモランは呆れた目で見た。
モランの視線が痛いのか、咳払いをしたイレーネは気を取り直したように声のトーンを上げる。
「ですが、ちょうどよかったですわね。氷狐とともに彼らの扱いに長けた北部の騎士も来ております。お望みならば今すぐにでも氷狐達を向かわせますわ。メトリル家を代表して、オルビアン公爵様に手をお貸ししますわよ」
イレーネが差し出した手を、レアンドロは躊躇もなく取った。
「イレーネ嬢。この恩は必ず返す。氷狐達のための氷はいくらでも作ろう。だからどうか頼む、手を貸してくれ」
いつもならばイレーネのことなど少しの興味もないレアンドロが、救世主を見るかのようにイレーネを見ている。
普段とはあまりにも違うレアンドロの態度に面食らいながら、イレーネは可笑しそうに笑った。
「最初から協力すると言っておりますでしょう。急に態度を改められるとムズムズしますわ……。公爵様は本当に奥様がお好きなのですわねぇ」
妻のためならなんでもするレアンドロが大型犬のように見えてきたイレーネはひとしきりクスクス笑ったあと、引き連れていたルカとともに準備にとりかかった。
「…………これが、氷狐か?」
「キュイ〜?」
公爵邸の庭に整列する氷狐を見下ろしたレアンドロは、小型犬ほどの大きさで大きな耳と丸い瞳をキョロキョロさせるその姿に思わず呟いていた。
「ま! なんて愛らしいの……!」
事情を聞いて庭に出てきていたカルメラも、口を押さえて感激したように氷狐を見下ろしている。
「想像以上の愛らしさだわ! こんなにかわいい生き物を見せられたら、イレーネ嬢が保護活動に熱心になるのも納得よ!」
はしゃぐカルメラの隣で、レアンドロは複雑な顔をしていた。
「確かにジュリエッタが喜びそうな愛らしさだが、こんな小動物が本当に役に立つのか?」
「失敬な!! 氷狐はこの愛らしい見た目からは想像もできないほど獰猛な生き物ですのよ! そのギャップがまた堪らないのですわ!!」
相変わらず氷狐に対する熱意が半端ではないイレーネはそう叫ぶと、真面目な顔で一番前にいる一匹の氷狐に目を向けた。
「アルファ、あなた達の役目は分かっているわね?」
「キュキュウー!」
群れのリーダーであるアルファが一声鳴くと、仲間達も同じように声を上げた。
氷狐の士気を高めるためイレーネはレアンドロに耳打ちをする。
「公爵様、彼らに氷をあげてください」
「あ、あぁ……」
言われるままレアンドロは半信半疑ながら氷狐達のために氷を作り出す。
「キュ?」
「キュキュッ!」
目をキラキラ輝かせる氷狐一匹一匹に、どうかジュリエッタを見つけてくれと願いを込めて氷の首輪をつけてやるレアンドロ。
「キュイキュイ〜!!」
「キュ〜!!」
「うわ、なんだ!?」
氷の魔力で作られた溶けない氷の首輪をもらって感激した氷狐達は、次から次へとレアンドロに頭突きを繰り出した。
その様子を見ていたイレーネは地団駄を踏んだ。
「ああ! なんて羨ましいの! 氷狐からの最大の愛情表現〝頭突き〟をあんなに受けるなんて……! 私でさえ氷狐からの〝頭突き〟をもらうのに七年もかかったのにぃ!」
「お嬢様、今は落ち着いてください。悔しがるのはあとにしましょう」
「そうね、ルカ。今はそんな場合じゃないわよね」
ルカに諭されて正気に戻ったイレーネは、氷狐に好かれて困惑するレアンドロに呼びかける。
「公爵様、ジュリエッタ様の匂いがついたものはお持ちいただけましたか?」
「…………」
レアンドロは密かにジュリエッタの部屋から持ち出していた枕を渋々取り出して、氷狐達に嗅がせた。
「作戦通り、我が家の騎士が氷狐を先導して各別荘に向かいます。その周辺でジュリエッタ様の匂いを嗅ぎ取ったら、遠吠えで即座にここに残るアルファに情報が伝えられますわ。そのあとはアルファが公爵様を先導してジュリエッタ様のもとにお連れします」
「よろしく頼む」
レアンドロが頷いたのを確認したイレーネは愛する氷狐達に目を向ける。
「頑張ってね、みんな!」
「キュウーー!」
アルファの一声で、氷狐達は一斉に夜の闇の中へと走り出して行ったのだった。




