「……一緒に踊って」
ルシィはいつも小さな本とルーペを持っている。
本は小指の一関節程にも満たない小ささで、読むも書くもルーペで覗きながらでないと目が疲れてしまうサイズである。それを銀の鎖で首から下げ、肌身離さず身に着けているのだ。
一応日記も書いてはいるが、それとはまったく別物。日記は机の引き出しに入れているが、この本は常に何があっても手放さずにいる。
そんな本の一ページ目には自分に向けたメッセ―ジが書かれている。
もう何度も数え切れない程――本当に数え切れないのだが――読んでいるが、それでもこのページを読む時はいつだって衝撃を受け、そして納得していた。
そんな大事な本……を、最近オルテンシアが狙っている。
それはもうジッと見つめ、時には「み゛ー」と不思議な音すら出しつつ、色濃い瞳を開いて凝視してくるのだ。
「また狙ってる……」
そうルシィがオルテンシアを咎めるように見つつ、胸元に手を当てて服の下にある本を庇った。
クラウディオとコンラドと共に四人でお茶をしていたところ、ふとした瞬間にオルテンシアがジッ…と――彼女に関しては「み゛…」と――胸元を見つめてきたのだ。これに対してクラウディオとコンラドが不思議そうに視線を向けて来た。
二人の視線を受け、ルシィが溜息と共に「これです」と首から下げていた本を引っ張り出す。その瞬間にオルテンシアが「み゛っ」と反応するのだから油断ならない。
「随分と小さい本だな」
「ルシィはこの本をいつも身に着けているんですよ。きっと私からローズドット家の情報を聞き出して書き留めているんだわ!」
そうに違いありません!とオルテンシアが訴える。
「先日、ルシィがどうしても私の背中を流したいって言うから一緒にお風呂に入ってあげたんです。そうしたら湯船にまで! 普段魔法を使うのを嫌がるくせに、この本に関してはお風呂どころかいつも防水の魔法をかけているんですのよ!」
「なにしれっと嘘ついてるんですか。怖い話を聞いたとか言って私がお風呂に入ってるところにオルテンシア様が乱入してきたんじゃないっですか」
「なによ、私が入浴したいと思った時に湯船につかっている貴女が悪いんじゃない! その後も、どうしてもって言うから一緒に寝てあげたんですが、寝てるときも外さないんですの!」
「またそうやって嘘をつく。私が寝てるのに突然部屋に入ってきて無言で人をベッドの隅に追いやって勝手に寝だしたくせに」
「み゛っ!」
「事実です」
しれっと言い切るルシィにオルテンシアが「み゛」で応戦する。
もっとも、そんな二人をよそにクラウディオとコンラドは顔を見合わせ「一緒に風呂……」「一つのベッド……」と呟いていた。
いかに王族といえど、忠誠心の厚い友人といえど、二人とも年頃の男子生徒である。とりわけルシィもオルテンシアも見目が良く、そんな二人が……となればいけない想像をしてしまう。慌てて脳裏に浮かんだ光景を首を振って掻き消す姿まで含めて、まさに青春である。
「どうしたんですか、クラウディオさん」
「コンラド、何かあったの?」
そう尋ねてくるルシィとオルテンシアに、正直に言えるはずがないとクラウディオとコンラドがわざとらしく己を手で扇いだり虫がいたと誤魔化す。
そうして改めてオルテンシアがルシィの本について言及しようとした瞬間……、
「こ、今度のパーティーなんだがもう話は聞いたか!?」
とクラウディオが慌てて話を被せた。――その瞬間コンラドが内心で「ナイスだクラウディオ、さずが王子!王族の成せる業!」と嫌な褒め方をした――
そんな露骨な話題逸らしにルシィもオルテンシアも気付くことなく、強引さにキョトンと目を丸くさせこそしたものの話題に続いた。
……というより、ルシィは「パーティー?」と首を傾げてオウム返しである。
「この前、先生が話してくださったじゃない。前期終了のパーティーよ」
「時期的にはまだ早いが、一年生は勝手が分からないだろうから毎年早目に準備しておくよう言われるんだ」
「……いつ、ですかねぇ」
「五日前よ。貴女それ聞いて『美味しいご飯が出るなら行きます』って言ってたじゃない」
「あー……その後に魔法使いましたよね。なんとなく思い出しました」
ルシィが納得したと頷き、次いで「パーティーかぁ」と間延びした声をあげた。
誰もが不思議そうに彼女に視線をやる。だがクラウディオがどういうことかと問おうとするも、ルシィが「ドレス持ってないや」という呟きと、それを聞いてニヤリと笑うオルテンシアに相変わらずだと肩を竦めて深く尋ねることをやめた。
リズテアナ魔法学院の一年は前期と後期に分かれており、それぞれの最終日には華やかなパーティーが開かれる。
その規模は他の教育機関で開かれるパーティーの比ではなく、各生徒の家から特別に援助金まで出るのだという。プロの楽団や演者を呼び、只でさえプロのシェフが食堂に駐在していると言うのにこの日は更に各地から一級のシェフやパティシエを募り、おおよそ学生のパーティーと呼べる代物ではない。格差はあれど誰もがみな家名のある者達ゆえダンスも嗜んでおり、楽団の音楽に合わせて会場で手を取り合って優雅に踊る。社交界で開かれるパーティーそのものだ。
生徒達の気合の入りようも同様。パーティーまで一ヶ月を切りエスコートの誘いが解禁されれば誰もが授業そっちのけで落ち着きなく異性を見つめ、その頃には早い者ではドレスの試着を終えているのだという。
自室に戻り、なぜか得意気なオルテンシアから詳しく話を聞き、ルシィが豪華なものだと感心の声をもらした。
だがオルテンシアがここまで得意気な理由は分からない。胸を張りすぎて後ろに倒れそうなほどだ。
「ところでルシィ、貴女ドレス持ってないのよね」
「えぇ、一着も」
「そう、ならもし貴女が跪いて頼んで今までの態度を改めて金輪際生意気な口を叩かないって言うなら、ルームメイトのよしみで私がドレスのお金を出してあげてもいいわ!」
「いや、行かないんで結構です。私踊れませんし」
「ルームメイトの情けでドレスを仕立てて貰ってる生徒は多いらしいから、平民の貧しさを恥じなくてもいいのよ? まぁ、恥じない代わりに態度を改める必要はあるけど!」
「だから行きませんって」
「み゛っ!」
生意気な!とオルテンシアが訴える。
だがそれを聞いても、いかにリズテアナ魔法学院の期末パーティーが豪華なものだと聞かされても、ルシィは考えを変える気にはならなかった。
といってもパーティーに行きたくないわけではない。ルシィとて年頃の少女だ、華やかなドレスを纏って絢爛豪華なパーティーとなれば聞いただけで胸が高鳴る。それも、いかに学院内に限られているとはいえ異性のエスコート付なのだ。
例えばクラウディオのような素敵な異性にエスコートしてもらえば、こんな自分でもきっとお姫様のようになれるだろう。踊れはしないが、想像の中でなら彼のリードに合わせて優雅に踊ることもできる。
だが、そんな光景を思い描くも首を縦に振る気にはならなかった。仮に跪いてお金を出してもらうことが期末パーティーでは良くあることだとしても……それでも、
「この態度を改めたくない!」
という強い想いがあるのだ。
宣言するルシィの瞳には確固たる意思が宿っており、強く握られた拳は決意の固さを現している。
それほどまでに態度を改めたくないのだ。――こんな決意をしている時点で改める余地は皆無なのだが――
「なによ! ちょっとは改める姿勢を見せなさいよ!」
「たとえ何があろうと私は態度を改めません! 何を犠牲にしても、誰に何を言われようと、けして揺るがない!」
「み゛ぃいい!」
「という私の確固たる決意はさておき、本当にドレスのお金は出して貰わなくて大丈夫ですよ。いざとなれば学院長に何か仕事を斡旋してもらいますから」
だから心配なく、とルシィが告げる。
それに対するオルテンシアの返事はなぜかしょんぼりとした「みぃ」というもので「そうね、そうよね……」とどこか切なそうな口調と拗ねた表情で自室へと戻ってしまった。
てっきり「平民の貴女は馬車馬のように働くのがお似合いよ!」と高飛車に馬鹿にしてくるか「部屋で出来る仕事になさい!」と一人で部屋に残されることを嫌がって命じてくるかのどちらかだと思っていたのに。これにはルシィも毒気が抜かれ「オルテンシア様?」と彼女の部屋に視線をやった。
「ルシィ、それは君が悪い」
そうクツクツと笑いながら言われ、ルシィがクラウディオを見上げた。
青い瞳が楽しそうに細まり、形の良い唇が弧を描いている。笑うたび金の髪が揺れ、日の光を受けて輝く様は格好良くて美しい。
だが今のルシィには彼の見目の良さに見惚れている余裕は無く、今朝から拗ねたように睨みつけ、何かと問えばツンとすましてそっぽを向いてしまうオルテンシアの謎を解く方が優先なのだ。
「いったい私のどこが悪かったって言うんですか? けして改めないこの態度ですか?」
「いや、それは問題じゃない。オルテンシア嬢からしてみれば問題かもしれないけど、今回彼女が拗ねてるのはルシィがドレスを作らせてやらなかったからだ」
「ドレスを?」
ドレスを作らせなかった、とはどういうことか。
それを問えばクラウディオが更に笑みを強めた。
「なぁルシィ、君が入学してきたとき俺が寮の説明をして、その時になんて答えたか覚えてるか?」
「くそったれな感じですね、ですか?」
「そう、それ」
当時を思い出しているのだろうかクラウディオが笑い、次いで頭をポンポンと叩いてくる。
心地良いが彼の言わんとしていることがさっぱり分からず、ルシィが先を促すように見上げた。
「確かに君の言う通りだ。身分の低い者がルームメイトという名の召使扱いを受ける、酷い話だ。……だけどそれだけじゃない」
「それだけって?」
「入学して数ヶ月たてば色々と変わるものさ。例えば日頃の感謝を抱いたり、今までのことを申し訳なく思ったり」
そうクラウディオが話すのを聞き、ルシィが合点がいったと小さく「あぁ」と呟いた。
「……そういうことですか。相変わらず魔力の高い方達はプライドも高い」
「そうも言ってくれるな」
ポンポフされながらルシィも笑う。
つまりはそういうことなのだろう。いかに格差社会をそのまま反映させた学院のルームメイトだとしても、数ヶ月共に暮らしていれば家柄も何も関係ない純粋な想いが湧く。友情と感謝と、そしてまだ日が浅い内に行ってしまった暴言への罪悪感。
だが魔力と比例してプライドの高い子息令嬢が「いつもありがとう」とも「今までごめんなさい」とも言えるわけがなく、ましてや
「これからも一緒にいてね」等と言えるわけがない。だからこそ高飛車に傲慢にドレスやスーツを贈るのだ。
そしてルームメイトという召使……という名のルームメイトもまたそれを理解し、「これからもお嬢様お坊ちゃまの我儘に振り回されるのか」と苦笑を漏らして華やかな衣装に袖を通す。
なんとも分かりにくい話だ。だがクラウディオ曰く、それを教えてやるのがリズテアナ魔法学院の先輩の務めであり、これもまた暗黙のルールなのだという。
「時にはこじれる部屋もあるからな。そういうのをさり気無くフォローしてやるんだ」
「ご自分達の準備もあるのに大変ですねぇ」
「まぁこれぐらいはな。二・三年には特権もあるし」
そうニヤリと笑んでクラウディがルシィの前に手を差し出した。
握手を求めるわけでもなく触るでもなく、鼻先寸前で手を止める。そうして親指と中指を合わせ……パチン! と音を鳴らして指を弾いた。
突然のことにルシィが一瞬目を閉じ、次いでゆっくりと開けば目の前で揺れる花に今度は目を丸くさせる。
黄色い花だ。細い枝に黄色い小さな花が集うように咲いている。2枚の花弁が下向きに広がり、上向きにもリップが立っている。珍しく可愛らしい形の花だ。だが枝の下部を赤いリボンで結んでいるとはいえ、こういった贈り物にはあまり向いていない花である。
それでも差し出されるままにルシィが受け取り、花とクラウディを交互に見やった
「ルシィ、この花の花言葉を知ってるか?」
「私が花言葉を嗜んでいると思いますか?」
「いいや、思えないな。ならオルテンシア嬢に聞くといい」
そう告げてクラウディオが去っていく。
ヒラヒラと片手を振る彼の背を、ルシィが一輪の花を手に見送った。
そうして講堂に戻りオルテンシアに花言葉を尋ねようとしたのだが、さすがローズドット家の令嬢だけあり彼女は花言葉を嗜んでいるようで、尋ねるどころかルシィの手元の花言葉を見るや「み゛!」と声をあげた。
そのうえ興奮した様子で詰め寄ってくる。
「み゛! み゛っ!?」
「この花を誰からって? クラウディオさんですよ。ところでこの花言葉は……」
「み゛ぃ!」
「……え?」
オルテンシアがルシィの手元にある花の花言葉を告げる。――はたから聞けば「み゛」という音でしかないが。伝われば問題ない――
それを聞いたルシィがキョトンとさせ、言われた言葉をそのまま――ルシィはあくまで人語で――呟いた。




