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31.侮蔑



「おやおや。そういうことは早く言ってくださらないと困りますねぇ」


 いつの間にかジュリエッタとティボルトのすぐ隣に立っていたクラウチは、噴水の方へ引きずられていくジュリエッタの手を反対側から掴んで止めた。

 

「クラウチ? なんの真似だっ!?」


 邪魔ばかりするクラウチに苛立ったティボルトが叫ぶと、クラウチは背後からジュリエッタの体に手を回す。


「殿下がジュリエッタ様をお連れしろというから苦労してここまで連れてきたのに。本当のお望みをおっしゃってくださらなかったせいで、私はとんだ無駄骨を折ってしまいましたよ」


「せ、先生……? いったいなんの話をされておりますの?」


 この状況に困惑するジュリエッタは背後から自分の体を拘束するように抱えるクラウチを振り向こうとするも、身動きが制限されて顔を見ることができない。


「それでも約束は約束ですから。オルビアン公爵夫妻を引き離し、ジュリエッタ様をお連れした分の報酬はきっちりといただきますよ」


「…………!」


 息を呑むジュリエッタの目の前でティボルトは鼻を鳴らした。


「ふん。ジュリエッタの前ではずっと猫を被っていたくせに。下手な演技はやめたのか? お前が欲しがっていたリストなら王宮に戻ってからやると言っただろう。本当にしつこい奴だな」


 蔑むような目を向けてくるティボルトに、クラウチは胡散臭い笑みを浮かべたままだ。


「あなた様のことが信用できないから言っているんですよ。注文通りにいかなかったからと約束を反故にされては困りますからね。今回の件、私に非はありません。殿下が欲しているのはジュリエッタ様だと聞いていたのでこの計画を実行したまでです。……欲しいものが違うのなら先に言っていただかないと」


 震えるジュリエッタを羽交締めにするクラウチの黒い瞳は抜け目なく、一切笑っていなかった。


 わけの分からないことばかり言って邪魔なだけのクラウチにティボルトは舌打ちをする。


「違うだと? なにも違わないだろ。俺の望みはジュリエッタだけだ」


「いいえ。殿下が欲しいのは熱の魔力だったのでしょう?」


 首を横に振るクラウチに、ティボルトはさらに苛立ちを募らせた。


「なにを言っている。熱の魔力はジュリエッタの一部なのだから、ジュリエッタごと欲して当然だろう!」


 怒鳴り声を上げるティボルトは、ジュリエッタへと手を差し出した。


「ジュリエッタ、君も俺が迎えにくるのをずっと待っていただろう? クラウチに命じてあの男……レアンドロ・オルビアンと君を引き離してやったのは俺なんだ。こうして君を取り戻すこの瞬間をどれほど心待ちにしていたことか」


 ティボルトとクラウチの間に挟まれたジュリエッタは震えていた。


 信頼していたクラウチの口から出る言葉が信じられず、そしてなによりもティボルトの言動が恐ろしくて仕方なかった。


 あまりの恐怖に体が凍りつき、逃げるどころか立っていることさえ困難なほど心も頭も混乱している。


 体中が震え、耳の奥からうるさいほどの動悸がして呼吸さえ苦しくなるほどだった。


「さあ、この手を取って今度こそ俺のものになってくれ」


 声も出せないジュリエッタへと、さらに手を突き出すティボルト。


 ジュリエッタはひきつけを起こしたかのように震えるばかりで、その手が視界に入っているのかも怪しいほどに瞳を揺らしている。


「憐れなお人だな……」


 呟いたクラウチは、体が動かず抵抗もできないジュリエッタを拘束したまま胸元に手を移動させる。


「残念ながら。ジュリエッタ様にはもう、熱の魔力なんてないんですよ」


 そう言ってジュリエッタの胸元のボタンを数個外すと、はだけた胸元から醜い傷が露わになった。


「ご覧の通り、ここにあった魔核は計画の邪魔だったので私がこの手で切除したんです。そしてオルビアン公爵に移植しました。殿下が欲した熱の魔力は、今頃公爵の中で強大な氷の魔力を中和するのにさぞや役に立っていることでしょう」


 綺麗な白い肌には不釣り合いな引き攣れた傷跡を目にしたティボルトは、数秒間固まりジュリエッタの傷を凝視する。


「…………な、んだと?」


 理解が追いつくにつれてティボルトの端正な顔が徐々に歪んでいった。


「いったいこれはどういうことだ! なんだこの醜い傷跡は! 俺はこんなことを命じた覚えがないぞっ! お前の計画は前世の夢を信じ込ませてジュリエッタが公爵家から逃げ出すよう仕向けることだっただろう! そのために関係ない多くの者達に前世の夢を植え付けていたんじゃないのか!?」


 激昂するティボルトに対し、クラウチは冷静だった。


「言いましたでしょう。ジュリエッタ様の中にあるオルビアン公爵への情はそれはそれはもう根深いものだったのです。夢を操作したくらいで消えるようなものでは到底なかった。だから私は逆に、その情を利用することにしたのですよ。愛故に公爵から離れたくなるような〝前世の(シナリオ)〟を植え付けてね」


 その言葉を聞いたジュリエッタの瞳からはとうとう涙があふれ出る。


 はだけた服を直してあげたクラウチは、苦しげに泣くジュリエッタをあやすように優しく背中を叩いた。


「純粋で憐れなジュリエッタ様は自分を悪妻だと思い込み、自ら公爵から離れようとした。その際、愛する夫のためにどうしてもと言うので熱の魔力を公爵に移植してあげたのです」


 顔を真っ赤にしたティボルトは狂ったように頭を掻きむしった。


「ふざけるな! なんてことをしてくれたんだ! 熱の魔力がなければこの女は平民の血が混じった卑しい混血じゃないか! それも醜い傷跡を持ったキズモノだ! こんな女を得たところで少しも価値などないっ!」


 つい先ほどまで異様な熱を宿してジュリエッタを見ていた瞳が、穢らわしいゴミを見るような冷たさでジュリエッタを射抜く。


「よりにもよって熱の魔力がレアンドロの手に渡っただと? 浅ましいオルビアン公爵家め! 魔力だけを手にして抜け殻の混血女を俺に押し付けるとは……っ!」


 それまでの態度が嘘のように豹変したティボルトは、目の前にいるジュリエッタの胸ぐらを掴んだ。


「おい、貴様……! よくも俺を騙したな!」


「…………ッ!」


 癇癪を起こしたような王太子の物言いにたじろぐジュリエッタはされるがままだ。


 乱暴なティボルトの手を止めたのはクラウチだった。


「落ち着いてください。みっともないですよ」


「なんだと!? この詐欺師め!」


 声を荒げ憎々しげに叫ぶティボルトを、クラウチは鼻で笑った。


「詐欺師とはひどいじゃないですか。最初から熱の魔力だけが欲しいと言ってくだされば、ジュリエッタ様から切り取ったあの魔核を殿下に移植して差し上げましたのに。願いごとは正確に言わないと神様にだって叶えられませんよ」


「生意気な……! お前のようなペテン師に渡すものはなにもない!」


 怒りに身を震わせるティボルトの一言にピクリと反応したクラウチは、笑みを引っ込めて眼鏡の奥から鋭い視線を向けた。


「ここまでやって約束のものをいただけないのなら、私にも考えがあります。殿下とのやり取りを暴露しますよ。こんなこともあろうかと、通信記録は全て残してありますから」


「なに……?」


 王都の人間を多数巻き込んで引き起こした様々な騒動。これまでのやり取りを世間に知られるわけにはいかないティボルトは、歯を食いしばりながらクラウチを睨んだ。


「よくも……っ!」


「私はやるべきことはやりました。約束さえ守ってくだされば、余計なことはしませんよ」


「…………いいだろう。王宮に戻れば例のものをやる。だから通信記録は全て削除しろっ!」


 なにもかもが上手くいかないティボルトは、自棄になって頭を掻きむしった。


「やっと……やっと力が手に入ると思ったのに。こいつを手に入れさえすればと……!」


 そしてジュリエッタに目を向けると、突如閃きを得たかのように手を叩いた。


「そうだ。こうなればこの女をとことん利用してやればいいじゃないか……!」


「どうする気なのですか?」


 怪訝そうなクラウチに、ティボルトはニヤリと笑った。


「王都で見せ物にするのさ。こいつの傷を晒して『オルビアン公爵は妻から魔力だけを奪って無惨に捨てた』と噂を流せば、レアンドロ・オルビアンの評判は地に落ちる!」


「そんな、おやめください!」


 ティボルトの言葉に反応したのは、恐怖で縮こまっていたはずのジュリエッタだった。


「私はどうなっても構いませんから、どうかあの人を貶めるようなことだけは……!」


「うるさい、この役立たずが!」


 縋り付く華奢なジュリエッタの体を突き飛ばすティボルト。


「魔力のないお前に他に利用価値があるとでも? 大人しくしていれば命だけは助けてやる」


 王家の象徴である緑色の瞳が侮蔑に歪んでジュリエッタを見下ろしていた。




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