「オルテンシア様一本釣り……」
クラウディオから貰った花の花言葉を知ったルシィは唖然とし……次いでジンワリと自分の体が服ごと湿っていくのを感じた。
見れば周囲には嫉妬の炎を瞳に滾らせて睨みつけてくる女子生徒が数名。彼女達が魔法を使って嫌がらせをしてきたのだろう。これなら水をぶっかけてくれた方がマシだ……と己の体と服がじょじょに湿っていくのを感じながらルシィが鞄からタオルを取り出した。
最初こそ王道的に水をかけてきた彼女達だが、今はこうやって遠隔で人を湿らせるのがブームらしい。
正面きって水をかければ先日のクラウディオの時のように現行犯で見つかる可能性があるからと、なにより顔がばれるとルシィに一倍返しされると学んだからなのだろう。その結果編み出されたこのジンワリと潤わす嫌がらせは、ショックもなければ恐怖も無いがとにかく気持ちが悪い。ルシィ相手と考えれば、水をかけて威嚇するより効果的と言えるかもしれない。
そんなルシィを眺めつつオルテンシアが「み゛!み゛!」とパタパタと手を振る。濡れた体で近寄るなと訴えているのだ。腹いせに彼女のスカートで手を拭いてやれば甲高い「みー!」という悲鳴があがり、ルシィの体が一瞬にして乾いた。
スカートが濡れたと怒ったオルテンシアが瞬時に犯人を探り当て睨み付け、その視線の先に居た者が怯えて魔法を解いてルシィを乾かしたのだ。日頃み゛ぃみ゛ぃ煩く今朝もまたコーヒーに苦いと文句をつけていたとしても、彼女はローズドット家の御令嬢。学院一の魔力を持つクラウディオに並ぶ実力の持ち主なのだ、魔法の使い手を特定するなど容易なのだろう。
「ちゃちな魔法に安っぽい紅茶の香り、程度が知れるわね」
「さすがですね。やっぱりオルテンシア様を盾にするのが一番だ」
「み゛ぃー!!」
「はいはい、わるぅございま……なるほど、これが真の高級茶葉の香り」
再びジンワリと湿らされ、ルシィが周囲に漂う紅茶の香りに感嘆の唸りをもらす。
先程ジンワリした時にも高価そうな紅茶の香りが漂ったが、今鼻を擽っている香りはまったくの別格だ。比べることが失礼だと感じてしまうほど、香りだけでも一級品だと分かる。出来れば味わいたかったが。
これがローズドット家の成せる業、そう感心しつつオルテンシアを見れば、彼女はムフーと得意げに澄ました表情を浮かべていた。それでもチラとルシィを横目に見ると小さく「ドレス」と呟くのだ。その分かりやすさにルシィが肩を竦めて苦笑を浮かべた。……ジンワリシットリ湿りながら。
クラウディオがルシィに花を贈ったという話は一瞬にして学院内を駆け巡り、おかげで一日中コンガリと焼けそうなほど熱い嫉妬の視線を向けられることとなった。
クラウディオはあの見目の良さに加えて、性格も良く成績も優秀そのうえ王子というまさに非の打ち所のない男だ。誰もが彼にエスコートされたいと願い狙っていたのだろう。
ところがクラウディオはエスコートの誘いが解禁される前から花を渡してアプローチしてしまった、それも相手はよりにもよって異質で一般階級出身の新入生……。となれば攻撃的な嫉妬をするのも納得である。
「去年クラウディオは学院長のお孫さんをエスコートしてたんだ。彼女は学院外に婚約者が居たし、クラウディオも誘いたい相手がいなかったからちょうど良かったんだろ。でも今年は彼女が卒業して、みんなあいつを狙ってた」
「そこを私が現れた。なるほど、そりゃオルテンシア様の目を盗んでシットリジンワリさせられるわけだ」
「もう少ししたら彼女達も自分の相手探しで忙しくなるから、それまでの辛抱だな」
そう笑うコンラドに、ルシィが「もう少しかぁ」と溜息交じりに呟いた。
ちなみに時刻は夕方、場所は既に下校時刻の過ぎた校舎の一室。『オルテンシア・ローズドット公認ファンクラブ夜の部』、魔力が低く階級の低い者が集まっての晩餐会である。
いまだにクラスメイト達から若干距離を置かれ今回の件で嫉妬されてたルシィも、このメンバーとは気心知れた仲となり、とりわけコンラドからは言葉遣いを改めなくても良いと言われるほどであった。
――これに関してコンラドはクラウディオから「なんでお前の方がルシィに懐かれてるんだ」と睨まれ、ルシィはルシィでオルテンシアから「み゛!」と責められていたのだが――
「そもそも、エスコートのお誘い解禁前に花を贈るのはありなの?」
「そりゃ二・三年の特権ってやつだ」
そうハムの挟まったパンの尻、殆どハムが無く簡素なパンだけになった部分を口に放り込んでコンラドが笑う。
曰く、正式なエスコートのお誘い解禁はまだ先だが、一年生に話が伝った時点で実はアプローチは解禁されているのだという。『パーティー』だの『エスコート』だのといった明確な言葉を使うことこそルール違反だが、今回のクラウディオのように花を贈ったりわざとらしくエスコート解禁日に会う約束を取り付けたりは良しとされているらしい。中には、明確な言葉を省きつつドレスを揃えようと直球的に声を掛ける者まで居るのだという。
そんなこと知らなかったとルシィが唖然とすれば、コンラドが「一年生はそうやって出し抜かれて学ぶんだ」と笑った。これもまた暗黙のルールなのだろう。
「コンラドさんは、去年どうしたの?」
「俺か? 前期は婚約者の居る子にエスコートを頼まれて……後期は仲の良い子と行った」
「……え」
コンラドの話に、ルシィが思わず小さく声をあげた。
リズテアナ魔法学院の生徒は差はあれど誰もが貴族やそれに相応する家の者である。ゆえに学生といえど婚約している者も少なくない。学外に婚約者がいる生徒は不用意に異性を誘うわけにはいかず、ゆえに同じ立場の異性や色恋沙汰には興味はないがパーティーに行きたい者と組むと聞いた。去年クラウディオが学院長の孫をエスコートしたのがまさにだ。
だからてっきりコンラドもそうなのだと思っていた。事実、彼は前期のパーティーでは婚約者の居る女子生徒を相手に形だけのエスコートをし、会場で別れて互いに好きに楽しんでいたという。だけど後期は仲が良い子と……。
それはつまり……とルシィが問おうとコンラドに視線をやった。頭の中では小さなオルテンシアが不安そうにみぃみぃと声をあげている。
「コンラドさん、仲の良い子って……その子が好きで誘ったってこと?」
「いや、まったく。なんか別の子と一人の男を取りあって負けたけど、会場で奪い返すからエスコートだけしてくれって頼まれたんだ」
「……わぁ、逞しい」
「クラウディオ達と観戦してたんだが、あの奪い合いは凄かったなぁ……」
「それはそれで楽しそうだけど。今年その人は?」
「今期の始めくらいに廊下で凄い勝利の雄叫びあげて『コンラド、次のパーティーは他の子見つけなさいやっほー!』って走り抜けていったから、多分恋人と行くんだろ」
「本当逞しい人だね……でも、そっか」
そう呟きつつルシィがコンラドを見上げる。
誰を誘うのか気になってみ゛ぃみ゛ぃ鳴いている令嬢がいるなど露知らず、彼は暢気にポトフに入ったキャベツの芯をゴリゴリと噛み砕いていた。
「這いつくばって今までの非礼を詫びてこれから態度を改めて私に尽くすって言うなら、ドレスのお金を出してあげないこともなくってよ!」
「ただいま戻りました。これお土産の食パンの目玉焼きのせです」
「どうしてもって言うなら、デザイナーや仕立ても私のついでで手配してあげる! 平民の貴女はそういった手順も分からないでしょうしね!」
「ちょっと待っててくださいね、今寝る前のホットミルク用意しますから」
「コーヒー!」
「はいはい、ホットコーヒーでしたね。夜は『ミルクたっぷりのホットコーヒーのコーヒー抜き』でしたね」
「み゛ぃ!」
ルシィの態度が気に入らないと玄関先で仁王立ちしていたオルテンシアが怒りの「み゛」をあげる。
そうして怒り冷めやらぬと部屋へと戻ってしまうのだ。バタン!と勢いよく閉められた扉の音がリビングに響く。
これにはルシィも溜息をつきつつ、ひとまず自分用の紅茶と彼女のためにとホットミルクもといホットコーヒーのコーヒー抜きを用意した。
そうして二つのカップを持ってリビングのテーブルに座り、
「しかし、コンラドさんはああいうドレスが好きだったなんてなぁー」
とわざとらしく声をあげた。
カタン、とオルテンシアの部屋から音がする。それを聞きながらも扉を直視しないように視界に端にとらえ、更にルシィが続けた。
「コンラドはああいうドレスに、あんな髪形の子がタイプなんだなぁー。そういう子をエスコートできたらなんて、そんなこと考えてたんだなぁー」
そうルシィがわざとらしく声をあげる。
一応これは独り言である。帰ってきてリビングの椅子に座りつつ、誰にでもなく独り言……なんてよくある話だ。ついつい声が大きくなってしまうのも、ちょっと疲れているからである。
だがここはルシィだけの部屋ではない。ゆえにこの独り言に対して、キィと扉が微かに開き「みぃ」と小さな声をあげてオルテンシアが顔を覗かせるのだ。かかった、とルシィが内心で呟く。
だが今のオルテンシアはまだ半身覗かせている状態でしかない。これで彼女に視線をやったり声を掛けたら引っ込まれてしまう可能性が高い。だからこそ慎重に、最初から大きな釣り針は見せないように、それでいてさり気無く湯気を上げるカップを見せつつ……。
「女の子に着てほしい理想のドレスなんて、結構夢を抱く人なんだなぁー」
「……みぃーぃ?」
「こういうドレスを着た女の子の手を取りたいなんて言っちゃってー」
「みっ、みぃ……」
フラフラとオルテンシアが部屋から出てくる。
ほんのりと頬を赤らめているのは、コンラドに手を取られエスコートしてもらっている自分の姿を想像しているからか。そんなオルテンシアはフラフラと吸い寄せられるようにテーブルに近付くとルシィの向かいに座り、真っ白なホットコーヒーを一口飲んで、
「さ、予定をたてましょう」
と微笑んだ。




