先輩と体操服
「今日体育があったんだけどさ、こいつ制服から体操服に着替えるときまず最初に後ろ向きに着ちゃったんだよ」
「はい」
なんだろう。出だしは別に取り立てて騒ぎ立てるほどのことでもない話だね。
うちの学校の体操服はVネックだけど校名などは入っていないので、うっかりしてたら前後間違えることは普通にあるだろうし。
でも先輩たちのこの顔だし、こんな程度の話で済むはずがない。『まず最初に』ってんだもん。当然続きがあるはずだよね。わくわくが高まる。
「で、すぐに間違えたことに気付いてな、一旦脱いでまた着直したんだよ」
「はい」
「そしたらまた同じ向きだったの。逆のまんま。着直した意味ないし」
「んふ」
この時点でおでこ先輩は耳まで真っ赤っか。いつも凛と涼やかな美人にこんな顔されたらたまらない。嗜虐心がそそられるなんてもんじゃない。
もちろんそれはあたしだけではない。攻め手の二人も悪魔みたいな顔になってる。
その悪魔の頭がおかしい方がさらに続けた。
「んでまたすぐに気付いてまた脱いだんだけどさ、今度は脱いだ服を机に置いてそれ見つめて一旦ちょっと考えててな」
「はい」
「で、そのあとどうしたと思う?」
悪魔があたしに問うてきた。
どうした、ってどうしたんだろ? こんなイカれた人がわざわざ聞いてくるぐらいなんだしちょっとやそっとのことじゃないんだよね? じゃあ?
「なんですか? また逆に着たとかじゃないんですよね? んむ~、って、あ! 逆は逆でも表裏を裏返しにしたとか?」
「おーそれもなかなかいいけどな、でもそれだとまだ常人の思い付く範囲内って感じだな。正解はもっとわけ分かんない感じだよ」
と、ここで悪魔は机のカップとお皿がないところを両方の手の平でパンと叩いた。
「というわけで正解です! 正解は~~~~~~、じゃんっ! 『体操服じゃなくてその隣に置いてた制服を着る』、でした!」
「しかもまた後ろ向き!」
おっとり悪魔も瀕死のおでこ先輩にさらに追い打ちをかけた。
なるほど。これは分からない。確かにちょっとやそっとじゃなかった。
あたしはもう相槌を打てないということで、ここからは情け容赦のない悪魔たちだけで話を進行させていった、
「なんで? どう考えたらそんなことになんの?」
「知らねえよ! 服なんか無意識で着るもんだし別になんも考えてなかったんだろ!」
「いやいやお前そうは言うけどあの間は何だったんだよ。絶対なんか考えてる間だったろ。で、その結果導き出されたのがアレだろ? 思考が脳内のどの経路を通ったらあんなことになるんだよ。私も度肝抜かれたしさすがにあんなの理解できるヤツいねえだろ」
「だから知らんし!」
「ふーん。んじゃまあそれはいいわ。そこは一旦置いとこう。でも!!! お前そのあとよ! そ・の・あ・と! お前またすぐ脱いだじゃん。で着たじゃん。今度はちゃんと前向きに着たじゃん。合ってんじゃん。でもだよ!? でもなんで! なんでまたお前制服なの!? 前向きの制服ってそれもうただの普通の格好じゃん! 普通の人じゃん!! この後に体育の授業がある人じゃないじゃん!!」
ここでおでこ先輩はついに声も出せなくなってしまった。
しかし悪魔たちは悪魔だけあって手加減などしない。今度は天使の皮を被った悪魔が無慈悲な攻撃を加えた。
「あたしももうこれ以上ちょっと無理って感じだったんだけど、五回目にしてやっと体操服をちゃんと前向きに着れてね、めでたしめでたしかなってなったんだけどね。でもね、この子ここで笑っちゃったんだよね」
「そうそう。『ふふ』って自嘲するふうにな。『私何やってるんだろ』みたいな感じで一人でにやにやニヤついてんの」
「ね。で、その一人笑いのところでそれまでの経緯をずっと見守ってたあたしと目が合ってね、『やばっ!』って顔した後すぐ真っ赤になって俯いちゃったんだけど、そこであたしも我慢の限界超えちゃったよ。もうあまりのいじらしさに涙が溢れてきてね、思いっきりこの子の頭を抱えて胸に抱きしめちゃったよ。そうせずにはいられなかったよ」
「あれはほんとに美しかったなあ。素晴らしい絵だったよ。本当に尊くてこの世の全ての穢れを浄化するような後光が差してたもん。だからもうクラス全員拍手だったよ。大喝采だよ。涙流して感極まってるやつも一人や二人じゃなかったし。ほんといいもん見せてもらったぞ」
いつの間にか悪魔たちは消えていなくなっていた。
今同じ場所に座ってるのはただただ慈愛しかない、これ以上ないってぐらい優しい微笑みを浮かべたお母さん二人だった。
そして、おでこ先輩は今またその時の顔をしているらしかった。
だってこんな顔されたらあたしだって思いっきり抱きしめたいもん。
なんてかわいい人。おでこ先輩。
が、しかし。
そんなまあるい暖かい柔らかい安らぎの時間も束の間だった。
またあの冷酷無比な悪魔どもが帰ってきた。




