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ワールドエンド・レメゲトン 2  作者: 五十鈴 りく


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*69

 チェスを王妃に迎える。そのことを夜になってフルーエティに伝えた。ピュルサーにはチェスから話が行くだろう。


 思念で呼べば、フルーエティは勝手にルーノの部屋に現れる。

 ルーノは就寝前であり、ガウンを羽織っただけの姿だが、フルーエティを相手に気にすることはない。


 フルーエティのことだから、報告をしなくともこの結果を見通していただろうとは思う。案の定、フルーエティは驚かなかった。


「お前がそうしたことを言い出すことはわかっていた」


 淡々と、なんの表情も込めずに言う。

 フルーエティが満面の笑みをたたえておめでとう、などと祝ってくれると思っていたわけではないが、肩透かしを食ったような反応だった。

 悪魔に何を期待しているのかと、ルーノは自分に改めて言い聞かせる。


「ま、そういうことだ。ヒスペルトもそれでいいって言うし、まあ、問題はねぇだろ?」


 照れ隠しに早口でまくし立てると、フルーエティは眉根を寄せた。いつもよりもほんの少し険しい表情に見える。


「問題がないと、お前は本気でそんなことを考えているのか?」


 厳しい言葉と、冷ややかな目つきであった。フルーエティはルーノの婚姻に関心が薄く、鼻で笑われるだろう、くらいに思っていた。フルーエティが言わんとすることがルーノにはよくわからなかった。


「どういうことだよ、それ」


 ルーノもムッとして返した。

 タナルサスたちとのことが落ち着きもしていないのだから、問題がないと言いきってしまったルーノが能天気だと言いたいのかもしれない。

 すると、フルーエティは呆れた様子で首を振った。


「そうではない」


 また、勝手にルーノの心を読んでいる。ルーノはこの鉄面皮の悪魔の心など知りようもないのに、常に不公平だ。

 そんなことを考えると、フルーエティはさらに嘆息した。


「タナルサスどものことは関係ない。そうではなく、フランチェスカはピュルサーの(あるじ)だということだ」

「……ピュルサーなら、チェスがよければいいって言ってたぞ」


 ピュルサーからチェスを取り上げるなと。そんなことをフルーエティが気にしているとは思わなかった。

 しかし、それは違った。


「フランチェスカは悪魔と契約した身だ。おおやけの場に出る機会が増えれば、いつ何時その身に危険が迫るかはわからん。そのところをお前はわかっているのか?」


 ――絶句した。

 ルーノは一度、どん底まで落ちた時に信仰心など捨てた。神など、ルーノの世界にはいないのだ。


 けれど、民衆は違う。心のうちに神を宿す。神を信じ、神を信仰する。

 そうして、悪魔は信仰を妨げる悪しき存在と認識しているのだ。

 実際に悪魔がどんな存在であるのか、知る者はほとんどいないだろうに、それでも恐れ、忌避する。悪魔に関わる者も同じだ。


「……それを言うならオレだって変わりねぇだろ」


 何せ、悪魔の力を借り、この王都を奪還したのだ。悪魔つきであるのはルーノも同じだ。

 そう思うけれど、フルーエティはかぶりを振る。


「お前は契約者ではない。体のどこにも契約の印はない。白を切ればそれを通せる。しかし、フランチェスカは違う」


 常に手袋をはめた右手に契約の印がある。王妃となれば、ルーノに取り入りたい連中がチェスの足を引っ張ろうとするかもしれない。

 愚物どもがチェスのことを探り、陥れようとするとしたら――。


 ルーノにもようやく、フルーエティが言わんとすることが理解できた。

 その事実は、ルーノにとって認めたくないことでしかない。それでも、チェスの安全を考えるなら、王妃に据えるのは諦めるべきなのか。


 一度は手に入ると思ったのに、遠ざかる。これはなんの因果か。

 うつむいた時、手にはめたままの指輪が目についた。

 ラウルの怨念がまとわりつき、ことが上手く運ばないようにルーノを呪っているのではないかとさえ思えてくる。

 ルーノはその指輪を反対側の手で強く握った。血が止まるほど力がこもる。


 フルーエティはそんなルーノに、ようやく穏やかな響きで言った。


「王妃は避け、後宮ハレムの一角に置いておけ。それならばむしろ人と会うことも減る」


 けれど、そうしたなら、ルーノは別の正妃を娶らなくてはならなくなる。その時、チェスはどう思うだろう。

 一度は正妃にすると約束したのに、やはり無理だと告げるのはルーノもどうしようもなく嫌だ。血を吐くようにつらい。チェスに泣かれたら、ルーノも心臓に杭を打たれるほどに苦しむ。


「それでも、失うよりはいいだろう」


 フルーエティにはわからない。

 そう思ったけれど、違う。フルーエティは知っている。

 チェスによく似た主を失ったフルーエティだから。


 正妃にはできないとしても、後宮ハレムで駕籠の鳥になってしまうとしても、ルーノは誰よりもチェスを大事に想うだろう。それで赦してほしいと思うのは、勝手な言い分だろうか。

 ――ピュルサーに噛みつかれても文句は言えないかもしれない。




 結局、チェスになんと言っていいのか、そればかりにルーノは頭を悩ませることになった。

 顔を合わせたくないから、つい兵士の練習場に行って剣を振るってばかりいる。苛立ちもあって、手合わせをした兵に加減せずに打ち込んで昏倒させてしまった。


「陛下、それくらいで」


 リゴールが静かに止めに入る。フルーエティから事情を聞いてはいるのだろう。

 息が上がったルーノに向ける目は、主君に似て落ち着いたものである。

 ルーノは刃のない剣を放り、その場を後にする。皆、委縮して頭を垂れていた。


 自分たちが不甲斐ないから王が喝を入れに来たとでも思っているのだろうけれど、そんなまともなものではない。少々反省しつつ、ルーノは室内に戻る。

 戻って早々、ヒスペルトが書類を手にやってきた。


「陛下、ご婚礼に際しまして、色々と準備もございます。今後、王妃様の身の回りの世話をする女官も増やさねばなりません」

「…………」


 チェスが側室になるとしても、身の回りの世話をする女官くらいはつけてやりたい。ルーノはヒスペルトの言葉を黙って聞いていた。


「まあ、そうした女官が王のお目に適い、お手がついた例もございます。陛下がもしお気に召す者がおりましたら――」


 今のルーノに冗談は通じない。そして、ヒスペルトはひとつも冗談を言ってはいない。

 無言のルーノが放つ威圧感に、いつもは強気なヒスペルトでさえ言葉を呑み込んだ。


「いえ、余計なことを申しました。お忘れください。それで――」


 ヒスペルトは着々と準備を進めてゆく。

 チェスを王妃にすることをフルーエティが危険だと言う。けれど、悪魔との契約など、誰が知るというのか。手の印さえ見えなければ問題はないのに。


 ――それでも、チェスの身を案じるのなら諦めねばならないのか。

 ここで判断を誤ってはならない。ルーノは冷静になろうと努めた。


 今後、後宮でチェスの身の回りの世話をする女官をつけるなら、せめてチェスと気が合いそうな女を選びたい。それなら当の本人が選ぶのが一番だろうと思う。

 ルーノはその場にチェスを同席させることにした。

 

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